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2008年7月13日 (日)

本間先生の告別式

6月21日に亡くなられた作曲家・本間雅夫先生の告別式が、仙台斎苑別館で行なわれた。音楽家仲間が実行委員会を組んでの音楽葬である。作曲家であり僧侶である片岡良和先生による伽陀、表白文から始まり、作品の演奏や弔辞が続く。

本間作品は、無調を基本とした厳しい書法によるものが多いけれど、比較的近作であるフルートとピアノによる「かなたへ」は、とても抒情的に聴こえたのが少し意外だった。作曲のお弟子さんに対して、「雰囲気で書いてはいけない。仕掛けで書きなさい。」と、常々言っておられたからだ。

また、故郷に贈った「深浦讃歌」は、調性を持った優しく穏やかな歌。このような書法では、滲み出る人柄は隠せない。

眉をひそめ、苦虫を噛み潰したような表情で小言をおっしゃり、そんな表情のまま、こちらが崩れ落ちそうになるような駄洒落を言われた。そして、仙台圏を中心とする東北の作曲家の束ね役となって、創作活動を刺激し続けた。自ら推進役となった多くの創造と啓蒙の運動のほとんどは手弁当だっただろう。そして、若い人たちを世に送ることにも熱心だった。

指導は厳しかったが学生たちは慕っていた。先生が、仙台でいかに大きな存在だったか、会葬者が500名近かったことにも現われている。

私は、今勤めている大学で、本間先生の直接の後任者ではないが、先生が受け持っておられた授業の大半を引き継いでいる。大学の「同僚」としてご一緒したのは1年半だけだったが、その後も作曲家仲間としてお付き合いさせていただいた。

当時、先生が作られた音楽理論についてのカリキュラムは、完璧なものだった。私は、それをそのまま踏襲しようとしたけれど、何度かの大学改革によって、このカリキュラムを維持するのが困難になり、崩さざるを得なくなった。それは、今でも私にとっては痛恨事だ。

弔辞も演奏も、そして弟さんが語る先生の青年時代の話も、胸にしみるものだった。義弟であるジャズ・ピアニスト、ケイ赤城さんのために書かれた曲も、アメリカから一時帰国したケイさん自身によって演奏された。ケイさんは、日本人で唯一マイルス・ディヴィスと共演したミュージシャンである。

最後に、モーツァルト「レクイエム」の「ラクリモーザ」、「アヴェ・ヴェルム・コルプス」が献奏された。遺影の中の先生は、モーツァルトの美しい音楽を聴きながら微笑んでおられるように思えた。

Photo 写真は、準備中の式場。この式で、私は司会を任ぜられた。大役だったが、本間先生へほんの僅かだけれどご恩返しができたかなと思う。

先生のホームページ→ http://www.masao-homma.com/ ご逝去の告知と石川浩さんによる追悼文が載っているが、作品データベースなどは、現在もそのまま。

2008年7月 5日 (土)

「上り坂コンサート」

14歳は「少年」だろうか。「少年」と「子ども」とは同義語だろうか。

もちろん、世間一般的にはそうに違いない。しかし、「少年」という言い方と「子ども」という言い方の間には、大きな距離が生じる場合もある。

郷古廉(ごうこすなお)くんのことは、ここにも一度書いたことがある(2006年4月7日)。ユーディ・メニューイン青少年国際ヴァイオリンコンクール・ジュニア部門第1位を受賞した直後のことだ。あれから2年、今日は、神奈川フィルとの共演の舞台に登場した。

「上り坂コンサート」を聴きに行く。今まさに「上り坂」にある若々しい演奏者を紹介するシリーズで、これが第8回目。紅葉坂を登りきったところにある神奈川県立音楽堂が会場ですよという意味も掛けているようだ。指揮は井上道義氏。

プレトークでは井上氏が軽妙に、というよりは軽薄すれすれに、もちろんそれは井上流のサービス精神であるわけだが、今日のソリスト郷古くんに切り込む。郷古くんは、それに対して実に率直に誠実に答えている。1682年製のストラディヴァリウスは、「いい音を出したがっているように感じます。」とは、何て堂々とした答えだろう。サッカーに「心奪われた時期もありました。」という話などは、普通の男の子らしくて、かえってホッとする。

はじめの曲、ビゼー「子どもの遊び」でも、演奏はプレトークの軽妙な雰囲気を引き継いだが、郷古くんがラロ「スペイン交響曲」のソロを弾き始めた数小節で、その場の雰囲気は一変した。14歳の「少年」が、ステージを「真剣勝負」の場に変えてしまったのだ。

こんな演奏を聴いたことがない。何度も鳥肌が立った。目頭が熱くなりそうな瞬間さえもあった。今までに数知れず聴いてきた「スペイン交響曲」でこんなことが起きるなんて・・・。演奏の集中は一瞬たりとも途切れなかった。そして、大きく沸き起こった拍手は、簡単には鳴り止まなかった。

郷古くんは、友人であるヴァイオリニスト・勅使河原真実さんのお弟子さんだ。頭角を現してからは、辰巳明子、ジャン・ジャック・カントロフ、ゲルハルト・ボッセ、パヴェル・ヴェルニコフといった先生たちの指導を受けてきた。テクニックということだけでいえば、もしかしたら世界には、同じように優れた少年・少女ヴァイオリニストがいるかも知れない。しかし、音楽のふくよかさというか、取って付けたのではない表情の自然さ、的確さは、他の追随を許さないのではないか。さらに特筆すべきは、その音の美しさ、上品さだ。「スペイン交響曲」という曲は、表情の「揺れ動き」が自然で的確でなければ、そして品格を高く持たなければ、わざとらしい、鼻持ちならないものになってしまう。

どうしてこんなに「味のある」演奏をできるのだろう・・・と思いながら、しかし、特に緩徐楽章などでは師の歌い方が反映されているのを見つけて嬉しくなった。先生の才能を、大きな才能ある人が受け取るとこうなるのだ。この選曲は彼自身によるものだそうだけれど、今一番自分に合っている作品を判断できるのも、優れた能力のひとつだろう。

郷古くんの音楽は、「年齢のわりに大人びている」とかいうものではない。彼が今までにしっかりと身につけてきた等身大のものだ。彼はまだ「少年」かも知れないが、「子ども」ではない。身につけたものを表現できる「少年」とは、何と恐ろしく美しい可能性を持った存在だろう。

2008年6月20日 (金)

チェコを描く4つの音楽

仙台フィルハーモニー管弦楽団第229回定期演奏会を聴く。仙台市青年文化センター・コンサートホール。

下野竜也氏の指揮で、プログラム立てのコンセプトがとても明確なコンサート。

前半は、ドヴォルジャークの序曲「フス教徒」と、同じくドヴォルジャークの「チェコ組曲」。

この2曲も頻繁にプログラムに上ってくるものではないと思うが、後半は雰囲気が一変して、さらに珍しい2曲。

まずマルティヌーの交響詩「リディツェへの追悼」。リディツェは、ナチスによって壊滅させられたプラハ近郊の村の名前。不条理な殺戮への怒りは極力押し殺した、ひたすらに哀切で美しい音楽。

4曲目は、1921年生まれの作曲家カレル・フサの「プラハ1968のための音楽」。「プラハ1968」は、無論、「プラハの春」を受けてのワルシャワ機構軍によるチェコ制圧、いわゆる「チェコ事件」を意味する。オリジナルは吹奏楽のために書かれたが、ジョージ・セルの勧めによって管弦楽版が作られたとのこと。スコアを見ていないのだが、聴く限り、二つの版の差異はオーケストレーションだけのように思える。集中度の高い、緊迫した音楽。

どの曲も(特に「スフ教徒」と後半の2曲)、音楽の輪郭がはっきりしていて、良い演奏だった。実は、今月からしばらくの間、仙台フィルハーモニー管弦楽団の定期演奏会を、某紙のために「仕事で聴く」ことになったので、ここでは簡単な報告だけに留めておこう。

2008年6月12日 (木)

音の旅 第5回

小山実稚恵さんのピアノリサイタルシリーズ、第5回を仙台で聴く。仙台市青年文化センターコンサートホール。

今回のサブ・タイトルは「プログラムの醍醐味・めぐる音<玉虫色・もつれあう鈍い光>」。

1曲目、ベルクのソナタop.1 の冒頭、4度堆積主題が描かれた瞬間から、妖しい雰囲気が漂う。22~23歳のベルクが、いささか神経質に試した複雑な対位法は、高揚と沈静を繰り返す大きな波にのみ込まれ、スクリャービンの知られざるファンタジーと聴き違えるよう。こんな聴こえ方をした演奏に接したのは初めてだった。このソナタが書かれた頃、スクリャービンは第5ソナタを作曲している。時代の気分として、神秘主義的な芸術感が二つのソナタを通底していると妄想したとしても、あながち荒唐無稽とばかり言えないのではないか。

