名句
もはや若い方はご存知ないかもしれませんが、中村伸郎さんという舞台の名優がおられました。
洒脱な俳句というか川柳というか、詠んでおられる中に、こういう句があります。
「大晦日 俺のことならほっといて」
大晦日の夜になると思いだす。名句だよなぁ・・・。
・・・皆さま、どうぞ良いお年を。
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もはや若い方はご存知ないかもしれませんが、中村伸郎さんという舞台の名優がおられました。
洒脱な俳句というか川柳というか、詠んでおられる中に、こういう句があります。
「大晦日 俺のことならほっといて」
大晦日の夜になると思いだす。名句だよなぁ・・・。
・・・皆さま、どうぞ良いお年を。
12月24日の岩手日報朝刊は、1面に昨日の公演の写真記事、その他に、中の見開き2面分を使って、遠野市民センターバレエスタジオ30周年の歩みや、関係者へのインタビューによる特集記事を組むという破格の扱い。
遠野駅でその新聞を買って、釜石線に乗り込む。今日は、少しだけ寄り道をしながら仙台へ戻るつもり。
新花巻で下車。胡四王山にある宮沢賢治記念館へ。近くへ行くバスの発車まで1時間待ち。車に乗れば5分もかからない距離なので、タクシーを使う。800円くらい。
この記念館には何度か来ているのだが、今回のお目当てのひとつは、ちょうど特別展としてやっている「フランドン農学校の豚」。オペラシアターこんにゃく座のためにオペラとして作曲したことがあるので、この展示は興味深い。
作品の紹介と生原稿の展示がメイン。他の作品同様、大幅な校正の跡がある。この作品の生原稿を眺めていて最も目につく変更は、初めに書き込まれた「です。ます。」が、すべて「だ。である。」に直されていること。それによって、冷徹なレポートのような文体で、人間のエゴと食物連鎖の無常を、ブラックなユーモアとともに描きだすことが可能になったのだろうと思う。
ミュージアムショップで、「銀河鉄道の夜」の冒頭原稿のコピーを売っていた。スペースシャトル「エンデバー」が宇宙へ持っていったのと同じレプリカだそうだ。2枚買う。1枚は、合唱団じゃがいもの指揮者鈴木さんにあげるつもり。
記念館前からタクシーに乗る。今回、花巻に寄り道することができたら、ぜひ行きたいと思っていた場所があった。
日蓮宗身照寺。賢治の墓所。昭和8年に亡くなった賢治は、昭和26年になって、浄土真宗のお寺からこの身照寺へ改葬されたとのこと。住宅地といっていいと思うけれど、閑静な地域にひっそりと、墓所はあった。
手ぶらで行ったので、浄財を置いて、横の箱に備えてあったお線香をあげて、たくさんの素敵な作品を遺してくれたことに感謝して手を合わせる。賢治さんの墓碑の右側に、宮沢家代々の骨堂が並んでいる。
そして、この写真の右の奥にも見えるのだけれど、数羽のフクロウ像が墓所を守るようにして置かれている。
フクロウは知恵の神。賢治作品にもたびたび登場することは周知のとおり。彼らが見守っていることで、つつましいお墓が少しだけ晴れやかで温かいもののように思えてくる。
待っていてもらったタクシーに乗って、今度は花巻駅に行く。料金は、記念館から身照寺まで2,000円くらい。身照寺から花巻駅までは800円くらい。花巻駅で、新花巻までの釜石線に乗るために、また1時間待ち。新花巻駅で、新幹線に乗るためにも50分待ち。何とも悠長な旅だ。
(写真は、クリックすると少し大きく表示できます。)
終演後、市民センター隣のホテル「あえりあ遠野」で、バレエスタジオ開設30周年を記念する祝賀会。
かつて遠野で泊まっていたのは、階下からおばちゃんが「きっちゃーん、電話よー!」と呼んでくれる旅館だった。「あえりあ」のようにきれいなシティホテルは、なんだか妙な感じがする。
ちなみにこのホテルは、かつて中央公民館のあった場所に、第三セクターで建てられたとのこと。温泉ではないけれど大浴場があって、居心地はなかなか良かった。
26年前、初演の後の祝賀会には、お母さんたち手作りの、素朴だがまごころのこもったごちそうが並んでいた。今日の会場は披露宴会場のような大広間、電話は一人一人手元に携帯を持っているから、階下から呼ばれる必要はない。まさに隔世の感。
