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2008年1月

2008年1月29日 (火)

ジョバンニはもういろいろなことで胸がいっぱいで

Photo 1月27日、山形の合唱団「じゃがいも」の、初めての仙台公演は無事終わりました。

仙台公演の話が持ち上がったのは、2005年に一緒に作った合唱劇「ポラーノの広場」の頃だったでしょう。あの、ちょっとわけがわからないけど楽しい「ポラーノ」を仙台で紹介できたらいいなぁと思いました。その後、話が急展開して「銀河鉄道の夜」を・・・ということになります。

きっきぃさん、シアターホールは客席が600もあるんだよ、山形側では仙台でそれだけのお客さんを集められる自信ないよ・・・とかいう話をしていたのがウソのよう!

年が明けた頃、すでにチケットがかなり出ている、もうこれからはあんまり売っちゃだめ!・・・という、何とも普通ではあり得ない指令が伝わってきました。

でも、話を聞いていると、こちらもだんだん不安になってきます。数年前に、某演奏団体がチケットを売りすぎて、当日入場をお断りすることになったという話など聞こえてきていましたから。そんな事態は避けなければ。

内輪の方々や、ごく近くなってチケットを買いたいと言ってくださった方々には事情をお話して、当日のリハーサルを観ていただくことにしました。

そして午前11時。リハーサルに立ち会う人数とは思えない、100人近くの方々が来てくださっていました。もちろん、リハーサルといっても、完全に本番と同様にやりました。出来は、本番と比べてもまったく遜色なかったと思います。

そして公演本番。14時30分の開場時間前から長い列ができていて、14時35分には客席が見た目かなり埋まった感じ。この勢いが開演時間まで続いたら・・・と考えるとちょっと恐ろしくなりましたが、溢れることなく、客席はほぼ満員で出発。チケットを買ってくださったお客さまをお帰しするようにことにならなくて、本当に良かった。

そして何よりも、こんなステキなことをやっている人たちがいるということを、仙台の皆さまに知っていただけたのが嬉しいです。そして、東京からもたくさんの方がわざわざ来てくださいました。

いろいろ寄せてくださったご感想や、私自身見聞きしたことなど、追々書きとめておきたいと思っていますが、まずはご来場いただいた皆さまに、厚く御礼申しあげます。

2008年1月26日 (土)

やっぱり冬

24日、昼過ぎにパラパラと降り始めた雪は、あっという間に積もって、暴風雪警報が出るまでになりました。

夜、山形に、じゃがいもの練習を聴きに行く予定だったのだけれど、Sさんからの「やめといた方がいいんでない?」という電話を受けて取りやめ。自分で運転して行くつもりは初めからなかったのですが、高速道路も一部不通ということで、バスの便がどうなっているかわからないし、そもそも大学のある山から仙台駅まで下りられるのか?・・・っていう話で。

夜8時過ぎ、強風が吹いて地吹雪みたいになっていたのが少しおさまったのを見計らって、恐る恐る車で山を下りました。まだ降り続いているところだから、かえって気温はそれほど低く感じないし、路面も凍ってはいませんでしたから、案外大丈夫でした。それでも一番急な坂のあたりは、のろのろ運転の車が数珠つなぎ。坂の途中では、何台もの原付が放置されてころがっているのを見ました。そこまで来て力尽きて諦めたのね。後で聞いたら、家に帰るまで通常の3倍以上とかの時間がかかった学生くんたちが多かったようです。

あ、私が帰る頃、きゃっきゃっ言いながら雪だるまだかかまくらだか作っていたやつらは、ちゃんと帰れたのか?

25日は、きれいに晴れたので、夜は山形に行きました。

この季節、この地域を自分で運転するのはおっかないので、高速バスで移動です。東北道から山形道に入って、県境の笹谷-関山峠に近づくと、やはり半端ではありません。しかも、マイナス6度の表示。わだちのできている高速道路って、見たの初めてかも知れない。

山形市内も、昨日の仙台の雪がどうのって言っているのがバカみたいというか、さすがというか、雪の量が違います。

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自動車からも信号機からも、つららが下がっています。雪の上や半分溶けて凍っているところ、黒光りするところなど、この季節の地面の歩き方、だいぶ慣れましたけれど。

今日の仙台、もう雪は溶けて、まったく見られません。・・・あ、大学のある山の雪は全然溶けてないけどね。

2008年1月22日 (火)

