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2006年6月18日 (日)

ツィメルマンの発言をめぐって(1)

6月14日の記事「話題提供歓迎」に付けてくださった、ライナスさんからのコメントを写しておこう。

「毎日新聞のwebサイトに今、来日中のポーランドのピアニスト、ツィメルマンの記事が載っているのをご覧になりましたか?演奏活動というものを、単なる自己表現でなく、社会とのかかわりとして考える音楽家という記事です。もしよかったら読んでみてください。」

ライナスさん、情報ありがとう。というわけで、まずは、その記事を転記して、コメントは別に付けることにする。

ツィメルマン:美しい音や響きだけでは良い演奏ではない 社会のなかでの音楽を意識 ◇来日公演中のピアニスト、ツィメルマン

 今、音楽や演奏行為を社会のなかに位置づけることに関して最も問題意識を持っているのがポーランド出身のピアニストのツィメルマン=写真=だろう。来日公演の間を縫って会見や全日本ピアノ指導者協会の講座などで、現代におけるピアノの位相について大いに語った。【梅津時比古】

 ◇楽器の個性、曲との適性も考え

 音楽ファンにはショックかもしれない言葉が飛び出した。

 「これまで10回日本へ来て、日本が大好きだが、イラク戦争に日本が参加したのは残念です。人々の意識はもう薄れているかもしれないが、アメリカは、結局は、原子爆弾を持っていなければ言うことをきかない、と示しているように思える。悪い武器か、テロかは、アメリカの主観的な見方による。私は娘に、この戦争を止めるために何をしたのかと問われ答えに窮した。アメリカでは私は、今の政府に投票しなかった人々のためにコンサートを開いている、と言明しました」

 音楽、芸術を社会のなかでとらえる視点は、政治面にとどまらない。演奏について思いをめぐらせるときも、社会的な背景を常に見ている。

 「ルビンシュタインはショパンのスケルツォを3回録音したが、1回目の録音は現在のショパン・コンクールのテープ審査で落ちるでしょう。3回目の録音はミスなく完ぺき。でも私は壮大さ、神聖さにおいて1回目の録音が最高だと思います。なぜこのようなことが生じるのか? 私は1981年4月25日、ザルツブルクで行われたCDおひろめを忘れることができない。そこから音楽の欺瞞(ぎまん)的な売り方が始まったのです。そこでソニーとフィリップスの技術者は、CDの利点を強調したが、それは演奏家が起こした美学革命ではなく、エレクトロニクス技術者が起こした革命だった。音楽の美学を、響きを正確にとらえるということへシフトしてしまったのです。その結果、演奏にミスは許されず、楽器はストラディバリウスでなければ、というふうになった。現在ならコルトーもあのようなキャリアを築けなかったでしょう。あるレコード会社が私に、コルトーの録音を最新の技術で作り直したものを持ってきた。雑音がとれ、すべての音がクリアに聞こえる。演奏のミスも分かる。でもこれは、モナリザの下着まで見えるようにした、ということです。私たちはモナリザのほほえみに思いをめぐらしたいのです」

 彼が自ら録音したCDに発売の許可をなかなか下ろさないゆえんでもあろう。

 「美しい音や響きだけでは、良い演奏ではない。その作品のために適切なひとつひとつの音、音楽があるはずです。キャリアを作るためにコンサートやCDがあるわけではない。自分が弾く楽器がどういう個性でどういう曲が合うかよく考え、そのつど舞台に立った結果が積み重なって今の自分があるのです」

 ツィメルマンの今後のリサイタルの日程は、18日=倉敷市▽20、21日=東京▽27日=兵庫県西宮市▽30日=福岡市▽31日=名古屋市。プログラムはベートーベン「悲愴」など。問い合わせは03・5237・7711へ。

毎日新聞 2006年5月16日 東京夕刊(WEB版より転記)

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