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2009年4月27日 (月)

月産570字

昨年から、毎月仙台フィルの定期演奏会を聴いて、読売新聞仙台版に570字のレヴューを書くという仕事をしている。

演奏会に行く前には、可能な限り音源とスコアを入手して、曲について把握しておくようにしている。スコアは10代の頃から買い続けているから、あらためて買わなくても良いものも多いし、大抵の作品は入手できるけれど、中には簡単に手に入らない曲もある。その場合は仕方がない。注文して何ヶ月も待つことはなかなかできないからだ。

音源は、最近はネットでも簡単に買えるけれど、仙台の某CDショップでは、定期演奏会で取り上げられる曲のCDを、数ヶ月前からコーナーを設けて揃えている。入手しずらい曲の場合などありがたい。便乗と言えばそれまでだが、地元のオーケストラを応援しようというディスプレイを設けるのは、地方都市ならではのことだろう。東京では考えにくい。

本番では、膝の上にスコアを開き、ノートにこっそりメモを取る。音楽会の本番で、楽譜をめくり、メモをするなんて無粋この上なし。周りのお客様に申し訳ないなぁと思うけれど、楽譜を見るのも、メモを取るのも、思い違いを避けるためと、後付けの何となくの印象で書いてしまわないためだ。

私は批評家ではないから、基本的に貶す批評は書かない。「アンサンブルが乱れた」「バランスが乱れた」なんていうことだけを書いたって、乱れたのはちょっとした事故かも知れないし、演奏会に立ち会わなかった読者が、アンサンブルが乱れたことを知ったって、何の役にも立たないし面白くもない。

それよりも、「この作品はこういう曲。それをどのように表現しようとしていたか」という、作曲する者の視点を持ち続けていたいと思っている。

それにしても、何が大変といって、570字にまとめるのにとても手間がかかる。当日メモした走り書きのうち、少しは使えそうなフレーズだけ書き写してみても、すでに700字くらいにはなってしまう。それを整理したり、言葉を入れ替えたり、諦めたりして570字まで削る。削ることで良くなっていく部分とわかりにくくなる部分と、両方あるような気がする。

さらに、専門用語はできるだけ避けてほしいという注文がある。読者は専門家ばかりではないというのが理由だが、「運弓」を「弓の運び」に替えるくらいは良いが、「オーケストレーション」の代替言葉は「管弦楽配置」で良いのか。「パッセージ」を「走句」と言い換えてもわからないだろう。「動機(モティーフ)」も、「犯行の動機」の「動機」と混同されるので使えない。字数制限も、用語や使用漢字の制限もない「ブログ」は、呑気なフォーマットだなぁ。ただ、用語や使用漢字の制限はともかく、字数を制限に合わせて削っていくのは面白いことでもある。

ここでは、これまで報告しそびれてしまった定期演奏会をメモしておく。

2月20日(第235回定期) 指揮:デリック・イノウエ、クラリネット:赤坂達三

 コープランド:バレエ組曲「アパラチアの春」

 コープランド:クラリネット協奏曲

 アイヴズ:答えのない質問

 ハンソン:交響曲第2番「ロマンティック」

とりわけアイヴズが面白かった。演奏時間はたった5分くらいだけれど、果てしない時間と空間の中に放り出されたような感じ。どんな曲であるかよりも、どんな体験ができ曲かの方が重要。アイヴズが、ケージに繋がる実験音楽の始祖であることがよくわかる。他の3曲、コープランドもハンソンも、生演奏では滅多に聴けないから貴重な機会だったし、それぞれ良い演奏だった。ハンソンの交響曲は、調性との距離の取り方、時流から隔絶した孤独なロマンチシズムがシベリウスを思わせる。

3月20日(第236回定期) 指揮:パスカル・ヴェロ、ヴァイオリン:米元響子

 ベルリオーズ:序曲「海賊」

 ショーソン:詩曲

 サン=サーンス(イザイ編):ワルツ-キャプリス

 フランク:交響曲

ベルリオーズのこの曲はあまり知られていない。超特急のパッセージが駆け回る部分と半音階進行を含むゆっくりした旋律の部分がめまぐるしく交替し、カンカンを思わせるどんちゃん騒ぎに至る。こんな曲なのに・・・というよりもこんな曲だからこそ、とても丁寧にリハーサルされたことがよくわかる。演奏の仕上がりはむしろ端正。ヴァイオリンの2曲、どちらも演奏は自然体のロマンチズムで落ち着いて聴けた。ショーソンの詩曲のオーケストラ版、生で聴いたことあったっけ?詩曲は、独奏が霞の中から浮き上がって聴こえるように、オーケストラが書いてある。名オーケストレーション(という言い方あるのかな?)だと思う。オーケストレーションで言うと、フランクは「厚化粧」だ。いくつかの絵の具を混ぜて中間色を作るようにして、音色を配置する。それなのにというか、だからこそというか、オーケストラがオルガンのようによく鳴る。聖職者のような仕事ぶりだったというこの作曲家も交響曲は、むしろ人間臭い苦悩とカタルシスのドラマ。常任指揮者ヴェロ氏とこのオーケストラとの関係は、今とてもうまくいっている。彼が指揮をすると、このオケは音が落ち着く。ヴェロ氏と仙台フィルで聴いてみたい曲が、まだまだたくさんある。2009年シリーズも作文を続けることになったので楽しみだ。

2009年4月10日 (金)

満開

今日の仙台は、最高気温が26℃とかだったらしい。

通勤途中に、桜の木を見ながら運転していたのですが、一昨日はまだ咲きかけ、昨日の朝はそこそこ、夕方はだいぶといった具合に少しずつ咲きはじめていたのが、今日の暖かさで一気に満開になりました。

Photo_2 いつもより、少し早い感じ。これから東北では、首都圏よりは少しだけ遅めの春がやってきます。楽しみです。

そうそう・・・そういえば一昨日は、このようなものを頂きました。

Photo_3 白魚のかき揚げ

Photo_4 空豆の炭火焼

Photo_5 若筍の炭火焼 甘くて美味しかったぁ。

2009年1月14日 (水)

御神火

夕方、街で買い物をしていたら、鈴とも鉦ともつかない鋭い音が近づいてきた。裸参りの行列だ。

毎年1月14日、宮城県の各所で、「どんと祭」と呼ばれる行事が行われる。正月飾りや古神札などを焼納する正月送りの行事である。伊達政宗建立の国宝、大崎八幡宮の「どんと祭」は、「松焚祭」というのが正式な名称だそうだ。

裸参りの人々は、市内のそれぞれの場所に集合して、白い鉢巻とさらしを巻いた姿になり、何時間もかけて八幡宮に向かって歩く。企業や組織、学校の研究室などの単位で、数人から数十人のグループを作り、その名を書いた提灯を持つ。行列が、鐘の鋭い音のほかは厳粛に静まっている気配なのは、私語を慎むための紙を口にくわえているためだ。

Photo_2

今年は、2700人以上の裸参りの人々が参詣したという。

Photo_3 門の中に到着した行列は、階段を昇り、本殿に到着。御祓いを受け、お神酒を振舞われる。

Photo_4 私のような、とてもとても裸参りはできない一般人も、本殿に参拝する。早めの時間だったので、それほど混雑してはいないかったが、参拝の人々は翌日早朝まで続いたようだ。

Photo_5 お焚き上げの御神火。正月飾りや古い神札などが焚き上げられる。

裸参りの人々は、火のまわりを回って暖を取る。暖を取るというより、火のすぐ傍は、当然のことながら熱い。

裸参りの人々の列が途切れるのを見計らって、一般参詣者たちが火に近づき、持ち寄った松飾りや注連縄、門松、古い御札や絵馬などを火に投げ込む。

年末から正月にかけて、実家の部屋の整理をしていたら、祖母の遺品がたくさん出てきた。祖母は仙台の生まれだ。私が仙台に仕事を得るはるか前に他界した。

遺品のうちの、祖母が書いた写経やお守りなどを御神火にゆだねる。煙は、故郷の空高く消えていった。祖母はきっと喜んでくれたことだろう。

Photo 門前の洋品店には、どんと祭の装束を着たマネキンが出ている。

老舗の味噌醤油店の店先で、味噌おでん(熱々のコンニャクに仙台味噌をつけたもの)をいただく。冷えた身体が温まる。味噌醤油店のおばあちゃん、普段は物静かだが、この時ばかりは張り切ってお客の応対をしているのがほほえましい。

大崎八幡宮の松焚祭→ http://www.okos.co.jp/oosaki/festival/matsutaki/index.html

2009年1月 2日 (金)

なごやめし

お正月、いかがお過ごしですか。

私は、31日から実家の掃除、それもウン十年にもわたって溜まり続けたゴミの始末に、正月返上で格闘しています。

名古屋は、もちろん雪も降らず、穏やかな天気。 東北地方は寒いかな?

なごやめしもいろいろありますが、今夜のなごやめしは、山本屋本店の味噌煮込みうどん、名古屋コーチン入り。
かしわ(鶏肉)や卵はトッピングだったりしますが、やっぱりそれ無しだと物足りないな。

注文を取ると、まず漬物が出てきます。
麺を茹でるのに時間がかかるので、その間漬物を食べて待っていてくれということらしい。

1_2 そして、熱々の、土鍋のふたの隙間からぐつぐつ煮立っているうどんがやってきます。はじめのうちは、熱くてやけどしそうなので、ふたをお皿代わりにしていただきます。 そのため、ふたには蒸気を逃がす穴がないのだとか。
麺は硬いので、しっかり噛みましょう。もっとも、つるつる通る麺だったら、たちまちやけどしてしまいますが。
2_2 拡大写真。もちろん味噌は赤味噌(八丁味噌)です。
最近は、牡蠣入りというのもあるようです。名古屋で、産地でもない牡蠣ってどうよとも思うけれど、土手鍋風で合うだろうなぁ。
久し振りで美味しかった~note お腹いっぱいになって温まります。

2008年12月12日 (金)

白熱するユアスタ

12月8日(月)

J1とJ2の入れ替え戦が、ベガルタ仙台対ジュビロ磐田ということに決まって、19時から、ユアテックスタジアムでの第1戦のチケットが発売になる。

仙台にいる日なんだし、行くっきゃないでしょう。

19時半頃、コンビニに行くと、予約機の前に数人並んでいる。こんなことは珍しい。普段、数分で売り切れるようなチケットを買おうとしたことがないからだけど。

どうやら、回線が混雑していて、待たされたりする様子。しばらくして私の番になると、後ろに並んでいた青年が、「チケットありますかねぇ・・・」と不安げに話しかけてきた。

「大丈夫でしょう。でも、申し込みが混んでるみたいですよ。」と、適当なことを言いながら予約機を操作すると、考えていた席は「完売しました」という表示が出て、ちょっと焦る。

席種を変更して再度申し込みをかけたら、問題なく発券できた。この席ならば大丈夫みたいですよと、青年に言ってレジに向かう。

そうか、年間シートを買っている人などへの優先販売があったからだろうけど、もう完売の席があるとはすごいな・・・と思いながら家に帰る。22時過ぎに、何気なくベガルタのホームページを覗いてみると、「チケットは完売しました」というお知らせが出ていて、びっくりした。2時間か3時間で完売してしまったのだな。

12月10日(水)

朝9時半から会議が怒涛のように続く。ウニ化した頭でこの日最後の会議に耐え、待っていてくれたTルせんせ、Nっちゃんとともに大学を飛び出す。仙台スタジアムに着いたら、「カントリーロード」が歌われ、まさに選手が入場してくるところだった。

1 前半は、なかなかいい感じで仙台が攻めた。轟音のような応援が頂点に達したのは、前半終了近く、ナジソンがゴールを決めた瞬間だ。

後半も、ベガルタがすごく悪くなったわけではないと思うのだが、一進一退。そのうち、一瞬の隙を突かれて、失点してしまう。

その後、どちらのチームも決め手がなく、結局1-1のドロー。うーん・・・アウェイゴール点を持っていかれたのは悔しいなぁ・・・。やや不完全燃焼気味ながら、仙台サポーターの応援は、最後まで緩むことなかった。

2 よく思うことだが、いつもはどちらかと言えば物静かな東北人である仙台の人たちが、ことベガルタの応援になるとここまで熱くなるのは何なのか、興味深い。ちなみに、強力サポーターである同僚のAK子せんせは、第2戦に参戦するため磐田まで行くそうだ。

2008年12月 1日 (月)

塩竈遊覧

11月24日(振替休日)

22、23日と推薦入試があり、実施本部業務に従事。入試現場にいるのとはまた違った疲れ方でぐったり。25日には朝から会議があるため、空いた一日である24日は神奈川に戻るのも慌しいし、どうしようかと思っていたら、卒業生のNさんが、「塩竈神社行きませんか」と誘ってくれた。Nさんは、塩竈の隣のR町の住人なのである。

こんなに頻繁に仙台にいながら、また何度も塩竈にも行く機会がありながら、いつも食い気に走るばかりで、名高い塩竈神社をお参りしたことがないのはいかがなものかと反省し、お誘いに乗ることにする。

「食い気に走る」のは、塩竈は港町で、お鮨屋さんが多く、海の幸が美味しいからだ。

Photo_2 あいにくの曇り空で寒い日だったけれど、境内の木々が、これでもかというくらいに紅葉していて、それはそれは美しかった。

見事なグラデーション。写真はクリックすると、少し大きく表示できます。02_2

01_2

神社の裏坂に、旧亀井邸がある。「海商の館」亀井邸というのが、正式な呼び名のようだが、仙台を拠点とする企業、カメイの初代社長さんの住まいだったそうだ。住まわれなくなっていたところを、現在はNPOが管理し、一般公開しているとのこと。

Photo_4 「和洋併置式住宅」という建物で、大正ロマンを思わせる洋室もある。作りつけの箪笥(仙台箪笥)が実に立派。塩竈の港も眺めることができる落ち着いた佇まいの邸宅である。

ついでに、松島へ回る。五大堂、瑞巌寺といった観光エリアはパスして、奥松島方面へ。 Photo_6

Nさんが連れて行ってくれた海産物屋さんの店先では、新鮮な貝類を炭火で焼いてもらって食べることができる。牡蠣、帆立、ツブ貝を焼いてもらう。あさり汁のサービスもある。いずれも絶品!

