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2007年6月14日 (木)

観世榮夫さんを悼む

6月8日の夕刊で観世榮夫さんの訃報を知って驚いた。先月、大きな交通事故で重傷を負われたと報じられていたので、心配していたのだが・・・。

1999年、オペラシアターこんにゃく座のために私が作曲していたオペラの演出を、「観世さんにお願いしたら」と提案してくださったのは林光さんだった。演目は、いずれも宮澤賢治原作「フランドン農学校の豚」「虔十公園林」の2本立て。観世さんがこんにゃく座の演出を手がけるのは1977年以来とのことだった。座としては、親しい位置にいながら、一緒に仕事をすることのなかった演出、作曲で、刺激を期待したという面もあっただろう。

音楽稽古の時には、よく手で膝を打ちながら聴いておられた。張り扇で拍子を取りながら謡を稽古する時のようで、おそらくそうやって音楽を覚えようとしてくださっていたのだろう。ただ、張り扇の拍子はしばしば音楽のテンポとずれていたから、ちょっと厄介だったけれど。

およそ細かい指示を出さない演出だった。こんにゃく座が、自分たちだけで芝居を作っていける力を持っているカンパニーだからということもあっただろう。「こうなるのは良くないね」という限界を示されるだけで、「このようにさえならなければ、あとはどのようなのも有り」で許容範囲が大変広く、お釈迦様ならぬ観世さんの、半端ではなく広大な掌の上で遊ばせてもらっていたようだった。しかし、もう少し細かくアドバイスしてほしいと思ったメンバーもいたに違いない。

そんなわけで、立ち稽古でも歩き回り怒鳴りまくるようなことはなく、演出席に座って黙ってじっと観ておられた。ただ、あの風貌である。ぎょろりとした目の怖い顔が座っていると、それだけで場は引き締まる。決して怖い人ではなかったが。

稽古が終わって、最寄の駅に向かってみんなでぞろぞろ歩いていく。どこにも寄らずに帰るのか?と直接言われたわけではないが、「ちょっと寄っていきませんか」と誰かが声をかけないではいられない空気が漂った。「そうだねぇ」と飲み屋の戸をくぐるのは嬉しそうだった。

酒席におさまって、「あの場面、どう考えたらいいですかねぇ」と誰かが問う。「そうなんだよな、あそこ難しいんだよな・・・」とおっしゃる。・・・それを考えてくれるのが演出家なのでは?と思わないわけではないが、つまり徹頭徹尾、強権的な演出家ではなく、みんなで作り上げていくチームの、自分もその仲間のひとりというスタンスだったのではないかと思う。だからこそ、一度は能楽の世界を飛び出して、小劇場や映画で目覚しい活躍ができたのだろう。

とてもリアリティのある音楽だと褒めてくださった。そして、顔は怖いままだったけれど、この仕事が楽しそうだった。稽古を観ながら寝てしまわれたこともある。役者が演技をしながらわざとらしく近寄って、大きな声を出したりしたが起きない。くすくす笑ったり呆れたりするメンバーの中には、そんな様子が父のように愛しいと言って慕うスタッフもいた。

私は、観世さんの本職である能の舞台を、ほとんど観る機会がなかったが、「子午線の祀り」をはじめとする舞台や新藤兼人監督作品の映画などは学生の頃からいろいろ観てきたから、私が作曲したオペラを演出してくださったのは、とても嬉しいことだった。

享年79歳。残念でならない。心からご冥福をお祈りする。

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