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2011年10月14日 (金)

その日

この学校は、特認という制度を利用して学区外である島外(塩竃方面)から、毎朝汽船で通ってくる児童・生徒が大半です。その日の島の学校の様子を、校長先生から伺いました。

3月11日は、ちょうど中学校の卒業式。児童・生徒の多くは早い時間の船に乗って帰っていた。残る生徒たちは14時21分発の船で塩竃へ向かっており、もう間もなく港に到着という時に地震が発生した。

子どもたちは、塩竃到着と同時に大津波警報が出ていることを知らされ、そのまま船着き場である塩竃マリンゲートの3階に避難し、難を逃れた。たまたま出張のために早く学校を出た先生や保護者の方も同じ船に乗っておられたために、速やかに避難できた。

「船の到着は、絶妙のタイミングでした。」と校長先生は話されましたが、もう少し早く着いて、保護者の迎えの車に乗っていたら津波に巻き込まれたかも知れません。もう少し遅かったら沖合で津波に襲われることになったでしょう。船着き場付近に停めてあった車は、ことごとく「洗濯機に揉まれるように」流されていった。島外から通う先生方の車もすべて流され、その中の1台は遂に行方がわからなかったそうです。

You Tubeでは、マリンゲートから見た津波の映像を見ることができます。

http://www.youtube.com/watch?v=wl1VMkZma50&feature=related

学校に残っていたのは、校長先生をはじめとする先生方のみ。学校はすぐに避難所となり、校長先生がようやく出た臨時便の船に乗って東松島のご自宅に戻られたのは4日後だったそうです。

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