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2009年6月11日 (木)

クリスチャン・ツィメルマン ピアノ・リサイタル

仙台で、ツィメルマンの来日公演を聴く。6月11日東京エレクトロンホール宮城(宮城県民会館)

バッハ:パルティータ第2番

ベートーヴェン:ピアノ・ソナタ第32番

ブラームス:4つの小品 Op.119

シマノフスキ:ポーランド民謡の主題による変奏曲 Op.10

ひとことで言えば至福の時だった。特にベートーヴェンの後半楽章は、ふだん聴き慣れているものと同じ楽器とは思えなかった。天の鈴の音のよう。

徹底して「自分のピアノ」にこだわるということだから、楽器の調整にも何か秘密があるのかも知れない。そして、ペダルも多様に使い分けているらしいのだが、何が起きているのか、私にはよくわからない。

言えるのは、感覚的であると同時に非常にクレバーな演奏だということだ。ただ感覚的に美しいだけではないのである。

欲を言えば、もう少し響きの良いホールで聴きたかった。もちろん、それはそれで工夫して演奏していたのだろうと思うし、十分に堪能できたのだが。1,000人を超えるキャパシティを持つ良いコンサートホールがないところが、この街のウィークポイントだ。

2009年6月 7日 (日)

チャイコフスキーの交響曲など~仙台フィル4月・5月

4月と5月の仙台フィルの2つの演奏会について。

4月は、シーズン・オープニングコンサートで、オール・チャイコフスキー・プログラム(4月17日)。指揮は山下一史。

・組曲第4番「モーツァルティアーナ」より、“ジーグ”“メヌエット”“祈り”

・ヴァイオリン協奏曲(ヴァイオリン:佐藤俊介)

・交響曲第4番

5月定期の指揮は小泉和裕(5月22日)。

・ストラヴィンスキー:幻想曲「花火」

・ヴィラ=ロボス:ハーモニカ協奏曲(ハーモニカ:和谷泰扶)

・チャイコフスキー:交響曲第3番「ポーランド」

チャイコフスキーのこれらの交響曲を並べて聴くと、3番と4番の間に、大きな区切りがあることがわかる。第3番は「過渡期的な作品である」と言われていて、一般批評的に見れば確かにそうだろう。3番に比べて4番は、作曲された時期は、たかだか1年くらいしか隔たっていないのにも関わらず、完成度、知名度など、3番に比べて4番は格段にレヴェル・アップしている。

では、4番に比べて3番は面白くないかといえば、決してそんなことはないと思う。たしかに、何となく垢抜けない経過的部分などがあったりして、4番の方が全体ははるかに引き締まっているけれど、整理される直前の混沌という面白さがある。ところどころに、バレエ音楽を思わせるような魅力的な場面も現われる。それもそのはずで、作曲された時期は、「白鳥の湖」にとても近いのである。

「民謡を交響曲に」というコンセプトから、一歩踏み出した絶対音楽を目指そうとしている。しかし、まだ完全には踏み出しきれないで、民謡調があちらこちらに顔を出すし、民謡的なテーマでフーガを書いたりしている。

一方、4番は民謡的要素が抽象化された名曲だが、スコアを眺めていたら、4つの音によって全曲の動機的統一が図られていることに気がついた。・・・ということは、どこかに書いてあるのかしら。とてもわかりやすいことだから、まさか発見した人がいないわけはなく、あちらこちらの解説に記述があってもおかしくはないのだけれど、まだ読んだことはないなぁ。

ヴィラ=ロボス晩年の「ハーモニカ協奏曲」も、珍しい曲目だった。木管と弦中心の小さめのオーケストラだが、トロンボーンとチェレスタは欠かさないというあたりが、この曲のサウンドを決定づけている。

ヴィラ=ロボスの作品は、あまり知らないのだけれど、一種の諦念に似た雰囲気が漂っているのは晩年の作だからだろうか。紛れもなく「大人の音楽」で、お酒でいえば若いワインではなく、ウィスキーモルトの香り。ストラヴィンスキーの出世作「花火」が聴けたのも、楽しかった。

(読売新聞仙台版570字批評は、今年度も続いている。本当は作品について書きたいのだが、求められているのは演奏評なので、ここには新聞には書ききれなかったことなどを書いておく。)

2009年6月 2日 (火)

「毛皮のマリー」観劇記

ふとした出来心から、仙台公演があるというので出かけて行った。

寺山修司・作、美輪明宏・美術/演出/主演「毛皮のマリー」(イズミティ21、大ホール)

