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2009年8月13日 (木)

罵倒指南

昨年から、友人の舞台演出家Mさんに、「ことばと表現」という授業の集中講義をお願いしている。

詩やエッセイ、戯曲などを声に出して読むワークショップを通じて、人の前で話すこと、声に出して表現することへのハードルを低くしてもらいたいという思いが、こちらにはある。今年も、Mさんが用意してくれた小説、戯曲などを読んでいく。

とりたてて珍しいことではないが、若い世代に通じないことばがある。

「赤チンの午后」。ねじめ正一の掌編小説。「赤チン」がわからない。たしかに、最近赤チンつけないよなぁ・・・と言ったら、Mさんは「もう赤チン売ってないでしょう。昔はどんなケガでも赤チンだったけど。」と答える。そうそう・・・、転んで擦りむくとすぐに赤チンだった。ちなみに、Mさんと私は、同世代である。ついでに、「午后」も読めなかったそうだ。「后」の字に馴染みがないのだ。

別の作品。

「おたんちん」、「くたばり損ない」、「横着」が通じない。「おたんちんって何ですか?」と聞かれて困った・・・とMさんは苦笑い。モリエールが集めた中世の笑い、鈴木力衛の名訳によるドタバタ喜劇も、脚注だらけになってしまう。

どうも「罵倒」することばに通じないものが多いような気がしてきた。「おたんちん」も「くたばり損ない」も、面と向かって意味を問われると困る。「死に損ない」って言ったって、本当に死にかけたわけではないのだ。

少し前に読んだ本に、見事な「罵倒」の場面がある。面白かったから、書き留めておこう。

・・・烈火のごとき怒りとはまさにこのことで、声はうちふるえ、舌はもつれ、両目からは火花を発した彼は、こうわめいたのである。

「おお、悪辣などん百姓、性悪な不作法者、口のきき方を知らぬ虚(うつ)け者、傲岸不遜な恥知らず、中傷好きの陰口屋!よくも拙者の面前で、またこれらの高貴な御婦人方の面前で、そのような下劣な言葉を吐きおったな!よくもまあ、おぬしのどんよりと濁った頭でそのように不埒な、はしたないことを考え出したものよ!さあ、拙者の前から消えうせろ、このできそこないの怪物、嘘の貯蔵庫、いかさまの保管箱、悪意の土蔵、恥辱の創作者、醜聞の触れ役、貴人に対する礼儀の仇敵め!消えうせて、二度と拙者の前に姿を現すな、現われれば拙者の逆鱗にふれるものと覚悟いたせ!」

「傲岸不遜」とか「下劣」とか「不埒」とか、日本語の「罵倒語」は実に豊かで面白いと思いません?ちなみに、ここで「烈火のごとく」怒っているのは、ドン・キホーテ氏なのであります。(牛島信明訳、岩波文庫、前篇(三))

2009年6月28日 (日)

オペラ「ポポイ」

間宮芳生作曲の新作オペラ「ポポイ」初演を観る。静岡音楽館AOI。

1987年に、倉橋由美子書下ろしラジオドラマの音楽として書かれてから、間宮先生はこの作品のオペラ化構想を持ち続け、22年経ってようやく完成、上演となった。1997年に作曲されたピアノ協奏曲第4番につけられた「いまだ書かれざるオペラの情景」という副題も、この「ポポイ」を念頭に置いたものだった。大変残念なことだが、原作者・倉橋氏は2005年に逝去された。

舞台は近未来。政界を引退しながら、未だ影響力を持ち続ける元老のもとに、二人の少年テロリストが押し入り、要求が聞き入れられないと知ると、ひとりがその場で割腹自殺、もうひとりも彼の介錯をしたのち自害。ところが、割腹した少年の首は、すぐに人工心肺に繋がれ、首だけで生き続けることになる。元老は、その夜脳梗塞に倒れ、彼らの要求が何だったのか、誰にもわからない。首は元老の孫娘・舞が引き取り、ポポイと名づけて世話をすることになった・・・。

もちろんすぐに三島事件を思い起こす。高校の授業から帰って事件を知り、テレビに釘付けになったあの秋の日を。三島事件は、もちろん契機になっているのだろう。けれども、まったく違う展開を創造してしまう倉橋文学の凄さに、あらためて目を瞠る。原作は新潮文庫で出ていたが、現在は絶版。古書でしか入手できない。

さて、この原作がどんな舞台になるのだろうと興味津々で出かけたのだが、幕が開いた直後から、見事にオペラになっていることに驚いた。出演は、吉川真澄(舞)、上杉清仁(ポポイ)の他、波多野睦美、大槻孝志、河野克典の各氏。そして、寝たきりの元老役は能楽師の清水寛二。楽器は11人アンサンブルで、間宮先生自身が指揮。演出は田中泯。

カウンターテノールの上杉氏やリュートソングやバロック歌曲のエキスパート・波多野氏、能楽師の清水氏をキャスティングするあたり、凡百のオペラとは違っている。それは、この作品が持つ音楽史的、様式的風紋を引き出すための必然だった。そして、これらの人々の音楽的個性が、ほぼ出ずっぱりで大健闘の「舞」を支えた。

2時間を超える長い作品で、間宮先生の音楽書法の集大成となった。音がとても美しい。鋭い音や密集した音も、まったく濁らない。そして、休憩中に会場に置かれてあった楽譜を覗いてみたら、譜づらがシンプルなのに唖然とした。たった22段の五線紙!

そのことを後で間宮先生に書き送ったら、「一見シンプルで、しかし危険な音にあこがれ続けようではありませんか。その危険が作為でなく、湧いて出る(出た!)ものなのが一番ということでしょうが。そんな危険物のきわめつけは、多分『カルメン』でしょう。」と、お返事を頂いた。

田中泯氏の演出は、舞台を左右に、演技エリアと楽器エリアに分け、無造作に吊り下げられたザラザラした感じの布に、時折ビデオ映像が映し出される。映像は、手持ちカメラのリアルタイムの画面だったり、あらかじめ録画されたものだったりする。休憩をはさんだ後半では、演技エリアと楽器エリアの配置の左右が逆になっていたので、びっくりした。そんな面倒なことは、音楽関係者だったら決して思いつかないだろう。だが、その効果は、はっきり説明できないにしても、絶大だったと思う。

脳死が人の死であるかどうかという議論がある。では、脳さえ生きていれば、首から下はヒヤシンスの水栽培のような生命維持装置であっても生きていると言えるのか。原作の新しさに驚く。オペラでは割愛されたけれど、20年前には想像できなかった(しかし、現在では当たり前の)通信手段、例えば電子メールのようなものも予告されている。

感動した。けれど、何がその感動を呼び起こしたのか、説明するのは容易ではない。そして、とにかくこんな舞台が、一回だけの上演しか許されない文化状況というのは、「勿体ない」を通り越して、芸術家に対して犯罪的なのではないかとすら思う。それはもちろん、静岡音楽館AOIの責任ではない。

この翌日は、間宮先生の80歳のお誕生日。終演後のロビーでは、打ち上げを兼ねて、ささやかなお祝いのレセプションが開かれた。80 しかし、音楽は瑞々しいし、副指揮者を置かず、音楽練習からすべてご自分で指揮をされた先生には、年齢の区切りを祝う必要などなかったかも知れない。

2009年6月13日 (土)

「音楽創造における楽譜の意味」(2)

学会の開会式で、私たちの大学の学生くんたちが、サムルノリをご披露しました。

Photo_2

(承前)

一方の「拭うことのできない不信、あきらめ」についてお話しましょう。

 このシンポジウムのレジュメに、小畑先生が、「音の様々な要素のカテゴリーを示す記号の配列として楽譜は成立している。」と書いていらっしゃいます。もちろんそのとおりですが、逆に言えば、「楽譜は、様々な要素のカテゴリーを示す記号の配列でしかない。」とも言えるのです。作曲家が楽譜に書きこめる情報は、実はとても限られたものでしかありません。例えば、このフレーズは、ヴァイオリンのどの弦のどのポジションでどんな弓使いで弾いてほしいか、よほどの場合にはそれも書き込みますが、例えばオーケストラ・スコアのすべての音に、そういった情報を書き込むわけにはいきません。指使いや細かなテンポの揺れなど、神経質に細かく書き込み始めたらきりがないし、煩雑な楽譜になってしまうので、どこかで諦めます。諦めると言うのがふさわしくなければ、思考を停止して、こうつぶやくのです。「これは演奏に任せよう。」

 私と同世代のある作曲家が、電子オルガンのために作曲した時、彼はレジストレーションを、ひとつひとつの数値まで詳細に楽譜に記しました。同じ時期に私も電子オルガンのために作曲したのですが、音色については、例えば「打ち寄せる波のように」とか「遠くで鳴る鐘のように」とか、あまり役に立たないことを書いただけでした。もちろん、目指している音楽の違いがあるわけですが、彼が書いた詳細な指定は、電子オルガンが機種変更すると、たちまち役に立たなくなりました。一方、私が書いた大雑把な書き込みは、機種がパワーアップするたびに響きがゴージャス過ぎるようになって、少々困っています。ジョン・ケージが、プリペアド・ピアノで、ピアノの弦に挟むように指定したボルト類は、すでに生産されていないそうです。どのケースでも、作曲者の当初の意図を厳密な意味で再現することは、もはや不可能なのです。

武満徹さんのエッセイに興味深い一節があるので、ご紹介しましょう。「消える音」を聴くというタイトルです。

 すべての音楽表現の根底には、消えていく音を聞き出そうとする、人間の、避け難い、強い欲求が潜んでいるはずだ。だから音楽は、時間を超越して、幾度となく聴き返されるのだろう。また、そのために必要な楽譜というものは、消えていく音を、身裡に、どうにかして留めたいとする欲求の表れだが、だからといって人間は、記譜することで、そこに「音楽」が余すことなく定着されたとは思っていない。音の全容を平面的な譜に置き換えることなど、所詮、無理だということは、百も承知だ。
 だが楽譜は、作曲家が聴き出した、実体としての音を、再び、時空を超えて、この世界に喚びもどす装置であり、その不完全さが、逆に、そのことを可能にしている。(武満徹 「消える音」を聴く/新潮社『遠い呼び声の彼方へ』所載)

 新しい曲を書いて、初演のための練習を聴くような時、作曲者である私の耳と、演奏者の耳とは、初めのうち少しずれているように感じます。演奏者が、楽譜を間違って読んでいるというようなことではないのです。それは、楽譜に書かれなかった、いえ、書くことのできなかった様々なこと、文章で言えば「行間」を、作曲者と演奏者が共有できていないからではないかと思われます。

 「拭うことのできない不信、あきらめ」と、初めに私が申しあげたのは、楽譜に書き付けるときの作曲家の耳と、それを演奏する演奏者の耳が、初め、いつもずれていることを、少し大げさに、ペシミスティックに表現したのでした。しかし、作曲家は、自分の想像の中だけで完成された音を聴いているのだし、演奏家は、現実の演奏行為として音を組み立てていこうとしているのですから、ずれが生じるのは必然とも言えます。練習や打ち合わせを重ねるごとに、そのズレは修正され、最終的に音楽は、作曲者が考えていた以上の姿にもなり得るのです。

 音楽は抽象であるだけに、文章以上に、「行間」には、作曲者が楽譜に書ききれなかった感情がひしめいています。作曲者と演奏者が「行間」を共有するために、作曲者が近くにいる場合には、直接話し合うこともできますが、そういう場合は多くはありません。作曲家が近くにいようがいまいが、紙の上に書かれた記号に命を吹き込んでいく行為は、演奏者自身の主体的な創意に委ねられています。

 演奏芸術とは、作曲者が書き込むことのできなかった「行間」を推し量り、充実させ、演奏者自身の、そして聴き手の心の中に、楽譜の「行間」を再創造していくことです。その段階で、楽譜は、もはや作品の「取り扱い説明書」でしかありません。
武満さんが言うように、「不完全であるゆえに、作曲家が聴き出した音を喚びもどすことができる」と考えれば、楽譜の不完全さこそが、演奏芸術の無限の可能性を導き出せるのだとも言えると思います。

 これで私の発言を終わります。ご清聴ありがとうございました。

「音楽創造における楽譜の意味」(1)

音楽表現学会というものが、わが大学を会場に行なわれました。私は会員ではありませんが、シンポジウムの発言者に指名されたので参加して参りました。パネリストは、星出豊さん(指揮者)、赤松林太郎さん(ピアニスト)と私。司会は小畑郁男さん。それぞれの発言についての、パネラー同士の突っ込みもあり、フロアからの質問も出続け、シンポジウムとしてはなかなか面白いものになったのではないかなと思います。

それぞれのパネリストが最初に約10分ずつ発言をしましたが、ここには、私の発言を記録しておきます。シンポジウムのタイトルは、「音楽創造における楽譜の意味」。

 シンポジウムへお招き頂き、ありがとうございました。ここ宮城教育大学の教員をしております。私は会員ではありませんが、同僚たちが一生懸命準備しているのを見ておりました。お忙しいところお集まりいただきました皆さまを、心より歓迎いたします。どうぞ、仙台の初夏をお楽しみ頂けたら幸いです。

 さて、「音楽創造における楽譜の意味」について、作曲の立場から考えを述べよというのが、私に課せられた宿題かと思います。世界中には、いわゆる五線譜を使わない音楽がたくさんあることは、言うまでもありませんが、ここでは「いわゆる五線による楽譜」に限ってお話いたします。

 私が、作曲家として「五線による楽譜」についてどう考えているかということを、端的に申しあげるならば、「全幅の信頼」と「拭うことのできない不信、あきらめ」、この相反する考えを同時に持っているということになるかと思います。このようなアンビバレンスな考えについてご説明することが、本日の私の発言の骨子になるかと思われます。

 「五線譜への全幅の信頼」については、あまりご説明する必要がないでしょう。西洋芸術音楽と、その延長上にある音楽に携わるのは、基本的には「五線譜を信頼する」ことで成り立つからです。当たり前のことですが、ベートーヴェンが書いたピアノ・ソナタの譜面がデタラメであったとしたら、演奏も解釈も評論も成り立ちません。私たちは、ベートーヴェンが遺した譜面を、彼が思い通りに書いたという前提で譜を読み、演奏し、それを聴いて楽しんだり研究したりしているわけです。

 その面で、大学教師としての私は、(特に非西洋の音楽を専門とされる方々からは)ガチガチの「五線譜主義者」と見られるに違いありません。理論や作曲の授業で、学生くんたちが書いてきた楽譜を見て、この音符はタマが大きすぎるだの小さすぎるだの、線からはみ出していてソかファかわからんじゃないか、ホォ・・・これは付点なんですね、私はまた音符の横にゴミが落ちているのかと思いましただのと言ったりします。楽譜は自分の考えを伝えるためのものなのだから、他人が見てちゃんとわかるように書きなさい、ソかファかわからないようではダメだし、付点もゴミと間違われないようにしっかり書き込みなさいなどと、いちいち小うるさく言って嫌がられております。

 作曲家の林光さんが少年だった頃、先輩作曲家の尾高尚忠氏に楽譜を見てもらっていました。ある時、16分音符がたくさん続くパッセージを書いて、そのひとつひとつのタマにスタッカートを打った、ところが、ひとつだけうち損じた。尾高先生は、たちまちそれを発見して、その16分音符を輪で囲って、余白に「おお神様、かわいそうなこの16分音符にも、仲間たちと同じように、スタッカートの点をおめぐみください!」と書いたそうです。作曲家という種族は、音楽の中身にもそうですが、楽譜の書き方にも、うるさくなる宿命を持っているものと思われます。正しく書かれた楽譜は、世界中の、どんな時代の人に対しても、自分の考えが伝えられるという確信、もしくは希望、もしくは幻想を前提に、作曲家は楽譜を書き続けるのです。

(続く)

2009年6月11日 (木)

クリスチャン・ツィメルマン ピアノ・リサイタル

仙台で、ツィメルマンの来日公演を聴く。6月11日東京エレクトロンホール宮城(宮城県民会館)

バッハ:パルティータ第2番

ベートーヴェン:ピアノ・ソナタ第32番

ブラームス:4つの小品 Op.119

シマノフスキ:ポーランド民謡の主題による変奏曲 Op.10

ひとことで言えば至福の時だった。特にベートーヴェンの後半楽章は、ふだん聴き慣れているものと同じ楽器とは思えなかった。天の鈴の音のよう。

徹底して「自分のピアノ」にこだわるということだから、楽器の調整にも何か秘密があるのかも知れない。そして、ペダルも多様に使い分けているらしいのだが、何が起きているのか、私にはよくわからない。

言えるのは、感覚的であると同時に非常にクレバーな演奏だということだ。ただ感覚的に美しいだけではないのである。

欲を言えば、もう少し響きの良いホールで聴きたかった。もちろん、それはそれで工夫して演奏していたのだろうと思うし、十分に堪能できたのだが。1,000人を超えるキャパシティを持つ良いコンサートホールがないところが、この街のウィークポイントだ。

2009年6月 7日 (日)

チャイコフスキーの交響曲など~仙台フィル4月・5月

4月と5月の仙台フィルの2つの演奏会について。

4月は、シーズン・オープニングコンサートで、オール・チャイコフスキー・プログラム(4月17日)。指揮は山下一史。

・組曲第4番「モーツァルティアーナ」より、“ジーグ”“メヌエット”“祈り”

・ヴァイオリン協奏曲(ヴァイオリン:佐藤俊介)

・交響曲第4番

5月定期の指揮は小泉和裕(5月22日)。

・ストラヴィンスキー:幻想曲「花火」

・ヴィラ=ロボス:ハーモニカ協奏曲(ハーモニカ:和谷泰扶)

・チャイコフスキー:交響曲第3番「ポーランド」

チャイコフスキーのこれらの交響曲を並べて聴くと、3番と4番の間に、大きな区切りがあることがわかる。第3番は「過渡期的な作品である」と言われていて、一般批評的に見れば確かにそうだろう。3番に比べて4番は、作曲された時期は、たかだか1年くらいしか隔たっていないのにも関わらず、完成度、知名度など、3番に比べて4番は格段にレヴェル・アップしている。

では、4番に比べて3番は面白くないかといえば、決してそんなことはないと思う。たしかに、何となく垢抜けない経過的部分などがあったりして、4番の方が全体ははるかに引き締まっているけれど、整理される直前の混沌という面白さがある。ところどころに、バレエ音楽を思わせるような魅力的な場面も現われる。それもそのはずで、作曲された時期は、「白鳥の湖」にとても近いのである。

「民謡を交響曲に」というコンセプトから、一歩踏み出した絶対音楽を目指そうとしている。しかし、まだ完全には踏み出しきれないで、民謡調があちらこちらに顔を出すし、民謡的なテーマでフーガを書いたりしている。

一方、4番は民謡的要素が抽象化された名曲だが、スコアを眺めていたら、4つの音によって全曲の動機的統一が図られていることに気がついた。・・・ということは、どこかに書いてあるのかしら。とてもわかりやすいことだから、まさか発見した人がいないわけはなく、あちらこちらの解説に記述があってもおかしくはないのだけれど、まだ読んだことはないなぁ。

ヴィラ=ロボス晩年の「ハーモニカ協奏曲」も、珍しい曲目だった。木管と弦中心の小さめのオーケストラだが、トロンボーンとチェレスタは欠かさないというあたりが、この曲のサウンドを決定づけている。

ヴィラ=ロボスの作品は、あまり知らないのだけれど、一種の諦念に似た雰囲気が漂っているのは晩年の作だからだろうか。紛れもなく「大人の音楽」で、お酒でいえば若いワインではなく、ウィスキーモルトの香り。ストラヴィンスキーの出世作「花火」が聴けたのも、楽しかった。

(読売新聞仙台版570字批評は、今年度も続いている。本当は作品について書きたいのだが、求められているのは演奏評なので、ここには新聞には書ききれなかったことなどを書いておく。)

2009年6月 2日 (火)

「毛皮のマリー」観劇記

ふとした出来心から、仙台公演があるというので出かけて行った。

寺山修司・作、美輪明宏・美術/演出/主演「毛皮のマリー」(イズミティ21、大ホール)

なぜ出来心を起こしたかというと、もちろん第一は、寺山作品が現在どんなふうに見えるのかということへの興味。美輪明宏氏が、年齢のこともあるので、この作品を演じるのは最後かも知れないと書いているのも読んだ。そして、麿赤兒、若松武史といった往年の名優が出演しているのにも惹かれた。

会場に着いて、チケットを差し出そうとしたら、係の人が叫んでいる。「本日、大ホールのお手洗いはすべて女性専用とさせていただきます!」

はぁ・・・そういうことになっているかと驚きながら、エントランスのトイレで用を済ませて入場した。

Hi3e0114 次に驚いたのは、ロビーに、薔薇の花でアレンジされた蝶の形を背景に美輪さまの写真などが置かれた祭壇のようなものが作られ、、女性たちがむらがって、携帯をかざして写真を撮っていることだ。

これが「祭壇」。そして、ロビーにはお香の香りが漂っている。

客席について見渡すと、観客のおそらく90パーセント以上は女性だ。話の中身からすると、妖しいお兄さんとかが多いような気がしていたが、まったく見当はずれ。寺山ファンがどのくらい来ているのかは、わからない。

幕が開いて、美輪さま演じる「マリー」と、麿赤兒演じる「下男」との会話が始まる。わぁ・・・何だか歌舞伎だなぁ、これは・・・と思った。台詞や動きが様式化されているように見えるからだろうか。「擬古典的に装われた贅沢な一室」という舞台設定から来る視覚的印象も、まるで歌舞伎だ。そう思って観れば、鶴屋南北が現代に生まれ変わったら、こんな作品があっても不思議ではない気がしてくる。

美輪さま演じる「マリー」は、時々台詞が聞き取りづらいところもあったけれど、声の音色感が変化する様は凄い。そして、本来台詞役者ではない麿赤兒の台詞が、最もよく聞き取れたというのも、なんだか面白い。若松武史も、寺山演劇の懐かしいアクの強さを伝える。

客席の95パーセントの女性(30代から50代くらいが主流か?)は、寺山の言葉をどう聞いているのだろう。とまどっているのではないかなと思われるほど全体には静かで、かつてだったら、もっと沸いたであろう台詞にも反応が薄い。

最後のシーンは、演出によってずいぶん手が入っている。その是非はともかく、幕が降りてカーテンコールが始まった。形どおりにまず脇役たちが拍手を受ける。そして、「欣也」役の吉村卓也と美輪さまの登場となったとき、にわかに舞台装置が動いて、金色の孔雀を背景に二人が現われた。舞い散る金粉。

それまで静かだった客席が騒然となった。おそらくコアなファンがいるのだろう。観客が次々と立ち上がってスタンディングオベーションとなった。美輪さまが、客席に向かって手を広げたり、投げキスのような仕草をすると、大きな歓声が起こる。そして、二人のカーテンコールは延々と続き、私はかなり唖然としながら座っていた。

なるほど、こうやってこの作品は継承されているのかと思う。パンフレットに載っている出演者の顔写真は、まるでホストクラブの店先の写真のようだ。いろいろな意味で面白い観劇だった。

翌日、仙台パルコの中の小さなスペースでやっている、寺山修司と天井桟敷ポスター展を覗いてみた。入場料300円かぁ。狭いんだけどな、ここ。有料なんだ・・・。

展示自体は、ポスターの他に自筆のコピーや出版物などもあるけれど、今までにもいろいろなところで見てきたから、さほど珍しいものはない。ただ、こうして、寺山世界に囲まれていることで思うことが沸いてくるような気がする。

若い、大学生と思しき女性が二人、ポスターを見ながら話しているのが聞こえた。

「ふぅん・・・、天井桟敷って劇団の名前なんだねぇ。」

はぁ・・・そうだよなぁ、キミたちは知らなくて当然だよなぁ。でも、そんな世代が、わざわざ入場料300円を払って入ってくるわけだから、寺山世界のインパクトは、色褪せていないのだろうと思う。

2009年5月30日 (土)

天踊

2008年12月19日に亡くなられた太刀川瑠璃子先生の訃報を伝える記事では、その肩書きは、「スターダンサーズ・バレエ団常任理事」、「バレエ・プロデューサー」、「昭和音楽大学副学長」などとなっている。

1通の葉書が届いたのは、1978年の秋か冬のことだったと思う。差出人は、故渡邉暁雄先生。内容は「貴君にお願いしたいことがあるので、連絡をください。」というもの。私は大学院生だった。

お電話をしてみると、スターダンサーズ・バレエ団という団体の公演のために、「白鳥の湖」第2幕をピアノ2台用に編曲してほしいというお話だった。暁雄先生が、「ポケットマネーくらいにしかならなくて申し訳ないけど」とおっしゃったのを妙に覚えている。

初めて青山のスターダンサーズ・バレエ団スタジオに打ち合わせに伺った時から、その後何度も何度もスタジオに足を運ぶたびに、迎えてくださるのが太刀川先生の笑顔だった。

いつものその笑顔には、ほっこりとした感じで、品の良いお人柄が顕れていた。「こんにちは。きつかわくん、元気?」と、いつも「つ」を小文字にしないで発音された。

しかし、いつもいつも笑顔でいらっしゃったわけではない。スタジオでのレッスンを見守る表情は真剣だったし、ダンサーを注意したり、日本の文化状況を憂うお話をされるような時には強い口調にもなられたが、高圧的だったり感情的だったりしたところを見たことがない。慈母のような人だった。

1979年7月、浅草公会堂でのスターダンサーズ・バレエ公演は、クルト・ヨース台本・振付の「緑のテーブル」と、遠藤善久振付による「白鳥の湖」第2幕。

この「モノトーンの白鳥湖」は、簡潔なスコアを用いることで、作品の持つ新たな容貌を引き出したいというドナルド・リチー氏の構想に支えられていた。2台のピアノの演奏は、渡邉康雄さんと渡邉規久雄さん。

スターダンサーズ・バレエ団のレパートリーは、いつも筋が通っていた。戦争の不条理を風刺的にグロテスクに、そして悲しく描く「緑のテーブル」に出会ったのも、この公演の時だ。こんなバレエを観たのは初めてだった。振付、音楽ともに衝撃的だった。

この時の「白鳥湖」の仕事が端緒となって、1981年にはバレエ「おしらさま」が生まれ、86年には2管編成の管弦楽版となって東京で初演の後、中国の北京での公演に繋がっていく。

いつも二つのことを語っておられたのをよく覚えている。一つは、「もっともっとバレエの裾野を広げなければいけないし、日本で生まれ、日本人によるバレエを作らなければならない」こと。もう一つは、「絵画や音楽の大学があるように、日本にもバレエの高等教育機関が必要」ということだ。

バレエの裾野を広げるための、行政が運営を全面的にバックアップする、全国でも珍しい市立のバレエスタジオが遠野市に生まれた。そして、その設立10周年を記念して計画されたのが、創作バレエ「おしらさま」だった。バレエの高等教育機関設立」という念願は、昭和音大にバレエ・コースが設置されたことで具体化に向かった。遠野市や大学を動かしたのも、創作バレエが発表できたのも、すべて太刀川先生の信念からだった。あの静かな笑顔のどこに、そんなエネルギーが潜んでいたのだろう。

近年はしばらくお会いする機会がなく、最後にお会いできたのは、草刈津三さんのご逝去を偲び、遺著の出版を記念する会だった。草刈さんは、暁雄先生らとともに日本フィル設立に尽力された方で、晩年は私も勤めていた某音大でご一緒だった。先ごろ亡くなられた暁雄先生の信子夫人に最後にお会いできたのも、この時だった。

太刀川先生は、大病をされた後と伺っていたが、お元気そうで、以前と変わりなくお話できて嬉しかった。2005年の初春のことだ。2007年12月、遠野での「おしらさま」再演の時、再び体調を崩されていることを伝え聞いた。お元気ならば当然その場に来ていただけるだろう。とても残念だった。

2008年12月19日の朝、前の晩、音楽会を聴いて仙台へ戻る新幹線に乗るために、東京駅のホームを歩いていた私に向かって、少し離れたところから会釈している人がいるのに気がついた。Mさんだった。Mさんは、遠野のバレエスタジオの1期生で、高校を卒業してからは東京で勉強を続けてダンサーになり、今はスタジオの指導者として、東京と遠野を往復している。久しぶりの再会に喜んで、短く言葉を交わして別れた。太刀川先生のご様子を聞けばよかったなと、別れてから思った。

その日の夕方、太刀川先生は亡くなられた。享年81歳。そんな日にMさんとばったり会うなんて、後で考えると何だか不思議な気がする。

Photo

2009年2月28日、昭和音楽大学のテアトロ・ジーリオ・ショウワで、お別れの会が催された。法名、釋天踊信女。あのお優しい笑顔の先生を忘れることはないだろう。

2009年4月27日 (月)

月産570字

昨年から、毎月仙台フィルの定期演奏会を聴いて、読売新聞仙台版に570字のレヴューを書くという仕事をしている。

演奏会に行く前には、可能な限り音源とスコアを入手して、曲について把握しておくようにしている。スコアは10代の頃から買い続けているから、あらためて買わなくても良いものも多いし、大抵の作品は入手できるけれど、中には簡単に手に入らない曲もある。その場合は仕方がない。注文して何ヶ月も待つことはなかなかできないからだ。

音源は、最近はネットでも簡単に買えるけれど、仙台の某CDショップでは、定期演奏会で取り上げられる曲のCDを、数ヶ月前からコーナーを設けて揃えている。入手しずらい曲の場合などありがたい。便乗と言えばそれまでだが、地元のオーケストラを応援しようというディスプレイを設けるのは、地方都市ならではのことだろう。東京では考えにくい。

本番では、膝の上にスコアを開き、ノートにこっそりメモを取る。音楽会の本番で、楽譜をめくり、メモをするなんて無粋この上なし。周りのお客様に申し訳ないなぁと思うけれど、楽譜を見るのも、メモを取るのも、思い違いを避けるためと、後付けの何となくの印象で書いてしまわないためだ。

私は批評家ではないから、基本的に貶す批評は書かない。「アンサンブルが乱れた」「バランスが乱れた」なんていうことだけを書いたって、乱れたのはちょっとした事故かも知れないし、演奏会に立ち会わなかった読者が、アンサンブルが乱れたことを知ったって、何の役にも立たないし面白くもない。

それよりも、「この作品はこういう曲。それをどのように表現しようとしていたか」という、作曲する者の視点を持ち続けていたいと思っている。

それにしても、何が大変といって、570字にまとめるのにとても手間がかかる。当日メモした走り書きのうち、少しは使えそうなフレーズだけ書き写してみても、すでに700字くらいにはなってしまう。それを整理したり、言葉を入れ替えたり、諦めたりして570字まで削る。削ることで良くなっていく部分とわかりにくくなる部分と、両方あるような気がする。

さらに、専門用語はできるだけ避けてほしいという注文がある。読者は専門家ばかりではないというのが理由だが、「運弓」を「弓の運び」に替えるくらいは良いが、「オーケストレーション」の代替言葉は「管弦楽配置」で良いのか。「パッセージ」を「走句」と言い換えてもわからないだろう。「動機(モティーフ)」も、「犯行の動機」の「動機」と混同されるので使えない。字数制限も、用語や使用漢字の制限もない「ブログ」は、呑気なフォーマットだなぁ。ただ、用語や使用漢字の制限はともかく、字数を制限に合わせて削っていくのは面白いことでもある。

ここでは、これまで報告しそびれてしまった定期演奏会をメモしておく。

2月20日(第235回定期) 指揮:デリック・イノウエ、クラリネット:赤坂達三

 コープランド:バレエ組曲「アパラチアの春」

 コープランド:クラリネット協奏曲

 アイヴズ:答えのない質問

 ハンソン:交響曲第2番「ロマンティック」

とりわけアイヴズが面白かった。演奏時間はたった5分くらいだけれど、果てしない時間と空間の中に放り出されたような感じ。どんな曲であるかよりも、どんな体験ができ曲かの方が重要。アイヴズが、ケージに繋がる実験音楽の始祖であることがよくわかる。他の3曲、コープランドもハンソンも、生演奏では滅多に聴けないから貴重な機会だったし、それぞれ良い演奏だった。ハンソンの交響曲は、調性との距離の取り方、時流から隔絶した孤独なロマンチシズムがシベリウスを思わせる。