その余韻の消えぬうちに、シューマンの第1ソナタが弾き始められる。ソナタop.1 を書いたベルクとほぼ同じ年齢で作曲された作品。音を凝縮したベルクと対照的に、言いたいことはちょっとのことでは言い尽くせないとばかりに、長大で込み入った構造を持ち、細部に拘ると何が何だかわからなくなってしまう饒舌で異形のソナタを、小山さんは、細部に関わりすぎることなく大きなうねりの中で捉え、描ききった。長くてよくわからない曲という先入観は粉砕された。

休憩後はフランク「前奏曲、コラール、フーガ」。この日演奏されたどの曲もそうだが、この曲も小山さんによって劇的な物語のように組み立てられる。実に気高く美しい音楽であることを、あらためて認識し直す。コラールからフーガへ移りゆく場面や、二重フーガが鳴り響く場面など、今回の演奏会すべての中でも圧巻だった。

最後は、プロコフィエフの第7ソナタ、いわゆる「戦争ソナタ」。虚構の中の「現実」と「夢想」の狭間に引き裂かれていくさまを見るよう。引き裂かれていくおのれを凝視する、もうひとつの視線があれば、さらに立体的になるのではなかろうか。

アンコールは、プロコフィエフ「前奏曲 op.12-7」、ラフマニノフ「前奏曲ト短調 op.23-5」、グラナドス「スペイン舞曲集~第2番<オリエンタル>」。

会場にいた学生くんや卒業生さんたちとともに、サインをねだる。サインをもらって、みんなとても喜んでいた。次回(10月)も楽しみ。

2008年5月31日 (土)

藤原真理 チェロ名曲コンサート

神奈川の家の近くで、藤原真理さんのコンサートがあったので聴きに行く。麻生文化センター。ピアノは、誘ってくれた倉戸テルさん。

藤原さんのコンサートは、2006年の5月に盛岡で聴いて以来である。その時の印象を、藤原さんのチェロは、「音の生まれるところから『まっすぐに』伸びてきて、私たちの耳に心に届く」と、このブログに書いた。2年後の今回も、その印象はまったく変わらない。というより、より率直に、より「まっすぐに」語りかけられているように感じる。藤原さんの境地がまたひとつステージアップしたのかも知れないし、藤原=倉戸コンビの成熟かも知れない。テルさんのピアノは、出すぎず引っ込みすぎずの名サポートだ。私は、昨年、チェロのための作品を書き損なったのだが、藤原さんの音を聴いていると、そのことがとても悔やまれた。

プログラムは、バッハ「アリオーソ」(BWV156より)、マルチェロ「アダージョ」、バッハ「無伴奏組曲第3番」から、サンサーンス「白鳥」、フォーレ「シチリアーノ」「夢のあとに」、ラフマニノフ「ヴォカリーズ」と、前半には(無伴奏組曲を除けば)いわゆる名曲の小品が並ぶ。後半は、シューベルト「アルペジオーネ・ソナタ」があって、ウェーベルン「3つの小品」op.11、最後がカタロニア民謡「鳥の歌」。

このような構成のコンサートを、藤原さんは、年間どのくらいなのだろう、かなりたくさんの回数を全国各地で開いておられる。名曲の小品をきちんと聴かせるというのは、本当はとても難しいことだし、その中に「アルペジオーネ・ソナタ」のような難曲、規模の大きな名曲を組み入れるのは、見た目のライトさ以上に、演奏家にとっては真価が問われる厳しいプログラム立てだ。聴衆にとっても、このようなプログラムを、素敵な演奏で聴かせてもらう満足感は深いし、啓蒙的でもある。決して力むことなく、むろん手を抜くこともなく、こういう演奏会を真摯に続けておられる藤原さんには、本当に頭が下がる。

ロビーでは、CDが飛ぶように売れていた。演奏会を聴いて、藤原さんの音にもっと触れていたいと思うのも当然だろう。

2008年5月28日 (水)

ハイドシェックを聴く

エリック・ハイドシェックのピアノ・リサイタルを聴きに行く。日本ツアーの初日、仙台・電力ホール。

ハイドシェックは、1936年生まれ。若い頃から高名だったので、その名前は半ば伝説化しているようにも思うけれど、まだ70歳そこそこということだ。

音楽も、老境という雰囲気はなく、十分に若々しい。ペダルを巧みに扱って、独特の響きを紡ぎだす。それは、あまりにもデッドなこのホールの残響対策という面があったのかも知れないが、そのことを差し引いても、独特のぺダリングがハイドシェックの演奏個性を作っていることに違いはないだろう。

プログラムはオール・ベートーヴェン。「悲愴」ソナタ、自作主題の変奏曲op.34、6つのバガテルop.126、そしてop.110のソナタ。

堅牢に組み上げられたベートーヴェンではない。両外声が浮き上がり、時として内声は朧(おぼろ)に霞みがちになる。フランスのピアニストのすべてがこうではないだろうが、耳を傾けようとしている響きの拠り所が、ドイツ系の演奏家とは明らかに異なっている。コルトーのピアノを思い出しながら聴いていたのだが、コルトーの薫陶を受けたという知って、さもありなんと思った。弾き始めたら、そのピースのキャラクターはひとつであって、決してぶれないというあたりも、コルトー譲りか。

風貌はともかく、ステージでは、およそ大ピアニスト然とした高慢な態度は微塵もなく、舞台袖になかなか引っ込まないで、客席に向かってにこやかに何度も何度も答礼する。地方の朴訥な職人という風情。ご実家がシャンパーニュのワイン醸造だったということと関係のある気質かどうかはわからないが。

私は、基本的にコルトーの演奏は大好きだし、譜面にはあるが、ふだんはあまり聴こえてこないような音が時々ぐんと浮き上がって聴こえてきたりして、面白かった。そして、op.110などとても良かったけれど、アンコールのモーツァルトのヘ長調ソナタ(第2番)第2楽章や、ブラームスのインテルメッツォ(op.118-2)は絶品だった。このような演奏家の「音楽性」の前では、少々のミスタッチなど、どれほどの瑕でもないことがよくわかる。

2008年5月 5日 (月)

銀座でピノッキオ

こんにゃく座公演のオペラ「ピノッキオ」。昨年東南アジアで公演をしてきた萩京子さんの作品で、このたび日本初演の運びとなった。その最終日を観るために、時事通信ホールのある東銀座に出かける。

Photo マチネなので、久しぶりにナイル・レストランに寄って腹ごしらえ。このインド料理店は、1949年からあるそうだ。

席に着くと「ムルギーランチ?」と訊かれるので、「うん」または「はい」と答える。それで注文終わり。定番ですからね。他のものを注文したことはないし、注文している人もほとんどいない。「ムルギーランチ?」と尋ねられたときに、「いや、そうじゃなくて・・・」とは、よほど構えていないと言いにくい。「えー、どうしようかな・・・」などとためらっていると、「ムルギーランチ、ウチの定番!」と追い討ちをかけられる。

ムルギーランチは、鶏のもも肉1本とマッシュポテト、黄色いライスにカレーがかかったワンプレート。鶏の骨をはずしてくれるので、全部混ぜて食べる。美味。

インド人である二代目ナイルさんがお客に、「ワカダンナ、お大事にね。」などと話しているので、常連さんのどこぞの若旦那が来ているのかなと思いながら食べていたら、近くの席の人にも、「ワカダンナ、後ろからごめんなさい。」と言って水を注いでいる。どうやら、若い人は「ワカダンナ」と呼ぶことにしているらしい。ちなみに、この二代目、河東節で歌舞伎座に出演したりすることもあるそうだ。お店のホームページに、写真が載っている。さすが東銀座!渋谷のインド料理店主は「ワカダンナ」とは言わないだろうし、河東節のお稽古もしないだろう。

Photo_2今日はお祭りで、神輿がちょうど歌舞伎座の前を練り歩いているところだった。この一角だけは混雑しているが、目の前の晴海通りは自動車が行き交っているし、沿道にたくさんの見物がいるわけでもなく、何となく寂しいような気の毒のような感じでもある。