なぜ出来心を起こしたかというと、もちろん第一は、寺山作品が現在どんなふうに見えるのかということへの興味。美輪明宏氏が、年齢のこともあるので、この作品を演じるのは最後かも知れないと書いているのも読んだ。そして、麿赤兒、若松武史といった往年の名優が出演しているのにも惹かれた。

会場に着いて、チケットを差し出そうとしたら、係の人が叫んでいる。「本日、大ホールのお手洗いはすべて女性専用とさせていただきます!」

はぁ・・・そういうことになっているかと驚きながら、エントランスのトイレで用を済ませて入場した。

Hi3e0114 次に驚いたのは、ロビーに、薔薇の花でアレンジされた蝶の形を背景に美輪さまの写真などが置かれた祭壇のようなものが作られ、、女性たちがむらがって、携帯をかざして写真を撮っていることだ。

これが「祭壇」。そして、ロビーにはお香の香りが漂っている。

客席について見渡すと、観客のおそらく90パーセント以上は女性だ。話の中身からすると、妖しいお兄さんとかが多いような気がしていたが、まったく見当はずれ。寺山ファンがどのくらい来ているのかは、わからない。

幕が開いて、美輪さま演じる「マリー」と、麿赤兒演じる「下男」との会話が始まる。わぁ・・・何だか歌舞伎だなぁ、これは・・・と思った。台詞や動きが様式化されているように見えるからだろうか。「擬古典的に装われた贅沢な一室」という舞台設定から来る視覚的印象も、まるで歌舞伎だ。そう思って観れば、鶴屋南北が現代に生まれ変わったら、こんな作品があっても不思議ではない気がしてくる。

美輪さま演じる「マリー」は、時々台詞が聞き取りづらいところもあったけれど、声の音色感が変化する様は凄い。そして、本来台詞役者ではない麿赤兒の台詞が、最もよく聞き取れたというのも、なんだか面白い。若松武史も、寺山演劇の懐かしいアクの強さを伝える。

客席の95パーセントの女性(30代から50代くらいが主流か?)は、寺山の言葉をどう聞いているのだろう。とまどっているのではないかなと思われるほど全体には静かで、かつてだったら、もっと沸いたであろう台詞にも反応が薄い。

最後のシーンは、演出によってずいぶん手が入っている。その是非はともかく、幕が降りてカーテンコールが始まった。形どおりにまず脇役たちが拍手を受ける。そして、「欣也」役の吉村卓也と美輪さまの登場となったとき、にわかに舞台装置が動いて、金色の孔雀を背景に二人が現われた。舞い散る金粉。

それまで静かだった客席が騒然となった。おそらくコアなファンがいるのだろう。観客が次々と立ち上がってスタンディングオベーションとなった。美輪さまが、客席に向かって手を広げたり、投げキスのような仕草をすると、大きな歓声が起こる。そして、二人のカーテンコールは延々と続き、私はかなり唖然としながら座っていた。

なるほど、こうやってこの作品は継承されているのかと思う。パンフレットに載っている出演者の顔写真は、まるでホストクラブの店先の写真のようだ。いろいろな意味で面白い観劇だった。

翌日、仙台パルコの中の小さなスペースでやっている、寺山修司と天井桟敷ポスター展を覗いてみた。入場料300円かぁ。狭いんだけどな、ここ。有料なんだ・・・。

展示自体は、ポスターの他に自筆のコピーや出版物などもあるけれど、今までにもいろいろなところで見てきたから、さほど珍しいものはない。ただ、こうして、寺山世界に囲まれていることで思うことが沸いてくるような気がする。

若い、大学生と思しき女性が二人、ポスターを見ながら話しているのが聞こえた。

「ふぅん・・・、天井桟敷って劇団の名前なんだねぇ。」

はぁ・・・そうだよなぁ、キミたちは知らなくて当然だよなぁ。でも、そんな世代が、わざわざ入場料300円を払って入ってくるわけだから、寺山世界のインパクトは、色褪せていないのだろうと思う。

2009年5月30日 (土)

天踊

2008年12月19日に亡くなられた太刀川瑠璃子先生の訃報を伝える記事では、その肩書きは、「スターダンサーズ・バレエ団常任理事」、「バレエ・プロデューサー」、「昭和音楽大学副学長」などとなっている。

1通の葉書が届いたのは、1978年の秋か冬のことだったと思う。差出人は、故渡邉暁雄先生。内容は「貴君にお願いしたいことがあるので、連絡をください。」というもの。私は大学院生だった。

