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2009年5月

2009年5月30日 (土)

天踊

2008年12月19日に亡くなられた太刀川瑠璃子先生の訃報を伝える記事では、その肩書きは、「スターダンサーズ・バレエ団常任理事」、「バレエ・プロデューサー」、「昭和音楽大学副学長」などとなっている。

1通の葉書が届いたのは、1978年の秋か冬のことだったと思う。差出人は、故渡邉暁雄先生。内容は「貴君にお願いしたいことがあるので、連絡をください。」というもの。私は大学院生だった。

お電話をしてみると、スターダンサーズ・バレエ団という団体の公演のために、「白鳥の湖」第2幕をピアノ2台用に編曲してほしいというお話だった。暁雄先生が、「ポケットマネーくらいにしかならなくて申し訳ないけど」とおっしゃったのを妙に覚えている。

初めて青山のスターダンサーズ・バレエ団スタジオに打ち合わせに伺った時から、その後何度も何度もスタジオに足を運ぶたびに、迎えてくださるのが太刀川先生の笑顔だった。

いつものその笑顔には、ほっこりとした感じで、品の良いお人柄が顕れていた。「こんにちは。きつかわくん、元気?」と、いつも「つ」を小文字にしないで発音された。

しかし、いつもいつも笑顔でいらっしゃったわけではない。スタジオでのレッスンを見守る表情は真剣だったし、ダンサーを注意したり、日本の文化状況を憂うお話をされるような時には強い口調にもなられたが、高圧的だったり感情的だったりしたところを見たことがない。慈母のような人だった。

1979年7月、浅草公会堂でのスターダンサーズ・バレエ公演は、クルト・ヨース台本・振付の「緑のテーブル」と、遠藤善久振付による「白鳥の湖」第2幕。

この「モノトーンの白鳥湖」は、簡潔なスコアを用いることで、作品の持つ新たな容貌を引き出したいというドナルド・リチー氏の構想に支えられていた。2台のピアノの演奏は、渡邉康雄さんと渡邉規久雄さん。

スターダンサーズ・バレエ団のレパートリーは、いつも筋が通っていた。戦争の不条理を風刺的にグロテスクに、そして悲しく描く「緑のテーブル」に出会ったのも、この公演の時だ。こんなバレエを観たのは初めてだった。振付、音楽ともに衝撃的だった。

この時の「白鳥湖」の仕事が端緒となって、1981年にはバレエ「おしらさま」が生まれ、86年には2管編成の管弦楽版となって東京で初演の後、中国の北京での公演に繋がっていく。

いつも二つのことを語っておられたのをよく覚えている。一つは、「もっともっとバレエの裾野を広げなければいけないし、日本で生まれ、日本人によるバレエを作らなければならない」こと。もう一つは、「絵画や音楽の大学があるように、日本にもバレエの高等教育機関が必要」ということだ。

バレエの裾野を広げるための、行政が運営を全面的にバックアップする、全国でも珍しい市立のバレエスタジオが遠野市に生まれた。そして、その設立10周年を記念して計画されたのが、創作バレエ「おしらさま」だった。バレエの高等教育機関設立」という念願は、昭和音大にバレエ・コースが設置されたことで具体化に向かった。遠野市や大学を動かしたのも、創作バレエが発表できたのも、すべて太刀川先生の信念からだった。あの静かな笑顔のどこに、そんなエネルギーが潜んでいたのだろう。

近年はしばらくお会いする機会がなく、最後にお会いできたのは、草刈津三さんのご逝去を偲び、遺著の出版を記念する会だった。草刈さんは、暁雄先生らとともに日本フィル設立に尽力された方で、晩年は私も勤めていた某音大でご一緒だった。先ごろ亡くなられた暁雄先生の信子夫人に最後にお会いできたのも、この時だった。

太刀川先生は、大病をされた後と伺っていたが、お元気そうで、以前と変わりなくお話できて嬉しかった。2005年の初春のことだ。2007年12月、遠野での「おしらさま」再演の時、再び体調を崩されていることを伝え聞いた。お元気ならば当然その場に来ていただけるだろう。とても残念だった。

2008年12月19日の朝、前の晩、音楽会を聴いて仙台へ戻る新幹線に乗るために、東京駅のホームを歩いていた私に向かって、少し離れたところから会釈している人がいるのに気がついた。Mさんだった。Mさんは、遠野のバレエスタジオの1期生で、高校を卒業してからは東京で勉強を続けてダンサーになり、今はスタジオの指導者として、東京と遠野を往復している。久しぶりの再会に喜んで、短く言葉を交わして別れた。太刀川先生のご様子を聞けばよかったなと、別れてから思った。

その日の夕方、太刀川先生は亡くなられた。享年81歳。そんな日にMさんとばったり会うなんて、後で考えると何だか不思議な気がする。

Photo

2009年2月28日、昭和音楽大学のテアトロ・ジーリオ・ショウワで、お別れの会が催された。法名、釋天踊信女。あのお優しい笑顔の先生を忘れることはないだろう。

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