およそ2年に一度くらいのユウウツな日

19日と20日はセンター入試の監督。およそ2年に一度当番が回ってきて、他に比べるものがないくらいユウウツな日々である。

入試だから間違いがあってはいけない、慎重の上にも慎重を期して・・・というのは当然だ。それは一般入試だって同じこと。試験官が気難しいように見えるのは、受験生と同じくらいとは言わないが、それなりに緊張しているからなのである。

センター入試は全国統一テストだから、不平等があってはいけないことになっている。だから統一したマニュアルに添って進められる。私たちには百数十ページに及ぶマニュアルが渡され、何時何分にはこの「台詞」を言うようにと厳密に決められている。つまりこれは、試験官のための「台本」でもある。

マニュアルには、試験中に起こり得る出来事への対応方法も事細かに書かれていて、それに基づいて対処せよ、そのためにはマニュアルを熟読玩味して、咄嗟に正しい対応ができるようにせよと申し伝えられる。

試験中に地震が起きたら・・・などはまぁ良いとして、事細かな事例を、日常の仕事に忙殺されている中で完全に覚えるなんていうことは、到底出来っこない。例えば、「合格祈願 ○○天満宮」と書かれた鉛筆を使用しているのを発見した時はどうすれば良いかわかりますか?正解は、「使用させて良い。ただし、鉛筆に格言や和歌が書かれているものは使用不可」。ちなみに、机の上に「○○天満宮」のお守りを置くのはNG。

そんな調子で、どんな事例が起きても対応できるように、マニュアルはますます複雑化する。だが、思いもかけないことは起きるものであって、「近くの受験生の体臭が気になるから席を換えてほしい」という申し出があったらどうしたら良いかなど、これは実際私が数年前に言われたことだけれど、もちろんどこにも書かれていない。

水も漏らさぬ態勢を作ろうとしているのだろう、きっと。けれども「台本」には、英語リスニング試験の前、携帯電話を一度わざわざ机の上に置かせ、アラームを解除して電源を切るようにしつこく指示する「台詞」を発しているにも関わらず、伝えられているように、某大学では着信音のロックが鳴り響いたそうだ。こうなると「台本」は、「わたしは事前にちゃんと説明したもんね」という「保険」でしかない。

それにしても、どんなにしたってどこかで必ず何かが起こる英語リスニングが加わったことで、試験監督の負担感は倍増どころか三倍にも四倍にも増えた。水も漏らさぬようにしたから安心してくれと言っていたICプレーヤーは、私の隣の試験室でも不具合が出た。もうこれはお隣の災難で、当たらなくて良かったと思うしかない。

全国で百数十台の不具合が報告されたそうだけれど、五十数万人とかが受けているうちの百数十台なのだから、「こんなに低い確率だ、技術力の素晴らしさの勝利だ」くらいのことを言ったらどうだ。機械だから不具合ゼロというわけにはいくまい。原因究明して不具合ゼロにするなどと言うのは、最後の一人まで解明しますなどと「約束」した年金役所の言い方と同じじゃないか。

今年の、私たちの試験室の受験生くんたちは、本当に真剣な様子だった。病気や身体の不自由と戦いながら受験する人たちもいる。彼らの真剣な様子には頭が下がる思いだ。

だが、以前には、試験開始のブザーが鳴った途端に寝てしまう奴とか、すんませーん筆記用具持ってこなかったんスけどーなどと言ってのける、ハナからやる気のない輩どもがいたこともあった。受験率を上げるために、学校から無理矢理受けさせられているのである。

とにかくこの仕事をしていると、気になることや心配になることが山ほどある。

鉛筆を持ちなさい、置きなさい、次にこれをやりなさい、まだこれをしてはいけません、はい、では次にこれをやりなさい・・・と、読まれる「台本」に忠実に、言われたことにだけ手を動かす。その様子は、ある意味不気味だ。

国語に漱石の「彼岸過迄」から取られた問題がある。試験監督は暇だから、ゆっくり読む。その間、受験生くんたちはバラバラバラバラとせわしなくページを前後にめくっている。漱石の文体を味わう余裕などなく、ただ「名状しがたい」とはどういう意味かだけを考えるために、ポイントだけを押さえようとしているのだろう。そういう読み方も日常的に訓練されているのだろう。だが、せっかく感受性の高い青年たちが、文学作品をこういう読み方でいいのか?こういう読み方を強いていて、本離れだ文学離れだと嘆いてもはじまらないのではないか?