さて、ずいぶん寄り道をしてしまったが、「ピノッキオ」のこと。

「ピノッキオ」(原作カルロ・コッローディ)は新聞連載として書かれた長い作品だそうだが、ここではたくさんの登場人物を出演者4人が演じ分ける。楽器はピアノ1台とキャストが奏する打楽器やアコーディオンなど。ピアニストは、ピアノを弾きながら片手で鍵盤ハーモニカを吹くところもあるという人員節約ぶり。

山元清多さんの台本では、「いい子にしていれば人間の子どもになれる」という結末の「教訓」が、「木の人形のままでも元気に生きていくんだ」というように変えられている。そして、波乱万丈の冒険によって鍛えられたピノッキオは、「強く逞しく、優しく」生きていくと歌う。ひとつ間違うと鼻持ちならなくなりそうなフィナーレだが、てらいもなく、堂々と、ごくあたりまえのこととして歌われ、潔い。幕切れは、すべての登場人物が人形に戻っていく気配。夢のように美しく、そこはかとなく儚さが漂い、「教訓」を昇華させる。素敵な余韻の残る幕切れだ。

萩さんの曲は、リズム・オスティナートの上に展開されるメロディーという造りのオン・パレードだが、肩の凝らない題材に自然体で向かって、躍動感溢れる作品となった。4人+ピアニストは大奮闘。伊藤多恵さんの演出も、アイデアに満ちていて楽しい。「あおくんときいろちゃん」、「ロはロボットのロ」などに次いで、この座の旅公演向きレパートリーに、またひとつ佳品が加わった。

休憩なしで1時間20分。休憩なしの公演としては、ちょうど良い長さ。

2008年5月 3日 (土)

沖縄を歌う

寺嶋陸也さんの新作合唱曲初演があったので、聴きに行く。TOKYO CANTAT 2008 という合唱フェスティバルでのコンサート。すみだトリフォニー大ホール。

「沖縄諸島 歌の島」と銘うたれたコンサートで、5人の作曲家の6作品が、コーロ・カロスを中心とする様々な合唱団によって演奏された。

いくつかの作品が共通のテーマによって括られる多くの場合に起こり得ることだが、とりわけ「沖縄」というキーワードは、作曲者の「沖縄」の捉え方、考え方、距離などの違いが如実に明らかになるように思える。音楽的には、琉球音階が醸し出す独特の雰囲気をどう処理するかという作曲書法上の問題もある。

冒頭に初演された寺嶋作品「おもろ・遊び」は、琉球の古い神歌「おもろさうし」3首を歌詩として書かれた。「おもろさうし」に記されている詩は、もともと口承伝承の歌だが、現在では節は失われているから、詩として読むほかはない。古い琉球のことばで書かれたそれは、詩というよりはほとんどおまじないの文言のように見える。

寺嶋作品でも歌詩を追うことにはほとんど意味がない。大意だけを承知して、あとはことばの音韻、音の響きの美しさを、ゆるやかに流れていく舟の上か何かにいる心地で楽しんだ。だが、それは、聴き流すことのできる通俗的気楽さとは遠く、琉球音階を避けたことで、むしろ架空の国の架空の神への宗教歌のように聴こえる。そして、その無論特定の神に対するものではない宗教的な高揚と沈静の音楽は、最後には海に流れる風のあわいに溶けるかのごとく消えていった。演奏時間20分以上を要する真摯な力作。間宮芳生「コンポジション」シリーズの後を継ぐ存在感と内容を持っている。

高橋悠治「クリマトーガニ」(1979)からも、ある種の呪術的な響きが聴こえてくるが、こちらは琉球音階を避けず抽象化したことで、南方のさまざまな異国への、より強い繋がりを示すことになった。楽曲としての構築が排されているかのように見え、聴いていると快く開放された退屈さに満たされてくるが、実は決して構築を放棄しているのではない作法は興味深い。

信長貴富「廃墟から」は、「ヒロシマ」、「ガダルカナル島」、「オキナワを踏まえたすべての戦争犠牲者への鎮魂」という3章のうちの2と3のみが演奏されたが、おそらく全章を通して聴くべき作品なのだろうと想像する。抜粋演奏では、2章と3章との書法の違いばかりが目立って、「鎮魂」に収斂されていく過程が見えにくい。

沖縄のわらべうたや民謡を素材とする瑞慶覧尚子「花ぬ風車」組曲、林光「島こども歌」、寺嶋陸也「沖縄のスケッチ」では、作曲者の素材への距離の取り方の違いが見て取れる。林作品と寺嶋作品の方向性は似ていて、元の歌に最小限のものを付け加えることによって、創作としての独自性を最大限に膨らませようとする。瑞慶覧作品では、特に「月の美しゃ」の素材に与えたテクスチュアはこよなく美しいけれども、創作として付け加えたものがやや饒舌に過ぎる箇所もあるように思えた。

演奏会全体は、加藤直さんの構成・台本。ラジオ番組仕立ての朗読(竹下景子)が曲を繋いでいく。成瀬一裕さんによる美しい照明が、それぞれの曲や場面を集中させていたが、ことばによる繋ぎが効果的に有機的であったかどうかは、よくわからない。休憩なしで2時間10分。先週軽く腰痛を再発させている身にとって、座りっぱなしはいささか辛いものがあった。途中休憩が入ったとしても、このコンセプトは集中を切らさず持続できただろう。「休憩なし」が効果的な公演があることは十分承知しているけれど、同時に、会場にはいろいろな事情を抱えた聴衆がいることも考えてほしいと思う。

2008年4月28日 (月)

マイルス本の耐えられない(?)厚さ

現代芸術論Aという授業、今年は半期をかけて「マイルス・ディヴィス」だけを聴いてもらうというプランを立てた。以前から一度やってみたかったのだ。

おぉ、何という偏った内容!大学の授業たるもの、独断偏見を排除してもっと多角的総花的になるよう内容を精査すべきである・・・な~んて言われそうだな。

バカ言うんじゃない、な~にが、ふぁかるてぃ・でぃべろなんとかだ。少なくともジャズというフィールドを見渡そうとしたら、結局マイルスにたどり着くのだし、ジャズのみならず、フュージョンやロック、レゲエやラップ、ヒップホップサウンドに至るまで、非クラシック音楽の多様な面に接近できる可能性を、マイルスは持っているのだ。もっとも、結果的にはマイルス以外のミュージシャンに焦点を当てる時間も多いと思うけれど。

そんなわけで調べてみたら、家にはマイルスのCD、レコードが50枚くらいあることがわかった。とりわけマイルス狂いというつもりもなかったのに、いつの間にかそんなことになっていたのか・・・。でも、マイルスのディスクはブート盤などを含めると300とか400とかいう数字になるそうだから、大したことはない。

そして、授業の準備には多少本を読んだりもしなければならぬ。いや、ならぬことはないが、やはり興味深いミュージシャンなのだから、読んでみたいと思う本が多いのだ。

ところが、ここに立ちふさがる問題。マイルス本は、どうしてこんなに厚いのだろう。

新書の2冊、『マイルス・ディヴィス ジャズを超えて』(中山康樹著、講談社現代新書)の228ページ、『マイルス・デイヴィス完全入門』(中山康樹著、ベスト新書)219ページや地球音楽ライブラリー『マイルス・デイヴィス』(TOKYO FM出版)221ページは、ごく手頃なページ数だ。

マイルス語録である『マイルスに訊け』(中山康樹著、イーストプレス)167ページ、『マイルスからはじめるJAZZ入門』(後藤雅洋著、彩流社)190ページ、『定本マイルス・デイヴィス』(ジャズ批評ブックス)267ページ、恐れることはない。

『マイルス・デヴィスの芸術』(平岡正明著、毎日新聞社)397ページは、できればじっくり読んでおきたいし、『マイルス』(ビル・コール著、諸岡敏行訳、晶文社)は本文197ページに逆側から開く資料109ページがついて、しかしこの2冊とも見た目にはごく普通のハードカバーの体裁。

『マイルス・デイビス自叙伝』(マイルス・デイビス、クインシー・トロープ著、中山康樹訳、宝島社文庫)は、とても面白いし真っ先に読むべき本だが、Ⅰ、Ⅱの2冊に分かれていて、それぞれが350ページ以上ある。

ちょっとびっくりするのは、最近出た『M/D マイルス・デューイ・デイヴィスⅢ世研究』(菊地成孔、大谷能生著、エスクァイア・マガジン・ジャパン)770ページ。小ぶりの版なので、本屋に並んでいると厚みが際立つ。厚いわりにはそれほど重くない(内容がではなく、目方が)のがせめてもの救い。