お電話をしてみると、スターダンサーズ・バレエ団という団体の公演のために、「白鳥の湖」第2幕をピアノ2台用に編曲してほしいというお話だった。暁雄先生が、「ポケットマネーくらいにしかならなくて申し訳ないけど」とおっしゃったのを妙に覚えている。

初めて青山のスターダンサーズ・バレエ団スタジオに打ち合わせに伺った時から、その後何度も何度もスタジオに足を運ぶたびに、迎えてくださるのが太刀川先生の笑顔だった。

いつものその笑顔には、ほっこりとした感じで、品の良いお人柄が顕れていた。「こんにちは。きつかわくん、元気?」と、いつも「つ」を小文字にしないで発音された。

しかし、いつもいつも笑顔でいらっしゃったわけではない。スタジオでのレッスンを見守る表情は真剣だったし、ダンサーを注意したり、日本の文化状況を憂うお話をされるような時には強い口調にもなられたが、高圧的だったり感情的だったりしたところを見たことがない。慈母のような人だった。

1979年7月、浅草公会堂でのスターダンサーズ・バレエ公演は、クルト・ヨース台本・振付の「緑のテーブル」と、遠藤善久振付による「白鳥の湖」第2幕。

この「モノトーンの白鳥湖」は、簡潔なスコアを用いることで、作品の持つ新たな容貌を引き出したいというドナルド・リチー氏の構想に支えられていた。2台のピアノの演奏は、渡邉康雄さんと渡邉規久雄さん。

スターダンサーズ・バレエ団のレパートリーは、いつも筋が通っていた。戦争の不条理を風刺的にグロテスクに、そして悲しく描く「緑のテーブル」に出会ったのも、この公演の時だ。こんなバレエを観たのは初めてだった。振付、音楽ともに衝撃的だった。

この時の「白鳥湖」の仕事が端緒となって、1981年にはバレエ「おしらさま」が生まれ、86年には2管編成の管弦楽版となって東京で初演の後、中国の北京での公演に繋がっていく。

いつも二つのことを語っておられたのをよく覚えている。一つは、「もっともっとバレエの裾野を広げなければいけないし、日本で生まれ、日本人によるバレエを作らなければならない」こと。もう一つは、「絵画や音楽の大学があるように、日本にもバレエの高等教育機関が必要」ということだ。

バレエの裾野を広げるための、行政が運営を全面的にバックアップする、全国でも珍しい市立のバレエスタジオが遠野市に生まれた。そして、その設立10周年を記念して計画されたのが、創作バレエ「おしらさま」だった。バレエの高等教育機関設立」という念願は、昭和音大にバレエ・コースが設置されたことで具体化に向かった。遠野市や大学を動かしたのも、創作バレエが発表できたのも、すべて太刀川先生の信念からだった。あの静かな笑顔のどこに、そんなエネルギーが潜んでいたのだろう。

近年はしばらくお会いする機会がなく、最後にお会いできたのは、草刈津三さんのご逝去を偲び、遺著の出版を記念する会だった。草刈さんは、暁雄先生らとともに日本フィル設立に尽力された方で、晩年は私も勤めていた某音大でご一緒だった。先ごろ亡くなられた暁雄先生の信子夫人に最後にお会いできたのも、この時だった。

太刀川先生は、大病をされた後と伺っていたが、お元気そうで、以前と変わりなくお話できて嬉しかった。2005年の初春のことだ。2007年12月、遠野での「おしらさま」再演の時、再び体調を崩されていることを伝え聞いた。お元気ならば当然その場に来ていただけるだろう。とても残念だった。

2008年12月19日の朝、前の晩、音楽会を聴いて仙台へ戻る新幹線に乗るために、東京駅のホームを歩いていた私に向かって、少し離れたところから会釈している人がいるのに気がついた。Mさんだった。Mさんは、遠野のバレエスタジオの1期生で、高校を卒業してからは東京で勉強を続けてダンサーになり、今はスタジオの指導者として、東京と遠野を往復している。久しぶりの再会に喜んで、短く言葉を交わして別れた。太刀川先生のご様子を聞けばよかったなと、別れてから思った。

その日の夕方、太刀川先生は亡くなられた。享年81歳。そんな日にMさんとばったり会うなんて、後で考えると何だか不思議な気がする。

Photo

2009年2月28日、昭和音楽大学のテアトロ・ジーリオ・ショウワで、お別れの会が催された。法名、釋天踊信女。あのお優しい笑顔の先生を忘れることはないだろう。

2009年4月27日 (月)