受験人数が減る科目もある。けれども、問題冊子と解答用紙は十分な予備を含めて用意される。かくして、受験人数と同じくらいの数の冊子が余ることもある。私たちの試験室だけでこんなに余っている、ウチの大学全体ではどのくらい余っただろう、全国では一体どのくらい・・・と考えると眩暈がしそうになる。間違ってもエコロジーの必要性を説く問題とか出すなよ。

叱られるかも知れないが(誰に?)、自分のところではこういう学生に入学してもらいたい、だからこういう試験問題を出す・・・というあたりまえのことを、ほとんどの大学が放棄してしまっている理由が、私はどうしてもわからないのである。たしかに統一テストは合理的だし、自前の試験をやるよりも公平性が保たれる(ような気がする)し、労力も少なくて済むだろう。しかしそれは結局、大学の「手抜き」ではないのか?

2008年1月14日 (月)

完売近し(?)・・・チケットの最終(?)ご案内

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いろいろなところでお知らせしていますが、合唱団「じゃがいも」のために書いた合唱劇『銀河鉄道の夜』の仙台公演が、1月27日にあります。

チケットは、主催者側からもうかなり出回っているそうで、もうあんまり無理して売らないでくださいと言われてしまいました。このままだと、完売ということもあり得そうです。

すでに予約してくださっている方には、今週お渡しします。まだ申し込んでいない方はお早めに、できれば今週中に声をかけてください。ここへのメッセージ、メール、私を直接つかまえるなどどんな方法でも構いません。今週は明日火曜日午後以降、毎日学校に行きます。

合唱団「じゃがいも」公演
合唱劇『銀河鉄道の夜』
1月27日(日)15時開演 
仙台市青年文化センター・シアターホール

じゃがいものホームページ

http://homepage2.nifty.com/jagaimo/

2008年1月12日 (土)

それから

Photo 父が逝ってから10日が経った。

7日間の忌引きの間は、さまざまな手続きのために奔走する。けれども、まだ少しも片づいた感じがしない。財産はないけれど借金もあるわけではないから、話はかなり単純なはずだが、やはり生きていくための多くの配線を複雑に身にからませながら、一人の人間として存在していたのだと思い知らされる。隠居の身とはいえ「一家の主」だったのだから尚更である。

できれば、生きているうちに身のまわりの配線をすべてきれいに外して旅立てれば良いのだろうけれど、なかなかそんなことはできない。後始末は、遺された者たちに委ねられることになる。

昔のように、いちいち御用聞きが集金に回ってくる時代ではないから、ライフラインの使用料などはすべて銀行引き落としで、ふだんは実に便利に暮らしているわけだけれど、ひとたびその根幹となる口座の立場が怪しくなると、その配線をひとつひとつ外して付け替えていかなければならない。その手間暇だけでも相当なものだ。この新聞の料金は、引き落としではなくて毎月集金に来ているよと聞いただけで、ほっとしたりする。しなければならない手続きがひとつ減るからである。

8日目から大学に出る。翌日には授業も再開した。ひと通り挨拶も終えて、溜まっている大学の仕事を片づけなければならないなぁと思うのだけれど、調子が出ない。

私より少しだけ年上のYさんが電話で、「頭で了解していても、身体がついていくまでには少し時間がかかるよ。」と言ってくれた。どうもそのとおりらしい。

食欲はあるし睡眠もやや不足気味ながら取れている。体調は悪くない。情緒不安定ということもない。けれども私の中に、やはりどこか言うことを聞かない器官があるかのようだ。これはきっと同様の経験をした誰でもが感じることなのだろう。私にとっては、暇ではないけれど超多忙というわけでもない時期だったということが、救いかも知れない。みんなが集まりやすい正月三が日の最後が命日になったことといい、「子孝行」な父だなぁと思う。

2008年1月 7日 (月)

父のこと~告別

父は、1月3日の朝、息を引き取った。

父の病気のことは、昨年10月から時々書いてきた。昨年6月ごろから体調を崩し、夏の猛烈な暑さにもやられて、10月初めにT病院に入院。そして、10月下旬からは徐々に徐々に弱っていった。その下降線のゆるやかなことは、私たちが父と一緒にいられる時間を少し作るから、いずれやってくる告別の時のことを覚悟しておきなさいよと言っているようだった。

