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2006年4月13日 (木)

瀧 廉太郎

今日から始まった「現代芸術論A」の授業では、日本の作曲家による作品を扱うことにしている。第1回は瀧廉太郎。

「荒城の月」について。
あまり知られていないことかも知れないが、瀧廉太郎が遺した楽譜と、現在一般に普及し歌われている楽譜とでは、いくつかの点が大きく異なっている。実は、現在一般に普及し歌われている楽譜は、山田耕筰編曲によるものなのである。

相違点の一つ目は、どちらも4分の4拍子だが、瀧廉太郎が書いたオリジナルの基本単位が8分音符であるのに対して、山田版は4分音符であること。従って、8小節で収まっていた1コーラスが、16小節になる。二つ目は、調性。オリジナルのロ短調に対して、山田版はニ短調。三つ目は速度・曲想標語。オリジナルは「アンダンテ」と記されているだけだが、山田版では「レント・ドロローソ・エ・カンタービレ」(悲しげに歌うように)である。その結果、山田版の方が荘重で、情緒を強調した音楽になる。

しかし、最も注目すべきは、オリジナルでは、「春高楼の花の宴」・・・「花の宴」の「え」の音にシャープがついており、「の」と「え」が半音であることだろう。山田は、このシャープをはずして全音とした。

私は大学の作曲教師として、学生たちに和声学という音楽理論を教え、作曲のアドバイスをするなどして糊口を凌いでいる。考えてみれば、23歳と10ヶ月でこの世を去った瀧廉太郎の時間は、私の学生たちとほぼ同じ年代で止まっていることになる。だから、数々の美しい曲を作曲した瀧廉太郎が、学生時代にどんな勉強をしていたのか、とても興味が湧く。

有名な「花」は、組曲「四季」の第1曲として作曲された。「花」のあとに、「納涼」「月」「雪」という歌が続く。この連作をはじめとして遺された作品を見る限り、彼は和声学の知識や技術について、少なくとも基本的な部分については、ほぼ完璧にマスターしていたと言って差し支えない。「花」などでも、ドッペルドミナントと呼ばれる和音やその変化形としての減七の和音の使い方はまったく的確だ。的確であると同時に、結構好んでいたのではないかと思われるふしがある。

山田は、「荒城の月」の「編曲」について次のように書いている。

「・・・ただ原作には何か西洋臭をぬけきらぬ点があまりにも際立って見えるので先輩に対して非礼とは思いましたが旋律に一ヶ所筆を加えました。」

シャープがはずされることによって、「花の宴」の和音進行はⅠ-Ⅳ-Ⅰとなった。しかし、もしシャープがあったら、Ⅰ-ドッペルドミナント-Ⅴとなるだろう。これは、ある意味とても西洋音楽的な和音進行だ。なぜならそれは、一時的にせよ「転調」を暗示する和声進行だから。
瀧廉太郎は、「え」をシャープにして、この旋律が西洋音楽のイディオムと同化することを願った、しかし、山田はそのバタ臭さを嫌ってシャープをはずし、日本的情緒の徹底を図った・・・と言えないだろうか。

生前出版された組曲「四季」の楽譜の巻頭には、次のような内容が書かれている。引用は大意。

「近来音楽は著しい進歩発達を遂げたが、多くは音楽の普及伝播を目的とする学校唱歌であって、それより程度の高いものはとても少ない。やや高尚なものがあっても、西洋歌曲に日本語の歌詞をあてはめたもので、原曲の妙味を損なっている。このことをいつも遺憾に思っているので、私たち日本人の手による歌詞に基づいて(オリジナルに)作曲をしたもののいくつかを発表しようと思う。」

「この任にあたるのは私の力では十分ではないが・・・」という控えめな但し書き付きながら、この序文は、私には瀧廉太郎の「作曲家宣言」と読める。文学では言文一致が始まったばかりの時代だ。そして、西洋音楽を勉強しているのもごく限られた人たちでしかない。そんな時代にあって、彼は、自分が音楽家として何をなすべきかわかっていた。私たちに遺された「花」という美しい歌、これこそはこの国のかけがえのない宝物だ。
21歳の青年が、熱い思いを込めたこの気高い「作曲家宣言」に、私は限りのない敬意を捧げる。だが、それと同時に、この「宣言」をまっとうできなかった瀧廉太郎の悲痛な運命と、彼がやり残したことの大きさについて、あらためて思いをめぐらせてしまうのだ。

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コメント

平日だというのにこんな時間に書き込みしている私です(笑)
「え」のシャープの話ですが、最初は聞き慣れてるせいかナチュラルの方が私は好きだなと思っていました。でもシャープが付いている時のハーモニーの話を聞いたら、そっちにも魅力を感じるようになりました。先生もおっしゃっていましたが、確かに、ここぞという時にポイントになる和音が使われていて「おっ!」と惹きつけられます。和声で学んだことをがむしゃらに使うのではなく、聞かせどころを考えてハーモニーを付けないといけませんね。・・・・はい、私自身に言っているのであります。

ぐーちゃん、どーも!・・・午前3時半かいっ!
そう、ポイントになる和音を、まさにここ!というところに使っている瀧廉太郎のやり方は、模範的と言ってもいいくらいですね。習ったことっていうのは、とりあえず何でもやってみたくなるのが人情ってモノですが、そこをコントロールして、ポイントになる和音でドラマができるように、ここぞというところが来るまで「出し惜しみ」をする・・・そういうことも必要なのではないでしょうか。そんなワザを、瀧廉太郎はどうやって磨いたのか・・・、師匠である小山作之助から教わったのか、それとも西洋音楽の楽譜から彼自身が学んだのか、興味は尽きません。

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