月産570字

昨年から、毎月仙台フィルの定期演奏会を聴いて、読売新聞仙台版に570字のレヴューを書くという仕事をしている。

演奏会に行く前には、可能な限り音源とスコアを入手して、曲について把握しておくようにしている。スコアは10代の頃から買い続けているから、あらためて買わなくても良いものも多いし、大抵の作品は入手できるけれど、中には簡単に手に入らない曲もある。その場合は仕方がない。注文して何ヶ月も待つことはなかなかできないからだ。

音源は、最近はネットでも簡単に買えるけれど、仙台の某CDショップでは、定期演奏会で取り上げられる曲のCDを、数ヶ月前からコーナーを設けて揃えている。入手しずらい曲の場合などありがたい。便乗と言えばそれまでだが、地元のオーケストラを応援しようというディスプレイを設けるのは、地方都市ならではのことだろう。東京では考えにくい。

本番では、膝の上にスコアを開き、ノートにこっそりメモを取る。音楽会の本番で、楽譜をめくり、メモをするなんて無粋この上なし。周りのお客様に申し訳ないなぁと思うけれど、楽譜を見るのも、メモを取るのも、思い違いを避けるためと、後付けの何となくの印象で書いてしまわないためだ。

私は批評家ではないから、基本的に貶す批評は書かない。「アンサンブルが乱れた」「バランスが乱れた」なんていうことだけを書いたって、乱れたのはちょっとした事故かも知れないし、演奏会に立ち会わなかった読者が、アンサンブルが乱れたことを知ったって、何の役にも立たないし面白くもない。

それよりも、「この作品はこういう曲。それをどのように表現しようとしていたか」という、作曲する者の視点を持ち続けていたいと思っている。

それにしても、何が大変といって、570字にまとめるのにとても手間がかかる。当日メモした走り書きのうち、少しは使えそうなフレーズだけ書き写してみても、すでに700字くらいにはなってしまう。それを整理したり、言葉を入れ替えたり、諦めたりして570字まで削る。削ることで良くなっていく部分とわかりにくくなる部分と、両方あるような気がする。

さらに、専門用語はできるだけ避けてほしいという注文がある。読者は専門家ばかりではないというのが理由だが、「運弓」を「弓の運び」に替えるくらいは良いが、「オーケストレーション」の代替言葉は「管弦楽配置」で良いのか。「パッセージ」を「走句」と言い換えてもわからないだろう。「動機(モティーフ)」も、「犯行の動機」の「動機」と混同されるので使えない。字数制限も、用語や使用漢字の制限もない「ブログ」は、呑気なフォーマットだなぁ。ただ、用語や使用漢字の制限はともかく、字数を制限に合わせて削っていくのは面白いことでもある。

ここでは、これまで報告しそびれてしまった定期演奏会をメモしておく。

2月20日(第235回定期) 指揮:デリック・イノウエ、クラリネット:赤坂達三

 コープランド:バレエ組曲「アパラチアの春」

 コープランド:クラリネット協奏曲

 アイヴズ:答えのない質問

 ハンソン:交響曲第2番「ロマンティック」

とりわけアイヴズが面白かった。演奏時間はたった5分くらいだけれど、果てしない時間と空間の中に放り出されたような感じ。どんな曲であるかよりも、どんな体験ができ曲かの方が重要。アイヴズが、ケージに繋がる実験音楽の始祖であることがよくわかる。他の3曲、コープランドもハンソンも、生演奏では滅多に聴けないから貴重な機会だったし、それぞれ良い演奏だった。ハンソンの交響曲は、調性との距離の取り方、時流から隔絶した孤独なロマンチシズムがシベリウスを思わせる。