そして、極め付きは『マイルスを聴け』(中山康樹著)である。1992年に径書房から出た『マイルスを聴け!!』は340ページのハードカバーで瀟洒な装丁。初版を手に入れてからずっと愛読・・・というか参考にさせてもらっていた。

その後ヴァージョンアップを重ね、現行版は『マイルスを聴け!version7 』。なぜか「!」がひとつになり、双葉社文庫で975ページ!文庫で1,000ページに迫ろうかという厚さは京極夏彦と双璧。天晴れというかなんというか。

ここに挙げた以外にも、マイルス本はたくさん出版されている。その内容は入門書から伝記、研究書まで様々だ。ともすると、マイルス本が肥大する傾向があるのは、やはりマイルスの音楽にそれだけ論じるべき内容が多いということだろう。それは理解できる。しかし、新幹線移動の多い私などにとって、厚い本を何冊も持ち歩くのは、なかなか辛いものがあるのである。

2008年4月12日 (土)

東儀兼彦氏を悼む

篳篥の東儀兼彦さんが3月25日に亡くなられて、4月2日、告別式に参列した。築地本願寺。

1977年、まだ学生だった私たちは、国立劇場の雅楽公演「LICHT-HIKARI」初演に、裏方として参加することになった。作曲者シュトックハウゼンは、ドイツの前衛作曲家として日本でも大変よく知られていたから、この公演は日本の音楽界にとって大きな「事件」だった。

「LICHT-HIKARI」初演をめぐる毀誉褒貶について書くのは、機会を改めよう。私にとって、そしてその後しばらくの間私と同じように雅楽への接近が続くことになる友人の作曲家・菅野由弘にとっても、シュトックハウゼン以上に、この時の雅楽楽師の方々との出会いは、重要なできごとだったと思う。

伝統を受け継ぐリーダーとしての矜持のためか、いささか気難しくも見え、しかし時として親分肌で人なつっこい笑顔を見せてくださった笙の多忠麿先生、飄々として謙虚でいながら、ひとたび龍笛に息を吹き込むと、恐ろしいほどの存在感ある音色を立ち上がらせる芝祐靖先生、そして兼彦先生が、当時の宮内庁楽部のホープだった。

兼彦先生の篳篥は、揺るぎなく堂々としていて、その安定感にはいつも圧倒された。だがある時、「縒合という曲はね、静かに吹くの。こんなふう。」とおっしゃって一節聴かせてくださったそのピアニッシモの音色の、何と繊細で美しかったことか!

兼彦先生は、とても気さくなお人柄で、冗談交じりでお話していると、秦河勝を始祖とする楽家の52代目で、こんなことでもなければ決してお知り合いになれたりしない方であることなど忘れてしまいそうだった。正確なお年は知らなかったが、当時の私の年齢から考えると、40歳前後でいらっしゃっただろうと思われる。

今40歳という年齢を考えると、当時の先生方はとても落ち着いておられ、大人の風格をお持ちだった。そして、雅楽といえば越天楽くらいしか知らない若造の作曲学生のくせに、最高の雅楽演奏家の方々のそばで、練習や演奏を聴かせていただいたり、時には作曲したものを演奏していただけたりしたのは、何て幸せなことだっただろう。兼彦先生には、雅楽の唱歌を教えていただいたこともあった。

そして、本当に一流の人たちは、決して偉ぶったり威張ったりしないのだということを、兼彦先生をはじめとする当時の本当の大人の方々から学んだ。

忠麿先生は思いがけなく早世され、芝先生は楽部を辞して伶楽舎を率いての活動が中心となる。私たちも国立劇場の仕事から遠のいた。兼彦先生は、2000年から3年間、宮内庁楽部の主席楽長も勤められたということだが、残念ながら、近年はお目にかかれる機会がなく、年賀状をやりとりするだけだった。ご病気になられたが克服されたとも聞いていただけに、本当に残念なことである。享年70歳は早すぎる。

告別式で献奏をされた宮内庁楽師は、すっかり世代交代して、若い方々ばかりになっていた。光陰矢のごとし。

謹んでご冥福をお祈りいたします。

2008年3月20日 (木)

ルノワール+ルノワール

渋谷のBunkamuraザ・ミュージアムで、ルノワール+ルノワール展を観る。

画家ピエール=オーギュスト・ルノワールと映画監督である息子ジャン・ルノワールの両方を紹介する父子展という珍しい趣向。他の画家では実現不可能な企画だ。

父子展といっても、展覧会場で催される限り、画家である父に重点が置かれる。絵画と映画、どちらも光を扱う芸術だとはいえ、空間の構築である絵画と、時間芸術である映画とを対等に置くことは困難だからだ。映画は、スチール写真で紹介されるほか、あちらこちらに置かれた小さめのスクリーンに、作品の抜粋が映されている。

映画監督ジャンが、いかに父の影響を受けているか、絵画と映画を並置してあるのが面白い。父が描いた<ラ・グルヌイエール>の水辺の風景や<ぶらんこ>遊びと息子の映画『ピクニック』でのボートのシーンやぶらんこのシーン、<田舎のダンス>の振り向く女と『恋多き女』のダンスシーンなど。父の作品を絵コンテにするのようにして、動く絵画としての映画を、息子は作る。

それにしても、どんな絵画でもそうだが、とりわけルノワールの絵画の凄さは実物の前に立たないとわからない。描きこまれた光によって浮き立つ人物や風景の質感は、鬼気迫るほどにリアルだ。写真で観るルノワールも「きれい」だけれど、そこに見えるのは、実物の前で見えるものの半分にも満たないと思う。

展覧会の常であるしーんとした会場ではなく、あちらこちらで映されている映画から、台詞や音楽が、音量は抑えられているとはいえ、聞こえてくる。純粋に絵画鑑賞をするのには邪魔になりそうなざわめきだが、それがかえって、ルノワール絵画から漂ってくる幸福感を強調しているように思える。そう、この父子の作品には、どこか何ともいえない幸福感が感じられるのだ。

Bunkamuraザ・ミュージアムでは5月6日まで。その後は京都国立近代美術館に巡回する。

http://www.ntv.co.jp/renoir/

2008年3月19日 (水)

春の雨の夜、横浜の洋館で。

横浜のみなとみらい線、馬車道駅のすぐそばに、大きな洋館がある。元は銀行だったもので、現在は東京芸大大学院映像研究科となっている。

実に立派で美しい建物だが、ここで「野田暉行退任記念・作品コンサート パートⅡ」があった。過日、新奏楽堂で行なわれたパートⅠは行けなかったので、今回は出かけていく。

なぜ映像研究科で退任コンサートかというと、野田先生が副学長として、映像研究科の設置に尽力されたことから、映像研究科スタッフよりの御礼の意味が込められているのである。

そして、映像研究科を束ねる科長の藤幡正樹さんは、私とは大学の同級生。すっかり偉くなっておられるわけだが、お互い、美校、音校の数少ない友人のひとりだっただけに、昔一緒に遊んだ記憶は鮮明だ。「あれぇ!?こんなところで会えるとは~!」と、私を見つけて声をかけてくれたフジハタくんの、何ともいい感じの自然体は、学生の頃と全然変わっていない。

コンサートは、芸大の学生さん、大学院生さん中心の演奏。作曲者の指揮で女声合唱曲「湘南讃歌」が歌われたあと、ピアノ曲「オード・カプリシャス」、編曲集「日本のメロディ」より。冒頭には、野田先生と藤幡さんのプレトークがあり、休憩時間には野田先生の音楽によるアニメーション「まつりご」が上映された。密度の高い、そして演奏難度も高い作品ばかりだが、いずれも、大変に好演。決して広くはないけれど、天井が高く残響が多い、素敵な雰囲気の会場。充実した、とてもいいコンサートだった。

2008年3月16日 (日)

旧師を囲む

受験から大学を通してお世話になった作曲家の野田暉行先生が、この3月で芸大を定年退任されるとのことで、門下生中心のお祝いの会があった。フォーシーズンズホテル椿山荘。

野田先生は、特にエクリチュールの師匠としては完璧な方で、でもこちらの能力の無さから、いくばくかのものすら受け継がせていただくことができていないなぁと思う。ただ、私が大学教師稼業で、曲がりなりにも和声学なぞを偉そうに長年にわたって担当していられるのは、まぎれもなく先生のおかげなのである。

