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2006年5月25日 (木)

戦争と交響曲 1940年を軸に

現代芸術論第6回

1940(昭和15年)、歴史的根拠のない「皇紀2600年」のために、多くの音楽家が動員された。中でも最大のトピックは、各国の5人の作曲家が「皇紀2600年を奉祝するための作品」の作曲要請に応じたことである。リヒャルト・シュトラウス、ピツェッティ、イベール、ヴェレシュ、そしてブリテン。ドイツ、イタリア、フランス、ハンガリー、イギリスの代表として、彼らの作品は国際親善と国威高揚のシンボルとなった。あるいは、なるはずだった。

リヒャルト・シュトラウス「皇紀2600年奉祝音楽」は、5つの部分からなる交響詩仕立て。元々はそれぞれの部分に標題があり、「海の風景」「桜の祭り」「火山の噴火」「侍の攻撃」「天皇賛歌」というものだったという。この音楽には、リヒャルト・シュトラウスの様々な名高い交響詩のようなキレはなく、たしかにリヒャルト・シュトラウスの音楽的な特徴は聴き取れるけれども、深みのある作品とは到底思われない。最終部分など、「1812年」も裸足で逃げ出す滑稽なほどのクライマックス。しかし、だからと言っても、リヒャルト・シュトラウスにはニッポン国の馬鹿げたマツリゴトを戯画化する意図はなかっただろう。

ブリテン「鎮魂交響曲(シンフォニア・ダ・レクイエム)」は、皇紀2600年奉祝音楽会では演奏されなかった。おめでたい祝典にレクイエムとは何ごとだというわけである。演奏が易しくないことも、初演が見送られた一因かも知れない。第2楽章は「ディエス・イレ」と記されているが、おなじみの「怒りの日」のグレゴリオ聖歌の旋律は聴き取れない。けれども、機関銃が連射されるような激しく攻撃的な曲想で魔神が跳梁跋扈する、これはまぎれもなく「死の舞踏」である。そして第3楽章は「レクイエム・エテルナム」。このようなキリスト教的昇華が「皇紀2600年奉祝」にそぐわないと指摘した関係者がいたのだろうか。

諸井三郎「交響曲第3番作品25」は、1943年から44年(昭和18年~19年)にかけて作曲された。第1楽章「静かなる序曲~精神の誕生とその発展」は、この部分だけで15分、この楽章だけでも、完結した内容を持った大交響曲の風格がある。第2楽章「諧謔について」は、ショスタコヴィッチを思わせるグロテスクに歪められたスケルツォ。最後から15秒ほど前、トランペットが突然悲鳴のような叫び声を上げ、小太鼓が応える。これが軍隊ラッパの狂気の象徴でなくて何であろう。第3楽章のタイトルは「死についての諸観念」。ここでいう「死」は自然死を意味するものではないはずだ。強いられた死、志願した死、理不尽に身近に迫る死。おそらくは「様々の不自然な死についての様々な観念」だ。死を賛美するのではなく、またいたずらに怯えたり悲嘆にくれたりするのでもなく、真正面に見据えて想念する厳粛な音楽。諸井三郎は、この曲を遺書のつもりで書いたのだろう。演奏時間33分を要する全曲の、どこを取っても緩みのない、大変に思いつめた音楽である。だが、思いつめてはいるが、決して戦争賛美的、大政翼賛的ではなく、また同時に反戦・厭戦的でもない。具体的に知らされなかったとしても、戦局の厳しさは感じられていただろう。悲壮な覚悟が号令され、国全体が冷静さを失っていたであろう時代に、これほどまでに思索的な作品が作られていたということをぜひ知っておいてほしいと思い、あえて全曲を聴いてもらった。

ブリテンと諸井三郎のこれらの交響曲は、直接的に戦争を描いた交響曲ではない。だが、その誕生が戦時という時局と無縁だったとはとても思えない。ブリテンは肉親へのレクイエムのかたちを、諸井は一般的概念としての「死」への想念の姿をとりながら、戦争という現実を抽象化して、交響曲という彫塑の中に刻みこんだ。どれほど現実が醜く戦争が悲惨でも、刻み込まれた音楽は美しい。そして、この美しさに伴うやりきれなさは、人間という哀れな存在への愛惜なのかも知れない。

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コメント

リヒャルト・シュトラウスの曲で寺院の鐘が使われていたってことは、あの演奏は街のど真ん中とかでやっていたのかなぁ???
諸井さんの曲は、聴いていて本気で息苦しくなってきました。音楽を聴いていて、怖い!!と思ったことはあまりなかった気がするけど、2楽章は怖くて不安になりました。『春の祭典』みたいな伴奏だったし・・・。でも、「死」を題材として作り話のように表すのではなく(魔女が出てきて呪いをかけました~みたいな)、いつあってもおかしくない現実的な存在として表していたところに共感しました。う~ん・・・なんかよくわかんないコメントですみません。

お寺の鐘、どうしたんでしょうね!はずして持ってきて、歌舞伎座の舞台に並べたのでしょうか(初演は歌舞伎座です)。うるさかっただろうな。
2楽章の怖さは、ショスタコーヴィチのスケルツォ楽章の怖さに繋がりますね。リアルな実感が音楽の後ろにぴったり張りついているからでしょうか。

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