お決まりの挨拶やスピーチなどがあった後、バレエスタジオに10年間以上在籍した生徒・OGの表彰。名簿を数えてみたら、29人もいた。
今日でバレエ・スタジオを「卒業する」、二人の高校3年生の生徒さんがスピーチ。二人とも、驚くほどしっかりした内容を話す。大船渡から片道1時間くらいかけて通ってきた一人は、「30年の歴史の中に加われたことが嬉しい」などと言う。
少年少女時代に、学校以外の年上、年下の友だちや、たくさんの大人に囲まれて過ごす時間があるというのは、とても大切なことなのじゃないかなぁ・・・と思う。合唱団「じゃがいも」の子どもたちを見ていてもそう思うし、私自身も子どもオーケストラに通っていたから、そんな環境は理解できる。
大人と接することが多いわけだから、当然ませた子どもになる傾向はあるだろうが、ひとつだけではない価値観の眼差しに包まれて過ごす、そのことで得られるものは大きいと思う。身のまわりが父母や家族、親戚だけというのは、価値観が画一的、閉鎖的になりがちではないだろうか。スピーチをした生徒さんたちのしっかりした口調や大人びた表情は、バレエスタジオを支える大人たちと接してきたことから生まれているのではないかと思う。
こちらは、やたらと嬉しそうな大人たち。市長さんまで引きずり込まれています。
お開きの後は、民宿へ行こうと誘われる。そこに泊まっているのは岡野さんと杉田さんだけなのに、十数人で押しかける。民宿の主人は、飲み物やコップなどのある場所を教え、あとは好きなようにやってくれと言い残して自宅に引きあげてしまったそうだ。勝手にテーブルだの座布団だのを探し出してきて、即席宴会場を作ってしまう。
この町は、こんなふうに大らかだ。深夜、もう閉めている店をドンドン叩いて起こし、一杯だけ飲ませてくれと言って入り込んでしまったことさえある。私がではない、私を連れまわしていた人がである。眠そうな顔で、また店を開けてしまう方もどうかとは思うが。
ビールとともに、自家製どぶろくが並ぶ。この国では、もちろん勝手にお酒を作ることは許されない。けれどもここは、「どぶろく特区」なのだ。透明な上澄みに、米粕のような白い粒が浮いている。ぴりっと辛いが、口当たりが良い。とても危険な酒。「後で腰にくるよ。」と言われ、慌ててコップを置いた。
午後1時30分、遠野市民センター大ホール約900席の客席は、満席とはいかないまでもかなり埋まっている。
先ほど駅から歩いてきた大通りは、人影もまばらで閑散としていたのに、この人たちはどこから湧きだしてきたのだろう。
バレエスタジオ開設30周年記念公演のプログラムは3部構成で、「おしらさま」は第3部。
開演した舞台を見てすっかり感心してしまった。以前と比べて格段にレベルが上がっているように思える。以前は、こう言っては申し訳ないが、バレエ教室のおさらい会という感じがあった。けれども、第1部「バレエコンサート」も、第2部「ルロイ・アンダーソン名曲集」も、ともに立派な出来栄え。ジュニア・バレエ団としてのまとまりがある。やはり、30年の積み重ねは大きい。
さて、第3部が創作バレエ「おしらさま」。
今回は、3週間くらい前に招待状が送られてきて再演を知ったというわけで、音楽がどんなかたちで演奏されるのかまったく相談を受けなかったし、知らされなかったから、正直言って楽しみ半分、怖いもの見たさ半分で会場に来たのだった。以前の演奏の録音を流すのだろうか。それとも、ミディの打ち込みか。オール・ミディというのは、ちょっと嫌だな・・・。簡単な音楽ではないし、オフィシャルなヴァージョンは編成も特殊だ。
その懸念は、思いもよらぬかたちで吹き飛ぶことになった。
演奏を担当したのは、A.E.L音工房の5人の音楽家とコンピュータ制御のシンセサイザー。そして、そのグループのリーダーで指揮もした及川光志さんは、初演の舞台でトランペットを吹いていた高校生だったのである。そして、他の5人も、みな遠野在住の方々だという。
初演以後、2管編成によるオーケストラ版と室内楽版を作って、いつでもどこへでも持っていけるようになったが、遠野の人々が演奏するということはできなくなっていた。舞台装置も衣裳も街の人たちの手で作れるのに、音楽だけはそういうわけにはいかなかったのだ。