やっぱり、最後は食い気に走ってるな。

2008年10月10日 (金)

芋煮

今年も、同僚のO和先生主催、恒例の芋煮会に伺って、お相伴にあずかった。

1 朝9時に集まって、大学院生さんやO和先生研究室の学生さんたちが、河原で火を起こして作ってくれたのは、仙台風と山形風の二つの大鍋。

説明しよう(「水曜どうでしょう」藤村D風)。仙台風とは味噌味で豚肉、山形風は醤油味で牛肉、どちらもたっぷりの里芋とともに煮込む。

何年か前までは仙台風だけを作っていたのが、山形出身の学生くんが「こんなの芋煮じゃない!」と言い張ってから、山形風も作るようになった。どちらも、とにかく里芋がとろとろに煮えていて、とても美味しい。

いつも昼休みに駆けつけ、午後はまた授業があるから大学に戻らなければならず、慌しく食い逃げするような次第で、誠に申し訳ない。

2 東北の秋の、楽しい行事。この時期、晴れた日には、広瀬川の河原のいくつかの芋煮スポットから、いく筋もの湯気が立ち上るのを見ることができる。スーパーマーケットにはアルマイトの大鍋や芋煮材料が並ぶし、スポットに近いコンビニの店先では薪を売っている。皮をむいた里芋をはじめ、材料、調味料までパックにした「芋煮セット」も売られているそうだ。

ついでに言えば、この日は以前「体育の日」だった。1964年の東京オリンピック開会式を記念した日。一年のうち、よく晴れる日ともされている。実際、今年も秋晴れのすばらしい天気だった。祝日を月曜日に設定する制度ができてから、絶好の運動会日和だった「体育の日」も、晴れとは限らなくなったようだ。学校関係で言えば、月曜日の授業ばかりが潰れるので、大迷惑な制度なのである。

私事で言えば、誕生日の翌日が祭日だったのが、そうでなくなって、ちょっとつまらない。もっとも、馬齢を重ね・・・と謙遜してみても、馬にさえ失礼なのではないかと思えるこの年齢、誕生日だからどうということもないのだが。

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2008年9月27日 (土)

寺山修司◎劇場美術館

郡山市立美術館で、「寺山修司◎劇場美術館」と題された展覧会を観る。

郡山市立美術館は、郡山駅から約4キロ、タクシーで10分(1500円)程度の丘陵地にある。平成4年開館の、新しくモダンな美術館。

「寺山修司◎劇場美術館」は青森で先行展示されたものだが、行くことができなかったので、郡山へ追っかけた。10月19日まで。

Photo車寄せに着いたタクシーから降りると、いきなり目に飛び込んでくるのは、たくさんの寺山修司の等身大のパネルだ。うん、やっぱりこう来なくちゃね。

2 展示されているのは、写真、原稿、本、台本、ポスター、オブジェなどなど、寺山が愛用したという、ポックリのようなサンダルまで。

寺山修司の活躍は、リアルタイムで知っているし、寺山をめぐる様々な本や写真集なども読んできたから、初めて見る驚きは薄いが、活動をヴィジュアル戦術でアピールした足跡は、個人的な懐かしさを超えて、今でも強烈だ。

会場には、予想通り(?)「アメリカよ!」を読む寺山自身の声が流れている。青森訛りのあの声は、ある種の時代的感興を催させる。ポスターとして見たことのある横尾忠則の原画が、キャンバスにきっちりと油彩で書かれているのは特に印象的だった。

1983年に亡くなったのだから、もう四半世紀も経つ。47歳という生涯で、何と厖大な仕事をしたことだろうと、あらためて思う。寺山の当時の活躍を知らない今の若い世代の中にも、「テラヤマ」に対して、憧れのような興味を持つ人たちがいるようだ。寺山の遺した仕事が、おそらくは誰もが持っている「怖いもの見たさ」、「禁忌を覗くようなスリル」への好奇心を刺激するからだろう。

http://www.city.koriyama.fukushima.jp/bijyutukan/index.html

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2008年9月22日 (月)

ヴィエトナムのマグカップ

少し前のことになりますが、同僚のさとてぃせんせが、ヴィエトナムでお土産にマグカップを買ってきてくださいました。

さとてぃせんせは、ヴィエトナムの古典音楽についてのプロジェクトに関わっておられて、もう何十回もヴィエトナムへ渡航しておられるのです。あ、何十回も・・・は、言い過ぎか?

Photo 農民画風でとてもかわいいのですが、どうして顔というか頭というか、こんなに90度も回転しちゃってるんだろう。画像はクリックすると、少し大きく表示できます。

そして、帰国されてしばらく経ってから、絵葉書が届きました。

Photo_2実は、だいぶ前にも、ここでヴィエトナムからの絵葉書を紹介したことがあります。2006年4月16日の記事をご参照ください。

まるで、その時の絵葉書の続編のようです。以前のものは、たくさんのアヒルたちが、バイク(スクーター?)の籠に押し込められて、運ばれていく写真でした。そして、今回のは、運ばれた先の(?)市場で、アヒルたちが並んでがぁがぁ言ってます。いや、写真なんだから音は聞こえないけれど、言ってるに違いない。

それにしても、面白い図案ですね。いくら活気があって面白くても、築地市場や仙台朝市の写真は絵葉書にはならんでしょう。

次の絵葉書は、食卓に並んだアヒルたち・・・とかいうのはやめてね。

2008年8月27日 (水)

秋田日記

大学の仕事で秋田へ出張。朝仙台を発つのでは間に合わないから、26日は前泊。

宿泊のホテルは、特別何ということもないビジネスホテルだけれど、温泉大浴場があるのがとても良い。部屋は、広いわけでもないのに、ドアを開けて入るともうひとつガラスの引き戸があってから部屋があるという、ちょっと見慣れないつくり。冬の防寒のためにはこの方が良いのかな。

27日は10時から昼食休憩をはさんで16時半頃まで、某連絡協議会。毎年日本全国で何十万人だかが参加する、もはや国家的事業、今年もまたどこかで手違いがあったと、毎年社会問題のように書き立てられるのだが、こんな複雑なシステムでは、ミスの根絶はあり得ない。午前中は、感心しながらというか呆れながらというか、それでも何とか話についていったけれど、午後、時間が進むごとに頭はメモリオーバーでフリーズしたあげく、最後はほとんどクラッシュしかけた。

Photo 昼休み、同行のSさんたちと、少し高いビルに上って、街を眺める。

秋田には「ババヘラアイス」というのがありますよ・・・とSさんが言う。彼は、この県の出身なのだ。あ、聞いたことある、どんなものでしたっけ?「おばあちゃんが、ヘラでアイスを盛り付けてくれるんですよ。だから、ババヘラ。」

そうか、どこで買えるんですかと尋ねると、「いろいろなところにいるんですよ、道端とかお祭りとか・・・あ、あそこにパラソルが見えるでしょう、あれがそうです。」

16時半過ぎ、破裂しかけた頭を少しでも早く回復させなければいけない。その国家的事業は、今の私の仕事のひとつとして組み込まざるを得ない事柄だが、私の人生にとっては少しも大切なものではない。

帰りの予定までは時間があったので、Sさんたちと別れ、秋田の街を散歩する。

Photo_2 「菅江真澄の道」と書かれた碑がある。真澄は、晩年この久保田城下に住んで、佐竹の殿様と親交があったという。

千秋美術館にふらりと立ち寄り、「日本近代洋画への道」という展覧会を観る。http://www.city.akita.akita.jp/city/ed/ss/senshu-art/

大きな美術館ではないが、立ち寄りやすい雰囲気。高橋由一の「鮭図」や「丁髷姿の自画像」、青木繁「二人の少女」など。良い時間を過ごすことができて、頭はクラッシュの危機から免れた。

喉も渇いたし、せっかくだから・・・と、千秋公園入り口のパラソルのところまで行く。「ババさんアイス 150円」、おばあちゃんが二色のアイスをヘラで盛り付けてくれる。何もかも、さっきSさんが言ったとおりだ。

Photo_3 しっとりしたアイスクリームというよりは、少しジャリジャリした感じで、シャーベットみたいでもある。ベンチに腰掛けて食べる。何となく懐かしい味で美味しい。イタリアン・ジェラートとかって気取るよりいいよなぁ・・・ババヘラアイス。

Photo_4この人がババさんのひとり。頬かむりに長袖という、農作業ルックがユニフォームらしい。

アイスが盛られたかたちはバラの花みたいだが、腰掛けたベンチの後ろ、千秋公園のお堀には巨大な蓮が群生していて、その花のようでもある。

Photo_5

蓮の葉や花の大胆なかたちと色合いを眺めていたら、秋田蘭画を思い出した。

2008年6月18日 (水)

地震お見舞い御礼

6月14日土曜日の朝に起きた岩手・宮城内陸地震に際して、何人かの方から、お見舞いの電話やメールを頂きました。

13日金曜日の夜、神奈川の家に戻り、地震が起きた時間は、まだ惰眠むさぼり中でした。私は、夜中の地震は爆睡していて気がつかないことが多く、よく呆れられるのです。でも、今回の地震は神奈川でもふらふら揺れて、しかも結構長い時間だったので、さすがの私でも目を覚ましました。

数分後、西日本に住んでいる友人から、携帯にメール。「青葉区震度5って言ってるけど、大丈夫?」

え~?今のは震度5もないだろう、せいぜい2くらいじゃないの?・・・寝ぼけ頭は、青葉区と聞いて、神奈川の家に近い「横浜市青葉区」のことかと思ってしまったのです。

「そんなにひどくなかったよ」とメールを返しながら、・・・え?もしかして「仙台市青葉区」?と思い、慌ててテレビを見ました。

はじめのうちは、どうしたって大きな都市の放送局からのレポートということになりますから、まずは、揺れる仙台の街をとらえた定点カメラの映像が映し出されました。慌てて、会員制掲示板に書き込みをしたり、何人かの学生くんたちに連絡を取ったりしてみましたが、いずれも、大きな揺れだったけれど特別な被害はないという返事で安心しました。しかし、都市部よりも山間部が大変なことになっているらしいということが、次第にわかってきます。一報を聞いた時よりも、時間を追うごとにだんだん恐ろしさが増してきたのは、私だけではないでしょう。

昨日(17日)、仙台に戻りました。仙台の家の中はどうなっているかと、恐る恐る入りましたが、まったく何ともなっていませんでした。強いて言えば、よく見ると、一列にきちんと並んでいたはずのCDが前後ギザギザになっていて、おや?君たち動いたね?と思わされただけでした。大学の研究室も、薄めの本が数冊落ちているのを発見しましたが、ほぼ何事もありませんでした。地盤の強さや建物の方向や、いろいろ関係するのでしょう。

今日(18日)夕方、大学にいたら、ミシッ・・・という音が聞こえました。余震です。しかし、ほとんど揺れは感じませんでした。同じ仙台圏でも、震度3くらいに感じた地域もあったらしいのですが。

そんなわけで、私自身はミシッ・・・という小さな音を聞いたという程度ですし、直接間接の知り合いが被害に遭ったという話も聞こえてきていませんが、揺れのひどかった地域では、不自由な避難生活を余儀なくされている方々がたくさんおられる報道を見ると、同じ地方に関わりを持っている者として、他人事とは思えません。

皆さまからご心配いただいたことに感謝を申し上げますとともに、被災された方々が、一日も早く元の生活に戻られるよう、祈るばかりです。

2008年5月24日 (土)

初夏の山形(2)

1040628_img_2 朝から夕方まで、研究会。昨日に比べると気温は高くないけれど、少し蒸し暑く感じられます。

夕方からは懇親会。千歳館という老舗の料亭。明治9年創業、現在の建物は大正4年に建てられたもので、ここも大正浪漫の香りが漂っています。鮎の天ぷら、豚肉のしゃぶしゃぶ風や角煮、焼きおにぎりなど美味しくいただきました。「食べられるホウズキ」というものは初体験。ちょっとだけ酸っぱくて野趣のある味です。1040650_img

1040634_img 舞妓さんが三味線の姐さんとお二人で、芸を披露。舞妓の「会社」に、試験を受けて入ってお勤めをしているそうです。

フロアに来た舞妓さんは、記念写真撮影と質問責めで、ひっぱりだこ。

山形の舞妓さんは、どんなことばを喋るんだろう・・・というのが、ご近所でのもっぱらの関心事。

尋ねてみると、「標準語・・・です」という返事。山形ことばには敬語がないので、喧嘩しているような感じになってしまうからとのことでした。もちろんふだんは山形のことばを話しますけれど・・・と真面目に答えてくれるその口調には、やはり少し地方色が混じります。んだげっどよ、標準語でなくて、山形ことばの舞妓さまもめんこいと思うんだず。

1040651_img ホテルに戻ったら、ちょうど練習がおわったじゃがパパから連絡。私が山形に来ているということで、「大かま猫会」を開いてくれたのでした。「かま猫会」というのは、通称「かまさん」を中心に開かれている会らしい。今回は拡大版だから(?)「大かま猫会」(?)。・・・うん、ようやく山形にいるっていう感じがしてきたな。みなさん、ありがとう。

ちなみに、文中、山形弁変換エンジン「んだんだ君ver.0.5」を使いました。http://mumin.s1.xrea.com/yamagata/ndanda.html

2008年5月23日 (金)

初夏の山形(1)

すっかり更新が滞ってしまいました。

今日は大学の用事で、山形に来ています。写真は、文翔館。山形県旧県庁舎と県会議事堂で、大正5年に建てられ、現在の県庁ができるまで使われていたそうです。

1040624_img 現在は重要文化財に指定され、保存公開されています。煉瓦造りで、とても美しい建物です。そして、十日町のメインストリートの突き当たりにこの瀟洒な建物が見えるのは、いい風景です。これまでに、何度も外からは見ていましたが、初めて中にも入りました。

1040614_img 1040615_img

1040619_img どこか知らない国の駅舎のような天井。そして、モダンなフォルムは、外国にいるかと一瞬錯覚してしまいそうです。1040616_img

1040608_img_3 広々とした環境も、この建築にふさわしい。

今日の山形の最高気温は28度だったようです。来る途中、笹谷峠でさえ24度と表示されていました。初夏というよりは、ほとんど夏ですね。

ところで、昼食は主催者が用意してくださっていたサラダとカレーをいただき食後のコーヒーまで飲んだのに、どうしても蕎麦が食べたくて、Tさん、Hさんのお二人の先生とS屋さんに駆け込みました。

そして、3人とも相板盛りを平らげました。どうかしています。相板盛りというのは、さらしなそばと田舎そば、正式な名前ではないかも知れませんが、白っぽいとの黒っぽいの、二色の蕎麦が板に盛られているものです。かなりのボリュームです。

夜は、一人でM屋さんへ。なめこそばを頼んだら、なめこがぎっしり入っていて、蕎麦が見えませんでした。

このように、山形に来ると、私は蕎麦に狂います。

2008年5月 2日 (金)

青葉の頃

大学の構内も、いつの間にか青葉に覆われるようになりました。

1 しかし、関東や中部地方に比べると、まだまだこれから。木々の緑が本格的に生い茂るのは、今月下旬くらいにかけてでしょうか。

2 それでも、大型連休はざまの平日は気温も高く、昼間は少し汗ばむ感じでした。

1_2 音符くんが、音楽棟前に植えて育てたチューリップも、見事に満開。たださ、ちょっと密集し過ぎでないかい?

