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2008年5月

2008年5月31日 (土)

藤原真理 チェロ名曲コンサート

神奈川の家の近くで、藤原真理さんのコンサートがあったので聴きに行く。麻生文化センター。ピアノは、誘ってくれた倉戸テルさん。

藤原さんのコンサートは、2006年の5月に盛岡で聴いて以来である。その時の印象を、藤原さんのチェロは、「音の生まれるところから『まっすぐに』伸びてきて、私たちの耳に心に届く」と、このブログに書いた。2年後の今回も、その印象はまったく変わらない。というより、より率直に、より「まっすぐに」語りかけられているように感じる。藤原さんの境地がまたひとつステージアップしたのかも知れないし、藤原=倉戸コンビの成熟かも知れない。テルさんのピアノは、出すぎず引っ込みすぎずの名サポートだ。私は、昨年、チェロのための作品を書き損なったのだが、藤原さんの音を聴いていると、そのことがとても悔やまれた。

プログラムは、バッハ「アリオーソ」(BWV156より)、マルチェロ「アダージョ」、バッハ「無伴奏組曲第3番」から、サンサーンス「白鳥」、フォーレ「シチリアーノ」「夢のあとに」、ラフマニノフ「ヴォカリーズ」と、前半には(無伴奏組曲を除けば)いわゆる名曲の小品が並ぶ。後半は、シューベルト「アルペジオーネ・ソナタ」があって、ウェーベルン「3つの小品」op.11、最後がカタロニア民謡「鳥の歌」。

このような構成のコンサートを、藤原さんは、年間どのくらいなのだろう、かなりたくさんの回数を全国各地で開いておられる。名曲の小品をきちんと聴かせるというのは、本当はとても難しいことだし、その中に「アルペジオーネ・ソナタ」のような難曲、規模の大きな名曲を組み入れるのは、見た目のライトさ以上に、演奏家にとっては真価が問われる厳しいプログラム立てだ。聴衆にとっても、このようなプログラムを、素敵な演奏で聴かせてもらう満足感は深いし、啓蒙的でもある。決して力むことなく、むろん手を抜くこともなく、こういう演奏会を真摯に続けておられる藤原さんには、本当に頭が下がる。

ロビーでは、CDが飛ぶように売れていた。演奏会を聴いて、藤原さんの音にもっと触れていたいと思うのも当然だろう。

2008年5月28日 (水)

ハイドシェックを聴く

エリック・ハイドシェックのピアノ・リサイタルを聴きに行く。日本ツアーの初日、仙台・電力ホール。

ハイドシェックは、1936年生まれ。若い頃から高名だったので、その名前は半ば伝説化しているようにも思うけれど、まだ70歳そこそこということだ。

音楽も、老境という雰囲気はなく、十分に若々しい。ペダルを巧みに扱って、独特の響きを紡ぎだす。それは、あまりにもデッドなこのホールの残響対策という面があったのかも知れないが、そのことを差し引いても、独特のぺダリングがハイドシェックの演奏個性を作っていることに違いはないだろう。

プログラムはオール・ベートーヴェン。「悲愴」ソナタ、自作主題の変奏曲op.34、6つのバガテルop.126、そしてop.110のソナタ。

堅牢に組み上げられたベートーヴェンではない。両外声が浮き上がり、時として内声は朧(おぼろ)に霞みがちになる。フランスのピアニストのすべてがこうではないだろうが、耳を傾けようとしている響きの拠り所が、ドイツ系の演奏家とは明らかに異なっている。コルトーのピアノを思い出しながら聴いていたのだが、コルトーの薫陶を受けたという知って、さもありなんと思った。弾き始めたら、そのピースのキャラクターはひとつであって、決してぶれないというあたりも、コルトー譲りか。

風貌はともかく、ステージでは、およそ大ピアニスト然とした高慢な態度は微塵もなく、舞台袖になかなか引っ込まないで、客席に向かってにこやかに何度も何度も答礼する。地方の朴訥な職人という風情。ご実家がシャンパーニュのワイン醸造だったということと関係のある気質かどうかはわからないが。

