フォト

-天気予報コム-
2013年12月
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31        

最近のトラックバック

友人のページ

こんなページを見つけました。

無料ブログはココログ

« 秋から冬へのコンサート(3) 東混定期演奏会 | トップページ | AOI のクリスマス・コンサート »

2008年12月20日 (土)

秋から冬へのコンサート(4) 郷古廉リサイタル

12月20日 郷古廉ヴァイオリン・リサイタル(東京・めぐろパーシモン 小ホール)

Photo この日は、行きたい音楽会が3つ重なってしまった。さんざん迷ったが、合唱団「じゃがいも」山形公演は、年明けの東京公演を聴かせてもらうことにして、郷古くんのリサイタルに行く。23日に同プログラムで多賀城でも演奏会があるけれど、その日は私自身の本番と重なっているのだ。

彼のヴァイオリンを聴くのは、8月以来(8月23日の記事をご参照ください)。また変わってきたなぁ・・・と感じる。彼の年齢はスポンジ、しかも、彼は人一倍吸収力の強いスポンジなのだから、刻々と変わっていくのが当然だろう。それに、体格が変わってくれば、そこから出てくる音楽も変わるはず。

ピアノは、8月と同じ上田晴子さんだが、8月には、上田さんの縦横無碍な音楽作りによって彼の良さを引き出してもらっているところがあったが、今回ももちろんそういう面は大きくあるにしろ、音楽的には少しずつ対等になりつつあるという印象だ。彼の音楽がひとつステージアップしているということだろう。

モーツァルトのソナタ K.378。冒頭、ピアノの主題に対して、背景であるヴァイオリンのオブリガートがとても豊かな空気を作り出す。モーツァルトは、レパートリーとしてまとめるのは簡単ではないが、経験を重ねていけば、きっと彼の美質を表す音楽のひとつとなるだろう。

ブロッホの「バールシェム」組曲は、おそらく今の彼にとても合っている作品。かつて名演を聴いたショーソン「詩曲」に通じるものがある。彼は、物語を編むように弾き、それは圧倒的な説得力を持っている。

バルトーク(セーケイ編)「ルーマニア民族舞曲」も、これに通じるかに見えて、実は少し資質の異なる作品なのだということが、彼を演奏を聴いていると逆に思う。ロマン派的なアプローチでは、すり抜けられてしまう。テクニックに問題はないが、サラサーテなどの技巧曲と同じようにならない方が良いだろう。

最後は、プロコフィエフのソナタ第1番。迫真の演奏と記しておこう。全曲の中に現われる様々な表情それぞれにリアリティを持たせ、ただならぬ様相を持った作品として聴かせた。全曲を貫く幻想的な色彩は、表情にリアリティがなければ浮き立っては来ない。矛盾するようだが、それはこの作品の演奏に必要なキーポイントだろうと思う。

アンコールは、ポンセ(ハイフェッツ編)「エストレリーリャ」、サラサーテ「序奏とタランテラ」、イザイ「子どもの夢」。

前夜、最近ではすっかり有名になった若手ヴァイオリニストが演奏しているのをテレビで見た。しかし、私には感心できなかった。これなら郷古くんの方がずっと良いな・・・と思った。

何が違うのだろう。優秀なヴァイオリニストは、誰もが完璧な技巧を手に入れているし、優れた楽器で美しい音を出す。しかし、何かほんの少しの違いが、その音楽の方向を大きく変えてしまうのかも知れないなと思う。その違いとは、おそらく、日常的な考え方だったり、人柄だったり、芸術全般についての感性だったりするのだろう。結局は、その人の生き方すべてが演奏(や作品)に反映されてしまうのかも知れない。恐ろしいことだな。

Photo_2 終演後、楽屋で。

« 秋から冬へのコンサート(3) 東混定期演奏会 | トップページ | AOI のクリスマス・コンサート »

コメント

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

« 秋から冬へのコンサート(3) 東混定期演奏会 | トップページ | AOI のクリスマス・コンサート »