3月20日(第236回定期) 指揮:パスカル・ヴェロ、ヴァイオリン:米元響子

 ベルリオーズ:序曲「海賊」

 ショーソン:詩曲

 サン=サーンス(イザイ編):ワルツ-キャプリス

 フランク:交響曲

ベルリオーズのこの曲はあまり知られていない。超特急のパッセージが駆け回る部分と半音階進行を含むゆっくりした旋律の部分がめまぐるしく交替し、カンカンを思わせるどんちゃん騒ぎに至る。こんな曲なのに・・・というよりもこんな曲だからこそ、とても丁寧にリハーサルされたことがよくわかる。演奏の仕上がりはむしろ端正。ヴァイオリンの2曲、どちらも演奏は自然体のロマンチズムで落ち着いて聴けた。ショーソンの詩曲のオーケストラ版、生で聴いたことあったっけ?詩曲は、独奏が霞の中から浮き上がって聴こえるように、オーケストラが書いてある。名オーケストレーション(という言い方あるのかな?)だと思う。オーケストレーションで言うと、フランクは「厚化粧」だ。いくつかの絵の具を混ぜて中間色を作るようにして、音色を配置する。それなのにというか、だからこそというか、オーケストラがオルガンのようによく鳴る。聖職者のような仕事ぶりだったというこの作曲家も交響曲は、むしろ人間臭い苦悩とカタルシスのドラマ。常任指揮者ヴェロ氏とこのオーケストラとの関係は、今とてもうまくいっている。彼が指揮をすると、このオケは音が落ち着く。ヴェロ氏と仙台フィルで聴いてみたい曲が、まだまだたくさんある。2009年シリーズも作文を続けることになったので楽しみだ。

2009年3月24日 (火)

1月のコンサートいろいろ(5) クァルテット・エクセルシオ

1月31日(土) クァルテット・エクセルシオ演奏会 東京・第一生命ホール。

ウェーベルン:弦楽四重奏曲(1905)

ウェーベルン:弦楽四重奏のための5つの楽章

ウェーベルン:弦楽四重奏のための6つのバガデル

ウェーベルン:弦楽四重奏曲 op.28(1938)

間宮芳生:弦楽四重奏曲 第1番

間宮芳生:弦楽四重奏曲 第2番「いのちみな調和の海より」

このクァルテットのメンバーである山田百子さんからご案内を頂いて出かける。演奏に先がけて、間宮先生のプレトークがあった。第1四重奏曲についての、黒田喜夫の詩からインスパイアされたことなど、初めて聞いた話ではないが、久しぶりだったこともあり新鮮。第2四重奏曲についても同じだが、作曲に向かう思いの強さが、作品の堅牢な構築を可能にするのだろうと思う。演奏では、ウェーベルンの意外な饒舌ぶりが、間宮作品と対比されて面白かった。

1月のコンサートいろいろ(4) 仙台バッハゼミナール

1月29日(木) カワイ仙台ショップホール

ピアニストの田原さえさんが、バッハの平均率クラヴィーア曲集を、分析しながら演奏していこうという公開ゼミを主宰されて、もう9回目。今回は、第1集の研究が完結する節目でもあるということで、「特別講師」に招かれた。

田原さんが、最初に持ちかけて来られたのは、「来場した方々に、50分間でカノンを書いてもらうことはできませんか」というものだった。いや、それはさすがに無理じゃないかな。カノンとはこういうものですと説明するだけでも、いくらかの時間は必要だし。各自の手元に楽器があるわけではないし。

それではということで、ゼミの会員メンバーに、カノンを作ってきてくださいと「宿題」を出しておく。メンバーの間でも、カノンってそもそも何ですか・・・と、当たり前にわかっていたつもりのことが混乱し始めたので、当日は、カノンについての概説と、作ってきてくれたカノンを試演して、それについてコメントする50分間になった。

メンバーは、ピアニストやピアノの先生たちだが、作曲の経験はあまりない。そういう人たちがカノンを書いてみるのは、なかなか難しいけれど意味のあることだろうと思う。対位法的な規則は、あまり厳密に求めないことにする。

たくさんのカノンが出来上がってきた。作者の名前は伏して見せてもらったが、田原さんが書かれたものはすぐにわかった。音の扱い方が「大人」なのである。こんな小品でも、書いた人の人となりが現われていて面白い。

1月のコンサートいろいろ(3) 山本純チェロリサイタル

1月26日(月) 仙台フィルのチェリスト、山本純さんのリサイタル(ピアノ=加納麻衣子)。仙台市青年文化センター交流ホール。

ベートーヴェン:チェロ・ソナタ第3番

バッハ:無伴奏チェロ組曲第5番

ラフマニノフ:チェロ・ソナタ

これほど演奏者の人柄が現われたコンサートに立ち会うのも、珍しいことかも知れない。純さんを知る人、彼を応援したいと思っている人たちが集まった客席は、内輪の集まりというのとはまた違う、和やかでくつろいだ雰囲気。彼が、交流ホールという会場を選んだことも関係しているだろう。

途中で、左手がつってしまうという気の毒なアクシデントがあって、本領発揮というわけにはいかなかったのがとても残念。あんなこと、あるんだなぁ・・・。演奏の同業者が見たら、蒼ざめてしまう光景だろう。

相当な痛みがあっただろうに、純さんは全曲を弾ききった。途中で事情を説明していたから、客席は事態を了解して聴き、惜しみない拍手をおくった。それだけに、アンコールのカッチーニ「アヴェ・マリア」は胸に沁みた。

次の機会にも、またぜひ聴きに行きたいと思う。

2009年3月22日 (日)

1月のコンサートいろいろ(2) 合唱団じゃがいも東京公演

1月25日(日) 山形の合唱団「じゃがいも」の、2回目の東京公演。東京・亀有・リリオホール。

今年は、林光さんの作品をふたつ、書き下ろし合唱曲「無声慟哭」と合唱オペラ「セロ弾きのゴーシュ」。

「セロ弾きのゴーシュ」は、こんにゃく座でよく知られたオペラだが、今回は合唱オペラに改訂されたものを上演した。

プロではない合唱団にとって決して易しい曲ではないのだが、その仕上がりは、オペラをちょっと無理しましたけれど直して歌いましたというようなものではない。今回書き下ろされたのだよと言われても納得しそうなリダクションと上演だった。これを契機に、「じゃがいも」だけでなく、いろいろな合唱団が手がけるようになれば良いのに。

「光輝あるわが金星音楽団」の練習風景。聴きなれた(観なれた)こんにゃく座の舞台では6人のキャストだけで、他の大勢の楽員の存在は想像するということになるけれど、「じゃがいも」たちは全員が舞台にいて、楽器を弾く仕草をしているから、本当にオーケストラがそこに見える!

「町の活動写真館」の楽団としては、ちょっと多すぎるかも知れないけれども、それはさておき、今までに「見えた」ことのなかった「金星音楽団」が見えたのは、面白い衝撃だった。

本質的なことではないように思えるかも知れないが、最初と最後の場面が群集劇として視覚化されることによって、物語の核をなすゴーシュの孤独と、訪問者たちとの対話が浮き立った。最年少、烈くん演じる仔狸は、「狸汁ってぼく知らない。」だけで客席を掴んでしまう。

Photo それにしても、ホーム山形だろうが、アウェイ東京だろうが、どこへ行っても元気だよねぇ。今年の山形、来年1月の仙台も楽しみです。

1121653_img リリオホールのロビーから見えた富士山。

1月のコンサートいろいろ(1) 仙台フィル第234回定期

1月23日(金) 仙台フィル第234回定期 仙台市青年文化センター・コンサートホール

ベートーヴェン:ピアノ協奏曲第5番「皇帝」

ブラームス:交響曲第2番

指揮:大山平一郎、ピアノ:小川典子

小川氏の演奏による日本の作曲の黎明期作品のCD、少し前の録音だが、楽しんで聴いていた。このCDが、橋本國彦のピアノ作品に接した最初でもあった。生演奏を聴くのは初めてなので、楽しみに聴きに行く。ソリストとして迎えられた今回はクラシックの王道ど真ん中の作品。

そのピアノコンチェルト。音ひとつひとつが発光体で、パッセージやアルペジオを弾くと、音がいろいろな色でキラキラ輝くよう。

第2楽章。前の楽章とは別の宇宙から響いてくるように感じるのは、第2楽章が第1楽章からは遠い調で書かれているためだろう(E-dur の第1楽章に対して、H-dur 。同主短調のⅥの和音、つまり準固有和音Ⅵの調。ただし、本来はCes になるところをH に異名同音的に読み替える)。敬虔な祈りを思わせる静謐な美しさは、印象的だった。

全曲にわたって、オーケストラもナイス・サポートで、40分間飽きることなく楽しく聴いた。

ブラームス。オーソドックスで率直な解釈で熱演、盛り上がりも見事だった。けれど、もっと楽譜の中に隠されたドラマを浮き上がらせることも可能だっただろう。冒頭に提示される3つの音を動機として組み立てていくやり方は、ヴァイオリン・ソナタの、同じく第2番を思い出させる。

2008年12月27日 (土)

「魔法のことば」

佐山真知子さん、佐山陽規さんの「ふたりコンサート」(東京・下北沢アレイホール)

前半は、陽規さんがロルカによる「スペイン民謡集」から11曲を歌う。こんにゃく座を退座してから、ミュージカル歌手やアニメーションの声優としても活動している彼は、広くないホールにぎっしり詰まった聴衆に語りかけるように歌う。この曲が、本来そのように歌われたであろうやり方で。

真知子さんもそうだが、歌詞はすべて明瞭だから、その面で決して聴衆との間に壁を作らない。長年の経験がなせる技だろう。それに、熟年になられてと言っては失礼かも知れないが、こういう歌に絶対必要な、暖かな味わいが加わっている。今後の活動も楽しみだ。

真知子さんは、私が1999年に書き下ろした「魔法のことば」(アメリカ・インディアンの詩による9つの歌、訳詩・金関寿夫)を再演。服部真理子さんのピアノ、佐々木葉子さんのバス・マリンバが加わる。

きれいな、安定した、声量のある声で、歌詞の意味を伝える・・・という「正しい歌い方」に、最近真知子さんは違和感を覚えているという。そんな時、「言葉は意味である前に、まじないだった」というこの作品のことを思い出してくださったのだろう。初演の時とはまったく違う歌い方で、この作品に向かった。

真知子さんの力を持ってすれば、「きれいな、安定した声で、意味を伝えるように」歌うことはさほど困難ではないだろうと思うのに、あえてそこから離れようとする姿勢に、清々しい決意を見るような気がした。

そういうわけで、9年半ぶりに聴く「魔法のことば」は、なかなか面白かった。私の曲も、「歌曲作品」としてきちんと構成を整えることを極力避けている。だから、作品と歌とのヘンテコ具合にとまどった方もおられただろうと思うが、歌の書き方、歌い方両面から、「歌とは何か」を問う試みになっていると思う。

ちなみに、「魔法のことば」の詩は、「おれは歌だ おれはここを歩く」アメリカ・インディアンの詩(金関寿夫・訳、秋野亥左牟・絵、福音館書店)、「魔法としての言葉」アメリカ・インディアンの口承詩(金関寿夫・訳/解説、思潮社)に載っている。

2008年12月25日 (木)

仙台フィル「第九」特別演奏会

読売新聞の仕事として、仙台フィル「第九」特別演奏会を聴く(仙台市青年文化センター・コンサートホール)。

年末に、生で「第九」を聴くなんて、いつ以来だろう・・・。オケの皆さまには申し訳ないが、まったく記憶がないのだ。こういう機会が得られて、ありがたい。

指揮はパスカル・ヴェロ。前プロは、ラモー(ギルマン編)の歌劇「エベの祭り」第1組曲という珍しいレパートリーだ。ヴェロ氏ならではの選曲だろう。

ラモーは、バッハより2歳年上だそうだけれど、ほとんど違う星の住人のように聴こえる。ましてや「第九」などは、ラモーと並べられると、ずいぶん遠くに来たものだ・・・と思う。

新聞記事は、まだこれから書くことになるので、いつものことながら、詳しい感想はパスさせていただくことにする。

が、改めて思うのは、この大交響曲、第4楽章はどうやったって盛り上がる。だから、第1から第3楽章までの演奏によって、オーケストラの力量がわかるということだ。

そして、前プロがラモーでなかったとしても、この大交響曲の異形ぶりは、生演奏の場合、よりあからさまになるように思う。この曲が発表されるまでは、こういうものを「交響曲」とは呼ばなかっただろう。演奏会に行って、そんなことが確認できて良かった。

「第九」の合唱パートといえば、どこの土地でも、一般の人々が大勢参加するのが常になっているが、この演奏会での合唱パートは無差別の「市民参加」ではなく、そのレベルの高さには感心させられた。

2008年12月23日 (火)

AOI のクリスマス・コンサート

静岡音楽館AOI からの依頼で、「くるみ割り人形」組曲から抜粋して編曲した。クリスマス・コンサートの中で初演されるので、立ち会いに行く。

Aoi 当館音楽監督・野平一郎さんが立てたプログラムは、とても豪華なもので、この館の企画会議委員やレジデンス・クワルテットのメンバーの演奏家の方々を、気楽な演奏会の場に引っ張り出して、お客様方と仲良くしてもらおうという思いがある。

「静岡の名手たち」オーディションに合格した若い演奏家たち、「ピアノ伴奏法講座」修了生、「子どものための音楽ひろば」を受講している子どもたちが加わって、3部構成、所要時間3時間20分に及んだ。

書き留めておきたいのは、「子どものための音楽ひろば」という講座のこと。小学校4年生から中学3年生が集まって、月に2回の土曜日、体操やリズム遊び、作曲、うたなどを学ぶ。70名募集のところ、倍以上の150名もの応募があり、残念ながら多くの応募をお断りせざるを得ない現状なのだそうだ。この日の演奏会でも、簡易打楽器のアンサンブルや美しい合唱を聞かせてくれた。

他には、クリスマス向きの曲もたくさんあったけれど、バルトーク(ラプソディ2番)あり、ジェフスキー(「平和を我らに」によるショートファンタジー)あり、ラフマニノフ(チェロソナタの第3楽章)ありといった、音楽監督やりたい放題の「クリスマスコンサート」。でも、親子連れでぎっしり埋まった客席は、最後まで静かに聴いていた。
「ジェフスキーとジュ・トゥ・ヴ弾いたあとで、軍隊行進曲(シューベルト)弾くことないわよねぇ」という、企画会議委員であるピアニスト・高橋アキさんの言葉が、なかなか可笑しい。

「くるみ割り人形」は、組曲から数曲抜粋して、20分ほどにまとめてほしいという注文だった。野平さんの指揮、バス・バリトン歌手池田直樹さんの語り、レジデンス・クワルテットの方々やギターの福田進一さんまで加わるという贅沢な演奏陣で無事初演。編曲のために使える楽器は、「たくさんあるのに肝心なものがない」という具合で、楽な仕事ではなかったが、なかなか楽しかった。何より原曲がいい。「花のワルツ」など、耳タコながら、改めて書いてみると本当に美しい。

Photo 写真は、リハーサルの時のもの。

この種の編曲の仕事をして悲しいのは、手間暇かけて厚いスコアを書いて、なかなか評判の良いものが出来上がっても、ある程度編成が大きいために、初演されたっきり、お蔵入りしてしまうことだ。AOI でもまた数年後に再演してもらえそうな気配はあるけれど、アンサンブル曲をお探しの方々、いかがでしょうか。

「小序曲」、「行進曲」、「金平糖の踊り」、「トレパーク」、「アラビアの踊り」、「花のワルツ」の6曲。編成は、ピアノ2台、フルート、クラリネット、弦5部(各1名)、打楽器2名に、「アラビアの踊り」ではギターが、「花のワルツ」にはオルガンが加わります。「動物の謝肉祭」に近い編成です。上演をご検討いただける方からのご連絡をお待ちしております(笑)。

Photo_4 AOI ロビーからの眺め。静岡の街って、こんなに山が近かったのかとちょっとびっくり。ここに来るのはいつも夜だったから、気がつかなかったのだな。

Photo_5 駅の周辺には、こんなフラッグがはためいていた。

2008年12月20日 (土)

秋から冬へのコンサート(4) 郷古廉リサイタル

12月20日 郷古廉ヴァイオリン・リサイタル(東京・めぐろパーシモン 小ホール)

Photo この日は、行きたい音楽会が3つ重なってしまった。さんざん迷ったが、合唱団「じゃがいも」山形公演は、年明けの東京公演を聴かせてもらうことにして、郷古くんのリサイタルに行く。23日に同プログラムで多賀城でも演奏会があるけれど、その日は私自身の本番と重なっているのだ。

彼のヴァイオリンを聴くのは、8月以来(8月23日の記事をご参照ください)。また変わってきたなぁ・・・と感じる。彼の年齢はスポンジ、しかも、彼は人一倍吸収力の強いスポンジなのだから、刻々と変わっていくのが当然だろう。それに、体格が変わってくれば、そこから出てくる音楽も変わるはず。

ピアノは、8月と同じ上田晴子さんだが、8月には、上田さんの縦横無碍な音楽作りによって彼の良さを引き出してもらっているところがあったが、今回ももちろんそういう面は大きくあるにしろ、音楽的には少しずつ対等になりつつあるという印象だ。彼の音楽がひとつステージアップしているということだろう。

モーツァルトのソナタ K.378。冒頭、ピアノの主題に対して、背景であるヴァイオリンのオブリガートがとても豊かな空気を作り出す。モーツァルトは、レパートリーとしてまとめるのは簡単ではないが、経験を重ねていけば、きっと彼の美質を表す音楽のひとつとなるだろう。

ブロッホの「バールシェム」組曲は、おそらく今の彼にとても合っている作品。かつて名演を聴いたショーソン「詩曲」に通じるものがある。彼は、物語を編むように弾き、それは圧倒的な説得力を持っている。

バルトーク(セーケイ編)「ルーマニア民族舞曲」も、これに通じるかに見えて、実は少し資質の異なる作品なのだということが、彼を演奏を聴いていると逆に思う。ロマン派的なアプローチでは、すり抜けられてしまう。テクニックに問題はないが、サラサーテなどの技巧曲と同じようにならない方が良いだろう。

最後は、プロコフィエフのソナタ第1番。迫真の演奏と記しておこう。全曲の中に現われる様々な表情それぞれにリアリティを持たせ、ただならぬ様相を持った作品として聴かせた。全曲を貫く幻想的な色彩は、表情にリアリティがなければ浮き立っては来ない。矛盾するようだが、それはこの作品の演奏に必要なキーポイントだろうと思う。

アンコールは、ポンセ(ハイフェッツ編)「エストレリーリャ」、サラサーテ「序奏とタランテラ」、イザイ「子どもの夢」。

前夜、最近ではすっかり有名になった若手ヴァイオリニストが演奏しているのをテレビで見た。しかし、私には感心できなかった。これなら郷古くんの方がずっと良いな・・・と思った。

何が違うのだろう。優秀なヴァイオリニストは、誰もが完璧な技巧を手に入れているし、優れた楽器で美しい音を出す。しかし、何かほんの少しの違いが、その音楽の方向を大きく変えてしまうのかも知れないなと思う。その違いとは、おそらく、日常的な考え方だったり、人柄だったり、芸術全般についての感性だったりするのだろう。結局は、その人の生き方すべてが演奏(や作品)に反映されてしまうのかも知れない。恐ろしいことだな。

Photo_2 終演後、楽屋で。

秋から冬へのコンサート(3) 東混定期演奏会

12月18日 東京混声合唱団第217回定期演奏会(東京・日大カザルスホール)

間宮芳生先生が自作を含めて4作品を指揮。曲目は、ブラームス「マリアの歌 作品22」、間宮「三色草子」、ベルイマン「4つの絞首台の歌」、間宮「合唱のためのコンポジション第8番」、「12のインヴェンション」より。

ブラームスは、間宮先生が三和音はどのようなバランスで響かせるべきかなど、音楽理論にからめたレッスンに長い時間を取ったというだけあって、絶妙なバランスで響く。「ドイツ民謡集」など民謡に基づいた創作は、ブラームス作品の中でもとびきり美しいが、この作品22もそのひとつ。

民謡詩に基づいた創作ということで、次の「三色草子」に繋がっていく。伝承の「田植草子」の詞によるこの作品は、今までは児童合唱で聴く機会が多かった。東混の女声で聴くと、少し感じが違う。やんちゃさが抑えられ、ルネサンス合唱曲のように鳴る。

ベルイマン作品は、「スピーチ・コーラスと3人の語り手のための」という副題付き。絶対音高のないリズムと音の相対的な高低だけで構成されている。歌詞はほとんど意味がわからない。割合短い曲。

ここまでに、ホモフォニー、民謡、ルネサンス的ポリフォニー、ノンセンス・シラヴルといった、間宮「コンポジション」のキーワードが出揃ったかたちとなる。

「合唱のためのコンポジション第8番」を聴くのは、念願に近いものだった。1971年に初演されて以来、初演後まもなく再演はあったものの、30余年にわたって演奏される機会がなかったからだ。3群の合唱、3人の指揮者が必要という大きな仕掛けが、再演を妨げたかも知れない。今回は2群の合唱と2人の指揮者のために改訂され、この時が初演。もう一人の指揮者は田中信昭先生。

重層的に響き合い、反発し合う音楽は、実に豊かであり、同時にしばしばユーモラスでもある。シアターピース的な要素もあるが、儀式を演出しているようでありながら、作為から解放された自然体の存在感が感じ取れるのが面白い。

20数分の作品だが、もっと長いような気がした。退屈して長く感じたというのとは違う。時計の時間とは明らかに違う「時間」が、それこそ重層的に流れるから、聴き手の体内時計では測れなくなってしまうのだろう。30余年ものおクラ入りはもったいない傑作だ。20数分なのに、もっとスケールの大きな、時計では測れない時間芸術の姿が現われる。

「12のインヴェンション」は、<でいらほん><稗搗唄><知覧節>の3曲。自作自演は、どの作品も過剰なニュアンス付けに陥ることなく、曲の構造を明らかにするような在り方。アンコールの<まいまい>で、「ノートルダムミサ曲」の遠いエコーが聴こえてきたのは面白かった。何度となく聴いている曲だが、迂闊にも今まで気づかなかった。

秋から冬へのコンサート(2) オーケストラ・ニッポニカ

11月30日(日) オーケストラ・ニッポニカ「日本の交響作品撰集」 その3 (東京・紀尾井ホール)

「東京交響楽団の1950年代」と銘うたれ、本名徹次氏の指揮で、1953年から55年までの5作品が演奏された。

池野 成:ダンス・コンセルタンテ

入野義朗:小管弦楽のための「シンフォニエッタ」

篠原 眞:ロンド

間宮芳生:交響曲

林 光:交響曲ト調

池野作品は、演奏時間30分に迫ろうかという大作。4つの楽章に分かれているということだが、最後はは叩きまくり吼えまくることになるエネルギッシュな大音響へのいくつかの道筋を探しているかのよう。演奏会の冒頭としては、いささかハード。

入野作品は、ずいぶん前からスコアは見ていた。実際に聴くのは何年ぶりだろう。整然として潔癖な音楽。もう一度落ち着いて聴いてみたい。

篠原作品は、美しく作られた、本当に「ロンド」。形式とオーケストレーションの習作的な意味もありながら作られた作品だろうと思うが、佳品。

間宮作品は、とても不思議な「交響曲」。習作時代を終えて、独自の世界を構築しようとするごく初期の成果と位置づけられるだろう。後に、「合唱のためのコンポジション」をはじめとする様々な作品に結実する萌芽が見て取れる。同時に、西洋音楽的なものとは異なる論理で構築された「交響曲」を作曲する実験であったろう。

林作品は、初演後も演奏され、ディスクにもなっている。作曲者にとっての、当時の「アイドル」がよくわかる。それにしても、若干22歳でこの作品を纏め上げた手腕は凄い。

どの曲からも、1950年代における東京交響楽団の芸術運動の熱意が伝わってくる。その中心となった指揮者・上田仁は、私などには伝説の人だが、その仕事にはもっと敬意が表されるべきだし、そこで初演された作品の中には、通常のレパートリーとして演奏されるべきものが多く含まれていると思う。

秋から冬へのコンサート(1) 小山実稚恵リサイタル・仙台フィル定期

10月から12月までに聴きに行ったコンサート、そのつど記事にはできなかったのだけれど、せめてひと言ずつ記しておこう。

10月29日(水) 小山実稚恵ピアノリサイタルシリーズ第6回 ~内なる叫び~<紫:高貴なる精神 心の嵐>(仙台市青年文化センターコンサートホール)

シューマン:「蝶々」、

ベートーヴェン:ソナタ第17番「テンペスト」

シューベルト:即興曲D.935より第1番(f moll)

ショパン:ソナタ第3番

小山さんのリサイタルに行っていつも思うのは、プログラミングの上手さ。(いや、プログラミングは上手いけど演奏は・・・とかいう意味ではないのですよ!ご本人が真っ先にそう言いそうだから、念のため。)

聴く前に、へぇ~・・・この曲からこの曲へ繋げるの?と思いながら聴きに行ったりしても、実際に演奏を聴くと、プログラム立てにとても納得してしまう。「テンペスト」やショパンの3番が、「心の嵐」という見立てで括るられるのはすぐに得心するが、例えば、その前プロとして「パピヨン」やシューベルトのf moll を置くのは、ちょっと意表を突かれる感じがある。けれど、いざ聴いてみると、他にない選択になっていることがわかるのだ。それぞれの曲でそれぞれの物語を紡ぎながらも、演奏会全体でひとつの大きな語りになるように考えておられるからだろう。そういう意味でも、次はどんな演奏会になるのか、いつも楽しみなのである。

11月14日(金) 仙台フィル第233回定期演奏会(仙台市青年文化センターコンサートホール) 指揮はパスカル・ヴェロ 

モーツァルト:交響曲第35番「ハフナー」

サン=サーンス:ピアノ協奏曲第5番「エジプト風」(ピアノ=横山幸雄)

ラヴェル:古風なメヌエット

ストラヴィンスキー:「火の鳥」組曲(1919年版)

読売新聞仙台版に記事執筆。指揮者の楽譜の読み込みが素晴らしい。拍節感とアクセントに乗せて音楽を乗せていけば、自ずと音楽はエレガントに流れ、ひとりでに弾むのだということを示しているよう。

モーツァルトでは、リズムや和音による陰影が次々と切り替わっていく風景が、祝祭的な楽しさをもたらす。

サン=サーンスでは、時折激しさを見せながらも、基本的には淡々と語っていくことによって、老境の作曲家の澄んだ心情を描き出す。謎めいた第2楽章こそ、この曲の中心楽章であり、ここでサン=サーンスは、エキゾチズムへの好奇心に留まらず、音楽的言葉の獲得までたどり着いたように思える。夢のような風景を現出させる第2楽章を中心に、一見バラバラに見える3つの楽章が、好演によってひとつのドラマとして繋がった。

ラヴェル 実は相当モダンな「古風な」メヌエット。指揮は、その異形ぶりも生かしながら、エレガントさを失わない。そのエレガントさこそが、最良の意味で「古風」なのかも知れない。

ストラヴィンスキー 冒頭、地底から熱風が吹いてくるような空気の振動に驚いた。この曲を生で聴くのは久しぶりだけれど、こんなに面白かったかしら。そして、「火の鳥の踊り」もとても響きが美しい。これらは、CDでは決して感じ取れないことだなぁと、つくづく思う。

2008年10月19日 (日)

限りなく新作に近い作品

2本のクラリネットのための曲を、改訂初演。仙台市青年文化センター・コンサートホール。

2005年に発表したのだけれど気に入らず、半分くらいを入れ替える。だから、限りなく新作に近い作品となった。

2005年の時、演奏は高校音楽科の生徒さんたちだった。今回は、卒業生のこずゅさんとなおさんにお願いする。

亡くなられた本間先生は、そんなふうに、若い人にご自分の作品を託して、演奏の機会を与えてこられた。そのことが、今回私の頭の隅にあった。

10分ほどの作品。とりあえずこの曲のために自分がやるべきことはできたかなと思う。もう少しだけ、つまむかも知れないけれど。

音楽作品は、そこに在るというだけでは成長しない。これから何年かかっても良いので、作品として育ててくださるクラリネット奏者さん募集中。

p.s.

すっかり更新が滞ってしまっています。せっかく覗きに来てくださっているのに、申し訳ありません。管理人、別に体調を崩しているわけでも、書くことがなくなったわけでもないのですが、大学の仕事がいろいろあること、某編曲の仕事をしているのですが、目下かなりの時間をそちらに取られていることから、こんなことになっています。書いておきたいことはいろいろあるので、また少しずつ更新していきます。今後ともどうぞよろしくお願いいたします。(11月3日記)

2008年10月17日 (金)

仙台フィル10月定期

仙台フィル第232回定期演奏会を聴く。指揮はマルティン・トゥルノフスキー。

プログラムは、19世紀から20世紀の初めまでに書かれた交響曲を3曲。シューベルト:交響曲ロ短調「未完成」、マーラー:交響曲第5番第4楽章「アダージェット」、そしてブラームス:交響曲第4番。

この3曲で、終演時間が20時40分という驚異的な早さ。つまり、どの曲もテンポが速かったわけだ。

「未完成」の第1楽章には、「アレグロ・モデラート」と記されている。あの楽章は「アレグロ」という印象ではないのだけれど。

それを、文字通り「アレグロ」のテンポでやる。「アンダンテ・コン・モート」の第2楽章も、「アンダンテ」の中の最も速い目盛りでやる。そんなふうにすると、20時40分終演が可能というわけだ。

詳しいレヴューは、新聞に書くので省略。でも、新聞には書けなかったことをメモしておこう。

そんなわけで、快速「未完成」だったわけだが、そうして聴くと、構造的な仕組みがよくわかるような気がする。単に抒情的に流れる音楽ではなく、ソナタ形式に沿った構築的な楽章だということである。

第2楽章が終わったとき、「あぁ・・・続きが聴きたいなぁ・・・」と思った。「未完成」は欠陥ではない、優れた「完成した」芸術作品であるということは承知しながらも、やはりこれは、後半が永遠に欠如した4楽章の交響曲なのだという思いがした。この曲を聴いてそんなふうに感じたのは初めてだ。演奏がもたらした感覚なのだろう。そう思えたことが面白かった。

トゥルノフスキー氏は1928年生まれ。かくしゃくとしておられて、失礼ながら80歳とは思われない。耽美的になることなく、テンポも含め禁欲的と言いたくなるようなその解釈は、ジョージ・セルの薫陶を受けたという経歴にも関係があるかも知れない。

2008年10月13日 (月)

ジャケ買い

LPレコードの時代には、時々「ジャケ買い」をした。

「ジャケ買い」とは、レコードを、中身よりもジャケットが気に入って買ってしまうことである。もはや若い方々はご存知ないかも知れないが、LPレコードというものは直径30cmの円盤で、それを包む紙ジャケットはおよそ31cm×31,5cmという大きさだから、デザイナーが腕をふるった美しいジャケット、面白いジャケットがたくさんあった。だから、かっこいいデザインなどがあると、つい買ってしまったりしたのである。

「ジャケットかっこいいから買っちゃったよ」なんていうことは、友人の誰もが一度くらいは言っていたような気がする。そして、「ジャケットかっこいいから買っちゃった」レコードは、中身をあまりわからずに買っているのだけれど、多くの場合実は名盤だったりするのである。

LPレコードで発売されていたものがCD化される場合、LPジャケットのデザインがそのままCDに使われている場合も多い。最近では、オリジナル・ジャケット・コレクションなどとわざわざ銘うって発売されることもある。しかし、いかんせんCDのケースは小さいから、LPのジャケットのような迫力はない。

少し前のことになるが、本当に久しぶりに、たぶんCDになってから初めての「ジャケ買い」をしてしまった。

そのデザインがこれ。

Photo どうです、楽屋でお支度中の踊り子さんたち(?)、なかなかの迫力でしょう。

あ、中身ですか?