私は、基本的にコルトーの演奏は大好きだし、譜面にはあるが、ふだんはあまり聴こえてこないような音が時々ぐんと浮き上がって聴こえてきたりして、面白かった。そして、op.110などとても良かったけれど、アンコールのモーツァルトのヘ長調ソナタ(第2番)第2楽章や、ブラームスのインテルメッツォ(op.118-2)は絶品だった。このような演奏家の「音楽性」の前では、少々のミスタッチなど、どれほどの瑕でもないことがよくわかる。

2008年5月24日 (土)

初夏の山形(2)

1040628_img_2 朝から夕方まで、研究会。昨日に比べると気温は高くないけれど、少し蒸し暑く感じられます。

夕方からは懇親会。千歳館という老舗の料亭。明治9年創業、現在の建物は大正4年に建てられたもので、ここも大正浪漫の香りが漂っています。鮎の天ぷら、豚肉のしゃぶしゃぶ風や角煮、焼きおにぎりなど美味しくいただきました。「食べられるホウズキ」というものは初体験。ちょっとだけ酸っぱくて野趣のある味です。1040650_img

1040634_img 舞妓さんが三味線の姐さんとお二人で、芸を披露。舞妓の「会社」に、試験を受けて入ってお勤めをしているそうです。

フロアに来た舞妓さんは、記念写真撮影と質問責めで、ひっぱりだこ。

山形の舞妓さんは、どんなことばを喋るんだろう・・・というのが、ご近所でのもっぱらの関心事。

尋ねてみると、「標準語・・・です」という返事。山形ことばには敬語がないので、喧嘩しているような感じになってしまうからとのことでした。もちろんふだんは山形のことばを話しますけれど・・・と真面目に答えてくれるその口調には、やはり少し地方色が混じります。んだげっどよ、標準語でなくて、山形ことばの舞妓さまもめんこいと思うんだず。

1040651_img ホテルに戻ったら、ちょうど練習がおわったじゃがパパから連絡。私が山形に来ているということで、「大かま猫会」を開いてくれたのでした。「かま猫会」というのは、通称「かまさん」を中心に開かれている会らしい。今回は拡大版だから(?)「大かま猫会」(?)。・・・うん、ようやく山形にいるっていう感じがしてきたな。みなさん、ありがとう。

ちなみに、文中、山形弁変換エンジン「んだんだ君ver.0.5」を使いました。http://mumin.s1.xrea.com/yamagata/ndanda.html

2008年5月23日 (金)

初夏の山形(1)

すっかり更新が滞ってしまいました。

今日は大学の用事で、山形に来ています。写真は、文翔館。山形県旧県庁舎と県会議事堂で、大正5年に建てられ、現在の県庁ができるまで使われていたそうです。

1040624_img 現在は重要文化財に指定され、保存公開されています。煉瓦造りで、とても美しい建物です。そして、十日町のメインストリートの突き当たりにこの瀟洒な建物が見えるのは、いい風景です。これまでに、何度も外からは見ていましたが、初めて中にも入りました。

1040614_img 1040615_img

1040619_img どこか知らない国の駅舎のような天井。そして、モダンなフォルムは、外国にいるかと一瞬錯覚してしまいそうです。1040616_img

1040608_img_3 広々とした環境も、この建築にふさわしい。

今日の山形の最高気温は28度だったようです。来る途中、笹谷峠でさえ24度と表示されていました。初夏というよりは、ほとんど夏ですね。

ところで、昼食は主催者が用意してくださっていたサラダとカレーをいただき食後のコーヒーまで飲んだのに、どうしても蕎麦が食べたくて、Tさん、Hさんのお二人の先生とS屋さんに駆け込みました。

そして、3人とも相板盛りを平らげました。どうかしています。相板盛りというのは、さらしなそばと田舎そば、正式な名前ではないかも知れませんが、白っぽいとの黒っぽいの、二色の蕎麦が板に盛られているものです。かなりのボリュームです。

夜は、一人でM屋さんへ。なめこそばを頼んだら、なめこがぎっしり入っていて、蕎麦が見えませんでした。

このように、山形に来ると、私は蕎麦に狂います。

2008年5月 5日 (月)

銀座でピノッキオ

こんにゃく座公演のオペラ「ピノッキオ」。昨年東南アジアで公演をしてきた萩京子さんの作品で、このたび日本初演の運びとなった。その最終日を観るために、時事通信ホールのある東銀座に出かける。