大学院を修了されてすぐ、1967年に助手として芸大にお勤めになられてから実に40年、芸大一筋。私が、先生のレッスンに通うことを許されたのが1971年ごろのはずだから、もう35年以上も前だ。100名近い関係者がお祝いに駆けつけた会場は、意外にも若い人が多いなぁと思ったのだけれど、計算してみれば、私たちの世代は比較的初期の弟子ということになるのだから当然かも知れない。

Photo 乾杯の音頭を取られた松尾楽器の松尾治樹社長は、最初期のお弟子さんとのことだが、一番最初のお弟子さんは加古隆氏なのだそうだ。門下生の系列、私などは末席もいいところだが、私の上には、新実徳英さん、野平一郎さん、糀場富美子さん、西村朗さんらがおられ、少し下には南聡さん、安良岡章夫さん、国枝春恵さん、徳山美奈子さん、だいぶ若いところでは夏田昌和さんらが活躍している。とりわけ異色なのはウィーンでコレペティトゥアの仕事を続けている三ツ石潤司さんが一時帰国中で、ユニークなスピーチに大笑いした。

お弟子さんではないが、関わりの深いピアニスト渡邉康雄さん、規久雄さんご兄弟や、作曲の西岡龍彦さん、小鍛冶邦隆さん、佐怒賀悦子さん、山本純ノ介さん、山内雅弘さんといった方々とも、久しぶりにお会いできて楽しかった。同級だった山本泰久さんなどとは大学卒業以来ではないだろうか。

私自身は、べつに反逆したつもりもなかったが、ふと気がついたら、ありゃ「芸大アカデミズム」とはかなり離れたところに立っているぞという具合で、いささか敷居が高いのだけれど、集まってみれば単なる同窓会。先生の風貌も以前と少しもお変わりないから、和声課題で連続5度を直されたり、落とした臨時記号を大きく書かれたりしていたころから30数年経ったと言われても、何だか変な感じがするばかりなのだ。

2008年3月15日 (土)

「ボルヘスの時間」

現音の音楽展、作曲の若い友人門脇治さんの新作モノオペラの上演に出かける。東京文化会館小ホール。

登場人物は一人、「ピエロ・リュネール」と同じ楽器編成のアンサンブル、それに、あらかじめ録音された音などがかぶる。

台本は、アルゼンチンの作家ボルヘスの、だが特定の作品を題材にしたものではなく、数作品が混合されて作られたとのこと。出演:松平敬、台本:村上茂伯、演出:飯塚励生、指揮:松尾祐孝の諸氏。上演時間は30分ほど。

精緻で、高いテンションが維持されて作曲されたと思える作品。テクスチュアもよく工夫されている。もう少しメリハリがあっていいだろうけれども。そのあたり、やはりかなり真面目な作品という感じがある。

残念なのは声と楽器のバランスが最悪で、しばしば声が楽器にかき消されることだ。そのため、すべての言葉が聴き取れたとしても(おそらく)全部はわからないであろう抽象的な内容が、ますます断片的にしか伝わって来なくて、もどかしい。せめて、どのくらいわからない内容なのかくらいは、わかりたかった。

原因は、書法や唱法にもあろうが、会場と、アンサンブルのコントロールの問題が大きいように思われる。東京文化会館小ホールは、この作品の上演にふさわしい雰囲気を持っているけれども、もう少し工夫をしないと厳しいものがある。増幅された音響を伴なったりもする部分もあるので、なおさらだ。

素材はいかにも門脇さんらしいものだし、しっかりした作品を書いたなと思う。環境を変えての再演の機会が待たれる。

たまたま隣の席に座ったAOIの大坂さんはどうだったかわからないが、このあと上演された別の作曲家の約1時間かかる作品に、私はどうしても馴染むことができなかった。ただ、終演後の帰り道で、作曲家の北爪やよひさんや高嶋みどりさんにお会いできたので良しとしよう。高嶋姐さんは大学の同級生だが、実に数年(数十年?)振りの再会だった。

2008年3月 4日 (火)

写真新世紀 仙台展2008

せんだいメディアテークで。この日が最終日。

午前中近くで用事があったので、ほんのわずかの時間を盗んで、メディアテークに飛び込んで観る。

キャノンが、新人写真家発掘・育成・支援を目的に行なっている文化支援プロジェクト。1991年から続いているとのこと。

選者が荒木経惟、森山大道、飯沢耕太郎といった人たちで、この人たちの仕事を多少なりとも知っていると、それぞれ、いかにもだなぁと思える作品を推しているのが興味深い。個人的には、青山裕企という人のフェティッシュっぽい雰囲気の作品が面白かった。

だが、ゆっくり楽しむ時間がなかったのが残念。そんなふうに、こっそりとしか息抜きの時間が確保できないのだ。結局この日は、この後、午後から教授会と公聴会が夕方まで、食事をする間もなく同僚の先生たちとの勉強会、その後参加者は飲み会に行ったけれど、残念だが私は辞退して、そのまま翌日の会議のための書類作り。結局学校を出たのは23時近かった。それでも仕事は片づかなくて、成績提出やらシラバス入力やらの締め切りが迫っていたりする。ここのところ、ずっと仙台に居続けているのに、遊ばず休まず仕事しているつもりなのに、ちっともはかどらない。

せめて、こうしてわずかの時間に反逆して展覧会に飛び込んだりして、そのことを記録しておかないと、雑用の忙しさのために感性が粉砕されてしまいそうなのである。

2008年3月 3日 (月)

「春の庭に小鳥がうたう」

仙台に拠点を置いて活躍しているマリンバ奏者星律子さんのコンサート。仙台市戦災復興記念会館。

いろいろな場面での出演は多いけれど、個人リサイタルは久々なのかな?これを機会に、またもうひとつステップアップするようにがんばろう・・・といった意気込みに溢れたコンサート。

曲の間に星さん自身がお喋りをはさんでいく。照明を駆使し、PAも入っていて、ちょっとディナーショーのよう。

以前に神谷百子さんのために編曲した武満さんの「小さな空」。星さんもとても大切に弾いてくださっていて、今夕も素晴らしい演奏で聴かせてくださった。

それから、「庭の千草」をマリンバ3台のために新しく編曲したものが初演された。曲も編成も、星さんからのご要望。菊地みずえさんと渡辺峰子さんが共演。

トレモロみまれでボワボワした音にしたくなかったので、トレモロは極力抑え、コロコロした音で、この懐かしい旋律を飾れないかなと思って編曲した。編曲に関しては、少し改訂する余地があるかも知れないが、まぁまずまずの出来かな。演奏はとても良かった。

満席の会場は、このホールで行なわれるコンサートの多くとは、ずいぶん違う雰囲気だった。

ちなみに、「春の庭に小鳥がうたう」というのは、このコンサートのサブタイトル。

2008年3月 2日 (日)

卒業演奏会無事終了

ひとつ前の記事の続きです。

卒業発表をした人たちが、学内の試験の時と比べて、みんな大きく「化け」ることに驚かされます。

試験が行なわれるのは、だだっ広い講堂。散らばっているのは難しそうな顔をした先生たち。寒いし、公開だけど拍手はないし。そんな雰囲気とは全然違う。街のきれいなホール、ステージ衣装も着る。そして何よりも、後輩たちと一般のお客さまの応援がある。でも、「化け」られるわけは、それだけではないでしょう。

Photo_2 すべての演奏が終わったところで、全員が舞台に上がり、今年度で「卒業」される先生に歌をプレゼントするというサプライズ企画。学生くんたちが選んだ歌は「森は生きている」でした。

以下に、前の記事同様、某掲示板に書いた私の「日記」と、それに対するコメントを載せさせてもらいます。

[きっきぃ 2008年03月02日23:24]

立ち去り難く、けれども、方向の近い人たちと一緒にタクシーで帰ってきました。

音楽大学だったらオーディションとかがあったりして、卒業演奏会に出られるのはごく限られた人だけだよね。でも、ウチの学校は希望すれば全員出られる。 そして、その運営、裏方も表方も、すべてを後輩たち全員で支えている。もちろん、教員も全員でバックアップする。こんなすごいことをやっている。しかも、それが30年以上続いているんだから、本当にすごい。

そして終わった後は、ご予約のお客さま八十数名様という、年一度の大レセプション。音楽科の学生と先生方が勢ぞろいする。さすがに壮観だ。こんなにたくさんの人がいたら、半分くらいは知らない人だろうなんて思うのだけれど、よく見ると全員知ってるんだよねぇ。実はこんなにたくさんの学生くんたちと付き合っていたのかと思うと、不思議な感じだな。ぼくの授業の教室の中には20人ずつくらいしかいないからね。

Photo

レセプションの時間は全然足りなくて、誰しも立ち去り難く、解散の声がかかってもなかなかバラケなかった。気持ちはみんな同じだったんだろうな。けれど、そのまま溜まっているのも通行の迷惑だから、帰ってきました。 毎年思うけど、この演奏会の日は、学校での一番楽しい二日間だ。

お疲れさま!みんな、ありがとう。

****************************

(以下、コメント)

[ふう 2008年03月02日 23:31]

お疲れさまです。そしてありがとうございました。 立ち去り難かったけど、終電の時間でお先に失礼しました(泣) まさかレセプで自分が前に立つ日が来るとは…。一年たつのは早いですね。

[みぃ 2008年03月03日 00:07]

帰りたくなくてけど帰りたくてけど全然帰りたくないDUCCA前でした。みなさん思ってることは同じだったのですね(*´∀`) 本当お疲れ様でした!

