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2008年4月

2008年4月28日 (月)

マイルス本の耐えられない(?)厚さ

現代芸術論Aという授業、今年は半期をかけて「マイルス・ディヴィス」だけを聴いてもらうというプランを立てた。以前から一度やってみたかったのだ。

おぉ、何という偏った内容!大学の授業たるもの、独断偏見を排除してもっと多角的総花的になるよう内容を精査すべきである・・・な~んて言われそうだな。

バカ言うんじゃない、な~にが、ふぁかるてぃ・でぃべろなんとかだ。少なくともジャズというフィールドを見渡そうとしたら、結局マイルスにたどり着くのだし、ジャズのみならず、フュージョンやロック、レゲエやラップ、ヒップホップサウンドに至るまで、非クラシック音楽の多様な面に接近できる可能性を、マイルスは持っているのだ。もっとも、結果的にはマイルス以外のミュージシャンに焦点を当てる時間も多いと思うけれど。

そんなわけで調べてみたら、家にはマイルスのCD、レコードが50枚くらいあることがわかった。とりわけマイルス狂いというつもりもなかったのに、いつの間にかそんなことになっていたのか・・・。でも、マイルスのディスクはブート盤などを含めると300とか400とかいう数字になるそうだから、大したことはない。

そして、授業の準備には多少本を読んだりもしなければならぬ。いや、ならぬことはないが、やはり興味深いミュージシャンなのだから、読んでみたいと思う本が多いのだ。

ところが、ここに立ちふさがる問題。マイルス本は、どうしてこんなに厚いのだろう。

新書の2冊、『マイルス・ディヴィス ジャズを超えて』(中山康樹著、講談社現代新書)の228ページ、『マイルス・デイヴィス完全入門』(中山康樹著、ベスト新書)219ページや地球音楽ライブラリー『マイルス・デイヴィス』(TOKYO FM出版)221ページは、ごく手頃なページ数だ。

マイルス語録である『マイルスに訊け』(中山康樹著、イーストプレス)167ページ、『マイルスからはじめるJAZZ入門』(後藤雅洋著、彩流社)190ページ、『定本マイルス・デイヴィス』(ジャズ批評ブックス)267ページ、恐れることはない。

『マイルス・デヴィスの芸術』(平岡正明著、毎日新聞社)397ページは、できればじっくり読んでおきたいし、『マイルス』(ビル・コール著、諸岡敏行訳、晶文社)は本文197ページに逆側から開く資料109ページがついて、しかしこの2冊とも見た目にはごく普通のハードカバーの体裁。

『マイルス・デイビス自叙伝』(マイルス・デイビス、クインシー・トロープ著、中山康樹訳、宝島社文庫)は、とても面白いし真っ先に読むべき本だが、Ⅰ、Ⅱの2冊に分かれていて、それぞれが350ページ以上ある。

ちょっとびっくりするのは、最近出た『M/D マイルス・デューイ・デイヴィスⅢ世研究』(菊地成孔、大谷能生著、エスクァイア・マガジン・ジャパン)770ページ。小ぶりの版なので、本屋に並んでいると厚みが際立つ。厚いわりにはそれほど重くない(内容がではなく、目方が)のがせめてもの救い。

そして、極め付きは『マイルスを聴け』(中山康樹著)である。1992年に径書房から出た『マイルスを聴け!!』は340ページのハードカバーで瀟洒な装丁。初版を手に入れてからずっと愛読・・・というか参考にさせてもらっていた。

その後ヴァージョンアップを重ね、現行版は『マイルスを聴け!version7 』。なぜか「!」がひとつになり、双葉社文庫で975ページ!文庫で1,000ページに迫ろうかという厚さは京極夏彦と双璧。天晴れというかなんというか。

ここに挙げた以外にも、マイルス本はたくさん出版されている。その内容は入門書から伝記、研究書まで様々だ。ともすると、マイルス本が肥大する傾向があるのは、やはりマイルスの音楽にそれだけ論じるべき内容が多いということだろう。それは理解できる。しかし、新幹線移動の多い私などにとって、厚い本を何冊も持ち歩くのは、なかなか辛いものがあるのである。

2008年4月26日 (土)

なごやのなぞ

その1 あんかけスパゲッティ

Photo なごやの異形の食べ物といえば「みそかつ」と言われます。でも、この「あんかけスパゲッティ」の方が、知名度は低いけれど、異形度は高いような気がします。

ここでの材料はナス、ピーマン、キャベツ、ベーコン、ソーセージなど、とり立てて珍しいものではありません。太めの麺は炒めてあります。そして、まわりのソースは、デミグラスソースのように見えるかも知れませんが、そんなはずはない。そう!赤味噌ソースなのです!