Photo マチネなので、久しぶりにナイル・レストランに寄って腹ごしらえ。このインド料理店は、1949年からあるそうだ。

席に着くと「ムルギーランチ?」と訊かれるので、「うん」または「はい」と答える。それで注文終わり。定番ですからね。他のものを注文したことはないし、注文している人もほとんどいない。「ムルギーランチ?」と尋ねられたときに、「いや、そうじゃなくて・・・」とは、よほど構えていないと言いにくい。「えー、どうしようかな・・・」などとためらっていると、「ムルギーランチ、ウチの定番!」と追い討ちをかけられる。

ムルギーランチは、鶏のもも肉1本とマッシュポテト、黄色いライスにカレーがかかったワンプレート。鶏の骨をはずしてくれるので、全部混ぜて食べる。美味。

インド人である二代目ナイルさんがお客に、「ワカダンナ、お大事にね。」などと話しているので、常連さんのどこぞの若旦那が来ているのかなと思いながら食べていたら、近くの席の人にも、「ワカダンナ、後ろからごめんなさい。」と言って水を注いでいる。どうやら、若い人は「ワカダンナ」と呼ぶことにしているらしい。ちなみに、この二代目、河東節で歌舞伎座に出演したりすることもあるそうだ。お店のホームページに、写真が載っている。さすが東銀座!渋谷のインド料理店主は「ワカダンナ」とは言わないだろうし、河東節のお稽古もしないだろう。

Photo_2今日はお祭りで、神輿がちょうど歌舞伎座の前を練り歩いているところだった。この一角だけは混雑しているが、目の前の晴海通りは自動車が行き交っているし、沿道にたくさんの見物がいるわけでもなく、何となく寂しいような気の毒のような感じでもある。

さて、ずいぶん寄り道をしてしまったが、「ピノッキオ」のこと。

「ピノッキオ」(原作カルロ・コッローディ)は新聞連載として書かれた長い作品だそうだが、ここではたくさんの登場人物を出演者4人が演じ分ける。楽器はピアノ1台とキャストが奏する打楽器やアコーディオンなど。ピアニストは、ピアノを弾きながら片手で鍵盤ハーモニカを吹くところもあるという人員節約ぶり。

山元清多さんの台本では、「いい子にしていれば人間の子どもになれる」という結末の「教訓」が、「木の人形のままでも元気に生きていくんだ」というように変えられている。そして、波乱万丈の冒険によって鍛えられたピノッキオは、「強く逞しく、優しく」生きていくと歌う。ひとつ間違うと鼻持ちならなくなりそうなフィナーレだが、てらいもなく、堂々と、ごくあたりまえのこととして歌われ、潔い。幕切れは、すべての登場人物が人形に戻っていく気配。夢のように美しく、そこはかとなく儚さが漂い、「教訓」を昇華させる。素敵な余韻の残る幕切れだ。

萩さんの曲は、リズム・オスティナートの上に展開されるメロディーという造りのオン・パレードだが、肩の凝らない題材に自然体で向かって、躍動感溢れる作品となった。4人+ピアニストは大奮闘。伊藤多恵さんの演出も、アイデアに満ちていて楽しい。「あおくんときいろちゃん」、「ロはロボットのロ」などに次いで、この座の旅公演向きレパートリーに、またひとつ佳品が加わった。

休憩なしで1時間20分。休憩なしの公演としては、ちょうど良い長さ。

2008年5月 3日 (土)

沖縄を歌う

寺嶋陸也さんの新作合唱曲初演があったので、聴きに行く。TOKYO CANTAT 2008 という合唱フェスティバルでのコンサート。すみだトリフォニー大ホール。

「沖縄諸島 歌の島」と銘うたれたコンサートで、5人の作曲家の6作品が、コーロ・カロスを中心とする様々な合唱団によって演奏された。

いくつかの作品が共通のテーマによって括られる多くの場合に起こり得ることだが、とりわけ「沖縄」というキーワードは、作曲者の「沖縄」の捉え方、考え方、距離などの違いが如実に明らかになるように思える。音楽的には、琉球音階が醸し出す独特の雰囲気をどう処理するかという作曲書法上の問題もある。