内容は、プーランク、オネゲル、ミヨーらのいわゆる「フランス6人組」の全員の室内楽曲が収録されている、ごくごく真面目なもの。たぶん、その時代の雰囲気を出そうとしているのでしょうが、実は中身とはほとんど関連がない。でも、このジャケットじゃなかったら、買わなかっただろうなぁ・・・。

プーランクの作品は、アヌイの芝居「城への招待」のために書かれた、ヴァイオリン、クラリネット、ピアノによる劇音楽が収められていて、なかなか楽しい。シャンソンやタンゴといったスタイルを借りた洒脱な小品集。この曲が、唯一写真の風景と近いのかも知れないなと思う。

それにしても、このお尻(たち)の迫力には、CDケースの大きさでも十分圧倒されますね。

2008年10月12日 (日)

本を包む

東京・神田神保町は、好きな街だ。

Photoたくさんの書店、古書店が軒を並べるこの街には、大学時代からよく来ている。1日がかりで、というわけにはいかないけれど、何時間かでも時間を見つけて書店を巡り、いくつかの古くからある喫茶店の、今日はどこで休もうかななどと迷うのも楽しい。

構えが変わった店もあるが、街全体の雰囲気はそれほど大きくは変わっていないし、依然として「昭和」のたたずまいを残しているところも多いから、学生に戻ったような気分にもなる。

本を買うと、今でもこんなふうに包装してくれる古書店が多いのも、この街ならではのことだ。

Photo_3ゆっくり丁寧に包み紙で包んで、輪ゴムで留める。薄めの本でも同じ。プレゼント用の包装を頼んだからではなく、いつもこうなのだ。

この包装、ちょっと煩わしいなと思ったこともあったけれど、買った品物が無造作にレジ袋に放り込まれ、家の中にやたらとレジ袋が増えていく昨今では、こういう包み方が、街のポリシーを象徴しているようにさえ思える。

包み紙は、もちろん後で本のカバーとして使える。テープで貼るのではなく、輪ゴムだから一部分が破れたりすることもない。

そもそも、こういうふうに包んでくれるのは、苔の生えていそうな椅子に座っているガンコそうな店主であり、パートやバイトのご婦人方ではない。

その、ちょっとヘンクツでガンコそうな店主は、包んだ本を両手で渡しながら、ゆっくり、「ありがとうございました。」と言う。口調以外は無愛想と言ってもいいくらいだ。両手をお腹の前で組んで礼をしたりしないし、「またお越しくださいませ。」などということは言わない。しかし、その言葉はきちんとこちらに届く。今日はこの本が買えて良かったな・・・と思える。

新本の量販店や、雑多な品物を売るスーパーマーケットなどのように、客がレジに列を作ったりしないから、ひとりひとりの客にこんな対応ができるのだけれど、何よりも店主が本を大切にしているからこその心意気だろう。オートマティックに会計を処理され、儀礼的に礼を述べられることに慣れている身にとって、この街のオヤジの対応は、古くさくも新鮮である。

ただし、ここでは、紙で包んだ本をさらにレジ袋に入れるような過剰包装はしない。だから、神保町に行く時は、手さげバックなどを持って行った方が良いな。

2008年10月 6日 (月)

新作初演のお知らせ

久しぶりに、仙台で新作を初演します。

第45回 宮城県芸術祭音楽会「20世紀の風Ⅱ」

10月19日(日)14時開演 仙台市青年文化センター・コンサートホール

吉川和夫:アンティフォニーⅣ ~2本のクラリネットのための~(クラリネット=熊谷梢、鈴木奈緒)

正確には、2005年に作曲した作品の改訂初演ですが、かなり大きく書き直したので、ほとんど新しい曲を出す気分になっています。初演を覚えている方は、ほとんどいらっしゃらないでしょうし。

初演の演奏をしてくれたのは、仙台の二人の音楽高校生さんたちでした。そういう人たちに演奏してもらうことを前提で作曲したのです。だからといって易しく書いたということはありませんが、若い奏者でも無理なく演奏できるようにとは考えたつもりです。今回も演奏してくれるのは、私たちの大学の卒業生さんたちです。

入場料は1,000円。チケットは私もたくさん預かっていますので、どうぞお申し付けください。

2008年10月 4日 (土)

林光 バースデーコンサート2008

作曲家の林光さんが、間もなく喜寿を迎えられ、また小学館から『林光の音楽』という書籍+CDが発刊された、お祝いのコンサート。発起人に名を連ねさせていただいていたので、今日は大学院入試だったのだけれど、免除をお願いして出席する。東京文化会館小ホール。

チケットは、夏になる前くらいに完売していたそうなので、もちろん満席。来たくても来れなかった人がずいぶんいたんじゃないのかな。

前半は室内楽作品、後半はソングなどなど、光先生ご自身がピアノを弾いたり、歌を歌ったりするコーナーもあって盛りだくさん。

その中でも、アコーディオンと4奏者のための室内協奏曲「それがわかったら」と、こんにゃく座オペラ「変身」のソング集が、とくに印象的だった。

室内協奏曲は、萩京子さん、寺嶋陸也さんと私が3人で組んでいる作曲家グループ「緋国民楽派」の演奏会で初演した作品。あぁ、すてきな曲を書いて頂いたのだなぁ・・・と、あらためて思う。

カフカを原作とする「変身」は、林作品の中でも特に作曲者の力の入ったオペラだ。それぞれの景の音楽が、「シャンソン」、「ブルース」、「ロマンス」、「子守歌」といったように、明確なスタイルを持っていて、そういう曲が積みあがってオペラを成すかたちは、少しだけベルク「ヴォツェック」を連想させる。

プログラム後半にはおなじみの曲も多いが、さまざまなスタイルを書き分ける職人技は見事だ。そして、どんなスタイルの曲でも、単に擬態を装うだけではなく、どこかに必ず「作曲・林光」という刻印が見える。どんなスタイルの場合でも、アイデンティティと無縁になったりすることがないからだろう。

小学館から発刊された『林光の音楽』は、400ページを超える書籍と20枚ものCDがセットになっている。以前に出た『武満徹全集』に継ぐもの。

詳細はこちら→ http://sgkn.jp/cdhayashi/

こんにゃく座にお願いして、割引きで購入した。題名は知っていても実際に聴いたことのない作品も多く収録されていて、楽しみだ。けれど、いつになったら落ち着いて聴けるかなぁ・・・。それに、こんな物凄い全集でなくてもいいから、いろいろな日本人作曲家の埋もれている作品を、もっと身近に聴けるようになると良いと思う。

(『林光の音楽』を、左サイドバーで、アマゾンへリンクしておきます。)

2008年9月29日 (月)

「12の前奏曲」

1992年の作品、ピアノのための「12の前奏曲」が、カワイ出版から新しい楽譜となって出版されました。

この作品は、1994年に出版されていたのですが、このたび「コンサート・ピアノ・ライブラリー」というシリーズの中に入れてもらえることになったので、装丁が変わり、リニューアルされたのです。この機会に、実はたくさんあった音の誤りをすべて訂正しました。絶版になることはあっても、再版になることなど滅多にないので、とてもありがたいことです。

1992年のコンサートは、ピアニストの志村泉さんが、3人の作曲家がそれぞれ12曲ずつ作曲した「前奏曲」を、合計36曲初演するという企画でした。一緒に初演された萩京子さん、寺嶋陸也さんの「12の前奏曲」も、同じくカワイ出版の「コンサート・ピアノ・ライブラリー」として、最近出版されました。36曲の楽譜が揃ったわけです。

萩さん、寺嶋さんの作品ともども、どうかたくさんの人の目に留まりますように!

左サイドバーの「このブログで話題になった本」のところで、Amazon へリンクしておきます。

2008年9月27日 (土)

寺山修司◎劇場美術館

郡山市立美術館で、「寺山修司◎劇場美術館」と題された展覧会を観る。

郡山市立美術館は、郡山駅から約4キロ、タクシーで10分(1500円)程度の丘陵地にある。平成4年開館の、新しくモダンな美術館。

「寺山修司◎劇場美術館」は青森で先行展示されたものだが、行くことができなかったので、郡山へ追っかけた。10月19日まで。

Photo車寄せに着いたタクシーから降りると、いきなり目に飛び込んでくるのは、たくさんの寺山修司の等身大のパネルだ。うん、やっぱりこう来なくちゃね。

2 展示されているのは、写真、原稿、本、台本、ポスター、オブジェなどなど、寺山が愛用したという、ポックリのようなサンダルまで。

寺山修司の活躍は、リアルタイムで知っているし、寺山をめぐる様々な本や写真集なども読んできたから、初めて見る驚きは薄いが、活動をヴィジュアル戦術でアピールした足跡は、個人的な懐かしさを超えて、今でも強烈だ。

会場には、予想通り(?)「アメリカよ!」を読む寺山自身の声が流れている。青森訛りのあの声は、ある種の時代的感興を催させる。ポスターとして見たことのある横尾忠則の原画が、キャンバスにきっちりと油彩で書かれているのは特に印象的だった。

1983年に亡くなったのだから、もう四半世紀も経つ。47歳という生涯で、何と厖大な仕事をしたことだろうと、あらためて思う。寺山の当時の活躍を知らない今の若い世代の中にも、「テラヤマ」に対して、憧れのような興味を持つ人たちがいるようだ。寺山の遺した仕事が、おそらくは誰もが持っている「怖いもの見たさ」、「禁忌を覗くようなスリル」への好奇心を刺激するからだろう。

http://www.city.koriyama.fukushima.jp/bijyutukan/index.html

3

2008年9月26日 (金)

仙台フィル9月定期

仙台フィル第231定期演奏会を聴く。

曲は、モーツァルト:「魔笛」序曲、モーツァルト:ヴァイオリン協奏曲第5番、シューベルト:交響曲ハ長調「ザ・グレイト」。指揮はハンス=マルティン・シュナイト、ヴァイオリン独奏は川久保賜紀。

これも、讀賣新聞宮城版にレヴューを書くことになっているので、ここでは詳細は省略。10月中旬の新聞記事をご覧ください。

川久保氏の涼やかな音色と、老巨匠の愛すべき音楽を楽しんだ。マエストロには、ちょっとハラハラさせられたところもないわけではない。いつも一緒にやっているオーケストラならば対応できることでも、短期間の客演ではなかなか難しいんだろうなと思う。しかし、それはそれとして、最後には、落ち着いた音楽をじっくり聴かせてもらった充実感が快く残った。

2008年9月14日 (日)

オペラ「そしてみんなうそをついた」

オペラシアターこんにゃく座公演を観る。林光さんの新作。東京・六本木、俳優座劇場。

タイトルは、原作である芥川龍之介「藪の中」の内容を象徴するもの。原作では、登場人物である「木樵り」、「旅法師」、「放免」、「媼」、「多襄丸」、「女(真砂)」、そして「金沢の武弘の霊」が、藪の中で起こった出来事を語っていくが、それらの証言は少しずつ食い違っていて、結局誰がどのようにして武弘を殺害したのか、わからないようになっている。

作曲者自身による台本は、原作では一人ずつ順番に語られる証言をバラバラにして組み合わせ、モノローグドラマを劇的構造に変換させた。その組み立てはとても面白く、ただでさえわかりにくい「事件」の核心が、もっとわからなくなった。

けれども、おそらくは「もっとわからなくなる」ことこそ、台本作者・作曲の狙いであって、ひとつの「真実」が存在するかのように見えて、実は何が「真実」かわからないという話を用いながら、「真実はひとつである」という公式など、人間の営みにおいてはそれこそ「真実」ではなく、そもそも「『真実』とは何か。どこかに必ず存在するひとつのものなのか」と問いかけてくる。もとより、武弘殺しの犯人探しはオペラ化の目的ではない。

「こちらの調査結果こそが『真実』である。」と主張し合うのは、非常によくあることだ。例えば、戦争の後始末に失敗したこの国は、今でも近隣諸国から、教科書に載っている「真実」の正当性について異議を出され、そのたびに関係がぎくしゃくする。「みんなうそをついた」かどうか、それすら不明な事象が人間社会にはあるのだということのみが、本当の「真実」なのかも知れない。

最近の林作品の音楽書法の簡潔さについては、すでに一つの様式が確立されているようにさえ見える。歌のパートに対して楽器パートは、背景ではあっても伴奏であることはほとんどない。歌パートは楽器に対して優位ではなく、それぞれの楽器も、歌パートと同価値のひとつの声部としてアンサンブルを成す。言い方を換えれば、歌パートもアンサンブルの声部のひとつに過ぎない。

楽器は、クラリネット、ヴァイオリンに太棹三味線、打楽器、ピアノが加わる。どの楽器も(ピアノですら)、声部を成す線の1本として機能させる部分が多い。それだけに時折鳴る不協和音のインパクトは強く、全体に音の数は多くないだろうと思われるが、音楽はとても雄弁だ。

演出は、座の中心的な歌役者である大石哲史さん。京都生まれである彼の出自が、歌われる詞のイントネーションも含めて、作品の地理的背景を的確に押さえることに役立っている。

原作が求める登場人物の他に、二人の「添乗員風の女」と二人の推理者(?野次馬?)が登場して、音楽を中断させ、証言に注釈を加えたり、疑問を発したりして、「真実」がますますわからなくなることに貢献する。ただ、その登場頻度が多いので、そのたびに音楽の流れも私たちの思考通路も寸断される。そして、かえって説明的になってしまう憾みも感じる。これらの付加的人物を割愛すると、作品全体の表現力がどれほど落ちてしまうものなのか、いつか音楽だけ通して聴いてみたい気がした。

それはともかく、「放免」に扮する富やんの風貌は、すごいハマり方だったなぁ。こんなに迫力ある坊主頭はなかなかないだろう。彼の主演で「薮原検校」を観てみたいものだ。

2008年8月31日 (日)

レパートリー

8月30日と31日、二日間にわたって、某合唱コンクールの審査員を務める。

中学、高校、大学、職場、一般に分かれて競うが、いずれもとてもレヴェルが高かった。職場団体の参加が少ないのは残念だが、これもご時世か。

自由曲でどんな作品が出てくるか、興味のあるところだが、傾向がずいぶん変わったものだなぁと思う。もちろん、これはたかだか一つの県大会を聴いただけのことだし、日常的に「合唱界」とお付き合いしているわけではないのだから、全国的な傾向かどうか、わからないけれど。

無伴奏曲がずいぶん増えたのが、まず大きな印象。私が某大学の小さな小さな合唱団と一緒に遊んでいた頃は、無伴奏曲は、有力な合唱団以外はほとんど手がけることはなかった。

難しい・・・というのがその理由だったと思うが、丁寧に練習すれば、少人数の団体でも美しい合唱ができるし、勉強になるのに・・・と、当時歯がゆく思ったことを、この2日間、多くの団体が晴らしてくれた。いくつかの、10人そこそこの、あるいは10人にも満たない団体が、大合唱団では決してできない見事なミニュアチュールを美しく響かせていたのには、思わず講評を書く手が止まった。

さらに驚くことは、そういった無伴奏曲の多くが宗教曲であることだ。合唱に関する限り、日本人はほとんどキリスト教に帰依するらしい。

なるほどラテン語は発音しやすいかも知れないが、登場した曲の多くは、ラテン語の典礼文ではなく、ヨーロッパの中心からは少し外れた国の言語なのだ。英語、ドイツ語、フランス語、イタリア語、スペイン語あたりまでなら学ぶ手段もありそうだが、周縁の言語を勉強するのは大変だっただろうなぁ。

そして、その多くは、ほとんど知られていない作曲家の作品なのである。知られていない作曲家だからいけないということは決してない。よくぞ見つけて来ましたね・・・と言いたくなる作品も出る反面、首を傾げてしまいたくなるようなものもある。そんなにまでして、知らない国の知らない作曲家の知らない宗教の歌を、知らない言語で汗水流して勉強する必要があるのかなぁ・・・。

無伴奏でもバルトークやコダーイはやはり一流の音楽だし、ほんの数団体が手がけた、無伴奏ではないがシューマンやメンデルスゾーンはとても新鮮に聴こえた。ロマン派合唱曲は、今はあんまり流行らないらしい。

邦人作品の「栄枯盛衰」も、なかなか無常である。「楽譜が売れる」という、他のコンテンポラリー音楽作品にはない要素が合唱にはあるのだから、「流行作家・作品」が移ろうのは、故なきことではないのだが・・・。

洋の東西を問わず、流行の波間に埋もれさせるべきではない作品だってたくさんある。レパートリーの可能性が広がったのは喜ばしいことだが、選択肢が増えれば増えるほど、選曲をする人たちには卓越した審美眼とポリシーが求められるだろう。

2008年8月23日 (土)

8月中旬のいろいろなこと(4) 郷古廉リサイタル

8月19日(木) 夜は、鵠沼室内楽愛好会主催の「郷古廉 ヴァイオリン・リサイタル」を聴きに行く。

会場は、鵠沼海岸駅から15分ほど歩いたところにあるラーラ・ビアンケというレストラン。瀟洒な建物のホールのテーブルを取り払い、さまざまなデザインの椅子をぎっしり並べて、サロンコンサート会場とする。この愛好会は、もう18年も続いていて、このコンサートが第265回目であると聞いて驚いた。夏には若手を紹介するシリーズを続けているとのこと。

郷古くんのことは、7月5日の記事にも書いたばかりだが、今回は、ピアニストの上田晴子さんとの初顔合わせでのリサイタル。曲目は、ブラームスのソナタ第2番、エルンスト「練習曲第6番『夏の名残のばら』」、武満徹「悲歌」、そしてフランクのソナタ。変化に富み、弾き手にとっても聴き手にとっても、充実したプログラムである。

郷古くんの素晴らしさのひとつは、その音楽をどんなふうに弾きたいのか、考えがしっかりしていて、すべてのフレーズ、すべての音楽的部品のひとつひとつに、確固とした意志がこめられているところだろう。音楽的部品を考え過ぎて作為的に作り過ぎると、流れが悪くなりがちだが、そんなことはまったくない。大きく流れを作る意志と、細部を磨く意志とが、過不足なくバランス良く共存しているから、快く身を任せて聴くことができる。

ピアノの上田さんの縦横無碍な音楽作りが、彼の良さを一層引き立てる。そして、彼の若さと、おそらくは若さのせいだけではない潔癖な性分が、聴衆におもねるような音や仕草を一瞬たりとも示すことを許さず、青年僧のように研ぎ澄まされた精神集中を可能にしている。現在のところ、まだ音楽の無限なる幅を自在に表現できる段階ではないかも知れない。けれども、これからさまざまな音楽家と共演し学んでいくことで、懐の深みはさらに増していくだろう。そして、彼の美質はもっと自然な営みとして、音楽の上に滲み出てくるだろう。

客席の後ろの方に座る。そして、彼の演奏を初めて聴く人たちが、その音楽に感嘆の思いとともに引き込まれていくのを見るのは、とても誇らしく楽しい。

昼間の「フェルメール展」、そして夜のこのコンサートと続けて、優れた芸術から元気を分けてもらった一日だった。

8月中旬のいろいろなこと(3) フェルメール展

8月19日(火) 午後、東京都美術館へ「フェルメール展」を観に行く。

17世紀、オランダのデルフトという町で描かれた風景画、建築画、風俗画などとともに、7点ほどのフェルメールの作品が出品されている。

フェルメールという画家の作品のすばらしさについては、今さら書くまでもないことだが、実物を見て、その美しさに本当に言葉を失った。

光の描き方の巧みさについていろいろ語られるが、ここに描かれた光、主に左側の窓から差し込んでくる外光は、無限のニュアンスをもって画面の中で踊っている。しばらくじっと眺めていると、その場面にふわりと吸い込まれていくような感じになる。そして、光の音が聴こえるようだ。いや、光の音ではなく、部屋の外で鳴っている音、風のそよぎや人の話し声、鳥の鳴き声などが、光とともに部屋の中に入ってくるようだ。

それに、フェルメール画は様々な物語を空想させる。手紙を書く婦人、床に紙と蝋が落ちている、それに気づいているのかいないのか、婦人は急いで書いているようにも見える、彼女の表情からは、楽しい手紙なのかつらい手紙なのか、まったくわからない、傍らの召使いは窓の外に何を見ているのだろう、召使いの左手の指は長くてきれいで、水仕事など厳しい仕事をしているようには見えない、テーブルクロスの皺に当たる光の書き分けの見事さはどうだ、床石の白い部分はくすんでいるのか、それともこういう模様なのか。手前左側の画面を縦に遮っているのはカーテンだろうか、この手前には部屋があるのだろうか、そうだとしたらどんな部屋なのだろう・・・。

フェルメールにハマっている人は多いようだが、その気持ちはとてもよくわかる。

場内が混雑しているのではないかと恐れたけれど、幸いそれほどではなく、絵の前でとてもゆっくり時間を過ごすことができた。http://www.tbs.co.jp/vermeer/

2008年8月21日 (木)

8月中旬のいろいろなこと(1) バルトークの合唱曲

8月12日(火) 福島コダーイ合唱団の東京公演を聴きに行く。トッパンホール。

演奏されたのは、バルトーク「児童と女声のための合唱曲集」全曲。「27の合唱曲」というタイトルでも知られている。

この合唱団の主宰者である降矢美彌子先生が、ご苦労されてこの作品を翻訳付き楽譜として出版されて(全音楽譜出版社)、その記念と銘うっているわけではないけれども、客演指揮にウグリン・ガーボル氏を迎えての演奏会が開かれた。

この作品は、合唱曲のお手本のように思える。1分足らずの短いものから、長くても3分程度だが、全27曲の中に、合唱の様々な音楽的テクニックがふんだんに詰まっている。歌う人たちにもそうだろうし、作曲する立場にとっても優れたお手本だ。

私も、かつて某大学の極小合唱団に付き合っていた頃、何年か続けて、半分以上の曲を楽しんだことがある。もちろん、この日の演奏は、それとは比べようもない本格的なものだ。降矢先生とのご縁から、ウチの学生くんが何人も参加していたが、全曲をマジャール語で歌うのは容易ではないけれど、良い経験になったことだろう。

2008年8月 4日 (月)

7月のいろいろなこと(4)

7月27日(日) 東京室内歌劇場公演、間宮芳生作曲のオペラ「夜長姫と耳男」を観る。第一生命ホール。

第一部は、竹澤嘉明さんの独演で昔噺「おいぼれ神様」(詩=大岡信)。

もう何度も観ている演目だが、怪演の度合いはどんどんエスカレートしているような気がする。それは大変結構なことだが、竹澤さんをもってしても詞が全部は聴き取れない。作品の、音と言葉の関係に問題があるとは思われない。ホールが完全にコンサートホール仕様であることにも原因があるだろうけれど、一体どうしたら良いのだろう。ものすごく面白い内容なのに、客席には詞が半分くらいしか伝わっていないように思う。

第二部がオペラ「夜長姫と耳男」。坂口安吾原作、友竹正則台本で、指揮は寺嶋陸也、中村敬一の演出。

1990年に水戸芸術館で行なわれた初演を観ているが、正直言って、その時は何だかよくわからなかった。夜長姫だの長者だのが登場するとなると、何やら昔話めいて聞こえるが、原作は、壮絶なシチュエーションの上で、真の芸術が生まれることの厳しさを見つめている。しかし、そのシチュエーションのとんでもない凄まじさは、スプラッターさながら。

しかし、今回は響いてくるものが多くあった。まず、音楽が壮絶な設定と堂々と対峙して美しく、生命力が漲っている。そして、演奏は、5名の歌手も8名の器楽も、周到に準備されたアンサンブルで、強い説得力があった。初演の時は、おそらく私が勉強不足だったせいでよく理解できなかったところが、今回は最初から最後まで腑に落ちた。

前日は別キャストでの公演があったのだが、スケジュールの関係でこの日しか観ることができなかったのは残念。しかし、いつもながらのボヤキになるが、このように優れたオペラが、初演以来18年も放置されてしまう現状は、そろそろ本当に何とかならないものだろうか。

ちなみに間宮先生は、来年新作オペラを発表される予定。来年は御歳80歳になられるが、かくしゃくという言葉さえ失礼なくらいお元気。新作の題材は、首だけが生命維持装置で生き続けるという倉橋由美子の近未来小説「ポポイ」。またスプラッターかしら。

2008年8月 3日 (日)

7月のいろいろなこと(3)

7月26日(土) 仙台フィル第230回定期演奏会を聴く。仙台市青年文化センター・コンサートホール。

指揮は山下一史氏で、ブラームス「悲劇的序曲」、ハイドンのチェロ協奏曲ニ長調(チェロ=横坂源)、シューマンの交響曲第2番。

今回も、讀賣新聞の「仕事で」聴きに行っているので、感想の詳細は省略。今回は、シューマンの2番を少し勉強できたことが良かった。いろいろなリズムがやんちゃに跳ね回り、力ずくでコントロールしないとバラバラになってしまいそうな曲だが、力業で押さえすぎるとつまらなくなる。指揮者の思い入れの強さが、空回りすることなく全体のエネルギーとなった。白熱した演奏だった。

7月のいろいろなこと(2)

7月25日(金) 板橋健独唱会を聴く。仙台市戦災復興記念館ホール。

私たちの大学の先輩先生である板ちゃん先生、間もなく古希を迎えられるそうだが、毎年1回、独唱会を催されていて、今回は第27回。その尽きない意欲には頭の下がる思いだ。しかも、今年の曲目は、シューベルト「冬の旅」全曲。休憩なし。

「1時間20分立ってるだけでも大変よぉ!」とおっしゃるが、もちろんただ立っていたわけではない。リートと日本語の語り物的歌曲に力を入れてこられた先生だが、最近の中で最も印象的な会となった。近年、音楽的パートナーにピアノの倉戸テルさんを得てから、表現がますますのびやかになられたのではないだろうか。もちろん、大学を退官して自由になったという要因もあるだろうけれど。

後でテルさんが、「『冬の旅』をコンサートできっちり(勉強)できて良かった!」と言っていたけれど、どちらかといえば器楽奏者のパートナーが多い彼のようなピアニストにとっては、そうだろうなぁ。友人の器楽奏者に、「ねぇ、このソナタ、一緒にやらない?」というのはあるだろうけれど、たとえ友人でも、声楽家に「ねぇ、『冬の旅』一緒にやろうよぉ・・・」とは、軽々しく言えないからだ。

お二人の共演は、来年の予定もすでに決まっているようで、楽しみだ。

7月のいろいろなこと(1)

7月は、すっかり更新が滞ってしまったので、書き落としていることをいくつかメモしておきたいと思う。

7月10日(木) ルツェルン交響楽団演奏会を聴く。東京エレクトロンホール宮城。東京エレクトロンホール宮城とは、どこにあるのかわかりにくいが、宮城県民会館のこと。ネーミングライツで、最近はこの名称になっている。

プログラムは、ウェーバー「魔弾の射手」序曲、グリークのピアノ協奏曲、ブラームスの交響曲第1番。指揮=オラリー・エルツ、ピアノ=ニコライ・トカレフ。

ウェーバーを聴きながら、すでに嫌な予感がしたのだが、この指揮者の表情過多ぶりには、最後までついていけなかった。小枝ばかりを見せることに腐心していて、森が見えない。トカレフが、音色のすばらしい変化と音の切れで表現しようとしているのに、見当違いにロマンチックなニュアンスばかり付けてダラダラする。そんなわけだから、グリークの謎は未だに解けない。トカレフのソロだから、今回は解けるかと期待していたのだけれどな。

ブラームスに至っては、落ち着かないことこの上なし。重厚で「ドイツ的」な演奏ばかりが良いとは思わないけれど、これはあんまりではないか。どっしりと構築された音楽に向き合った充実感も高揚感もなく、ただただ慌しいだけで終わってしまった。アンコール、シベリウス「悲しきワルツ」とブラームス「ハンガリー舞曲第6番」の、意味のない小賢しいニュアンス付けには、腹が立った。オケは、良くも悪くもヨーロッパの地方都市の音がする。日本のオケの音との違いは面白いが、もっと違う指揮者で聴いてみたい。

2008年7月13日 (日)

本間先生の告別式

6月21日に亡くなられた作曲家・本間雅夫先生の告別式が、仙台斎苑別館で行なわれた。音楽家仲間が実行委員会を組んでの音楽葬である。作曲家であり僧侶である片岡良和先生による伽陀、表白文から始まり、作品の演奏や弔辞が続く。

本間作品は、無調を基本とした厳しい書法によるものが多いけれど、比較的近作であるフルートとピアノによる「かなたへ」は、とても抒情的に聴こえたのが少し意外だった。作曲のお弟子さんに対して、「雰囲気で書いてはいけない。仕掛けで書きなさい。」と、常々言っておられたからだ。

また、故郷に贈った「深浦讃歌」は、調性を持った優しく穏やかな歌。このような書法では、滲み出る人柄は隠せない。

眉をひそめ、苦虫を噛み潰したような表情で小言をおっしゃり、そんな表情のまま、こちらが崩れ落ちそうになるような駄洒落を言われた。そして、仙台圏を中心とする東北の作曲家の束ね役となって、創作活動を刺激し続けた。自ら推進役となった多くの創造と啓蒙の運動のほとんどは手弁当だっただろう。そして、若い人たちを世に送ることにも熱心だった。

指導は厳しかったが学生たちは慕っていた。先生が、仙台でいかに大きな存在だったか、会葬者が500名近かったことにも現われている。

私は、今勤めている大学で、本間先生の直接の後任者ではないが、先生が受け持っておられた授業の大半を引き継いでいる。大学の「同僚」としてご一緒したのは1年半だけだったが、その後も作曲家仲間としてお付き合いさせていただいた。

当時、先生が作られた音楽理論についてのカリキュラムは、完璧なものだった。私は、それをそのまま踏襲しようとしたけれど、何度かの大学改革によって、このカリキュラムを維持するのが困難になり、崩さざるを得なくなった。それは、今でも私にとっては痛恨事だ。

弔辞も演奏も、そして弟さんが語る先生の青年時代の話も、胸にしみるものだった。義弟であるジャズ・ピアニスト、ケイ赤城さんのために書かれた曲も、アメリカから一時帰国したケイさん自身によって演奏された。ケイさんは、日本人で唯一マイルス・ディヴィスと共演したミュージシャンである。

最後に、モーツァルト「レクイエム」の「ラクリモーザ」、「アヴェ・ヴェルム・コルプス」が献奏された。遺影の中の先生は、モーツァルトの美しい音楽を聴きながら微笑んでおられるように思えた。

Photo 写真は、準備中の式場。この式で、私は司会を任ぜられた。大役だったが、本間先生へほんの僅かだけれどご恩返しができたかなと思う。

先生のホームページ→ http://www.masao-homma.com/ ご逝去の告知と石川浩さんによる追悼文が載っているが、作品データベースなどは、現在もそのまま。

2008年7月 5日 (土)

「上り坂コンサート」

14歳は「少年」だろうか。「少年」と「子ども」とは同義語だろうか。

もちろん、世間一般的にはそうに違いない。しかし、「少年」という言い方と「子ども」という言い方の間には、大きな距離が生じる場合もある。

郷古廉(ごうこすなお)くんのことは、ここにも一度書いたことがある(2006年4月7日)。ユーディ・メニューイン青少年国際ヴァイオリンコンクール・ジュニア部門第1位を受賞した直後のことだ。あれから2年、今日は、神奈川フィルとの共演の舞台に登場した。

「上り坂コンサート」を聴きに行く。今まさに「上り坂」にある若々しい演奏者を紹介するシリーズで、これが第8回目。紅葉坂を登りきったところにある神奈川県立音楽堂が会場ですよという意味も掛けているようだ。指揮は井上道義氏。

プレトークでは井上氏が軽妙に、というよりは軽薄すれすれに、もちろんそれは井上流のサービス精神であるわけだが、今日のソリスト郷古くんに切り込む。郷古くんは、それに対して実に率直に誠実に答えている。1682年製のストラディヴァリウスは、「いい音を出したがっているように感じます。」とは、何て堂々とした答えだろう。サッカーに「心奪われた時期もありました。」という話などは、普通の男の子らしくて、かえってホッとする。

はじめの曲、ビゼー「子どもの遊び」でも、演奏はプレトークの軽妙な雰囲気を引き継いだが、郷古くんがラロ「スペイン交響曲」のソロを弾き始めた数小節で、その場の雰囲気は一変した。14歳の「少年」が、ステージを「真剣勝負」の場に変えてしまったのだ。

こんな演奏を聴いたことがない。何度も鳥肌が立った。目頭が熱くなりそうな瞬間さえもあった。今までに数知れず聴いてきた「スペイン交響曲」でこんなことが起きるなんて・・・。演奏の集中は一瞬たりとも途切れなかった。そして、大きく沸き起こった拍手は、簡単には鳴り止まなかった。

郷古くんは、友人であるヴァイオリニスト・勅使河原真実さんのお弟子さんだ。頭角を現してからは、辰巳明子、ジャン・ジャック・カントロフ、ゲルハルト・ボッセ、パヴェル・ヴェルニコフといった先生たちの指導を受けてきた。テクニックということだけでいえば、もしかしたら世界には、同じように優れた少年・少女ヴァイオリニストがいるかも知れない。しかし、音楽のふくよかさというか、取って付けたのではない表情の自然さ、的確さは、他の追随を許さないのではないか。さらに特筆すべきは、その音の美しさ、上品さだ。「スペイン交響曲」という曲は、表情の「揺れ動き」が自然で的確でなければ、そして品格を高く持たなければ、わざとらしい、鼻持ちならないものになってしまう。

どうしてこんなに「味のある」演奏をできるのだろう・・・と思いながら、しかし、特に緩徐楽章などでは師の歌い方が反映されているのを見つけて嬉しくなった。先生の才能を、大きな才能ある人が受け取るとこうなるのだ。この選曲は彼自身によるものだそうだけれど、今一番自分に合っている作品を判断できるのも、優れた能力のひとつだろう。

郷古くんの音楽は、「年齢のわりに大人びている」とかいうものではない。彼が今までにしっかりと身につけてきた等身大のものだ。彼はまだ「少年」かも知れないが、「子ども」ではない。身につけたものを表現できる「少年」とは、何と恐ろしく美しい可能性を持った存在だろう。

2008年6月20日 (金)

チェコを描く4つの音楽

仙台フィルハーモニー管弦楽団第229回定期演奏会を聴く。仙台市青年文化センター・コンサートホール。

下野竜也氏の指揮で、プログラム立てのコンセプトがとても明確なコンサート。

前半は、ドヴォルジャークの序曲「フス教徒」と、同じくドヴォルジャークの「チェコ組曲」。

この2曲も頻繁にプログラムに上ってくるものではないと思うが、後半は雰囲気が一変して、さらに珍しい2曲。

まずマルティヌーの交響詩「リディツェへの追悼」。リディツェは、ナチスによって壊滅させられたプラハ近郊の村の名前。不条理な殺戮への怒りは極力押し殺した、ひたすらに哀切で美しい音楽。