1960年代から始まった料理だそうですが、すみません、私はこのたび初めて食べました。しかも、某有名シティホテルのカフェレストランだったので、発祥の店を標榜しているところとは、だいぶ違うんだろうなと思います。

なんだそりゃぁ~と言うあなた。あんかけスパゲティは、ウィキペディアにも記事があるのです。

『野菜トッピングは「カントリー」、ソーセージ、ベーコン等の肉類トッピングは「ミラネーゼ」と呼び肉と野菜の両方盛りは「ミラネーゼ」と「カントリー」の頭文字を足して「ミラカン」と呼ぶ店が多い。』(ウィキペディア「あんかけスパゲティ」より)

・・・なんだそりゃあ~・・・。

ちなみに、この某有名シティホテルのカフェレストランにはなごや料理のメニューがいくつかあります。また、このホテルにあったかどうか忘れましたが、なごやには「スパゲッティ イタリアン」というなぞのメニューがあります。玉子焼きが敷いてある上に、いわゆるナポリタンスパゲティが乗っているのです。皿は鉄板で玉子がじゅうじゅういってたりします。

ちなみに、某老舗みそかつ屋さんの「鉄板とんかつ」は鉄板の上でキャベツがじゅうじゅういってるし、某老舗味噌煮込みうどん屋さんでは、ぐつぐつ煮立っているので、皿に取り分けなければ、とてもじゃないが熱くて食べられません。

なごや料理にじゅうじゅうぐつぐつが多いのはなぜだろう?

ちなみに、「スパゲティ」ではなく「スパゲッティ」と書くべきという気がしますね。なごや料理では。

その2 ミュー

なごや市街と中部国際空港セントレア(思わず、訛って「せんとりゃぁ」と言いたくなる)を結ぶ名鉄電車のアクセス鉄道には、ミューという特別車があります。この、疲れてダメダメな猫の鳴き声みたいな名前の列車は、ちょうど成田エクスプレスのような感じで、なかなか快適ではあります。

Photo_2座席前のテーブルの上には、「チケットホルダー↑」と書かれた切れ込みが。この写真のようにチケットを挟んでくださいということなんでしょう。チケットをポケットとかに入れて失くすなよということなのかも知れませんね。ご親切に。

せっかくだから挟んでみましたが、何となく落っこちそうだし、かえっていずい(注:仙台ことばで居心地の悪いこと)ので、すぐポケットにしまいました。降りるとき忘れそうだし。使う人いるのかなぁ・・・。

1 その3 なぞの旅人

「なぞの旅人フー」と書かれた幟が、中部国際空港構内のあちらこちらで見られます。

それだけしか書いてないから、かなりなぞです。動物なのか植物なのかもよくわからない。なんだろねと思いながら、ショップのフロアに行ってみたら・・・いましたね。

2 デカイのが。

でも、デカくなっただけで、相変わらず何なのかはよくわかりません。この空港のキャラクターであることはわかりましたが。そして、ホームページを見ると、他にも犬や猫や鳥や雲などのキャラクターがあることもわかりました。でもやっぱりよくわかりません。フーさんが何なのか。

なぞの多い街の入り口ですから、なぞのままで構わないですけれどね。

2008年4月20日 (日)

納骨の日

晴天。

09:50 父のお骨やお供えなどを乗せた車で、名古屋の自宅を出発。母は、親戚の人たちと一緒に新幹線で行くと言い張る。私の運転が信用できないのだろう。

10:20 名古屋インターから東名高速へ。新緑がとても美しい。仙台の、まだ春になりきっていない空を見慣れていると、この緑は眩しい。一ヶ月くらい季節を先取りしている感じだ。