3月20日(第236回定期) 指揮:パスカル・ヴェロ、ヴァイオリン:米元響子

 ベルリオーズ:序曲「海賊」

 ショーソン:詩曲

 サン=サーンス(イザイ編):ワルツ-キャプリス

 フランク:交響曲

ベルリオーズのこの曲はあまり知られていない。超特急のパッセージが駆け回る部分と半音階進行を含むゆっくりした旋律の部分がめまぐるしく交替し、カンカンを思わせるどんちゃん騒ぎに至る。こんな曲なのに・・・というよりもこんな曲だからこそ、とても丁寧にリハーサルされたことがよくわかる。演奏の仕上がりはむしろ端正。ヴァイオリンの2曲、どちらも演奏は自然体のロマンチズムで落ち着いて聴けた。ショーソンの詩曲のオーケストラ版、生で聴いたことあったっけ?詩曲は、独奏が霞の中から浮き上がって聴こえるように、オーケストラが書いてある。名オーケストレーション(という言い方あるのかな?)だと思う。オーケストレーションで言うと、フランクは「厚化粧」だ。いくつかの絵の具を混ぜて中間色を作るようにして、音色を配置する。それなのにというか、だからこそというか、オーケストラがオルガンのようによく鳴る。聖職者のような仕事ぶりだったというこの作曲家も交響曲は、むしろ人間臭い苦悩とカタルシスのドラマ。常任指揮者ヴェロ氏とこのオーケストラとの関係は、今とてもうまくいっている。彼が指揮をすると、このオケは音が落ち着く。ヴェロ氏と仙台フィルで聴いてみたい曲が、まだまだたくさんある。2009年シリーズも作文を続けることになったので楽しみだ。

2009年4月10日 (金)

満開

今日の仙台は、最高気温が26℃とかだったらしい。

通勤途中に、桜の木を見ながら運転していたのですが、一昨日はまだ咲きかけ、昨日の朝はそこそこ、夕方はだいぶといった具合に少しずつ咲きはじめていたのが、今日の暖かさで一気に満開になりました。

Photo_2 いつもより、少し早い感じ。これから東北では、首都圏よりは少しだけ遅めの春がやってきます。楽しみです。

そうそう・・・そういえば一昨日は、このようなものを頂きました。

Photo_3 白魚のかき揚げ

Photo_4 空豆の炭火焼

Photo_5 若筍の炭火焼 甘くて美味しかったぁ。

2009年4月 1日 (水)

N先生の1095日

Nさんは、私たちの大学の卒業生だ。

卒業したらどうするのかなと思っていたら、仙台近郊の町の臨時職員として小学校に勤めることになった。3年前のことである。臨時職員と言っても、仕事の中身は指導助手的な「先生」で、「町の職員」として雇って学校に送り込む新しい制度の第一期生なのだそうだ。

Nさんが小学校の先生?

初めて聞いた時、私は正直に言って、少し違和感を感じた。卒業研究は、私の研究室で近代の難しい曲を分析して立派に弾いたし、どちらかというと饒舌な人ではないから、子どもたちに向かって大きな声を出している姿が想像できなかったのだ。教員採用試験を受けようともしていなかったので、制度に束縛されるような公教育の先生にはなりたくないのかなとも思っていた。勤め始めてからも、ピアノのレッスンを受け続け、音楽会や美術展に足しげく通っていたし、私たちの勉強会にもちょくちょく顔を出していた。彼女には、少々「(良い意味での)高等遊民」的なポリシーと心のゆとりが感じられた。

音楽を専門に勉強してきたのを知って、学校は、ピアノを弾く仕事をNさんに任せることにした。式典での校歌や朝会、学習発表会の合唱、器楽合奏、卒業コンサートや歓迎コンサート、いろいろな合唱コンクールへ参加など、全学年の子どもたちは、事あるごとにNさんのピアノで歌ったり、演奏したりした。本人は必死だったかも知れないが、難しげな曲も軽々と上手に弾いてくれるN先生に、子どもたちはみんなびっくりした。すごい!きれい!かっこいい!

伴奏がきちんと弾けていると、子どもたちは落ち着くんです。歌に集中できますから・・・と、Nさんは言う。当然のことだろう。ピアノが上手にリードしてくれると、子どもたちの姿勢は自然と前を向く。元気なリズム、レガートなフレーズ・・・「いまN先生どうやって弾いた?」指揮の先生から問いかけられて、子どもたちは伴奏を聴き、お互いの声を聴き合うようになった。やっぱり何と言っても生の伴奏はいいよね・・・N先生のピアノで子どもたちの歌を聴いた人は、誰もがそう思っただろう。伴奏テープを流すだけでは、周囲の音をきちんと聴く習慣ができない。伴奏テープは子どもたちの歌を聴いてくれないからだ。

そうやって、この小学校の子どもたちは、N先生のピアノで安心して歌うことがあたりまえになった。余計な言葉はいらない。伴奏のほんのわずかなフレーズだけで、彼女は子どもたちからの尊敬を得た。

