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2007年4月29日 (日)

マーラーの交響曲についてのごく些細なメモ

現代芸術論第2回(4月17日分) マーラーの交響曲を聴く。

「聴く」と言っても、マーラーの交響曲はいずれも演奏時間が長いから、ひとコマの授業では完全に聴くことはできない。そこで、第1番第3楽章と第8番の第1部をCDとDVDで。

マーラーについて、語りたがる人はたくさんいる。私はマーラーの熱心な聴き手であるとは言えないから、本当はこのテーマは私の任ではない。だが、そんなことばかり言っていては授業にならない。学生の頃から少しずつは聴いていたのだから、学生くんたちに紹介するのも無駄ではないだろうと思って、久しぶりにいろいろ聴き直している。

目新しい話ではないが、マーラーの交響曲の特徴を簡単にメモしてみよう。

・聖と俗(神聖なものと世俗的なもの)が併置される。民謡、軍楽行進曲などがコラージュのように突然差し挟まれたりする。 マーラー自身がフロイトに言ったとされる言葉によれば、「崇高な悲劇性と軽薄な娯楽性の併置」。

・楽器編成に、しばしば声楽が加わる(2、3、4、8番 と「大地の歌」)。例えば、「千人の交響曲」と称される第8番は、交響曲なのか?カンタータではないのか?と考えてしまうけれど、第1部の形式や主題労作を見てみると、紛れもなく「交響曲」であることがわかる。

・楽器編成に特殊楽器が加わる(第6番のハンマー、第7番のギター、マンドリン、第8番のオルガンやバンダ[別働隊]など)。独特のオーケストレーション。室内楽的な音色から大伽藍のような響きまで、幅広い表現のために、通常オーケストラの楽器とは見なされないものが加えられる。また、「音色旋律」(ひとつの旋律をいくつもの楽器が受け渡していく)も見て取れる。

・神経質なまでのテンポやディナーミク などの詳細な指示。他の指揮者を信頼していなかったのか?そもそもこの人は、他人を信頼するということがあったのだろうか?

・演奏時間が長い。最短が第1番の約55分、次が第4番で約60分。最長の第3番は約1時間40分かかる。東北新幹線「はやて・こまち」に乗って、仙台から東京まで行ってもまだ終わらない。だが、大構築物であるためには、また聴き終えた時に何かが天から降りてきたような達成感をもたらすためには、このくらいの長さは必要だったのかも知れない。

・アイロニー。例えば第1番の第3楽章は、「昔の童話の本にあるパロディ的な絵『狩人の葬送』」に由来していて、「森の獣たちが(おどけた様子で)死んだ狩人の棺に付き添って行進していく」というような説明が初演には付いていたそうだ。しかし、そんなふうに聴こえるだろうか?聴こえないとすれば、それは作者の思い込みか?演奏が的を外しているからか?

・最も重要に思われるのは、交響曲は、いずれもマーラー自身の世界観、宇宙観を披瀝したものであること。

・ごくごく簡単に言ってしまうなら、ドミナント-トニックという古典和声進行の効能を信じて書かれている。ドビュッシーは1894年までに「牧神の午後への前奏曲」を作曲し、時代は調性構造に拠らない音楽を生み始めているけれど、少なくとも第8番までは、ドミナント(にあたる部分)が延長され緊張感が強調されて、トニックに解決することで快感を得ようとしている音楽である。

「大地の歌」や第9番などでは、よく「死への想念、畏れ」との関連が言われる。マーラーが抽象的な「死」について考えていたことは確かだろう。だが、「死」に怯えるあまり実生活に支障をきたしていたというようなことは、あり得ない。なぜだと言うならば、どれでも良いが、例えば第9番の第3楽章の後半とかのスコアを、書き写してみてください。単に左から右へ書き写すだけだって、ものすごいエネルギーが必要だとわかるだろう。「死」に怯えて震えている人が、こんなスコアを200ページにもわたって書けるわけがない。作曲という営為には、体力も精神力も必要なのだ。

マーラーを今よりは聴いていた学生の頃、この作曲家はものすごく年配の人のように思えていた。だが、ふと考えると今の私は、すでにマーラーが死んだ年齢を通し越しているのだった。

昨年出版された村井翔氏の「作曲家◎人と作品シリーズ マーラー」(音楽之友社)は、読み物としてもなかなか面白く、また参考になった。柴田南雄著「マーラー 現代音楽への道」(岩波新書)は手頃だが、今は版元で品切れとのこと。

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コメント

連休明けでやる気が出ませんね。1日に2回もコメントを入れてしまいすみません。
最近、音楽史をちゃんと教えなければならなくなっている関係で、「いかにすっきり効果的に教えられるか」を考えながら勉強しなおしています。中でもロマン派って作曲家の数も多いし、どういうグループ分けにすればすっきりするのかも微妙だし、結構苦心しています。ちょうどそんな時だったので、連休中、録画はしていたけれどまだ全部通して聴いていなかった「千人の交響曲」を、「勉強のために今度こそは全部通して聴いてみよう!」と思って流し始めたのですが、のっけから妻には「何この曲~っ!」、子供には「うるっさ~い!」といわれ1楽章で断念しました。マーラーの特徴が明確に伝わったといったところでしょうか?私はブルックナー、マーラー、ワーグナーあたりには弱いほうなので未だに通して全曲聴く機会がありません。でも、いつか見なきゃ、聴かなきゃと思い、ワーグナーの楽劇などは録画だけはしているのですが。
話は戻りますが、一般の高校生から音大受験生くらいを対象とした音楽史の教材っていいのがないですね。自分でつくるしかないとは思っていますが、何かいいアイデアがあればアドヴァイスお願いします。

masaさん、あちらこちらでどーもです。
私もワーグナーやブルックナーは縁遠い作曲家です。その中ではマーラーは比較的聴いていますが。
高校生から音大受験生くらいまでの音楽史の教材って、難しいですねぇ。いろいろ出てはいますが、帯に短し・・・なのかも知れませんね。もっとも、それは音楽のどんな教科書にも、例えば楽典とか和声とか楽式論とかにも当てはまることですけどね。

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