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2009年4月

2009年4月27日 (月)

月産570字

昨年から、毎月仙台フィルの定期演奏会を聴いて、読売新聞仙台版に570字のレヴューを書くという仕事をしている。

演奏会に行く前には、可能な限り音源とスコアを入手して、曲について把握しておくようにしている。スコアは10代の頃から買い続けているから、あらためて買わなくても良いものも多いし、大抵の作品は入手できるけれど、中には簡単に手に入らない曲もある。その場合は仕方がない。注文して何ヶ月も待つことはなかなかできないからだ。

音源は、最近はネットでも簡単に買えるけれど、仙台の某CDショップでは、定期演奏会で取り上げられる曲のCDを、数ヶ月前からコーナーを設けて揃えている。入手しずらい曲の場合などありがたい。便乗と言えばそれまでだが、地元のオーケストラを応援しようというディスプレイを設けるのは、地方都市ならではのことだろう。東京では考えにくい。

本番では、膝の上にスコアを開き、ノートにこっそりメモを取る。音楽会の本番で、楽譜をめくり、メモをするなんて無粋この上なし。周りのお客様に申し訳ないなぁと思うけれど、楽譜を見るのも、メモを取るのも、思い違いを避けるためと、後付けの何となくの印象で書いてしまわないためだ。

私は批評家ではないから、基本的に貶す批評は書かない。「アンサンブルが乱れた」「バランスが乱れた」なんていうことだけを書いたって、乱れたのはちょっとした事故かも知れないし、演奏会に立ち会わなかった読者が、アンサンブルが乱れたことを知ったって、何の役にも立たないし面白くもない。

それよりも、「この作品はこういう曲。それをどのように表現しようとしていたか」という、作曲する者の視点を持ち続けていたいと思っている。

それにしても、何が大変といって、570字にまとめるのにとても手間がかかる。当日メモした走り書きのうち、少しは使えそうなフレーズだけ書き写してみても、すでに700字くらいにはなってしまう。それを整理したり、言葉を入れ替えたり、諦めたりして570字まで削る。削ることで良くなっていく部分とわかりにくくなる部分と、両方あるような気がする。

さらに、専門用語はできるだけ避けてほしいという注文がある。読者は専門家ばかりではないというのが理由だが、「運弓」を「弓の運び」に替えるくらいは良いが、「オーケストレーション」の代替言葉は「管弦楽配置」で良いのか。「パッセージ」を「走句」と言い換えてもわからないだろう。「動機(モティーフ)」も、「犯行の動機」の「動機」と混同されるので使えない。字数制限も、用語や使用漢字の制限もない「ブログ」は、呑気なフォーマットだなぁ。ただ、用語や使用漢字の制限はともかく、字数を制限に合わせて削っていくのは面白いことでもある。

ここでは、これまで報告しそびれてしまった定期演奏会をメモしておく。

2月20日(第235回定期) 指揮:デリック・イノウエ、クラリネット:赤坂達三

 コープランド:バレエ組曲「アパラチアの春」

 コープランド:クラリネット協奏曲

 アイヴズ:答えのない質問

 ハンソン:交響曲第2番「ロマンティック」

とりわけアイヴズが面白かった。演奏時間はたった5分くらいだけれど、果てしない時間と空間の中に放り出されたような感じ。どんな曲であるかよりも、どんな体験ができ曲かの方が重要。アイヴズが、ケージに繋がる実験音楽の始祖であることがよくわかる。他の3曲、コープランドもハンソンも、生演奏では滅多に聴けないから貴重な機会だったし、それぞれ良い演奏だった。ハンソンの交響曲は、調性との距離の取り方、時流から隔絶した孤独なロマンチシズムがシベリウスを思わせる。

