台風9号は、小田原付近に上陸、関東を直撃したのち、日本列島に沿って東北へと上がっていきました。東北は大丈夫だったのかな・・・。
これほどストレートに関東を襲うのも珍しいし、上陸した後も「台風」のままで東北へ向かってくるのも珍しいことです。仙台で、「関東に台風が来た、もうすぐこちらへ来るぞ!」と待ち構えていても、大抵は「台風」ではなくなっているし、長旅の疲れからか衰えていて、激しい風雨をもたらすことはあまりないようです。
4日の夜仙台に移動、あ、それは台風ではなくて私の話です。5日、6日は大学の仕事が次々とあって、嵐のような二日間でした。特に6日は、午前中附属中学校へ教育実習の参観に行き、午後は委員会、卒業研究のお付き合い、作曲の授業発表会の打ち合わせ、そして、その合間には二人の学生くんが相談に来たり。夜は某ピアノコンクールの実行委員会の会議。
仙台では、空を見上げると、今日は傘は持って出なければ・・・という空模様でしたが、ほとんど降らず、午後などは晴れ間も覗いていました。ただ、とても蒸し暑かった。
夜の会議が終わってから、最終のこまちで神奈川に戻ることにしていたのですが、台風は一刻一刻近づいていて、関東はかなり影響が出てきているらしい。
こまちはちゃんと東京まで行くかしら。また、東京まで行けたとしても、自宅までの電車がちゃんと動いているかなぁ・・・。最悪なのは、途中で運転見合わせになって、車内に閉じ込められてしまうことです。今夜は仙台に泊まって、明日戻ろうかとも思ったけれども、明日は台風がこっちへ来てしまう。それに、戻らないと明日仕事ができない。
相変わらず蒸し暑いのと、ちょっと変な風が吹いている以外は何事もなし。傘は、結局今日一日、持ち歩いただけ。こまち号は、仙台駅を定刻21時26分に発車しました。
福島を過ぎた頃、雨がぽつぽつ降り始めました。那須塩原あたりからは、雨が窓に激しく打ち付けられるようになりました。嵐のような一日が終わって、本当の嵐の中へ突入です。快調だったこまち号も、さすがに徐行運転。在来線の運転状況を知らせる車内放送が流れるたびに、不通路線が増えていきます。
ところが、大宮に着く頃には、雨がひどく降った跡は見てとれるけれど、まったく静かになっていました。ありゃ?もしかして、もう台風の眼に入っちゃったんだろうか。結局10分程度の遅れで東京駅に着いたときも、時折突風が吹き抜けるほかは、拍子抜けするくらい静かでした。一時不通になっていた中央線は運転再開しているというので、中央線快速ホームへ。
まもなく発車しますので、ご乗車になってお待ちくださいと言うのだけれど、なかなか発車しない。後続の列車が遅れているから、運転間隔が離れ過ぎるのを回避するため時間調整中・・・ただいま後続の電車は国分寺付近を走っております。まもなく発車しますので・・・って、おいおい、国分寺から来る後続を待つのじゃ、「まもなく」じゃないだろう。「まもなく」の目安がどのくらいの時間なのか、説明してほしいよね、もう深夜なんだから。
別のルートを取ろうかと、腰を浮かしかけたとき、慌てたように発車のベルが鳴った。快速の予定でしたが、各駅停車として運転します・・・。
新宿でも、ホームに雨が降りこむこともなく静かで、不気味にガラガラの私鉄準急に乗る。いつもこの時間は、酔客で満員なんだけどね。まともな人たちは、もうとっくに家に帰ってしまったのでしょう。
世田谷を過ぎるあたりで突風。同じ車両に乗っている人たち、それぞれ本を読んでいたり、携帯をいじっていたりするのが一斉に顔をあげる。多摩川を渡る頃には、だんだんひどくなって、最寄り駅に着いたら、傘も飛ばされそうな暴風雨。しかし、どうにか午前1時前には、自宅に辿り着きました。その後、風雨はさらに強まり、午前2時くらいに上陸した模様です。
今日のニュースによれば、酒匂川の橋が折れたり、西湘バイパスが崩落したりして、かなり被害があったようです。多摩川を濁流が走る映像を見て、30年前の台風を思い出しました。
1974年9月1日、後に山田太一が「岸辺のアルバム」というドラマに描くことになる多摩川堤防決壊をもたらした台風の日、私は、その狛江大水害の地のすぐ上流に住んでいました。大学1年でした。川からは少し離れていたので被害はなかったのですが、ひっきりなしにサイレンが鳴って、異様な雰囲気だったことはよく覚えています。その日、川岸の、新築を含む19棟の住宅が、濁流に飲み込まれたのです。
あの頃と何が変わったのでしょうか。河川は整備されたし、情報伝達手段も格段に増えたから、被害を最小限に食い止められるようにはなった。でも、それとともに、少し畏れを失っているようにも思います。橋が折れたり、濁流に家が流されたりする映像は、人間の油断と手抜かりを語っているように思えてなりません。
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