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ブログ:ココログ

2008年7月20日 (日)

ご無沙汰のお詫び

最近は更新が滞っていて、せっかく訪ねて頂いているのに新しい記事が少なくて申し訳ありません。学期末が近づいているために、学校の諸々の用事がとても混みあっていて、平日の更新はなかなかできないのです。

更新がないと言っても、本人は、体調を崩しているなどというようなことはなく、相変わらずでおりますので、どうぞご安心のほどを。学期末の用事など落ち着きましたら、また少しずつ更新して参ります。

6月20日の記事で、仙台フィルの演奏会について触れていますが、これからしばらく定期演奏会のレヴューを執筆することになりました。7月17日付け讀賣新聞宮城版に掲載されています。宮城近辺の方は、機会があったら図書館などで探してみてくださいね。

2008年7月13日 (日)

本間先生の告別式

6月21日に亡くなられた作曲家・本間雅夫先生の告別式が、仙台斎苑別館で行なわれた。音楽家仲間が実行委員会を組んでの音楽葬である。作曲家であり僧侶である片岡良和先生による伽陀、表白文から始まり、作品の演奏や弔辞が続く。

本間作品は、無調を基本とした厳しい書法によるものが多いけれど、比較的近作であるフルートとピアノによる「かなたへ」は、とても抒情的に聴こえたのが少し意外だった。作曲のお弟子さんに対して、「雰囲気で書いてはいけない。仕掛けで書きなさい。」と、常々言っておられたからだ。

また、故郷に贈った「深浦讃歌」は、調性を持った優しく穏やかな歌。このような書法では、滲み出る人柄は隠せない。

眉をひそめ、苦虫を噛み潰したような表情で小言をおっしゃり、そんな表情のまま、こちらが崩れ落ちそうになるような駄洒落を言われた。そして、仙台圏を中心とする東北の作曲家の束ね役となって、創作活動を刺激し続けた。自ら推進役となった多くの創造と啓蒙の運動のほとんどは手弁当だっただろう。そして、若い人たちを世に送ることにも熱心だった。

指導は厳しかったが学生たちは慕っていた。先生が、仙台でいかに大きな存在だったか、会葬者が500名近かったことにも現われている。

私は、今勤めている大学で、本間先生の直接の後任者ではないが、先生が受け持っておられた授業の大半を引き継いでいる。大学の「同僚」としてご一緒したのは1年半だけだったが、その後も作曲家仲間としてお付き合いさせていただいた。

当時、先生が作られた音楽理論についてのカリキュラムは、完璧なものだった。私は、それをそのまま踏襲しようとしたけれど、何度かの大学改革によって、このカリキュラムを維持するのが困難になり、崩さざるを得なくなった。それは、今でも私にとっては痛恨事だ。

弔辞も演奏も、そして弟さんが語る先生の青年時代の話も、胸にしみるものだった。義弟であるジャズ・ピアニスト、ケイ赤城さんのために書かれた曲も、アメリカから一時帰国したケイさん自身によって演奏された。ケイさんは、日本人で唯一マイルス・ディヴィスと共演したミュージシャンである。

最後に、モーツァルト「レクイエム」の「ラクリモーザ」、「アヴェ・ヴェルム・コルプス」が献奏された。遺影の中の先生は、モーツァルトの美しい音楽を聴きながら微笑んでおられるように思えた。

Photo 写真は、準備中の式場。この式で、私は司会を任ぜられた。大役だったが、本間先生へほんの僅かだけれどご恩返しができたかなと思う。

先生のホームページ→ http://www.masao-homma.com/ ご逝去の告知と石川浩さんによる追悼文が載っているが、作品データベースなどは、現在もそのまま。

2008年7月 5日 (土)