4曲目は、1921年生まれの作曲家カレル・フサの「プラハ1968のための音楽」。「プラハ1968」は、無論、「プラハの春」を受けてのワルシャワ機構軍によるチェコ制圧、いわゆる「チェコ事件」を意味する。オリジナルは吹奏楽のために書かれたが、ジョージ・セルの勧めによって管弦楽版が作られたとのこと。スコアを見ていないのだが、聴く限り、二つの版の差異はオーケストレーションだけのように思える。集中度の高い、緊迫した音楽。

どの曲も(特に「スフ教徒」と後半の2曲)、音楽の輪郭がはっきりしていて、良い演奏だった。実は、今月からしばらくの間、仙台フィルハーモニー管弦楽団の定期演奏会を、某紙のために「仕事で聴く」ことになったので、ここでは簡単な報告だけに留めておこう。

2008年6月12日 (木)

音の旅 第5回

小山実稚恵さんのピアノリサイタルシリーズ、第5回を仙台で聴く。仙台市青年文化センターコンサートホール。

今回のサブ・タイトルは「プログラムの醍醐味・めぐる音<玉虫色・もつれあう鈍い光>」。

1曲目、ベルクのソナタop.1 の冒頭、4度堆積主題が描かれた瞬間から、妖しい雰囲気が漂う。22~23歳のベルクが、いささか神経質に試した複雑な対位法は、高揚と沈静を繰り返す大きな波にのみ込まれ、スクリャービンの知られざるファンタジーと聴き違えるよう。こんな聴こえ方をした演奏に接したのは初めてだった。このソナタが書かれた頃、スクリャービンは第5ソナタを作曲している。時代の気分として、神秘主義的な芸術感が二つのソナタを通底していると妄想したとしても、あながち荒唐無稽とばかり言えないのではないか。

その余韻の消えぬうちに、シューマンの第1ソナタが弾き始められる。ソナタop.1 を書いたベルクとほぼ同じ年齢で作曲された作品。音を凝縮したベルクと対照的に、言いたいことはちょっとのことでは言い尽くせないとばかりに、長大で込み入った構造を持ち、細部に拘ると何が何だかわからなくなってしまう饒舌で異形のソナタを、小山さんは、細部に関わりすぎることなく大きなうねりの中で捉え、描ききった。長くてよくわからない曲という先入観は粉砕された。

休憩後はフランク「前奏曲、コラール、フーガ」。この日演奏されたどの曲もそうだが、この曲も小山さんによって劇的な物語のように組み立てられる。実に気高く美しい音楽であることを、あらためて認識し直す。コラールからフーガへ移りゆく場面や、二重フーガが鳴り響く場面など、今回の演奏会すべての中でも圧巻だった。

最後は、プロコフィエフの第7ソナタ、いわゆる「戦争ソナタ」。虚構の中の「現実」と「夢想」の狭間に引き裂かれていくさまを見るよう。引き裂かれていくおのれを凝視する、もうひとつの視線があれば、さらに立体的になるのではなかろうか。

アンコールは、プロコフィエフ「前奏曲 op.12-7」、ラフマニノフ「前奏曲ト短調 op.23-5」、グラナドス「スペイン舞曲集~第2番<オリエンタル>」。

会場にいた学生くんや卒業生さんたちとともに、サインをねだる。サインをもらって、みんなとても喜んでいた。次回(10月)も楽しみ。

2008年5月31日 (土)

藤原真理 チェロ名曲コンサート

神奈川の家の近くで、藤原真理さんのコンサートがあったので聴きに行く。麻生文化センター。ピアノは、誘ってくれた倉戸テルさん。

藤原さんのコンサートは、2006年の5月に盛岡で聴いて以来である。その時の印象を、藤原さんのチェロは、「音の生まれるところから『まっすぐに』伸びてきて、私たちの耳に心に届く」と、このブログに書いた。2年後の今回も、その印象はまったく変わらない。というより、より率直に、より「まっすぐに」語りかけられているように感じる。藤原さんの境地がまたひとつステージアップしたのかも知れないし、藤原=倉戸コンビの成熟かも知れない。テルさんのピアノは、出すぎず引っ込みすぎずの名サポートだ。私は、昨年、チェロのための作品を書き損なったのだが、藤原さんの音を聴いていると、そのことがとても悔やまれた。

プログラムは、バッハ「アリオーソ」(BWV156より)、マルチェロ「アダージョ」、バッハ「無伴奏組曲第3番」から、サンサーンス「白鳥」、フォーレ「シチリアーノ」「夢のあとに」、ラフマニノフ「ヴォカリーズ」と、前半には(無伴奏組曲を除けば)いわゆる名曲の小品が並ぶ。後半は、シューベルト「アルペジオーネ・ソナタ」があって、ウェーベルン「3つの小品」op.11、最後がカタロニア民謡「鳥の歌」。

このような構成のコンサートを、藤原さんは、年間どのくらいなのだろう、かなりたくさんの回数を全国各地で開いておられる。名曲の小品をきちんと聴かせるというのは、本当はとても難しいことだし、その中に「アルペジオーネ・ソナタ」のような難曲、規模の大きな名曲を組み入れるのは、見た目のライトさ以上に、演奏家にとっては真価が問われる厳しいプログラム立てだ。聴衆にとっても、このようなプログラムを、素敵な演奏で聴かせてもらう満足感は深いし、啓蒙的でもある。決して力むことなく、むろん手を抜くこともなく、こういう演奏会を真摯に続けておられる藤原さんには、本当に頭が下がる。

ロビーでは、CDが飛ぶように売れていた。演奏会を聴いて、藤原さんの音にもっと触れていたいと思うのも当然だろう。

2008年5月28日 (水)

ハイドシェックを聴く

エリック・ハイドシェックのピアノ・リサイタルを聴きに行く。日本ツアーの初日、仙台・電力ホール。

ハイドシェックは、1936年生まれ。若い頃から高名だったので、その名前は半ば伝説化しているようにも思うけれど、まだ70歳そこそこということだ。

音楽も、老境という雰囲気はなく、十分に若々しい。ペダルを巧みに扱って、独特の響きを紡ぎだす。それは、あまりにもデッドなこのホールの残響対策という面があったのかも知れないが、そのことを差し引いても、独特のぺダリングがハイドシェックの演奏個性を作っていることに違いはないだろう。

プログラムはオール・ベートーヴェン。「悲愴」ソナタ、自作主題の変奏曲op.34、6つのバガテルop.126、そしてop.110のソナタ。

堅牢に組み上げられたベートーヴェンではない。両外声が浮き上がり、時として内声は朧(おぼろ)に霞みがちになる。フランスのピアニストのすべてがこうではないだろうが、耳を傾けようとしている響きの拠り所が、ドイツ系の演奏家とは明らかに異なっている。コルトーのピアノを思い出しながら聴いていたのだが、コルトーの薫陶を受けたという知って、さもありなんと思った。弾き始めたら、そのピースのキャラクターはひとつであって、決してぶれないというあたりも、コルトー譲りか。

風貌はともかく、ステージでは、およそ大ピアニスト然とした高慢な態度は微塵もなく、舞台袖になかなか引っ込まないで、客席に向かってにこやかに何度も何度も答礼する。地方の朴訥な職人という風情。ご実家がシャンパーニュのワイン醸造だったということと関係のある気質かどうかはわからないが。

私は、基本的にコルトーの演奏は大好きだし、譜面にはあるが、ふだんはあまり聴こえてこないような音が時々ぐんと浮き上がって聴こえてきたりして、面白かった。そして、op.110などとても良かったけれど、アンコールのモーツァルトのヘ長調ソナタ(第2番)第2楽章や、ブラームスのインテルメッツォ(op.118-2)は絶品だった。このような演奏家の「音楽性」の前では、少々のミスタッチなど、どれほどの瑕でもないことがよくわかる。

2008年5月 5日 (月)

銀座でピノッキオ

こんにゃく座公演のオペラ「ピノッキオ」。昨年東南アジアで公演をしてきた萩京子さんの作品で、このたび日本初演の運びとなった。その最終日を観るために、時事通信ホールのある東銀座に出かける。

Photo マチネなので、久しぶりにナイル・レストランに寄って腹ごしらえ。このインド料理店は、1949年からあるそうだ。

席に着くと「ムルギーランチ?」と訊かれるので、「うん」または「はい」と答える。それで注文終わり。定番ですからね。他のものを注文したことはないし、注文している人もほとんどいない。「ムルギーランチ?」と尋ねられたときに、「いや、そうじゃなくて・・・」とは、よほど構えていないと言いにくい。「えー、どうしようかな・・・」などとためらっていると、「ムルギーランチ、ウチの定番!」と追い討ちをかけられる。

ムルギーランチは、鶏のもも肉1本とマッシュポテト、黄色いライスにカレーがかかったワンプレート。鶏の骨をはずしてくれるので、全部混ぜて食べる。美味。

インド人である二代目ナイルさんがお客に、「ワカダンナ、お大事にね。」などと話しているので、常連さんのどこぞの若旦那が来ているのかなと思いながら食べていたら、近くの席の人にも、「ワカダンナ、後ろからごめんなさい。」と言って水を注いでいる。どうやら、若い人は「ワカダンナ」と呼ぶことにしているらしい。ちなみに、この二代目、河東節で歌舞伎座に出演したりすることもあるそうだ。お店のホームページに、写真が載っている。さすが東銀座!渋谷のインド料理店主は「ワカダンナ」とは言わないだろうし、河東節のお稽古もしないだろう。

Photo_2今日はお祭りで、神輿がちょうど歌舞伎座の前を練り歩いているところだった。この一角だけは混雑しているが、目の前の晴海通りは自動車が行き交っているし、沿道にたくさんの見物がいるわけでもなく、何となく寂しいような気の毒のような感じでもある。

さて、ずいぶん寄り道をしてしまったが、「ピノッキオ」のこと。

「ピノッキオ」(原作カルロ・コッローディ)は新聞連載として書かれた長い作品だそうだが、ここではたくさんの登場人物を出演者4人が演じ分ける。楽器はピアノ1台とキャストが奏する打楽器やアコーディオンなど。ピアニストは、ピアノを弾きながら片手で鍵盤ハーモニカを吹くところもあるという人員節約ぶり。

山元清多さんの台本では、「いい子にしていれば人間の子どもになれる」という結末の「教訓」が、「木の人形のままでも元気に生きていくんだ」というように変えられている。そして、波乱万丈の冒険によって鍛えられたピノッキオは、「強く逞しく、優しく」生きていくと歌う。ひとつ間違うと鼻持ちならなくなりそうなフィナーレだが、てらいもなく、堂々と、ごくあたりまえのこととして歌われ、潔い。幕切れは、すべての登場人物が人形に戻っていく気配。夢のように美しく、そこはかとなく儚さが漂い、「教訓」を昇華させる。素敵な余韻の残る幕切れだ。

萩さんの曲は、リズム・オスティナートの上に展開されるメロディーという造りのオン・パレードだが、肩の凝らない題材に自然体で向かって、躍動感溢れる作品となった。4人+ピアニストは大奮闘。伊藤多恵さんの演出も、アイデアに満ちていて楽しい。「あおくんときいろちゃん」、「ロはロボットのロ」などに次いで、この座の旅公演向きレパートリーに、またひとつ佳品が加わった。

休憩なしで1時間20分。休憩なしの公演としては、ちょうど良い長さ。

2008年5月 3日 (土)

沖縄を歌う

寺嶋陸也さんの新作合唱曲初演があったので、聴きに行く。TOKYO CANTAT 2008 という合唱フェスティバルでのコンサート。すみだトリフォニー大ホール。

「沖縄諸島 歌の島」と銘うたれたコンサートで、5人の作曲家の6作品が、コーロ・カロスを中心とする様々な合唱団によって演奏された。

いくつかの作品が共通のテーマによって括られる多くの場合に起こり得ることだが、とりわけ「沖縄」というキーワードは、作曲者の「沖縄」の捉え方、考え方、距離などの違いが如実に明らかになるように思える。音楽的には、琉球音階が醸し出す独特の雰囲気をどう処理するかという作曲書法上の問題もある。

冒頭に初演された寺嶋作品「おもろ・遊び」は、琉球の古い神歌「おもろさうし」3首を歌詩として書かれた。「おもろさうし」に記されている詩は、もともと口承伝承の歌だが、現在では節は失われているから、詩として読むほかはない。古い琉球のことばで書かれたそれは、詩というよりはほとんどおまじないの文言のように見える。

寺嶋作品でも歌詩を追うことにはほとんど意味がない。大意だけを承知して、あとはことばの音韻、音の響きの美しさを、ゆるやかに流れていく舟の上か何かにいる心地で楽しんだ。だが、それは、聴き流すことのできる通俗的気楽さとは遠く、琉球音階を避けたことで、むしろ架空の国の架空の神への宗教歌のように聴こえる。そして、その無論特定の神に対するものではない宗教的な高揚と沈静の音楽は、最後には海に流れる風のあわいに溶けるかのごとく消えていった。演奏時間20分以上を要する真摯な力作。間宮芳生「コンポジション」シリーズの後を継ぐ存在感と内容を持っている。

高橋悠治「クリマトーガニ」(1979)からも、ある種の呪術的な響きが聴こえてくるが、こちらは琉球音階を避けず抽象化したことで、南方のさまざまな異国への、より強い繋がりを示すことになった。楽曲としての構築が排されているかのように見え、聴いていると快く開放された退屈さに満たされてくるが、実は決して構築を放棄しているのではない作法は興味深い。

信長貴富「廃墟から」は、「ヒロシマ」、「ガダルカナル島」、「オキナワを踏まえたすべての戦争犠牲者への鎮魂」という3章のうちの2と3のみが演奏されたが、おそらく全章を通して聴くべき作品なのだろうと想像する。抜粋演奏では、2章と3章との書法の違いばかりが目立って、「鎮魂」に収斂されていく過程が見えにくい。

沖縄のわらべうたや民謡を素材とする瑞慶覧尚子「花ぬ風車」組曲、林光「島こども歌」、寺嶋陸也「沖縄のスケッチ」では、作曲者の素材への距離の取り方の違いが見て取れる。林作品と寺嶋作品の方向性は似ていて、元の歌に最小限のものを付け加えることによって、創作としての独自性を最大限に膨らませようとする。瑞慶覧作品では、特に「月の美しゃ」の素材に与えたテクスチュアはこよなく美しいけれども、創作として付け加えたものがやや饒舌に過ぎる箇所もあるように思えた。

演奏会全体は、加藤直さんの構成・台本。ラジオ番組仕立ての朗読(竹下景子)が曲を繋いでいく。成瀬一裕さんによる美しい照明が、それぞれの曲や場面を集中させていたが、ことばによる繋ぎが効果的に有機的であったかどうかは、よくわからない。休憩なしで2時間10分。先週軽く腰痛を再発させている身にとって、座りっぱなしはいささか辛いものがあった。途中休憩が入ったとしても、このコンセプトは集中を切らさず持続できただろう。「休憩なし」が効果的な公演があることは十分承知しているけれど、同時に、会場にはいろいろな事情を抱えた聴衆がいることも考えてほしいと思う。

2008年4月28日 (月)

マイルス本の耐えられない(?)厚さ

現代芸術論Aという授業、今年は半期をかけて「マイルス・ディヴィス」だけを聴いてもらうというプランを立てた。以前から一度やってみたかったのだ。

おぉ、何という偏った内容!大学の授業たるもの、独断偏見を排除してもっと多角的総花的になるよう内容を精査すべきである・・・な~んて言われそうだな。

バカ言うんじゃない、な~にが、ふぁかるてぃ・でぃべろなんとかだ。少なくともジャズというフィールドを見渡そうとしたら、結局マイルスにたどり着くのだし、ジャズのみならず、フュージョンやロック、レゲエやラップ、ヒップホップサウンドに至るまで、非クラシック音楽の多様な面に接近できる可能性を、マイルスは持っているのだ。もっとも、結果的にはマイルス以外のミュージシャンに焦点を当てる時間も多いと思うけれど。

そんなわけで調べてみたら、家にはマイルスのCD、レコードが50枚くらいあることがわかった。とりわけマイルス狂いというつもりもなかったのに、いつの間にかそんなことになっていたのか・・・。でも、マイルスのディスクはブート盤などを含めると300とか400とかいう数字になるそうだから、大したことはない。

そして、授業の準備には多少本を読んだりもしなければならぬ。いや、ならぬことはないが、やはり興味深いミュージシャンなのだから、読んでみたいと思う本が多いのだ。

ところが、ここに立ちふさがる問題。マイルス本は、どうしてこんなに厚いのだろう。

新書の2冊、『マイルス・ディヴィス ジャズを超えて』(中山康樹著、講談社現代新書)の228ページ、『マイルス・デイヴィス完全入門』(中山康樹著、ベスト新書)219ページや地球音楽ライブラリー『マイルス・デイヴィス』(TOKYO FM出版)221ページは、ごく手頃なページ数だ。

マイルス語録である『マイルスに訊け』(中山康樹著、イーストプレス)167ページ、『マイルスからはじめるJAZZ入門』(後藤雅洋著、彩流社)190ページ、『定本マイルス・デイヴィス』(ジャズ批評ブックス)267ページ、恐れることはない。

『マイルス・デヴィスの芸術』(平岡正明著、毎日新聞社)397ページは、できればじっくり読んでおきたいし、『マイルス』(ビル・コール著、諸岡敏行訳、晶文社)は本文197ページに逆側から開く資料109ページがついて、しかしこの2冊とも見た目にはごく普通のハードカバーの体裁。

『マイルス・デイビス自叙伝』(マイルス・デイビス、クインシー・トロープ著、中山康樹訳、宝島社文庫)は、とても面白いし真っ先に読むべき本だが、Ⅰ、Ⅱの2冊に分かれていて、それぞれが350ページ以上ある。

ちょっとびっくりするのは、最近出た『M/D マイルス・デューイ・デイヴィスⅢ世研究』(菊地成孔、大谷能生著、エスクァイア・マガジン・ジャパン)770ページ。小ぶりの版なので、本屋に並んでいると厚みが際立つ。厚いわりにはそれほど重くない(内容がではなく、目方が)のがせめてもの救い。

そして、極め付きは『マイルスを聴け』(中山康樹著)である。1992年に径書房から出た『マイルスを聴け!!』は340ページのハードカバーで瀟洒な装丁。初版を手に入れてからずっと愛読・・・というか参考にさせてもらっていた。

その後ヴァージョンアップを重ね、現行版は『マイルスを聴け!version7 』。なぜか「!」がひとつになり、双葉社文庫で975ページ!文庫で1,000ページに迫ろうかという厚さは京極夏彦と双璧。天晴れというかなんというか。

ここに挙げた以外にも、マイルス本はたくさん出版されている。その内容は入門書から伝記、研究書まで様々だ。ともすると、マイルス本が肥大する傾向があるのは、やはりマイルスの音楽にそれだけ論じるべき内容が多いということだろう。それは理解できる。しかし、新幹線移動の多い私などにとって、厚い本を何冊も持ち歩くのは、なかなか辛いものがあるのである。

2008年4月12日 (土)

東儀兼彦氏を悼む

篳篥の東儀兼彦さんが3月25日に亡くなられて、4月2日、告別式に参列した。築地本願寺。

1977年、まだ学生だった私たちは、国立劇場の雅楽公演「LICHT-HIKARI」初演に、裏方として参加することになった。作曲者シュトックハウゼンは、ドイツの前衛作曲家として日本でも大変よく知られていたから、この公演は日本の音楽界にとって大きな「事件」だった。

「LICHT-HIKARI」初演をめぐる毀誉褒貶について書くのは、機会を改めよう。私にとって、そしてその後しばらくの間私と同じように雅楽への接近が続くことになる友人の作曲家・菅野由弘にとっても、シュトックハウゼン以上に、この時の雅楽楽師の方々との出会いは、重要なできごとだったと思う。

伝統を受け継ぐリーダーとしての矜持のためか、いささか気難しくも見え、しかし時として親分肌で人なつっこい笑顔を見せてくださった笙の多忠麿先生、飄々として謙虚でいながら、ひとたび龍笛に息を吹き込むと、恐ろしいほどの存在感ある音色を立ち上がらせる芝祐靖先生、そして兼彦先生が、当時の宮内庁楽部のホープだった。

兼彦先生の篳篥は、揺るぎなく堂々としていて、その安定感にはいつも圧倒された。だがある時、「縒合という曲はね、静かに吹くの。こんなふう。」とおっしゃって一節聴かせてくださったそのピアニッシモの音色の、何と繊細で美しかったことか!

兼彦先生は、とても気さくなお人柄で、冗談交じりでお話していると、秦河勝を始祖とする楽家の52代目で、こんなことでもなければ決してお知り合いになれたりしない方であることなど忘れてしまいそうだった。正確なお年は知らなかったが、当時の私の年齢から考えると、40歳前後でいらっしゃっただろうと思われる。

今40歳という年齢を考えると、当時の先生方はとても落ち着いておられ、大人の風格をお持ちだった。そして、雅楽といえば越天楽くらいしか知らない若造の作曲学生のくせに、最高の雅楽演奏家の方々のそばで、練習や演奏を聴かせていただいたり、時には作曲したものを演奏していただけたりしたのは、何て幸せなことだっただろう。兼彦先生には、雅楽の唱歌を教えていただいたこともあった。

そして、本当に一流の人たちは、決して偉ぶったり威張ったりしないのだということを、兼彦先生をはじめとする当時の本当の大人の方々から学んだ。

忠麿先生は思いがけなく早世され、芝先生は楽部を辞して伶楽舎を率いての活動が中心となる。私たちも国立劇場の仕事から遠のいた。兼彦先生は、2000年から3年間、宮内庁楽部の主席楽長も勤められたということだが、残念ながら、近年はお目にかかれる機会がなく、年賀状をやりとりするだけだった。ご病気になられたが克服されたとも聞いていただけに、本当に残念なことである。享年70歳は早すぎる。

告別式で献奏をされた宮内庁楽師は、すっかり世代交代して、若い方々ばかりになっていた。光陰矢のごとし。

謹んでご冥福をお祈りいたします。

2008年3月20日 (木)

ルノワール+ルノワール

渋谷のBunkamuraザ・ミュージアムで、ルノワール+ルノワール展を観る。

画家ピエール=オーギュスト・ルノワールと映画監督である息子ジャン・ルノワールの両方を紹介する父子展という珍しい趣向。他の画家では実現不可能な企画だ。

父子展といっても、展覧会場で催される限り、画家である父に重点が置かれる。絵画と映画、どちらも光を扱う芸術だとはいえ、空間の構築である絵画と、時間芸術である映画とを対等に置くことは困難だからだ。映画は、スチール写真で紹介されるほか、あちらこちらに置かれた小さめのスクリーンに、作品の抜粋が映されている。

映画監督ジャンが、いかに父の影響を受けているか、絵画と映画を並置してあるのが面白い。父が描いた<ラ・グルヌイエール>の水辺の風景や<ぶらんこ>遊びと息子の映画『ピクニック』でのボートのシーンやぶらんこのシーン、<田舎のダンス>の振り向く女と『恋多き女』のダンスシーンなど。父の作品を絵コンテにするのようにして、動く絵画としての映画を、息子は作る。

それにしても、どんな絵画でもそうだが、とりわけルノワールの絵画の凄さは実物の前に立たないとわからない。描きこまれた光によって浮き立つ人物や風景の質感は、鬼気迫るほどにリアルだ。写真で観るルノワールも「きれい」だけれど、そこに見えるのは、実物の前で見えるものの半分にも満たないと思う。

展覧会の常であるしーんとした会場ではなく、あちらこちらで映されている映画から、台詞や音楽が、音量は抑えられているとはいえ、聞こえてくる。純粋に絵画鑑賞をするのには邪魔になりそうなざわめきだが、それがかえって、ルノワール絵画から漂ってくる幸福感を強調しているように思える。そう、この父子の作品には、どこか何ともいえない幸福感が感じられるのだ。

Bunkamuraザ・ミュージアムでは5月6日まで。その後は京都国立近代美術館に巡回する。

http://www.ntv.co.jp/renoir/

2008年3月19日 (水)

春の雨の夜、横浜の洋館で。

横浜のみなとみらい線、馬車道駅のすぐそばに、大きな洋館がある。元は銀行だったもので、現在は東京芸大大学院映像研究科となっている。

実に立派で美しい建物だが、ここで「野田暉行退任記念・作品コンサート パートⅡ」があった。過日、新奏楽堂で行なわれたパートⅠは行けなかったので、今回は出かけていく。

なぜ映像研究科で退任コンサートかというと、野田先生が副学長として、映像研究科の設置に尽力されたことから、映像研究科スタッフよりの御礼の意味が込められているのである。

そして、映像研究科を束ねる科長の藤幡正樹さんは、私とは大学の同級生。すっかり偉くなっておられるわけだが、お互い、美校、音校の数少ない友人のひとりだっただけに、昔一緒に遊んだ記憶は鮮明だ。「あれぇ!?こんなところで会えるとは~!」と、私を見つけて声をかけてくれたフジハタくんの、何ともいい感じの自然体は、学生の頃と全然変わっていない。

コンサートは、芸大の学生さん、大学院生さん中心の演奏。作曲者の指揮で女声合唱曲「湘南讃歌」が歌われたあと、ピアノ曲「オード・カプリシャス」、編曲集「日本のメロディ」より。冒頭には、野田先生と藤幡さんのプレトークがあり、休憩時間には野田先生の音楽によるアニメーション「まつりご」が上映された。密度の高い、そして演奏難度も高い作品ばかりだが、いずれも、大変に好演。決して広くはないけれど、天井が高く残響が多い、素敵な雰囲気の会場。充実した、とてもいいコンサートだった。

2008年3月16日 (日)

旧師を囲む

受験から大学を通してお世話になった作曲家の野田暉行先生が、この3月で芸大を定年退任されるとのことで、門下生中心のお祝いの会があった。フォーシーズンズホテル椿山荘。

野田先生は、特にエクリチュールの師匠としては完璧な方で、でもこちらの能力の無さから、いくばくかのものすら受け継がせていただくことができていないなぁと思う。ただ、私が大学教師稼業で、曲がりなりにも和声学なぞを偉そうに長年にわたって担当していられるのは、まぎれもなく先生のおかげなのである。

大学院を修了されてすぐ、1967年に助手として芸大にお勤めになられてから実に40年、芸大一筋。私が、先生のレッスンに通うことを許されたのが1971年ごろのはずだから、もう35年以上も前だ。100名近い関係者がお祝いに駆けつけた会場は、意外にも若い人が多いなぁと思ったのだけれど、計算してみれば、私たちの世代は比較的初期の弟子ということになるのだから当然かも知れない。

Photo 乾杯の音頭を取られた松尾楽器の松尾治樹社長は、最初期のお弟子さんとのことだが、一番最初のお弟子さんは加古隆氏なのだそうだ。門下生の系列、私などは末席もいいところだが、私の上には、新実徳英さん、野平一郎さん、糀場富美子さん、西村朗さんらがおられ、少し下には南聡さん、安良岡章夫さん、国枝春恵さん、徳山美奈子さん、だいぶ若いところでは夏田昌和さんらが活躍している。とりわけ異色なのはウィーンでコレペティトゥアの仕事を続けている三ツ石潤司さんが一時帰国中で、ユニークなスピーチに大笑いした。

お弟子さんではないが、関わりの深いピアニスト渡邉康雄さん、規久雄さんご兄弟や、作曲の西岡龍彦さん、小鍛冶邦隆さん、佐怒賀悦子さん、山本純ノ介さん、山内雅弘さんといった方々とも、久しぶりにお会いできて楽しかった。同級だった山本泰久さんなどとは大学卒業以来ではないだろうか。

私自身は、べつに反逆したつもりもなかったが、ふと気がついたら、ありゃ「芸大アカデミズム」とはかなり離れたところに立っているぞという具合で、いささか敷居が高いのだけれど、集まってみれば単なる同窓会。先生の風貌も以前と少しもお変わりないから、和声課題で連続5度を直されたり、落とした臨時記号を大きく書かれたりしていたころから30数年経ったと言われても、何だか変な感じがするばかりなのだ。

2008年3月15日 (土)

「ボルヘスの時間」

現音の音楽展、作曲の若い友人門脇治さんの新作モノオペラの上演に出かける。東京文化会館小ホール。

登場人物は一人、「ピエロ・リュネール」と同じ楽器編成のアンサンブル、それに、あらかじめ録音された音などがかぶる。

台本は、アルゼンチンの作家ボルヘスの、だが特定の作品を題材にしたものではなく、数作品が混合されて作られたとのこと。出演:松平敬、台本:村上茂伯、演出:飯塚励生、指揮:松尾祐孝の諸氏。上演時間は30分ほど。

精緻で、高いテンションが維持されて作曲されたと思える作品。テクスチュアもよく工夫されている。もう少しメリハリがあっていいだろうけれども。そのあたり、やはりかなり真面目な作品という感じがある。

残念なのは声と楽器のバランスが最悪で、しばしば声が楽器にかき消されることだ。そのため、すべての言葉が聴き取れたとしても(おそらく)全部はわからないであろう抽象的な内容が、ますます断片的にしか伝わって来なくて、もどかしい。せめて、どのくらいわからない内容なのかくらいは、わかりたかった。

原因は、書法や唱法にもあろうが、会場と、アンサンブルのコントロールの問題が大きいように思われる。東京文化会館小ホールは、この作品の上演にふさわしい雰囲気を持っているけれども、もう少し工夫をしないと厳しいものがある。増幅された音響を伴なったりもする部分もあるので、なおさらだ。

素材はいかにも門脇さんらしいものだし、しっかりした作品を書いたなと思う。環境を変えての再演の機会が待たれる。

たまたま隣の席に座ったAOIの大坂さんはどうだったかわからないが、このあと上演された別の作曲家の約1時間かかる作品に、私はどうしても馴染むことができなかった。ただ、終演後の帰り道で、作曲家の北爪やよひさんや高嶋みどりさんにお会いできたので良しとしよう。高嶋姐さんは大学の同級生だが、実に数年(数十年?)振りの再会だった。

2008年3月 4日 (火)

写真新世紀 仙台展2008

せんだいメディアテークで。この日が最終日。

午前中近くで用事があったので、ほんのわずかの時間を盗んで、メディアテークに飛び込んで観る。

キャノンが、新人写真家発掘・育成・支援を目的に行なっている文化支援プロジェクト。1991年から続いているとのこと。

選者が荒木経惟、森山大道、飯沢耕太郎といった人たちで、この人たちの仕事を多少なりとも知っていると、それぞれ、いかにもだなぁと思える作品を推しているのが興味深い。個人的には、青山裕企という人のフェティッシュっぽい雰囲気の作品が面白かった。

だが、ゆっくり楽しむ時間がなかったのが残念。そんなふうに、こっそりとしか息抜きの時間が確保できないのだ。結局この日は、この後、午後から教授会と公聴会が夕方まで、食事をする間もなく同僚の先生たちとの勉強会、その後参加者は飲み会に行ったけれど、残念だが私は辞退して、そのまま翌日の会議のための書類作り。結局学校を出たのは23時近かった。それでも仕事は片づかなくて、成績提出やらシラバス入力やらの締め切りが迫っていたりする。ここのところ、ずっと仙台に居続けているのに、遊ばず休まず仕事しているつもりなのに、ちっともはかどらない。

せめて、こうしてわずかの時間に反逆して展覧会に飛び込んだりして、そのことを記録しておかないと、雑用の忙しさのために感性が粉砕されてしまいそうなのである。

2008年3月 3日 (月)

「春の庭に小鳥がうたう」

仙台に拠点を置いて活躍しているマリンバ奏者星律子さんのコンサート。仙台市戦災復興記念会館。

いろいろな場面での出演は多いけれど、個人リサイタルは久々なのかな?これを機会に、またもうひとつステップアップするようにがんばろう・・・といった意気込みに溢れたコンサート。

曲の間に星さん自身がお喋りをはさんでいく。照明を駆使し、PAも入っていて、ちょっとディナーショーのよう。

以前に神谷百子さんのために編曲した武満さんの「小さな空」。星さんもとても大切に弾いてくださっていて、今夕も素晴らしい演奏で聴かせてくださった。

それから、「庭の千草」をマリンバ3台のために新しく編曲したものが初演された。曲も編成も、星さんからのご要望。菊地みずえさんと渡辺峰子さんが共演。

トレモロみまれでボワボワした音にしたくなかったので、トレモロは極力抑え、コロコロした音で、この懐かしい旋律を飾れないかなと思って編曲した。編曲に関しては、少し改訂する余地があるかも知れないが、まぁまずまずの出来かな。演奏はとても良かった。

満席の会場は、このホールで行なわれるコンサートの多くとは、ずいぶん違う雰囲気だった。

ちなみに、「春の庭に小鳥がうたう」というのは、このコンサートのサブタイトル。

2008年3月 2日 (日)

卒業演奏会無事終了

ひとつ前の記事の続きです。

卒業発表をした人たちが、学内の試験の時と比べて、みんな大きく「化け」ることに驚かされます。

試験が行なわれるのは、だだっ広い講堂。散らばっているのは難しそうな顔をした先生たち。寒いし、公開だけど拍手はないし。そんな雰囲気とは全然違う。街のきれいなホール、ステージ衣装も着る。そして何よりも、後輩たちと一般のお客さまの応援がある。でも、「化け」られるわけは、それだけではないでしょう。

Photo_2 すべての演奏が終わったところで、全員が舞台に上がり、今年度で「卒業」される先生に歌をプレゼントするというサプライズ企画。学生くんたちが選んだ歌は「森は生きている」でした。

以下に、前の記事同様、某掲示板に書いた私の「日記」と、それに対するコメントを載せさせてもらいます。

[きっきぃ 2008年03月02日23:24]

立ち去り難く、けれども、方向の近い人たちと一緒にタクシーで帰ってきました。

音楽大学だったらオーディションとかがあったりして、卒業演奏会に出られるのはごく限られた人だけだよね。でも、ウチの学校は希望すれば全員出られる。 そして、その運営、裏方も表方も、すべてを後輩たち全員で支えている。もちろん、教員も全員でバックアップする。こんなすごいことをやっている。しかも、それが30年以上続いているんだから、本当にすごい。

そして終わった後は、ご予約のお客さま八十数名様という、年一度の大レセプション。音楽科の学生と先生方が勢ぞろいする。さすがに壮観だ。こんなにたくさんの人がいたら、半分くらいは知らない人だろうなんて思うのだけれど、よく見ると全員知ってるんだよねぇ。実はこんなにたくさんの学生くんたちと付き合っていたのかと思うと、不思議な感じだな。ぼくの授業の教室の中には20人ずつくらいしかいないからね。

Photo

レセプションの時間は全然足りなくて、誰しも立ち去り難く、解散の声がかかってもなかなかバラケなかった。気持ちはみんな同じだったんだろうな。けれど、そのまま溜まっているのも通行の迷惑だから、帰ってきました。 毎年思うけど、この演奏会の日は、学校での一番楽しい二日間だ。

お疲れさま!みんな、ありがとう。

****************************

(以下、コメント)

[ふう 2008年03月02日 23:31]

お疲れさまです。そしてありがとうございました。 立ち去り難かったけど、終電の時間でお先に失礼しました(泣) まさかレセプで自分が前に立つ日が来るとは…。一年たつのは早いですね。

[みぃ 2008年03月03日 00:07]

帰りたくなくてけど帰りたくてけど全然帰りたくないDUCCA前でした。みなさん思ってることは同じだったのですね(*´∀`) 本当お疲れ様でした!