冒頭に初演された寺嶋作品「おもろ・遊び」は、琉球の古い神歌「おもろさうし」3首を歌詩として書かれた。「おもろさうし」に記されている詩は、もともと口承伝承の歌だが、現在では節は失われているから、詩として読むほかはない。古い琉球のことばで書かれたそれは、詩というよりはほとんどおまじないの文言のように見える。

寺嶋作品でも歌詩を追うことにはほとんど意味がない。大意だけを承知して、あとはことばの音韻、音の響きの美しさを、ゆるやかに流れていく舟の上か何かにいる心地で楽しんだ。だが、それは、聴き流すことのできる通俗的気楽さとは遠く、琉球音階を避けたことで、むしろ架空の国の架空の神への宗教歌のように聴こえる。そして、その無論特定の神に対するものではない宗教的な高揚と沈静の音楽は、最後には海に流れる風のあわいに溶けるかのごとく消えていった。演奏時間20分以上を要する真摯な力作。間宮芳生「コンポジション」シリーズの後を継ぐ存在感と内容を持っている。

高橋悠治「クリマトーガニ」(1979)からも、ある種の呪術的な響きが聴こえてくるが、こちらは琉球音階を避けず抽象化したことで、南方のさまざまな異国への、より強い繋がりを示すことになった。楽曲としての構築が排されているかのように見え、聴いていると快く開放された退屈さに満たされてくるが、実は決して構築を放棄しているのではない作法は興味深い。

信長貴富「廃墟から」は、「ヒロシマ」、「ガダルカナル島」、「オキナワを踏まえたすべての戦争犠牲者への鎮魂」という3章のうちの2と3のみが演奏されたが、おそらく全章を通して聴くべき作品なのだろうと想像する。抜粋演奏では、2章と3章との書法の違いばかりが目立って、「鎮魂」に収斂されていく過程が見えにくい。

沖縄のわらべうたや民謡を素材とする瑞慶覧尚子「花ぬ風車」組曲、林光「島こども歌」、寺嶋陸也「沖縄のスケッチ」では、作曲者の素材への距離の取り方の違いが見て取れる。林作品と寺嶋作品の方向性は似ていて、元の歌に最小限のものを付け加えることによって、創作としての独自性を最大限に膨らませようとする。瑞慶覧作品では、特に「月の美しゃ」の素材に与えたテクスチュアはこよなく美しいけれども、創作として付け加えたものがやや饒舌に過ぎる箇所もあるように思えた。

演奏会全体は、加藤直さんの構成・台本。ラジオ番組仕立ての朗読(竹下景子)が曲を繋いでいく。成瀬一裕さんによる美しい照明が、それぞれの曲や場面を集中させていたが、ことばによる繋ぎが効果的に有機的であったかどうかは、よくわからない。休憩なしで2時間10分。先週軽く腰痛を再発させている身にとって、座りっぱなしはいささか辛いものがあった。途中休憩が入ったとしても、このコンセプトは集中を切らさず持続できただろう。「休憩なし」が効果的な公演があることは十分承知しているけれど、同時に、会場にはいろいろな事情を抱えた聴衆がいることも考えてほしいと思う。

2008年5月 2日 (金)

青葉の頃

大学の構内も、いつの間にか青葉に覆われるようになりました。

1 しかし、関東や中部地方に比べると、まだまだこれから。木々の緑が本格的に生い茂るのは、今月下旬くらいにかけてでしょうか。

2 それでも、大型連休はざまの平日は気温も高く、昼間は少し汗ばむ感じでした。

1_2 音符くんが、音楽棟前に植えて育てたチューリップも、見事に満開。たださ、ちょっと密集し過ぎでないかい?

Photo 青葉通りも青々としてきました。「杜の都」は、こうでなくちゃね。

ただ、残念なこともあります。地下鉄工事が始まっていて、一部のケヤキが伐られ、別の場所に移植されたのです。場所を変えてもちゃんと根づくのかなぁ・・・。

そのため、この付近はなんだかがらんとしてしまいました。歩道と中央分離帯にあったケヤキがなくなったためです。

Photo_2 空が広くなったとも言えるけれど、何だか仙台らしくない・・・。そう、この一角だけは、どこにもある地方都市のありふれた空の景色です。地下鉄ができると大学方面も便利になるだろうと思われますが、それと引き換えにがらんとしてしまったのはとても残念です。

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