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2006年4月 4日 (火)

ポラーノの広場(1)

山形の合唱団「じゃがいも」の鈴木さんから、合唱劇「ポラーノの広場」の記録映像が送られてきた。この合唱団からの委嘱に応えて作曲、昨秋上演されたもの。早速視聴してみて、苦労したけれど楽しかった秋の日々を懐かしく思い出した。

宮澤賢治の「ポラーノの広場」は不思議な作品だ。賢治作品の多くは、完成形とは言い難いところがあって、生きる時間がもっと残されていたら、さらに手を入れたかったのだろうと想像させるが、とりわけ「ポラーノの広場」は、一読すると未整理で散漫な印象が残る。ページ数で「銀河鉄道の夜」や「風の又三郎」を上回る賢治最大の長編にも関わらず、いささか知名度が低いのはそのためか。そして、いくつかなされたこの作品の舞台化の試みは、いずれも苦労していた様子と聞く。私たちも例外にもれず、とても難渋した。全体があまりにも茫漠としていて、どの部分をどう活かし、どこに焦点を絞っていけば良いか、容易に対策が見つからないのだ。

しかし、同時に、キューストやファゼーロという登場人物たちと毎日のように付き合っているうちに、私たちの悩みをやすやすと通り越して、彼らは勝手に動き始めていることに気づく。どうやら彼らにとっては、整えられちんまりした「物語」の枠の中など居心地が悪くて仕方ないらしい。この作品には、「物語以前」の朴訥で大らかな「場」が必要で、茫漠と読んだのは私の目のまちがい、読み物としての「物語」が多少破綻していたとしても、いや、それを超えた「場」だからこそキューストやファゼーロたちは生き生きと存在できるのだという気がしてくる。

「『ポラーノの広場』という作品は、魔物なんだよね。なんかわからないけど、いつの間にかズブズブはまっていくんだ」と、演出のゲンさんこと山元清多さんは言う。それは実感としてとてもよくわかる。私もそうだし、「じゃがいも」のみんなもきっとそうだったのだろう。だから、曲の完成が大幅に遅れて練習期間が短かった(ごめんなさい!)にも関わらず、あんなに楽しく演じきることができたのだと思う。演じきると言ったが、キューストやファゼーロやミーロや山猫博士たちは、とても童話的に描かれているにも関わらず、私たちにとっては架空の人物ではなくなっていた。私たちも、整えられた「物語」の枠の中などで、論理的で計画的で矛盾や隙のない人生など送ってはいない。キューストやファゼーロたちが隣人のように思えてくるのは、そのためだろうか。

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