11:30 走行は順調、浜名湖PAに立ち寄る。

Pa まだ連休には間があるものの、よく晴れた日曜日、PAは混雑している。

Photo_2 うなぎ串350円、きも串250円。屋台で焼く匂いにつられる。肉厚で柔らかく美味しい。

Photo_3

浜名湖は穏やかで、初夏のたたずまい。

12:10 目的のお寺に到着。荷物を降ろして一段落ついたころ、最寄り駅に着いた母たちから、タクシーが来ないと連絡が入る。この街の地理はよくわからないが、地図を片手に、車で迎えに行く。今日はこのお寺の近くにあるスタジアムで、Jリーグの試合が行なわれる。サポーターがスタジアムに向かっているのを見かけるが、関東などに比べると出足が遅いように思う。

13:00 会食を取りながら、親戚のHさんが、自分で書いた詳細な家系図を示しながら、わが家の祖先の人々について話してくれる。高齢のHさんがいなくなったら、誰にもわからなくなるだろう。

13:50 スタジアムからは、放送が一段と大きく響いてくる。何を言っているかは聴き取れないが、キックオフ直前のムードは盛り上がっている。

14:20 お坊様の読経が始まる。ナムアミダブツの間に、スタジアムの歓声が聞こえてくる。

15:10 墓所。昨日私が戒名を書いておいた白いサラシの袋に、父のお骨を移す。石屋さんが目地を切っておいてくれているので、墓石はすぐに動いて、袋はお墓の中に納まった。

お骨箱は、燃えるものと燃えないものとに分けて、墓地の中のゴミ箱に捨てておいてください、できれば壷は小さく割って捨ててもらえるとありがたいそうです・・・と、お坊様は言う。惜しげもなく単なるゴミとして扱われることにとまどっている私を尻目に、伯母は、木箱を壊し、壷をつつんであった布に入れて、コンクリの側溝に打ち付けて割る。壷は破片となって、不燃ゴミ入れのかごの中に落ちる。誰もが結局感謝する伯母のこの如才なさは、気の毒にも時として眉をひそめられたりもする。

15:15 墓石を清めるための水をもう少し汲んでこようとした時、嵐のような雷のような轟音が響く。ゴールが決まったな。何かが爆発したようなこの大歓声は、ホームチームの得点に違いない。始まりかけた母の嘆き節も、応援の太鼓と歌にかき消される。

15:15 後半9分、ジュビロ磐田・萬代選手が、先制した大分に対して同点ゴールを決める。

15:50 お寺を出発。試合はまもなく終わるだろう。

16:30 再び浜名湖PA。今度は同乗した母は、スターバックスでキャラメル・マキアートを飲む。

17:20 おや?と思っているうちに、三ケ日あたりから渋滞が始まった。岡崎付近、豊田付近と自然渋滞は断続的に続き、延々とのろのろ運転になる。往路は順調だったのに、今度は思いのほか時間がかかる。

18:30 ようやく名古屋インターを通過。途中の地下鉄駅で、同乗していた父の従妹であるWさんが降りる。お疲れの表情。車に乗っていきませんかと声をかけたのが、こんなに時間がかかってしまっては、かえって申し訳なかったかな。

19:00 名古屋の家に到着。仏間代わりの座敷は、何だかがらんとしている。

Img_0527

翌日夕方の中部国際空港展望デッキから見た伊勢湾と夕日。

父は、写真と記憶の中だけの人となった。

2008年4月19日 (土)

一目千本桜

仙台から東北本線で南へ30分ほど、船岡駅の手前あたりから、桜並木が見えてきます。この季節、付近を走る列車は、景色を楽しめるようにと、速度を落として運行します。

白石川に沿ったこの桜並木は「一目千本桜」と呼ばれ、「日本の桜100選」にも選ばれているそうです。ひとつ先の大河原駅で降りて、船岡方面に戻りながら、川の堤を歩いてみることにしました。

大正12年、高山開治郎という人が、一千本のソメイヨシノを植樹したのがはじまりとのこと。現在桜並木は7キロにわたり、二千本以上が一斉に花を咲かせています。程近い船岡城址公園の桜もよく知られています。

