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2006年5月11日 (木)

1930年代の器楽曲

現代芸術論第4回

たまたま音源が手元にあった3曲のヴァイオリンとピアノのための作品は、昭和6年から12年までの間に作られている。この3曲は、いずれもジャポニスムを強く意識している作品だが、そのアプローチの仕方はだいぶ違っている。

橋本國彦「侍女の舞」(舞踊劇「吉田御殿」より、昭和6年)は、舞踊劇の中の音楽ということもあるだろうが、まさに絵に描いたようなジャポニスムぶり。だが、よく聴いているとかなりモダンな和音によって彩られているのがわかる。日本情緒纏綿たる旋律はいわば食材であって、シェフたる作曲者は自在にそれを料理し操っていく。つまり、彼はこの音楽に主情的にのめりこんではいない。ラヴェルがそうであるように、旋律や和音や音色の意匠工夫が腕のふるいどころという橋本國彦の職人意識がうかがわれる。

それに対して、貴志康一「月/花見」(昭和9年?)は、濃厚なジャポニスムを吐きだしながらも、ドイツロマン派的なパッセージが突然姿を現したりする。若くしてドイツに渡り、カール・フレッシュにヴァイオリンを、フルトヴェングラーに指揮を、ヒンデミットに作曲を学び、ベルリンフィルを指揮した最初の日本人となった貴志康一にとっては、母国の音楽情緒とともに、ドイツ・ロマン派の、たとえばブルッフあたりのヴァイオリン作品に対しても強烈な憧れがあったに違いない。ジャポニスムとドイツ的ロマンティシズムがどちらの色も濃いままにないまぜになったこれらの作品はいささか奇妙な風情だが、実はそれは作曲家としてのアイデンティティーをひたむきに求めようとしたための軋みのようにも思える。

箕作秋吉「ヴァイオリンとピアノのためのソナタ」(昭和10年)は、たいそう落ち着いた大人の音楽で、第1楽章冒頭のピアノは明らかに筝の音色を模しているが、日本的な素材は咀嚼されており、いわゆるジャポニスムという呼称は似つかわしくないだろう。派手な音楽ではないが、名品として記憶されて良いものだと思う。

江文也については、まだ知られていないことがたくさんある。台湾に生まれ、日本に「内地」留学し、「日本の」作曲家として活動。昭和13年頃からは、日本と大陸中国とを行き来しながら、北京や上海の文化・芸術に自らのアイデンティティーを見いだす。だが一方、国策映画の音楽なども書いたために、戦後は北京で投獄されていた時期もあったという。その後復活するも、文化大革命では「ブルジョア的」の烙印を押されて下放。亡くなる数年前に「名誉回復」されたというのがせめてもの救いだが、まさに運命に翻弄されたこの作曲家の作品は、現在はほとんど演奏されていない。ジューイン・ソンの演奏によるCD「日本時代のピアノ作品集」におさめられている「三舞曲」(昭和10年)など、もっと普通に演奏されてしかるべき作品のように思う。

最後は、尾崎宗吉の「ヴァイオリンとピアノのためのソナタ第3番」(昭和14年)。緩・急の2つの楽章からなり、演奏時間は11分ほどだが、このような2楽章構成でヴァイオリンソナタを書く場合の模範とでも言えそうな安定感のある堂々とした作品である。師である諸井三郎仕込みの絶対音楽を、彼も目指していたのだろうか。尾崎宗吉は、このソナタを完成直後出征し、昭和20年に中国大陸で戦病死する。尾崎が戦後も生き永らえて作品を書き続けていたら、おそらくその後の作曲界に大きな影響を及ぼしただろう。

それにしても、江文也も尾崎宗吉も、そして貴志康一も、これらはみな24~25歳の時の作品なのである。何と早熟、何と大人だったことだろう!

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コメント

日本にもこんなにすてきな作曲家がいっぱいいたんだなぁって、実感しました。箕作さんの曲をドビュッシーが聴いたら喜ぶだろうなと思いました。(ドビュッシーの好みなんて知りませんが・・・)貴志さんは曲名を間違えてつけているのかしら、なんて失礼なことを言ってみたり。「月」は、「荒城の月」っぽいなぁと思っていたら、急に月光タンゴ(←し~ちゃん命名)になったりして、ひょっ!てかんじでした。「花見」は胡弓で弾いたらよさそう♪

何年か前、橋本國彦のピアノ曲をまとめて演奏したことがありました。おそらく世界初演だった「子守歌」という作品があり(「江戸の子守歌」のピアノ曲への編作)、楽譜は未完成の手稿譜しかないのですが、曲が(楽譜ではない)非常に美しいので、その後もときどきアンコールなどで弾いています。「ラジオ体操第3」も弾きましたが、なんと短調の曲で、おそらくそのためにすぐに放送されなくなってしまったのだろうと思いました。どんな振り付けだったのか知りたかったし、聴く人も面白がると思って、演奏に際して誰かに体操を演じてもらえないか頼んだけど、まじめな演奏会だったので、主催者は受け入れてくれませんでした。
昨年は橋本國彦の生誕100年でした。東京芸大では、奏楽堂での大学主催の演奏会シリーズに橋本國彦の作品による演奏会を提案した人がいたのに没にされたと聞きました。没後100年のドヴォルジャークの演奏会は5回もやったのに。

し~ちゃん、りっきいさん、コメントありがとう。

たしかに貴志康一「月」は、「荒城の月」を連想させますね。でも中間部に入ると、ありゃりゃ・・・?ってなっちゃう。そのあたりが彼の若さなんだろうけれど、それだけ作曲をすることに必死だったんじゃないかなと思えます。

「ラジオ体操第3」は、一度だけ「ラジオ深夜便」で流していたのを聴いたことがあります(あの番組は、時々ものすごく珍しいものを聴けたりするのです)。さすがというか、ラジオ体操には勿体ないような(?)上品な曲想だったような覚えがあるのですが、どうだったんでしょう。
芸大は、相変わらずダメダメですねぇ・・・。昔、あぁ・・・この学校はダメだなぁ・・・と思った感覚を思い出しました。不幸な時代だったとは言え、教官としてたくさんの作曲家を育てた功績も大きいのだし、橋本の再評価に寄与するには最適な立場にあるのに。

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