心の底から楽しかったです。感慨深すぎてジーンでした(>_<。) もぅ来年なんだ…先輩がいなくなるなんて信じることが出来ません(ノд`。) 来年とゆーか今年、よろしくお願いいたします(*´∀`)ノ

こらこらっヤダとかいわないでください(・∀・)笑

[サトミ 2008年03月03日 11:20]

お疲れ様でした!!宮教の音楽科でよかったと思える日でした。

[ぁぃ 2008年03月03日 11:33]

先生4年間ありがとうございました!! そして、あと2年間よろしくお願いします(笑) 萩音ってほんとにすごいですよね。 どこか一つが欠けたら機能しなくなりますもんね。

[チェリー 2008年03月03日 19:46]

お疲れさまでした☆ニャー!!

宮教での1年目を、ホントーに楽しく過ごせたなぁと実感できた日でした。 希望すれば全員出られる→昨日のスピーチの時も思ったんですけど、逆に出たくない人は出なくてもいいんですか…? いや、わたしは出ますよ!!!笑

[帽子狂 2008年03月03日 22:03]

あ、私って後輩たちや先生がた、聴きにきてくださったお客さんに こんなにあったかく支えられてるんだなーーって すごく実感した演奏会でした。 これって4年生になって初めて実感できるんだろうな…。 すごいすごい貴重な経験でした。 そんな貴重な経験がもう1回できるのを嬉しく思ってます。 来年は今年支えてくれた後輩や、ステージにたつ先輩がたを 感謝を込めてサポートしつつ、 2年後の自分を見越して、精一杯努力していこうと決意しました。

卒業演奏会第一日目

Img_0106_3 3月1日、2日は卒業演奏会でした。

私たちの大学の卒業演奏会は、仙台市内のホールで行なわれ、卒業・修了予定の人は全員出ることができます。演奏会と書いておきますが、演奏ばかりでなく、論文発表やパフォーマンス発表もあります。

この発表会のユニークなところは、運営、受付、プログラム製作、録音、写真、アナウンスに至るまで、後輩たち全員が分担してお世話をするところでしょう。私たち教員も、みんなでバックアップします。そしてこの催しは、もう32年間も続いているのです。

1日目が終わった夜、某会員制掲示板に「日記」を書いたら、あっという間にたくさんのコメントが書き込まれました。そのひとつひとつがとても素敵で、このまま流れてしまうのは忍びないので、頂いたコメントも含めて以下に掲載させてもらおうと思います。

[きっきぃ 2008年03月02日00:40]

はい、そこのあなた!

あなたが、明日弾くことになっている人だったら、こんなもの読んでないで早く寝なさい。

あなたが、今日弾いた人だったら、まぁちょっとくらい夜更かししてもよし。あ、もう疲れて寝てるか。お疲れさま。みんな立派だった。

あなたが、今日働いた人だったら、お疲れさま。あなたの働きがたくさんだったか少しだったか関係なく、あなたの働きなしにはこの演奏会は成り立たなかった。いずれ自分たちが主役になる番が回ってくる。明日もよろしくお願いします。

あなたが、今日聴きに来てくれた人や卒業生の人だったら、応援ありがとう。かわいい後輩たちが、あの時のあなたのように、力を尽くして巣立ちます。これからもどうぞよろしく。

あなたが、私たちの学校関係者でなかったら、なんのことやらわからない話でごめんなさい。二日間にわたって行なわれる卒業演奏会の第一日目が無事終わったのでした。学生くんたちの頑張りに敬意を寄せながら、演奏会を楽しむ二日間です。

***********************************

(以下コメント)

[帽子狂 2008年03月02日 00:50]

まだ起きてる今日弾いた人です(笑)

花束の整理が今やっと終わりました… もう終わったんだと思うと寂しいですね(T_T) 新たな出発に向けてまた前進していこうと思います(^-^) ご指導ありがとうございました!そしてまたよろしくお願いします。

[tomo3 2008年03月02日 00:57 ]

今から寝ようとしている昨年弾いた人です。 あれから1年、早かったなーーーーーー 明日も行きます!!(みやきょ大好き人間みたいです

明日弾く人でこのコメント見た人は楽しんで弾いてください♪ 今日弾いた人でこのコメント見た人はお疲れさまでした!!聴いてましたよ!! きっきいせんせも、1年間のご指導おつかれさまでした☆ また明日~

[ふう 2008年03月02日 01:13]

ひい、明日弾くのにまだ起きてる人です! 早く寝ます

[あの音符の人 2008年03月02日 01:15]

だいぶ眠たくなっている今日働いた人です。

なんだか・・・・・・・弾いている方々はなおさら実感していると思いますが・・・・・・・・本当にあっという間ですね。演奏というか、卒演というか、この大学生活自体というか(汗)

もう3年生。今まで3年生の先輩という方々を2回、見てきたことになりますが、いずれも素晴らしい先輩ばかりでした。まさかその学年に(当たり前ですがw)なるなんて、全然実感が沸きません。でもこの演奏を聴いてる限り、あと2年後にはこの舞台に立っているのかなぁ、とも思わざるを得ません。 あぁ、なんだかとりとめのない文になってきました;;とにかく大学の折り返しのいま、精一杯走り抜けます!!!!!!!以上、音符からでした(笑)

[あい 2008年03月02日 02:12]

帰った途端爆睡し,変な時間に目が覚めてしまった昨年弾いた人です。

かわいい後輩一人ひとりの音楽に対する熱い思いが伝わった演奏会でした。卒業し,全くといっていいほど音楽から離れてしまった一年…やっぱり音楽っていいな,と思いました。

[みぃ 2008年03月02日 08:21]

昨日は寝てしまい先程起床しました、なんとも健康的な私ですヽ(´∀`)ノ笑

卒演とても感慨深いです。 先輩の想いが伝わって来て何度も泣きそうになりました。今日は私も今までの分を出し切ることが出来るよう頑張ります!先輩サポート致します!(`∀´)グッ

[ビンボン 2008年03月02日 08:47]

イズミティが自宅なのではないか?と錯覚しているものです。

今日もそでから、あのホールがいろんな色に染まってゆくのを、心から感じ取ってまーす。

[萌 2008年03月02日 09:03]

とても素晴らしい演奏会とは、なによりです。 あの時の、6人全員笑顔で撮った写真は宝物です。終わった人も、これからの仲間を支えてあげてくださいね。 陰ながら応援しています。

[ハニー 2008年03月02日 11:56]

関係ない人ですが、きっきいせんせーがとても素敵なせんせーであることがわかる、日記でした。 本日の成功もお祈りいたします。

[トモ 2008年03月02日 19:21]

昨年歌ったチェコかぶれの人です。 演奏会を通して、なんだかいい刺激をもらいました☆ たぶん、なにか通じるものがあるんだと思います。 風邪が長引いて1ヶ月くらいちゃんと歌っていませんが、 今週から復活したいと思います!!! 音楽のない生活って無理だなぁ~と改めて思いました。 いつか、宮教卒業生演奏会みたいなのができたらいいですよね♪

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2008年2月13日 (水)

どうするの、そんなに上手になって

2月10日と11日、二日にわたって100以上の団体の歌を聴いてきた。合唱アンサンブルコンテストの審査員を務めたのである。

アンサンブルコンテストは、合唱コンクールと違って、2人以上16人までの重唱と室内合唱で5分以内という制限がある。以前、管打楽器のアンサンブルコンテストを覗いたことがあるけれど、そちらは指揮者なし、パートが重複してはいけないということになっているそうだ。だが合唱の場合は、指揮者がいることもパートの重複も妨げない。16人にもなれば立派な合唱である。