最近、教科の専門的な力はほどほどで良い、それよりもどうやって教えるかについて学ぶことに重きを置くべきだという風潮がある。それは絶対に間違っている。甘くみてはいけない。芸術は、人の心を変えてしまう武器にもなり得るのだ。

だが、Nさんの仕事の中心は、実は音楽ではなかった。

「低学年を中心とする、学級経営補助」。通常の学級の中にいる、特別な支援が必要な子どもに勉強を教えること、遅れ気味の子どもの勉強や生活を、学級を越えてフォローしてあげることが、彼女の仕事だった。常勤の先生では埋められない「隙間」を埋めていく仕事と言っても良いだろう。時には、発達障害のある子が興奮して暴言を浴びせたり、暴れるのを落ち着かせようとしたはずみで傷を負ったりしたこともあった。夏休みには、同じ立場の先生とともに、宿題や勉強をみてあげる集いを企画した。彼女の仕事ぶりは、後に同僚から、「時にはクノイチのように、時には白百合のように、いてほしい時にいつの間にかそこにいて、何かをしてくれている先生」と評されることになる。

そして、あっという間に3年が経った。

この仕事は1年任期、更新は最大3年まで。なぜそうなのかというと、その町の臨時職員の規定がそうなっているから。3年経つと、いかなる成果や功績があったとしても職を解かれる。移動ではなく、解雇なのである。この春、同様の「雇い止め」で、教育の現場から失職する人は、国立大学法人の非常勤職員だけでも100人に上るという。

Nさんはこの仕事を続けたいと思い、周囲も続けてほしいと願った。臨時職員の任期を教育職に当てはめられるものなのか、特例は認められないのかと、校長先生は何度も要請したし、町議会で話題になったこともあった。だが動くことはなかった。

この国では、人の働きや心よりも規定が優先される。いつまでも同じ仕事を続けられるものではないにしろ、せっかく良い制度を設計しながら、その効果や実績をいささかも考慮することなく、融通のきかない運用でブレーキをかけてしまう。この国の行政の縮図という気がしてならない。

離任式の前日、笑いながら「明日は号泣してきます。」と電話で話してくれていたNさんだったが、号泣したのはNさんだけではなかった。離任式の日、同じように今年度をもって離任する先生と演奏した二重奏を聴いて、「子どもたち、みんな泣いていたよ。」と、同僚は言った。Nさんには、両手では持ちきれない花束や、たくさんの手紙、プレゼントが、子どもたちやPTAのお母さんたち、同僚の先生たちから贈られた。「きれいなピアノひいてくれてありがとう。」「Nせんせいみたいにピアノがじょうずになるようにがんばります。」子どもたちは、そんなふうに書いた。

折に触れて聞く学校の様子は、いつも生き生きとしていた。Nさんが小学校に勤めると聞いた時に感じた違和感は、完全に私の思い違いだった。「隙間」を埋めるような仕事だからこそ重要で、彼女の気質にも合っていたのだろう。「失業」することになったNさんは、いくつかの団体の面接を受けたり、一般事務の雇用を求めて履歴書を出そうとしていたが、会社の机で、計算をしたり、営業の電話をかけまくったりしているNさんを、また私は想像できなかった。しかしそんな時、幸いなことに講師の仕事が舞い込んで、4月からは、今までとは離れた地域の中学校で、音楽の先生として勤めることになっている。

離任の日、今まで一度も話したことのなかった男の子が寄ってきて、こう言った。

「先生、今度T中学行くの?ぼく、前住んでたところと超近いよ。がんばってね。」

N先生の3年間、1095日は終わり、新しい365日が始まる。

2009年3月25日 (水)

「ガンダーラ24」の卒業

2005年4月に入学したGB専攻学年を「ガンダーラ24」と呼ぶ。

入学の翌月、新入生合宿研修の雑談の中で、誰かがこの呼称を名付けた。言い出したのは誰だろう。タケシかな?美術系と音楽系が共存するこの専攻、学年担当は、美術のH.N先生と私。私たち学年担当二人を加えて24人なので、「24」になった。なぜ「ガンダーラ」なのかはよくわからない。

1泊2日の合宿研修は私がお供した。1日目の夜、消灯時間ギリギリまで討論をして、翌朝の発表に向けて準備をしていたが、どうにも間に合わない。明日は朝5時に集合しようということになった。5時なんていう早い時間に一体何人が集まっているのだろうと思って覗きに行ってみると、何とほとんどみんな起きて来ているではないか。この頃から、美術系、音楽系の枠を超えて、みんな仲良くなった。