Photo 青葉通りも青々としてきました。「杜の都」は、こうでなくちゃね。

ただ、残念なこともあります。地下鉄工事が始まっていて、一部のケヤキが伐られ、別の場所に移植されたのです。場所を変えてもちゃんと根づくのかなぁ・・・。

そのため、この付近はなんだかがらんとしてしまいました。歩道と中央分離帯にあったケヤキがなくなったためです。

Photo_2 空が広くなったとも言えるけれど、何だか仙台らしくない・・・。そう、この一角だけは、どこにもある地方都市のありふれた空の景色です。地下鉄ができると大学方面も便利になるだろうと思われますが、それと引き換えにがらんとしてしまったのはとても残念です。

2008年4月26日 (土)

なごやのなぞ

その1 あんかけスパゲッティ

Photo なごやの異形の食べ物といえば「みそかつ」と言われます。でも、この「あんかけスパゲッティ」の方が、知名度は低いけれど、異形度は高いような気がします。

ここでの材料はナス、ピーマン、キャベツ、ベーコン、ソーセージなど、とり立てて珍しいものではありません。太めの麺は炒めてあります。そして、まわりのソースは、デミグラスソースのように見えるかも知れませんが、そんなはずはない。そう!赤味噌ソースなのです!

1960年代から始まった料理だそうですが、すみません、私はこのたび初めて食べました。しかも、某有名シティホテルのカフェレストランだったので、発祥の店を標榜しているところとは、だいぶ違うんだろうなと思います。

なんだそりゃぁ~と言うあなた。あんかけスパゲティは、ウィキペディアにも記事があるのです。

『野菜トッピングは「カントリー」、ソーセージ、ベーコン等の肉類トッピングは「ミラネーゼ」と呼び肉と野菜の両方盛りは「ミラネーゼ」と「カントリー」の頭文字を足して「ミラカン」と呼ぶ店が多い。』(ウィキペディア「あんかけスパゲティ」より)

・・・なんだそりゃあ~・・・。

ちなみに、この某有名シティホテルのカフェレストランにはなごや料理のメニューがいくつかあります。また、このホテルにあったかどうか忘れましたが、なごやには「スパゲッティ イタリアン」というなぞのメニューがあります。玉子焼きが敷いてある上に、いわゆるナポリタンスパゲティが乗っているのです。皿は鉄板で玉子がじゅうじゅういってたりします。

ちなみに、某老舗みそかつ屋さんの「鉄板とんかつ」は鉄板の上でキャベツがじゅうじゅういってるし、某老舗味噌煮込みうどん屋さんでは、ぐつぐつ煮立っているので、皿に取り分けなければ、とてもじゃないが熱くて食べられません。

なごや料理にじゅうじゅうぐつぐつが多いのはなぜだろう?

ちなみに、「スパゲティ」ではなく「スパゲッティ」と書くべきという気がしますね。なごや料理では。

その2 ミュー

なごや市街と中部国際空港セントレア(思わず、訛って「せんとりゃぁ」と言いたくなる)を結ぶ名鉄電車のアクセス鉄道には、ミューという特別車があります。この、疲れてダメダメな猫の鳴き声みたいな名前の列車は、ちょうど成田エクスプレスのような感じで、なかなか快適ではあります。

Photo_2座席前のテーブルの上には、「チケットホルダー↑」と書かれた切れ込みが。この写真のようにチケットを挟んでくださいということなんでしょう。チケットをポケットとかに入れて失くすなよということなのかも知れませんね。ご親切に。

せっかくだから挟んでみましたが、何となく落っこちそうだし、かえっていずい(注:仙台ことばで居心地の悪いこと)ので、すぐポケットにしまいました。降りるとき忘れそうだし。使う人いるのかなぁ・・・。

1 その3 なぞの旅人

「なぞの旅人フー」と書かれた幟が、中部国際空港構内のあちらこちらで見られます。

それだけしか書いてないから、かなりなぞです。動物なのか植物なのかもよくわからない。なんだろねと思いながら、ショップのフロアに行ってみたら・・・いましたね。

2 デカイのが。

でも、デカくなっただけで、相変わらず何なのかはよくわかりません。この空港のキャラクターであることはわかりましたが。そして、ホームページを見ると、他にも犬や猫や鳥や雲などのキャラクターがあることもわかりました。でもやっぱりよくわかりません。フーさんが何なのか。

なぞの多い街の入り口ですから、なぞのままで構わないですけれどね。

2008年4月19日 (土)

一目千本桜

仙台から東北本線で南へ30分ほど、船岡駅の手前あたりから、桜並木が見えてきます。この季節、付近を走る列車は、景色を楽しめるようにと、速度を落として運行します。

白石川に沿ったこの桜並木は「一目千本桜」と呼ばれ、「日本の桜100選」にも選ばれているそうです。ひとつ先の大河原駅で降りて、船岡方面に戻りながら、川の堤を歩いてみることにしました。

大正12年、高山開治郎という人が、一千本のソメイヨシノを植樹したのがはじまりとのこと。現在桜並木は7キロにわたり、二千本以上が一斉に花を咲かせています。程近い船岡城址公園の桜もよく知られています。

1_2 大河原駅近くの河川敷には、屋台やちょうちんがならんで、お決まりの「さくら祭り」風景。(写真はクリックすると大きく表示できます。)

しかし、少し歩いていくと、宴会客の姿はなくなり、そぞろ歩く人たちと行き違うだけで、ざわついた感じはまったくなくなります。2 目の前は、どこまでも続いていくソメイヨシノの花トンネル。

大河原から船岡までは約3.5キロ。歩くと50分くらい。川をはさんで対岸も見事な桜並木、そして振り返るとまだ雪をかぶっている蔵王連峰が見えます。この日は薄曇りだったので、写真でははっきり見えないのがちょっと残念。

4 3 韮神堰というのだそうです。左奥に薄っすらと見えるのが蔵王。撮影ポイントとなっています。

ちょっと息抜きに・・・と、ひとりでぶらりと出かけたのですが、ちょうど一番の満開の日だったようです。何とも贅沢な散歩でした。おそらく、この週末の雨と風で散ってしまうでしょう。

5 停車?

2008年3月29日 (土)

移ろうもの、動かぬもの

3月26日、仙台から名古屋に飛ぶ。父が遺したものの整理のためである。しばらくの間、まだ春の気配薄い仙台に閉じこもっていたために、季節はもう春なのだということを忘れていた。

Photo_8 実家の周囲でも、桜やハクモクレンが咲きそろっている。

同じことを経験した人は誰もが言うのだけれども、遺されたものの整理はとても大変だ。父には借金も財産もなかったが、わずかばかりの貯金を解除することひとつ取っても、複雑な手続きが必要なのである。

27日、父の出生から死去まですべての戸籍謄本が必要ということで、午後急遽静岡県の磐田に向かう。磐田市役所へ行って、古い戸籍を発行してもらうためである。もちろん今どきは郵便でも送ってもらえるけれど、これがないと28日までの名古屋滞在中に何も進められないので、実家でボーっとしているより行ってきた方がいいという判断だ。

磐田には、浜松まで新幹線で行って在来線に乗り換える。ここには墓所があるので、今までも何度か訪れている。用件は簡単に終わって、すぐには判読できないほど劣化している手書きの古い戸籍謄本が出てきた。

戸籍に「衝撃の新事実」などあろうはずもなく、しかし知らなかったこともあったりして、古い戸籍を見るのはなかなか面白かったが、内容は省略。

Photo_9 磐田という地名、誰も知らないような時代もあったけれど、ジュビロ磐田ですっかり知られるようになった。駅の近くには、こんなシンボルがある。

Photo_10 また、舗道には、ジュビロの選手やスタッフの足型や手型がはめこまれている。これはオフト監督の足型だから、1994年頃のものかな?

Photo_2 ちょっと心配になってしまうのは、駅前にまったく活気がないことだ。商店街はシャッター通りになってしまっているし、人がほとんど歩いていない。郊外型のスーパーができてから駅前は寂れてしまいました・・・と、当地に住む親戚から聞いたのは、もうずいぶん前のことだ。ヤマハスタジアムに向かって、アウェイチームも含め、たくさんのサポーターが駅前を通っていくだろうに。

2_2 駅前の大きなクスノキ。樹齢は推定700年で、静岡県指定天然記念物になっている。かつてここはお寺の境内だったが、再開発によってお寺は郊外に移転してしまい、木だけがとどまった。子どもの時から、お墓参りに来るたびに眺めていたから、よく覚えている。祖父の妹たちがまだ子どもだった頃に、この木を囲んで写したという写真がどこかに残っているらしい。700年もの間ここに立っているのだから、様々な人々や物事の往来を見てきたことだろう。そして、これからも見続けていくことだろう。

祖父はもちろん、その妹たちも天寿をまっとうして、今は鬼籍に入っている。

2008年3月 2日 (日)

卒業演奏会無事終了

ひとつ前の記事の続きです。

卒業発表をした人たちが、学内の試験の時と比べて、みんな大きく「化け」ることに驚かされます。

試験が行なわれるのは、だだっ広い講堂。散らばっているのは難しそうな顔をした先生たち。寒いし、公開だけど拍手はないし。そんな雰囲気とは全然違う。街のきれいなホール、ステージ衣装も着る。そして何よりも、後輩たちと一般のお客さまの応援がある。でも、「化け」られるわけは、それだけではないでしょう。

Photo_2 すべての演奏が終わったところで、全員が舞台に上がり、今年度で「卒業」される先生に歌をプレゼントするというサプライズ企画。学生くんたちが選んだ歌は「森は生きている」でした。

以下に、前の記事同様、某掲示板に書いた私の「日記」と、それに対するコメントを載せさせてもらいます。

[きっきぃ 2008年03月02日23:24]

立ち去り難く、けれども、方向の近い人たちと一緒にタクシーで帰ってきました。

音楽大学だったらオーディションとかがあったりして、卒業演奏会に出られるのはごく限られた人だけだよね。でも、ウチの学校は希望すれば全員出られる。 そして、その運営、裏方も表方も、すべてを後輩たち全員で支えている。もちろん、教員も全員でバックアップする。こんなすごいことをやっている。しかも、それが30年以上続いているんだから、本当にすごい。

そして終わった後は、ご予約のお客さま八十数名様という、年一度の大レセプション。音楽科の学生と先生方が勢ぞろいする。さすがに壮観だ。こんなにたくさんの人がいたら、半分くらいは知らない人だろうなんて思うのだけれど、よく見ると全員知ってるんだよねぇ。実はこんなにたくさんの学生くんたちと付き合っていたのかと思うと、不思議な感じだな。ぼくの授業の教室の中には20人ずつくらいしかいないからね。

Photo

レセプションの時間は全然足りなくて、誰しも立ち去り難く、解散の声がかかってもなかなかバラケなかった。気持ちはみんな同じだったんだろうな。けれど、そのまま溜まっているのも通行の迷惑だから、帰ってきました。 毎年思うけど、この演奏会の日は、学校での一番楽しい二日間だ。

お疲れさま!みんな、ありがとう。

****************************

(以下、コメント)

[ふう 2008年03月02日 23:31]

お疲れさまです。そしてありがとうございました。 立ち去り難かったけど、終電の時間でお先に失礼しました(泣) まさかレセプで自分が前に立つ日が来るとは…。一年たつのは早いですね。

[みぃ 2008年03月03日 00:07]

帰りたくなくてけど帰りたくてけど全然帰りたくないDUCCA前でした。みなさん思ってることは同じだったのですね(*´∀`) 本当お疲れ様でした!

