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2011年3月25日 (金)

2011.3.11 仙台(11)

少年の家は無傷だった。周りが津波にのみこまれ、彼が通う中学校は、今も避難所になっている。彼は毎日学校にやってきて、避難所の手伝いをする。しっかりした少年。しかし、何人かの先生は彼の異変に気づいていた。言動が妙にハイなのだ。

作業中に、水がかかって彼の靴下が濡れてしまった。自衛隊の人が足湯を入れてくれているから、温まっていきなさい…と先生。「いえ、いいです。」と少年。支援物資の靴下があるから履いて帰ればいい…と先生。彼は、それも断った。

ある日先生は、真っ暗な教室にぽつんと一人でいる少年を発見した。「どうした?」、「いや、ちょっと…。一人になりたかったんで…。」

たくさんの生徒の家が流された。兄弟が亡くなったり、親が見つかっていなかったりといった生徒もいる。そんな中にあって、自分だけ無傷だったことを自ら責める暗黒が、彼の心の中に宿ってはいないだろうか。これからは、多くの子供たちに対する果てしないケアが必要となるだろう。以上、実話

 

 

―― Nさんが勤める中学校は、1階まで津波が押し寄せた。翌日の卒業式の準備をしていた生徒たちも避難してきた周辺の住民たちも、校舎の屋上で難を逃れた。Nさんの愛車も含め、ここだけで約200台の車が水没。水が引いてから、2階以上は避難所となり、一時は1500人もの人がいた。Nさんはそのまま避難所のお世話を勤めて、翌朝一旦勤務解除となり、1時間半ほどかけて歩いて帰ったという。

震災の何日目だったか、ラジオが、この中学校に1500人が孤立していると伝えているのを聞いた時は身が凍りついた。Nさんと学校の無事を祈り続けるしかできることはなかった。 

 

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