24 これが、2005年5月の写真。眠そうである。

H.N先生と私とで受け持った1年生の授業では、みんなで美術館に行ったり、音楽会を聴きに行ったりした。それからは、いつも全員一緒というわけにはいかないが、キャンプに行ったり、合同で発表会をしたり、飲み会に集まったり。

2009年春、美術系は卒展、音楽系は卒演で、それぞれ研究成果を披露して、体調を崩し中途退学した1人、海外の姉妹校に留学中の2人を除いて、卒業することになった。特定の数人がよく一緒にいることはあっても、目立った「派閥もしくはグループ」はなく、それぞれ自由にやりたいことをやりながら、ゆるやかに繋がっていた。隣県の温泉を訪れるというささやかな卒業旅行には、就職の研修などで都合のつかなかった数人を除いて、ほとんどみんなが参加したそうだ。H.N先生と私は、公務が重なって同行できなかった。残念。

Photo 一人一人への学位記を、H.N先生と私から渡す。そして、みんなで記念撮影。

さすがに全員というわけにはいかないので、ここでは音楽系の12人についてメモしておきたい。

<ずほ>ピアノが上手で、とても賢い。なのに、どうしてだかものすごくアホなので、先生たちからいじられている。独特のずほ語は、最近は少しおとなしくなったか。何事を任せてもいつもちゃんとこなして、人のために奔走することも厭わない。誰かがずほの人柄を悪く言ったりすることは決してない。

<し~ちゃん>1年生で、初めて作曲の授業を取った時には本当にどうしたら良いかわからない様子だったのに、1年間の最後には立派な作品ができあがった。伸びシロの大きさに感服したが、それがこの人の能力の高さであることは、その後の3年間で何度も証明されることになった。時々笑い過ぎて壊れる。

<かなっぺ>最も控え目のようにも見える。だが、授業発表会の運営が失速していたとき、一人で黙々と対処してくれていることを聞いて、かなっぺらしいなと思って嬉しかった。真面目に取り組む努力家であることを否定する人は誰もいないだろう。この人が楽しそうに笑っていると、何となくホッとする。

<ねんねん>1年生の時、地元のホールの企画をやってみたい、なぜならば、今その仕事をしているのが「そこらの普通のおっさんなんです」と言ったのを聞いて爆笑した。ちゃんと仕事をしてほしい、文化行政に対してそう言いたかったのだろう。就職先はホールではないが、その志は何かのかたちで活かされるはずだ。何とも力の入っていない笑顔は、ある意味癒される。

<りんない>最近学校に来ているの?見かけないけど・・・と某先生が心配していたことがあった。私の授業、ちゃんと来ていますよと別の先生。十分な単位を取って卒業して、ちょっと意外な仕事に就くことになった。学校でだらだらしたりしないで、用事が終わったらさっさと帰り、自分にとって本当に必要なことを見極めていたのかも知れない。

<スギイちゃん>スギイちゃんは、ふだんは物静かで眠そうにもみえる。しかし、実はそんなことは全然なくて、授業中に指名して弾いてもらったりすると、嫌な顔もせずに出てきて、きちんと弾く。圧巻だったのは卒業研究での丁寧な作業ぶりだ。出版社に就職すると聞いて、なんかすごくスギイちゃんらしいなと思った。

<ぬーまん>2005年の写真では、ほとんど少年のようだ。本人はあまり変わってないというかも知れないが、この4年間で、その風貌だけではなくずいぶん変わったと思う。礼儀正しく思いやりのある青年になった。作曲を専門にするがピアノも上手だから、これからはもっと多くの人から、いろいろなことで頼られるようになるだろう。大学院での研究も楽しみだ。

<はぎりか>歌唱に関して、とても高い力を持っているのに、格好をつけたりひけらかしたりしないところが、この人の育ちの良さだろう。仲間の新曲なども喜んで歌う。いつも明るいオーラが漂っているように思えるのは、笑顔で挨拶してくれるからだろうか。某神社の「福娘」に選ばれたのも納得できる。歌を勉強するために学校に残り、もっと上を目指す。

<Watta>音楽が溢れてきて止まらない感じだった。そんな新入生を見て、うるさがったり少し呆れていた上級生もいたようだが、高校時代には思うように叶えられなかった音楽を勉強する環境と仲間を得て、存分に泳ぎまわっていたのだろう。希望の研究室は、初めは敷居が高かったが、体当たりを繰り返して入門を許された。彼を弟子にしたら、師の方だって良いに違いないと思って、私も彼の背中を押した。春からは、その成果と自信を持って東京に向かう。本当の力が試されるのはこれからだが、熱意だけは誰にも負けないだろう。

