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2007年4月20日 (金)

デュオリサイタルとブータン料理

東京、代々木上原にあるムジカーザに、寺嶋道子さんと陸也さんのデュオリサイタルを聴きに行く。

100名ほどで満員という小さな会場だが、プログラムはベートーヴェン:ヴァイオリン・ソナタ第5番「スプリング」、ブラームス:ヴァイオリン・ソナタ第3番、ラヴェル「優雅で感傷的なワルツ」(ピアノ・ソロ)、そしてプーランク:ヴァイオリン・ソナタという本格的なもの。チケットは完売だったそうだが、二人の実力を考えれば当然だろう。

古今の西洋音楽の名曲には、「目を瞠らせるような技術で書かれた作品」というものがある一方、「ただならぬことが起きているような気配」が充満している作品がある、と思っている。

「ただならぬ気配」ということを言葉で説明するのはちょっと難しいけれど、作曲者が何ものかに強く衝き動かされて書いたに違いないと思える数小節、数ページのことだ。そういう部分は、作曲者自身も、どうしてそんなふうに書いたのか、書けたのか、おそらく明確には説明できないだろう。「部分」と書いたが、楽章全体、作品全体ということもあり得る。

「ただならぬ気配」と私が思うものは、さまざまな形をとって現われる。「激情」の場合もあるし、「静謐」の場合もある。前者は、例えばショパン:第3ピアノソナタの両端楽章。後者は、例えばシューベルト:弦楽五重奏曲のアダージオ。

名演奏とは、曲の中に潜んでいる「ただならぬ気配」を見逃すことなくすくい取り、演奏者自身のアイデンティティとして表現することではないかと思う。それに対して、さほどの「気配」があるわけでもない曲なのに、演奏者が思い込みで「気配」を捏造したり、方向違いに増幅したりするのは「個性的な演奏」と呼ぶべきだろう。

「ただならぬ気配」を察知することができない演奏は、ただ「弾いているだけ」である。

このデュオリサイタルでプログラムに組まれた作品には、いずれも「ただならぬ気配」が隠されている。「スプリング・ソナタ」では例えば第1楽章の後半や終楽章に。ブラームスではとりわけ第3楽章に。ラヴェルは、冒頭からいきなり「ただならぬ」テンション。それがどんどん変容していくにつれて、「気配」の質が変わっていく。

寺嶋夫妻の演奏は、曲の中に潜んでいる「ただならぬ気配」を暴き出して、眩いばかりに光をあてた。それゆえ、いずれも名演奏だったとの称賛に値する。「暴き出して」という強い言い方をしたが、「ただならぬ気配」は楽譜を眺めているだけではわからず、演奏で強調することで初めて立ち上がってくることも多いのである。二人の演奏が掘り起こして気づかせてくれた「ただならぬ」パッセージもたくさんあった。また、どのデュオ作品でも、ピアノの低音が描くバスのラインが、ヴァイオリンを美しく際立たせていた。

そして、何といっても圧巻だったのはプーランクで、冒頭から終結まで一気に疾走するこの作品には、隅々に「ただならぬ気配」が溢れている。時折挿入されるシャンソン風な優しい旋律でさえ、この曲全体の枠の中では安穏を示唆するものではないことを、夫妻の演奏は示す。長崎市長暗殺、バージニア工科大学での銃撃と、恐ろしい事件が立て続けに報道されたのは、ほんの数日前のこと。未だ事件の続報が伝えられている中で聴くプーランクが書きこんだ銃声、詩人ガルシア・ロルカを殺した凶弾の音の象徴には、背筋が凍る思いだった。

アンコールは、グリークの第3ヴァイオリン・ソナタ(このソナタも、随所に「ただならぬ気配」がある)の第2楽章。プーランク作品の悲劇性を落ち着かせる最高のデザート。冒頭ピアノが提示するテーマのリズムの取り方は、ラフマニノフによる演奏(クライスラーがヴァイオリンを弾いている)に対する共感と敬意に満ちた陸也さんらしいものだった。

Photo_29 終演後、寺嶋夫妻を囲んで、コンサートを制作したピアニスト・斎木ユリさん、浅井道子さんらと、近くのブータン料理店で打ち上げ。

ブータン料理って何だ~?と誰もが訝しがりながら行ったのだが、きのこのオリーブオイル炒め(?)や大根の煮物、春雨と鶏肉の煮物など、いずれも野菜中心、しかもピリ辛で、ビールや玄米ご飯とよく合って美味しかった。

なぜか店のカウンターに下に、ベートーヴェンのブロンズ像が置かれている。「チベットのモーツァルト」ならぬ「ブータンのベートーヴェン」?

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コメント

ああ!
素晴しい!聴きにいきたかったなあ。。。

ちょうど、生徒のひとりがラロのスペイン交響曲を勉強するにあたり、2、3、4楽章が意味不明でイメージが捉えられないというので、一緒にいろんなアプローチのひとつとして、ロルカを読んだりしているところ。

今日は運転中にラジオから「血の婚礼」のギターが流れてきた。

乾いた空気、血の煮え返る興奮と静謐。
感じたいな。また。

こんにゃく座はなぜ、なぜこの日に稽古を入れたのでしょうか・・・!?
うえぇ~ん、私も行きたかったよぉぉぉぉ。

>Linus さん
ちょっとご無沙汰でした!まったく、この王道にしてユニークなプログラムには恐れ入るよね。
スペイン交響曲?そんなにイメージの捉えにくい曲とは思わないんだけどなぁ・・・。2楽章はファンダンゴのような舞曲だし。ラロはスペイン系フランス人なわけですが、そのままスペイン音楽とロマン派音楽との混血の作品ですよね。スペインの民俗音楽とか聴いてみたらどうかな。音源が必要だったら、また声をかけてくださいね。

>きほつん
あぁ、稽古だったのだね。そういえば座の関係者は見かけなかったな。社長も含めて。意外なことに、道子さんはこういう形、東京では初めてらしい。これからもどんどんやってほしいものですね!

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