19日と20日はセンター入試の監督。およそ2年に一度当番が回ってきて、他に比べるものがないくらいユウウツな日々である。
入試だから間違いがあってはいけない、慎重の上にも慎重を期して・・・というのは当然だ。それは一般入試だって同じこと。試験官が気難しいように見えるのは、受験生と同じくらいとは言わないが、それなりに緊張しているからなのである。
センター入試は全国統一テストだから、不平等があってはいけないことになっている。だから統一したマニュアルに添って進められる。私たちには百数十ページに及ぶマニュアルが渡され、何時何分にはこの「台詞」を言うようにと厳密に決められている。つまりこれは、試験官のための「台本」でもある。
マニュアルには、試験中に起こり得る出来事への対応方法も事細かに書かれていて、それに基づいて対処せよ、そのためにはマニュアルを熟読玩味して、咄嗟に正しい対応ができるようにせよと申し伝えられる。
試験中に地震が起きたら・・・などはまぁ良いとして、事細かな事例を、日常の仕事に忙殺されている中で完全に覚えるなんていうことは、到底出来っこない。例えば、「合格祈願 ○○天満宮」と書かれた鉛筆を使用しているのを発見した時はどうすれば良いかわかりますか?正解は、「使用させて良い。ただし、鉛筆に格言や和歌が書かれているものは使用不可」。ちなみに、机の上に「○○天満宮」のお守りを置くのはNG。
そんな調子で、どんな事例が起きても対応できるように、マニュアルはますます複雑化する。だが、思いもかけないことは起きるものであって、「近くの受験生の体臭が気になるから席を換えてほしい」という申し出があったらどうしたら良いかなど、これは実際私が数年前に言われたことだけれど、もちろんどこにも書かれていない。
水も漏らさぬ態勢を作ろうとしているのだろう、きっと。けれども「台本」には、英語リスニング試験の前、携帯電話を一度わざわざ机の上に置かせ、アラームを解除して電源を切るようにしつこく指示する「台詞」を発しているにも関わらず、伝えられているように、某大学では着信音のロックが鳴り響いたそうだ。こうなると「台本」は、「わたしは事前にちゃんと説明したもんね」という「保険」でしかない。
それにしても、どんなにしたってどこかで必ず何かが起こる英語リスニングが加わったことで、試験監督の負担感は倍増どころか三倍にも四倍にも増えた。水も漏らさぬようにしたから安心してくれと言っていたICプレーヤーは、私の隣の試験室でも不具合が出た。もうこれはお隣の災難で、当たらなくて良かったと思うしかない。
全国で百数十台の不具合が報告されたそうだけれど、五十数万人とかが受けているうちの百数十台なのだから、「こんなに低い確率だ、技術力の素晴らしさの勝利だ」くらいのことを言ったらどうだ。機械だから不具合ゼロというわけにはいくまい。原因究明して不具合ゼロにするなどと言うのは、最後の一人まで解明しますなどと「約束」した年金役所の言い方と同じじゃないか。
今年の、私たちの試験室の受験生くんたちは、本当に真剣な様子だった。病気や身体の不自由と戦いながら受験する人たちもいる。彼らの真剣な様子には頭が下がる思いだ。
だが、以前には、試験開始のブザーが鳴った途端に寝てしまう奴とか、すんませーん筆記用具持ってこなかったんスけどーなどと言ってのける、ハナからやる気のない輩どもがいたこともあった。受験率を上げるために、学校から無理矢理受けさせられているのである。
とにかくこの仕事をしていると、気になることや心配になることが山ほどある。
鉛筆を持ちなさい、置きなさい、次にこれをやりなさい、まだこれをしてはいけません、はい、では次にこれをやりなさい・・・と、読まれる「台本」に忠実に、言われたことにだけ手を動かす。その様子は、ある意味不気味だ。
国語に漱石の「彼岸過迄」から取られた問題がある。試験監督は暇だから、ゆっくり読む。その間、受験生くんたちはバラバラバラバラとせわしなくページを前後にめくっている。漱石の文体を味わう余裕などなく、ただ「名状しがたい」とはどういう意味かだけを考えるために、ポイントだけを押さえようとしているのだろう。そういう読み方も日常的に訓練されているのだろう。だが、せっかく感受性の高い青年たちが、文学作品をこういう読み方でいいのか?こういう読み方を強いていて、本離れだ文学離れだと嘆いてもはじまらないのではないか?
受験人数が減る科目もある。けれども、問題冊子と解答用紙は十分な予備を含めて用意される。かくして、受験人数と同じくらいの数の冊子が余ることもある。私たちの試験室だけでこんなに余っている、ウチの大学全体ではどのくらい余っただろう、全国では一体どのくらい・・・と考えると眩暈がしそうになる。間違ってもエコロジーの必要性を説く問題とか出すなよ。
叱られるかも知れないが(誰に?)、自分のところではこういう学生に入学してもらいたい、だからこういう試験問題を出す・・・というあたりまえのことを、ほとんどの大学が放棄してしまっている理由が、私はどうしてもわからないのである。たしかに統一テストは合理的だし、自前の試験をやるよりも公平性が保たれる(ような気がする)し、労力も少なくて済むだろう。しかしそれは結局、大学の「手抜き」ではないのか?
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