心の底から楽しかったです。感慨深すぎてジーンでした(>_<。) もぅ来年なんだ…先輩がいなくなるなんて信じることが出来ません(ノд`。) 来年とゆーか今年、よろしくお願いいたします(*´∀`)ノ

こらこらっヤダとかいわないでください(・∀・)笑

[サトミ 2008年03月03日 11:20]

お疲れ様でした!!宮教の音楽科でよかったと思える日でした。

[ぁぃ 2008年03月03日 11:33]

先生4年間ありがとうございました!! そして、あと2年間よろしくお願いします(笑) 萩音ってほんとにすごいですよね。 どこか一つが欠けたら機能しなくなりますもんね。

[チェリー 2008年03月03日 19:46]

お疲れさまでした☆ニャー!!

宮教での1年目を、ホントーに楽しく過ごせたなぁと実感できた日でした。 希望すれば全員出られる→昨日のスピーチの時も思ったんですけど、逆に出たくない人は出なくてもいいんですか…? いや、わたしは出ますよ!!!笑

[帽子狂 2008年03月03日 22:03]

あ、私って後輩たちや先生がた、聴きにきてくださったお客さんに こんなにあったかく支えられてるんだなーーって すごく実感した演奏会でした。 これって4年生になって初めて実感できるんだろうな…。 すごいすごい貴重な経験でした。 そんな貴重な経験がもう1回できるのを嬉しく思ってます。 来年は今年支えてくれた後輩や、ステージにたつ先輩がたを 感謝を込めてサポートしつつ、 2年後の自分を見越して、精一杯努力していこうと決意しました。

卒業演奏会第一日目

Img_0106_3 3月1日、2日は卒業演奏会でした。

私たちの大学の卒業演奏会は、仙台市内のホールで行なわれ、卒業・修了予定の人は全員出ることができます。演奏会と書いておきますが、演奏ばかりでなく、論文発表やパフォーマンス発表もあります。

この発表会のユニークなところは、運営、受付、プログラム製作、録音、写真、アナウンスに至るまで、後輩たち全員が分担してお世話をするところでしょう。私たち教員も、みんなでバックアップします。そしてこの催しは、もう32年間も続いているのです。

1日目が終わった夜、某会員制掲示板に「日記」を書いたら、あっという間にたくさんのコメントが書き込まれました。そのひとつひとつがとても素敵で、このまま流れてしまうのは忍びないので、頂いたコメントも含めて以下に掲載させてもらおうと思います。

[きっきぃ 2008年03月02日00:40]

はい、そこのあなた!

あなたが、明日弾くことになっている人だったら、こんなもの読んでないで早く寝なさい。

あなたが、今日弾いた人だったら、まぁちょっとくらい夜更かししてもよし。あ、もう疲れて寝てるか。お疲れさま。みんな立派だった。

あなたが、今日働いた人だったら、お疲れさま。あなたの働きがたくさんだったか少しだったか関係なく、あなたの働きなしにはこの演奏会は成り立たなかった。いずれ自分たちが主役になる番が回ってくる。明日もよろしくお願いします。

あなたが、今日聴きに来てくれた人や卒業生の人だったら、応援ありがとう。かわいい後輩たちが、あの時のあなたのように、力を尽くして巣立ちます。これからもどうぞよろしく。

あなたが、私たちの学校関係者でなかったら、なんのことやらわからない話でごめんなさい。二日間にわたって行なわれる卒業演奏会の第一日目が無事終わったのでした。学生くんたちの頑張りに敬意を寄せながら、演奏会を楽しむ二日間です。

***********************************

(以下コメント)

[帽子狂 2008年03月02日 00:50]

まだ起きてる今日弾いた人です(笑)

花束の整理が今やっと終わりました… もう終わったんだと思うと寂しいですね(T_T) 新たな出発に向けてまた前進していこうと思います(^-^) ご指導ありがとうございました!そしてまたよろしくお願いします。

[tomo3 2008年03月02日 00:57 ]

今から寝ようとしている昨年弾いた人です。 あれから1年、早かったなーーーーーー 明日も行きます!!(みやきょ大好き人間みたいです

明日弾く人でこのコメント見た人は楽しんで弾いてください♪ 今日弾いた人でこのコメント見た人はお疲れさまでした!!聴いてましたよ!! きっきいせんせも、1年間のご指導おつかれさまでした☆ また明日~

[ふう 2008年03月02日 01:13]

ひい、明日弾くのにまだ起きてる人です! 早く寝ます

[あの音符の人 2008年03月02日 01:15]

だいぶ眠たくなっている今日働いた人です。

なんだか・・・・・・・弾いている方々はなおさら実感していると思いますが・・・・・・・・本当にあっという間ですね。演奏というか、卒演というか、この大学生活自体というか(汗)

もう3年生。今まで3年生の先輩という方々を2回、見てきたことになりますが、いずれも素晴らしい先輩ばかりでした。まさかその学年に(当たり前ですがw)なるなんて、全然実感が沸きません。でもこの演奏を聴いてる限り、あと2年後にはこの舞台に立っているのかなぁ、とも思わざるを得ません。 あぁ、なんだかとりとめのない文になってきました;;とにかく大学の折り返しのいま、精一杯走り抜けます!!!!!!!以上、音符からでした(笑)

[あい 2008年03月02日 02:12]

帰った途端爆睡し,変な時間に目が覚めてしまった昨年弾いた人です。

かわいい後輩一人ひとりの音楽に対する熱い思いが伝わった演奏会でした。卒業し,全くといっていいほど音楽から離れてしまった一年…やっぱり音楽っていいな,と思いました。

[みぃ 2008年03月02日 08:21]

昨日は寝てしまい先程起床しました、なんとも健康的な私ですヽ(´∀`)ノ笑

卒演とても感慨深いです。 先輩の想いが伝わって来て何度も泣きそうになりました。今日は私も今までの分を出し切ることが出来るよう頑張ります!先輩サポート致します!(`∀´)グッ

[ビンボン 2008年03月02日 08:47]

イズミティが自宅なのではないか?と錯覚しているものです。

今日もそでから、あのホールがいろんな色に染まってゆくのを、心から感じ取ってまーす。

[萌 2008年03月02日 09:03]

とても素晴らしい演奏会とは、なによりです。 あの時の、6人全員笑顔で撮った写真は宝物です。終わった人も、これからの仲間を支えてあげてくださいね。 陰ながら応援しています。

[ハニー 2008年03月02日 11:56]

関係ない人ですが、きっきいせんせーがとても素敵なせんせーであることがわかる、日記でした。 本日の成功もお祈りいたします。

[トモ 2008年03月02日 19:21]

昨年歌ったチェコかぶれの人です。 演奏会を通して、なんだかいい刺激をもらいました☆ たぶん、なにか通じるものがあるんだと思います。 風邪が長引いて1ヶ月くらいちゃんと歌っていませんが、 今週から復活したいと思います!!! 音楽のない生活って無理だなぁ~と改めて思いました。 いつか、宮教卒業生演奏会みたいなのができたらいいですよね♪

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2008年1月29日 (火)

ジョバンニはもういろいろなことで胸がいっぱいで

Photo 1月27日、山形の合唱団「じゃがいも」の、初めての仙台公演は無事終わりました。

仙台公演の話が持ち上がったのは、2005年に一緒に作った合唱劇「ポラーノの広場」の頃だったでしょう。あの、ちょっとわけがわからないけど楽しい「ポラーノ」を仙台で紹介できたらいいなぁと思いました。その後、話が急展開して「銀河鉄道の夜」を・・・ということになります。

きっきぃさん、シアターホールは客席が600もあるんだよ、山形側では仙台でそれだけのお客さんを集められる自信ないよ・・・とかいう話をしていたのがウソのよう!

年が明けた頃、すでにチケットがかなり出ている、もうこれからはあんまり売っちゃだめ!・・・という、何とも普通ではあり得ない指令が伝わってきました。

でも、話を聞いていると、こちらもだんだん不安になってきます。数年前に、某演奏団体がチケットを売りすぎて、当日入場をお断りすることになったという話など聞こえてきていましたから。そんな事態は避けなければ。

内輪の方々や、ごく近くなってチケットを買いたいと言ってくださった方々には事情をお話して、当日のリハーサルを観ていただくことにしました。

そして午前11時。リハーサルに立ち会う人数とは思えない、100人近くの方々が来てくださっていました。もちろん、リハーサルといっても、完全に本番と同様にやりました。出来は、本番と比べてもまったく遜色なかったと思います。

そして公演本番。14時30分の開場時間前から長い列ができていて、14時35分には客席が見た目かなり埋まった感じ。この勢いが開演時間まで続いたら・・・と考えるとちょっと恐ろしくなりましたが、溢れることなく、客席はほぼ満員で出発。チケットを買ってくださったお客さまをお帰しするようにことにならなくて、本当に良かった。

そして何よりも、こんなステキなことをやっている人たちがいるということを、仙台の皆さまに知っていただけたのが嬉しいです。そして、東京からもたくさんの方がわざわざ来てくださいました。

いろいろ寄せてくださったご感想や、私自身見聞きしたことなど、追々書きとめておきたいと思っていますが、まずはご来場いただいた皆さまに、厚く御礼申しあげます。

2008年1月26日 (土)

やっぱり冬

24日、昼過ぎにパラパラと降り始めた雪は、あっという間に積もって、暴風雪警報が出るまでになりました。

夜、山形に、じゃがいもの練習を聴きに行く予定だったのだけれど、Sさんからの「やめといた方がいいんでない?」という電話を受けて取りやめ。自分で運転して行くつもりは初めからなかったのですが、高速道路も一部不通ということで、バスの便がどうなっているかわからないし、そもそも大学のある山から仙台駅まで下りられるのか?・・・っていう話で。

夜8時過ぎ、強風が吹いて地吹雪みたいになっていたのが少しおさまったのを見計らって、恐る恐る車で山を下りました。まだ降り続いているところだから、かえって気温はそれほど低く感じないし、路面も凍ってはいませんでしたから、案外大丈夫でした。それでも一番急な坂のあたりは、のろのろ運転の車が数珠つなぎ。坂の途中では、何台もの原付が放置されてころがっているのを見ました。そこまで来て力尽きて諦めたのね。後で聞いたら、家に帰るまで通常の3倍以上とかの時間がかかった学生くんたちが多かったようです。

あ、私が帰る頃、きゃっきゃっ言いながら雪だるまだかかまくらだか作っていたやつらは、ちゃんと帰れたのか?

25日は、きれいに晴れたので、夜は山形に行きました。

この季節、この地域を自分で運転するのはおっかないので、高速バスで移動です。東北道から山形道に入って、県境の笹谷-関山峠に近づくと、やはり半端ではありません。しかも、マイナス6度の表示。わだちのできている高速道路って、見たの初めてかも知れない。

山形市内も、昨日の仙台の雪がどうのって言っているのがバカみたいというか、さすがというか、雪の量が違います。

Ts320195 Photo

自動車からも信号機からも、つららが下がっています。雪の上や半分溶けて凍っているところ、黒光りするところなど、この季節の地面の歩き方、だいぶ慣れましたけれど。

今日の仙台、もう雪は溶けて、まったく見られません。・・・あ、大学のある山の雪は全然溶けてないけどね。

2007年12月24日 (月)

花巻へ

12月24日の岩手日報朝刊は、1面に昨日の公演の写真記事、その他に、中の見開き2面分を使って、遠野市民センターバレエスタジオ30周年の歩みや、関係者へのインタビューによる特集記事を組むという破格の扱い。

遠野駅でその新聞を買って、釜石線に乗り込む。今日は、少しだけ寄り道をしながら仙台へ戻るつもり。

新花巻で下車。胡四王山にある宮沢賢治記念館へ。近くへ行くバスの発車まで1時間待ち。車に乗れば5分もかからない距離なので、タクシーを使う。800円くらい。

Photoこの記念館には何度か来ているのだが、今回のお目当てのひとつは、ちょうど特別展としてやっている「フランドン農学校の豚」。オペラシアターこんにゃく座のためにオペラとして作曲したことがあるので、この展示は興味深い。

Photo_2作品の紹介と生原稿の展示がメイン。他の作品同様、大幅な校正の跡がある。この作品の生原稿を眺めていて最も目につく変更は、初めに書き込まれた「です。ます。」が、すべて「だ。である。」に直されていること。それによって、冷徹なレポートのような文体で、人間のエゴと食物連鎖の無常を、ブラックなユーモアとともに描きだすことが可能になったのだろうと思う。

ミュージアムショップで、「銀河鉄道の夜」の冒頭原稿のコピーを売っていた。スペースシャトル「エンデバー」が宇宙へ持っていったのと同じレプリカだそうだ。2枚買う。1枚は、合唱団じゃがいもの指揮者鈴木さんにあげるつもり。

記念館前からタクシーに乗る。今回、花巻に寄り道することができたら、ぜひ行きたいと思っていた場所があった。

日蓮宗身照寺。賢治の墓所。昭和8年に亡くなった賢治は、昭和26年になって、浄土真宗のお寺からこの身照寺へ改葬されたとのこと。住宅地といっていいと思うけれど、閑静な地域にひっそりと、墓所はあった。

Photo_3 手ぶらで行ったので、浄財を置いて、横の箱に備えてあったお線香をあげて、たくさんの素敵な作品を遺してくれたことに感謝して手を合わせる。賢治さんの墓碑の右側に、宮沢家代々の骨堂が並んでいる。

そして、この写真の右の奥にも見えるのだけれど、数羽のフクロウ像が墓所を守るようにして置かれている。

Photo_4 フクロウは知恵の神。賢治作品にもたびたび登場することは周知のとおり。彼らが見守っていることで、つつましいお墓が少しだけ晴れやかで温かいもののように思えてくる。

Photo_5 待っていてもらったタクシーに乗って、今度は花巻駅に行く。料金は、記念館から身照寺まで2,000円くらい。身照寺から花巻駅までは800円くらい。花巻駅で、新花巻までの釜石線に乗るために、また1時間待ち。新花巻駅で、新幹線に乗るためにも50分待ち。何とも悠長な旅だ。

(写真は、クリックすると少し大きく表示できます。)

2007年12月23日 (日)