根っからの仕事人間で、ギャンブルはおろか酒も煙草もやらず、趣味らしい趣味もなかったが、好奇心は旺盛で、退職してからは母と二人で海外旅行へ何度も出かけていった。70歳を過ぎてからパソコンをいじり始め、難しいことはできなかったけれど、楽しんでいる様子だった。

私が音楽を仕事にするようになってからは、クラシック音楽を熱心に聴くようになった。中でもお気に入りはベートーヴェンの交響曲で、とりわけ第九は、家の棚に少なくとも22種類のCDが並んでいる。私が子どもの頃にヴァイオリンを習っていた影響があるのか、ヴァイオリンの音楽も好きだったようだ。前橋汀子やムター、ムローヴァなどのディスクが目につく。そんなわけで、1月4日の通夜の前にはベートーヴェン「田園」(ワルター指揮)を、翌日の告別式の前には前橋さんのヴァイオリン小品集を、会場に流してもらった。また、ウィーンフィル・ニューイヤーコンサートのテレビ中継を楽しみにしていたことも思い出す。

近年父は、元旦の朝、お雑煮を食べてから、私たちと大須観音へお参りに出かけるのが習慣になっていた。信心からというよりも、正月の街に出てみたかったのだろう。観音様に参拝して、門前の商店街の電気店などを冷やかして、お汁粉を食べて帰るのが正月の楽しみだった。

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今年の元旦も、私たちだけでいつもどおり大須に行った。そして、「病気平癒」のお守りをもらい受けた。

夕方、そのお守りを持って病院に行く。回診の担当は若いK先生で、日を追うごとに脈が弱くなっていて厳しい状況ですと、気の毒そうな表情で告げた。翌1月2日、お見舞いに来てくれた医師であるS叔父は、呼吸が良くない、そろそろ覚悟しないといけないだろうと、私に耳打ちをした。父は、顎を上下させながら呼吸していて、それが尋常でないことは私にも了解できた。

1月3日、私たちが朝ごはんを食べ終えた頃、容態が悪いと病院から電話が入る。急いで駆けつけたが、9時23分、K先生と主治医のI先生によって臨終が確認された。実の父に向かうように、親身にお世話してくださっていたTさんに最期を看取ってもらった。Tさんは、新人の頃から先生にはすっかりお世話になりましたと言ってくださっているベテラン看護師さんだ。

入院が3ヶ月を越えると病院にはあまり都合が良くないという昨今の状況で、転院の話も聞こえてきていたが、入院してからちょうど3ヶ月目の最後の日だった。何て律儀な人だろう。

満87歳だが、数え年だと年を越したので89歳になるのだそうだ。何だか、急に二つも余計に歳をとってしまったみたいで、ちょっとかわいそうなような気がする。

正確な年数は聞いていないが、父は30年以上の間、このT病院に医師として勤めた。父の医師としての人生は、T病院一筋だった。産婦人科だから、時間を問わず、病院からの呼び出しがくる。夜中や明け方に、父が家を出て行ったり帰ってきたりした足音を、私は今でもよく覚えている。

晩年はいくつか病気をして、何箇所かの病院にお世話になったが、最後には、父のホームグラウンドであるT病院で、第二の家族のように思い信頼していたお医者様方、看護師の方々、事務スタッフの皆さんに大切にして頂き、見守られながら旅立つことができたのは、父にとって本望だったのではないかなと思う。

裏表のない人だったから、誰に対してもそうだっただろうと思うが、私たち家族にとっても、常に穏やかで優しい父だった。

どうもありがとう。さようなら。

(この稿は、告別式で行った喪主挨拶に手を入れて、書き留めておくものです。)

2008年1月 1日 (火)

謹賀新年

あけましておめでとうございます。

旧年中はいろいろとお世話になり、ありがとうございました。いろいろ至らないことやうまくいかなかったことも多々ありながら、皆さまのおかげで、何とかつつがなく(?)暮らしております。

それにしても、身の回りの方々の体調不具合を聞くごとに、健康の大切さをしみじみと感じるこの頃。あ、私は元気ですけどね。ホント、昔から言われるように、「命あってのモノダネ」ですから、無理、無茶を続けないようにしたいものです。

このブログを訪ねてきてくださっている皆さまのご健康をご多幸を、心よりお祈りいたます。

本年も、このブログともども、どうぞよろしくお願いいたします。

2008.元旦

きっきぃ@吉川和夫

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