「上り坂コンサート」

14歳は「少年」だろうか。「少年」と「子ども」とは同義語だろうか。

もちろん、世間一般的にはそうに違いない。しかし、「少年」という言い方と「子ども」という言い方の間には、大きな距離が生じる場合もある。

郷古廉(ごうこすなお)くんのことは、ここにも一度書いたことがある(2006年4月7日)。ユーディ・メニューイン青少年国際ヴァイオリンコンクール・ジュニア部門第1位を受賞した直後のことだ。あれから2年、今日は、神奈川フィルとの共演の舞台に登場した。

「上り坂コンサート」を聴きに行く。今まさに「上り坂」にある若々しい演奏者を紹介するシリーズで、これが第8回目。紅葉坂を登りきったところにある神奈川県立音楽堂が会場ですよという意味も掛けているようだ。指揮は井上道義氏。

プレトークでは井上氏が軽妙に、というよりは軽薄すれすれに、もちろんそれは井上流のサービス精神であるわけだが、今日のソリスト郷古くんに切り込む。郷古くんは、それに対して実に率直に誠実に答えている。1682年製のストラディヴァリウスは、「いい音を出したがっているように感じます。」とは、何て堂々とした答えだろう。サッカーに「心奪われた時期もありました。」という話などは、普通の男の子らしくて、かえってホッとする。

はじめの曲、ビゼー「子どもの遊び」でも、演奏はプレトークの軽妙な雰囲気を引き継いだが、郷古くんがラロ「スペイン交響曲」のソロを弾き始めた数小節で、その場の雰囲気は一変した。14歳の「少年」が、ステージを「真剣勝負」の場に変えてしまったのだ。

こんな演奏を聴いたことがない。何度も鳥肌が立った。目頭が熱くなりそうな瞬間さえもあった。今までに数知れず聴いてきた「スペイン交響曲」でこんなことが起きるなんて・・・。演奏の集中は一瞬たりとも途切れなかった。そして、大きく沸き起こった拍手は、簡単には鳴り止まなかった。

郷古くんは、友人であるヴァイオリニスト・勅使河原真実さんのお弟子さんだ。頭角を現してからは、辰巳明子、ジャン・ジャック・カントロフ、ゲルハルト・ボッセ、パヴェル・ヴェルニコフといった先生たちの指導を受けてきた。テクニックということだけでいえば、もしかしたら世界には、同じように優れた少年・少女ヴァイオリニストがいるかも知れない。しかし、音楽のふくよかさというか、取って付けたのではない表情の自然さ、的確さは、他の追随を許さないのではないか。さらに特筆すべきは、その音の美しさ、上品さだ。「スペイン交響曲」という曲は、表情の「揺れ動き」が自然で的確でなければ、そして品格を高く持たなければ、わざとらしい、鼻持ちならないものになってしまう。

どうしてこんなに「味のある」演奏をできるのだろう・・・と思いながら、しかし、特に緩徐楽章などでは師の歌い方が反映されているのを見つけて嬉しくなった。先生の才能を、大きな才能ある人が受け取るとこうなるのだ。この選曲は彼自身によるものだそうだけれど、今一番自分に合っている作品を判断できるのも、優れた能力のひとつだろう。

郷古くんの音楽は、「年齢のわりに大人びている」とかいうものではない。彼が今までにしっかりと身につけてきた等身大のものだ。彼はまだ「少年」かも知れないが、「子ども」ではない。身につけたものを表現できる「少年」とは、何と恐ろしく美しい可能性を持った存在だろう。

2008年6月28日 (土)

蒸し寒い話

梅雨だから蒸し暑いかというと必ずしもそうでもなく、むしろ「蒸し寒い」と言った方が良い日が多い。あ、それを「梅雨寒」というのか・・・。特に仙台では、夜などまだ長袖が手放せない。学生くんたちも私たち教師も、少々疲れ気味。5月の連休以降夏休みまでの期間は、一年で最も長く、梅雨のうっとうしさも重なって、一番くたびれる時期なのだ。