心の底から楽しかったです。感慨深すぎてジーンでした(>_<。) もぅ来年なんだ…先輩がいなくなるなんて信じることが出来ません(ノд`。) 来年とゆーか今年、よろしくお願いいたします(*´∀`)ノ

こらこらっヤダとかいわないでください(・∀・)笑

[サトミ 2008年03月03日 11:20]

お疲れ様でした!!宮教の音楽科でよかったと思える日でした。

[ぁぃ 2008年03月03日 11:33]

先生4年間ありがとうございました!! そして、あと2年間よろしくお願いします(笑) 萩音ってほんとにすごいですよね。 どこか一つが欠けたら機能しなくなりますもんね。

[チェリー 2008年03月03日 19:46]

お疲れさまでした☆ニャー!!

宮教での1年目を、ホントーに楽しく過ごせたなぁと実感できた日でした。 希望すれば全員出られる→昨日のスピーチの時も思ったんですけど、逆に出たくない人は出なくてもいいんですか…? いや、わたしは出ますよ!!!笑

[帽子狂 2008年03月03日 22:03]

あ、私って後輩たちや先生がた、聴きにきてくださったお客さんに こんなにあったかく支えられてるんだなーーって すごく実感した演奏会でした。 これって4年生になって初めて実感できるんだろうな…。 すごいすごい貴重な経験でした。 そんな貴重な経験がもう1回できるのを嬉しく思ってます。 来年は今年支えてくれた後輩や、ステージにたつ先輩がたを 感謝を込めてサポートしつつ、 2年後の自分を見越して、精一杯努力していこうと決意しました。

卒業演奏会第一日目

Img_0106_3 3月1日、2日は卒業演奏会でした。

私たちの大学の卒業演奏会は、仙台市内のホールで行なわれ、卒業・修了予定の人は全員出ることができます。演奏会と書いておきますが、演奏ばかりでなく、論文発表やパフォーマンス発表もあります。

この発表会のユニークなところは、運営、受付、プログラム製作、録音、写真、アナウンスに至るまで、後輩たち全員が分担してお世話をするところでしょう。私たち教員も、みんなでバックアップします。そしてこの催しは、もう32年間も続いているのです。

1日目が終わった夜、某会員制掲示板に「日記」を書いたら、あっという間にたくさんのコメントが書き込まれました。そのひとつひとつがとても素敵で、このまま流れてしまうのは忍びないので、頂いたコメントも含めて以下に掲載させてもらおうと思います。

[きっきぃ 2008年03月02日00:40]

はい、そこのあなた!

あなたが、明日弾くことになっている人だったら、こんなもの読んでないで早く寝なさい。

あなたが、今日弾いた人だったら、まぁちょっとくらい夜更かししてもよし。あ、もう疲れて寝てるか。お疲れさま。みんな立派だった。

あなたが、今日働いた人だったら、お疲れさま。あなたの働きがたくさんだったか少しだったか関係なく、あなたの働きなしにはこの演奏会は成り立たなかった。いずれ自分たちが主役になる番が回ってくる。明日もよろしくお願いします。

あなたが、今日聴きに来てくれた人や卒業生の人だったら、応援ありがとう。かわいい後輩たちが、あの時のあなたのように、力を尽くして巣立ちます。これからもどうぞよろしく。

あなたが、私たちの学校関係者でなかったら、なんのことやらわからない話でごめんなさい。二日間にわたって行なわれる卒業演奏会の第一日目が無事終わったのでした。学生くんたちの頑張りに敬意を寄せながら、演奏会を楽しむ二日間です。

***********************************

(以下コメント)

[帽子狂 2008年03月02日 00:50]

まだ起きてる今日弾いた人です(笑)

花束の整理が今やっと終わりました… もう終わったんだと思うと寂しいですね(T_T) 新たな出発に向けてまた前進していこうと思います(^-^) ご指導ありがとうございました!そしてまたよろしくお願いします。

[tomo3 2008年03月02日 00:57 ]

今から寝ようとしている昨年弾いた人です。 あれから1年、早かったなーーーーーー 明日も行きます!!(みやきょ大好き人間みたいです

明日弾く人でこのコメント見た人は楽しんで弾いてください♪ 今日弾いた人でこのコメント見た人はお疲れさまでした!!聴いてましたよ!! きっきいせんせも、1年間のご指導おつかれさまでした☆ また明日~

[ふう 2008年03月02日 01:13]

ひい、明日弾くのにまだ起きてる人です! 早く寝ます

[あの音符の人 2008年03月02日 01:15]

だいぶ眠たくなっている今日働いた人です。

なんだか・・・・・・・弾いている方々はなおさら実感していると思いますが・・・・・・・・本当にあっという間ですね。演奏というか、卒演というか、この大学生活自体というか(汗)

もう3年生。今まで3年生の先輩という方々を2回、見てきたことになりますが、いずれも素晴らしい先輩ばかりでした。まさかその学年に(当たり前ですがw)なるなんて、全然実感が沸きません。でもこの演奏を聴いてる限り、あと2年後にはこの舞台に立っているのかなぁ、とも思わざるを得ません。 あぁ、なんだかとりとめのない文になってきました;;とにかく大学の折り返しのいま、精一杯走り抜けます!!!!!!!以上、音符からでした(笑)

[あい 2008年03月02日 02:12]

帰った途端爆睡し,変な時間に目が覚めてしまった昨年弾いた人です。

かわいい後輩一人ひとりの音楽に対する熱い思いが伝わった演奏会でした。卒業し,全くといっていいほど音楽から離れてしまった一年…やっぱり音楽っていいな,と思いました。

[みぃ 2008年03月02日 08:21]

昨日は寝てしまい先程起床しました、なんとも健康的な私ですヽ(´∀`)ノ笑

卒演とても感慨深いです。 先輩の想いが伝わって来て何度も泣きそうになりました。今日は私も今までの分を出し切ることが出来るよう頑張ります!先輩サポート致します!(`∀´)グッ

[ビンボン 2008年03月02日 08:47]

イズミティが自宅なのではないか?と錯覚しているものです。

今日もそでから、あのホールがいろんな色に染まってゆくのを、心から感じ取ってまーす。

[萌 2008年03月02日 09:03]

とても素晴らしい演奏会とは、なによりです。 あの時の、6人全員笑顔で撮った写真は宝物です。終わった人も、これからの仲間を支えてあげてくださいね。 陰ながら応援しています。

[ハニー 2008年03月02日 11:56]

関係ない人ですが、きっきいせんせーがとても素敵なせんせーであることがわかる、日記でした。 本日の成功もお祈りいたします。

[トモ 2008年03月02日 19:21]

昨年歌ったチェコかぶれの人です。 演奏会を通して、なんだかいい刺激をもらいました☆ たぶん、なにか通じるものがあるんだと思います。 風邪が長引いて1ヶ月くらいちゃんと歌っていませんが、 今週から復活したいと思います!!! 音楽のない生活って無理だなぁ~と改めて思いました。 いつか、宮教卒業生演奏会みたいなのができたらいいですよね♪

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2008年2月13日 (水)

どうするの、そんなに上手になって

2月10日と11日、二日にわたって100以上の団体の歌を聴いてきた。合唱アンサンブルコンテストの審査員を務めたのである。

アンサンブルコンテストは、合唱コンクールと違って、2人以上16人までの重唱と室内合唱で5分以内という制限がある。以前、管打楽器のアンサンブルコンテストを覗いたことがあるけれど、そちらは指揮者なし、パートが重複してはいけないということになっているそうだ。だが合唱の場合は、指揮者がいることもパートの重複も妨げない。16人にもなれば立派な合唱である。

全体に、レベルの高さに驚いた。とりわけ一般の合唱団は、メンバーの入れ替わりも少ないだろうから、技術が安定している。大合唱団がいくつかに分かれてチームを作り、少人数のアンサンブルに挑戦するというのは、技術と度胸アップのために有効だろうと思う。ここで得た経験は大合唱に戻った時にも活きるだろう。

高校生のグループは、まともに青春しているから、結果発表の反応が面白い。良い成績が発表されると大きな歓声が上がり、感極まってみんなで泣き出してしまったりする。上手になって少しでも上をめざしてみんなで頑張ろう!という「目標は甲子園!」的モチベーションが高いのだろう。

思わず考え込んでしまうのが、小学校の部だった。ここには、合唱が優秀であると定評のある数校だけが、それぞれいくつかのチームに分かれて出場していた。参加した学校が少なかったのは問題だ・・・と、主催者側も思っているようだ。しかし、たくさんの学校が出場しているのならば別だが、もし一つか二つだけがあの中に紛れ込んで出場していたら、ちょっと浮いてしまったのではないか。

それほどにその数校は「上手」なのである。小学生のプロ合唱団と呼びたいほど。そして、他の学校は、到底敵わないと怖気づいて出場辞退してしまったかと邪推させるほど。

児童合唱団という団体はいくつか存在して、高い技術を磨いている。メンバーは、ある程度の期間、そこに固定して所属するのだろうから、上手になっていくのも理解できる。しかし、コンテストに出場しているのは公立小学校の普通の生徒たちなのだ。それなのに、どうしてこんなに「上手」になることができるのだろうか。

来年にはまた違ったメンバーでグループが組まれるのだろう。短い期間でここまで高い技術を身につけさせ、優秀校との評判を定着させている先生方は大したものだと思うし尊敬もする。

だが、ここが問題なのだが、その子どもたちが歌っている姿はちっとも楽しそうでなく、表情も生き生きしていないのだ。教えられたことを、寸分の隙も間違いもなく執り行うことだけに神経を尖らせているかのように見える。笑顔さえも、指示通りに作られているかのようだ。

どうするの?そんなに上手になって。

思わずそう尋ねたくなってしまう。上手になることってそんなに大切なのだろうか。子どもって、もっとやんちゃではいけないのか?

楽しくて飛び跳ねんばかりに歌っている子どもは見当たらない。練習が休みだとみんなに会えなくて淋しいといってベソをかくほど歌うのが好きで、みんなと一緒にいるのが嬉しくて仕方がないという子ども。そんな子どもたちの目の輝きに、私は感動する。その上で上手に歌えたら言うことはないだろう。

目の輝きが先か、上手に歌うことが先か。上手になりたいのは、本当に子どもたちなのだろうか。

2008年2月 8日 (金)

あちゃらかオペラ「夏の夜の夢」

こんにゃく座公演、あちゃらかオペラ「夏の夜の夢」~嗚呼!大正浪漫編~を観る。台本=山元清多、作曲=萩京子、演出=山元清多、立山ひろみ、世田谷パブリックシアター。

シェイクスピアの「夏の夜の夢」を翻案して、大正浪漫時代に置き換えた台本がまず面白くて、この芝居のためのオリジナルかとさえ思えるくらい違和感がない。「アテネ近郊の森」は「大久保公爵」の、どうやら軽井沢らしい領地の森に置き換わり、アマゾンの女王ヒポリタは「女優川上弥生」となる。公爵と弥生の婚礼の四日前から舞台は始まるというわけだ。

眠っている者の眼に惚れ薬を塗って、目覚めて最初に見た相手に惚れるという取り違いまでもかなりバカバカしく楽しいけれど、あちゃらか加減が爆裂するのは、何といっても後半、鍛冶屋や庭師、桶屋などの職人一座が繰り広げる劇中劇の場面だ。富山直人扮する大工の棟梁をはじめとして、職人6人組大奮闘。主演陣も安定している。ここは世田谷パブリックシアターではなく、小屋がけの芝居小屋かと錯覚するような臨場感が随所にあって楽しい。

萩さんの音楽は、全般的にどちらかというと淡彩色の印象。元々は名古屋での公演のためにオペレッタとして書かれたものだから、この度8人編成に管弦楽配置し直したとはいえ、その色彩感は残っていて、こんにゃく座への書き下ろし作品とは、音色的な面で一味違っている。

かなり面白かった。まだ細部のどこにも硬さなしとは言えないが、繰り返し上演されていくうちに慣れて馴染んでくることだろう。今回の5回公演だけで終わらせてしまうのはもったいない。

2008年2月 7日 (木)

三次空間からの感想文集(2)

感想文第2弾は、masaさん、かたさんのお二人から。

masaさんは、高校の音楽の先生であり、作曲の若い友人です。山形の舞台も観てくださっていて、コメントでは「山形公演の時、もっとこうあってほしいと思っていたことが、仙台では予想以上に起きていた感じ」と書いてくださっています。今回、私の知る限り、仙台から山形公演に来てくださった方々は、みなさん仙台公演にも来てくださいました。ありがたいことです。

仙台公演の大成功、本当におめでとうございます!
他の何よりもこの合唱劇は天国の宮澤賢治さん本人に届いていると思います。
書き出すと長くなりそうなので我慢して3つだけ書きます。
山形では気づきませんでしたが、あれもしかして「おしどりミルクケーキ」ですか?実は密かに大好物なのです。
少年役の男の子・・・後半の「ケーンタウルスつゆーをふらせ」の出だしのソロ、何であんなにぴったりのピッチで入れるの!大感動でした。
未就学児お断りの注意書きがないのをいいことにウチの息子とそのガールフレンド(いずれも幼稚園年長6歳)を連れていきました。途中で飽きるのは目に見えていましたけれど、所々で何度かステージに引き付けられている部分があり、反応が面白かったです。それなりに疲れたらしく帰ってからは無関心を装っていましたが、お風呂につかりながら「ケーンタウルスつゆーをふらせ」と突然歌いだしてママが感動していました。
(masaさん)

「おしどりミルクケーキ」を見破るとはさすがですね(そうなのか?)。私も知らなかったのだけれど、舞台を観ながら、もしかしたらそうかな?と思っていました。だって、パキって折れるんだもの(笑)。ケンタウル祭の歌は、耳に残るようですね。それにしても、お風呂につかりながら歌いだすご子息はさすがです。(きっきぃ)

学生さんたちいっぱい来ていたんですね。それに東京からも。たぶん誘われた人以外にもチラシを見て関心を持ち足を運んだ人もいたことでしょう。山形公演の時、もっとこうあってほしいと思っていたことが、仙台では予想以上に起きていた感じがしました。
欲を言えば高校生以下の年齢層の人たちにももっと聴かせたかったです。意外と子供が少なかったような。
ところで、意外と「銀河鉄道の夜」を読んだことのない人は多いようです。私の周りの人たちもなんとなくイメージだけは知ってるんだけど・・・という人がほとんどでした。私もあの後、一つひとつの言葉をもう1回かみしめてみようと、読み直しました。
それにしても「じゃがいも」+「きっきい先生」の組み合わせほどこの作品をつくり上げるのに適した人たちはいませんでしたね!
先生の作品で宮澤賢治を扱ったものはもうかなりの数になるかと思います。結構昔から先生のプロフィールには「好きな作家:宮澤賢治」的なものがあったように思いますが、ここまで先生をひきつけたきっかけは何だったのでしょうか?
この質問は意外とみんな聞きたい思いますので、そのうち教えてください。(masaさん)

これもmasaさんのコメント。高校生以下の人たちが少ないように見えたのは、リハーサルを公開したために、子じゃがちゃんたちの学校の友だちとかがそちらに回ってくださったためということもあるのかも知れません。宮澤賢治を扱った作品は、かなりあります。そのことについてのご質問の答えは長くなりそうなので、いずれゆっくり考えて書きましょう。

今回東京からも、たくさんの方々が来てくださいましたが、音楽評論家のかたさんも、そのお一人でした。

とても素晴らしい作品であり公演だと思いました。向学心も芝居心も、もちろん音楽ごころも旺盛なひとたちが、一個の汲めども尽きぬ魅力をもったテキストを、きっきいさんの、決して押しつけがましくはないのだけれどしっかり示唆的な音楽の助けを借りつつ、じっくり読み解いてゆく場に、立ち会わさせていただけたとでもいいますか、とにかくとっても自然であり刺激的でもある不思議な時空間を体験することができました。
けっこう長かったはずなのですが、もっとやってくれというくらい、なんとも楽に時間が流れていましたね。実はあの前日のほぼ同時間帯、上野の文化会館でキーロフ歌劇場の「ホヴァンシチーナ」を観ていたのですが、そこで味わった、プロがこれみよがしに構成し演出し尽くし、どうだ参ったかとやる、力業だけれど、どうにもくたびれもする時空間の、あらゆる意味で対極の世界でありました。
きっきいさんとじゃがいものコラボの、今後のますますの稔りを僭越ながら期待いたしております。(かたさん)

当代きっての聴き手からいただいたコメント、わざわざ来てくださったこととともに嬉しかったです。本当に、どうだ参ったか的世界と私たちのやりたいと思っていることは真逆ですね。どうだ参ったかの方が有名になれるのかも知れませんが、そういう芸風ではないのだから仕方ありませんね(笑)。とても面白いコメント、ありがとうございました。

これら、masaさん、かたさんからの文章はコメントとしていただいたものですが、裏側に(?)埋もれてしまうのは惜しいまとまったご意見なので、お二人のお許しを得て、記事として書かせていただきました。

2008年2月 3日 (日)

三次空間からの感想文集(1)

合唱劇「銀河鉄道の夜」仙台公演を観に来てくださった方々が、某日記サイトに感想を書き込んでくださっていました。そこは会員制なので誰でも読めるというわけではありません。でも、せっかく書いてくださっているのだから、このブログを読んでくれているじゃがいものメンバーにも読んでもらいたいなと思い、ご本人の了解を得て、紹介させていただくことにしました。まず、ここにご紹介するのは、いずれも私の勤める大学の学生さんと卒業生さんたちです。

「今日は合唱劇「銀河鉄道の夜」を聴きに行きました。
実は・・・恥ずかしながら・・・・ 読んだことなかったのです(泣
今日演奏会に行って、ちゃんと読もうと思いました。
でも幻想的な雰囲気が曲からも、照明からも、合唱からも、演技からも 伝わってきて、とってもよかったです。 合唱ってよいなぁぁ。

子どもがいい味出してました。
最初は団員であるおとーさんおかーさんにくっついてきてたのに いつの間にか舞台に上がってたと聞きましたが、 子どもたちの存在がすごーく大きかったと思いました。

学校で会うと共に「にゃーー」とか言い合ってるきっきぃせんせが 舞台に立ってるっていうのが、こんにゃく座の時もそうでしたが不思議な感じでした。
自分の作った曲がああやってお披露目されて、たくさんの人に 聴いてもらえるって、すごい幸せなんだろうなって思いました。 こんなワタシが言うことがおこがましいんですけど(汗 」(帽子狂さん)

にゃーー。原作を読んだことがなかった、読もうとしたけど挫折したことがある…っていう人が多かったのは意外でした。描写が詳細だから、確かにスラスラ読めるという感じではありませんね。だから、合唱劇を見て、わかりやすかったと言ってくださる方も多かったです。でも、それは舞台化したときに抜け落ちた部分も多いということだから、大筋を掴んでからきちんと読んでもらえると良いと思います。(きっきぃ)

「本日は、きっきぃ先生作曲の、銀河鉄道の夜を見に行ってきました。
青文のシアターホール初めて入った。
銀河鉄道の夜はとても好きな話で、ポスター見たときから、行こう行こうと思っていたのですが、行けて本当によかったです。
子ども二人と家庭教師が出てくる辺りから、物語が加速していく気がしますね。
そして最後はやっぱり泣きそうになる。 仙台で上演があって、本当によかったです!
また本読み返そうかな。読み直したら、きっと私も旋律が浮かんでくると思いますよ
ケンタウルス祭りの歌とか。耳に残ってます。 」(ふうさん)

こちらは、前から「銀河鉄道の夜」が大好きだったというふうさんの感想。そう、遭難した子どもたちと家庭教師の登場から、物語が変わりますね。そのあとかささぎや蠍の火やコロラドの高原や、いろいろ出てくるのだけれども、物語が絶対的孤独に向かって走り出すきっかけにもなっているように思います。ちなみに、インディアン座という星座も実際にあるのだそうですね。(きっきぃ)

「きょうは「合唱団じゃがいも」の「銀河鉄道の夜」を見に行きました。我らがきっきぃせんせが作曲されたのです。
面白かったなー。銀河鉄道は実はちゃんと読んだ事なくて、大体こんな話だよなぐらいしか知らなかったんですけど、いやいや良かった。泣けた。
タイタニックに乗ってたらしき3人(あの小さい男の子かわいーな!家庭教師の青年は宮沢賢治その人のように見えた。帽子の具合かな。)が出てきた時点で、わたしはもう「カムパネルラー!」と叫んでいた(心の中で)。あぁもぉカムパネルラ!お前もか!
ジョバンニがカムパネルラの事が大好きすぎるとこが可愛くて可哀想ですね。カムパネルラのお父さんもいいね。
きっきぃせんせの曲も全篇通して宮沢賢治の世界観に凄く似合ってる感じで素敵でしたねー。あぁせんせの曲の感想言うのは恐れ多いや。

本当に面白かったです。子じゃがどころか孫じゃがちゃんなんですね!凄いなぁ。名優でしたね!3世代で同じ舞台に乗れるなんて素敵ですね。 そういえば、衣装もみんな普段着みたいなのに、小物やコーディネートによって「それっぽい」衣装になっていたのも印象的でした。タイタニックに乗ってたらしい3人もそれまでは合唱の一員だったのに、帽子だけでほんとに「それらしく」なってましたね~。 他の作品も見てみたいな。」(あんずさん)

「ジョバンニがカムパネルラの事が大好きすぎるとこが可愛くて可哀想」・・・あんずさんらしい感想だなぁ。確かに、ジョバンニとカムパネルラの関係って、よくわからない部分もあるのです。ジョバンニはカムパネルラが大好きなのだけれど・・・。可愛くて可哀想だから、ひとり残される結末が切ないのだろうねぇ。そう、孫じゃがちゃんの名優ぶりには、みんな舌を巻きました。だって、台詞をトチることなど決してないんだもの。(きっきぃ)

「きっきぃ先生の仙台初演を聴きに行った。 「銀河鉄道の夜」 。小学生の頃、「銀河鉄道」を初めて読んだときはよくわからなかったのだ。比喩や隠喩が全くわからなかったので。 それに気付いたのはアニメの「銀河鉄道の夜」を観たときだった。 (ますむらひろしがキャラクターデザインをしている映画。登場人物が猫。) 今日は、銀河鉄道をもう一度大事に読み返した気分になった。 と思っていたのはカムパネルラがいなくなるまでのこと。 それまでストーリーに沿って淡々と(勿論とっても綺麗だったけれど)進んでいた音楽が、劇中からカムパネルラがいなくなってから、とても感情的になったと感じた。 「聴いている側」からいつの間にか物語の中に入り込んだ瞬間だった。 最初の場面の「あまの川」と最後の「あまの川」では全然印象が違った。なんだかしばらく頭の中で音楽鳴ってた~。本当に聴きに行って良かった。 先生、素敵な時間をありがとうございました。 」(みかんさん)

感情的というか感傷的にはならないようにと思ったのだけれど、歌い手も壊れちゃうんだよね、あのあたりになると。練習でさえ涙で歌声が震えてしまうことがしばしばでした。そんなふうになるとは、実際に音にするまでは想像もしなかったのだけれど。それから、二つの「あまの川」。初めの「あまの川」は、地上の子どもたちが空の天の川を見上げながら歌っている、終わりのは、天上にいる子どもたちが地上を見下ろしながら歌っている・・・そういうイメージを持っています・・・と、メンバーには話しました。(きっきぃ)

「じゃがいも素敵でした!!!特別発声などをしてないとは思えないほどキレイな歌声ですよね何よりも皆さんが楽しそうで生き生きしてて、パワーが客席まで伝わるようでしたきっきぃ先生の曲もステキでしたしあんなに膨大な数を作曲するなんて、本当尊敬です。次は山形公演も行こうと思ってますが、ぜひぜひまた仙台公演お願いします!」(ゆっこさん)

じゃがの人たちが揃って発声練習をしているのを見たことがないのは、たまたまそういう機会がなかっただけかしら。でも、軍隊式練習みたいなことを一切しないのが、じゃがいもの良さですね。いつもわいわい言いながら始まるし、何となくずっとわいわいしてるのだけれど、それがいつの間にか楽しくまとまってパワーのある歌声になる。仙台公演、またぜひしてほしいですね。でも、次はツアーを組んで山形まで聴きに行きましょう!(きっきぃ)

「リハにそれだけの人数がくるなんてすごいですね。公演、本当に楽しかったです。じゃがいものみなさんの歌声がほんとにすごくてきれいで、ずーっと鳥肌たちっぱなしでしたよ(笑) 合唱またやりたくなりました~」(ぁぃさん)

「素敵を通り越し羨ましいを通り越し、ズルイぞ!!!と思わせられる合唱団なのでした。」(かもりーなさん)

いかがですか、こういう合唱はお初めてでしょ。からすでもかささぎでもないぁぃちゃんに鳥肌を立たせ、かもりーなさんにズルイぞ!と言わせたあなたたちは、いやぁ大したものですねぇ。(きっきぃ)

2008年1月29日 (火)

ジョバンニはもういろいろなことで胸がいっぱいで

Photo 1月27日、山形の合唱団「じゃがいも」の、初めての仙台公演は無事終わりました。

仙台公演の話が持ち上がったのは、2005年に一緒に作った合唱劇「ポラーノの広場」の頃だったでしょう。あの、ちょっとわけがわからないけど楽しい「ポラーノ」を仙台で紹介できたらいいなぁと思いました。その後、話が急展開して「銀河鉄道の夜」を・・・ということになります。

きっきぃさん、シアターホールは客席が600もあるんだよ、山形側では仙台でそれだけのお客さんを集められる自信ないよ・・・とかいう話をしていたのがウソのよう!

