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2009年6月

2009年6月28日 (日)

オペラ「ポポイ」

間宮芳生作曲の新作オペラ「ポポイ」初演を観る。静岡音楽館AOI。

1987年に、倉橋由美子書下ろしラジオドラマの音楽として書かれてから、間宮先生はこの作品のオペラ化構想を持ち続け、22年経ってようやく完成、上演となった。1997年に作曲されたピアノ協奏曲第4番につけられた「いまだ書かれざるオペラの情景」という副題も、この「ポポイ」を念頭に置いたものだった。大変残念なことだが、原作者・倉橋氏は2005年に逝去された。

舞台は近未来。政界を引退しながら、未だ影響力を持ち続ける元老のもとに、二人の少年テロリストが押し入り、要求が聞き入れられないと知ると、ひとりがその場で割腹自殺、もうひとりも彼の介錯をしたのち自害。ところが、割腹した少年の首は、すぐに人工心肺に繋がれ、首だけで生き続けることになる。元老は、その夜脳梗塞に倒れ、彼らの要求が何だったのか、誰にもわからない。首は元老の孫娘・舞が引き取り、ポポイと名づけて世話をすることになった・・・。

もちろんすぐに三島事件を思い起こす。高校の授業から帰って事件を知り、テレビに釘付けになったあの秋の日を。三島事件は、もちろん契機になっているのだろう。けれども、まったく違う展開を創造してしまう倉橋文学の凄さに、あらためて目を瞠る。原作は新潮文庫で出ていたが、現在は絶版。古書でしか入手できない。

さて、この原作がどんな舞台になるのだろうと興味津々で出かけたのだが、幕が開いた直後から、見事にオペラになっていることに驚いた。出演は、吉川真澄(舞)、上杉清仁(ポポイ)の他、波多野睦美、大槻孝志、河野克典の各氏。そして、寝たきりの元老役は能楽師の清水寛二。楽器は11人アンサンブルで、間宮先生自身が指揮。演出は田中泯。

カウンターテノールの上杉氏やリュートソングやバロック歌曲のエキスパート・波多野氏、能楽師の清水氏をキャスティングするあたり、凡百のオペラとは違っている。それは、この作品が持つ音楽史的、様式的風紋を引き出すための必然だった。そして、これらの人々の音楽的個性が、ほぼ出ずっぱりで大健闘の「舞」を支えた。

2時間を超える長い作品で、間宮先生の音楽書法の集大成となった。音がとても美しい。鋭い音や密集した音も、まったく濁らない。そして、休憩中に会場に置かれてあった楽譜を覗いてみたら、譜づらがシンプルなのに唖然とした。たった22段の五線紙!

そのことを後で間宮先生に書き送ったら、「一見シンプルで、しかし危険な音にあこがれ続けようではありませんか。その危険が作為でなく、湧いて出る(出た!)ものなのが一番ということでしょうが。そんな危険物のきわめつけは、多分『カルメン』でしょう。」と、お返事を頂いた。

田中泯氏の演出は、舞台を左右に、演技エリアと楽器エリアに分け、無造作に吊り下げられたザラザラした感じの布に、時折ビデオ映像が映し出される。映像は、手持ちカメラのリアルタイムの画面だったり、あらかじめ録画されたものだったりする。休憩をはさんだ後半では、演技エリアと楽器エリアの配置の左右が逆になっていたので、びっくりした。そんな面倒なことは、音楽関係者だったら決して思いつかないだろう。だが、その効果は、はっきり説明できないにしても、絶大だったと思う。

脳死が人の死であるかどうかという議論がある。では、脳さえ生きていれば、首から下はヒヤシンスの水栽培のような生命維持装置であっても生きていると言えるのか。原作の新しさに驚く。オペラでは割愛されたけれど、20年前には想像できなかった(しかし、現在では当たり前の)通信手段、例えば電子メールのようなものも予告されている。

感動した。けれど、何がその感動を呼び起こしたのか、説明するのは容易ではない。そして、とにかくこんな舞台が、一回だけの上演しか許されない文化状況というのは、「勿体ない」を通り越して、芸術家に対して犯罪的なのではないかとすら思う。それはもちろん、静岡音楽館AOIの責任ではない。

この翌日は、間宮先生の80歳のお誕生日。終演後のロビーでは、打ち上げを兼ねて、ささやかなお祝いのレセプションが開かれた。80 しかし、音楽は瑞々しいし、副指揮者を置かず、音楽練習からすべてご自分で指揮をされた先生には、年齢の区切りを祝う必要などなかったかも知れない。