そういう季節だから、この際、もっと具合が悪くなりそうな話をしよう。どちらも学校現場にまつわる話である。

私の大学の卒業生某さんは、今年の4月から某県の学校に新任の先生として勤めることになった。着任の日、初めて学校に行って、教頭先生といろいろ打ち合わせをする。

話もひととおり終わる頃、教頭先生曰く、「あなたは初任だからわからないかも知れないが、こういう日は菓子折りを持ってくるものだよ。」

気が利かない奴め・・・とまではっきり言われないまでも、そう言いたげな空気が漂ったそうだ。

実は某さんは、こういう場合どうなのかと迷いながら、菓子折りを用意していた。けれども、タイミングを逸して出しそびれていたのだった。慌てて持参の品を差し出すと、教頭先生は、こともなげに菓子箱に「某先生より頂きました」と書いた付箋をつけて、回覧に回したという。

菓子折りを持って挨拶に行くというのは、この国独特の礼儀だろう。某さんが持参したのは、「挨拶の気持ち」というべきもので、そういう習慣が悪いとは、私は思わない。

だけど、受け取る立場から督促するものなのか?たとえ持参しなかったとしても、「気持ち」が足りないとして、非難されるべきことなのだろうか。それが「この業界の常識」なのだから、今後恥をかかないようにとご指導くださったのだとしても、釈然としない。

もうひとつ。

別の卒業生某さんも、やはり学校の先生だ。その日は、教育委員会から指導主事先生が来訪されて研究授業があった。御前授業はうまくいって、検討会も和やか、指導主事先生は機嫌良くお帰りになったそうだ。よかったよかった。

しかし。

某さんは、信じ難い光景を目のあたりにすることになる。

某さんが見たのは、教頭先生が、指導主事先生のお履物を磨いているところだった!驚きを通り越して引いてしまった某さんは、先輩の先生にこっそり尋ねてみる。すると、あぁ・・・最近はあんまりやらないけどねぇ~という、これまた何とも奇妙な返事。ということは、以前は当たり前のようにやっていたのか?以前というのは江戸時代か、それとも明治時代か?一体、今は何時代なんだ?

私は、基本的に学校現場に同情的である。教諭の不祥事が出るとひどいバッシングが巻き起こるが、中には少数のエキセントリックな者がいたとしても、ほとんどの先生たちは真面目に誠実に仕事していることを知っている。卒業生たちが活躍しているのも嬉しく思う。一部の保護者をモンスターと呼ばなければならないほど傷ついた現場で、教壇に立つこと以外の雑用に追われている先生たちのご苦労を思う。

だが、こんな話を聞くと、ちょっとぐらぐらしてしまう。さらに、念のために言えば、この二人の某さんが勤めるのは、それぞれ別の地方なのである。特定の地域に妙な「常識」が残っているらしいというわけではないのだ。

本当に大切なことには無策なのに、どうでもいいような細かいことにやたらと潔癖で、はみだす者を受け流す度量がない。嫌な時代だ。懐古趣味に陥りたくはないが、インターネットもブログも携帯電話もなくて不便だったけれど、昭和の社会はもっと大人で、大らかだった。だからこそ、せめて学校現場だけでも、妙な「常識」を温存しないで、「良識」が通じるところであってほしいと思う。将来教職に就く若者たちへ心構えとして、偉い方がお見えになったら、お履物は磨いておくものだぞなどと指導するのなんか真っ平である。

指導主事先生が機嫌よくお帰りになったのは、お履物が磨かれていたからではなかったと信じたい。

2008年6月22日 (日)

本間先生の訃報

仙台在住の作曲家、本間雅夫先生が、昨日(6月21日)亡くなられました。

昨年秋頃から体調を崩し入院しておられましたが、治療は順調に進んでいるとのことでした。何度かお見舞いに伺った折も、寝込んでいらっしゃることはなく、椅子に座ってお話されていましたし、時折は院内を歩き回ったりもしている、この病院の食堂のラーメンが美味しいんだなどとおっしゃり、入院患者としては、ずいぶんお元気そうな様子でした。

