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2008年1月 7日 (月)

父のこと~告別

父は、1月3日の朝、息を引き取った。

父の病気のことは、昨年10月から時々書いてきた。昨年6月ごろから体調を崩し、夏の猛烈な暑さにもやられて、10月初めにT病院に入院。そして、10月下旬からは徐々に徐々に弱っていった。その下降線のゆるやかなことは、私たちが父と一緒にいられる時間を少し作るから、いずれやってくる告別の時のことを覚悟しておきなさいよと言っているようだった。

根っからの仕事人間で、ギャンブルはおろか酒も煙草もやらず、趣味らしい趣味もなかったが、好奇心は旺盛で、退職してからは母と二人で海外旅行へ何度も出かけていった。70歳を過ぎてからパソコンをいじり始め、難しいことはできなかったけれど、楽しんでいる様子だった。

私が音楽を仕事にするようになってからは、クラシック音楽を熱心に聴くようになった。中でもお気に入りはベートーヴェンの交響曲で、とりわけ第九は、家の棚に少なくとも22種類のCDが並んでいる。私が子どもの頃にヴァイオリンを習っていた影響があるのか、ヴァイオリンの音楽も好きだったようだ。前橋汀子やムター、ムローヴァなどのディスクが目につく。そんなわけで、1月4日の通夜の前にはベートーヴェン「田園」(ワルター指揮)を、翌日の告別式の前には前橋さんのヴァイオリン小品集を、会場に流してもらった。また、ウィーンフィル・ニューイヤーコンサートのテレビ中継を楽しみにしていたことも思い出す。

近年父は、元旦の朝、お雑煮を食べてから、私たちと大須観音へお参りに出かけるのが習慣になっていた。信心からというよりも、正月の街に出てみたかったのだろう。観音様に参拝して、門前の商店街の電気店などを冷やかして、お汁粉を食べて帰るのが正月の楽しみだった。

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今年の元旦も、私たちだけでいつもどおり大須に行った。そして、「病気平癒」のお守りをもらい受けた。

夕方、そのお守りを持って病院に行く。回診の担当は若いK先生で、日を追うごとに脈が弱くなっていて厳しい状況ですと、気の毒そうな表情で告げた。翌1月2日、お見舞いに来てくれた医師であるS叔父は、呼吸が良くない、そろそろ覚悟しないといけないだろうと、私に耳打ちをした。父は、顎を上下させながら呼吸していて、それが尋常でないことは私にも了解できた。

1月3日、私たちが朝ごはんを食べ終えた頃、容態が悪いと病院から電話が入る。急いで駆けつけたが、9時23分、K先生と主治医のI先生によって臨終が確認された。実の父に向かうように、親身にお世話してくださっていたTさんに最期を看取ってもらった。Tさんは、新人の頃から先生にはすっかりお世話になりましたと言ってくださっているベテラン看護師さんだ。

入院が3ヶ月を越えると病院にはあまり都合が良くないという昨今の状況で、転院の話も聞こえてきていたが、入院してからちょうど3ヶ月目の最後の日だった。何て律儀な人だろう。

満87歳だが、数え年だと年を越したので89歳になるのだそうだ。何だか、急に二つも余計に歳をとってしまったみたいで、ちょっとかわいそうなような気がする。

正確な年数は聞いていないが、父は30年以上の間、このT病院に医師として勤めた。父の医師としての人生は、T病院一筋だった。産婦人科だから、時間を問わず、病院からの呼び出しがくる。夜中や明け方に、父が家を出て行ったり帰ってきたりした足音を、私は今でもよく覚えている。

晩年はいくつか病気をして、何箇所かの病院にお世話になったが、最後には、父のホームグラウンドであるT病院で、第二の家族のように思い信頼していたお医者様方、看護師の方々、事務スタッフの皆さんに大切にして頂き、見守られながら旅立つことができたのは、父にとって本望だったのではないかなと思う。

裏表のない人だったから、誰に対してもそうだっただろうと思うが、私たち家族にとっても、常に穏やかで優しい父だった。

どうもありがとう。さようなら。

(この稿は、告別式で行った喪主挨拶に手を入れて、書き留めておくものです。)

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コメント

ずっとお父様の記事を読んでいたのでビックリしました。

いつかは必ずやってくるお別れの時。
次に会ういつかまで、私たちはこの世界を一生懸命まっとうし、そしてお父様達にはむこうの世界で楽しくやっていてもらいたいですね。

寂しいことと思いますが、吉川さんの文章からはすごくあたたかいものを感じました。
お父様のご冥福を心よりお祈りいたします。

先生、いろいろと大変でしたね。
お父様のご冥福を心よりお祈り申し上げます。

お父様の御冥福を、心よりお祈り申し上げます。

昨年、アルツハイマーだった私の祖母が満88歳にて他界いたしました。
祖父は人前で涙も見せず、気丈に振る舞っておりました。
喪主の父はてんてこまいでした。
一番役たたずで泣き喚いていたのが私でした。

すべて終わって祖父宅に戻った時、祖父が祖母の写真を見て、「なんだいつも笑ってばかしいて」と、ぽつりとつぶやいたことは一生忘れません。

…静かに息を引き取られたとのことが、なによりです。

(うまく文章まとめられなくてごめんなさい)

先生、ご愁傷様でした。素敵なお父様でいらっしゃんたのですね。

お辛いでしょうけれど、どうぞ気落ちなさいませんように。先生ご自身の健康にもお気をつけください。

お父様のご冥福をお祈りします。

みなさん、お悔やみメッセージをありがとうございます。

今日まで忌引きをいただきましたが、明日から少しずつ復帰するつもりです。

それにしても、人が亡くなるということは(逆にいえば、人が生きていくということは)いろいろなことがまとわりついていることなのだなぁと思います。後始末を始めていますが、もうそれはそれは大変!役所とか銀行とか郵便局とか役所とか役所とか役所とか・・・。数ヶ月から半年くらいはかかりそうです。

きっきぃ様。今年もよろしくお願いします。
お父様のこと、もちろん直接は存じ上げないのですが、きっきぃ様のここでの文章や、きっきぃ様ご本人をとおして、とってもお人柄が伝わってきます。

1月5日に、今年97歳になる祖母を病院に見舞いました。半分眠っているような、半分起きているような、そんなうつらうつらした状態で過ごしているのですが、たまにしゃっきりした事を云います。母が「nanakoは今劇団で働いているのよ」と言うと、「ちゃんと役に立っているの?」と言われました。あはは。
シミひとつなく、しわもほとんどなく、すべすべつやつやした顔を持つ祖母。本当にこの顔が戦争を生き抜いてきたのか、と思うほどです。
かくしゃくとしていた頃には、本当によく全力で本気のけんかをしましたが、彼女のこの顔を見ると、なんだかあらがえないものを感じ、ずるいじゃん、とか思ったりします。
次の2月公演にはいらしていただけそうでしょうか?どうぞいろいろご無理なさらないように。

>nanakoさん
お祖母さま、素晴らしいですねぇ。ただ、「役に立っている」どころか、nanakoさんの力があるからこそ、様々なことがきちんと動いていますよと、教えて差し上げたいです(笑)。
それにしても、人間85歳も過ぎると、別の生きものに変わるような気がしますね。ずるいじゃん!という感じ、とてもよくわかります。お祖母さま、いつまでもお元気でいらっしゃることをお祈りせずにはいられません。
2月公演、楽しみにしていますね!お忙しいことと思いますが、体調崩されませぬよう。

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