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2007年7月 9日 (月)

青葉山にシャンソンが流れる、夕暮れ近い五時間目

授業記録記事の更新がすっかり遅れてしまい、申し訳ないです。現在、3週間くらい遅れ中。

現代芸術論第9回(6月19日分)。テキストに、シャルル・トレネとエディット・ピアフが載っているので、まとめてシャンソン特集。

授業の最初、学生くんたちに「シャンソン知ってる?」と尋ねてみた。ある程度予想していたことだが、「枯葉」はかなりの人数が知っていると手を上げた。「愛の讃歌」で3分の2くらいに減った。「パリの屋根の下」「サン・トワ・マミー」は数人、「モン・パパ」「パリ祭」に至っては、20数人のクラスの誰も手が上がらない。

もはや年寄りの戯言にしか聞こえないかもしれないが、私が子どもの頃、これらの歌は当たり前のようにそこいらから、たぶんテレビから聞こえてきて、誰に教えられなくても知っていた。今でも現役の石井好子氏はもとより、越路吹雪、岸洋子、芦野宏、高英男といった日本のシャンソン歌手たちが、わかりやすい日本語で盛んに歌っていたからだろう。NHKの「みんなのうた」でも、取り上げられていたと思う。

さて、この日の音楽メニューに添って、少しずつコメントを付けていこう。

シャルル・トレネ
1. ドゥース・フランス[優しきフランス](シャルル・トレネ詞・曲)
2. ラ・メール(シャルル・トレネ詞・曲)
3. ブン(シャルル・トレネ詞・曲)

トレネは知らなくても「ラ・メール」は知っている。いや、「ラ・メール」というタイトルは知らなくても、大抵どこかで聴いたことがあるだろう。先ほども、テレビで車のCMに使われていた。トレネのレパートリーは明るい。人生の機微は、ここではほんの小匙一杯の苦味でしかない。「ドゥース・フランス」も、ナチ占領下で密かに歌われていたという愛国歌だが、そういうエピソードは、トレネの明るさにはあまり似合わない。だが、こういう歌手がいたこと自体が、シャンソンの草分けという功績以上に、何となくホッとさせられる。

イヴ・モンタン
◎ 枯葉(ジャック・プレヴェール詞、ジョセフ・コスマ曲)

シャンソンの定番だからと言って馬鹿にすべきではない。授業で大きなスピーカーでかけたら、耳タコのはずなのに、あらためて名歌、名唱であることがわかる。

ジョルジュ・ミントン
◎ モン・パパ(ルネ・プジョール、シャルル・ボッチエ詞、カジミール・オベルフェルド曲)
榎本健一
◎ モン・パパ(白井鐵造訳詞)

原語と邦訳との聴き比べ。これはもう、訳詞の見事さに恐れ入るばかり。原詞の意味を正確に押さえながら、メロディーに無理なく乗る日本語、それもとびきり面白い言葉を選んだ白井鐵造の仕事はすごい。「ウチのパパの大きいのは、靴下の破れ穴」など、それこそ昔から知っている訳詞だが、あらためて感服する。

ジョルジュ・ブラッサンス
1. 修道女の伝説(ヴィクトル・ユゴー詩、ジョルジュ・ブラッサンス曲)
2. ゴリラ(ジョルジュ・ブラッサンス詞・曲)
3. ポルノグラフィー思考(ジョルジュ・ブラッサンス詞・曲)

ブラッサンスは、いつからかわからないが、私の大好きな歌手になっていた。誰かが教えてくれたのかも知れない。自由を阻むものを憎み、からかい、どん底の生業をする人たちへ暖かい眼差しを向ける。その結果、しばしば反体制的な姿勢を取ることにもなるが、それは私たちが学生だった時代の空気とも合っていたのだろう。当時は、何枚ものLPレコードが販売されていたけれど、現在国内盤はベスト盤のかたちをとった3枚だけという、残念な状況である。自らギターを持って、サブ・ギターとベースを従えただけの楽器編成。その反骨さ加減も含めて吟遊詩人の伝統を引き継いでいるこの渋い男の歌は、今でも決して古びていない。