年が明けた頃、すでにチケットがかなり出ている、もうこれからはあんまり売っちゃだめ!・・・という、何とも普通ではあり得ない指令が伝わってきました。

でも、話を聞いていると、こちらもだんだん不安になってきます。数年前に、某演奏団体がチケットを売りすぎて、当日入場をお断りすることになったという話など聞こえてきていましたから。そんな事態は避けなければ。

内輪の方々や、ごく近くなってチケットを買いたいと言ってくださった方々には事情をお話して、当日のリハーサルを観ていただくことにしました。

そして午前11時。リハーサルに立ち会う人数とは思えない、100人近くの方々が来てくださっていました。もちろん、リハーサルといっても、完全に本番と同様にやりました。出来は、本番と比べてもまったく遜色なかったと思います。

そして公演本番。14時30分の開場時間前から長い列ができていて、14時35分には客席が見た目かなり埋まった感じ。この勢いが開演時間まで続いたら・・・と考えるとちょっと恐ろしくなりましたが、溢れることなく、客席はほぼ満員で出発。チケットを買ってくださったお客さまをお帰しするようにことにならなくて、本当に良かった。

そして何よりも、こんなステキなことをやっている人たちがいるということを、仙台の皆さまに知っていただけたのが嬉しいです。そして、東京からもたくさんの方がわざわざ来てくださいました。

いろいろ寄せてくださったご感想や、私自身見聞きしたことなど、追々書きとめておきたいと思っていますが、まずはご来場いただいた皆さまに、厚く御礼申しあげます。

2008年1月14日 (月)

完売近し(?)・・・チケットの最終(?)ご案内

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いろいろなところでお知らせしていますが、合唱団「じゃがいも」のために書いた合唱劇『銀河鉄道の夜』の仙台公演が、1月27日にあります。

チケットは、主催者側からもうかなり出回っているそうで、もうあんまり無理して売らないでくださいと言われてしまいました。このままだと、完売ということもあり得そうです。

すでに予約してくださっている方には、今週お渡しします。まだ申し込んでいない方はお早めに、できれば今週中に声をかけてください。ここへのメッセージ、メール、私を直接つかまえるなどどんな方法でも構いません。今週は明日火曜日午後以降、毎日学校に行きます。

合唱団「じゃがいも」公演
合唱劇『銀河鉄道の夜』
1月27日(日)15時開演 
仙台市青年文化センター・シアターホール

じゃがいものホームページ

http://homepage2.nifty.com/jagaimo/

2007年12月24日 (月)

花巻へ

12月24日の岩手日報朝刊は、1面に昨日の公演の写真記事、その他に、中の見開き2面分を使って、遠野市民センターバレエスタジオ30周年の歩みや、関係者へのインタビューによる特集記事を組むという破格の扱い。

遠野駅でその新聞を買って、釜石線に乗り込む。今日は、少しだけ寄り道をしながら仙台へ戻るつもり。

新花巻で下車。胡四王山にある宮沢賢治記念館へ。近くへ行くバスの発車まで1時間待ち。車に乗れば5分もかからない距離なので、タクシーを使う。800円くらい。

Photoこの記念館には何度か来ているのだが、今回のお目当てのひとつは、ちょうど特別展としてやっている「フランドン農学校の豚」。オペラシアターこんにゃく座のためにオペラとして作曲したことがあるので、この展示は興味深い。

Photo_2作品の紹介と生原稿の展示がメイン。他の作品同様、大幅な校正の跡がある。この作品の生原稿を眺めていて最も目につく変更は、初めに書き込まれた「です。ます。」が、すべて「だ。である。」に直されていること。それによって、冷徹なレポートのような文体で、人間のエゴと食物連鎖の無常を、ブラックなユーモアとともに描きだすことが可能になったのだろうと思う。

ミュージアムショップで、「銀河鉄道の夜」の冒頭原稿のコピーを売っていた。スペースシャトル「エンデバー」が宇宙へ持っていったのと同じレプリカだそうだ。2枚買う。1枚は、合唱団じゃがいもの指揮者鈴木さんにあげるつもり。

記念館前からタクシーに乗る。今回、花巻に寄り道することができたら、ぜひ行きたいと思っていた場所があった。

日蓮宗身照寺。賢治の墓所。昭和8年に亡くなった賢治は、昭和26年になって、浄土真宗のお寺からこの身照寺へ改葬されたとのこと。住宅地といっていいと思うけれど、閑静な地域にひっそりと、墓所はあった。

Photo_3 手ぶらで行ったので、浄財を置いて、横の箱に備えてあったお線香をあげて、たくさんの素敵な作品を遺してくれたことに感謝して手を合わせる。賢治さんの墓碑の右側に、宮沢家代々の骨堂が並んでいる。

そして、この写真の右の奥にも見えるのだけれど、数羽のフクロウ像が墓所を守るようにして置かれている。

Photo_4 フクロウは知恵の神。賢治作品にもたびたび登場することは周知のとおり。彼らが見守っていることで、つつましいお墓が少しだけ晴れやかで温かいもののように思えてくる。

Photo_5 待っていてもらったタクシーに乗って、今度は花巻駅に行く。料金は、記念館から身照寺まで2,000円くらい。身照寺から花巻駅までは800円くらい。花巻駅で、新花巻までの釜石線に乗るために、また1時間待ち。新花巻駅で、新幹線に乗るためにも50分待ち。何とも悠長な旅だ。

(写真は、クリックすると少し大きく表示できます。)

2007年12月23日 (日)

遠野へ(3)

終演後、市民センター隣のホテル「あえりあ遠野」で、バレエスタジオ開設30周年を記念する祝賀会。

かつて遠野で泊まっていたのは、階下からおばちゃんが「きっちゃーん、電話よー!」と呼んでくれる旅館だった。「あえりあ」のようにきれいなシティホテルは、なんだか妙な感じがする。

ちなみにこのホテルは、かつて中央公民館のあった場所に、第三セクターで建てられたとのこと。温泉ではないけれど大浴場があって、居心地はなかなか良かった。

26年前、初演の後の祝賀会には、お母さんたち手作りの、素朴だがまごころのこもったごちそうが並んでいた。今日の会場は披露宴会場のような大広間、電話は一人一人手元に携帯を持っているから、階下から呼ばれる必要はない。まさに隔世の感。

お決まりの挨拶やスピーチなどがあった後、バレエスタジオに10年間以上在籍した生徒・OGの表彰。名簿を数えてみたら、29人もいた。

今日でバレエ・スタジオを「卒業する」、二人の高校3年生の生徒さんがスピーチ。二人とも、驚くほどしっかりした内容を話す。大船渡から片道1時間くらいかけて通ってきた一人は、「30年の歴史の中に加われたことが嬉しい」などと言う。

少年少女時代に、学校以外の年上、年下の友だちや、たくさんの大人に囲まれて過ごす時間があるというのは、とても大切なことなのじゃないかなぁ・・・と思う。合唱団「じゃがいも」の子どもたちを見ていてもそう思うし、私自身も子どもオーケストラに通っていたから、そんな環境は理解できる。

大人と接することが多いわけだから、当然ませた子どもになる傾向はあるだろうが、ひとつだけではない価値観の眼差しに包まれて過ごす、そのことで得られるものは大きいと思う。身のまわりが父母や家族、親戚だけというのは、価値観が画一的、閉鎖的になりがちではないだろうか。スピーチをした生徒さんたちのしっかりした口調や大人びた表情は、バレエスタジオを支える大人たちと接してきたことから生まれているのではないかと思う。

Photo こちらは、やたらと嬉しそうな大人たち。市長さんまで引きずり込まれています。

お開きの後は、民宿へ行こうと誘われる。そこに泊まっているのは岡野さんと杉田さんだけなのに、十数人で押しかける。民宿の主人は、飲み物やコップなどのある場所を教え、あとは好きなようにやってくれと言い残して自宅に引きあげてしまったそうだ。勝手にテーブルだの座布団だのを探し出してきて、即席宴会場を作ってしまう。

この町は、こんなふうに大らかだ。深夜、もう閉めている店をドンドン叩いて起こし、一杯だけ飲ませてくれと言って入り込んでしまったことさえある。私がではない、私を連れまわしていた人がである。眠そうな顔で、また店を開けてしまう方もどうかとは思うが。

ビールとともに、自家製どぶろくが並ぶ。この国では、もちろん勝手にお酒を作ることは許されない。けれどもここは、「どぶろく特区」なのだ。透明な上澄みに、米粕のような白い粒が浮いている。ぴりっと辛いが、口当たりが良い。とても危険な酒。「後で腰にくるよ。」と言われ、慌ててコップを置いた。

遠野へ(2)

午後1時30分、遠野市民センター大ホール約900席の客席は、満席とはいかないまでもかなり埋まっている。

先ほど駅から歩いてきた大通りは、人影もまばらで閑散としていたのに、この人たちはどこから湧きだしてきたのだろう。

バレエスタジオ開設30周年記念公演のプログラムは3部構成で、「おしらさま」は第3部。

開演した舞台を見てすっかり感心してしまった。以前と比べて格段にレベルが上がっているように思える。以前は、こう言っては申し訳ないが、バレエ教室のおさらい会という感じがあった。けれども、第1部「バレエコンサート」も、第2部「ルロイ・アンダーソン名曲集」も、ともに立派な出来栄え。ジュニア・バレエ団としてのまとまりがある。やはり、30年の積み重ねは大きい。

さて、第3部が創作バレエ「おしらさま」。

今回は、3週間くらい前に招待状が送られてきて再演を知ったというわけで、音楽がどんなかたちで演奏されるのかまったく相談を受けなかったし、知らされなかったから、正直言って楽しみ半分、怖いもの見たさ半分で会場に来たのだった。以前の演奏の録音を流すのだろうか。それとも、ミディの打ち込みか。オール・ミディというのは、ちょっと嫌だな・・・。簡単な音楽ではないし、オフィシャルなヴァージョンは編成も特殊だ。

その懸念は、思いもよらぬかたちで吹き飛ぶことになった。

演奏を担当したのは、A.E.L音工房の5人の音楽家とコンピュータ制御のシンセサイザー。そして、そのグループのリーダーで指揮もした及川光志さんは、初演の舞台でトランペットを吹いていた高校生だったのである。そして、他の5人も、みな遠野在住の方々だという。

初演以後、2管編成によるオーケストラ版と室内楽版を作って、いつでもどこへでも持っていけるようになったが、遠野の人々が演奏するということはできなくなっていた。舞台装置も衣裳も街の人たちの手で作れるのに、音楽だけはそういうわけにはいかなかったのだ。

今回のヴァージョンは、室内楽版を基に光志さんが工夫して作ってくれたもの。光志さんは後で、「高校生の時、演奏に参加して受けたインパクトが強くて・・・。ずっとやりたいと思ってきたことが、今日やっとできました。」と言ってくれた。これで、「おしらさま」の音楽は、遠野の人たちの手に戻ってきた・・・そう思えて嬉しかった。

Photo_5

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写真は、終演直後の舞台。

終演後、祝賀会が始まるまでの間に、岡野さん、杉田さんとともに、健悟さんのお墓参りに行く。健悟さんは、濱田さんと二人で実働部隊のツートップを成し、バレエスタジオの運営や「おしらさま」の初演を、行政側から牽引した人だ。亡くなられてから、来年で10年になるという。その誠実な仕事ぶりはみんなが信頼していたし、眼鏡の奥の優しい笑顔を忘れることはできない。健悟さんが眠るお墓は、市民センターにから程近いお寺にある。舞台でいただいた花束を手向ける。杉田さんが、「今日も、ここにいてほしかったよね」とつぶやいた。思わず涙がこぼれた。

遠野へ(1)

12月8日の記事にあるように、私が1981年に作曲したバレエ「おしらさま」が、遠野で10年ぶりに再演されることになった。遠野へ行くのも10年ぶり。

仙台を朝9時の新幹線に乗って約1時間で新花巻。釜石線に乗り換えるために、約1時間待合室で待つことになる。付近にはほとんど店もないのだ。そして、やはり仙台よりも寒い。

Photo 単線、2両編成、ワンマン。1日10本しかない。今までに何度も何度も乗っているのに、そんなに不便な路線だったかなぁ・・・と今さらながら思うのは、私の余裕がなくなっているせいかも知れない。

仙台からだったら、車で移動した方がずっと楽だろうと思うけれど、こういう季節は雪や道路の凍結が怖い。

車内アナウンスは、女性の声のテープ。かつて、男性の車掌さんの案内放送、「下りる人が済んでからご乗車ください。」というのが「おぢる人がしんでから(落ちる人が死んでから)・・・」と聞こえるというジョークは本当なんだなぁと、感心(?)したことがあった。今はそんなことはない。

そんなことはないけれど、何やら妙なことを言っている。

Photo_3駅に停車して、わかった。前に何かで読んだことがあったけれど、岩根橋駅付近の眼鏡橋が、「銀河鉄道」のイメージに重なることから、いつからか釜石線は「銀河ドリームライン」という呼び名がつけられている。そして、各駅にはエスペラント名がついていて、それもアナウンスしているのである。「次は、ガラクシーア・カーヨ、宮守でございます。」という具合。駅にも、その愛称を記した標識が立っている。ちなみに、ガラクシーア・カーヨとは、「銀河のプラットホーム」という意味の由。「ガラクシーアかよ!」というツッコミはやめてね。

12時過ぎ、遠野に着く。

Photo_4 しばらく来なかったから、駅前の景色などもずいぶん変わっているだろうなぁと思っていたのだが、何とも恐ろしいくらいに変わっていない。数件、店が変わったりはしているけれど、私が初めて遠野に来た1980年の頃と、ほとんどまったく同じなのだ。びっくりしたような、安心したような、呆れたような。

市民センターは、歩いて5分ほど。昼食の部屋に案内されると、教育長さん、センター長さん、父母の会の会長さん、社会教育課の方々が大歓迎してくださって恐縮。そしてその中に、台本作者の岡野さんや、当時職員だった濱田さん、岩手日報の杉田さんの懐かしい顔も見える。間もなく、遠野の音楽のリーダーである斉藤さんもやってきて、気分は一気に遠野モードに切り替わる。

2007年12月 8日 (土)

創作バレエ「おしらさま」再演

ずっとご無沙汰していた岩手県遠野市から、突然手紙が届きました。

遠野市民センターバレエスタジオ開設30周年記念公演で、「おしらさま」を再演するとのことなのです。

_balletmiddle01「おしらさま」は、このバレエスタジオのために、1981年に作曲したバレエ作品。当初は、遠野で楽器の弾ける人大集合!で、吹奏楽あり合唱あり、ギターやマンドリンありの二度と再現不可能な楽器編成でしたが、86年に大改訂して、2管編成の管弦楽に配置しなおして、東京と中国の北京でも上演されました。 その後、室内楽版も作りました。

初稿を書いたのは27歳だったのですね。これをきっかけに、私がしばらくの間「遠野」にハマっていたことを、古くからの友人はみな知っていると思います。

遠野市民センターバレエスタジオは、全国でも珍しい、市が運営するバレエスタジオです。プロの指導者が、東京から毎週通って指導にあたっていました。初演の頃は、まだ東北新幹線はなく、羽田から花巻空港へYS11で飛んだことや、ガタガタ揺れる東北本線特急で東京へ戻ってきたことを、よく覚えています。将来、仙台で大学の教師になるとは、夢にも思いませんでした。

「おしらさま」が一番最近再演されたのは10年前ですが、今回のことはこの手紙をもらうまで、何の連絡もなかったので驚きました。 ほぼ10年ごとに再演を重ねてもらえるのは、嬉しいことです。

12月23日(日) 午後1時30分開演 遠野市民センター大ホール

情報はこちら

http://www.city.tono.iwate.jp/index.cfm/1,7195,3,html#

2007年12月 5日 (水)

ヒコクミンの20年、わたしたちの36曲の前奏曲

作曲家の萩京子さん、寺嶋陸也さんと3人で、「緋国民楽派」という作曲グループとして、演奏会を始めてから20年が過ぎた。

グループのネーミングは、もちろん19世紀の「国民楽派」をもじったもので、見た目はどうということもないが、「ヒコクミンガクハ」と発音すると、少々やばい雰囲気が漂う。「非」ではなく「緋」なのだから、うろたえる必要はないのだが。

「結成」から20年も経つとは信じがたいけれど、最近では、私たちと親しい人々は、「今度ヒコクミンいつやるの?」などと物騒なことを、平気で聞いてくれるようになった。

20年で12回の演奏会というのはいささか少ないようだが、それぞれ自分の活動が忙しいし、演奏会を開くための元手だってゼロなわけだから、チケット収入だけを当てにしているようでは確実に赤字である。頻繁に演奏会を企てていては破産してしまう。そういう意味では、まずまず妥当な開催回数なのではないかなと思う。

20年を記念する年の企画として、チェロの作品を中心にしたプログラムを準備していた。チラシまで刷り上っていたのだけれど、ついに予定していた2人の新作が間に合わなくなってしまったために、チェリスト氏からは演奏会延期の要請を受けた。

どうしようか、会場キャンセルする?

メールや電話が飛び交ううちに、いつでも誰でも使えるわけではない東京文化会館小ホールの予約をみすみす取り消してしまうのは何とも惜しい、以前に3人で書いた「前奏曲集」をぼくが弾いてもいいですよ・・・と、唯一作品が間に合わなくなかった寺嶋さんが、まるで私たちの罰ゲームを引き受けるように申し出てくれて、企画内容は変更しながらも、演奏会は予定通り行われた。

11月21日(水)、東京文化会館小ホール。緋国民楽派第12回作品演奏会、「寺嶋陸也 プレイズ 36曲の前奏曲」。転んでも只では起きない「緋国民楽派」の面目躍如?

「以前に3人で書いた『前奏曲集』」というのは、1992年、志村泉さんに弾いただくために、それぞれがピアノのための「前奏曲」を12曲ずつ作曲した36曲。優れたピアニストでもある寺嶋さんは、準備期間が1ヶ月もなかったのに、そしてその1ヶ月の間だって決して暇ではなかったのに、36曲を見事に弾ききった。私たちにチケットを売り捌く余裕もなかったので、来てくださったお客様の数は決して多かったとは言えないが、稀有な演奏会になったことは間違いない。怪我の功名と言ったら、曲を落とした立場のくせに調子が良すぎるが、こういうことでもなかったら、36曲全部を寺嶋さんに弾いてもらおうなどという企画は決して出なかっただろう。

36曲のうち、寺嶋さんと私の12曲ずつはカワイ出版から楽譜が出版されている。萩さんの12曲も、近々同じ出版社が出版の準備をしてくれるそうだ。

ちなみに、当初の企画、チェロを中心とした演奏会は、いずれ仕切り直して計画する予定。今後とも、ヒコクミン、いや緋国民楽派をどうぞよろしくお願いします。

2007年11月10日 (土)

こどもたちへ メッセージ2007

Photo作曲家協議会主催、カワイ出版とタイアップ企画の「こどもたちへ」。

毎年、作曲家協議会の会員が子ども用のピアノ小品を書き、曲集として出版し、自作自演のコンサートを催す。もう23回目、今年は37名の作曲家が参加。あと2回くらいで、総計1,000曲になるという。

今年もお話をいただいたので、「ドミレソ」というタイトルの曲を書いた。「ドミレソ」というフレーズが、2小節(後には1小節になったりもする)ごとに繰り返される。パッサカリアとかシャコンヌとか、そんな大それたものではないけれど、そういう仕掛け。

去年は連弾で「ミミファラ」というタイトルの曲を書いた。曲の冒頭の音をそのままタイトルにしてしまうというのは、知る人ぞ知る北村大沢楽隊のやり方を真似たもの。この方法が良いのは、ヘンテコな嘘臭いタイトルを考えなくて済むことだ。子ども向けだからといって、子ども騙しのようなタイトルは付けたくない。

自作自演というのが厄介で、ピアノが上手い作曲家の方々は良いけれど、私のように、ピアノを弾くっていうだけで珍しがられるような手合いにとっては、大変ユウウツである。でも、紀尾井ホールの舞台に立ってみると、少しだけ楽しかったりもする。11月10日にあった今年の演奏会では、ちょっと間違えてしまったけれど、人にはあまりわからなかったみたい。所詮実力がないのだから、まぁこんなものだ。

Photo_3 今年出版された楽譜は2冊。私のは「その1」に入っているが、「その2」には、羽田健太郎さんの遺作が収められている。「ゆびずもう」というタイトルのその作品を、演奏会では寺嶋陸也さんが初演した。ムードに流れることなく、鍵盤上での指の遊びを展開した良い曲だ。それまでの羽田作品とずいぶん趣が異なっている感じがする。

左下のリストからも、この楽譜の情報を見ることができます。

2007年11月 5日 (月)

音を感じる 音で対話する

11月1日の記事にも書きましたが、2日間にわたって行なわれた「五感アートラボ」プロジェクトBは、無事終了しました。

まず初めに、浅野先生の指導によって簡単な音具を作りました。竹を切って作る笛など。みんな慣れない手つきで鋸を使ったりしましたが、とてもいい音のする笛を作った人もいました。

1日目の午後は、溝入さんのミニ・レクチャー・コンサート。コントラバス弾き語り実演などを聴かせてもらいました。

その後は、「音を感じる 音で対話する」エチュードをいくつか。

00 2日目は、まず里見先生による「音を感じる」ための身体のチューニング。身体が硬く縮こまっているのは、音を聴くのにも出すのにも支障がある・・・。方法は違いますが、こんにゃく体操を思い出します。

白い紙に線と点を描き、それを音にしていくのは、前日のエチュードとも繋がる内容になりました。

午後は、「音を感じる 音で対話する」エチュード。主にはっきりしたリズムのあるものを中心に。ちょうどその時間に見学に来られたN先生は、「研ぎ澄まされた音環境がとてもよい雰囲気」だったと後でメールをくださいました。

最後の時間は、詩劇の一場面を想定した、詩と音のアンサンブル。1時間くらいの間に約10分程度の場面を一応まとめました。芝居をしなくても、大した楽器がなくても、楽譜が読める人でなくても、それはそれでちょっと面白いアンサンブルを、音楽的であり演劇的でもある表現、ジャンルを超えた作品を作れる可能性があるのだと実証できたかなと思います。もちろん、参加者がみんな積極的だったことに大いに助けてもらいましたけれど。

今回は、私がほとんど「演出」してしまいましたが、時間をかけて、みんなでアイデアを出し合いながら作っていけばもっと面白くなるだろうし、照明をプランニングすれば、人前に出せる作品になるでしょう。

残念だったのは、本当は一番触れてほしかった学生くんたちの参加が多くなかったことです。既成の作品をよりよく演奏する素地を作るのにも、役立つ活動だろうと思うのですけどね。

01 10-BOXは、公共交通機関ではちょっと行きにくい場所だけれど、集中してワークショップに取り組むことができるとても良い環境でした。

2007年11月 1日 (木)

五感アートラボ

宮教大サテライトスタジオとして、「五感アートラボ」と称するワークショップをやります。

実は、別のプロジェクトはすでに始まっているのですが、この週末にはプロジェクトBが行なわれます。

11月3日(土)10:00~16:00
11月4日(日)10:00~15:00

場所は仙台市・卸町の10BOX(BOX1)

「音具をつくる、音を感じる、音で対話する」というタイトル。
まず簡単な音具を作ります。それらを使って、音や無音でコミュニケーションしてみようというわけです。即興的に音楽を演奏するということもやります。でも、楽譜も楽器も使いません。

ゲストとして、コントラバス奏者で即興音楽の名手である溝入敬三さんをお招きして、演奏を聴かせてもらったりもします。
講師は、溝入さんの他、身体表現の里見まり子先生、陶芸の浅野治志先生と私です。

参加はもちろん無料。

もう日は迫っていますが、まだ定員に余裕があります。興味のある方はぜひご参加ください。 わからないことは、どうぞご連絡ください。

2007年10月22日 (月)

合唱劇「銀河鉄道の夜」

10月20日、合唱団「じゃがいも」による合唱劇「銀河鉄道の夜」の山形での初演、無事終了しました。ご来場の皆さま、応援してくださった皆さま、そして団員の皆さん、どうもありがとうございました。

Photo上演時間は、前半が約60分、後半約50分。じゃがいもとしては初の「一晩もの」の合唱劇です。賢治を原作とする合唱劇を過去に13作も発表してきた経験があるとはいえ、さすがに今回は、キャストの皆さんも苦労されたと思います。

「銀河鉄道の夜」、やはりこれは特別な作品です。うぬぼれていると思われると困るのですが、昼の部も夜の部も、客席はしーんと静まり返っていて、舞台に向かうベクトルが集中しているようでした。それも、最初から最後まで。こういう客席の静けさは、あまり経験がありません。舞台も客席も、みな夢の中にいるような不思議な感じでした。

メンバーは、演奏会前の週など、連日練習でかなり疲れているはずなのだけれど、みんな全然疲れた顔をしていませんでしたし、疲れた声にもなっていませんでした。

これらのことは、やはり原作の力だと思います。読むだけではわかりにくくても、演じてみてわかることがいろいろあったし、何よりも、この原作のためならば・・・という心意気がひとりひとりにこもっていたのではないでしょうか。

そして、どうしてこんなに涙腺を刺激するのか。これも演じてみてはじめて読み取ることのできた原作の抒情なのだろうと思います。

友人のmasaさんが前の記事につけてくださったコメントの一部を、勝手に引用します。masaさん、ごめん!

初演の成功おめでとうございます!
この日は土曜なのに仕事があって、職場から東部~南部~東北道~山形道と4つの有料道路をまたいで開演5分前に会場に滑り込んだので、ご挨拶も出来ず失礼いたしました。
作品が作品だけに「よかったです」「素晴らしい出来でした」的な感想とは次元の違うところでお話しないとだめですね。賢治のファンや研究者って世界中にいると思うのですが、そういう人たちがこの作品を知ったらすごいことになると思います。
そういう意味でもチラシを見て関心を持って来てくれるお客さんがもっといてもよかったと思いました(ちなみにこの日はY大学音楽科の定期演奏会とブッキングしていたようで・・・、我が後輩たちにも聴かせたかったなあ・・・〉。

「すごいことになる」かどうかはわかりませんが、すごいことをしちゃったかも知れないなぁ・・・という感じはあります。「銀河鉄道」の合唱劇化を打診された作曲家のひとりが、無理だよと言って断ったそうですが、「無理だ」と思う方が正常な思考だと思います。それなのに、とうとうやってしまいました。賢治の世界に迫れたとは思いません。でも、とにかく真正面から取り組んで、精一杯やったことだけは確かです。

3 打ち上げで見せた、大人も子どももこの笑顔!あの原作でなければ、これほどにはならなかったのではないかなと思うのですが、どうでしょうか。みんな、ただ楽しかったというだけではない、何か豊かなものにつつまれているようでした。

仙台公演が1月にあります。ぜひたくさんの方に観ていただきたいと思っています。それに向けて、少しだけ手を入れて、よりパワーアップさせるつもりです。

2007年10月18日 (木)

Milkyway Train 出発二日前

昨日、今日と、仙台から山形へ往復して練習に立ち会いました。

とても面白くなっているのだけれど、昨日も今日も通せませんでした。作品が長すぎて。だって、2時間以上かかる作品の練習枠が、2時間半っていうのは、どう考えても無理だよね。

普通だったら、ピリピリしちゃって、雰囲気悪くなるところですが、不安いっぱいが顔に出てるのはスタッフだけで、団員のみんなはニコニコしてるんですよね。すごいなぁ、根性座ってるよなぁ・・・。

しかも、毎日台詞の長さが変わったりしているのに、義務づけてはいないのにみんな楽譜はずそうとしてるし。

この合唱団は、もちろんアマチュアの団体ですが、表現者としてはほとんどプロです。もしかしたら、賢治が農民芸術論で求めたのは、こういう人たちに近いのかも知れません。

それにしても、夜の山形道はスリリングです。昨日と今日、車で往復したけれど、昨日の夜などは、山形蔵王インターから村田ジャンクションで東北道に合流するまでの30分近く(?)、前後に5台くらいしか他の車と出会わなかった。大半の時間、「ひとり旅」です。しかも、照明はほとんどなく、周りは山。つまり前も後ろも左も右もずっと真っ暗!それに、県境の峠越えをするので、カーブや坂道も多く、真っ暗な正面に星ばかりが見える・・・という、銀河鉄道の運転手か、私は!

星に見とれていると、そのまま天上に行ってしまいそうなので、しっかり見ることができなくて残念でした。こういうドライブの音楽は、クラシックはダメです。特に夜は、テンション高いのでないと。マイルス・ディヴィスをがんがんかけながら約1時間走りました。

2007年10月13日 (土)

Milkyway Train 出発に向けて

夕べ遅くに、最後のオーケスレーション譜と追加の短いBGM(14小節)を、そして先ほどプログラム原稿を送って、すべての作業が終了しました。

気がついてみると、最初の公演まであと1週間!いやぁ・・・しかし、今回ばかりは終わらないかと思った。いつもそう思うのだけれど、今回は特に。ヴォーカル・スコアは170ページくらいあります。

私の作業は手こずりましたが、練習は順調にいっているようです。先週の日曜日、練習を聴きに行ってきました。久しぶりに元気な歌声を聴いて、疲れがだいぶ飛び去りました。

Photo いつもギリギリまで作業をしているので、何度も練習に立ち会うことができません。練習に行く時間があったら書かなければならないからです。出来上がった時にはすでに本番が近づいていて、行ける練習日が限られてしまいます。ちょっとつまらない。

でも、曲は私がいなくても育てられていきます。これから1週間で、完全に「じゃがいも」の物になるでしょう。

2007年10月 4日 (木)

Milkyway Train 運行記録の続きとご案内

つい先ほど、短いBGMを2曲送り出しました。ようやく作曲は終了です。

・10月4日 急降下[24]、川を見つめる人々[15]

楽器パートの整備がありますから、まだ作業は続きますが、とりあえず間に合って良かった・・・。・・・というわけで、ようやくここにもご案内を書けるようになりました。

合唱団「じゃがいも」第34回定期演奏会(宮澤賢治音楽劇場 その13)

合唱劇「銀河鉄道の夜」

宮澤賢治・作、山元清多・演出、吉川和夫・作曲、指揮・鈴木義孝

10月20日(土)15:00、18:45開演 山形市中央公民館ホール(as)

2008年1月27日(日)15:00開演 仙台市青年文化センター シアターホール

詳細は、合唱団「じゃがいも」のホームページ→http://homepage2.nifty.com/jagaimo/

ぜひ秋の山形、あるいは冬の仙台へ、いらしてください!

2007年10月 3日 (水)

その後のMilkyway Train 運行記録

前の記事、9月25日以降の「運行」記録です。

・9月28日 エピローグ「あまの川」[28]

・10月1日 石炭袋[245]、河原を走るジョバンニ[37]、南十字[43]

・10月2日 プロローグ「あまの川」[32]

「石炭袋」というのは変なタイトル(仮題)ですが、クライマックスに至る部分をひと繋がりにしたので、小節数も突出して多くなりました。

これで一応、歌の入る曲は完了です。あと数曲、BGMと、今までに渡した曲の器楽パートを書きます。まだまだ作業は続きます。

現場では、上演時間が2時間を超えそうなのをどうしたらいいか、悩んでいるらしい。

2007年9月25日 (火)

Milkyway Train 運行中間記録

この数ヶ月、山形の合唱団「じゃがいも」のための合唱劇を作曲しています。公演のお知らせは、また後日書くつもりです。

この曲、スケッチは手書きですが、清書はパソコンの浄書ソフトを使って書いて、山形にいる指揮者の鈴木さんにメールで送っています。彼はこれを受け取ると、ヴォーカルスコアを作り、団員さんたちに配るとともに、PDFファイルにして、私のところにも送ってくれます。

一晩物の大きな作品なので、出来た部分から少しずつ送るのですが、郵便と違って、パソコン上に自動的に送信記録が残ります。作品がいつどんなふうに出来ていったのか、通常は公開されませんし、こまめに日記でもつけていなければ、その経緯はすぐにわからなくなってしまいます。でも、こういう渡し方をしていると、日記をつけなくても、少なくとも受け渡しの記録は残っていくのです。さらに、浄書ソフトなので、何小節書いたかもすぐわかります。

曲はまだ完成していませんが、今までに送った記録を中間報告してみましょう。送信日、タイトル(すべて仮題)、[  ]内は小節数です。

・7月1日 午后の授業[118]

・7月11日 ケンタウル祭の夜[48]

・8月17日 天気輪の柱[109]

・8月24日 銀河ステーション(1)[80]

・8月31日 銀河ステーション(2)[161]

・9月7日 北十字(ハルレヤ)[176]

・9月12日 プリオシン海岸(河原の礫)[67]、プリオシン海岸(大学士)[78]

・9月14日 アルビレオ観測所[73]、ほんとうの幸(1)[42]

・9月21日 ほんとうの幸(2)[168]、蠍の祈り[34]

・9月22日 青い森から流れる音いろ[98]、ジョバンニの嘆き[50]

送信日に金曜日が多いのは、週末の練習に間に合わせるためです。現在までのところ、合計1,200小節を超えました。

まもなく、ジョバンニは、カムパネルラとの別れの時を迎えます。せつないなぁ・・・。

聖玻璃の風

9月30日に、笙の演奏家・髙原聰子さんのリサイタルで、私の作品が演奏されます。篳篥独奏曲で、このリサイタルにゲストとして参加する中村仁美さんの演奏です。

笙 ミニ・コンサート

9月30日(日)14時 求道会館(東京都文京区本郷)

笙:髙原聰子、篳篥:中村仁美(ゲスト)

第一部:古典・・・演奏とお話

・平調調子

・盤渉調調子

・青海波

第二部:現代作品

・西部哲哉:天の夜曲(笙独奏)

・吉川和夫:聖玻璃の風(篳篥独奏)

・髙原宏文:笙のためのアリア(笙独奏) ほか

全自由席 3,000円

「聖玻璃の風」は、2005年にアサヒビール・ロビーコンサートのために作曲したもの。タイトルは、宮澤賢治「春と修羅」の一節によっています。

2007年9月22日 (土)

ラ・コンフィチュール

あいかわらず更新が滞っています。ネタがなくなったのではなくて、ずっと作品にかかりきっているためで、せっかく訪ねてくださっているのに申し訳ないです。かかりきりの作品はまだ完成には至りませんが、近々、中間「運行報告」を書こうかなと思っています。

そんなわけで、この二ヶ月、生活も何もムチャクチャになっていますが、ふと気がついたら、別の新作初演がある演奏会が、もう間近になってきました。

"Confiture コンフィチュール" とは、フランスの果物の砂糖煮、つまりジャムのことだそうですが、「ラ・コンフィチュール」という名前のユニットがデビュー・リサイタルをします。

若い4人の演奏家の専門は、ピアノ、オーボエ、コントラバス、パーカッション。でも、どうやらこれら以外の楽器もこなすらしい。オーボエがイングリッシュホルン持ち替えますなんていうことではなくて。なにやら、他に類を見ないユニークなユニットになりそうです。

プロデュースは、知る人ぞ知る辣腕ディレクター川口義晴さん。川口さんの手による編曲も得て、この編成としてはきわめて珍しい曲目が並びます。私も、新作を書かせていただきました。成瀬一裕さんが照明を担当してくださるというのも、楽しみです。

ラ・コンフィチュール~クレアシオン~ 9月28日19時 杉並公会堂小ホール

Photo

・J.S.バッハ:三声のリチェルカーレ

・サティ:ヴェクサシオン(4+1/840)

・吉川和夫:アンティフォニーⅥ(委嘱・初演)

・サティ:シネマ(映像付き)

・新垣 雄:沖縄のわらべ歌集より(委嘱・初演)

・ラヴェル:ボレロ  [演奏順不同]

井口真由子(ピアノ)、大城由里(オーボエ)、佐野央子(コントラバス)、新城二奈子(パーカッション)

全自由席 2,500円 詳細は、井口さんのブログをご覧ください。→http://www.igumayu.com/recital.html#tokyo

10660e0bs リハーサルのスナップです。撮影は井口さん。

2007年9月13日 (木)

オペラ「クラブ マクベス」

こんにゃく座公演、林光さんの新作オペラ「クラブ マクベス」を観る。東京・三軒茶屋、シアター・トラム。

人生の日常に疲弊したサラリーマン風の「男」が、クラブ「マクベス」と書かれた奇妙な店に引きずりこまれ、妄想の中でマクベス劇を幻視する。シェイクスピアの「マクベス」を、「現実」の視点で見ている「男」が(もちろん、それも虚構だが)いるというわけだが、彼の現実と妄想の境目は、いつしか消失していく・・・。

台本も書いた髙瀬久男さんの演出はとても丁寧で、舞台も美しい。音楽は、物語の悲劇をことさら強調したりはしない。そして、全体的に厚く書き込まれたものではないが、必要十分な緊張感を醸し出す。譜面はシンプルだと思うけれど、練習は簡単ではなかっただろうなぁ。

「男」を演じた大石哲史さんは、いつもながら安定した存在感。劇中のマクベスの佐藤敏之、坊主頭が異様に似合う冨山直人マクダフ、魔女より怖い岡原真弓ヘカティはじめ、すべてのキャストが好演。初演ゆえ、水も洩らさぬというわけにはいかない箇所もあるように思えたが、上演を重ねることで作品は育っていくだろう。

マクベス劇、それに「男」にとっての「現実」、ここまでが虚構、そして観客である私たちは、私たちの身の回りである本当の現実を含めて三重構造を体験しながら、「男」同様、いつしか境目を見失っていることに気づく。観念だけで構築されたものではなく、観ていて面白い作品。重い悲劇性の中にキッチュな見世物的要素が、(魔女が焚き火に降りかける薬ではないが)程よく配合されたことも、楽しさの一因だろう。16日まで。

