フォト

-天気予報コム-
2013年12月
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31        

最近のトラックバック

友人のページ

こんなページを見つけました。

無料ブログはココログ

« 「東洋」の視点(1) | トップページ | 秋田へ(1) »

2006年6月22日 (木)

「東洋」の視点(2)

承前(現代芸術論第10回 6月22日の記事の続き)

1941~42(昭和16~17)年に書かれた早坂文雄「室内のためのピアノ小品集」は、楽譜のごく一部分だけ目にふれることはあったが、最近全音楽譜出版社から楽譜が、カメラータから高橋アキさんの演奏でCDが出て、その全貌を知ることができるようになった。

早坂文雄は、この作品の作曲ノートに次のように書く。
 

(前略)室内で誰に聴かせるのでもなく弾いて自らがたのしむといつたもの、このやうなありかたは至極日本的だと思ふのである。
 日本には芸術を生活化するといふ特性があり、生活的現実を離れた芸術といふものはなかつた。西洋のやうな芸術を抽象化して受取ることは東洋人はかつてして来なかつた。
 日常生活における深い静かなそして短くとも芸術味に富んだピアノ曲がほしいと思ふ。さういふもののためにこのピアノ曲を役立てたいと思ふ。(後略)

芸術を生活化すること。例えば、俳句や短歌を詠む。それは生活の中の些細な事象を見つめ、自己と対話することが第一義的な目的であって、句会や投稿というのは二次的な目的だろう。水差しや花瓶や器は、生活用品であると同時に芸術的な陶芸品であり得たし、庭木や盆栽に鋏を入れ念入りに手入れするのは、生活環境を調えると同時に、最も身近な場所に美を演出することであった。そして、そのようなたしなみとして、早坂文雄は17曲のピアノ小品を書いた。これを第一輯として、「第二輯、第三輯とつゞけていく」という構想は実現できなかったが、東洋人としての芸術のあり方についての深い意識を表明したものとなった。20世紀後半では「資本主義社会と社会主義社会」が、また現代では「キリスト教とイスラム教」が世界を二分する対立概念であるように、西洋の芸術に相対する東洋の芸術について探究することは、早坂にとっては創作における心棒のようなものだった。

書籍に「奇書」というものがあるように、もしも音楽に「奇曲」という言い方があるとしたら、交響組曲「ユーカラ」はぜひともそのリストに加えるべきだろう。アイヌの叙事詩「ユーカラ」に基づいたプロローグを含む6楽章からなるこの作品は、それぞれの楽章に元になった物語を持つが、音楽は完全に抽象的で、その筆致のユニークさは比類を見ない。第5楽章「ノーペー」のよるべない静けさは、武満徹「弦楽のためのレクイエム」への繋がりを示唆する。ストラヴィンスキーやメシアンからの影響を指摘するのは容易だが、それをあげつらったところでこの作品の存在意義が揺るぐことはない。瀧廉太郎以降の日本の西洋音楽系作曲家たちが、「西洋に対する日本(そして東洋)」という構図の中でアイデンティティを探り歩んできた道筋のひとつの道標のように、この作品は屹立している。
1955(昭和30)年、早坂文雄は交響組曲「ユーカラ」を遺言のように遺して、その生涯を閉じる。享年41歳。年齢で言えば壮年期真っ只中といったところだが、この音楽は老境の作曲家が辿り着いた境地を見晴るかしているかのように思える。

« 「東洋」の視点(1) | トップページ | 秋田へ(1) »

コメント

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/189419/11877769

この記事へのトラックバック一覧です: 「東洋」の視点(2):

« 「東洋」の視点(1) | トップページ | 秋田へ(1) »