3月20日(第236回定期) 指揮:パスカル・ヴェロ、ヴァイオリン:米元響子

 ベルリオーズ:序曲「海賊」

 ショーソン:詩曲

 サン=サーンス(イザイ編):ワルツ-キャプリス

 フランク:交響曲

ベルリオーズのこの曲はあまり知られていない。超特急のパッセージが駆け回る部分と半音階進行を含むゆっくりした旋律の部分がめまぐるしく交替し、カンカンを思わせるどんちゃん騒ぎに至る。こんな曲なのに・・・というよりもこんな曲だからこそ、とても丁寧にリハーサルされたことがよくわかる。演奏の仕上がりはむしろ端正。ヴァイオリンの2曲、どちらも演奏は自然体のロマンチズムで落ち着いて聴けた。ショーソンの詩曲のオーケストラ版、生で聴いたことあったっけ?詩曲は、独奏が霞の中から浮き上がって聴こえるように、オーケストラが書いてある。名オーケストレーション(という言い方あるのかな?)だと思う。オーケストレーションで言うと、フランクは「厚化粧」だ。いくつかの絵の具を混ぜて中間色を作るようにして、音色を配置する。それなのにというか、だからこそというか、オーケストラがオルガンのようによく鳴る。聖職者のような仕事ぶりだったというこの作曲家も交響曲は、むしろ人間臭い苦悩とカタルシスのドラマ。常任指揮者ヴェロ氏とこのオーケストラとの関係は、今とてもうまくいっている。彼が指揮をすると、このオケは音が落ち着く。ヴェロ氏と仙台フィルで聴いてみたい曲が、まだまだたくさんある。2009年シリーズも作文を続けることになったので楽しみだ。

2009年4月10日 (金)

満開

今日の仙台は、最高気温が26℃とかだったらしい。

通勤途中に、桜の木を見ながら運転していたのですが、一昨日はまだ咲きかけ、昨日の朝はそこそこ、夕方はだいぶといった具合に少しずつ咲きはじめていたのが、今日の暖かさで一気に満開になりました。

Photo_2 いつもより、少し早い感じ。これから東北では、首都圏よりは少しだけ遅めの春がやってきます。楽しみです。

そうそう・・・そういえば一昨日は、このようなものを頂きました。

Photo_3 白魚のかき揚げ

Photo_4 空豆の炭火焼

Photo_5 若筍の炭火焼 甘くて美味しかったぁ。

2009年4月 1日 (水)

N先生の1095日

Nさんは、私たちの大学の卒業生だ。

卒業したらどうするのかなと思っていたら、仙台近郊の町の臨時職員として小学校に勤めることになった。3年前のことである。臨時職員と言っても、仕事の中身は指導助手的な「先生」で、「町の職員」として雇って学校に送り込む新しい制度の第一期生なのだそうだ。

Nさんが小学校の先生?

初めて聞いた時、私は正直に言って、少し違和感を感じた。卒業研究は、私の研究室で近代の難しい曲を分析して立派に弾いたし、どちらかというと饒舌な人ではないから、子どもたちに向かって大きな声を出している姿が想像できなかったのだ。教員採用試験を受けようともしていなかったので、制度に束縛されるような公教育の先生にはなりたくないのかなとも思っていた。勤め始めてからも、ピアノのレッスンを受け続け、音楽会や美術展に足しげく通っていたし、私たちの勉強会にもちょくちょく顔を出していた。彼女には、少々「(良い意味での)高等遊民」的なポリシーと心のゆとりが感じられた。

音楽を専門に勉強してきたのを知って、学校は、ピアノを弾く仕事をNさんに任せることにした。式典での校歌や朝会、学習発表会の合唱、器楽合奏、卒業コンサートや歓迎コンサート、いろいろな合唱コンクールへ参加など、全学年の子どもたちは、事あるごとにNさんのピアノで歌ったり、演奏したりした。本人は必死だったかも知れないが、難しげな曲も軽々と上手に弾いてくれるN先生に、子どもたちはみんなびっくりした。すごい!きれい!かっこいい!