完治ではなかったものの今年3月末一旦退院されました。その後、どうしていらっしゃるだろう・・・とお噂をしていた矢先、6月19日の夜奥様から、容態がとても悪いという連絡を頂き、再入院されていたことも知らなかったものですから、私たちは皆大変驚きました。
翌20日、病院に駆けつけましたが、すでに意識が混濁しておられる状態でした。

21日午前10時に亡くなられたことは、この日の夕方知らされました。前日のご様子から、楽観は出来ないと思っていましたが、あまりに早い展開に言葉を失いました。とにかく、残念のひと言です。

代表作であるピアノのための「クロスモード」をはじめ、厳しい書法で書かれた本間作品には、ゆるんだところが少しもありません。私は、作曲家としての本間先生を承知しており、こんなふうに作曲活動をしておられる方のいらっしゃる大学ならば、私の居場所もあるかも知れないと考え、先生が勤めておられた大学への転任を希望し、その希望は、まさに先生のお計らいによって叶えられました。それから、もう16年ほどにもなります。

まだまだ書き留めておきたいことはあります。いずれ稿を改めてと思います。

生前のご厚情に感謝し、本間雅夫先生のご冥福を心よりお祈りいたします。

2008年6月20日 (金)

チェコを描く4つの音楽

仙台フィルハーモニー管弦楽団第229回定期演奏会を聴く。仙台市青年文化センター・コンサートホール。

下野竜也氏の指揮で、プログラム立てのコンセプトがとても明確なコンサート。

前半は、ドヴォルジャークの序曲「フス教徒」と、同じくドヴォルジャークの「チェコ組曲」。

この2曲も頻繁にプログラムに上ってくるものではないと思うが、後半は雰囲気が一変して、さらに珍しい2曲。

まずマルティヌーの交響詩「リディツェへの追悼」。リディツェは、ナチスによって壊滅させられたプラハ近郊の村の名前。不条理な殺戮への怒りは極力押し殺した、ひたすらに哀切で美しい音楽。

4曲目は、1921年生まれの作曲家カレル・フサの「プラハ1968のための音楽」。「プラハ1968」は、無論、「プラハの春」を受けてのワルシャワ機構軍によるチェコ制圧、いわゆる「チェコ事件」を意味する。オリジナルは吹奏楽のために書かれたが、ジョージ・セルの勧めによって管弦楽版が作られたとのこと。スコアを見ていないのだが、聴く限り、二つの版の差異はオーケストレーションだけのように思える。集中度の高い、緊迫した音楽。

どの曲も(特に「スフ教徒」と後半の2曲)、音楽の輪郭がはっきりしていて、良い演奏だった。実は、今月からしばらくの間、仙台フィルハーモニー管弦楽団の定期演奏会を、某紙のために「仕事で聴く」ことになったので、ここでは簡単な報告だけに留めておこう。

2008年6月18日 (水)

地震お見舞い御礼

6月14日土曜日の朝に起きた岩手・宮城内陸地震に際して、何人かの方から、お見舞いの電話やメールを頂きました。

13日金曜日の夜、神奈川の家に戻り、地震が起きた時間は、まだ惰眠むさぼり中でした。私は、夜中の地震は爆睡していて気がつかないことが多く、よく呆れられるのです。でも、今回の地震は神奈川でもふらふら揺れて、しかも結構長い時間だったので、さすがの私でも目を覚ましました。

