フォト

-天気予報コム-
2013年12月
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31        

最近のトラックバック

友人のページ

こんなページを見つけました。

無料ブログはココログ

« ワールドカップ2006 | トップページ | 「東洋」の視点(2) »

2006年6月22日 (木)

「東洋」の視点(1)

現代芸術論第10回

今回は、早坂文雄の音楽を聴くことにしたが、どのような選曲にしたら良いか散々迷った。結局取り上げなかったのだが、「序曲ニ調」という1939(昭和14)年の作品から始めるのも面白いかも知れないと思った。「皇紀2600年奉祝管弦楽曲懸賞」で受賞した10分弱の作品だが、奉祝気分の厳かさとはおよそかけ離れたダイナミックな音楽で、後に早坂が担当した映画音楽「七人の侍」を思い起こさせる。だが、曲全体の完成度という点では、やはり「左方の舞と右方の舞」に一歩道を譲ることになるだろう。

1941(昭和16)年の管弦楽曲「左方の舞と右方の舞」は、早坂の代表作と言って良い。「左方の舞・右方の舞」は、舞楽でいう「唐楽・高麗楽」にあたるが、この作品では舞楽の形式や音楽的特徴をなぞってはいない。絵巻物のように、開いていくとひとつの場面が見え、雲か霞かによって隔てられて別の場面が見えてくる、さらに開いていくとまた雲か霞かによる中断があって別の場面が・・・という具合に、次々と抽象化された「舞」が現れる。求心的なクライマックスに向かって進むのではなく、また聴き手に特定の感情を喚起するような音楽でもない。作曲者は、茫洋たるスケールの音楽によって祭祀の場、抽象的な舞が舞われるみやびな場を設けることに腐心しているように思える。

早坂文雄によって、映画において音楽が果たす役割の重さ、映画音楽作曲家の市民権が、はじめて広く認識されるようになったと言っても良いだろう。「酔いどれ天使」「白痴」「生きる」「七人の侍」などの黒澤明監督作品や「雨月物語」「近松物語」をはじめとする溝口健二監督作品などで、早坂は歴史的名画を支える重要な仕事をした。映画音楽が、単なる伴奏ではなく映画を構成する主張を持ったひとつの部分であり、映画音楽を書くことが作曲家にとって大きな表現手段になり得ると示したことは、後に続く作曲家たち、芥川也寸志、黛敏郎、とりわけ武満徹に大きな影響を与えた。
「羅生門」の「タイトルバック」は、笙の合竹(和音)から始まる。コントラバスとティンパニとピアノ(?)によるアクセントに導かれてオーボエが旋律を奏で、金管楽器が和音をはさみ、筝のアルペジオが区切りをつける。今でこそ、このような雅楽器と西洋楽器との混交は珍しいことではないが、1950(昭和25)年あたりまでに西洋音楽系の作曲家によって書かれた作品に、そういった編成のものがあったかのどうか寡聞にして知らない。映画音楽だからこそ、このような編成による作曲も容易だったのかも知れないが、こうした和洋楽器が混交する響きの実験は、武満徹の数々の映画音楽や「ノヴェンバーステップス」などの作品に引き継がれていくことになる。
「真砂の証言の場面のボレロ」は、あまりにもラヴェルの「ボレロ」に酷似しているということで、当時は物議をかもしたと伝えられる。昨今も、日本の画家の作品がイタリアの画家の作品を盗作した疑いがあるとかで、文部科学省まで巻き込んだ大きな騒ぎになっているが、昨今の騒ぎと決定的に違うのは、「羅生門」のこの音楽を聴いたすべての人は、下敷きがラヴェルだとわかるようになっているということだ。また、模写に近い方法を取っていることは確かだが、ラヴェル「ボレロ」の持つエクスタシーに向かうような幸福な高揚感はここにはなく、心理的に追いつめられていくような切迫感が取って代わっている。リズムと音色が似かよっていても、旋律や和音が違うことで、結果的にはまったく逆方向の音楽を目指すことができるのである。(続く)

« ワールドカップ2006 | トップページ | 「東洋」の視点(2) »

コメント

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/189419/11877766

この記事へのトラックバック一覧です: 「東洋」の視点(1):

« ワールドカップ2006 | トップページ | 「東洋」の視点(2) »