今回のヴァージョンは、室内楽版を基に光志さんが工夫して作ってくれたもの。光志さんは後で、「高校生の時、演奏に参加して受けたインパクトが強くて・・・。ずっとやりたいと思ってきたことが、今日やっとできました。」と言ってくれた。これで、「おしらさま」の音楽は、遠野の人たちの手に戻ってきた・・・そう思えて嬉しかった。
写真は、終演直後の舞台。
終演後、祝賀会が始まるまでの間に、岡野さん、杉田さんとともに、健悟さんのお墓参りに行く。健悟さんは、濱田さんと二人で実働部隊のツートップを成し、バレエスタジオの運営や「おしらさま」の初演を、行政側から牽引した人だ。亡くなられてから、来年で10年になるという。その誠実な仕事ぶりはみんなが信頼していたし、眼鏡の奥の優しい笑顔を忘れることはできない。健悟さんが眠るお墓は、市民センターにから程近いお寺にある。舞台でいただいた花束を手向ける。杉田さんが、「今日も、ここにいてほしかったよね」とつぶやいた。思わず涙がこぼれた。
12月8日の記事にあるように、私が1981年に作曲したバレエ「おしらさま」が、遠野で10年ぶりに再演されることになった。遠野へ行くのも10年ぶり。
仙台を朝9時の新幹線に乗って約1時間で新花巻。釜石線に乗り換えるために、約1時間待合室で待つことになる。付近にはほとんど店もないのだ。そして、やはり仙台よりも寒い。
単線、2両編成、ワンマン。1日10本しかない。今までに何度も何度も乗っているのに、そんなに不便な路線だったかなぁ・・・と今さらながら思うのは、私の余裕がなくなっているせいかも知れない。
仙台からだったら、車で移動した方がずっと楽だろうと思うけれど、こういう季節は雪や道路の凍結が怖い。
車内アナウンスは、女性の声のテープ。かつて、男性の車掌さんの案内放送、「下りる人が済んでからご乗車ください。」というのが「おぢる人がしんでから(落ちる人が死んでから)・・・」と聞こえるというジョークは本当なんだなぁと、感心(?)したことがあった。今はそんなことはない。
そんなことはないけれど、何やら妙なことを言っている。
駅に停車して、わかった。前に何かで読んだことがあったけれど、岩根橋駅付近の眼鏡橋が、「銀河鉄道」のイメージに重なることから、いつからか釜石線は「銀河ドリームライン」という呼び名がつけられている。そして、各駅にはエスペラント名がついていて、それもアナウンスしているのである。「次は、ガラクシーア・カーヨ、宮守でございます。」という具合。駅にも、その愛称を記した標識が立っている。ちなみに、ガラクシーア・カーヨとは、「銀河のプラットホーム」という意味の由。「ガラクシーアかよ!」というツッコミはやめてね。
12時過ぎ、遠野に着く。
しばらく来なかったから、駅前の景色などもずいぶん変わっているだろうなぁと思っていたのだが、何とも恐ろしいくらいに変わっていない。数件、店が変わったりはしているけれど、私が初めて遠野に来た1980年の頃と、ほとんどまったく同じなのだ。びっくりしたような、安心したような、呆れたような。
市民センターは、歩いて5分ほど。昼食の部屋に案内されると、教育長さん、センター長さん、父母の会の会長さん、社会教育課の方々が大歓迎してくださって恐縮。そしてその中に、台本作者の岡野さんや、当時職員だった濱田さん、岩手日報の杉田さんの懐かしい顔も見える。間もなく、遠野の音楽のリーダーである斉藤さんもやってきて、気分は一気に遠野モードに切り替わる。
12月6日の記事で、壊した話をした鍵は、無事に取り替えられた。
このタイプの鍵はピッキングに弱いから、最近はあんまり使っていないんですよねぇ・・・などと、担当の人は言っていたのに、同じ、それどころかドアノブは以前のまま、鍵穴の部分だけを交換するという節約対応。ウチのカイシャの貧乏ぶりをよく表しているとしか言いようがないではないか。
それはともかく、この鍵の一件以来、身の回りのものがよく壊れる。
週末、川崎の家で、卵焼きを作ったフライパンをシンクに置いたら、まだ熱かったようで、シンクにあったパットのようなものが溶けた。これはまぁ、私の不注意。
