不勉強ながら、その曲を聴いたのは初めてだった。そもそもこの作曲家がピアノ曲をどのくらい作曲しているのか、私はよくわかっていないのだ。100曲くらいある?いや、まさか・・・。
「アンダンテと変奏曲」と名付けられたその作品、「いい曲よね~」と言う姐さんにもちろん同意。だけど、いったい構成はどうなってるのだろう?
「へ短調の後に出てくるヘ長調のところは何なの?」「あれも主題なのよ。」何だそりゃ。だからへ短調とヘ長調が、入れ子細工のように交互に現われるのか・・・。
「テーマが49小節あるの、しかも繰り返しがあるからもっと長い。」うへ・・・そんな変奏主題ありかよ。演奏時間は15分くらいなのに、変奏は2つくらいしかないのだ。はじめは別のタイトルが付けられていたという。そもそも変奏曲として作曲する意図はなかったようだ。
姐さんは、その長大な主題のヘ短調を雪が静かに降り積もっていくように、ヘ長調を春の淡い日差しのように弾く。それらが代わる代わる聴こえてくるうちに、思いがけずドラマティックな展開に遭遇する。ファンタジーに溢れた曲であり、物語を引き立てる演奏だった。
その夜、仙台市内の日本料理屋さんのカウンターに並んだのは、今日の主役である姐さんを中心に、コンサートのスタッフとして東京から来られた秘書のI嬢、事務所のOさん、調律師のFさんと私。姐さんは私のことを「先輩」と紹介する。そうには違いないが、ちょっと変な感じだな。「メル友です」と私は応える。それもかなり妙だが。そして、この街の親しい人たちが呼ぶように、私も「姐さん」と呼んでおこう。
三陸の新鮮な海の幸、ホッキ貝、ツブ貝をはじめカツオやタコ等々の刺身盛が運ばれてくる。思わず歓声が上がる。
作品27の「変奏曲」は、かつてこの作曲家の音列分析をやってみた最初の作品だった。すべての音に数字がふられ、音列からはみ出す音が1つもない完全な十二音技法で書かれていることがわかった瞬間、で?それがどうしたの?という無力感に囚われたことを覚えている。音列分析をしてわかったのは、ウェーベルンがやたらと律儀な男だということだけだ。
鋭い切れ味というのとは少し違う。だが、今日の演奏からは、すべての音が有機的に繋がっていることがよく伝わった。革命的に音楽を変えた作曲家であり、影響を受けた多くの作曲家がその後を追ったが、「元祖」の音楽は、そのスタイルも構成も、今なおまったく新鮮さを失っていない。
ホヤをさばくところ見てみたいな・・・と、独り言のようにI嬢が言ったのをマスターは聞き漏らさず、カウンターの向こうで解説してくれる。
「水を吸うところと吐くところがあって、ここね、ここをこんなふうに切るとすぐ捌けるんですよ」
私たちは、みな立ち上がって覗きこむ。殻の中から鮮やかなオレンジ色があらわれる。今が旬のホヤの新鮮な美味しさに、目を丸くする。
突出して有名な、全曲の中心部分に置かれる「夢」の曲。だが、その曲はたまたま突出しただけ。前の曲にも後ろの曲にも影響を及ぼして、全曲で一つの、大人の夢うつつを紡ぎだす。子供の素朴なお伽話ではない。むしろ、大人が心に思う、失われた日々への愛惜。
「ガゼウニいかがですか。昨日初セリだったんです」女将さんが言う。
いかがも何もない。一人一個ずつ、殻についたままをスプーンですくう。初めは何もつけずに、次にわさびを少しだけつけて。絶品。「日本酒を一口飲んでみてください」とマスター。日本酒がウニの甘さを膨らます。飲む?と、ビールを手にしている姐さんにつごうとしたら、「もう全部食べちゃった」と言う。早いなぁ。
「ねぇ、専門でない学生さんたちに作曲させちゃうってすごいね。」と姐さんは言う。このブログ、2月15日あたりの記事を読んでくれているのである。自分の書いた曲を人の前で披露する恥ずかしさ(自分の作文を人に読んで聞かせる恥ずかしさと似ている)さえ乗り越えれば、ある程度の基礎的な音楽知識、技術があれば作曲は誰でもできる、と私は最近思っている。
「作ってみれば?」「とんでもな~い!そう・・・大学で習った対位法、嫌いだったなぁ」「あんなにバッハ弾いているのに?」「バッハは好きだけど、対位法は嫌いなのよ。」もちろん、厳格対位法は別物だからね。
さて後半の大曲。聴くのは実に久しぶり。世の中では、演奏回数が多いのはオーケストラ編曲版だろう。けれど、ピアノのオリジナル版の方が絶対面白い。そして、姐さんの演奏の特徴を多面的に出すことができるレパートリーだ。
友人の画家の遺作展からインスパイアされたというのは本当だろうか。そうだったとしても、音楽に描かれた散歩は、伝えられている話のようにのんびりしたものではないような気がする。
全曲の心臓部分にある「ビドロ」の衝撃はどうだ!ラヴェルは遠くからだんだん近づいてくる行列にしてしまったが、オリジナルではいきなりのフォルティシモ。まるで、民主化を求める集会に発砲して鎮圧しようとする国軍。あるいは、銃撃に傷つき階段を転げ落ちる罪のない人々の「血の日曜日」。
市場の喧騒は不気味な墓場に呑み込まれ、ひんやりとした洞窟では水滴がしたたり落ちる。あるいは不気味に跳梁跋扈する妖怪たち。美術作品を音楽で描写しているフリをしながら、実はもっと別のことを言おうとしていないだろうか。絵の向こうに透けて見える人間世界を。
炭火で焼いたニシンや穴子の白焼き、牛タン。そして山菜のてんぷらなどが並ぶ。どれもこれも美味。実は、姐さんはもちろんだが、東京から来たOさんもFさんも少しずつ仙台に所縁があるという。I嬢だけ「私だけ所縁がないなぁ」と言うけれど、彼女は私の郷里に住んでいたことがあるのだそうだ。こういう繋がりは面白い。みんなで海の幸、山の幸に思いきり群がった。
ひどかったわよね、と姐さんは言う。でも、この人が「今日は、うん、うまく弾けたかな」などと言うのを聞いたことがない。
「どこがさ?」
「弾けてない。恥ずかしい」
「あんだけ弾ければいいじゃん」
「だめだめ」
ひどい言いようだな、「あんだけ」って何だよ。
小山実稚恵ピアノリサイタルシリーズ[音の旅]第3回<自然の情景・なつかしさ・キエフの大門> ~うつりゆく情景~
2007年5月17日仙台市太白区文化センター楽楽楽ホール
・ハイドン:アンダンテと変奏曲 ヘ短調 Hob.ⅩⅦ-6
・ウェーベルン:ピアノのための変奏曲 作品27
・シューマン:子供の情景 作品15
・ムソルグスキー:組曲「展覧会の絵」
アンコールは、グリーグ「春に寄す」とシューマン=リスト「春の夜」。
次回、第4回は2007年10月23日(火)、楽楽楽ホールにて。
音の旅~仙台・ブログサイトはこちら→ http://otonotabi.exblog.jp/
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