2009年6月13日 (土)

「音楽創造における楽譜の意味」(2)

学会の開会式で、私たちの大学の学生くんたちが、サムルノリをご披露しました。

Photo_2

(承前)

一方の「拭うことのできない不信、あきらめ」についてお話しましょう。

 このシンポジウムのレジュメに、小畑先生が、「音の様々な要素のカテゴリーを示す記号の配列として楽譜は成立している。」と書いていらっしゃいます。もちろんそのとおりですが、逆に言えば、「楽譜は、様々な要素のカテゴリーを示す記号の配列でしかない。」とも言えるのです。作曲家が楽譜に書きこめる情報は、実はとても限られたものでしかありません。例えば、このフレーズは、ヴァイオリンのどの弦のどのポジションでどんな弓使いで弾いてほしいか、よほどの場合にはそれも書き込みますが、例えばオーケストラ・スコアのすべての音に、そういった情報を書き込むわけにはいきません。指使いや細かなテンポの揺れなど、神経質に細かく書き込み始めたらきりがないし、煩雑な楽譜になってしまうので、どこかで諦めます。諦めると言うのがふさわしくなければ、思考を停止して、こうつぶやくのです。「これは演奏に任せよう。」

 私と同世代のある作曲家が、電子オルガンのために作曲した時、彼はレジストレーションを、ひとつひとつの数値まで詳細に楽譜に記しました。同じ時期に私も電子オルガンのために作曲したのですが、音色については、例えば「打ち寄せる波のように」とか「遠くで鳴る鐘のように」とか、あまり役に立たないことを書いただけでした。もちろん、目指している音楽の違いがあるわけですが、彼が書いた詳細な指定は、電子オルガンが機種変更すると、たちまち役に立たなくなりました。一方、私が書いた大雑把な書き込みは、機種がパワーアップするたびに響きがゴージャス過ぎるようになって、少々困っています。ジョン・ケージが、プリペアド・ピアノで、ピアノの弦に挟むように指定したボルト類は、すでに生産されていないそうです。どのケースでも、作曲者の当初の意図を厳密な意味で再現することは、もはや不可能なのです。

武満徹さんのエッセイに興味深い一節があるので、ご紹介しましょう。「消える音」を聴くというタイトルです。

 すべての音楽表現の根底には、消えていく音を聞き出そうとする、人間の、避け難い、強い欲求が潜んでいるはずだ。だから音楽は、時間を超越して、幾度となく聴き返されるのだろう。また、そのために必要な楽譜というものは、消えていく音を、身裡に、どうにかして留めたいとする欲求の表れだが、だからといって人間は、記譜することで、そこに「音楽」が余すことなく定着されたとは思っていない。音の全容を平面的な譜に置き換えることなど、所詮、無理だということは、百も承知だ。
 だが楽譜は、作曲家が聴き出した、実体としての音を、再び、時空を超えて、この世界に喚びもどす装置であり、その不完全さが、逆に、そのことを可能にしている。(武満徹 「消える音」を聴く/新潮社『遠い呼び声の彼方へ』所載)

 新しい曲を書いて、初演のための練習を聴くような時、作曲者である私の耳と、演奏者の耳とは、初めのうち少しずれているように感じます。演奏者が、楽譜を間違って読んでいるというようなことではないのです。それは、楽譜に書かれなかった、いえ、書くことのできなかった様々なこと、文章で言えば「行間」を、作曲者と演奏者が共有できていないからではないかと思われます。

 「拭うことのできない不信、あきらめ」と、初めに私が申しあげたのは、楽譜に書き付けるときの作曲家の耳と、それを演奏する演奏者の耳が、初め、いつもずれていることを、少し大げさに、ペシミスティックに表現したのでした。しかし、作曲家は、自分の想像の中だけで完成された音を聴いているのだし、演奏家は、現実の演奏行為として音を組み立てていこうとしているのですから、ずれが生じるのは必然とも言えます。練習や打ち合わせを重ねるごとに、そのズレは修正され、最終的に音楽は、作曲者が考えていた以上の姿にもなり得るのです。

