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2006年6月18日 (日)

ツィメルマンの発言をめぐって(2)

前出の記事の中には、まず「音楽ファンにはショックかもしれない言葉」とある。

「音楽ファン」にとって、ツィメルマンの発言が「ショックかもしれない」のはなぜか。「日本が大好きだが、イラク戦争に日本が参加したのは残念」ということか。音楽には関係ないと思われるような発言をしたからか。アメリカで「今の政府に投票しなかった人々のためにコンサートを開いている」からか。

「日本が大好きだが、イラク戦争に日本が参加したのは残念」、これは、イラク戦争に少しでも関心のある人ならばごく正当に持つであろう感覚であって、ショックを与えたり受けたりするような意見ではない。それなのに、わざわざ「ショックかもしれない」と予防線を張るのは、音楽家という人種は雲の上で霞を食って生きている種族であって、そういった社会的事象に対して論評したりするのは特別なケースだと「音楽ファン」は思っている・・・という予測があるのだろう。そんな話は聞きたくない、モーツァルトについてもっと語ってくれ・・・と。

イラク戦争に、日本が「参加」したのかどうかについての議論は、ここではやめておこう。ただ、私たちが、いや日本の自衛隊は「戦争参加」ではなくあくまでも後方支援的な活動ですと言い張ったとしても、外側から見れば「日本も戦争に参加したのだ」と見られてもおかしくはないのが現実なのである。

概ね日本人は、身近なコミュニティ、たとえば町内会とか学校での同じクラスだとか同じサークルだとか、その場から外れたら何の意味も持たないような極小な圏内では、自分がどのように見られているか、人から大きく違って浮き上がっていたり、嫌われたりしていないかなどとても気にするくせに、自分たちの国が諸外国からどう見られているのかについては、ひどく鈍感であるように思える。不快なのだからお願いだから止めてくれと近隣の人たちが再三訴えるにも関わらず、国のリーダーが靖国神社に参拝することを止めようとしないのだから、それを黙って見ている国民全体があまねく鈍感になっていったとしても無理はない。信念を貫くことは立派な心構えのように見えるが、それはしばしば、頑迷な信念によって撥ね返される異論を黙殺することにも繋がる。たとえ異論の方が正しかったとしても。

「あなたのやっていることは嫌だ」と言われて驚く。嫌だと言う側の方が、言われる側よりもはるかにナイーブな感覚に基づいて発言しているから、言われる側は、相手のナイーブさに気がつかなかった、あるいはナイーブさが理解できないために驚き、「ショック」を受ける。

音楽家が社会や政治について発言するのはとても珍しく思われるらしくて、彼らは「社会派」と呼ばれたりする。だが、そういう人たちは特殊な存在なのだろうか?カザルスはフランコ独裁政権に、トスカニーニはムッソリーニのファシズムに抗議して自国での演奏をやめた。メニューヒンは、人間と社会と音楽の関係を論考した本を書いている。スターリン政権下のショスタコヴーィッチを引き合いに出すまでもないだろう。音楽家は、雲の上で霞を食っているように見えるかも知れないが、社会や政治状況などの現実とまったく無縁に生きていくことなどできるわけがない。

幸いなことに現代は、イラクやパレスチナのど真ん中にいるのでなければ、演奏を拒否するような場面は起こりにくい。ツィメルマンだって、「残念」だが「日本は大好き」だから、来日公演をしてくれるのだ。今のところは。しかし将来、ツィメルマンに限らず、「お前の国は大嫌いだから、もう行かない」と言われて驚きうろたえることだってあり得る。人間は前を向いて生きているから、背後への想像力が乏しくなりがちなのである。

この数十年の間に、芸術がどのように変質してきたか、その在り方に問題があると考えたら発言するのが当然だろう。CDが開発されたことによってもたらされた便利さと、失ってしまったものの大きさを比べると、やはり失ったものの方が大きいだろうと私も考える。ツィメルマンが指摘するように、それは芸術受容の本質を変えてしまうくらいの重大な出来事だったと思う。

彼の真意が、この記事でどこまで反映されているかは措くとして、彼はこの記事に書かれたことの数万倍も強く「社会のなかでの音楽を意識」しているはずだ。そして、長年にわたって保ってきた意識の質や高さは、彼独特の音楽表現に繋がっているだろう。芸術は、好むと好まざるとに関わらず、芸術家個人の生き方の姿勢を投影してしまうものだからだ。

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