冷蔵庫に磁石でついていたキッチンタイマー、ちょっと触っただけだったのに落下。磁石の部分が折れた。不注意といえば不注意。輪ゴムで留めてある。
トイレの電気のスイッチがおかしい。うまく作動しないことがある。
これは不注意ではないぞ。
うーーーん。何か、壊しオーラでも出してるんだろうか、わたし・・・。
ところが今日、ついに大物がやってきた。
学外の会議に出て、午後遅く大学に着いて、駐車場に停めた途端に変な感触がしたと思ったら、車のキーが動かなくなった。
まもなくキーは抜けたが、その後、エンジンがウンともスンともプともピとも言わなくなってしまう。ディーラーに電話してみると、応急処置の仕方を教えてくれたけれど、それでもダメ。
ついに、JAFにご登場いただくことになった。わが生涯初。
40分後、いつも他人事として眺めていたお馴染みの青と白の車がやってきて、JAFの整備士さんは、1時間くらいいろいろ修復を試みてくれる。今日は夕方とても冷え込んだので、戸外の作業は寒かっただろうなぁ。
結局どうにも手に負えないということで、レッカー車が登場。すっかり暗くなった大学から、ページェント輝く街の修理工場まで連れられていってしまった。ドナドナの仔牛のように。
これも壊しオーラの続きか?どなたか、このオーラを振り払う方法か民間療法か経文なんかを、ご存知ないだろうか。
ずっとご無沙汰していた岩手県遠野市から、突然手紙が届きました。
遠野市民センターバレエスタジオ開設30周年記念公演で、「おしらさま」を再演するとのことなのです。
「おしらさま」は、このバレエスタジオのために、1981年に作曲したバレエ作品。当初は、遠野で楽器の弾ける人大集合!で、吹奏楽あり合唱あり、ギターやマンドリンありの二度と再現不可能な楽器編成でしたが、86年に大改訂して、2管編成の管弦楽に配置しなおして、東京と中国の北京でも上演されました。 その後、室内楽版も作りました。
初稿を書いたのは27歳だったのですね。これをきっかけに、私がしばらくの間「遠野」にハマっていたことを、古くからの友人はみな知っていると思います。
遠野市民センターバレエスタジオは、全国でも珍しい、市が運営するバレエスタジオです。プロの指導者が、東京から毎週通って指導にあたっていました。初演の頃は、まだ東北新幹線はなく、羽田から花巻空港へYS11で飛んだことや、ガタガタ揺れる東北本線特急で東京へ戻ってきたことを、よく覚えています。将来、仙台で大学の教師になるとは、夢にも思いませんでした。
「おしらさま」が一番最近再演されたのは10年前ですが、今回のことはこの手紙をもらうまで、何の連絡もなかったので驚きました。 ほぼ10年ごとに再演を重ねてもらえるのは、嬉しいことです。
12月23日(日) 午後1時30分開演 遠野市民センター大ホール
情報はこちら
↓
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予期せぬ出来事って、起きるものだな・・・。
昨日、学校の某部屋の鍵を開けて中に入り、ふと手に持った自分の鍵を見て仰天、目を疑った。
げっ!・・・もしかして・・・と思ったとおり、折れた先端は鍵穴の中に残ってしまった。
たしかに、前からちょっと開けにくい扉だった・・・と、同僚たちは言う。私の持っていた鍵が、やや曲がっていたこともわかっている。でも、無理にこじ開けたわけではなくて、力はほとんど入れなくても、抵抗なく回ったのに。
主任は、「カギ食い虫いるんだよ~、穴の中にぃ~。」とか言うし、Tルせんせは怯えて叫ぶ。日曜大工得意だったら直してもらおうと思ったのに。一緒にいたさとうやまなんか、mixiに記事書いてるし。
すぐに来てくれた施設課の人も苦笑。「このタイプのシリンダー、今はもう使ってないんですよね~。ピッキングとかにやられるから。」などとノンキなことを言われ、それを聞いたさとTせんせは、「んなこと言って威張ってないで、だったらさっさと取り替えろ~!」と怒っている。最近、忙しいものだから少々機嫌が悪いのである。
呆れて見とれてしまうほど、あまりにも見事な折れ方なので、写真撮ってみた。鍵穴に挿して回すと、ちゃんと鍵は動く。だから、この鍵でならば開閉できます。なお、防犯上、どこの部屋であるかは内緒。
