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2006年6月29日 (木)

伝統と前衛~黛敏郎の音楽

現代芸術論第11回

黛敏郎の初期作品、「シンフォニック・ムード」(1950、昭和25年)が naxos レーベルによって初録音され、ディスクで聴くことができるようになった。9分ほどの楽章二つからなる野心作。第1曲では、ドビュッシーやラヴェルに基礎をおく曲想から導かれて、ガムランからヒントを得たに違いないテクスチュアと時間構築によって頂点を作ると、チャールズ・アイヴスやエドガー・ヴァレーズを思わせるような音響的カオスに突入する。第2曲では、ガムランの代わりにラテン音楽のリズムが響き渡る。この作品を21歳で書いたという黛敏郎の早熟ぶりには瞠目すべきだろう。

現代音楽の技法を駆使した音響とガムラン、あるいはラテン音楽との一種の「チャンプルー」という作り方は、「饗宴」(1954、昭和29年)でも基本的には変わらない。そこでは、現代的音響に点描的な鋭角さが加わり、ガムランやラテンに代えてビッグバンド・ジャズが「チャンプルー」される。「饗宴」の後半、ダンス音楽のようなビッグバンド的な部分は、片山杜秀氏の解説によればバーンスタイン「ウエストサイド・ストーリー」のシンフォニック・ダンスからヒントを得たものだという。「饗宴」はずいぶん前から聴いてきたが、その指摘はとても頷けるものだ。

「涅槃交響曲」」(1958、昭和33年)は、日本の梵鐘の音を音響分析してオーケストラ上に再構築したという「カンパノロジー」と名づけられたクラスターばかりが取沙汰されるが、久しぶりに聴き直してみると、カンパノロジーを遠景に、点描的な音色旋律を近景に配した立体的な造形を意図していることがわかる。
「涅槃交響曲」の合唱を、本職の僧侶の唱える聲明・読経によって演奏したらどうかという提案に、黛敏郎は頑として承諾しなかったという話を聞いたことがある。本職の僧侶たちが、「新作聲明」という未知のジャンルに理解を示し、創作に積極的に協力するようになるのは、「涅槃交響曲」が書かれてから25年くらい後のことだが、黛のそのこだわりは、当時協力者がいなかったからという理由ではない。ニューヨークシティバレエのための舞踊音楽「BUGAKU」、あるいは独奏チェロのための「BUNRAKU」や男声合唱「始段唄・散華」にも共通することかも知れないが、本職の声明ではなく、合唱団によって歌われるというのはイミテーションに他ならない。だが、確信犯的にイミテーション状態を作り出すこと、良質のイミテーションを構築し、「舞楽」や「文楽」、「聲明」をコスモポリタンなものにするところにこそ、黛敏郎の目論見があったのではないだろうか。

だとすれば、これらの作品は、「輸出用の」日本文化ということになる。本来あるべき「真正な」日本文化とは質が違うのではないかという議論に発展するだろう。しかし、彼の音楽を聴いていると、コスモポリタンを目指すための切っ掛けとしてイミテーションを作って何が悪い?と問われているような気になってくる。黛敏郎の音楽は、エネルギッシュでダイナミック、そしてすっぱりと割り切っているように迷いがなく陽性だ。通俗性も持ち合わせている。最も意欲的な実験作「涅槃交響曲」でさえ、第6楽章「フィナーレ」の、楽天的とも言いたくなるような現状肯定的クライマックスなどその例外ではない。彼が備えていた完璧な作曲技術は、とりあえず衆目を集めるには十分なものだった。

黛敏郎は、その職人技を駆使して、文芸映画からやくざ映画に至るまで200作品に及ぶ映画の音楽を書き、30年以上に亘ってテレビ「題名のない音楽会」の構成・司会を勤め、ベジャールやバランシンと仕事をしたり、ベルリンドイツオペラやハリウッド映画から委嘱されたりした。また、ミュージック・コンクレートや電子音楽、プリペアド・ピアノの実験者、現代では最初の創作雅楽曲「昭和天平楽」の作曲者としても記憶されるべきだろう。

ストラヴィンスキー「春の祭典」は、彼の生涯にとっては早く書かれ過ぎてしまったために、その後の仕事は心なしか色褪せて見える。同様に、黛敏郎にとっての「涅槃交響曲」も早く書かれ過ぎた傑作だった。その後の演奏会用作品は、どうしても小粒に思えてしまう。
黛敏郎は、おそらく壮年期以降だろうと思われるが、右翼の論客となった。そのことは、彼の音楽を広く普及させることには結びつかず、逆にその音楽までもが色眼鏡で見られてしまうことになった。だが、彼が真正の音楽家・作曲家であったことは、疑い得ない。戦後日本の作曲界の風雲児としての黛敏郎の仕事は、今後も正当に論じられるべきだと思う。

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コメント

ユーカリのCD、ありがとうございました!ちょっと内容が古いですが…。なんというか、すごくリアルな自然が聴こえてきました…って変な表現ですが。なんかとても好きです。黛敏郎は、派手ですね…!シンフォニック・ムードのあのもりあがりかたとか、正直ちょっと辟易してしまいました。でも、あそこまでダイナミックな曲がつくれるというのもすごいですよね。

Kすけくん、こんにちは。「ユーカリ」じゃなくて「ユーカラ」ね。「ユーカリ」はコアラが食べる葉っぱだ(笑)。
冗談はともかく、リアルな自然が聴こえてきたという指摘は面白いですね。作りものっぽくないという意味では、黛作品と対極かも知れません。

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