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2007年12月23日 (日)

遠野へ(2)

午後1時30分、遠野市民センター大ホール約900席の客席は、満席とはいかないまでもかなり埋まっている。

先ほど駅から歩いてきた大通りは、人影もまばらで閑散としていたのに、この人たちはどこから湧きだしてきたのだろう。

バレエスタジオ開設30周年記念公演のプログラムは3部構成で、「おしらさま」は第3部。

開演した舞台を見てすっかり感心してしまった。以前と比べて格段にレベルが上がっているように思える。以前は、こう言っては申し訳ないが、バレエ教室のおさらい会という感じがあった。けれども、第1部「バレエコンサート」も、第2部「ルロイ・アンダーソン名曲集」も、ともに立派な出来栄え。ジュニア・バレエ団としてのまとまりがある。やはり、30年の積み重ねは大きい。

さて、第3部が創作バレエ「おしらさま」。

今回は、3週間くらい前に招待状が送られてきて再演を知ったというわけで、音楽がどんなかたちで演奏されるのかまったく相談を受けなかったし、知らされなかったから、正直言って楽しみ半分、怖いもの見たさ半分で会場に来たのだった。以前の演奏の録音を流すのだろうか。それとも、ミディの打ち込みか。オール・ミディというのは、ちょっと嫌だな・・・。簡単な音楽ではないし、オフィシャルなヴァージョンは編成も特殊だ。

その懸念は、思いもよらぬかたちで吹き飛ぶことになった。

演奏を担当したのは、A.E.L音工房の5人の音楽家とコンピュータ制御のシンセサイザー。そして、そのグループのリーダーで指揮もした及川光志さんは、初演の舞台でトランペットを吹いていた高校生だったのである。そして、他の5人も、みな遠野在住の方々だという。

初演以後、2管編成によるオーケストラ版と室内楽版を作って、いつでもどこへでも持っていけるようになったが、遠野の人々が演奏するということはできなくなっていた。舞台装置も衣裳も街の人たちの手で作れるのに、音楽だけはそういうわけにはいかなかったのだ。

今回のヴァージョンは、室内楽版を基に光志さんが工夫して作ってくれたもの。光志さんは後で、「高校生の時、演奏に参加して受けたインパクトが強くて・・・。ずっとやりたいと思ってきたことが、今日やっとできました。」と言ってくれた。これで、「おしらさま」の音楽は、遠野の人たちの手に戻ってきた・・・そう思えて嬉しかった。

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写真は、終演直後の舞台。

終演後、祝賀会が始まるまでの間に、岡野さん、杉田さんとともに、健悟さんのお墓参りに行く。健悟さんは、濱田さんと二人で実働部隊のツートップを成し、バレエスタジオの運営や「おしらさま」の初演を、行政側から牽引した人だ。亡くなられてから、来年で10年になるという。その誠実な仕事ぶりはみんなが信頼していたし、眼鏡の奥の優しい笑顔を忘れることはできない。健悟さんが眠るお墓は、市民センターにから程近いお寺にある。舞台でいただいた花束を手向ける。杉田さんが、「今日も、ここにいてほしかったよね」とつぶやいた。思わず涙がこぼれた。

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コメント

失ってからもそうやって大切にしてあげれる気持ちって大事だと思います。やっぱり音楽が繋げる人の関係っていうものは凄いですね。また「おしらさま」をやる機会があれば、是非招待して下さい!

>いくさば
そうだね、同時に、失ったものほど大切・・・という面もあるね。そう、音楽が繋げる関係っていうのは、確かに特別なものがあるかも知れないね。

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