 音楽は抽象であるだけに、文章以上に、「行間」には、作曲者が楽譜に書ききれなかった感情がひしめいています。作曲者と演奏者が「行間」を共有するために、作曲者が近くにいる場合には、直接話し合うこともできますが、そういう場合は多くはありません。作曲家が近くにいようがいまいが、紙の上に書かれた記号に命を吹き込んでいく行為は、演奏者自身の主体的な創意に委ねられています。

 演奏芸術とは、作曲者が書き込むことのできなかった「行間」を推し量り、充実させ、演奏者自身の、そして聴き手の心の中に、楽譜の「行間」を再創造していくことです。その段階で、楽譜は、もはや作品の「取り扱い説明書」でしかありません。
武満さんが言うように、「不完全であるゆえに、作曲家が聴き出した音を喚びもどすことができる」と考えれば、楽譜の不完全さこそが、演奏芸術の無限の可能性を導き出せるのだとも言えると思います。

 これで私の発言を終わります。ご清聴ありがとうございました。

「音楽創造における楽譜の意味」(1)

音楽表現学会というものが、わが大学を会場に行なわれました。私は会員ではありませんが、シンポジウムの発言者に指名されたので参加して参りました。パネリストは、星出豊さん(指揮者)、赤松林太郎さん(ピアニスト)と私。司会は小畑郁男さん。それぞれの発言についての、パネラー同士の突っ込みもあり、フロアからの質問も出続け、シンポジウムとしてはなかなか面白いものになったのではないかなと思います。

それぞれのパネリストが最初に約10分ずつ発言をしましたが、ここには、私の発言を記録しておきます。シンポジウムのタイトルは、「音楽創造における楽譜の意味」。

 シンポジウムへお招き頂き、ありがとうございました。ここ宮城教育大学の教員をしております。私は会員ではありませんが、同僚たちが一生懸命準備しているのを見ておりました。お忙しいところお集まりいただきました皆さまを、心より歓迎いたします。どうぞ、仙台の初夏をお楽しみ頂けたら幸いです。

 さて、「音楽創造における楽譜の意味」について、作曲の立場から考えを述べよというのが、私に課せられた宿題かと思います。世界中には、いわゆる五線譜を使わない音楽がたくさんあることは、言うまでもありませんが、ここでは「いわゆる五線による楽譜」に限ってお話いたします。

 私が、作曲家として「五線による楽譜」についてどう考えているかということを、端的に申しあげるならば、「全幅の信頼」と「拭うことのできない不信、あきらめ」、この相反する考えを同時に持っているということになるかと思います。このようなアンビバレンスな考えについてご説明することが、本日の私の発言の骨子になるかと思われます。

 「五線譜への全幅の信頼」については、あまりご説明する必要がないでしょう。西洋芸術音楽と、その延長上にある音楽に携わるのは、基本的には「五線譜を信頼する」ことで成り立つからです。当たり前のことですが、ベートーヴェンが書いたピアノ・ソナタの譜面がデタラメであったとしたら、演奏も解釈も評論も成り立ちません。私たちは、ベートーヴェンが遺した譜面を、彼が思い通りに書いたという前提で譜を読み、演奏し、それを聴いて楽しんだり研究したりしているわけです。

 その面で、大学教師としての私は、(特に非西洋の音楽を専門とされる方々からは)ガチガチの「五線譜主義者」と見られるに違いありません。理論や作曲の授業で、学生くんたちが書いてきた楽譜を見て、この音符はタマが大きすぎるだの小さすぎるだの、線からはみ出していてソかファかわからんじゃないか、ホォ・・・これは付点なんですね、私はまた音符の横にゴミが落ちているのかと思いましただのと言ったりします。楽譜は自分の考えを伝えるためのものなのだから、他人が見てちゃんとわかるように書きなさい、ソかファかわからないようではダメだし、付点もゴミと間違われないようにしっかり書き込みなさいなどと、いちいち小うるさく言って嫌がられております。

 作曲家の林光さんが少年だった頃、先輩作曲家の尾高尚忠氏に楽譜を見てもらっていました。ある時、16分音符がたくさん続くパッセージを書いて、そのひとつひとつのタマにスタッカートを打った、ところが、ひとつだけうち損じた。尾高先生は、たちまちそれを発見して、その16分音符を輪で囲って、余白に「おお神様、かわいそうなこの16分音符にも、仲間たちと同じように、スタッカートの点をおめぐみください!」と書いたそうです。作曲家という種族は、音楽の中身にもそうですが、楽譜の書き方にも、うるさくなる宿命を持っているものと思われます。正しく書かれた楽譜は、世界中の、どんな時代の人に対しても、自分の考えが伝えられるという確信、もしくは希望、もしくは幻想を前提に、作曲家は楽譜を書き続けるのです。

