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2008年12月27日 (土)

「魔法のことば」

佐山真知子さん、佐山陽規さんの「ふたりコンサート」(東京・下北沢アレイホール)

前半は、陽規さんがロルカによる「スペイン民謡集」から11曲を歌う。こんにゃく座を退座してから、ミュージカル歌手やアニメーションの声優としても活動している彼は、広くないホールにぎっしり詰まった聴衆に語りかけるように歌う。この曲が、本来そのように歌われたであろうやり方で。

真知子さんもそうだが、歌詞はすべて明瞭だから、その面で決して聴衆との間に壁を作らない。長年の経験がなせる技だろう。それに、熟年になられてと言っては失礼かも知れないが、こういう歌に絶対必要な、暖かな味わいが加わっている。今後の活動も楽しみだ。

真知子さんは、私が1999年に書き下ろした「魔法のことば」(アメリカ・インディアンの詩による9つの歌、訳詩・金関寿夫)を再演。服部真理子さんのピアノ、佐々木葉子さんのバス・マリンバが加わる。

きれいな、安定した、声量のある声で、歌詞の意味を伝える・・・という「正しい歌い方」に、最近真知子さんは違和感を覚えているという。そんな時、「言葉は意味である前に、まじないだった」というこの作品のことを思い出してくださったのだろう。初演の時とはまったく違う歌い方で、この作品に向かった。

真知子さんの力を持ってすれば、「きれいな、安定した声で、意味を伝えるように」歌うことはさほど困難ではないだろうと思うのに、あえてそこから離れようとする姿勢に、清々しい決意を見るような気がした。

そういうわけで、9年半ぶりに聴く「魔法のことば」は、なかなか面白かった。私の曲も、「歌曲作品」としてきちんと構成を整えることを極力避けている。だから、作品と歌とのヘンテコ具合にとまどった方もおられただろうと思うが、歌の書き方、歌い方両面から、「歌とは何か」を問う試みになっていると思う。

ちなみに、「魔法のことば」の詩は、「おれは歌だ おれはここを歩く」アメリカ・インディアンの詩(金関寿夫・訳、秋野亥左牟・絵、福音館書店)、「魔法としての言葉」アメリカ・インディアンの口承詩(金関寿夫・訳/解説、思潮社)に載っている。

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