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2007年5月26日 (土)

日本フィル仙台演奏会2007(2) リキちゃんのこと

ある時、ナオさんから不思議なことを聞かされた。

ナオさんは私たちの大学の卒業生。今は公共ホールで働いているのだが、そこに私の親戚がいるというのだ。

え~!?・・・なんだそれ?

「せんせの親戚なんだ~って言ってましたよ」と言うナオさんがあげた名前は、確かに知っている人。でも、どうして仙台に?

1973年の初夏、大学受験に失敗した私は、浪人して作曲の勉強をするために東京に出た。その時住み込んだのは、大家さんが父の従妹である四畳半一間のアパートだった。大家さんの住んでいる母屋は茅葺屋根の面影を残す日本家屋で、アパートは同じ敷地に立っていた。

当時は、大家さんのお母さん(私の父の叔母さんにあたる)も90近い歳だったと思うが元気で、母屋でお風呂を借りて上がってくると、家族麻雀をしていたり、「一服どうぞ」とタバコをすすめてくれたりした。

リキちゃんは小学生だった。大家さんの孫、大家さんの母親から見れば曾孫だから、弟のジンちゃんとよく遊びに来ていたのである。私もまじって何をして遊んだか、あまり記憶がないけれど、一度映画を観に行ったのではなかったっけ・・・。元気で明るい子どもたちだった。だが、大学に進んで間もなく私は引越しをして、彼らの一家とは疎遠になってしまった。

そのリキちゃんが、突然目の前に現われたのである。日本フィルを聴きに行った会場がナオさんが働いているホールだった。休憩時間に、私が来ていることを見つけたナオさんが、舞台裏にいたリキちゃんを呼んでくれたのだ。ナオさん、ありがとう!

30数年ぶり(?)に現われたリキちゃんがあまりにも大きかったので、まずそのことに私はびっくりしてしまった。いつまでも小学生でいるわけはないが、見上げるように背の高い立派な男性になっているとは思いもよらなかったのだ。いや、リキちゃんだって、私が太ってオヤジになっていて驚いただろうけど。

みんな元気?という問いに、どこどこのおじさんとおばさんは・・・などと答えてくれるのを聞いているうちに、立ちのぼるように当時のことが甦ってくる。どうしていつから仙台にいるの?大学で仙台に来て、結婚してそのまま・・・今は奥さまと中学生のお子さんと三人暮らし・・・。あのリキちゃんがねぇ・・・と感慨にふけるのはこちらが歳をとった証拠だが、仕方のないことだろう。しかし、案外近いところにいながら今まで会えなかったことも不思議だし、こうして再会できたことも、ナオさんのおかげとはいえ、縁の面白さというべきかも知れない。

開演のブザーが鳴る。慌しく私は客席へ、リキちゃんは持ち場に戻る。近いうちにまたゆっくり話そうねと手を振る。「お酒飲みましょうね!」と言いながら急ぎ足で舞台裏へ向かう彼の笑顔は、少年の時のままだった。

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