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2006年7月20日 (木)

雅楽の窯変

現代芸術論第12回(7月6日分)

「窯変」とは、「陶磁器の焼成中、火焔の性質その他の原因によって、素地や釉(うわぐすり)に変化が生じて変色し、または形のゆがみ変わること。」(広辞苑電子辞書版より)

雅楽、舞楽は、特定の情緒や感情をそこはかとなくかもし出すといった芸能ではない。
ある時、宮内庁の某楽人氏に、「舞楽の舞って、難しいんですか?」と尋ねたことがあった。難しいに決まってるのに、なぜそんな愚問を発したのかは、若気の至りと言うしかない。ところが、楽人氏は「いやぁ、ラジオ体操と一緒ですよ」とのたもうた。
ラジオ体操と一緒・・・というのは、もちろんふざけた物言いだが、ポイントを突いた言い方でもあるかも知れない。例えば、この授業で例として挙げた舞楽「還城楽」は、「蛇を見つけて喜んでいる西域の人」というシチュエーション以上に、何か秘められた抒情を表現したりするものではない。「蛇を見つけて喜ぶ」さまを、舞いは躍動感溢れるダイナミックな「型」で表現する。「1、2、3、4・・・」という動きがキレ味良く、また優美に様式化される。
同様に、雅楽も「絶対音楽」であり、標題的内容や喜怒哀楽を表現したりするものではない。

現在伝承されている雅楽は、伝来した当時に比べれば、時間の窯の中で「窯変」していることだろう。そして、舞楽・雅楽を素材に作られた現代作品ともなれば、当然ながら「窯変」ぶりはさらに顕著である。
黛敏郎のバレエ音楽「BUGAKU」(1962、昭和37年)は、エモーショナルであり、時にはデモーニッシュでさえある。そういうことは、古来の舞楽・雅楽ではあり得ないことだろう。そもそもこれは、「舞楽を素材に作られた」と言って良いのだろうか。確かに、舞楽と同じ笛のパッセージや打ち物のリズムが聴こえたりするけれども、本質的には古来の舞楽とはほとんど接点を持っていないようにさえ思える。むしろ、古来の舞楽に思いを馳せながら、まったく新しいBUGAKU~舞踊音楽を創りあげたと考えた方が良いだろう。そしてこのBUGAKUは、このように伝統とゆるやかに繋がりながらも、実験的手法、完璧に施されたオーケストレーションに加え、ハリウッド映画的と言えるくらい通俗的な愛想の良さを併せ持っている。「涅槃交響曲」以降の黛敏郎の作品としては、最大級に腕によりをかけたものであることは間違いない。

松平頼則「左舞」(1958、昭和33年)は驚くべき作品で、手元に楽譜がないので詳細な検討はできないが、おそらくはトータルセリエルの手法で書かれていながら、完全に舞楽に聴こえるという離れ業を成功させている。伝統と前衛をこれほどまでに融合させた作品は、それほど多くはない。全体にはスタティックであり、渋いというより晦渋で、容易に近寄らせてもらえないような印象もあるが、中心楽章である第4曲が、それとはわからないうちに次第に熱を帯びていくのを感じていると、いつの間にかわが身はこの音響に快く浸っていることに気づく。松平作品は、演奏される機会が少ないのがとても残念だ。1950年代の前衛手法を用いていながら、現代でも決して古びた印象はないのである。

黛敏郎「BUGAKU」のディスクを久しぶりに聴き直してみると、これが実に熱のこもった名演であることがわかる。
岩城宏之指揮のNHK交響楽団が、日本の作曲家の作品を精力的に取り上げていた時期の録音。私は残念ながら、岩城氏と直接にはほとんど接点がなかったが、彼が指揮したたくさんの邦人作品の録音を聴いて学んだことは多い。
岩城宏之氏、平成18年6月13日逝去。心よりご冥福をお祈りする。

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コメント

声明ってどうすれば覚えられるんですか?本とかあるんですか?

どうすれば覚えられるんですかねぇ・・・。本はありますが、それを読むだけではたぶん何もわからないだろうと思います。やはり、寺方に入って修行するか、そうじゃなかったら、熱心に勉強会を開いているお坊さんたちもいますから、そういうところにまぜてもらうということになるかと思いまする

 そうなんですか。この間聴いた『蛙の声明』がすごくおもしろかったので、軽々しくも声明覚えてみたいなぁ・・・と思ってしまったんです。
 『論義ビヂテリアン大祭』のビヂテリアンの台詞で、音の高さがお能みたく変化するのは、フィーリングでつけたものなんですか?それとも声明の決まりみたいなものにのっとったものなんですか?高さが変わってゆっくりになるところは強調したいところなのかなぁ・・・、と思って線をひっぱってみたら、接続詞のところが多かったので、強調したいわけではないのかなぁ・・・と思ったりして。
 新しいものと出会うのって楽しいですね☆☆

勉強会のようなことをやっているお坊さんたちもいますから、そういうところに混ぜてもらえれば、声明を勉強することもできるでしょうね。女性の声明師という人もいます。

音の高さの変化は、ある程度は声明のなかの「論義」というレパートリーの唄い方を参考にしています。もちろん、かなり自由にやっている部分も多いですけれど。ゆっくりになるところは接続詞が多かった・・・って面白いね。そこを強調したいというより、接続詞でテンポを緩めると、ふっと注意が向いて、次の文言を聴きとろうとするんじゃないかな・・・と、そんな具合に作られています。

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