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2011年3月20日 (日)

2011.3.11 仙台(6)

3/14() 晴れ

昨日の食事が豊かだったので、少し元気。大学に行く。しかし、あまり何もできない。大学生協の炊き出しを頂く。おかず、ごはんと味噌汁。

夕方、街へ出る。歩いていると、和食屋が開いていた。さば塩焼き定食。普通の食事。美味。

携帯も通じるようになったので、昨日から学生の安否確認を続けている。私が学年担当をしている学生たちは概ね無事であることが、だんだんわかってきた。

夜、東六番丁小学校に避難しながらボランティアをしている学生のM君に会いに行く。携帯で呼び出したら、飛び出してきてくれた。何人かの学生が、ここでお世話になりながらボランティアをしている、また昼間には別の学生たちがお掃除ボランティアに来ていたとのこと。中には、まだ地元と連絡の取れない学生もいる。気が気ではないだろうに、偉いなぁ。


3/15() 晴れ 暖かい。

学年担当をしている学生で、OKさんだけが唯一連絡が取れない。普段ならば出したメールに必ず返事をくれるのに、まったく反応がない。また、近くに住む別の学生の家が半壊になったと聞いたので、安否確認に訪ねて行くことにした。

震災後初めて車で宮城野区に入る。ここは、青葉区よりも被害が大きかったように見える。車のショールームのガラスが崩落していたり、電機量販店の壁が剥離していたり。電気もまだ復旧していない様子で埃っぽい。人々の行列も長く、生活は切実な感じがある。

OKさんは無事だった。連絡が取れなかったのは、電波は入らず、携帯の電池が切れた、停電中なので充電できずという、最も想像できる理由だった。とりあえずこれで担当学年の学生は確認できて一安心。

午後は、同僚のOSさんに私の家に来てもらって、20日に予定していたW先生の退職記念演奏会・パーティーのキャンセル連絡作業。ホールもホテルも損傷があって、閉鎖してしまったのだ。お祝い行事を進める雰囲気でないことも確か。メールとたくさんの電話。

夜、富山から新潟、山形を回って同僚のTRさんが帰ってきて、食品やパンやイチゴなどを差し入れてくれた。夜、雨が降る。


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コメント

きっきいさん、さぞやたいへんかと存じます。宮城に比べればまったくもって軽微なものですがいちおう被災県の茨城からお見舞い申し上げます。
90年代には東六番丁小学校の隣に住んでおりました。小学校には選挙のとき行くだけでしたが、まさか避難所になる日があろうとは想像が及んでいなかった……。
わたくしの生まれた街である仙台の再生を祈るのみです。とうの昔に亡き仙台人の祖父は電力関係でしたからこのたびのもろもろの経過には深く考えさせられています。90年代まで生きていて晩年はそばに居ることのできた祖母は三陸の人でしたが、今回の津波で祖母の故郷は消滅してしまいました。
また無事にお目にかかれますように。

かたやまさん、コメントをありがとうございました。茨城は地震もさることながら、その後の原発事故の被害の方が深刻であるようにお察しいたします。もうこれ以上、風評被害も含めて、農作物や水に打撃を与えるようなことが起こらないことを祈るばかりです。
それにしても、仙台に縁の深いかたやまさんだけに、親身に感じて頂けることがたくさんあるように思います。お祖母様の故郷が消滅してしまったというのは、本当に悲しいことですね。心中お察しいたします。
この悲劇を通して、仙台が、日本の越し方行く末を考える象徴となっていけたらと思うのですが、どうなるでしょうか。
お目にかかれる機会を楽しみに。

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