作曲家の萩京子さん、寺嶋陸也さんと3人で、「緋国民楽派」という作曲グループとして、演奏会を始めてから20年が過ぎた。
グループのネーミングは、もちろん19世紀の「国民楽派」をもじったもので、見た目はどうということもないが、「ヒコクミンガクハ」と発音すると、少々やばい雰囲気が漂う。「非」ではなく「緋」なのだから、うろたえる必要はないのだが。
「結成」から20年も経つとは信じがたいけれど、最近では、私たちと親しい人々は、「今度ヒコクミンいつやるの?」などと物騒なことを、平気で聞いてくれるようになった。
20年で12回の演奏会というのはいささか少ないようだが、それぞれ自分の活動が忙しいし、演奏会を開くための元手だってゼロなわけだから、チケット収入だけを当てにしているようでは確実に赤字である。頻繁に演奏会を企てていては破産してしまう。そういう意味では、まずまず妥当な開催回数なのではないかなと思う。
20年を記念する年の企画として、チェロの作品を中心にしたプログラムを準備していた。チラシまで刷り上っていたのだけれど、ついに予定していた2人の新作が間に合わなくなってしまったために、チェリスト氏からは演奏会延期の要請を受けた。
どうしようか、会場キャンセルする?
メールや電話が飛び交ううちに、いつでも誰でも使えるわけではない東京文化会館小ホールの予約をみすみす取り消してしまうのは何とも惜しい、以前に3人で書いた「前奏曲集」をぼくが弾いてもいいですよ・・・と、唯一作品が間に合わなくなかった寺嶋さんが、まるで私たちの罰ゲームを引き受けるように申し出てくれて、企画内容は変更しながらも、演奏会は予定通り行われた。
11月21日(水)、東京文化会館小ホール。緋国民楽派第12回作品演奏会、「寺嶋陸也 プレイズ 36曲の前奏曲」。転んでも只では起きない「緋国民楽派」の面目躍如?
「以前に3人で書いた『前奏曲集』」というのは、1992年、志村泉さんに弾いただくために、それぞれがピアノのための「前奏曲」を12曲ずつ作曲した36曲。優れたピアニストでもある寺嶋さんは、準備期間が1ヶ月もなかったのに、そしてその1ヶ月の間だって決して暇ではなかったのに、36曲を見事に弾ききった。私たちにチケットを売り捌く余裕もなかったので、来てくださったお客様の数は決して多かったとは言えないが、稀有な演奏会になったことは間違いない。怪我の功名と言ったら、曲を落とした立場のくせに調子が良すぎるが、こういうことでもなかったら、36曲全部を寺嶋さんに弾いてもらおうなどという企画は決して出なかっただろう。
36曲のうち、寺嶋さんと私の12曲ずつはカワイ出版から楽譜が出版されている。萩さんの12曲も、近々同じ出版社が出版の準備をしてくれるそうだ。
ちなみに、当初の企画、チェロを中心とした演奏会は、いずれ仕切り直して計画する予定。今後とも、ヒコクミン、いや緋国民楽派をどうぞよろしくお願いします。
先月はコンサートのことなど、いろいろ書いておきたいことがあるのですが、あとから少しずつ書きます。
昨日、ひょんなことから、はらこ飯を食べに行くことになりました。いろいろ謎の多かった(?)はらこ飯ですが、何とその起こりは、仙台の南にある亘理というところの郷土料理なのだそうです。
そして、あのウィキペディアに詳しく書いてあったので、びっくりしました。「はらこ飯」で検索してみてください。
それによると、亘理は阿武隈川の河口の地域ですが、ここでは鮭の地引網漁が盛んで、大漁の祝いに振舞ったのだとか。知らなかった。
この地域には何軒か郷土料理のお店があるようですね。私が行ったのは、「田園亘理店」。日本食のファミリーレストラン風ですが、とても美味しかった!駅弁の「はらこ飯」もそれなりに美味しいと思うけど、やっぱりご飯が温かいのは嬉しい。ノリの味噌汁も美味でした。
もう少し後の季節になると、「ほっき飯」が始まるんだそうです。仙台から高速を使えば40~50分くらい。また行きたくなりそうです。
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