1_2 大河原駅近くの河川敷には、屋台やちょうちんがならんで、お決まりの「さくら祭り」風景。(写真はクリックすると大きく表示できます。)

しかし、少し歩いていくと、宴会客の姿はなくなり、そぞろ歩く人たちと行き違うだけで、ざわついた感じはまったくなくなります。2 目の前は、どこまでも続いていくソメイヨシノの花トンネル。

大河原から船岡までは約3.5キロ。歩くと50分くらい。川をはさんで対岸も見事な桜並木、そして振り返るとまだ雪をかぶっている蔵王連峰が見えます。この日は薄曇りだったので、写真でははっきり見えないのがちょっと残念。

4 3 韮神堰というのだそうです。左奥に薄っすらと見えるのが蔵王。撮影ポイントとなっています。

ちょっと息抜きに・・・と、ひとりでぶらりと出かけたのですが、ちょうど一番の満開の日だったようです。何とも贅沢な散歩でした。おそらく、この週末の雨と風で散ってしまうでしょう。

5 停車?

2008年4月12日 (土)

東儀兼彦氏を悼む

篳篥の東儀兼彦さんが3月25日に亡くなられて、4月2日、告別式に参列した。築地本願寺。

1977年、まだ学生だった私たちは、国立劇場の雅楽公演「LICHT-HIKARI」初演に、裏方として参加することになった。作曲者シュトックハウゼンは、ドイツの前衛作曲家として日本でも大変よく知られていたから、この公演は日本の音楽界にとって大きな「事件」だった。

「LICHT-HIKARI」初演をめぐる毀誉褒貶について書くのは、機会を改めよう。私にとって、そしてその後しばらくの間私と同じように雅楽への接近が続くことになる友人の作曲家・菅野由弘にとっても、シュトックハウゼン以上に、この時の雅楽楽師の方々との出会いは、重要なできごとだったと思う。

伝統を受け継ぐリーダーとしての矜持のためか、いささか気難しくも見え、しかし時として親分肌で人なつっこい笑顔を見せてくださった笙の多忠麿先生、飄々として謙虚でいながら、ひとたび龍笛に息を吹き込むと、恐ろしいほどの存在感ある音色を立ち上がらせる芝祐靖先生、そして兼彦先生が、当時の宮内庁楽部のホープだった。

兼彦先生の篳篥は、揺るぎなく堂々としていて、その安定感にはいつも圧倒された。だがある時、「縒合という曲はね、静かに吹くの。こんなふう。」とおっしゃって一節聴かせてくださったそのピアニッシモの音色の、何と繊細で美しかったことか!

兼彦先生は、とても気さくなお人柄で、冗談交じりでお話していると、秦河勝を始祖とする楽家の52代目で、こんなことでもなければ決してお知り合いになれたりしない方であることなど忘れてしまいそうだった。正確なお年は知らなかったが、当時の私の年齢から考えると、40歳前後でいらっしゃっただろうと思われる。

今40歳という年齢を考えると、当時の先生方はとても落ち着いておられ、大人の風格をお持ちだった。そして、雅楽といえば越天楽くらいしか知らない若造の作曲学生のくせに、最高の雅楽演奏家の方々のそばで、練習や演奏を聴かせていただいたり、時には作曲したものを演奏していただけたりしたのは、何て幸せなことだっただろう。兼彦先生には、雅楽の唱歌を教えていただいたこともあった。

そして、本当に一流の人たちは、決して偉ぶったり威張ったりしないのだということを、兼彦先生をはじめとする当時の本当の大人の方々から学んだ。

忠麿先生は思いがけなく早世され、芝先生は楽部を辞して伶楽舎を率いての活動が中心となる。私たちも国立劇場の仕事から遠のいた。兼彦先生は、2000年から3年間、宮内庁楽部の主席楽長も勤められたということだが、残念ながら、近年はお目にかかれる機会がなく、年賀状をやりとりするだけだった。ご病気になられたが克服されたとも聞いていただけに、本当に残念なことである。享年70歳は早すぎる。