遠野へ(3)

終演後、市民センター隣のホテル「あえりあ遠野」で、バレエスタジオ開設30周年を記念する祝賀会。

かつて遠野で泊まっていたのは、階下からおばちゃんが「きっちゃーん、電話よー!」と呼んでくれる旅館だった。「あえりあ」のようにきれいなシティホテルは、なんだか妙な感じがする。

ちなみにこのホテルは、かつて中央公民館のあった場所に、第三セクターで建てられたとのこと。温泉ではないけれど大浴場があって、居心地はなかなか良かった。

26年前、初演の後の祝賀会には、お母さんたち手作りの、素朴だがまごころのこもったごちそうが並んでいた。今日の会場は披露宴会場のような大広間、電話は一人一人手元に携帯を持っているから、階下から呼ばれる必要はない。まさに隔世の感。

お決まりの挨拶やスピーチなどがあった後、バレエスタジオに10年間以上在籍した生徒・OGの表彰。名簿を数えてみたら、29人もいた。

今日でバレエ・スタジオを「卒業する」、二人の高校3年生の生徒さんがスピーチ。二人とも、驚くほどしっかりした内容を話す。大船渡から片道1時間くらいかけて通ってきた一人は、「30年の歴史の中に加われたことが嬉しい」などと言う。

少年少女時代に、学校以外の年上、年下の友だちや、たくさんの大人に囲まれて過ごす時間があるというのは、とても大切なことなのじゃないかなぁ・・・と思う。合唱団「じゃがいも」の子どもたちを見ていてもそう思うし、私自身も子どもオーケストラに通っていたから、そんな環境は理解できる。

大人と接することが多いわけだから、当然ませた子どもになる傾向はあるだろうが、ひとつだけではない価値観の眼差しに包まれて過ごす、そのことで得られるものは大きいと思う。身のまわりが父母や家族、親戚だけというのは、価値観が画一的、閉鎖的になりがちではないだろうか。スピーチをした生徒さんたちのしっかりした口調や大人びた表情は、バレエスタジオを支える大人たちと接してきたことから生まれているのではないかと思う。

Photo こちらは、やたらと嬉しそうな大人たち。市長さんまで引きずり込まれています。

お開きの後は、民宿へ行こうと誘われる。そこに泊まっているのは岡野さんと杉田さんだけなのに、十数人で押しかける。民宿の主人は、飲み物やコップなどのある場所を教え、あとは好きなようにやってくれと言い残して自宅に引きあげてしまったそうだ。勝手にテーブルだの座布団だのを探し出してきて、即席宴会場を作ってしまう。

この町は、こんなふうに大らかだ。深夜、もう閉めている店をドンドン叩いて起こし、一杯だけ飲ませてくれと言って入り込んでしまったことさえある。私がではない、私を連れまわしていた人がである。眠そうな顔で、また店を開けてしまう方もどうかとは思うが。

ビールとともに、自家製どぶろくが並ぶ。この国では、もちろん勝手にお酒を作ることは許されない。けれどもここは、「どぶろく特区」なのだ。透明な上澄みに、米粕のような白い粒が浮いている。ぴりっと辛いが、口当たりが良い。とても危険な酒。「後で腰にくるよ。」と言われ、慌ててコップを置いた。

遠野へ(2)

午後1時30分、遠野市民センター大ホール約900席の客席は、満席とはいかないまでもかなり埋まっている。

先ほど駅から歩いてきた大通りは、人影もまばらで閑散としていたのに、この人たちはどこから湧きだしてきたのだろう。

バレエスタジオ開設30周年記念公演のプログラムは3部構成で、「おしらさま」は第3部。

開演した舞台を見てすっかり感心してしまった。以前と比べて格段にレベルが上がっているように思える。以前は、こう言っては申し訳ないが、バレエ教室のおさらい会という感じがあった。けれども、第1部「バレエコンサート」も、第2部「ルロイ・アンダーソン名曲集」も、ともに立派な出来栄え。ジュニア・バレエ団としてのまとまりがある。やはり、30年の積み重ねは大きい。

さて、第3部が創作バレエ「おしらさま」。

今回は、3週間くらい前に招待状が送られてきて再演を知ったというわけで、音楽がどんなかたちで演奏されるのかまったく相談を受けなかったし、知らされなかったから、正直言って楽しみ半分、怖いもの見たさ半分で会場に来たのだった。以前の演奏の録音を流すのだろうか。それとも、ミディの打ち込みか。オール・ミディというのは、ちょっと嫌だな・・・。簡単な音楽ではないし、オフィシャルなヴァージョンは編成も特殊だ。

その懸念は、思いもよらぬかたちで吹き飛ぶことになった。

演奏を担当したのは、A.E.L音工房の5人の音楽家とコンピュータ制御のシンセサイザー。そして、そのグループのリーダーで指揮もした及川光志さんは、初演の舞台でトランペットを吹いていた高校生だったのである。そして、他の5人も、みな遠野在住の方々だという。

初演以後、2管編成によるオーケストラ版と室内楽版を作って、いつでもどこへでも持っていけるようになったが、遠野の人々が演奏するということはできなくなっていた。舞台装置も衣裳も街の人たちの手で作れるのに、音楽だけはそういうわけにはいかなかったのだ。

今回のヴァージョンは、室内楽版を基に光志さんが工夫して作ってくれたもの。光志さんは後で、「高校生の時、演奏に参加して受けたインパクトが強くて・・・。ずっとやりたいと思ってきたことが、今日やっとできました。」と言ってくれた。これで、「おしらさま」の音楽は、遠野の人たちの手に戻ってきた・・・そう思えて嬉しかった。

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写真は、終演直後の舞台。

終演後、祝賀会が始まるまでの間に、岡野さん、杉田さんとともに、健悟さんのお墓参りに行く。健悟さんは、濱田さんと二人で実働部隊のツートップを成し、バレエスタジオの運営や「おしらさま」の初演を、行政側から牽引した人だ。亡くなられてから、来年で10年になるという。その誠実な仕事ぶりはみんなが信頼していたし、眼鏡の奥の優しい笑顔を忘れることはできない。健悟さんが眠るお墓は、市民センターにから程近いお寺にある。舞台でいただいた花束を手向ける。杉田さんが、「今日も、ここにいてほしかったよね」とつぶやいた。思わず涙がこぼれた。

遠野へ(1)

12月8日の記事にあるように、私が1981年に作曲したバレエ「おしらさま」が、遠野で10年ぶりに再演されることになった。遠野へ行くのも10年ぶり。

仙台を朝9時の新幹線に乗って約1時間で新花巻。釜石線に乗り換えるために、約1時間待合室で待つことになる。付近にはほとんど店もないのだ。そして、やはり仙台よりも寒い。

Photo 単線、2両編成、ワンマン。1日10本しかない。今までに何度も何度も乗っているのに、そんなに不便な路線だったかなぁ・・・と今さらながら思うのは、私の余裕がなくなっているせいかも知れない。

仙台からだったら、車で移動した方がずっと楽だろうと思うけれど、こういう季節は雪や道路の凍結が怖い。

車内アナウンスは、女性の声のテープ。かつて、男性の車掌さんの案内放送、「下りる人が済んでからご乗車ください。」というのが「おぢる人がしんでから(落ちる人が死んでから)・・・」と聞こえるというジョークは本当なんだなぁと、感心(?)したことがあった。今はそんなことはない。

そんなことはないけれど、何やら妙なことを言っている。

Photo_3駅に停車して、わかった。前に何かで読んだことがあったけれど、岩根橋駅付近の眼鏡橋が、「銀河鉄道」のイメージに重なることから、いつからか釜石線は「銀河ドリームライン」という呼び名がつけられている。そして、各駅にはエスペラント名がついていて、それもアナウンスしているのである。「次は、ガラクシーア・カーヨ、宮守でございます。」という具合。駅にも、その愛称を記した標識が立っている。ちなみに、ガラクシーア・カーヨとは、「銀河のプラットホーム」という意味の由。「ガラクシーアかよ!」というツッコミはやめてね。

12時過ぎ、遠野に着く。

Photo_4 しばらく来なかったから、駅前の景色などもずいぶん変わっているだろうなぁと思っていたのだが、何とも恐ろしいくらいに変わっていない。数件、店が変わったりはしているけれど、私が初めて遠野に来た1980年の頃と、ほとんどまったく同じなのだ。びっくりしたような、安心したような、呆れたような。

市民センターは、歩いて5分ほど。昼食の部屋に案内されると、教育長さん、センター長さん、父母の会の会長さん、社会教育課の方々が大歓迎してくださって恐縮。そしてその中に、台本作者の岡野さんや、当時職員だった濱田さん、岩手日報の杉田さんの懐かしい顔も見える。間もなく、遠野の音楽のリーダーである斉藤さんもやってきて、気分は一気に遠野モードに切り替わる。

2007年12月 8日 (土)

創作バレエ「おしらさま」再演

ずっとご無沙汰していた岩手県遠野市から、突然手紙が届きました。

遠野市民センターバレエスタジオ開設30周年記念公演で、「おしらさま」を再演するとのことなのです。

_balletmiddle01「おしらさま」は、このバレエスタジオのために、1981年に作曲したバレエ作品。当初は、遠野で楽器の弾ける人大集合!で、吹奏楽あり合唱あり、ギターやマンドリンありの二度と再現不可能な楽器編成でしたが、86年に大改訂して、2管編成の管弦楽に配置しなおして、東京と中国の北京でも上演されました。 その後、室内楽版も作りました。

初稿を書いたのは27歳だったのですね。これをきっかけに、私がしばらくの間「遠野」にハマっていたことを、古くからの友人はみな知っていると思います。

遠野市民センターバレエスタジオは、全国でも珍しい、市が運営するバレエスタジオです。プロの指導者が、東京から毎週通って指導にあたっていました。初演の頃は、まだ東北新幹線はなく、羽田から花巻空港へYS11で飛んだことや、ガタガタ揺れる東北本線特急で東京へ戻ってきたことを、よく覚えています。将来、仙台で大学の教師になるとは、夢にも思いませんでした。

「おしらさま」が一番最近再演されたのは10年前ですが、今回のことはこの手紙をもらうまで、何の連絡もなかったので驚きました。 ほぼ10年ごとに再演を重ねてもらえるのは、嬉しいことです。

12月23日(日) 午後1時30分開演 遠野市民センター大ホール

情報はこちら

http://www.city.tono.iwate.jp/index.cfm/1,7195,3,html#

2007年12月 3日 (月)

はらこ飯のふるさと

先月はコンサートのことなど、いろいろ書いておきたいことがあるのですが、あとから少しずつ書きます。

昨日、ひょんなことから、はらこ飯を食べに行くことになりました。いろいろ謎の多かった(?)はらこ飯ですが、何とその起こりは、仙台の南にある亘理というところの郷土料理なのだそうです。

そして、あのウィキペディアに詳しく書いてあったので、びっくりしました。「はらこ飯」で検索してみてください。

それによると、亘理は阿武隈川の河口の地域ですが、ここでは鮭の地引網漁が盛んで、大漁の祝いに振舞ったのだとか。知らなかった。

Photo この地域には何軒か郷土料理のお店があるようですね。私が行ったのは、「田園亘理店」。日本食のファミリーレストラン風ですが、とても美味しかった!駅弁の「はらこ飯」もそれなりに美味しいと思うけど、やっぱりご飯が温かいのは嬉しい。ノリの味噌汁も美味でした。

もう少し後の季節になると、「ほっき飯」が始まるんだそうです。仙台から高速を使えば40~50分くらい。また行きたくなりそうです。

2007年10月19日 (金)

お手軽東北の味

大学の生協食堂では、時々ご当地フェアのような企画があります。

いま、「八戸せんべい汁」というものを食べてきました。八戸の方には申し訳ないですが、初体験でした。しょうゆ味の汁に、鶏肉やニンジン、大根などの野菜とともに、南部せんべいを割ったものが入っているのです。そう、けんちん汁に、ちょっと妙なものが入っていると思えばいいですね。

汁にせんべいを入れるだって!?・・・と、今まではちょっと引いていました。まぁ、食べる機会もなかったし。

もちろん、せんべいはふやけます。どうなるかというと、手ごわい麩というか軟弱なほうとうというか、そういうものになります。八戸の方には申し訳ないですが、思いのほか美味しかったです。

そういえば数日前には、ふかひれスープがメニューにあがっていました。なぜそんなものが・・・というと、宮城県気仙沼はふかひれで有名なのです。

ふかひれ・・・。えっと、シイタケがたくさん入っていました。

あ・・・うん、ふかひれも入っていましたよ、確かに。

これも普通に美味しかったです。だって、シイタケのだしがきいているもの。

2007年8月19日 (日)

還燈会

神奈川の家のすぐ北側には、墓地が見えます。

墓地といっても、ひとつの丘陵をまるごと拓いた公園墓地ですから、総面積は20万平方メートル、大変広大です。ここは著名人のお墓も多く、文学者に限って言えば、柳田國男のほか、尾崎士郎、坪田譲治、横溝正史といった人たちも眠っているそうです。柳田國男氏の墓所はわかりやすいので、散歩の途中にお参りしたりします。

宗教・宗派不問の墓地ですが、運営母体は浄土真宗のお寺で、毎年この時期になると法会が営まれます。 場内には、ささやかながら、ワタ飴売りや金魚すくいなどの屋台が並びます。夜8時からの野外の法要の前には、献灯(送り火)、ゲストの演奏や芸能の舞台などもあったようでした。この後催される花火大会がお目当てですが、ちょっと覗きに行ってみました。

Photo_4法要は、小規模ながら雅楽が生演奏され、僧侶によって唱えられる聲明が流れる厳粛な雰囲気。だけどね、時折、そう、ちょうど雅楽の太鼓がドウと打つタイミングで、大音響とともに、スピーカーの上に置かれたバズーカ砲のような筒から、会衆に向かって花吹雪が飛び出すのですよ。ものすごくびっくりしました。

もしかして、これって散華の代わり?散華というのは、諸仏を供養するために、僧侶が聲明を唱えながら、花、もしくは蓮の花をかたどった色紙を撒く静かな儀式なのですが。うーん・・・。

法要の後は、花火大会。

15分か20分間くらいの量ですが、何しろ目の前の真上に上がるので、かなりの迫力です。この行事が済むと、あぁ夏もそろそろ終わりに向かっているなぁと思います。・・・いやいや、まだ夏が終わっては困る!夏休みの作曲が、まだまだたくさん残っているのだから(焦)。

1 2 3 5 花火の写真を撮るのは難しいですね。どうしても火事か爆撃みたいになっちゃうんだな。

2007年8月 7日 (火)

暑中お見舞い申し上げます

Photo ほぼ一ヶ月ぶりの更新になってしまいました。

あまりにも放置され続けているので、どうかしちゃったんじゃないかと、何人もの方からご心配いただいてしまいました。どうもすみません!