伴奏がきちんと弾けていると、子どもたちは落ち着くんです。歌に集中できますから・・・と、Nさんは言う。当然のことだろう。ピアノが上手にリードしてくれると、子どもたちの姿勢は自然と前を向く。元気なリズム、レガートなフレーズ・・・「いまN先生どうやって弾いた?」指揮の先生から問いかけられて、子どもたちは伴奏を聴き、お互いの声を聴き合うようになった。やっぱり何と言っても生の伴奏はいいよね・・・N先生のピアノで子どもたちの歌を聴いた人は、誰もがそう思っただろう。伴奏テープを流すだけでは、周囲の音をきちんと聴く習慣ができない。伴奏テープは子どもたちの歌を聴いてくれないからだ。

そうやって、この小学校の子どもたちは、N先生のピアノで安心して歌うことがあたりまえになった。余計な言葉はいらない。伴奏のほんのわずかなフレーズだけで、彼女は子どもたちからの尊敬を得た。

最近、教科の専門的な力はほどほどで良い、それよりもどうやって教えるかについて学ぶことに重きを置くべきだという風潮がある。それは絶対に間違っている。甘くみてはいけない。芸術は、人の心を変えてしまう武器にもなり得るのだ。

だが、Nさんの仕事の中心は、実は音楽ではなかった。

「低学年を中心とする、学級経営補助」。通常の学級の中にいる、特別な支援が必要な子どもに勉強を教えること、遅れ気味の子どもの勉強や生活を、学級を越えてフォローしてあげることが、彼女の仕事だった。常勤の先生では埋められない「隙間」を埋めていく仕事と言っても良いだろう。時には、発達障害のある子が興奮して暴言を浴びせたり、暴れるのを落ち着かせようとしたはずみで傷を負ったりしたこともあった。夏休みには、同じ立場の先生とともに、宿題や勉強をみてあげる集いを企画した。彼女の仕事ぶりは、後に同僚から、「時にはクノイチのように、時には白百合のように、いてほしい時にいつの間にかそこにいて、何かをしてくれている先生」と評されることになる。

そして、あっという間に3年が経った。

この仕事は1年任期、更新は最大3年まで。なぜそうなのかというと、その町の臨時職員の規定がそうなっているから。3年経つと、いかなる成果や功績があったとしても職を解かれる。移動ではなく、解雇なのである。この春、同様の「雇い止め」で、教育の現場から失職する人は、国立大学法人の非常勤職員だけでも100人に上るという。

Nさんはこの仕事を続けたいと思い、周囲も続けてほしいと願った。臨時職員の任期を教育職に当てはめられるものなのか、特例は認められないのかと、校長先生は何度も要請したし、町議会で話題になったこともあった。だが動くことはなかった。

この国では、人の働きや心よりも規定が優先される。いつまでも同じ仕事を続けられるものではないにしろ、せっかく良い制度を設計しながら、その効果や実績をいささかも考慮することなく、融通のきかない運用でブレーキをかけてしまう。この国の行政の縮図という気がしてならない。

離任式の前日、笑いながら「明日は号泣してきます。」と電話で話してくれていたNさんだったが、号泣したのはNさんだけではなかった。離任式の日、同じように今年度をもって離任する先生と演奏した二重奏を聴いて、「子どもたち、みんな泣いていたよ。」と、同僚は言った。Nさんには、両手では持ちきれない花束や、たくさんの手紙、プレゼントが、子どもたちやPTAのお母さんたち、同僚の先生たちから贈られた。「きれいなピアノひいてくれてありがとう。」「Nせんせいみたいにピアノがじょうずになるようにがんばります。」子どもたちは、そんなふうに書いた。

折に触れて聞く学校の様子は、いつも生き生きとしていた。Nさんが小学校に勤めると聞いた時に感じた違和感は、完全に私の思い違いだった。「隙間」を埋めるような仕事だからこそ重要で、彼女の気質にも合っていたのだろう。「失業」することになったNさんは、いくつかの団体の面接を受けたり、一般事務の雇用を求めて履歴書を出そうとしていたが、会社の机で、計算をしたり、営業の電話をかけまくったりしているNさんを、また私は想像できなかった。しかしそんな時、幸いなことに講師の仕事が舞い込んで、4月からは、今までとは離れた地域の中学校で、音楽の先生として勤めることになっている。

離任の日、今まで一度も話したことのなかった男の子が寄ってきて、こう言った。

「先生、今度T中学行くの?ぼく、前住んでたところと超近いよ。がんばってね。」

N先生の3年間、1095日は終わり、新しい365日が始まる。

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