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2006年10月17日 (火)

「曽根崎心中」

1017 5コマ目の授業を早仕舞いさせてもらって、文楽の仙台公演を観に行く。夜の部の演目は「曽根崎心中」の生玉社前、天満屋、天神森。

あぁ~この太夫さんは、ウン十年前と比べてちっとも上手くならないなぁだの、あれぇ~天満屋の舞台セットってこんな貧乏くさかったっけ?人気ナンバーワンの(?)遊女のいる店だろ、いいのかこんなんで・・・だの、ひねくれた客で申し訳ない。だが、久々に観る天満屋はやはり良かった。

この場面、幕開きから「死」が漂っている。もっと言えば「エロスと死」。

何かひとつのきっかけから、転がるように死に向かっていく心中物は多いような気がするけれど、この天満屋の段では、幕が上がった時から男も女も死の想念に取り憑かれている。だから私たちは、「なぜ」ではなく、「いかにそこへ向かうか」だけを見つめることになる。

縁の下に男は隠れ、女の素足を抱き、女の足首で自分の喉を撫でて、自死する覚悟であることを女に伝える・・・。

女は、皆が寝静まった店から死出の旅に出ようとする。しかし、階段の下には下女が眠っているし、常夜灯も灯っている。店の者に悟られないために、段の上から、箒にくくりつけた扇で何とかして行灯を消そうとする女。足を踏みはずして転ぶ、と同時に行灯が消える。踏みはずした時の大きな音、何だ今の音はと奥から亭主の声、漆黒の闇の中、焦りながら這うようにして外で待つ男のもとへ走る女・・・。段を転ぶ音と暗転の瞬間、死への最後のスイッチが入るのである。

初演は1703年。すごくない?日本にだって、こんなすごい作品があるのだ。

だが残念なことに、近松門左衛門作品の文楽演目は、一度上演が途絶えてしまい、後年復活上演されたものが多い。できることならば、古くはどのような音楽、演出だったのか知りたいものだ。「天神森の段」の名だたる名文、声に出して読みなさいなんてお節介言われなくたって自然に声が出てしまう美しい文章、若手のツレ弾き、太夫掛け合いになると、濃度が下がってしまって残念なのだ。若手の演者たちの力不足を責めているのではなく、現行のような演出でいいのか本当にと言いたいのである。

最善の方法は原作を読むこと。興味のある方には文楽や歌舞伎でも見てほしいけれど、同時にぜひ原文を読んでほしいものだ。決して理解できない文章ではない。

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コメント

この記事の文章、本当にかっこいいです・・・。プリントアウトして持っていたいくらい。

いやいや、プリントアウトして持っているならば、近松先生の原文の方がよほどご利益があると思いますぞ。

男も女も死の想念に取り憑かれ、「いかにそこへ向かうか」だけを見つめることになる、そんな原文を持ち歩くなんて、わああ・・・どんなご利益・・・。
こんど図書館へ行ってみます!!

あ、あの・・・そういうご利益、そんなに求めないで・・・(焦)

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