病気でも旅行中でもなかったのですが、7月は、新しい譜面を待ってくださっている方が複数おられるのに加えて、学校の仕事がメチャクチャに忙しく、夜遅く帰ってくるとすぐにベッドにヘタレこんでしまうような生活でした。

今年の春まで、現職教諭の身分のまま大学院の学生として来ておられたSさんが私の様子を見て、「ダイガクのせんせって、こんなに忙しいとは思いませんでした」と目を丸くしていました。

週8コマもの授業を持っていましたから、そのすべてとは言わないまでも、いくつかの授業については事前の準備が必要で、それだけでも一週間がフルになるのに十分ですが、加えて二つの委員会、特にひとつは大学の広報を受け持つ委員会の実働隊長を命じられています。

このほぼ一ヶ月の間に、「大学案内」と「大学院案内」の二つの冊子を発行し、秋に刊行する広報誌のプランを立てて原稿を依頼し、駅前のスクリーンで流れているオーロラビジョンCM番組更新を手配し、大学のホームページと大学案内DVDのリニューアル計画を進め・・・と、これらの仕事を期限に追われながら、リーダーである副学長先生と4人の委員の先生、2人の事務官とでこなすのですから、頭の中がメモリー不足でフリーズ寸前でした。

私が卒業した某大学のように、(今はどうかわかりませんが、当時は)7月になると授業もまばらになって、なし崩しに長い夏休みに突入というのと違って、7月の最後まで授業はあるし、その後もオープンキャンパス、成績提出と、やるべきことがテンコ盛りです。

ようやく二つの冊子は出来上がり、夏休み前に手配すべきことはすべて済ませました(たぶん)。8月1日からは1泊2日の人間ドック、4日からは認定講習。

認定講習というのは、現職の小中学校の先生が免許の種類をグレードアップするために、教育委員会から依頼されて開く講座です。3日間で10コマ、指定されている科目は、「音楽理論、作曲法(編曲法を含む)及び音楽史(日本の伝統音楽および諸民族の音楽を含む)」です。こんな長ったらしい免許科目名の求めるすべてができるわけはありません。ざけんなよ。

10人の受講者の方々には、最終的には三部形式の作曲をしてもらい、それぞれとてもいい曲を作ってくれて楽しかったけれど、仙台では珍しく、最高気温34度なんていうのが続く中、冷房のない教室で(!)勉強するのは楽ではないです。

二週間仙台に居続けましたが、昨晩神奈川に戻ってきました。これからしばらくは、まだまだ譜面を待っている方々のために、作曲優先の生活を送るつもりです。

仙台では、昨日から「仙台七夕」が始まりました。仙台市民は、この期間はジッと家にとじこもって、できるだけ街には出ないようにすると言います。道路は観光バスで渋滞するし、ものすごい人出だし。

そうはいうものの、仙台が一年で一番活気溢れる日ですから、帰りがけにちょっと街に出て写真を撮ってきました。

5 仙台駅コンコースの竹飾りは、一週間くらい前から飾られています。

1 3

4 仙台七夕は8日まで。http://www.sendaitanabata.com/

ちなみに、この記事トップの写真は秋保大滝です。幅6m、高さ55m。「日本の滝 百選」のひとつです。少しだけ涼しげな気配をお届けできたら幸いです。

2007年7月 3日 (火)

ざわざわする風景

6月27日の記事に、nanakoさんが付けてくださったコメント。ご本人の許可を得て再掲し、ここにお返事を書きます。

きっきぃさま、ご無沙汰しております!お元気そうでなによりです。もう10年近く前になるのかな、友達と二人で青森を旅しました。最初の宿だけとって、それ以降はだいたいのコースを決めて詳細はいきあたりばったり。田沢湖のほとりにある、湖畔荘というところから出発しました。途中では六カ所村にもたちよりましたよ。あそこは原発のための大型トラックと自衛隊の車輌が走る、東京生まれ東京育ちの私には、とってもとっても胸がざわざわする、現実の生活がそこにあるとはなかなか思えない村でした。民宿というか、原発で働く人たちが泊まるような宿しかなく(事前に予約したのですが到着すると、二人とも女性とは思わなかった、女性二人では本当は泊められないんだ、と言われました)、なんだか自然と無口になってしまう村でした。でも貴重な時間だったと思っています。
うーん、またあんなふらり旅にいきたいものです!

nanakoさん、ご無沙汰しました!お変わりありませんか。お仲間の皆さんの奮闘ぶりは、いつも座日記で楽しく読ませていただいています。

さて、コメントをありがとうございます。10年前(?)の旅、ロードムービーのようにいろいろ想像しながら、読ませていただきました。行き当たりばったりに旅するには、東北は最適かも知れませんね。どの県にも見どころがあり、美味しい食べ物や温泉にも出会えます。行き当たりバッタリだと、駅に行ってみたら、次の列車まで1時間半待ちなんていう楽しいこともあるかも知れません(笑)。どうぞまた、ふらり旅にいらしてくださいね。

ところで、さすがに六ケ所村には行ったことはありませんが、東京都心を離れると、たちまち原発やら自衛隊駐屯地やらにぶつかります。今回も、青森駅から美術館へ行くタクシーは、駐屯地の敷地を避けて迂回していきました。仙台駅からローカル線で4つ目の駅前にも駐屯地があります。どちらも、その都市の中央駅からさほど離れていない、市民生活圏の真っ只中です。

東京近郊にも駐屯地や基地はあり、親戚の家に行くと、厚木基地に離着陸する飛行機のものすごい爆音が聞こえたりします。でも、都心やその周辺だけで生活していると、そんな現実社会があることを忘れてしまいます。

仙台の学校に勤め始めて間もないある日、朝から遠い地鳴りのような音が聞こえていました。何だろうな・・・と、時折不気味に響く低い音を気にしていましたら、今日は王城寺原演習場で演習をやっているんですよと、事務官の人から教えられて、びっくりしました。こんなところまで聞こえるの!?演習場から大学までどのくらいあるでしょう。少なくとも泉ヶ岳という山の向こうです。同じ県内とはいえ、かなり距離はあるはずです。

私はかつて、一度だけ仙台の駐屯地の中に入ったことがあります。入隊を志願したのではありません。宮城で開かれる国体のために、ファンファーレのひとつを作曲したのですが、北部方面音楽隊がその模範演奏録音をしたのです。

敷地の中に入ると別世界。何やらとても静かで、当然かも知れませんがゴミひとつ落ちていない。そして道はまっすぐに整備され、同じ規格の建物がずっと並んでいる。少し古い団地か学校に迷い込んだ感じですが、もちろん子どもの声も聞こえないし、井戸端会議をする奥さんたちの姿もありません。つまり生活感がないのです。どこかで見た景色だな・・・と思って考えてみると、それは中国でした。長春かハルピンの郊外の団地だか学校だか。共産主義国家とここの景色が共通しているって、何だか微妙です。

音楽隊の人たちは、練習とはいえ制服を着て演奏します。指揮者は、巷のオーケストラなどと違って、絶対的地位にいることがわかります。私などには、にこやかでとてもフレンドリーでしたが、演奏者たちには部下に接するような感じでした。休憩になっても、演奏者たちは冗談を言うでもなく、喫煙所に集まる人たちも黙々と煙を吹いているだけで、話しかけてみても必要最小限の答えを返してくれるだけですから、こちらも思わず無口になりました。

おっと・・・話がそれてしまいましたね。災害救助に出動してくれる自衛隊には感謝しなければならない。でも、その存在の仕方には、時として少なからず胸をざわざわさせられると言わざるを得ません。そして、同様に胸をざわめかせる原発も米軍基地も都心にはなく、地方が危険と隣り合わせで引き受けているのです。那覇空港に降り立つ飛行機の窓から、米軍や自衛隊のトラックが並ぶ空港の様子を見て、ざわざわしない人がいるでしょうか。私が学校で聞いた不気味な低い音、あれは実弾訓練だったのかどうかわかりませんが、現実に実弾訓練をしている演習場もあるのです。

都心の空き地に、小じゃれた何とかヒルズなんていうものばかり作らないで、六本木だかお台場だかに、原発でも駐屯地でも基地でも作って実弾訓練でもすれば、ざわざわする人がもっと増えてこの国も少しは変わるのではないか。暴言の謗りを承知で、そんなことを思ったりします。

長話になってごめんなさい。湿度の高い日が続きます。どうぞご自愛ください。

2007年6月27日 (水)

あおもり犬とフォトアルバム公開のお知らせ

「あおもり犬」、面白いからここにもリンクを貼っておこう。

http://www.pref.aomori.lg.jp/plan/koukoku/aomoriken.htm

美術館が三内丸山遺跡の隣であるということを意識して作られた、と何かで読んだ。地面を掘り起こしていたらこんなの出てきちゃったよ!・・・というような構え。高さ8.5メートル。デカイのだ。残念ながら、今回はそのエリアが工事中で、実物を見ることが出来なかった。

「あおもり犬」という名前は、実は仮称で、もっとふさわしい名前をと公募したら、「そのままでいい」という意見が多かったので正式な名前になったのだとか。私も、そのままでいいと思う。

弘前、青森関係の写真、少しですがアルバムにして公開します。左サイドバーのカレンダーの下、「最近の記事」の上にある「弘前・青森(2007.6)」をクリックしてください。サムネイル(縮小画像)が並んでいますから、クリックするとアルバムのように表示されます。時間のある時にでも、ご覧になっていただけたらと思います。

2007年6月26日 (火)

青森へ

23日お昼前に弘前を発つ。八戸までの直通特急と時間が合わなかったので、青森行きに乗る。それならばと、下車したことのない青森で降りてみることにした。

弘前は駅舎が新しい。それに、駅と繁華街が少し離れている。公園の周囲は静かだ。城下町であり、洋館が並び、老舗の和菓子屋さんが多いという、品格のある街である。

青森は対照的。駅舎はいささか歴史を感じさせるし、改札を出た途端に生活者たちのエネルギーが伝わってくる。青森がニューヨークならば、弘前はワシントンD.C.か。青森駅に入線する列車の窓から、ストリップ劇場と思しき小屋や、いかにも場末然としたスナックのシャッター閉じたままという景色が見える。かように、侘しくも猥雑な光景は弘前では見られなかった。だが、こういう光景、私は決して嫌いではない。

人々は活発に行き来する。だが、東京の人々のように、足が地面から浮いた軽々しい慌しさではない。駅前の通りには居酒屋や食堂が並ぶ。小ぎれいではないが、素朴に美味しいのではないかと想像してしまう。道を歩く高校生たちの津軽弁はやわらかく、愛らしくさえ思える。

Photo_43 駅前のファッションビルの地階、「新鮮市場」と書いてあったので下りてみたら、いきなりこういう市場が、広いフロアにぎっしり軒を並べていて、外観とのギャップにびっくりした。私は、普通のデパ地下を想像して階段を下りてきたのだ(パルコやロフトの地階がこうだったらびっくりすると思うぞ)。那覇・牧志の公設市場に飛び込んだみたい。鮮魚、乾物、青果、酒・・・何でもある。ホタテ、ハタハタ、シマホッケ・・・もちろん売られている魚の種類は沖縄とは違う。

2_19 市場の中に何軒か食堂があって、その名も「市場食堂」という、おばさんが二人くらいでやっている食堂に入ってみる。入るといってもカウンターだけで、のれんもないけれど。

注文をしてぼんやりしていたら、隣でざるそばを食べていたおじさんがつっと立って、セルフサービス機からお茶を淹れ、何も言わず私の分も差し出してくれた。慌ててお礼を言う。よく見ると、「お茶はセルフサービスです」と書いてある。ざるそばなどメニューにないのだから、お店の人だったのだろうか。だが、食べ終わると食器をおばさんに渡し、どこかへ行ってしまった。

ホタテ、ウニ、イクラの三色丼。小鉢と香の物、味噌汁がついて1,800円。新鮮なホタテの美味しさ、甘さに驚嘆!都会モンにとって、この味でこの値段は決して高くない。

Photo_44 腹ごしらえをした後は、青森県立美術館に行ってみる。青森駅から車で15~20分、タクシーで1,500円ほど。三内丸山遺跡に隣接する総合公園のだだっ広い敷地の中にある。雪の塊のように真っ白の建物で、内装も真っ白。「かまくら」に入っていくような感じだ。昨年7月にオープンしたばかりとのこと。

青森県立美術館→ http://www.aomori-museum.jp/ja/

圧巻なのはアレコホールという4層吹き抜けの巨大空間。ここに、シャガールがバレエ「アレコ」のために作った4枚の舞台背景幕のうち3枚が常時展示されている。幅15m、高さは9m。