<ぐーちゃん>入試で弾いた電子オルガンの見事な演奏は、今でも強く印象に残っている。そして、自分で編曲したその譜面を見て、高校生とは思えない音楽的な力の持ち主だと感心した。作曲の授業も楽しんだ。おもちゃ箱ひっくり返し系の曲を作らせたら、この人に敵う人はなかなかいない。融通のきく力を持っているから、音楽の広い範囲をカバーする仕事ができるだろう。春からは小学校で、3人しかいない5年生の担任の先生になる。ラーメンを食べる時は、替え玉が必須。

<まっすん>カメラを向けると逃げる。集合写真を撮ると、ほとんどの場合視線を外している。偶然なのか故意なのかはよくわからない。シャイでクールなまっすんだが、フルートの腕前はしっかりしていて、それはこれからも、いろいろな場面で彼女を助けるだろう。卒演で、最後に集合写真を撮ることになっているのに、自分の出番が終わったら、さっさとドレスを脱いでしまったあたりも、まっすんらしい。結局、あとでもう一度着たけれど。

そして、留学中の<ずっけん>は、そろそろ帰ってくるのかな?

Photo_2謝恩会で、卒演後のレセプションの写真を、2005年の写真とセットにして、音楽系のみんなにプレゼントした。謝恩会も終わりがけの頃、数人が駆け寄ってきて、寄せ書きを渡してくれた。予想外のことだったので、不意を打たれた。寄せ書きの中央には、同じ時の別の写真が貼り付けられている。Photo_3 何ものにも代えがたい嬉しいプレゼントだった。Photo_4

2009年3月24日 (火)

1月のコンサートいろいろ(5) クァルテット・エクセルシオ

1月31日(土) クァルテット・エクセルシオ演奏会 東京・第一生命ホール。

ウェーベルン:弦楽四重奏曲(1905)

ウェーベルン:弦楽四重奏のための5つの楽章

ウェーベルン:弦楽四重奏のための6つのバガデル

ウェーベルン:弦楽四重奏曲 op.28(1938)

間宮芳生:弦楽四重奏曲 第1番

間宮芳生:弦楽四重奏曲 第2番「いのちみな調和の海より」

このクァルテットのメンバーである山田百子さんからご案内を頂いて出かける。演奏に先がけて、間宮先生のプレトークがあった。第1四重奏曲についての、黒田喜夫の詩からインスパイアされたことなど、初めて聞いた話ではないが、久しぶりだったこともあり新鮮。第2四重奏曲についても同じだが、作曲に向かう思いの強さが、作品の堅牢な構築を可能にするのだろうと思う。演奏では、ウェーベルンの意外な饒舌ぶりが、間宮作品と対比されて面白かった。

1月のコンサートいろいろ(4) 仙台バッハゼミナール

1月29日(木) カワイ仙台ショップホール

ピアニストの田原さえさんが、バッハの平均率クラヴィーア曲集を、分析しながら演奏していこうという公開ゼミを主宰されて、もう9回目。今回は、第1集の研究が完結する節目でもあるということで、「特別講師」に招かれた。

田原さんが、最初に持ちかけて来られたのは、「来場した方々に、50分間でカノンを書いてもらうことはできませんか」というものだった。いや、それはさすがに無理じゃないかな。カノンとはこういうものですと説明するだけでも、いくらかの時間は必要だし。各自の手元に楽器があるわけではないし。

それではということで、ゼミの会員メンバーに、カノンを作ってきてくださいと「宿題」を出しておく。メンバーの間でも、カノンってそもそも何ですか・・・と、当たり前にわかっていたつもりのことが混乱し始めたので、当日は、カノンについての概説と、作ってきてくれたカノンを試演して、それについてコメントする50分間になった。

メンバーは、ピアニストやピアノの先生たちだが、作曲の経験はあまりない。そういう人たちがカノンを書いてみるのは、なかなか難しいけれど意味のあることだろうと思う。対位法的な規則は、あまり厳密に求めないことにする。

たくさんのカノンが出来上がってきた。作者の名前は伏して見せてもらったが、田原さんが書かれたものはすぐにわかった。音の扱い方が「大人」なのである。こんな小品でも、書いた人の人となりが現われていて面白い。

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