告別式で献奏をされた宮内庁楽師は、すっかり世代交代して、若い方々ばかりになっていた。光陰矢のごとし。

謹んでご冥福をお祈りいたします。

2008年4月 5日 (土)

等々力今期初参戦

J1第5節、川崎フロンターレ対京都サンガ戦。

1 等々力の桜はもうだいぶ散っている。フロンターレは開幕ダッシュに失敗して、初戦引き分けの後、第2節とナビスコカップ予選2試合を落とし、第3節で初勝利、第4節も勝って、ようやく調子が上がってきた気配。

2フロンターレのサポーターは概ね紳士的だ。負けが続いても、よほどのことがないとブーイングしない。他所のチームには、罵詈雑言を浴びせかけることが応援であり愛情であると考えるサポーターもいるようだが、フロンターレサポの多くはそんなふうには考えないようだし、そういうことは滅多に起こらない。

放送で、「(相手チーム)サポーターの皆さん、今日は遠くから等々力まで、ようこそいらっしゃいました」などと流れると、盛大な拍手が起こる。移籍でチームを出て行った選手に対しても同様。柏戦で石崎監督が紹介されたときの大拍手は、ちょっと感動的だった。かつてこのチームは石崎監督に大きく育ててもらったことに敬意を表しているのである。

試合前のイベントでは、「川崎市民の歌」を歌うようになっていた。この歌のメロディー、川崎市民の多くは知っている。ゴミ収集車がこの曲をオルゴールで鳴らしながらやってくるからだ。歌詞は一般公募とのことで、作曲は山本直純さん。

初めのうち、市民の歌と知らなかったから、なんだか暗い不思議な音楽を流してるなぁと思っていた。短調なんですよ。そして、途中から同主長調に転調する。昭和初期の流行歌とかにあるかたちですね。「東京ラプソディ」とか。歌ってみると、歌詞に対してメロディーがとてもうまく作られていることがわかる。さすがプロの職人仕事だなぁ。

フロンターレの試合を観に来る人、フロンターレサポーターは川崎市民だけではないのだから、市民の歌を歌うのはいかがなものかという議論もあるらしい。いいじゃないの、覚えてもらって一緒に歌えば。いい歌なんだから。歌いたくない人は歌わなければいい。歌うときに起立させられるわけでもないし、起立しなかったからといって処罰されるわけでもないんだから。

3 夕方の試合。風があって、途中からはずいぶん寒くなった。試合は、1-0で惜敗。終始押し込んで、何度もチャンスがあったのだけれども、点を奪うところで決めきれなかった。うーん・・・残念。でも、憲剛選手や大橋選手を中心に、ボールはよく回り、迫力のある攻めが見られて楽しかった。

試合中、大きな声で野次っていた人たちも、最後はバックスタンドまで挨拶に来た選手たちに向かって、大きな拍手をおくっている。さぁ、次は勝とう!

2008年4月 3日 (木)

火曜日と木曜日の晩ごはん

4月1日、ふとしたはずみで、ブラジル料理を食べに行くことになった。神保町のこじんまりしたお店。

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シュラスコという、ブラジル風バーベキュー。 牛ランプ肉、豚スペアリブ、鶏のハツなど、いろいろな肉を焼いたものの盛り合わせ。ソーセージはスパイシーでしっかりした味付けがしてある。

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フェイジョアーダ。黒豆のシチューで、ライスにかけて食べるのが美味しい。 ただ、運ばれてきたときはギョッとする。見た目は完全にぜんざいなのです。でも、肉も入っているし、塩味がついている。

ノバスキンというブラジルビールは、意外に普通。ふだん飲んでいるものと違和感はない。ブラジルのお酒ピンガも飲む。ピンガはさとうきびから作った蒸留酒。カシャッサともいうそうだ。ラム酒のような泡盛のような、とても口当たりの良い、危険なお酒だ。

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4月3日は、ふとしたはずみではなく、計画的に新筍の炭火焼きを食べに行った。仙台は稲荷小路のお店。

この時期しか食べられないメニュー。皮をむきながら削ぐように食べる。春らしい渋みと甘みがうれしい。

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