数分後、西日本に住んでいる友人から、携帯にメール。「青葉区震度5って言ってるけど、大丈夫?」

え~?今のは震度5もないだろう、せいぜい2くらいじゃないの?・・・寝ぼけ頭は、青葉区と聞いて、神奈川の家に近い「横浜市青葉区」のことかと思ってしまったのです。

「そんなにひどくなかったよ」とメールを返しながら、・・・え?もしかして「仙台市青葉区」?と思い、慌ててテレビを見ました。

はじめのうちは、どうしたって大きな都市の放送局からのレポートということになりますから、まずは、揺れる仙台の街をとらえた定点カメラの映像が映し出されました。慌てて、会員制掲示板に書き込みをしたり、何人かの学生くんたちに連絡を取ったりしてみましたが、いずれも、大きな揺れだったけれど特別な被害はないという返事で安心しました。しかし、都市部よりも山間部が大変なことになっているらしいということが、次第にわかってきます。一報を聞いた時よりも、時間を追うごとにだんだん恐ろしさが増してきたのは、私だけではないでしょう。

昨日(17日)、仙台に戻りました。仙台の家の中はどうなっているかと、恐る恐る入りましたが、まったく何ともなっていませんでした。強いて言えば、よく見ると、一列にきちんと並んでいたはずのCDが前後ギザギザになっていて、おや?君たち動いたね?と思わされただけでした。大学の研究室も、薄めの本が数冊落ちているのを発見しましたが、ほぼ何事もありませんでした。地盤の強さや建物の方向や、いろいろ関係するのでしょう。

今日(18日)夕方、大学にいたら、ミシッ・・・という音が聞こえました。余震です。しかし、ほとんど揺れは感じませんでした。同じ仙台圏でも、震度3くらいに感じた地域もあったらしいのですが。

そんなわけで、私自身はミシッ・・・という小さな音を聞いたという程度ですし、直接間接の知り合いが被害に遭ったという話も聞こえてきていませんが、揺れのひどかった地域では、不自由な避難生活を余儀なくされている方々がたくさんおられる報道を見ると、同じ地方に関わりを持っている者として、他人事とは思えません。

皆さまからご心配いただいたことに感謝を申し上げますとともに、被災された方々が、一日も早く元の生活に戻られるよう、祈るばかりです。

2008年6月12日 (木)

音の旅 第5回

小山実稚恵さんのピアノリサイタルシリーズ、第5回を仙台で聴く。仙台市青年文化センターコンサートホール。

今回のサブ・タイトルは「プログラムの醍醐味・めぐる音<玉虫色・もつれあう鈍い光>」。

1曲目、ベルクのソナタop.1 の冒頭、4度堆積主題が描かれた瞬間から、妖しい雰囲気が漂う。22~23歳のベルクが、いささか神経質に試した複雑な対位法は、高揚と沈静を繰り返す大きな波にのみ込まれ、スクリャービンの知られざるファンタジーと聴き違えるよう。こんな聴こえ方をした演奏に接したのは初めてだった。このソナタが書かれた頃、スクリャービンは第5ソナタを作曲している。時代の気分として、神秘主義的な芸術感が二つのソナタを通底していると妄想したとしても、あながち荒唐無稽とばかり言えないのではないか。

その余韻の消えぬうちに、シューマンの第1ソナタが弾き始められる。ソナタop.1 を書いたベルクとほぼ同じ年齢で作曲された作品。音を凝縮したベルクと対照的に、言いたいことはちょっとのことでは言い尽くせないとばかりに、長大で込み入った構造を持ち、細部に拘ると何が何だかわからなくなってしまう饒舌で異形のソナタを、小山さんは、細部に関わりすぎることなく大きなうねりの中で捉え、描ききった。長くてよくわからない曲という先入観は粉砕された。

休憩後はフランク「前奏曲、コラール、フーガ」。この日演奏されたどの曲もそうだが、この曲も小山さんによって劇的な物語のように組み立てられる。実に気高く美しい音楽であることを、あらためて認識し直す。コラールからフーガへ移りゆく場面や、二重フーガが鳴り響く場面など、今回の演奏会すべての中でも圧巻だった。

最後は、プロコフィエフの第7ソナタ、いわゆる「戦争ソナタ」。虚構の中の「現実」と「夢想」の狭間に引き裂かれていくさまを見るよう。引き裂かれていくおのれを凝視する、もうひとつの視線があれば、さらに立体的になるのではなかろうか。