エディット・ピアフ
1. パダン・パダン(アンリ・コンテ詞、ノルベール・グランズベール曲)
2. 谷間に三つの鐘が鳴る(ジャン・ヴィヤール詞・曲)
3. 群集(エンリケ・ビセオ、ミシェル・リヴゴーシュ詞、アンヘル・カブラル曲)
4. 愛の讃歌(エディット・ピアフ詞、マルグリット・モノー曲)
5. アコーディオン弾き(ミシェル・エメール詞・曲)

芸術的歌曲と呼ぶべき名唱「谷間に三つの・・・」、映画のワンシーンのような「群集」、そして、トレネでは一匙の苦味でしかなかった人生模様は、ここに来て身を切り裂く痛みとなる。「パダン・パダン」も「愛の讃歌」も「アコーディオン弾き」も、崖っぷちに立ちながらあえかな希望を見出そうともがく姿を、残酷なまでにリアルに映し出す。歌とは、何と恐ろしいものなのだろう。

最後は、シャンソンの精神でたくさんの美しい歌曲を作曲したプーランクの即興曲第15番ハ短調。 「エディット・ピアフに捧げる」という副題が付けられた、小品ながら印象的な1曲。

シャンソンのCDを入手するのは、今では思いのほか楽ではない。それぞれの歌手のアルバムは少ししか見つけられず、ベスト盤のようなものに頼るしかない。その中では、4枚組のシャンソン・ベスト100(EMIミュージック・ジャパン TOCP-67881)は、全曲の解説・対訳が整ったとても良いものだ。

しかし、今の若い人たちにとって、シャンソンはナツメロに近いものとして映るのだろうか。現在の音楽産業での扱いもそれに近いし、シャンソンの代替となるような新しい歌のジャンルも見当たらない。

すぐれた歌の歌詞やメロディーは、人間について、社会についてのさまざまなことを教えてくれる。だが、今の若い人たちが、そのようにして歌から学ぶ機会がないとすれば、彼らは一体どうやって大人になっていくのだろう。

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コメント

実はピアフを聴いていた時、泣きそうでした。歌詞をしっかり理解しながら聴いたら本当に泣きそうだったので、敢えてボーっと聴いてやり過ごしたものです。
いずれCDを買って、夜中に独りで聴いて今度はしっかり泣こうと思います。

同じくピアフを聴いて感動しました。なきそうになるの良くわかります。
全部良かったけれど、やっぱり愛の賛歌に惹かれました。でも、授業後合研の向かう中口ずさんだのはパダンパダンです(笑)
曲名はわからなくても、知っている旋律がけっこうあったことに驚きました。知らないうちに耳にしているものなんですね。

>あんずさん、さとうやまさん
シャンソンが、特にピアフが届いていたことを知って、何となくホッとしました。この授業、イマイチ反応がよくわからないんだよね。泣きそうになっているのか、面白がっているのか、退屈してるのか、何も感じないのか。何をかけてもすぐ寝ちゃうやつ多いし。

シャンソンは歌詞が命の半分だから、歌詞プリントを、相当大変だったけど作りました。
今度聞き直して泣く時に役立ててね。

「パダンパダン」は耳につくよね。何か不思議な、不吉でもあり、うら寂しい感じでもあり、幻想的でもある響きですね。

初コメントです。誰だかわかりますでしょうか??
ひっそりと在学時代からこのブログよくみていました。

実は私シャンソンがとても好きなので、思わずコメントしたくなってしまいました。今は、加藤登紀子さんがとても好きで、去年家族でコンサートにも行ってきましたよ(笑)個人的には、シャンソンの、メッセージがゆっくりと深くしみる感じがとても好きです。

芸術論、私とても好きでしたよ。2・4年の授業のプリント、今でもファイリングして持っています。もう一度受けたいくらいです。これからも頑張ってくださいね!

>のんちゃん
お?そういうあなたは、tomoちゃんとこでよくお見かけするのんちゃんだよね?お久しぶりです!

毎度ご愛顧、ありがとうございます。でも、シャンソンが好きというのは意外でした。そういう話はしたことないもんねぇ。
加藤登紀子さん、素晴らしい歌手ですよね!少し前にラジオ深夜便の歌として歌っておられる歌(タイトルは・・・「レモン」だったかなぁ・・・)など、和製シャンソンという感じで、とても素敵でした。
また、学校にもこのブログにも遊びに来てね!

また遊びに来ますね、ひっそりと(笑)
私もブログはじめましたので、良かったら遊びに来てくださいませ。

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