2007年8月14日 (火)

15番と17番、など。

Photo12日(日)午後、創る会の演奏会に行く。四谷区民ホール。

創る会は、会員である合唱愛好家が拠出する会費によって、作曲家に合唱作品を委嘱し、会員の手で初演する。演奏に参加する人たちは全国から集まって、演奏会のために集中練習をするそうだ。今までに、17曲の新作が発表されている。

今年の委嘱によって生まれたのは、間宮芳生「合唱のためのコンポジション第17番」。8月12日付けの記事で林光「原爆小景」について書いたけれど、「合唱のためのコンポジション」の記念すべき第1番が書かれたのも、「原爆小景」と同じ1958年なのである。

プログラムは、まずはモンテヴェルディの3曲のマドリガーレ。間宮合唱作品の出発点は、日本民謡と同時にマショーやモンテヴェルディなどルネサンス合唱作品にある。間宮先生自身「モンテヴェルディと並んで私の書いた音が鳴るのは、大きな幸福です。」と、プログラムに書いておられる。

2曲目は、合唱のためのコンポジション第15番「空がおれのゆくところについてくる」。これは、2002年に児童(女声)合唱のために書かれたものだが、今回は「おじさん、おばさんが歌ってもいいことにした」と作曲者がふざけておっしゃるように、大人の合唱によって歌われた。つい最近楽譜が出版されて、送ってくださったのを見ながら聴く。隣席には作曲者。開演前に遠くから会釈をしたら、わざわざ席を移ってこられたのだ。

15番の歌詞は、アメリカ先住民族と古代アルメニアの口承詩。児童合唱で歌われたら、キラキラ輝いて素敵だろうなぁと思う。だが、大人にとってはそれほど難しい音ではないし、長い曲でもないから、「おじさん、おばさんが歌ってもいい」のならば、コンポジション入門として最適だ。簡素な音使いでありながら、とてもコンパクトに引き締まった佳品。

さて、初演された17番は、混声合唱のための作品で、「七戸」「宇曾利」「牡鹿」の3曲からなる。テキストは3曲とも、菅江真澄が著した、今はフシが失われてしまった民謡の詞章と、旅日記の文章。世界規模の口承詩が歌われたいくつかのコンポジションとは違い、日本の東北(青森と宮城)に題材を得ていることもあってか、構成的にも音楽的にも落ち着いた作品という印象。かつて16番の初演を聴いて、私は思わずぶっ飛んだが、それとは違い、モンテヴェルディに通じる響きの美しさ、色っぽさがある。

最後のステージは、「合唱のためのエチュード」。間宮作品を歌うためのエチュードであると同時に、さまざまな歌や響きのスタイルを勉強するのに最適な演奏会用エチュードである。現在までに8曲が書かれている。いずれも長くないそれぞれの曲にはテーマが決まっていて、「風流」「リズムエチュード・唱歌」「ハーモニー」等という具合。コンポジションのスケッチを垣間見ているような楽しさ。

全ての指揮は、田中信昭先生。会費で委嘱料をまかない、会員が演奏して初演するというこのなかなか困難なプロジェクトを支え続けているのは、合唱創作への信昭先生の熱意にほかならない。ただ、演奏会としての宣伝が行き届いていないのか、夏休みのど真ん中と言え、客席が寂しいのが残念だった。

写真は、四谷区民ホールのロビーから撮ったもの。あまりにも天気が良すぎて、新宿御苑の森が真っ暗になってしまった。

2007年8月12日 (日)

夏、川のほとりで

Photo 8月9日、「林光・東混 八月のまつり」を聴くために、第一生命ホールに行く。

以前の第一生命ホールは日比谷にあり、二十数年前、私の最初のオペラが初演された会場でもあった。歴史を感じさせる建物で、どっしりと落ち着いた雰囲気が懐かしい。今は、隅田川沿いの晴海トリトンスクエアという今風なコンプレックスの中に移っている。

「八月のまつり」は、毎年、林光さんの合唱曲「原爆小景」を東京混声合唱団が演奏する催しで、今年でもう28回目になるそうだ。この時期、まだ仙台にいることも多いが、神奈川の家に戻っている時は聴きに行くようにしている。今年も指揮は、作曲者の林光さん。

原民喜の詩による「原爆小景」は、1958年に第1曲「水ヲ下サイ」が発表されて、大きな反響を起こした後、1971年に「日ノ暮レチカク」「夜」が書き継がれ、2001年「永遠(とわ)のみどリ」で完結した。「今後百年、草も生えないだろう」と言われたという焼跡の広島で書かれた「ヒロシマのデルタに 若葉うづまけ」という言葉が音楽になるのには、40年以上の歳月が必要だった。

やはりこの作品は、私たち日本人にとって「特別な作品」であると、あらためて思う。全4曲が書き継がれるのに要した40年の歳月は、林さんのその間の作曲スタイルの変化をも反映しているが、それにも関わらず、いやそれゆえに、詩と音楽とが向き合ってきた歳月の重みが伝わってくる。また演奏も、回数を重ねて十分に練られているだけに、端正にして透明。一時の感傷や安直なプロパガンダではなく、この厳しいテーマの深みに芸術的に迫る。

かねてから思っていたことだが、誰でも少なくとも一度は、広島と長崎の原爆資料館を訪ねるべきだし、丸木夫妻の絵画を見て、林光「原爆小景」を聴くべきだと思う。「誰々はこのようにすべき」というような口調は好まないが、このことだけは特別だ。

2005年に書かれ、2007年に新たな章が加わって完結した「とこしへの川」は、竹山広の短歌を詞として、ナガサキを扱う。合唱が響かせる音の帯、もしくは音の川のあわいに、ヴァイオリンとピアノが浮かび上がる。山田百子さんと寺嶋陸也さんの分をわきまえた演奏が、曲の流れを的確に引き締める。

プログラムの後半に演奏された「四つのイギリス民謡」は、岩田宏さんが自由訳で訳詞を付けたもので、1962年の編曲とのこと。私は初めて聴いた。とても素敵な編曲だ。こういう曲があまり歌われてこなかったとすれば、もったいないことだ。

最後は、中山晋平生誕120周年を記念しての「中山晋平歌曲集」で、新編曲も含めて6曲。「シャボン玉」は、詩人・野口雨情の、生まれて間もなく逝った愛娘への思いに添うように、儚く美しい編曲。「鞠と殿様」の意表を突くピアノ・パートといい、いつもながら林さんの職人技に感嘆させられる。「カチューシャの唄」と「ゴンドラの唄」は、「日本叙情歌曲集」の中で既に発表されていたものだが、このように中山晋平作品がまとめられるのは嬉しい。実は私は、結構晋平ファンなのである。

2007年7月 9日 (月)

青葉山にシャンソンが流れる、夕暮れ近い五時間目

授業記録記事の更新がすっかり遅れてしまい、申し訳ないです。現在、3週間くらい遅れ中。

現代芸術論第9回(6月19日分)。テキストに、シャルル・トレネとエディット・ピアフが載っているので、まとめてシャンソン特集。

授業の最初、学生くんたちに「シャンソン知ってる?」と尋ねてみた。ある程度予想していたことだが、「枯葉」はかなりの人数が知っていると手を上げた。「愛の讃歌」で3分の2くらいに減った。「パリの屋根の下」「サン・トワ・マミー」は数人、「モン・パパ」「パリ祭」に至っては、20数人のクラスの誰も手が上がらない。

もはや年寄りの戯言にしか聞こえないかもしれないが、私が子どもの頃、これらの歌は当たり前のようにそこいらから、たぶんテレビから聞こえてきて、誰に教えられなくても知っていた。今でも現役の石井好子氏はもとより、越路吹雪、岸洋子、芦野宏、高英男といった日本のシャンソン歌手たちが、わかりやすい日本語で盛んに歌っていたからだろう。NHKの「みんなのうた」でも、取り上げられていたと思う。

さて、この日の音楽メニューに添って、少しずつコメントを付けていこう。

シャルル・トレネ
1. ドゥース・フランス[優しきフランス](シャルル・トレネ詞・曲)
2. ラ・メール(シャルル・トレネ詞・曲)
3. ブン(シャルル・トレネ詞・曲)

トレネは知らなくても「ラ・メール」は知っている。いや、「ラ・メール」というタイトルは知らなくても、大抵どこかで聴いたことがあるだろう。先ほども、テレビで車のCMに使われていた。トレネのレパートリーは明るい。人生の機微は、ここではほんの小匙一杯の苦味でしかない。「ドゥース・フランス」も、ナチ占領下で密かに歌われていたという愛国歌だが、そういうエピソードは、トレネの明るさにはあまり似合わない。だが、こういう歌手がいたこと自体が、シャンソンの草分けという功績以上に、何となくホッとさせられる。

イヴ・モンタン
◎ 枯葉(ジャック・プレヴェール詞、ジョセフ・コスマ曲)

シャンソンの定番だからと言って馬鹿にすべきではない。授業で大きなスピーカーでかけたら、耳タコのはずなのに、あらためて名歌、名唱であることがわかる。

ジョルジュ・ミントン
◎ モン・パパ(ルネ・プジョール、シャルル・ボッチエ詞、カジミール・オベルフェルド曲)
榎本健一
◎ モン・パパ(白井鐵造訳詞)

原語と邦訳との聴き比べ。これはもう、訳詞の見事さに恐れ入るばかり。原詞の意味を正確に押さえながら、メロディーに無理なく乗る日本語、それもとびきり面白い言葉を選んだ白井鐵造の仕事はすごい。「ウチのパパの大きいのは、靴下の破れ穴」など、それこそ昔から知っている訳詞だが、あらためて感服する。

ジョルジュ・ブラッサンス
1. 修道女の伝説(ヴィクトル・ユゴー詩、ジョルジュ・ブラッサンス曲)
2. ゴリラ(ジョルジュ・ブラッサンス詞・曲)
3. ポルノグラフィー思考(ジョルジュ・ブラッサンス詞・曲)

ブラッサンスは、いつからかわからないが、私の大好きな歌手になっていた。誰かが教えてくれたのかも知れない。自由を阻むものを憎み、からかい、どん底の生業をする人たちへ暖かい眼差しを向ける。その結果、しばしば反体制的な姿勢を取ることにもなるが、それは私たちが学生だった時代の空気とも合っていたのだろう。当時は、何枚ものLPレコードが販売されていたけれど、現在国内盤はベスト盤のかたちをとった3枚だけという、残念な状況である。自らギターを持って、サブ・ギターとベースを従えただけの楽器編成。その反骨さ加減も含めて吟遊詩人の伝統を引き継いでいるこの渋い男の歌は、今でも決して古びていない。

エディット・ピアフ
1. パダン・パダン(アンリ・コンテ詞、ノルベール・グランズベール曲)
2. 谷間に三つの鐘が鳴る(ジャン・ヴィヤール詞・曲)
3. 群集(エンリケ・ビセオ、ミシェル・リヴゴーシュ詞、アンヘル・カブラル曲)
4. 愛の讃歌(エディット・ピアフ詞、マルグリット・モノー曲)
5. アコーディオン弾き(ミシェル・エメール詞・曲)

芸術的歌曲と呼ぶべき名唱「谷間に三つの・・・」、映画のワンシーンのような「群集」、そして、トレネでは一匙の苦味でしかなかった人生模様は、ここに来て身を切り裂く痛みとなる。「パダン・パダン」も「愛の讃歌」も「アコーディオン弾き」も、崖っぷちに立ちながらあえかな希望を見出そうともがく姿を、残酷なまでにリアルに映し出す。歌とは、何と恐ろしいものなのだろう。

最後は、シャンソンの精神でたくさんの美しい歌曲を作曲したプーランクの即興曲第15番ハ短調。 「エディット・ピアフに捧げる」という副題が付けられた、小品ながら印象的な1曲。

シャンソンのCDを入手するのは、今では思いのほか楽ではない。それぞれの歌手のアルバムは少ししか見つけられず、ベスト盤のようなものに頼るしかない。その中では、4枚組のシャンソン・ベスト100(EMIミュージック・ジャパン TOCP-67881)は、全曲の解説・対訳が整ったとても良いものだ。

しかし、今の若い人たちにとって、シャンソンはナツメロに近いものとして映るのだろうか。現在の音楽産業での扱いもそれに近いし、シャンソンの代替となるような新しい歌のジャンルも見当たらない。

すぐれた歌の歌詞やメロディーは、人間について、社会についてのさまざまなことを教えてくれる。だが、今の若い人たちが、そのようにして歌から学ぶ機会がないとすれば、彼らは一体どうやって大人になっていくのだろう。

2007年6月27日 (水)

あおもり犬とフォトアルバム公開のお知らせ

「あおもり犬」、面白いからここにもリンクを貼っておこう。

http://www.pref.aomori.lg.jp/plan/koukoku/aomoriken.htm

美術館が三内丸山遺跡の隣であるということを意識して作られた、と何かで読んだ。地面を掘り起こしていたらこんなの出てきちゃったよ!・・・というような構え。高さ8.5メートル。デカイのだ。残念ながら、今回はそのエリアが工事中で、実物を見ることが出来なかった。

「あおもり犬」という名前は、実は仮称で、もっとふさわしい名前をと公募したら、「そのままでいい」という意見が多かったので正式な名前になったのだとか。私も、そのままでいいと思う。

弘前、青森関係の写真、少しですがアルバムにして公開します。左サイドバーのカレンダーの下、「最近の記事」の上にある「弘前・青森(2007.6)」をクリックしてください。サムネイル(縮小画像)が並んでいますから、クリックするとアルバムのように表示されます。時間のある時にでも、ご覧になっていただけたらと思います。

2007年6月26日 (火)

青森へ

23日お昼前に弘前を発つ。八戸までの直通特急と時間が合わなかったので、青森行きに乗る。それならばと、下車したことのない青森で降りてみることにした。

弘前は駅舎が新しい。それに、駅と繁華街が少し離れている。公園の周囲は静かだ。城下町であり、洋館が並び、老舗の和菓子屋さんが多いという、品格のある街である。

青森は対照的。駅舎はいささか歴史を感じさせるし、改札を出た途端に生活者たちのエネルギーが伝わってくる。青森がニューヨークならば、弘前はワシントンD.C.か。青森駅に入線する列車の窓から、ストリップ劇場と思しき小屋や、いかにも場末然としたスナックのシャッター閉じたままという景色が見える。かように、侘しくも猥雑な光景は弘前では見られなかった。だが、こういう光景、私は決して嫌いではない。

人々は活発に行き来する。だが、東京の人々のように、足が地面から浮いた軽々しい慌しさではない。駅前の通りには居酒屋や食堂が並ぶ。小ぎれいではないが、素朴に美味しいのではないかと想像してしまう。道を歩く高校生たちの津軽弁はやわらかく、愛らしくさえ思える。

Photo_43 駅前のファッションビルの地階、「新鮮市場」と書いてあったので下りてみたら、いきなりこういう市場が、広いフロアにぎっしり軒を並べていて、外観とのギャップにびっくりした。私は、普通のデパ地下を想像して階段を下りてきたのだ(パルコやロフトの地階がこうだったらびっくりすると思うぞ)。那覇・牧志の公設市場に飛び込んだみたい。鮮魚、乾物、青果、酒・・・何でもある。ホタテ、ハタハタ、シマホッケ・・・もちろん売られている魚の種類は沖縄とは違う。

2_19 市場の中に何軒か食堂があって、その名も「市場食堂」という、おばさんが二人くらいでやっている食堂に入ってみる。入るといってもカウンターだけで、のれんもないけれど。

注文をしてぼんやりしていたら、隣でざるそばを食べていたおじさんがつっと立って、セルフサービス機からお茶を淹れ、何も言わず私の分も差し出してくれた。慌ててお礼を言う。よく見ると、「お茶はセルフサービスです」と書いてある。ざるそばなどメニューにないのだから、お店の人だったのだろうか。だが、食べ終わると食器をおばさんに渡し、どこかへ行ってしまった。

ホタテ、ウニ、イクラの三色丼。小鉢と香の物、味噌汁がついて1,800円。新鮮なホタテの美味しさ、甘さに驚嘆!都会モンにとって、この味でこの値段は決して高くない。

Photo_44 腹ごしらえをした後は、青森県立美術館に行ってみる。青森駅から車で15~20分、タクシーで1,500円ほど。三内丸山遺跡に隣接する総合公園のだだっ広い敷地の中にある。雪の塊のように真っ白の建物で、内装も真っ白。「かまくら」に入っていくような感じだ。昨年7月にオープンしたばかりとのこと。

青森県立美術館→ http://www.aomori-museum.jp/ja/

圧巻なのはアレコホールという4層吹き抜けの巨大空間。ここに、シャガールがバレエ「アレコ」のために作った4枚の舞台背景幕のうち3枚が常時展示されている。幅15m、高さは9m。

「アレコ」という作品はラフマニノフのオペラがあるけれど、こちらはアメリカン・バレエ・シアターのもので、音楽はチャイコフスキーのイ短調ピアノトリオを編曲したものだという。実に見事な美しい3枚の背景幕に囲まれ、用意された椅子に座ってぼんやりするのは、とても贅沢な時間だ。ここに座るためだけでも、この美術館を訪れる価値はある。

企画展は特にやっていなかったが、常設展が二つ、弘前大学の先生でもあった村上善男の個展と、「都市の空気、故郷の土」と題して、青森に縁のある10人の作家の展示。

「都市の・・・」では、塗装工事中のために奈良美智と寺山修司の展示室が見られなかったのはとても残念だった。ただ、奈良美智はいくつかの小さな作品と「フラフラガーデン」を見ることができたけれど。

10人の中には、棟方志功はもちろん、成田亨も含まれている。ウルトラマンや怪獣のデザインを手がけたこの人の両親は青森の人で、彼は元々彫刻家だったということを、今回初めて知った。

小島一郎という写真家のことも初めて知る。1924年生まれ、64年に39歳の若さで没した。津軽と東京を撮った白黒画面はいずれも暗く幻想的だが、かえってそのために強烈なリアリティを放っている。もっと作品を見てみたいのだが、その機会がほとんどないのが残念。

三内丸山遺跡は美術館から歩いて10分くらいだから帰りに寄ってみたらいいと、タクシーの運転手さんが勧めてくれた。だが、夏でもこんなに暑くないと運転手氏が言うほど暑い日で、朝から歩き回って疲れたし、東京まで移動することを考えるとそろそろ限度かな・・・ということで、三内丸山遺跡はまたの機会に。

Photo_46 そのかわり(?)、こんな子を連れて帰ってきた。奈良美智のデザイン。

追記。この美術館には奈良氏製作の「あおもり犬」という傑作がある。→ http://www.pref.aomori.lg.jp/plan/koukoku/aomoriken.htm

2007年6月18日 (月)

映像のショスタコーヴィチ

現代芸術論第8回(6月12日分

音楽記録映画「ショスタコーヴィチ」を観る。ずいぶん昔に市販されていたVHSテープで、1967年ソ連「中央科学映画」製作、A. ゲンデルシテイン監督。DVD化されている様子はないようだ。

この映像は、いわゆる「冷戦」の時代に作られた。そういった社会的背景を背負っているためだろうが、久しぶりに見直してみると、「偉大な国民的作曲家ショスタコーヴィチ」の仕事に焦点を当てたソ連の国策的映画という感は残る。

第7交響曲を作曲しているショスタコーヴィチの部屋の外では、第二次世界大戦空襲のすさまじい爆撃音がしている。戦争にひるむことなく作曲を続けたと訴えたいのだろうけれど、現実にはあり得ないシーンだ。

「ショスタコーヴィチの証言」という本が1980年に出た時には大きな話題になったし、読んでみると驚くことがいっぱいで、とても面白かったのだが、現在ではこれはほぼ偽書であるということになったらしい。しかし、内容のすべてがデタラメというわけでもないように思う。ショスタコーヴィチの交響曲が身にまとっている悲劇性は、作曲者自身の言葉を待たずとも、戦争のみならずスターリン独裁政権下の恐怖と無縁だとは言えないだろう。

ソ連共産党第一書記フルシチョフによるスターリン批判が発表されたのは1956年。この映画は、それからさらに11年が経ってから作られているわけだが、ショスタコーヴィチとスターリンとの暗闘について、映画ではほとんど何も語られない。あるいはショスタコーヴィチ本人が、口をつぐんでいたからかも知れない。しかし、第8交響曲第3楽章から第4楽章にかけての緊迫した音楽が、ショスタコーヴィチが心臓疾患で運ばれることを象徴する救急車の映像に重ねられるのは、作曲者としては苦々しい思いだったに違いない。そんな映像のために書いた音楽ではないからである。ちなみに、この映画が作られた時は、ショスタコーヴィチはまだ存命中だった。

そんなわけで、記録としてショスタコーヴィチを正しく捉えているかという点ではやや疑問が残るのだが、それにも関わらずこの映像が一見に価すると思うのは、当時のソ連の最高の音楽家たちの演奏風景をも、同時に観ることができるからだ。ムラヴィンスキー、コーガン、リヒテル、ロストロポーヴィチ、ヴィシネフスカヤ、オイストラフ・・・。そして、何よりもショスタコーヴィチ自身の姿がたくさん映っているのが大変貴重である。

近年、「ショスタコーヴィチの反抗 戦争交響曲」というDVDが発売された(ラリー・ワインスティーン監督)。ゲルギエフが音楽監修の立場で、ロッテルダム・フィルを指揮するだけでなくインタビュー出演もしている。こちらは、ショスタコーヴィチとスターリンとの暗闘、ショスタコーヴィチの音楽に戦争が落とした影を描いている。当然ながら画質も音質も良い。歴史的解釈も新しいものかも知れないが、「証言」に寄り添うような内容になっているのが少し気になる。思わず目をそむけてしまう実写映像も含まれている。そして、テーマを限っているために、扱われる音楽も交響曲の第4番から第9番までが中心となっている。ソ連の巨匠たち総動員で、協奏曲や室内楽や映画音楽も聴こえてくる67年版VHSの方が、音楽的には多様だ。さらにDVDの方は、ショスタコーヴィチ自身の映像がとても少ない。

67年版VHSと90年代DVDのどちらも、隔靴掻痒の感は残る。一人の作曲家の人生がたかだか2時間の映像におさめられてたまるかということはともかくとしても、ショスタコーヴィチという作曲家が生きた時代の特殊性が、彼に独特の複雑さを背負わせているためでもあるだろう。

2007年6月14日 (木)

観世榮夫さんを悼む

6月8日の夕刊で観世榮夫さんの訃報を知って驚いた。先月、大きな交通事故で重傷を負われたと報じられていたので、心配していたのだが・・・。

1999年、オペラシアターこんにゃく座のために私が作曲していたオペラの演出を、「観世さんにお願いしたら」と提案してくださったのは林光さんだった。演目は、いずれも宮澤賢治原作「フランドン農学校の豚」「虔十公園林」の2本立て。観世さんがこんにゃく座の演出を手がけるのは1977年以来とのことだった。座としては、親しい位置にいながら、一緒に仕事をすることのなかった演出、作曲で、刺激を期待したという面もあっただろう。

音楽稽古の時には、よく手で膝を打ちながら聴いておられた。張り扇で拍子を取りながら謡を稽古する時のようで、おそらくそうやって音楽を覚えようとしてくださっていたのだろう。ただ、張り扇の拍子はしばしば音楽のテンポとずれていたから、ちょっと厄介だったけれど。

およそ細かい指示を出さない演出だった。こんにゃく座が、自分たちだけで芝居を作っていける力を持っているカンパニーだからということもあっただろう。「こうなるのは良くないね」という限界を示されるだけで、「このようにさえならなければ、あとはどのようなのも有り」で許容範囲が大変広く、お釈迦様ならぬ観世さんの、半端ではなく広大な掌の上で遊ばせてもらっていたようだった。しかし、もう少し細かくアドバイスしてほしいと思ったメンバーもいたに違いない。

そんなわけで、立ち稽古でも歩き回り怒鳴りまくるようなことはなく、演出席に座って黙ってじっと観ておられた。ただ、あの風貌である。ぎょろりとした目の怖い顔が座っていると、それだけで場は引き締まる。決して怖い人ではなかったが。

稽古が終わって、最寄の駅に向かってみんなでぞろぞろ歩いていく。どこにも寄らずに帰るのか?と直接言われたわけではないが、「ちょっと寄っていきませんか」と誰かが声をかけないではいられない空気が漂った。「そうだねぇ」と飲み屋の戸をくぐるのは嬉しそうだった。

酒席におさまって、「あの場面、どう考えたらいいですかねぇ」と誰かが問う。「そうなんだよな、あそこ難しいんだよな・・・」とおっしゃる。・・・それを考えてくれるのが演出家なのでは?と思わないわけではないが、つまり徹頭徹尾、強権的な演出家ではなく、みんなで作り上げていくチームの、自分もその仲間のひとりというスタンスだったのではないかと思う。だからこそ、一度は能楽の世界を飛び出して、小劇場や映画で目覚しい活躍ができたのだろう。

とてもリアリティのある音楽だと褒めてくださった。そして、顔は怖いままだったけれど、この仕事が楽しそうだった。稽古を観ながら寝てしまわれたこともある。役者が演技をしながらわざとらしく近寄って、大きな声を出したりしたが起きない。くすくす笑ったり呆れたりするメンバーの中には、そんな様子が父のように愛しいと言って慕うスタッフもいた。

私は、観世さんの本職である能の舞台を、ほとんど観る機会がなかったが、「子午線の祀り」をはじめとする舞台や新藤兼人監督作品の映画などは学生の頃からいろいろ観てきたから、私が作曲したオペラを演出してくださったのは、とても嬉しいことだった。

享年79歳。残念でならない。心からご冥福をお祈りする。

2007年6月11日 (月)

レクオーナとキューバの音楽

現代芸術論第7回(6月5日分

エルネスト・レクオーナ(1895~1963)は、クラシックを学んだのち、作曲家、ピアニスト、バンドマスターとして活躍した。クラシックとキューバ音楽とを繋ぐ仕事をしたということから、「キューバのガーシュイン」と書かれているのを読んだことがある。クラシックと民衆音楽を繋いだという点では、6月4日に訃報が伝えられた羽田健太郎さんのことを思い出す

自作自演のディスクを聴く限り、レクオーナが作曲した作品は、隙間なく音を埋めるような技巧的なものが多い。分厚いテクスチュアやオクターブ重複がメロディーを飾る。即興風に聴こえるけれど、おそらくすべての音は書き込まれているのだろう。アルベニスのピアニズムを思い出させる音のアラベスク。

スペイン組曲「アンダルーサ」は、タイトルどおりスペイン音楽の風味が濃厚で、キューバの作曲家の作品という感じは、あまりしない。その中の「アンダルーサ」という曲は、アメリカで英語の歌詞がつけられて、「そよ風と私」というタイトルのスタンダード・ナンバーになった。「マラゲーニャ」も、よく耳にする曲である。他には、この組曲ではないが、「シボネイ」もラテンのナンバーとして知られている。

「アフロ-キューバン舞曲集」は、スペイン組曲と違う素材を扱っているとはいえ、基本的な音楽のつくりは似ている。西洋音楽の技術、方法を身につけた作曲家が、西洋音楽の視点を通してまとめたアフロ-キューバン音楽である。

中村とうよう氏選曲・解説による「キューバ音楽の真実」というCDが面白い(ライスレコードより発売)。

中村氏は、キューバ音楽は「聞けば聞くほど奥深さを感じる」と、ライナーノートに書いておられるが、解説を読みながら聴いていると、いつの間にかはまりそうになっていることに気づく。スペイン風な和音進行、アフリカ風の複雑なリズムやコール&レスポンス、ジャズの楽器編成やアラビアから来た楽器までが加わる豪華な世界音楽。キューバ音楽は、レコード店のジャンル分けでは「ワールド・ミュージック」だろうが、キューバ音楽自体がすでに「ワールドミュージック」に近いクレオールなのである。

「ボレーロ」「ルンバ」「クリオージャ」「グァグァンコー」「ダンソーン」「ソン」「プレゴーン」「モントゥーノ」「グァラーチャ」など、さまざまに音楽を類別する用語を、私はまだきちんと説明できないが、どうやら「ソン」がキューバ音楽の「肝」のようなものであるらしいことはわかってきた。

昭和のムード歌謡には、ラテン音楽からの影響を受けているものが少なくない。キューバ音楽を聴いていると、「コモエスタ赤坂」「夜の銀狐」などを思い出すことがある。若い方々は、この手の曲をご存知ないだろうと思うけれど、コード進行がかなり似ているのだ。スペインからラテンを経て、影響を受けたのだろうと思われる。ただ、キューバの歌は、後半にメジャーに転調したりする場合もあって、昭和ムード歌謡とはずいぶん湿度が違う。キューバの方が音楽的には高温低湿、日本は低温高湿である。

そもそも、キューバ音楽を聴くことになったきっかけは、映画「ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ」だった。2000年の封切のとき、評判を聞いて渋谷のどこだったかこじんまりした映画館で観て以来、何度か観ている。

6月5日には、Miyakyo Fine Arts Club (M-Fac)なる集まりの立ち上げに参加したので、その第1回として、この映画を話題にした。封切の印象と大きくは変わらないが、イブラヒム・フェレールやコンパイ・セグンド、ルーベン・ゴンザレスら、出演している魅力的な音楽家たちがすでに世を去ってしまったことに、時の流れを感じる。そして、カーネギーホール公演のためにニューヨークを訪れたキューバの音楽家たちが、エンパイア・ステートビルの展望台から景色を見ているシーンでは、貿易センターのツインタワーがはっきりと映っていることにドキッとされられた。

そんなわけで、この日は午後4時半くらいから8時前まで、キューバ音楽を聴き続けていたことになるけれども、もう当分はご馳走様・・・という気分にならないのは、やはりキューバ音楽が実に多種多様だからだろう。

2007年6月 9日 (土)

デューク・エリントン

現代芸術論第6回(5月29日分

DVD「エリントン・ミュージック」Vol.1を観る。1920年代のニューヨークに始まって、コットン・クラブでの演奏風景、ハリウッド映画出演での演奏と続き、3人のスタープレイヤーたち(ジミー・ハミルトン、ジョニー・ホッジス、ベン・ウェブスター)のピックアップ、作曲家やバンドリーダー、ピアニストとしてのエリントンに焦点を当てるパートなど、演奏映像と関係者へのインタビューを中心に構成されている。丁寧に作られたDVDで、エリントン入門としても適しているだろう。

授業では、当初「ジャズ創生」の歴史を辿ろうかと思ったのだが、やめた。結局「ジャズ」は、エリントンとマイルス・ディヴィスを中心に聴けば良いと、最近は考えるようになったからだ。エリントンやマイルスを聴けば、その周囲にいたミュージシャンたちも同時に聴くことになる。もちろん、他にもたくさんの魅力的なジャズメンたちがいるけれど、それらの演奏や、まして創生の歴史なんぞは、「ジャズ」が面白くなった後からでも遅くはない。

A Duke Named Ellington というのがDVDのオリジナル・タイトル。彼の本名は、エドワード・ケネディ・”デューク”・エリントンといい、父はホワイトハウスの執事だったというから、良家の出と想像できる。「デューク」つまり公爵というのは、言わば呼び名。しかし、彼の仕事の重要性を考えると、決して大げさなものではない。

DVDを観て気づくのは、初期の、つまりコットンクラブやハリウッド時代のプレイヤーたちはともかく、ビックバンド・スタイルを確立した後の、さまざまなスター・プレイヤーたちの表情は、みな「楽隊屋」のそれではなく、実に毅然と、「芸術家然」としているということだ。エリントン自身がそうであることはいうまでもない。

彼は、バンド・マスターとして単に興行の取りまとめをしただけではなく、非常に厳しい音楽監督だった。また、自身は苦労しながらも、メンバーにはプライドに見合う額の給金を配ったという。さらには、「世の中の音楽には二つしかない。いい音楽とそうでない音楽だ。」という有名な発言は、彼にとって「ジャズ」というジャンルの枠がまったく無用なものだったことを示唆している。こうしたことが、彼のプレイヤーたちをして「芸術家然とした」表情をさせるに至ったのだろう。

余談だが、2004年にワシントンD.C.へ行った時のことを思い出した。

時間の空いた午後、私は、スミソニアン協会運営の博物館地区を、ナショナル・ギャラリー(国立絵画館)目指して一人で歩いていた。ふと道端を見ると、ポスターがある。ディジー・ガレスピーのトランペットの写真だった。途中でグニャリと曲がったトランペットだから、すぐわかる。国立アメリカ歴史博物館に展示してあるよ・・・というこのポスターに惹かれて、行ってみることにした。

国立アメリカ歴史博物館は、17世紀の新大陸入植以来のアメリカの歴史と文化を展示した巨大な博物館だ。子どもでも楽しめるように展示は工夫され、文化やスポーツ、エンターテインメントにも焦点が当てられている。

中があまりにも広いので、「文化」のフロアだけを見ることにしたが、展示品の「一点豪華主義」はなかなか愉快で、「映画『オズの魔法使い』でジュディー・ガーランド扮するドロシーが履いたルビーの靴」だの、「ベーブルースのサイン入りボール」、「モハメド・アリのグローブ」や「マイケル・ジョーダンのユニホーム」だのの「お宝」が、それぞれガラスケースの中におさまっている。たしかに、ディジー・ガレスピーの曲がったトランペットもあった。

それ以上に私の目を惹いたのは、「お宝展示」よりもう少し広いスペースを取って設けられていたエリントンとエラ・フィッツジェラルドのコーナーだった。

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エリントンのコーナーでは「ムード・インディゴ」の自筆楽譜が展示されていて嬉しくなった。複雑な譜面ではないが、きれいに見易く書かれた楽譜は、紛れもなくプロフェッショナルの手仕事だとわかる。Photo_35

エラ・フィッツジェラルドのコーナーでは、展示されていたビデオを見て、エラの歌声を聴いて、とても幸せなゆったりした時間を過ごすことができた。Photo_36

(写真はクリックすると大きく表示できます。ちなみに、多くの博物館では写真撮影は自由。また、スミソニアンの博物館、美術館は入場無料です。)

2007年6月 4日 (月)

カザルスとセゴビア

現代芸術論第5回(5月22日分まず、この日の視聴曲目を示そう。

バッハ:無伴奏チェロ組曲第1番 ト長調 BWV1007 [パブロ・カザルス(チェロ)]

バッハ:無伴奏チェロ組曲第1番 ト長調 BWV1007より 1. プレリュード

バッハ:無伴奏チェロ組曲第3番 ハ長調 BWV1009より 3. クーラント[アンドレス・セゴビア(ギター) ]

ポンセ:ソナタ第3番(1927)[セゴビアに献呈]より カンシオン ポストリュード

タレガ:アルハンブラの思い出(1896)

ロドリーゴ:ある貴紳のための幻想曲[セゴビアに献呈](1954)より カナリオ[アンドレス・セゴビア(ギター) ]

シューマン:アダージョとアレグロ 変イ長調 作品70(1849)

カタロニア民謡(カザルス編曲):鳥の歌[パブロ・カザルス(チェロ) ミエチスラフ・ホルショフスキー(ピアノ) 1961年11月13日 ホワイトハウス・コンサート]

カザルスとセゴビアには、いくつかの共通点がある。二人ともスペインの人であること。カザルスは1876年生まれ、セゴビアは1893年生まれと、カザルスが17くらい年上だが、ともに世紀をまたぎ20世紀後半まで活躍したのだから、同時代人と言って差し支えない。

そして、最大の共通点はそれぞれの楽器の「巨匠」であることだが、単なる「大演奏家」というだけではないところも共通している。

ためしに、チェリストに「あなたにとってカザルスは、『偉大なお父さん』のような存在だと思いませんか」と尋ねてみよう。否定するチェリストがいるだろうか?