(続く)

2009年6月11日 (木)

クリスチャン・ツィメルマン ピアノ・リサイタル

仙台で、ツィメルマンの来日公演を聴く。6月11日東京エレクトロンホール宮城(宮城県民会館)

バッハ:パルティータ第2番

ベートーヴェン:ピアノ・ソナタ第32番

ブラームス:4つの小品 Op.119

シマノフスキ:ポーランド民謡の主題による変奏曲 Op.10

ひとことで言えば至福の時だった。特にベートーヴェンの後半楽章は、ふだん聴き慣れているものと同じ楽器とは思えなかった。天の鈴の音のよう。

徹底して「自分のピアノ」にこだわるということだから、楽器の調整にも何か秘密があるのかも知れない。そして、ペダルも多様に使い分けているらしいのだが、何が起きているのか、私にはよくわからない。

言えるのは、感覚的であると同時に非常にクレバーな演奏だということだ。ただ感覚的に美しいだけではないのである。

欲を言えば、もう少し響きの良いホールで聴きたかった。もちろん、それはそれで工夫して演奏していたのだろうと思うし、十分に堪能できたのだが。1,000人を超えるキャパシティを持つ良いコンサートホールがないところが、この街のウィークポイントだ。

2009年6月 7日 (日)

チャイコフスキーの交響曲など~仙台フィル4月・5月

4月と5月の仙台フィルの2つの演奏会について。

4月は、シーズン・オープニングコンサートで、オール・チャイコフスキー・プログラム(4月17日)。指揮は山下一史。

・組曲第4番「モーツァルティアーナ」より、“ジーグ”“メヌエット”“祈り”

・ヴァイオリン協奏曲(ヴァイオリン:佐藤俊介)

・交響曲第4番

5月定期の指揮は小泉和裕(5月22日)。

・ストラヴィンスキー:幻想曲「花火」

・ヴィラ=ロボス:ハーモニカ協奏曲(ハーモニカ:和谷泰扶)

・チャイコフスキー:交響曲第3番「ポーランド」

チャイコフスキーのこれらの交響曲を並べて聴くと、3番と4番の間に、大きな区切りがあることがわかる。第3番は「過渡期的な作品である」と言われていて、一般批評的に見れば確かにそうだろう。3番に比べて4番は、作曲された時期は、たかだか1年くらいしか隔たっていないのにも関わらず、完成度、知名度など、3番に比べて4番は格段にレヴェル・アップしている。

では、4番に比べて3番は面白くないかといえば、決してそんなことはないと思う。たしかに、何となく垢抜けない経過的部分などがあったりして、4番の方が全体ははるかに引き締まっているけれど、整理される直前の混沌という面白さがある。ところどころに、バレエ音楽を思わせるような魅力的な場面も現われる。それもそのはずで、作曲された時期は、「白鳥の湖」にとても近いのである。

「民謡を交響曲に」というコンセプトから、一歩踏み出した絶対音楽を目指そうとしている。しかし、まだ完全には踏み出しきれないで、民謡調があちらこちらに顔を出すし、民謡的なテーマでフーガを書いたりしている。

一方、4番は民謡的要素が抽象化された名曲だが、スコアを眺めていたら、4つの音によって全曲の動機的統一が図られていることに気がついた。・・・ということは、どこかに書いてあるのかしら。とてもわかりやすいことだから、まさか発見した人がいないわけはなく、あちらこちらの解説に記述があってもおかしくはないのだけれど、まだ読んだことはないなぁ。

ヴィラ=ロボス晩年の「ハーモニカ協奏曲」も、珍しい曲目だった。木管と弦中心の小さめのオーケストラだが、トロンボーンとチェレスタは欠かさないというあたりが、この曲のサウンドを決定づけている。

ヴィラ=ロボスの作品は、あまり知らないのだけれど、一種の諦念に似た雰囲気が漂っているのは晩年の作だからだろうか。紛れもなく「大人の音楽」で、お酒でいえば若いワインではなく、ウィスキーモルトの香り。ストラヴィンスキーの出世作「花火」が聴けたのも、楽しかった。