全体に、レベルの高さに驚いた。とりわけ一般の合唱団は、メンバーの入れ替わりも少ないだろうから、技術が安定している。大合唱団がいくつかに分かれてチームを作り、少人数のアンサンブルに挑戦するというのは、技術と度胸アップのために有効だろうと思う。ここで得た経験は大合唱に戻った時にも活きるだろう。

高校生のグループは、まともに青春しているから、結果発表の反応が面白い。良い成績が発表されると大きな歓声が上がり、感極まってみんなで泣き出してしまったりする。上手になって少しでも上をめざしてみんなで頑張ろう!という「目標は甲子園!」的モチベーションが高いのだろう。

思わず考え込んでしまうのが、小学校の部だった。ここには、合唱が優秀であると定評のある数校だけが、それぞれいくつかのチームに分かれて出場していた。参加した学校が少なかったのは問題だ・・・と、主催者側も思っているようだ。しかし、たくさんの学校が出場しているのならば別だが、もし一つか二つだけがあの中に紛れ込んで出場していたら、ちょっと浮いてしまったのではないか。

それほどにその数校は「上手」なのである。小学生のプロ合唱団と呼びたいほど。そして、他の学校は、到底敵わないと怖気づいて出場辞退してしまったかと邪推させるほど。

児童合唱団という団体はいくつか存在して、高い技術を磨いている。メンバーは、ある程度の期間、そこに固定して所属するのだろうから、上手になっていくのも理解できる。しかし、コンテストに出場しているのは公立小学校の普通の生徒たちなのだ。それなのに、どうしてこんなに「上手」になることができるのだろうか。

来年にはまた違ったメンバーでグループが組まれるのだろう。短い期間でここまで高い技術を身につけさせ、優秀校との評判を定着させている先生方は大したものだと思うし尊敬もする。

だが、ここが問題なのだが、その子どもたちが歌っている姿はちっとも楽しそうでなく、表情も生き生きしていないのだ。教えられたことを、寸分の隙も間違いもなく執り行うことだけに神経を尖らせているかのように見える。笑顔さえも、指示通りに作られているかのようだ。

どうするの?そんなに上手になって。

思わずそう尋ねたくなってしまう。上手になることってそんなに大切なのだろうか。子どもって、もっとやんちゃではいけないのか?

楽しくて飛び跳ねんばかりに歌っている子どもは見当たらない。練習が休みだとみんなに会えなくて淋しいといってベソをかくほど歌うのが好きで、みんなと一緒にいるのが嬉しくて仕方がないという子ども。そんな子どもたちの目の輝きに、私は感動する。その上で上手に歌えたら言うことはないだろう。

目の輝きが先か、上手に歌うことが先か。上手になりたいのは、本当に子どもたちなのだろうか。

2008年2月 8日 (金)

あちゃらかオペラ「夏の夜の夢」

こんにゃく座公演、あちゃらかオペラ「夏の夜の夢」~嗚呼!大正浪漫編~を観る。台本=山元清多、作曲=萩京子、演出=山元清多、立山ひろみ、世田谷パブリックシアター。

シェイクスピアの「夏の夜の夢」を翻案して、大正浪漫時代に置き換えた台本がまず面白くて、この芝居のためのオリジナルかとさえ思えるくらい違和感がない。「アテネ近郊の森」は「大久保公爵」の、どうやら軽井沢らしい領地の森に置き換わり、アマゾンの女王ヒポリタは「女優川上弥生」となる。公爵と弥生の婚礼の四日前から舞台は始まるというわけだ。

眠っている者の眼に惚れ薬を塗って、目覚めて最初に見た相手に惚れるという取り違いまでもかなりバカバカしく楽しいけれど、あちゃらか加減が爆裂するのは、何といっても後半、鍛冶屋や庭師、桶屋などの職人一座が繰り広げる劇中劇の場面だ。富山直人扮する大工の棟梁をはじめとして、職人6人組大奮闘。主演陣も安定している。ここは世田谷パブリックシアターではなく、小屋がけの芝居小屋かと錯覚するような臨場感が随所にあって楽しい。

萩さんの音楽は、全般的にどちらかというと淡彩色の印象。元々は名古屋での公演のためにオペレッタとして書かれたものだから、この度8人編成に管弦楽配置し直したとはいえ、その色彩感は残っていて、こんにゃく座への書き下ろし作品とは、音色的な面で一味違っている。

かなり面白かった。まだ細部のどこにも硬さなしとは言えないが、繰り返し上演されていくうちに慣れて馴染んでくることだろう。今回の5回公演だけで終わらせてしまうのはもったいない。

2008年2月 7日 (木)

三次空間からの感想文集(2)

感想文第2弾は、masaさん、かたさんのお二人から。

masaさんは、高校の音楽の先生であり、作曲の若い友人です。山形の舞台も観てくださっていて、コメントでは「山形公演の時、もっとこうあってほしいと思っていたことが、仙台では予想以上に起きていた感じ」と書いてくださっています。今回、私の知る限り、仙台から山形公演に来てくださった方々は、みなさん仙台公演にも来てくださいました。ありがたいことです。

仙台公演の大成功、本当におめでとうございます!
他の何よりもこの合唱劇は天国の宮澤賢治さん本人に届いていると思います。
書き出すと長くなりそうなので我慢して3つだけ書きます。
山形では気づきませんでしたが、あれもしかして「おしどりミルクケーキ」ですか?実は密かに大好物なのです。
少年役の男の子・・・後半の「ケーンタウルスつゆーをふらせ」の出だしのソロ、何であんなにぴったりのピッチで入れるの!大感動でした。
未就学児お断りの注意書きがないのをいいことにウチの息子とそのガールフレンド(いずれも幼稚園年長6歳)を連れていきました。途中で飽きるのは目に見えていましたけれど、所々で何度かステージに引き付けられている部分があり、反応が面白かったです。それなりに疲れたらしく帰ってからは無関心を装っていましたが、お風呂につかりながら「ケーンタウルスつゆーをふらせ」と突然歌いだしてママが感動していました。
(masaさん)

「おしどりミルクケーキ」を見破るとはさすがですね(そうなのか?)。私も知らなかったのだけれど、舞台を観ながら、もしかしたらそうかな?と思っていました。だって、パキって折れるんだもの(笑)。ケンタウル祭の歌は、耳に残るようですね。それにしても、お風呂につかりながら歌いだすご子息はさすがです。(きっきぃ)

学生さんたちいっぱい来ていたんですね。それに東京からも。たぶん誘われた人以外にもチラシを見て関心を持ち足を運んだ人もいたことでしょう。山形公演の時、もっとこうあってほしいと思っていたことが、仙台では予想以上に起きていた感じがしました。
欲を言えば高校生以下の年齢層の人たちにももっと聴かせたかったです。意外と子供が少なかったような。
ところで、意外と「銀河鉄道の夜」を読んだことのない人は多いようです。私の周りの人たちもなんとなくイメージだけは知ってるんだけど・・・という人がほとんどでした。私もあの後、一つひとつの言葉をもう1回かみしめてみようと、読み直しました。
それにしても「じゃがいも」+「きっきい先生」の組み合わせほどこの作品をつくり上げるのに適した人たちはいませんでしたね!
先生の作品で宮澤賢治を扱ったものはもうかなりの数になるかと思います。結構昔から先生のプロフィールには「好きな作家:宮澤賢治」的なものがあったように思いますが、ここまで先生をひきつけたきっかけは何だったのでしょうか?
この質問は意外とみんな聞きたい思いますので、そのうち教えてください。(masaさん)

これもmasaさんのコメント。高校生以下の人たちが少ないように見えたのは、リハーサルを公開したために、子じゃがちゃんたちの学校の友だちとかがそちらに回ってくださったためということもあるのかも知れません。宮澤賢治を扱った作品は、かなりあります。そのことについてのご質問の答えは長くなりそうなので、いずれゆっくり考えて書きましょう。