「アレコ」という作品はラフマニノフのオペラがあるけれど、こちらはアメリカン・バレエ・シアターのもので、音楽はチャイコフスキーのイ短調ピアノトリオを編曲したものだという。実に見事な美しい3枚の背景幕に囲まれ、用意された椅子に座ってぼんやりするのは、とても贅沢な時間だ。ここに座るためだけでも、この美術館を訪れる価値はある。

企画展は特にやっていなかったが、常設展が二つ、弘前大学の先生でもあった村上善男の個展と、「都市の空気、故郷の土」と題して、青森に縁のある10人の作家の展示。

「都市の・・・」では、塗装工事中のために奈良美智と寺山修司の展示室が見られなかったのはとても残念だった。ただ、奈良美智はいくつかの小さな作品と「フラフラガーデン」を見ることができたけれど。

10人の中には、棟方志功はもちろん、成田亨も含まれている。ウルトラマンや怪獣のデザインを手がけたこの人の両親は青森の人で、彼は元々彫刻家だったということを、今回初めて知った。

小島一郎という写真家のことも初めて知る。1924年生まれ、64年に39歳の若さで没した。津軽と東京を撮った白黒画面はいずれも暗く幻想的だが、かえってそのために強烈なリアリティを放っている。もっと作品を見てみたいのだが、その機会がほとんどないのが残念。

三内丸山遺跡は美術館から歩いて10分くらいだから帰りに寄ってみたらいいと、タクシーの運転手さんが勧めてくれた。だが、夏でもこんなに暑くないと運転手氏が言うほど暑い日で、朝から歩き回って疲れたし、東京まで移動することを考えるとそろそろ限度かな・・・ということで、三内丸山遺跡はまたの機会に。

Photo_46 そのかわり(?)、こんな子を連れて帰ってきた。奈良美智のデザイン。

追記。この美術館には奈良氏製作の「あおもり犬」という傑作がある。→ http://www.pref.aomori.lg.jp/plan/koukoku/aomoriken.htm

2007年6月25日 (月)

弘前へ(2)

23日(土)、青森県に足を踏み入れる機会は滅多にないのだから、ひとりで気ままに散歩しながら帰ることにする。

Photo_40 弘前公園の近くには、明治期に建てられた洋館が多く残っている。キリスト教布教が盛んに行なわれた影響だそうだ。

青森銀行記念館(重要文化財)は、外観も中も、とてもすばらしい。元は第五十九国立銀行として建設されたもので、ここでも貨幣を作っていたらしい。中には、この建物と銀行の歴史を物語る資料が展示されている。

Photo_41 この八角形3階建てのツインタワーは、旧弘前市立図書館。小ぶりの机と椅子が並ぶ婦人閲覧室や、司書さんが座っていたのであろう受付などを見ていると、昔の人々の気配が感じられるような気がする。小さな建物だから、現代の図書館としては役に立たないだろうが、この落ち着いた佇まいは安堵感がある。知識が身につきそうな図書館なのだ。

Photo_42 弘前公園はとても広いので、少しだけ歩くことにした。弘前城は、東北で唯一、天守台が当時のまま残っているというお城。桜が有名だけれど、この時期、公園全体を覆っている緑も大変美しい。

2007年6月24日 (日)

弘前へ(1)

最近、記事の更新が滞りがちになっています。何か書いているんじゃないかと訪れてくださっている方々には申し訳ないです。元気なのですが、仙台にいる平日は、何しろ8コマ(!)もの授業をかかえていて、準備が必要なものもあるし、それ以外にも委員会の仕事などもあって、夜にはすっかりくたびれてしまうのです。少しずつ更新しますので、どうぞご寛恕ください。

さて、6月22日(金)は授業を休講にさせてもらって弘前へ。昨年も6月23日付けの記事で秋田に行ったことを書いているけれど、今回もその時と同じ用件。東北六県の教員養成系大学の音楽教員が集まっての会議。

仙台から東北新幹線はやてに乗って、八戸で特急に乗り換え。

Photo_39 あれ?海が見えるぞと思ったら、陸奥湾だった。浅虫温泉はこの湾沿いにある。

2_16 停車駅の少ないタイプの特急に乗ったから、途中停車駅は青森だけ。ここで列車の進行方向が変わるから、各自座席をひっくり返しなさいと放送がある。

仙台を発ってから2時間50分ほどで弘前に着いた。前に弘前に行ったのは12年前だと思うが、盛岡からバスだった。何だかやたらと遠かった印象があるのだけれど、今回はそれほどでもないように感じる。でも、2時間50分ほどというのは最短で、八戸と弘前を結ぶ特急の本数が多くないから、時間を選べない。

さて、弘前と言えば、ねぷたとリンゴ。

2_17 これは弘前駅前で見かけた郵便ポストです。「りんごのまち弘前」だそうです。こんなところにまでリンゴ置かなくてもいいのに。

午後に始まった会議は、夕方、無事終了。微妙な雰囲気とも言えるけれど、かつて連帯していた旧国立大学「東北六県の教員養成系大学」は、今はお互いにライバルになってしまったのだから、仕方のないことかも知れない。弘前の、微妙に暮れゆく空。

Photo_38

2007年5月21日 (月)

青葉の山

先週、大学構内で撮った写真。あまりにも緑がきれいだったから。

1_8 O先生が授業で育てている花壇。きれいに咲き揃っています。

2_10 構内は、一年で一番美しい季節を迎えています。

卒業生の諸兄姉にとっては懐かしい風景?

3_4 4_3

(写真はクリックすると大きく表示されます。)

2007年4月18日 (水)

桜満開そして獲物多数

4181_1仙台は、桜が満開です。でもねぇ・・・寒いんですよ。

マー君初勝利おめでとう。しかし、今夜はナイトゲームだったなんて信じられないな。足元が深々と冷える寒さなのだもの。

4182_1 外出したので、学校に戻る前にちょっとだけ寄り道をして、宮城県美術館付近の桜の写真を撮ったりしました。

ところで、市街地からここに至る道路は、ほとんど定置網のように「ネズミ捕り」が仕掛けてあります。割合交通量の多い交差点を抜け、こちらへ向かう車がぐっと減る橋の上、やれやれ・・・と思ってアクセルを踏まこまないドライバーはいないでしょう。ここが「定置網」の常置場所だと知っている人でなければね。

ゆるやかなカーブ。獲物を狙って潜む姿は見えません。途中に脇道がなく、対向車線との間には自動車専用道路へ向かう分岐があるので、まったく逃げ道がありません。対向車の姿が見えないようになっているから、対向車が「危険」を察知して警告してあげたりすることもできない。まるで、「ネズミ捕り」のために作られているような道路です。

常に大量捕獲が保障されていることに味をしめたからかどうかわかりませんが、とにかく頻繁に捕獲作戦が繰り広げられます。だから、知っているドライバーは不自然なくらい徐行運転をします。それを横目に見て、何のろのろしてんだ!・・・とばかり追い抜いていくと、「止まれ」の旗に息をのむことになる。

4183_1 私の車を第二車線から抜いていった他県ナンバーも捕らえられましたし、近くの合法的な場所に車を停めて、歩いて桜の写真を撮っていたほんの数分の間にも、哀れなネズミたちが5台くらい捕まっていました。あれは、やっている方は面白いだろうなぁ・・・。

仲の瀬橋を渡る時は、絶対スピード上げちゃだめですよ~!

(ちなみに、私は捕まったことはありません。冬の夜に同じ場所で、飲酒運転を捕まえる一斉検問で止められたことはありましたが。もちろんシラフでした。)

 

2007年4月11日 (水)

桜開花中間報告

仙台から、桜の開花中間報告をします。

Photo_28 このように、ほぼ満開になっている木もありますが、全体にはあともう一息といったところでしょうか。昼間はともかく、夜はまだとても寒いです。でも、今週末か来週初めくらいには満開になるでしょう。

この季節になると、桜だけでなく、ハクモクレンやユキヤナギなどいろいろな花が一斉に咲き揃います。北国の春らしい風景です(写真はクリックすると大きく表示できます)。

2007年4月 6日 (金)

春は近い?

Photo_27 県議会、市議会議員の期日前投票を済ませた帰り、お昼少し前の定禅寺通り。

仙台のシンボル、ケヤキ並木にまだ新芽は見えない。桜はまだつぼみ。だが、枝全体が赤くなり始めたところもある。今日、仙台でソメイヨシノの開花宣言があった。

お花見スポットの西公園は、提灯が吊り下げられて、もう酔客を迎える用意は整っている。だが、まだ花は咲かないし、桜が満開になったとしても夜はものすごく冷え込むのだから、あんな寒いところでお花見する気にならないよ。昨日なんかみぞれが落ちてきていたし。

でも、来週の半ばくらいには、街のあちこちに開花した桜が見られるかな。今年二度目。二重生活ならではの楽しみのひとつ。

2007年4月 2日 (月)

「招き猫」の寺

30分かけて歯科医院に行ったら、治療はものの5分ほどで終わってしまった。

薬を塗るだけで複雑な治療をしていないからだが、いいけどあっけないなぁと思いながら医院を出て、ハタと思い立った。この近くに「招き猫」のお寺があるはず、ちょっと行ってみよう。

Photo_26 大谿山豪徳寺。小田急線の駅名にもなっている曹洞宗のお寺。駅から10分ほど歩いただろうか、思いのほかと言ったら失礼千万だが、大変立派なお寺に行き当たった。立派なはずだ、安政の大獄や桜田門外の変で知られた井伊直弼の墓所がある名刹なのである。世田谷のど真ん中とは思えない静けさが心地良い。

で、それが一体なぜ「招き猫」なの?それには、こんな話があるらしい。

昔は貧しい寺だった。時の和尚は、自分の食べ物を分け与え可愛がっている猫に「お前、こんなに可愛がっているのだから、恩を知るなら何か果報を持って来いよ」と言い聞かせていた。

数ヵ月後の夏の昼下がり、鷹狩りの帰りと思しきお侍が寺に入ってきて、和尚に言った。

2_4 「今、そこを通りがかったら、門前で猫が手招きしおったぞ。何か様子が変だったから立ち寄ってみた。ちょっと休ませてもらおう。」

渋茶でもてなしていると、一天にわかにかき曇り、激しい雷雨になった。和尚は、静かに三世因果を説く。お侍は大いに喜んだ。夕立をしのぎ、貴僧のありがたいお話を聞くことができたのは猫の手招きのおかげ、これひとえに仏の因果である。我こそは彦根城主、井伊掃部頭直孝。これよりさらに心安くお願いしたい。

これをきっかけに井伊家の菩提寺となって、伽藍も立派になり、発展を遂げた・・・というわけだ。

猫、顔を洗ってただけじゃないの?・・・そういうツッコミはやめておこうね。

1_1 仏殿の横に招福観音を奉る「招猫堂」があり、その脇の棚に大小さまざま、たくさんの招き猫が奉納されている。幸福を願う人々から奉納された役目を終えた招き猫たちだ。(写真はクリックすると大きく表示されます。)

そもそもこの場所に果報者の猫の墓があり、片手を上げた像を作って奉ったところ、縁起物として人気を呼んだのだという。ほとんどが右手を上げているけれど、左利きの猫もいるみたいだな。右手を上げる猫は金運を招き、左手を上げる猫は人を招くのだそうだ。両手を上げるのは欲張りすぎで、「お手上げ」につながるから嫌われがちだとか。(ただし、「招き猫」の起源には別の説もあるようだ。)

都心であることを忘れる清閑としたたたずまい、歴史を刻む名刹の広い境内の片隅に、こんな愛すべき一角があるのは何ともほほえましい。だが同時に、さまざまな思いをこれらの無数の猫たちに託してきた人々の心情を思うと、ユーモラスなしぐさとは裏腹に、厳粛な気持ちにもさせられるのである。

2006年11月22日 (水)

teaさんとトンガのこと

11月4日の記事「15秒CM(続き)」の最後のコメントにも書いてありますが、大洋州の島国トンガは大変なことになっています。なぜ、トンガのことを書くかといえば、卒業生のteaさん(か☆えさん)がJICAの派遣で長期滞在しているからです。

9月に国王が亡くなられ、日本の皇太子が葬儀に参列されたことは日本でも報じられました。ところが国王の死去で政治的バランスが変わってしまったのでしょうか、11月16日、暴動が起こりました。外務省のホームページから拾ってみます。

「トンガでは、近年、王制及び政府に対する反発が強く、民主化の早期実現を要求するデモ(街を練り歩きながら、時には合唱したりもする平和的なもの)が連日のように行われていましたが、11月16日、議会で民主化推進のための諸措置が採択されないことに反発した民衆の一部が暴徒化し、官公庁、政府系スーパーマーケット、政府系ホテルなどを襲撃し、停車中の政府関係車両を転覆させ、建物に放火しました。同日夜には、中国系商店が襲撃・放火される(中国人は多くの商店を経営するなどしてトンガの経済に大きな影響力を有しており、一般にトンガ人の中国人に対する感情は良くないとの背景があります)状況となり、夜間外出禁止令が発出されました。」

teaさんからの一報がmixi に書き込まれたのも、この日のうちでした。日本ではまだ報道されていませんでしたから、とても驚きました。再び外務省ホームページから。

「16日の暴動も深夜に入って、ようやく軍・警察合同の治安維持部隊が編成され、市街地中心部にかけて道路閉鎖等を行うなど同地区における暴徒の鎮圧が開始されました。ただし、市の中心部を外れた地域には未だに暴徒等が徒党を組んで徘徊し、特に中国人経営の商店などに対する襲撃等を行いました。事態を重く見たトンガ政府は、17日午後、非常事態権限法(EMERGENCY POWERS ACT)を発出し、国家が緊急事態にある旨を国内外に伝えました。この法律は原則30日間の期限付きで、非常事態下における措置として、治安回復のために軍・警察合同の治安部隊に逮捕状なしに市民を拘束できる権限の付与や集会禁止、移動の制限等を規定しており、トンガに滞在する際は多くの制約を受けるものとなっています。右非常事態権限法は具体的には、国軍及び警察に一定の権限を与え、特定の地域・道路等の立入制限、5人以上の集会の禁止や令状無くしての逮捕(48時間以内の拘束)、特定時間帯の外出禁止等の条項を有しています。」