アンコールは、プロコフィエフ「前奏曲 op.12-7」、ラフマニノフ「前奏曲ト短調 op.23-5」、グラナドス「スペイン舞曲集~第2番<オリエンタル>」。

会場にいた学生くんや卒業生さんたちとともに、サインをねだる。サインをもらって、みんなとても喜んでいた。次回(10月)も楽しみ。

2008年6月11日 (水)

仙台×横浜FC

久しぶりで、ユアテックスタジアムに参戦。横浜FC戦。

Photo ユア・スタ前。こんな石像、前からあったっけ?

Photo_2 このスタジアムは、ピッチが近く、とても見やすくて楽しい。広くはないが、全面屋根付きだから一体感がある。ベガルタ・サポの大きな声援が響く。地下鉄駅から近いのもありがたい。

前半は、ベガルタが圧倒した。24分、平瀬選手が打ったシュートがウツクシク決まり先制!横浜FCは、後半から"カズ"三浦和良選手と難波選手が入って流れが変わったが、68分、田村選手がヘディングを決めて2-0、そのままベガルタの勝利。失点なしですっきり勝つのは良いことだ。

川崎フロンターレから来た西山選手、飛騨選手がベンチスタートながら、ともに途中出場。フロンターレ・ファンである私に気を使ってくれていますか?と言いたくなるような采配。どちらの選手も良い動きだった。

"カズ"選手、今までも何度か見ているが、客席とピッチとの距離が近い分、素晴らしい足捌きがよく見えて面白かった。さすがです。41歳?まだまだいけます。とことんやってください。

2008年5月31日 (土)

藤原真理 チェロ名曲コンサート

神奈川の家の近くで、藤原真理さんのコンサートがあったので聴きに行く。麻生文化センター。ピアノは、誘ってくれた倉戸テルさん。

藤原さんのコンサートは、2006年の5月に盛岡で聴いて以来である。その時の印象を、藤原さんのチェロは、「音の生まれるところから『まっすぐに』伸びてきて、私たちの耳に心に届く」と、このブログに書いた。2年後の今回も、その印象はまったく変わらない。というより、より率直に、より「まっすぐに」語りかけられているように感じる。藤原さんの境地がまたひとつステージアップしたのかも知れないし、藤原=倉戸コンビの成熟かも知れない。テルさんのピアノは、出すぎず引っ込みすぎずの名サポートだ。私は、昨年、チェロのための作品を書き損なったのだが、藤原さんの音を聴いていると、そのことがとても悔やまれた。

プログラムは、バッハ「アリオーソ」(BWV156より)、マルチェロ「アダージョ」、バッハ「無伴奏組曲第3番」から、サンサーンス「白鳥」、フォーレ「シチリアーノ」「夢のあとに」、ラフマニノフ「ヴォカリーズ」と、前半には(無伴奏組曲を除けば)いわゆる名曲の小品が並ぶ。後半は、シューベルト「アルペジオーネ・ソナタ」があって、ウェーベルン「3つの小品」op.11、最後がカタロニア民謡「鳥の歌」。

このような構成のコンサートを、藤原さんは、年間どのくらいなのだろう、かなりたくさんの回数を全国各地で開いておられる。名曲の小品をきちんと聴かせるというのは、本当はとても難しいことだし、その中に「アルペジオーネ・ソナタ」のような難曲、規模の大きな名曲を組み入れるのは、見た目のライトさ以上に、演奏家にとっては真価が問われる厳しいプログラム立てだ。聴衆にとっても、このようなプログラムを、素敵な演奏で聴かせてもらう満足感は深いし、啓蒙的でもある。決して力むことなく、むろん手を抜くこともなく、こういう演奏会を真摯に続けておられる藤原さんには、本当に頭が下がる。

ロビーでは、CDが飛ぶように売れていた。演奏会を聴いて、藤原さんの音にもっと触れていたいと思うのも当然だろう。

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