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2007年7月 3日 (火)

ざわざわする風景

6月27日の記事に、nanakoさんが付けてくださったコメント。ご本人の許可を得て再掲し、ここにお返事を書きます。

きっきぃさま、ご無沙汰しております!お元気そうでなによりです。もう10年近く前になるのかな、友達と二人で青森を旅しました。最初の宿だけとって、それ以降はだいたいのコースを決めて詳細はいきあたりばったり。田沢湖のほとりにある、湖畔荘というところから出発しました。途中では六カ所村にもたちよりましたよ。あそこは原発のための大型トラックと自衛隊の車輌が走る、東京生まれ東京育ちの私には、とってもとっても胸がざわざわする、現実の生活がそこにあるとはなかなか思えない村でした。民宿というか、原発で働く人たちが泊まるような宿しかなく(事前に予約したのですが到着すると、二人とも女性とは思わなかった、女性二人では本当は泊められないんだ、と言われました)、なんだか自然と無口になってしまう村でした。でも貴重な時間だったと思っています。
うーん、またあんなふらり旅にいきたいものです!

nanakoさん、ご無沙汰しました!お変わりありませんか。お仲間の皆さんの奮闘ぶりは、いつも座日記で楽しく読ませていただいています。

さて、コメントをありがとうございます。10年前(?)の旅、ロードムービーのようにいろいろ想像しながら、読ませていただきました。行き当たりばったりに旅するには、東北は最適かも知れませんね。どの県にも見どころがあり、美味しい食べ物や温泉にも出会えます。行き当たりバッタリだと、駅に行ってみたら、次の列車まで1時間半待ちなんていう楽しいこともあるかも知れません(笑)。どうぞまた、ふらり旅にいらしてくださいね。

ところで、さすがに六ケ所村には行ったことはありませんが、東京都心を離れると、たちまち原発やら自衛隊駐屯地やらにぶつかります。今回も、青森駅から美術館へ行くタクシーは、駐屯地の敷地を避けて迂回していきました。仙台駅からローカル線で4つ目の駅前にも駐屯地があります。どちらも、その都市の中央駅からさほど離れていない、市民生活圏の真っ只中です。

東京近郊にも駐屯地や基地はあり、親戚の家に行くと、厚木基地に離着陸する飛行機のものすごい爆音が聞こえたりします。でも、都心やその周辺だけで生活していると、そんな現実社会があることを忘れてしまいます。

仙台の学校に勤め始めて間もないある日、朝から遠い地鳴りのような音が聞こえていました。何だろうな・・・と、時折不気味に響く低い音を気にしていましたら、今日は王城寺原演習場で演習をやっているんですよと、事務官の人から教えられて、びっくりしました。こんなところまで聞こえるの!?演習場から大学までどのくらいあるでしょう。少なくとも泉ヶ岳という山の向こうです。同じ県内とはいえ、かなり距離はあるはずです。

私はかつて、一度だけ仙台の駐屯地の中に入ったことがあります。入隊を志願したのではありません。宮城で開かれる国体のために、ファンファーレのひとつを作曲したのですが、北部方面音楽隊がその模範演奏録音をしたのです。

敷地の中に入ると別世界。何やらとても静かで、当然かも知れませんがゴミひとつ落ちていない。そして道はまっすぐに整備され、同じ規格の建物がずっと並んでいる。少し古い団地か学校に迷い込んだ感じですが、もちろん子どもの声も聞こえないし、井戸端会議をする奥さんたちの姿もありません。つまり生活感がないのです。どこかで見た景色だな・・・と思って考えてみると、それは中国でした。長春かハルピンの郊外の団地だか学校だか。共産主義国家とここの景色が共通しているって、何だか微妙です。

音楽隊の人たちは、練習とはいえ制服を着て演奏します。指揮者は、巷のオーケストラなどと違って、絶対的地位にいることがわかります。私などには、にこやかでとてもフレンドリーでしたが、演奏者たちには部下に接するような感じでした。休憩になっても、演奏者たちは冗談を言うでもなく、喫煙所に集まる人たちも黙々と煙を吹いているだけで、話しかけてみても必要最小限の答えを返してくれるだけですから、こちらも思わず無口になりました。

おっと・・・話がそれてしまいましたね。災害救助に出動してくれる自衛隊には感謝しなければならない。でも、その存在の仕方には、時として少なからず胸をざわざわさせられると言わざるを得ません。そして、同様に胸をざわめかせる原発も米軍基地も都心にはなく、地方が危険と隣り合わせで引き受けているのです。那覇空港に降り立つ飛行機の窓から、米軍や自衛隊のトラックが並ぶ空港の様子を見て、ざわざわしない人がいるでしょうか。私が学校で聞いた不気味な低い音、あれは実弾訓練だったのかどうかわかりませんが、現実に実弾訓練をしている演習場もあるのです。

都心の空き地に、小じゃれた何とかヒルズなんていうものばかり作らないで、六本木だかお台場だかに、原発でも駐屯地でも基地でも作って実弾訓練でもすれば、ざわざわする人がもっと増えてこの国も少しは変わるのではないか。暴言の謗りを承知で、そんなことを思ったりします。

長話になってごめんなさい。湿度の高い日が続きます。どうぞご自愛ください。

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コメント

きっきぃ様、こんにちは。先日きっきぃ様より記事に掲載してよいでしょうか?とメールをいただき、私が書いたコメントから文章が生まれるなんて!うゎーいドキドキ、としながら過ごしていました。
幼い頃からこういったことにざわざわしながら育った私は、10代の頃は、知らなければざわざわせずにすむのに、知っていることで怒ったり憤ったりしなければならないことに、いらだってました。だって、10代の頃のある一日は、知っていようと知らなかろうと同じように過ぎていくものと信じていましたから。でも、自分が30数年生きてきて、短いながらも過去を振り返ることができるようになると同じくらい未来のことも実感を持って見つめることができるようになりました。そうなるとやっぱり、ざわざわしながら怒ったりすることは決して無駄ではなくて、私自身を創っている一部なのだなぁと思うようになりました。
あああ、またまた長くなってしまった~。

>nanakoさん
大した記事にならなくて、すみません。そうですね、ざわざわして怒ったり憤ったりすることは、確かに自分の一部分だと思います。でも、近頃はざわざわして怒ったり憤ったりすることが少なくなったように思う。世の中、怒ったり憤ったりする必要ななくなったならいいんですが、そうでもないらしいのだけど。

でも、ぼくもそうだけど、周りもそうだなぁ・・・。最近は、若い学生くんたち、みんなとても優しくて、憤然と意見を言ったりする場面を見たことがない。でも、本当にそれでいいのかなぁ・・・と思うこともありますね。具体的な何かに「ムカつく」ことはあっても、「嫌な感じのする空気」にざわざわすることはないのかしら・・・。

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