今回東京からも、たくさんの方々が来てくださいましたが、音楽評論家のかたさんも、そのお一人でした。

とても素晴らしい作品であり公演だと思いました。向学心も芝居心も、もちろん音楽ごころも旺盛なひとたちが、一個の汲めども尽きぬ魅力をもったテキストを、きっきいさんの、決して押しつけがましくはないのだけれどしっかり示唆的な音楽の助けを借りつつ、じっくり読み解いてゆく場に、立ち会わさせていただけたとでもいいますか、とにかくとっても自然であり刺激的でもある不思議な時空間を体験することができました。
けっこう長かったはずなのですが、もっとやってくれというくらい、なんとも楽に時間が流れていましたね。実はあの前日のほぼ同時間帯、上野の文化会館でキーロフ歌劇場の「ホヴァンシチーナ」を観ていたのですが、そこで味わった、プロがこれみよがしに構成し演出し尽くし、どうだ参ったかとやる、力業だけれど、どうにもくたびれもする時空間の、あらゆる意味で対極の世界でありました。
きっきいさんとじゃがいものコラボの、今後のますますの稔りを僭越ながら期待いたしております。(かたさん)

当代きっての聴き手からいただいたコメント、わざわざ来てくださったこととともに嬉しかったです。本当に、どうだ参ったか的世界と私たちのやりたいと思っていることは真逆ですね。どうだ参ったかの方が有名になれるのかも知れませんが、そういう芸風ではないのだから仕方ありませんね(笑)。とても面白いコメント、ありがとうございました。

これら、masaさん、かたさんからの文章はコメントとしていただいたものですが、裏側に(?)埋もれてしまうのは惜しいまとまったご意見なので、お二人のお許しを得て、記事として書かせていただきました。

2008年2月 3日 (日)

三次空間からの感想文集(1)

合唱劇「銀河鉄道の夜」仙台公演を観に来てくださった方々が、某日記サイトに感想を書き込んでくださっていました。そこは会員制なので誰でも読めるというわけではありません。でも、せっかく書いてくださっているのだから、このブログを読んでくれているじゃがいものメンバーにも読んでもらいたいなと思い、ご本人の了解を得て、紹介させていただくことにしました。まず、ここにご紹介するのは、いずれも私の勤める大学の学生さんと卒業生さんたちです。

「今日は合唱劇「銀河鉄道の夜」を聴きに行きました。
実は・・・恥ずかしながら・・・・ 読んだことなかったのです(泣
今日演奏会に行って、ちゃんと読もうと思いました。
でも幻想的な雰囲気が曲からも、照明からも、合唱からも、演技からも 伝わってきて、とってもよかったです。 合唱ってよいなぁぁ。

子どもがいい味出してました。
最初は団員であるおとーさんおかーさんにくっついてきてたのに いつの間にか舞台に上がってたと聞きましたが、 子どもたちの存在がすごーく大きかったと思いました。

学校で会うと共に「にゃーー」とか言い合ってるきっきぃせんせが 舞台に立ってるっていうのが、こんにゃく座の時もそうでしたが不思議な感じでした。
自分の作った曲がああやってお披露目されて、たくさんの人に 聴いてもらえるって、すごい幸せなんだろうなって思いました。 こんなワタシが言うことがおこがましいんですけど(汗 」(帽子狂さん)

にゃーー。原作を読んだことがなかった、読もうとしたけど挫折したことがある…っていう人が多かったのは意外でした。描写が詳細だから、確かにスラスラ読めるという感じではありませんね。だから、合唱劇を見て、わかりやすかったと言ってくださる方も多かったです。でも、それは舞台化したときに抜け落ちた部分も多いということだから、大筋を掴んでからきちんと読んでもらえると良いと思います。(きっきぃ)

「本日は、きっきぃ先生作曲の、銀河鉄道の夜を見に行ってきました。
青文のシアターホール初めて入った。
銀河鉄道の夜はとても好きな話で、ポスター見たときから、行こう行こうと思っていたのですが、行けて本当によかったです。
子ども二人と家庭教師が出てくる辺りから、物語が加速していく気がしますね。
そして最後はやっぱり泣きそうになる。 仙台で上演があって、本当によかったです!
また本読み返そうかな。読み直したら、きっと私も旋律が浮かんでくると思いますよ
ケンタウルス祭りの歌とか。耳に残ってます。 」(ふうさん)

こちらは、前から「銀河鉄道の夜」が大好きだったというふうさんの感想。そう、遭難した子どもたちと家庭教師の登場から、物語が変わりますね。そのあとかささぎや蠍の火やコロラドの高原や、いろいろ出てくるのだけれども、物語が絶対的孤独に向かって走り出すきっかけにもなっているように思います。ちなみに、インディアン座という星座も実際にあるのだそうですね。(きっきぃ)

「きょうは「合唱団じゃがいも」の「銀河鉄道の夜」を見に行きました。我らがきっきぃせんせが作曲されたのです。
面白かったなー。銀河鉄道は実はちゃんと読んだ事なくて、大体こんな話だよなぐらいしか知らなかったんですけど、いやいや良かった。泣けた。
タイタニックに乗ってたらしき3人(あの小さい男の子かわいーな!家庭教師の青年は宮沢賢治その人のように見えた。帽子の具合かな。)が出てきた時点で、わたしはもう「カムパネルラー!」と叫んでいた(心の中で)。あぁもぉカムパネルラ!お前もか!
ジョバンニがカムパネルラの事が大好きすぎるとこが可愛くて可哀想ですね。カムパネルラのお父さんもいいね。
きっきぃせんせの曲も全篇通して宮沢賢治の世界観に凄く似合ってる感じで素敵でしたねー。あぁせんせの曲の感想言うのは恐れ多いや。

本当に面白かったです。子じゃがどころか孫じゃがちゃんなんですね!凄いなぁ。名優でしたね!3世代で同じ舞台に乗れるなんて素敵ですね。 そういえば、衣装もみんな普段着みたいなのに、小物やコーディネートによって「それっぽい」衣装になっていたのも印象的でした。タイタニックに乗ってたらしい3人もそれまでは合唱の一員だったのに、帽子だけでほんとに「それらしく」なってましたね~。 他の作品も見てみたいな。」(あんずさん)

「ジョバンニがカムパネルラの事が大好きすぎるとこが可愛くて可哀想」・・・あんずさんらしい感想だなぁ。確かに、ジョバンニとカムパネルラの関係って、よくわからない部分もあるのです。ジョバンニはカムパネルラが大好きなのだけれど・・・。可愛くて可哀想だから、ひとり残される結末が切ないのだろうねぇ。そう、孫じゃがちゃんの名優ぶりには、みんな舌を巻きました。だって、台詞をトチることなど決してないんだもの。(きっきぃ)

「きっきぃ先生の仙台初演を聴きに行った。 「銀河鉄道の夜」 。小学生の頃、「銀河鉄道」を初めて読んだときはよくわからなかったのだ。比喩や隠喩が全くわからなかったので。 それに気付いたのはアニメの「銀河鉄道の夜」を観たときだった。 (ますむらひろしがキャラクターデザインをしている映画。登場人物が猫。) 今日は、銀河鉄道をもう一度大事に読み返した気分になった。 と思っていたのはカムパネルラがいなくなるまでのこと。 それまでストーリーに沿って淡々と(勿論とっても綺麗だったけれど)進んでいた音楽が、劇中からカムパネルラがいなくなってから、とても感情的になったと感じた。 「聴いている側」からいつの間にか物語の中に入り込んだ瞬間だった。 最初の場面の「あまの川」と最後の「あまの川」では全然印象が違った。なんだかしばらく頭の中で音楽鳴ってた~。本当に聴きに行って良かった。 先生、素敵な時間をありがとうございました。 」(みかんさん)

感情的というか感傷的にはならないようにと思ったのだけれど、歌い手も壊れちゃうんだよね、あのあたりになると。練習でさえ涙で歌声が震えてしまうことがしばしばでした。そんなふうになるとは、実際に音にするまでは想像もしなかったのだけれど。それから、二つの「あまの川」。初めの「あまの川」は、地上の子どもたちが空の天の川を見上げながら歌っている、終わりのは、天上にいる子どもたちが地上を見下ろしながら歌っている・・・そういうイメージを持っています・・・と、メンバーには話しました。(きっきぃ)

「じゃがいも素敵でした!!!特別発声などをしてないとは思えないほどキレイな歌声ですよね何よりも皆さんが楽しそうで生き生きしてて、パワーが客席まで伝わるようでしたきっきぃ先生の曲もステキでしたしあんなに膨大な数を作曲するなんて、本当尊敬です。次は山形公演も行こうと思ってますが、ぜひぜひまた仙台公演お願いします!」(ゆっこさん)

じゃがの人たちが揃って発声練習をしているのを見たことがないのは、たまたまそういう機会がなかっただけかしら。でも、軍隊式練習みたいなことを一切しないのが、じゃがいもの良さですね。いつもわいわい言いながら始まるし、何となくずっとわいわいしてるのだけれど、それ