(読売新聞仙台版570字批評は、今年度も続いている。本当は作品について書きたいのだが、求められているのは演奏評なので、ここには新聞には書ききれなかったことなどを書いておく。)

2009年6月 2日 (火)

「毛皮のマリー」観劇記

ふとした出来心から、仙台公演があるというので出かけて行った。

寺山修司・作、美輪明宏・美術/演出/主演「毛皮のマリー」(イズミティ21、大ホール)

なぜ出来心を起こしたかというと、もちろん第一は、寺山作品が現在どんなふうに見えるのかということへの興味。美輪明宏氏が、年齢のこともあるので、この作品を演じるのは最後かも知れないと書いているのも読んだ。そして、麿赤兒、若松武史といった往年の名優が出演しているのにも惹かれた。

会場に着いて、チケットを差し出そうとしたら、係の人が叫んでいる。「本日、大ホールのお手洗いはすべて女性専用とさせていただきます!」

はぁ・・・そういうことになっているかと驚きながら、エントランスのトイレで用を済ませて入場した。

Hi3e0114 次に驚いたのは、ロビーに、薔薇の花でアレンジされた蝶の形を背景に美輪さまの写真などが置かれた祭壇のようなものが作られ、、女性たちがむらがって、携帯をかざして写真を撮っていることだ。

これが「祭壇」。そして、ロビーにはお香の香りが漂っている。

客席について見渡すと、観客のおそらく90パーセント以上は女性だ。話の中身からすると、妖しいお兄さんとかが多いような気がしていたが、まったく見当はずれ。寺山ファンがどのくらい来ているのかは、わからない。

幕が開いて、美輪さま演じる「マリー」と、麿赤兒演じる「下男」との会話が始まる。わぁ・・・何だか歌舞伎だなぁ、これは・・・と思った。台詞や動きが様式化されているように見えるからだろうか。「擬古典的に装われた贅沢な一室」という舞台設定から来る視覚的印象も、まるで歌舞伎だ。そう思って観れば、鶴屋南北が現代に生まれ変わったら、こんな作品があっても不思議ではない気がしてくる。

美輪さま演じる「マリー」は、時々台詞が聞き取りづらいところもあったけれど、声の音色感が変化する様は凄い。そして、本来台詞役者ではない麿赤兒の台詞が、最もよく聞き取れたというのも、なんだか面白い。若松武史も、寺山演劇の懐かしいアクの強さを伝える。

客席の95パーセントの女性(30代から50代くらいが主流か?)は、寺山の言葉をどう聞いているのだろう。とまどっているのではないかなと思われるほど全体には静かで、かつてだったら、もっと沸いたであろう台詞にも反応が薄い。

最後のシーンは、演出によってずいぶん手が入っている。その是非はともかく、幕が降りてカーテンコールが始まった。形どおりにまず脇役たちが拍手を受ける。そして、「欣也」役の吉村卓也と美輪さまの登場となったとき、にわかに舞台装置が動いて、金色の孔雀を背景に二人が現われた。舞い散る金粉。

それまで静かだった客席が騒然となった。おそらくコアなファンがいるのだろう。観客が次々と立ち上がってスタンディングオベーションとなった。美輪さまが、客席に向かって手を広げたり、投げキスのような仕草をすると、大きな歓声が起こる。そして、二人のカーテンコールは延々と続き、私はかなり唖然としながら座っていた。

なるほど、こうやってこの作品は継承されているのかと思う。パンフレットに載っている出演者の顔写真は、まるでホストクラブの店先の写真のようだ。いろいろな意味で面白い観劇だった。

翌日、仙台パルコの中の小さなスペースでやっている、寺山修司と天井桟敷ポスター展を覗いてみた。入場料300円かぁ。狭いんだけどな、ここ。有料なんだ・・・。

展示自体は、ポスターの他に自筆のコピーや出版物などもあるけれど、今までにもいろいろなところで見てきたから、さほど珍しいものはない。ただ、こうして、寺山世界に囲まれていることで思うことが沸いてくるような気がする。

若い、大学生と思しき女性が二人、ポスターを見ながら話しているのが聞こえた。

「ふぅん・・・、天井桟敷って劇団の名前なんだねぇ。」

はぁ・・・そうだよなぁ、キミたちは知らなくて当然だよなぁ。でも、そんな世代が、わざわざ入場料300円を払って入ってくるわけだから、寺山世界のインパクトは、色褪せていないのだろうと思う。

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