同じように、ギタリストに「あなたにとって、セゴビアは『偉大なお父さん』のような存在だと思いませんか」と尋ねてみたい。好きか嫌いか個人的な好みはあるかも知れないが、カザルスがチェロに、セゴビアがギターに果たした功績の大きさに対して異論を唱える人はいないだろう。ロストロポーヴィッチが凄いとか、イエペスが好きとかいうのは、その後の話になるだろう。

これが、ピアノだったらどうか。「あなたにとって『偉大な父』は誰ですか」と尋ねたなら、実に様々な答えが返ってくるに違いない。ホロヴィッツ、ルービンシュタイン、リヒテル、ゼルキン・・・いやいや、グレン・グールドさと言う人もいるかも知れない(「父」という感じではないけれど)。

ヴァイオリンしかり。シゲティだ、いやティボーだクライスラーだ、いやいやハイフェッツだ、メニューイン、オイストラフ、ミルシテイン、スターン・・・。ちょっと思い起こすだけでも際限がない。

この空想は、カザルスとセゴビアの、それぞれの楽器における存在の大きさを表している。

カザルスは、それまでの奇妙な慣習を破棄して(彼以前には、練習中、右腕の腋の下に本を一冊はさんだまま弾かなければならなかったという)現代の奏法を確立したし、最もよく知られているのはバッハ無伴奏組曲を「発見」したことだ。カザルス以前には、いくつかの曲だけを弾くことはあっても、誰もこの組曲を通して弾こうとしなかったとは、現代ではむしろ想像できにくい。

セゴビアもまた、指の使い方などの工夫で美しい音色を響かせ、作曲家たちに新しいレパートリーを生もうとする霊感を与えた。それは、タレガによって確立された近代的奏法をさらに展開させるものになった。ポンセのソナタ、カステルヌオーヴォ=テデスコの「プラテーロと私」(ヒメーネスの美しい物語詩への付曲)などなど。それにセゴビア自身の編曲によるバッハの諸作品。

中でもロドリーゴ「ある貴紳のための幻想曲」は、最も優れた成果のひとつだろう。G.サンスという17世紀のギタリストがまとめたリュート曲を材料に、新古典的に構成したもので、レスピーギ「リュートのための古風なアリアと舞曲」やストラヴィンスキー「プルチネルラ」などと共通する手法である。古風な曲想が、爽やかな風に舞い上げられて空を翔る。「ある貴紳」とは、サンスとセゴビアの二人に向けられた讃であるという。

チェロもギターも古い伝統を持つ楽器だが、これらの存在価値を大きく発展させた「偉大な父」を持てたことは、何と幸せだろう。そして、「父」たちが持つ音楽に対する熱い心が、ディスクを通してさえ強く伝わってくる。これも大きな共通点だ。

今さら言うまでもないが、1961年のホワイトハウス・コンサートにおけるシューマンと「鳥の歌」は、世紀の大名演。そして、有名かと思うが、「パブロ・カザルス 喜びと悲しみ」は大変面白く、また素敵な本だ(アルバート・E・カーン編 吉田秀和・郷司敬吾訳 朝日新聞社 朝日選書439)。

2007年5月30日 (水)

大地が唸り声をあげるような・・・

すごいものを聴いた。堀米ゆず子ヴァイオリンリサイタル(仙台市イズミティ21小ホール)。

どのステージも堪能したが、あまりのことに、ふさわしい言葉がすぐに見つからないのが、エネスコの第3ソナタ。

初めて聴いた曲ではない。とても譜読みが大変そうな、複雑きわまる楽譜も持っているはず。ロマン派に根を張る第2ソナタと大いに違い、民族主義から養分を得てまったく独自の境地を切り拓いた作品・・・と、その程度の認識はあったのだが、そんな生易しいものではなかった。

装飾音に彩られた旋律は骨太であると同時にガラスのように繊細。装飾音は装飾であると同時に旋律の主体。ヴァイオリンとピアノとでうねり合い、螺旋状に高揚していく旋律。この果てしない旋律の作用で、どこへ連れて行かれるのかわからないまま、果てしないまま、この浮遊感が永遠に続いてくれることをさえ望むようになっていく。

肉声のくぐもりを帯びた旋律にはさまざまなモードが現れては消え、また別のモードが新しい音色を織り成すために生まれてくる。寒さ、暖かさ、懐かしさ、冷たさ、生と死・・・人間を包み込む様々なテクステュアが瞬時に入れ替わっていくような眩暈に似た音楽。

3楽章、大地が唸り声をあげて胎動するようなダイナミズム。こんなに力強く、こんなに原初的な音楽作品だったのか、このソナタは!

この曲は今夕が初挑戦であるという堀米氏のプログラムノートを、後で読んでまたびっくりした。それほど、曲の実体を掴みきった演奏だと感じたからだ。

エネスコは2曲目。1曲目はシューベルトのグランド・デュオ(イ長調、D574)。演奏は、散歩をしているうちに様々な景色が現れるような楽しさ。そしてナチュラルにしてノーブル。実にいい音楽だった。休憩をはさんで3曲目はドビュッシーのソナタ。背筋はまっすぐ、しかし絶望的なまでの孤独を見つめるドビュッシーの姿が見えたような気がした。かつてこの曲でそんなことを思ったことはない。なぜそう思ったのかわからないが。

堀米氏の生演奏に接する機会が、どういうわけか今までになかった。とても迂闊なことだったように思う。決して荒くならず細くならず、暖かくかつ厳しい。自然体でありながら、隅々までしなやかな音楽性に溢れている。こういう音楽が、今私たちには必要なのだ。

特筆すべきなのは、若いピアニスト佐藤卓史氏の大変な名サポートぶり。シューベルトの最初の1音から惹きつけられたが、特に、ヴァイオリンパートに負けず劣らず難しいエネスコのピアノパートを、少しの迷いもなく弾ききった腕は見事。

3曲のソナタのあとは、ラヴェル「ハバネラ形式の小品」、チャイコフスキー「感傷的なワルツ」、サラサーテ「ツィゴイネルワイゼン」を続けて演奏。アンコールはファリャ「スペイン舞曲(『はかなき人生』より)」とパラディス「シチリアーノ」。

このコンサートは、卒業生のtomoちゃんが誘ってくれました。tomoちゃん、ありがとう!

2007年5月27日 (日)

音の迷宮

廻由美子ピアノ・リサイタルを聴く。東京文化会館小ホール。

「音の迷宮 ~Labyrinth~」と副題の付けられたプログラムは以下のとおり。

*ジョージ・クラム「マクロコスモス第2集」より第1、第3曲

*バルトーク「ミクロコスモス第6集」よりNo.140~153

*J.S.バッハ「トッカータ ハ短調 BWV911」

*ヒナステラ「アルゼンチン舞曲集 Op.2」

*ジョージ・クラム「マクロコスモス第2集」より第11、第12曲

つまりバッハが中心にあって、クラムで始まりクラムで終わるシンメトリーだ。バルトークの後で休憩が入るが、休憩なしだったら、もっと意図ははっきりしただろう。演奏する廻さんと聴衆である私たちの集中力が持てばの話だが。

廻(めぐり)さんは、1987年に私の曲を弾いてくださって以来の友人。音楽以外のジャンル、文学や映画や美術などにも興味津々の人だから、こういうユニークなプログラムにもなる。

廻さんの音楽の面白さは、どんな曲でもアグレッシヴであることと、人柄と同様スウィングすることにあると思っている。人柄がスウィングってどうなんだ・・・と言われそうだが、そうなのだよ。レパートリーも、古典派前期か近現代、それにジャズ・テイストのものが多くて、ロマンティックに、いや乙女チックに歌い上げるようなものはまったく似合わない。ロマンティックな美しいメロディーだとしたら、彼女はきっとジャズのスタンダード・ナンバーのようにクールに弾くだろう。クールというのは冷たいのではなくて、カッコイイという意味。

アグレッシヴでありスウィンギーであることで、もっとも圧巻だったのはバッハだ。バッハのことを「海に出て行くことを恐がらなくてもよい、と言われているようだ」と、廻さん自身プログラムノートに書いているが、どんなふうに弾いても弾き方に合わせて面白く変貌してくれるのがバッハたる所以。ヒナステラは、彼女にはぴったりすぎるくらいのレパートリー。バルトークが意外に厄介で、いろいろ出来そうでいながら、実は結構気難しかったりする。

ジョージ・クラムは、廻さんがかなり好んでいるレパートリーなのではないかな。「黄道十二宮による12のファンタジー」なる副題があり、それぞれ「モーニング・ミュージック/創世記(蟹座)」(1)、「死の雨のバリエーション(魚座)」(3)、「銀河の鐘の連祷(獅子座)」(11)、「アニュス・デイ(山羊座)」(12)というタイトルが付けられていることもあって、何やら弾き始めと弾き納めを司る儀式のように聴こえる。

彼女のピアノは、いわゆるピアノみたいではなく、何か他の楽器かと思わせるように響くのが面白い。もちろんそれは、クラムで内部奏法を使っているからとかいうことではなくて、ピアノという楽器に対する廻さんの日常的なスタンスから来ているものだろう。

アンコールは、ビル・エヴァンス「ワルツ・フォー・デビー」。あぁ・・・そう来たか!このプログラムの後には、またとない絶妙なデザート。

1_9  文化会館中庭の眺め。受動喫煙を嫌う人は、この景色を楽しむことはできない。

2007年5月24日 (木)

日本フィル仙台演奏会2007(1)

同僚のテル先生が、授業で1年生ちゃんたちを連れて日本フィルの演奏会を聴きに行くというので、団員のカサくんにチケットを取ってもらい、私もお付き合いする。

日本フィルは、毎年この時期、東北を演奏旅行することが恒例になっている。新緑の美しい季節だから、団員さんたちにとってもきっと気持ちの良いツアーだろう。カサくんは大学の同級生で、お互いの都合がつけば、終演後に一緒に一杯やろうということになる。私が以前に勤めていた大学のある県に演奏旅行に来た時も、そんなふうにして一緒に呑んだ。在学中よりも卒業してからいろいろ話すようになった友人だ。

さて演奏会だが、開演のベルが鳴って、楽員が舞台に揃ったのを見ていたら、ひどく妙な気がした。なぜかと思えば、通常とは違う配置になっているからだった。指揮者(本名徹次氏)の指定とのこと。

弦は下手側から第1ヴァイオリン、チェロ、ヴィオラ、第2ヴァイオリンの順に並び、コントラバスは第1ヴァイオリンの後ろ。金管は、ホルンが左端、トランペット、トロンボーンと並んで、テューバが右端、その後ろにバスドラムがいる。ヴァイオリンが左右に開いて分かれるのは、それほど不思議ではないが、上手側の後ろの方が何だかガランとしていて、鏡越しに見ているようで、ちょっと気持ち悪い。コンサートは、シベリウス「フィンランディア」に始まったが、初めのうちは音の響き方も聴き慣れなかった。重低音の持続が左側から聴こえてくるのは何だか妙だ。それに、この並びだと、どうしてもテューバが孤立する。ピリオド楽器演奏の並びにヒントがあるかとも思うが、曲を選ぶ気がする。

グリーク「ピアノ協奏曲」は菊池洋子氏の独奏。ロマン派ピアノ協奏曲の中でこの曲は、何度聴いても、私にはどうも「来ない」のである。グリークは基本的に好感を持っている作曲家だし、主題の美しさもわかる。チャイコフスキーやラフマニノフはそんなことはないのに、なぜだろうか・・・。ロマンティックの安売りみたいな演奏になりがちだからだろうか。大げさな身振りや嘆き節や泣き落としみたいになるのをやめてみたらどうだろう。だが、今回もそう思ったのは、おそらく独奏者のせいではない。このピアニストは別の機会にソロを聴いてみたいと思う。

後半は、リムスキー=コルサコフの交響組曲「シェエラザード」。生演奏で聴いたのはいつ以来だったのか記憶がないが、あらためてこれは生で聴くべき曲だと思う。生で聴いてこそ音色混合の面白さが伝わってくる。

曲の標題も内容もロマンティックでわかりやすく、クラシック入門として最適な曲のひとつだろう。同時に、作曲家的な目で見ると、オーケストレーション(管弦楽配置)のお手本のような作品でもある。しかし不幸なことに、オーケストレーションに興味を持って勉強しようと専門に首を突っ込んだ時には、もっと別のタイプの曲に興味が向くようになり、熟達した管弦楽法の技を持つこの作曲家のことなどどうでもよくなってしまう。「いい曲」と「オーケストレーションのいい曲」というのが必ず一致するとは限らないということを、この作曲家の作品は、心ならずも示してしまう。

だがやはり、「シェエラザード」が名曲であることに間違いはない。どのパートの誰もがおいしい曲。「弾いていても疲れないよ」と、カサくんは言った。

アンコールは、J.シュトラウス「エジプト行進曲」。あんまりテンポが重かったので違う曲かと思ってしまった。

終演後はカサくんが着替えて出てくるのを待って、小料理屋で魚をつまみながら、くだを巻く。くだの中身は非公開。彼は年齢でも在籍期間でも、このオーケストラではもうベテランといわれる立場だが、いつ会って話しても、オケマンとしてもっと良くありたいと上を向いている。その姿勢は素敵だ。

2007年5月22日 (火)

シェーンベルクとガーシュイン

現代芸術論第4回(5月15日分

シェーンベルクと・・・と言ったらウェーベルンかベルクか、つまり「新ウィーン楽派」と続くのが普通だが、ガーシュインと続けてみるのが、この授業のひねくれているところ。

シェーンベルク「ピエロ・リュネール(月に憑かれたピエロ)」は、20世紀最大の問題作であり傑作のひとつだが、しばらくぶりに引っ張り出してみて、あらためてその感を強くした。だが、今の若い人たちはこの曲をどう聴くのだろう。

感想を聞いてみると、意外に想像を裏切るものではなくて、あの歌い方、シュプレッヒシュティンメが醸し出す雰囲気に対する不安、不気味さといったものが真っ先に出てくる。それは、私などが学生の頃に初めて聴いてびっくりしたこととほぼ同じで、つまりシェーンベルクが1912年に取ったこの表現主義的な書法が、今なお有効に鮮度を保ち続けているということの証なのだろう。

では、十二音技法はどうか。これまた久しぶりに聴き直す「ピアノ組曲 作品25」も、やはり色褪せたとは思えない。和声的進行に依存する代わり、対位法的書法で変幻自在に操られたリズムは、古典組曲を模した確信犯的構成とあいまって、この曲を活気づかせている。この後、凡百の追従作品が現われては消えていった1世紀だったが、「元祖」は強いぞ。

今こそシェーンベルクを、20世紀後半の頭の痛くなるような「現代音楽」の始祖としてではなく、文芸キャバレーの出し物のように、もっと気楽に愉快に楽しむことはできないだろうか。カフカの作品が、仲間内では爆笑しながら読まれていたように。作品24「セレナード」の冒頭楽章など、相当にぶっ飛んでいて面白いと思うのだが。

シェーンベルクが、初めて完全な十二音技法で「ピアノ組曲 作品25」を書くべく苦闘していたのは1923~25年。ちょうど同じ頃、1924年、アメリカではガーシュインが「ラプソディ・イン・ブルー」のオリジナル(ポール・ホワイトマン・オーケストラ)版を作曲していた。ピアノの「3つの前奏曲」が1926年。

ほとんど同時期に、これほど違うことがウィーンとニューヨークで起こっていたというのが面白い。当時は、まだお互いのことを知る由もない。だがこの二人の仕事は、クラシック音楽の語法、領域を大きく広げることになった。シェーンベルクは音を組織化するための新しい方法によって。同時に、対位法を磨くことで生みだされる斬新なリズムによって。ガーシュインは、こちらもリズム、だがシェーンベルクとは出自のまったく違うリズムが音楽を推進させる、その音楽的スタイルによって。同時代の音楽語法の変革者は、彼らのほかには、古代旋法を持ち込んだドビュッシーと、民衆音楽を解体、再構成したストラヴィンスキー、バルトークの名前を挙げておけば良いだろう。

本来ならば出会うはずのなかった二人の作曲家が、実際に出会うという奇跡が起こる。いや、奇跡というよりアクシデントと言うべきかも知れない。少なくともシェーンベルクにとって、二人が出会うことになった経緯は不本意なことだったのだから。

ナチスに追われた亡命ユダヤ人シェーンベルクは、カリフォルニアでガーシュインと出会う。対するロシア系ユダヤ人の移民の息子は、その頃ハリウッドの仕事をしていたのだった。

二人がテニス友だちだったことは、割合よく知られている。テニスの腕前はガーシュインの方が上手だったようだが、24歳若い分だけ当然かも知れない。だが、彼らの交友はテニスだけにとどまるものではなかった。シェーンベルクはガーシュインの音楽を認め、ガーシュインはシェーンベルクの音楽を一生懸命勉強していたという。

交友は長くは続かなかった。ガーシュインの早世によって断ち切られてしまったからだ。短い生涯の中では到底活かしきることのできなかった優れた才能について、シェーンベルクは哀惜に満ちた小論を発表している。

「多くの音楽家はジョージ・ガーシュインを芸術作曲家と見なさなかった。しかしわれわれは、彼が、芸術か否かにかかわらず作曲家つまり音楽の人間であり、芸術か否かにかかわらずあるいは深遠か浅薄かにかかわらず、音楽を通してすべてを表現したということ、そしてそれは音楽が彼の母国語だったからだということを理解しなくてはならない。(中略)・・・私は、彼が芸術家であり作曲家であることを知っている。彼は音楽の観念を表現した。そしてその観念は、表現した方法と同様、斬新であった。」(「もうひとつのラプソディ~ガーシュインの光と影」ジョーン・ペイザー著、小藤隆志訳、青土社)

シェーンベルクとガーシュインを並べて語るのは奇異に思われるかも知れない。だが、それによって、ある時代の諸相が見えてくるのもまた確かなことだと思う。

2007年5月18日 (金)

音を旅して海の幸に群がる

不勉強ながら、その曲を聴いたのは初めてだった。そもそもこの作曲家がピアノ曲をどのくらい作曲しているのか、私はよくわかっていないのだ。100曲くらいある?いや、まさか・・・。

「アンダンテと変奏曲」と名付けられたその作品、「いい曲よね~」と言う姐さんにもちろん同意。だけど、いったい構成はどうなってるのだろう?

「へ短調の後に出てくるヘ長調のところは何なの?」「あれも主題なのよ。」何だそりゃ。だからへ短調とヘ長調が、入れ子細工のように交互に現われるのか・・・。

「テーマが49小節あるの、しかも繰り返しがあるからもっと長い。」うへ・・・そんな変奏主題ありかよ。演奏時間は15分くらいなのに、変奏は2つくらいしかないのだ。はじめは別のタイトルが付けられていたという。そもそも変奏曲として作曲する意図はなかったようだ。

姐さんは、その長大な主題のヘ短調を雪が静かに降り積もっていくように、ヘ長調を春の淡い日差しのように弾く。それらが代わる代わる聴こえてくるうちに、思いがけずドラマティックな展開に遭遇する。ファンタジーに溢れた曲であり、物語を引き立てる演奏だった。

その夜、仙台市内の日本料理屋さんのカウンターに並んだのは、今日の主役である姐さんを中心に、コンサートのスタッフとして東京から来られた秘書のI嬢、事務所のOさん、調律師のFさんと私。姐さんは私のことを「先輩」と紹介する。そうには違いないが、ちょっと変な感じだな。「メル友です」と私は応える。それもかなり妙だが。そして、この街の親しい人たちが呼ぶように、私も「姐さん」と呼んでおこう。

三陸の新鮮な海の幸、ホッキ貝、ツブ貝をはじめカツオやタコ等々の刺身盛が運ばれてくる。思わず歓声が上がる。

作品27の「変奏曲」は、かつてこの作曲家の音列分析をやってみた最初の作品だった。すべての音に数字がふられ、音列からはみ出す音が1つもない完全な十二音技法で書かれていることがわかった瞬間、で?それがどうしたの?という無力感に囚われたことを覚えている。音列分析をしてわかったのは、ウェーベルンがやたらと律儀な男だということだけだ。

鋭い切れ味というのとは少し違う。だが、今日の演奏からは、すべての音が有機的に繋がっていることがよく伝わった。革命的に音楽を変えた作曲家であり、影響を受けた多くの作曲家がその後を追ったが、「元祖」の音楽は、そのスタイルも構成も、今なおまったく新鮮さを失っていない。

ホヤをさばくところ見てみたいな・・・と、独り言のようにI嬢が言ったのをマスターは聞き漏らさず、カウンターの向こうで解説してくれる。

「水を吸うところと吐くところがあって、ここね、ここをこんなふうに切るとすぐ捌けるんですよ」

私たちは、みな立ち上がって覗きこむ。殻の中から鮮やかなオレンジ色があらわれる。今が旬のホヤの新鮮な美味しさに、目を丸くする。

突出して有名な、全曲の中心部分に置かれる「夢」の曲。だが、その曲はたまたま突出しただけ。前の曲にも後ろの曲にも影響を及ぼして、全曲で一つの、大人の夢うつつを紡ぎだす。子供の素朴なお伽話ではない。むしろ、大人が心に思う、失われた日々への愛惜。

「ガゼウニいかがですか。昨日初セリだったんです」女将さんが言う。

いかがも何もない。一人一個ずつ、殻についたままをスプーンですくう。初めは何もつけずに、次にわさびを少しだけつけて。絶品。「日本酒を一口飲んでみてください」とマスター。日本酒がウニの甘さを膨らます。飲む?と、ビールを手にしている姐さんにつごうとしたら、「もう全部食べちゃった」と言う。早いなぁ。

「ねぇ、専門でない学生さんたちに作曲させちゃうってすごいね。」と姐さんは言う。このブログ、2月15日あたりの記事を読んでくれているのである。自分の書いた曲を人の前で披露する恥ずかしさ(自分の作文を人に読んで聞かせる恥ずかしさと似ている)さえ乗り越えれば、ある程度の基礎的な音楽知識、技術があれば作曲は誰でもできる、と私は最近思っている。

「作ってみれば?」「とんでもな~い!そう・・・大学で習った対位法、嫌いだったなぁ」「あんなにバッハ弾いているのに?」「バッハは好きだけど、対位法は嫌いなのよ。」もちろん、厳格対位法は別物だからね。

さて後半の大曲。聴くのは実に久しぶり。世の中では、演奏回数が多いのはオーケストラ編曲版だろう。けれど、ピアノのオリジナル版の方が絶対面白い。そして、姐さんの演奏の特徴を多面的に出すことができるレパートリーだ。

友人の画家の遺作展からインスパイアされたというのは本当だろうか。そうだったとしても、音楽に描かれた散歩は、伝えられている話のようにのんびりしたものではないような気がする。

全曲の心臓部分にある「ビドロ」の衝撃はどうだ!ラヴェルは遠くからだんだん近づいてくる行列にしてしまったが、オリジナルではいきなりのフォルティシモ。まるで、民主化を求める集会に発砲して鎮圧しようとする国軍。あるいは、銃撃に傷つき階段を転げ落ちる罪のない人々の「血の日曜日」。

市場の喧騒は不気味な墓場に呑み込まれ、ひんやりとした洞窟では水滴がしたたり落ちる。あるいは不気味に跳梁跋扈する妖怪たち。美術作品を音楽で描写しているフリをしながら、実はもっと別のことを言おうとしていないだろうか。絵の向こうに透けて見える人間世界を。

炭火で焼いたニシンや穴子の白焼き、牛タン。そして山菜のてんぷらなどが並ぶ。どれもこれも美味。実は、姐さんはもちろんだが、東京から来たOさんもFさんも少しずつ仙台に所縁があるという。I嬢だけ「私だけ所縁がないなぁ」と言うけれど、彼女は私の郷里に住んでいたことがあるのだそうだ。こういう繋がりは面白い。みんなで海の幸、山の幸に思いきり群がった。

ひどかったわよね、と姐さんは言う。でも、この人が「今日は、うん、うまく弾けたかな」などと言うのを聞いたことがない。

「どこがさ?」

「弾けてない。恥ずかしい」

「あんだけ弾ければいいじゃん」

「だめだめ」

ひどい言いようだな、「あんだけ」って何だよ。

小山実稚恵ピアノリサイタルシリーズ[音の旅]第3回<自然の情景・なつかしさ・キエフの大門> ~うつりゆく情景~

2007年5月17日仙台市太白区文化センター楽楽楽ホール

・ハイドン:アンダンテと変奏曲 ヘ短調 Hob.ⅩⅦ-6

・ウェーベルン:ピアノのための変奏曲 作品27

・シューマン:子供の情景 作品15

・ムソルグスキー:組曲「展覧会の絵」

アンコールは、グリーグ「春に寄す」とシューマン=リスト「春の夜」。

次回、第4回は2007年10月23日(火)、楽楽楽ホールにて。

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2007年5月13日 (日)

ディアギレフとロシアバレエ団 1911~12

現代芸術論第3回(5月1日分。5月8日は、健康診断のため休講)

ディアギレフ率いるロシアバレエ団[バレエ・リュス]が1911~12年に行なった公演を、パリオペラ座バレエ団が1980年に復元した映像を見る。演出、美術、振付が当時の記録をもとに復元されている興味深い映像である(使用ディスクはLDで、この作品はまだDVDにはなっていない模様)。

今回視聴したのは以下の演目。ディスクには、この他に  《結婚》(ストラヴィンスキー)が収録されている。

     《ばらの精》(1場)[1912.5.15 初演,パリ・シャトレ劇場]

音楽=カール・マリア・フォン・ウェーバー(<舞踏への勧誘>ベルリオーズ編曲)

振付=ミハイル・フォーキン

装置・衣裳オリジナルデザイン=レオン・バクスト

     《牧神の午後》(1場)[1912.5.29 初演,パリ・シャトレ劇場

音楽=クロード・ドビュッシー(<牧神の午後への前奏曲>)

振付=ワツラフ・ニジンスキー

装置・衣裳オリジナルデザイン=レオン・バクスト

     《ペトルーシュカ》(4場)[1911.6.3 初演,パリ・シャトレ劇場〕

音楽=イーゴリ・ストラヴィンスキー

振付=ミハイル・フォーキン

装置・衣裳オリジナルデザイン=アレキサンドル・ブノワ

    《ばらの精》の初演は、ニジンスキーが踊った。この伝説の天才ダンサーの妙技はさすがに復元できないが、驚くべき跳躍力を持っていたというニジンスキーをもってすれば、この演目が観衆を大いに喜ばせたであろうことは想像に難くない。娘とばらの精との二人だけが出演するバレエだが、娘はほとんど最初から最後まで眠っているから、事実上「ばらの精を見せる」出し物なのである。バクストの美術、衣裳は奇をてらっているとは言えないが、よく見るとなかなか異形である。

  《牧神の午後》は、その初演がスキャンダルになったことが伝えられている。ニジンスキーが振付し自ら踊った意欲的な実験作だが、《ばらの精》のように華やかな跳躍技による見せ場などは皆無で、そのことも観衆の不興を買ったのだろう。

モダンバレエやモダンダンスを知る私たちにとっては、もはやそれほど奇抜には思えない。むしろ、ギリシャ彫刻やレリーフが動いているような視覚効果には様式的な美しさを感じる。だが、当時としては異様な作品として受け止められたことも理解できないわけではない。(スキャンダルの要因となった終結の部分での牧神のエロティックなしぐさを見ると、田山花袋「蒲団」を思わず連想してしまう私は変だろうか?)

《ペトルーシュカ》は、 《火の鳥》や《春の祭典》と並んで、ロシア習俗をパリの観衆に面白く観せた作品で。中でも 《ペトルーシュカ》は、ロシアの謝肉祭が舞台となり、人形芝居のアイドルが主人公になので、舞台装置も抽象的ではなく、大がかりな書割り道具が使われている。( 《春の祭典》の美術プランを見ると、作品全体が抽象的な設定であるにも関わらず、これもロシア色の強い衣裳、装置だったことに、少し意外な気がしたことがある)。

異国情緒に溢れ、異国の音楽(民謡)がふんだんに聴こえてくる 《ペトルーシュカ》は、意地悪く言えば「輸出用の」ロシア習俗であっただろう。そのことにパリの観衆は喝采をした。だが、ありきたりの民謡バレエにしないで、作曲上の数々の実験が(非難を受けなくてすむやり方で)できたおかげで、ストラヴィンスキーは、20世紀最大の傑作 《春の祭典》に辿り着けたのだと思う。

ディアギレフは、作曲家ではストラヴィンスキーやドビュッシーの他にも、ラヴェル、サティ、ファリャ、レスピーギ、ミヨー、プーランク、プロコフィエフらに、画家・美術家ではピカソ、マティス、ブラック、ルオー、ローランサン、シャネルらに、すなわち当時まだ駆け出しだった気鋭の芸術家たちに、舞台実現のプランを次々と託した。ディアギレフに対する毀誉褒貶はいろいろあるにせよ、彼の才能を発掘する目の確かさは比類がない。

もしタイムマシンがあったら行ってみたい時代がいくつかある。その一つが1910年代のパリだ。

2007年5月 7日 (月)

「裸婦の中の裸婦」

澁澤龍彦、巌谷國士著、4月に河出文庫版が発売されたばかり。

「裸婦の中の裸婦」というタイトル、ちょっとわかりにくいけれど、「~の中の~」とは「男の中の男」のような用法、つまり、数ある裸婦像の中でも特別に選りすぐった裸婦像というような意味で使われている。

1986年3月から1年間の予定で、「文藝春秋」誌に、澁澤自身が選んだ絵画・写真・彫刻など(もちろんすべて裸婦像)12点について自由なエッセイを綴るという連載が始まった。

しかしその年の秋、病魔に襲われたため、最後の3回分の執筆者に巌谷氏が指名された。翌87年8月に澁澤氏は死去し、この本は最晩年の仕事のひとつとして遺された。

文章は、架空の二人の人物の対話形式を取る(澁澤+巌谷の対談ではない)。総合誌への連載という配慮もあったのだろうが、著者自身とその分身と思われる対話体は読みやすく、美術作品を要領よく解読するのに大変有効である。晦渋な言い回しなど、ここにはまったくない。

12点の作品には、絵画の他に写真や大理石彫刻、人形が含まれる。各章につけられたタイトルは、いかにも澁澤好みのものだ