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2006年6月15日 (木)

戦後社会の息吹き

現代芸術論第9回

1947(昭和22)年から1950(昭和25)年までに書かれた作品から。

平尾貴四男「ヴァイオリンソナタ」は、軍隊から復員した直後から着想され、1947(昭和22)年に完成された。モデラート~アレグロ、アンダンテ、ヴィヴァーチッシモという3楽章構成は、いうまでもなく古典的なフォルムであり、このソナタが志向するフォルムも、そこから逸脱しようとするものではない。日本的な旋法や旋律とフランス風の澄んだ音色感が、安定した構造の中でごく自然に融合される。それにしても、復員して間もない時期に、こんなに充実した音楽の作曲に取り組めるものなのだろうか、敗戦を経験した虚無感に苛まれるようなことはなかったのだろうか・・・。私は、まずそのこと、平尾貴四男が音楽に傾けた気概の強さに驚く。戦争が終わって、これからは自由に音楽を書けるという解放感が、この作品の「ひたむきさ」に反映している。「ひたむきさ」、そして作曲家がこの作品に賭けた気概は、特に両端の楽章で熱く伝わってくるが、しかしそのことが過剰になりすぎて、フランスに学んだこの音楽家の、教養人としての気品を崩してしまうようなことはない。上質のロマン(フランス語の小説)を読んでいるような印象がある。さらに言えば、それは原語でではなく、優れた翻訳で読んでいるようなということになる。

昨年の秋、外山雄三指揮の仙台フィルが、尾高尚忠「交響曲第1番」を蘇演したので聴きに行った。単一楽章ながら、リヒャルト・シュトラウスの洗礼を存分に浴びたとおぼしき大交響曲のたたずまいで、充実した構成、オーケストラを知り尽くした書法には大変感銘を受けた。敗戦直後の日本に、こんな立派な交響曲が生まれていたのだ。さらに驚くべきは、この作品は単一楽章であると誰しもが考えていたのに、実は作曲者には、続く楽章の構想があったということだ。全楽章が完成していたらマーラーばりの巨大交響曲になっていたかも知れない。1948(昭和23)年に書かれた「フルート協奏曲」は、同年の「交響曲第1番」の厳しい仕事の余滴から成されたと言われ、全曲でも約15分、決して規模の大きな作品ではないが、尾高尚忠の代表作であると同時に、日本の作曲家による協奏曲を代表する作品であると言っても過言ではないだろう。後期ロマン派風色彩の中に、日本的な旋律が見事にブレンドされ、その意味では平尾貴四男の前出作品との共通点がありそうだ。熟達したオーケストレーションにも注目すべきだろう。そして、第2楽章の異国風(スペイン風?)な、時に増音程を含んだカンティレーナは一体何だろう・・・久々に聴いてみると、今まで気がつかなかったそんなことが気になった。

1950(昭和25)年に書かれた名高い芥川也寸志「交響管弦楽のための音楽」については、あらためて論ずるまでもあるまい。戦後社会を象徴し、来るべき高度成長期を予告するかのような活気に溢れた音楽。10分に満たない作品だが、ひとつの時代の終わりを告げるには十分なものだっただろう。同時に、日本の作曲家たちにとっての「アイドル」が、ドイツやオーストリアやフランスの作曲家ではなく、ソヴィエト連邦の作曲家たちに変わっていったことをも象徴している。

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コメント

こんばんは。今回の授業はとても楽しかったです。いやいや、いつもはつまらないとかではないですよ。
平尾貴四男さんの曲って長生淳さんの曲に似てると思いませんか?と思いました。

こんばんは。ほほぉ・・・ズケランくんがこの回に反応してくれるとは、ちょっと意外。でも、とんでもなくびっくり・・・ということはないな。管楽器の協奏曲があったことも関係あるかな。長生さんの曲、不勉強でぼくはあんまり知らないんですよ。そうですか、聴いてみよう。平尾貴四男「ヴァイオリンソナタ」は、着想は古風かも知れないけれど、古くさい感じはしないですよね。

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