翌日のteaさんの書き込み。「今回の暴動で6人の死者が確認されているとのこと(全焼した建物から発見されたため、身元の確認ができていない)。」「政府はオーストラリアの軍隊に応援を要請している」。そして、「街の中はすべて破壊されているので、武装した軍により進入を禁止されているようです。友達の中国人によると、トンガ滞在の中国人700人ほど、明日の朝に緊急帰国するそうです。」

さらに20日には、「空港も街も武装したトンガ、ニュージーランド、オーストラリアの軍がたくさんいる」「中国大使館を通して避難する中国人10名ほどが、四方八方軍に囲まれ警護されながら、裏口から空港に入ったそうです。」と書いています。

ライフラインについては、21日現在「ネットは大丈夫、水道や固定電話も元通り、携帯がつながりにくいです。一番大きなガスステーションはたぶんまだclosed」とのこと。そんな状況なのに、ネットの書き込みでやり取りができるのは、teaさんにとっても私たちにとっても不幸中の幸いだと思います。

事態は少しは沈静化しているのでしょうか。teaさんは自宅待機中。狙われやすいという中国人と私たち日本人が絶対に間違われないかと言えば、そんなことは言い切れません。だから、自宅待機もしくは少数の信頼できるトンガ人と一緒にいることを余儀なくされているのです(5人以上の集会は禁止されている)。

今日(22日)のteaさんの書き込みは、哀切なものです。

「暴動直後一時ストップしていたMatangi Tongaが復活しました。ここにもトンガの街の様子が載っています。
http://www.matangitonga.to/article/photonews/restricted_zone201106.shtml
トンガで一番充実したスーパーマーケットMolisiも、いつも野菜を買っていたTalamahu Marketも、生活雑貨屋Narottamも、文房具や葉書きの揃ったFriendly Island Bookshopも、週に1、2度映画を見ていたStar cinemaも、全部なくなりました。今は時間が経って冷静に受け止められるようになりました。悲しみを通り越した後には、暴動を起こした若い男たちに対する不信感が募ります。 」

teaさんがトンガという珍しいところにいるから、このブログでもteaさんのこと、またトンガでの暮らしのことなどを紹介したいと思っていましたが、どのように紹介しようかと考えているうちに、機会を失っていました。それが、こんなかたちで記事にすることになるとは、本当に残念です。怖ろしく悲しい思いをしていることは、察するに余りあります。teaさんが無事にこの災難を乗り越えられるよう応援することしか、私たちにはできません。一日も早く元通りの平和な島に戻ることを祈るばかりです。

2006年11月 5日 (日)

合唱団「じゃがいも」林光作品を歌う PART 11

1105 昨日は、合唱団「じゃがいも」の33回目の定期演奏会を聴きに、山形へ行った。合唱団「じゃがいも」については、4月4~5日にも記事を書いている。

隔年で、作曲家・林光さんに合唱劇などを書いてもらって上演するといったようなことが、もう11回目、足かけ20年にもなるのだそうだ。そして「じゃがいも」さんたちとは、近年その隙間の(?)隔年で、私も少々お付き合いをさせてもらっている。

今年は、「宮澤賢治詩華集(アンソロジー)」と、委嘱作品の音楽劇「革トランク・賢治の東京」。加藤直さんが演出、第1部の指揮は林さん。

この合唱団では、団員である父親、母親にくっついてきていた子どもたちがいつしか一緒に歌うようになり、「子じゃが」と呼ばれるようになった。既製の作品で、大人も子どもも一緒にステージに上がれるようなものは、ほとんどない。そこで、そのためのレパートリーを広げるために、毎年作曲家に委嘱して、たくさんの合唱劇が生まれてきたというわけだ。今年はついに(?)「孫じゃが」まで登場。「子じゃが」と呼ばれてきた子どもたちもずいぶん大きくなり、合唱団の大きな戦力になっている。むしろ、大人を「じじじゃが」「おばじゃが」とか呼んだ方がいいんでない?なんていう冗談も聞こえてきたりする。

音楽劇「革トランク・賢治の東京」は、童話「革トランク」を縦糸として、賢治が上京した時のエピソードを賢治作品に置き換えて配したもの。東京でチェロを習うというエピソードのあとにオペラ「セロ弾きのゴーシュ」の一場面が、浅草でオペレッタを見たというエピソード紹介に続いて「飢餓陣営」が演じられるという具合。

光さんの音楽は、熟達した職人仕事。「ゴーシュ」などはもちろんだが、書き下ろしの無伴奏合唱「鳥のように栗鼠のように」などもいつも変わらぬ清潔な美しさ。どの場面も楽しく賢治の世界で遊ばせてもらった。

今回のプログラムは、来年1月21日に東京・亀有のリリオホールで、初の東京公演がある。合唱団「じゃがいも」のホームページ→http://homepage2.nifty.com/jagaimo/

1105_2 仙台から山形へは、いつもはバスで行くのだけれど、昨日は久しぶりに仙山線で出かけて行った。面白山高原あたりは紅葉の真っ盛り、山寺駅は観光客でいっぱいだった。山形の空は広い。そして、やっぱり蕎麦は美味しい。

2006年11月 4日 (土)

15秒CM(2)

110415cm2 11時30分、15秒CMが流れるところを写真に撮りました。変更される場合もあるようですが、原則として毎時30分あたりに駅前に行くと見ることができるようです。

・・・そう、ここには「生涯教育総合・・・」の文字はありません。残念なことですが、「芸術文化」を含めたこの課程は、現在の1年生を最後の学年として改組されます。現役学生くんたちは、もうひとつの課程とは違った独自な雰囲気を作っているし、卒業生さんたちもいい仕事をしているのに、もったいないことです。

直接の「後輩」はいなくなるけれど、課程が違ってもこれからの後輩たちとの繋がりは続きますし、私たちとの関係はもちろん今までどうりですから、「芸術文化」の卒業生、現役学生の皆さん、これからもよろしくお願いします。

2006年11月 3日 (金)

15秒CM(1)

数年前、J教育大学の広告がJR東日本の車内誌に載った。みんなびっくりしたし、学校でもずいぶん話題になったのだった。

そんなことで何を驚くのだと言われそうだけれど、「親方日の丸」の威光を借りて、ろくろく自分たちの宣伝などしてこなかったコクリツ大学がとうとうそこまで・・・というとまどいだったのだと思う。私自身は、今の大学に勤める前は私学にいたから、着任したときには、コクリツというのはずいぶんと呑気なところだなぁ・・・と思ったりもしたが、同じ立場のJ教育大が宣伝を打ってきたのは、時代が変わりつつあることを予告するものだった。

仙台にゆかりのある方はご存知だと思うけれど、仙台駅前のLOFTの壁面にオーロラビジョンがあって、CMやプロモーションビデオを流している。J教育大広告から数年、時は流れ私たちの大学もついに(!)そのアオバビジョンに15秒CMを流すことになった。学内の広報委員として、私も企画に少しだけ関わっている。

大学のホームページにもアップされているので、これを読んでくださっている皆さまも、お手元のパソコンでそのCM第1弾をご覧になることができます。

リンクはこちら→http://prc.miyakyo-u.ac.jp/link/CM/

1時間に1回、1日14回流れるそうだ。先ほど駅屋上の駐車場から10分ほど見ていたら、偶然このCMが流れるのを見ることができた。なんか妙な感じ。しかし、1時間の中の15秒だから、たまたま見ることができたのはラッキーと言うべきかも知れない。1時間以内には流れますが、それを目当てにベデストリアンデッキなどからずっと立っていると、これからの季節、風邪をひきそうだから、気をつけてくださいね。毎時30分15秒~30秒だそうです。

1103

2006年11月 2日 (木)

秋の青葉山便り(2)

そんな自然の恩寵を受けて私たちは生活しているわけだが、10月の中旬、パソコンにこんな学内メールが届く。

「スズメバチについては、この10月一杯が最も危険な時期であり、先日も構内において放置された木製物品に蜂が巣を作ったため、近づいた方が刺される被害が報告されました。つきましては、巣を発見された場合、もしくは巣と思われる箇所を発見された場合には、いたずらに近づいたり、振動を与える等の危険な行為を行わないよう留意され、速やかに以下の連絡先までお知らせください。(以下略)」

某先生が刺されたそうだ。幸い大事に至らなくて良かった。そうこうしているうちに、10月下旬にはこんなメールが来た。

「本日、青葉保健所より以下のような情報提供がありましたのでお知らせいたします。
本学校内に自生するキノコを採取し食した一般の方が、具合が悪くなり病院に入院した。キノコは、ボイラー室付近に自生していた『ツチスギタケ』というキノコで、毒性があるものとないものとがあるが、一般には毒キノコとして扱われている。また、具合が悪くなった原因がこのキノコによるものなのか現段階では特定できないが、キノコの知識のない者が、このキノコを含めて、むやみに採取し食さないよう注意願います。」

うーむ、時々一般の人が入って、山菜やキノコを採ってるもんなぁ。いろいろなことがあるねと言っていると、次はとうとう・・・。

「本日、午後4時頃、仙台市青葉区川内三十人町のアパート付近で、小熊の目撃情報が仙台市に寄せられました。その後、仙台中央署の話しでは、小熊は東北大学理学部方面へ逃げたとのこと。日没と共に、本日の捜索は終了し、当面、様子をみるとのことでした。」

きゃ~、通勤路じゃないか!車だから平気だけど。そして、学内には「熊出没注意」の警告書が貼られた。よくこういうステッカーを付けている車があるけれど、シャレにならないよ。

そして、その続報・・・。

・10月30日 夕方   小熊が一頭東北大学理学部方面に逃走
・10月31日 8時頃 八木山南3丁目の住宅の庭で小熊1頭を捕獲
・10月31日 21時頃 霊屋の住宅地で熊3頭を目撃
・11月 1日 朝     米ヶ袋で小熊1頭を捕獲
上記のことから、まだ親熊が捕まっていないため、小熊を探している親熊が付近をうろついている可能性があります。宮城県環境生活部自然保護課野生生物保護班も、HPで今年度県内ではツキノワグマの出没情報が過去最高となっているため、注意を呼びかけています。

ここに出てくる地名は、みんな住宅地だ。今年は宮城県に限らずあちこちで、熊が里にさまよい出てきているらしい。卒業生Sさんの岩手の実家では、おじいちゃんがうろうろしていた子熊を捕まえてしまったそうだ。おじいちゃんてば、そんな無茶しないで!

1102_4 これはもちろん熊ではない。構内で生まれた(らしい)仔猫。食堂のおばさんが世話をしている。まだちっこくて、枯葉と同じくらいの大きさだ。11022

秋の青葉山便り(1)

1102 大学は、仙台駅から車で20分ほど、仙台市街からは約2km、街からもっとも近い「山」である青葉山を上った自然の中にある。青葉山の最高点の標高は202mとのこと。構内は、すっかり晩秋の気配である。

1102_1 今日は、附属小学校の1年生143名が、「校外学習」として大学へやってきたので、あちらこちらに子どもたちの元気な声が響いている。引率の先生とボランティアの学生さんに連れられて、構内を「探検」している。

1102_2 生活科のO先生が、巨大なカボチャを解体しておられた。巨大なカボチャについては10月19日の記事にも書いている。これは、アメリカなどで家畜の飼料用に栽培されるカボチャなのだそうだ。「ウチの学生が育ててもこれくらいの大きさになりますが、大きいものは300kgにもなるんですよ」とO先生。解体してどうするかといえば、種を集めているのである。種も大きくて、柿の種(あられではなくて果実の)を平たく延ばしたような大きさだった。1102_3

こんな銀杏の木の列もある。黄緑色から黄色へと、グラデーションになって紅葉しているのだ。やがて、すべてが鮮やかな黄色になるけれど。

2006年10月 8日 (日)

芋煮る人々

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一昨日、昨日の大荒れの天気がウソのように、今日の仙台は朝から快晴。でも、風は相当強い。

今日あたりはきっと混雑しているに違いないと思って、外に出たついでに、芋煮スポットのひとつを通ってみた。仙台市内、広瀬川にかかる牛越橋。 10082

晴れていて気持ちがいいけれど、この風ではなかなか火が熾きないし、大変だろうなぁ・・・。

昨日の朝はまだ大雨が降り続いていて、今日芋煮る人々が集まっているあたりは、濁流がすごい勢いで流れて、河原がなくなっていた。これでも、河原は普段よりまだずいぶん狭い。

余談だが、仙台城二の丸造営工事の時、国見の峠から採掘された石を牛車が運んでこの橋を渡り、仙台城まで運んだのだという。寛永15(1638)年頃の話。だから牛越橋と呼ばれるのですね。

この先、国見側には「うなり坂」もしくは「鰻坂」とも呼ばれるきつい坂がある。牛が唸りながら上ったとも、雨が降ると滑りやすいのを鰻に譬えたのだともいわれている。便利な抜け道だが、今でも坂はきつく道幅が狭いので、車の行き違いには少々苦労する。

2006年10月 6日 (金)

お部屋で芋煮

9月14日の記事に書きましたが、東北には「芋煮会」という楽しみがあります。仙台では、秋の晴れた日の昼間、広瀬川の河原などで薪で火を焚いて、昔懐かしいアルマイトの鍋で芋煮をしてみんなで食べます。もちろんお酒を飲む場合もあるし、同時にバーベキューをするグループもあります。

1006 大学の同僚O先生は、毎年大学院生さんたちとともに芋煮会を主催していて、今年もお相伴にあずかりました。でも、折からの台風崩れの熱帯低気圧に秋雨前線が刺激されて、今日の仙台は大雨。材料を用意してあるので順延もできないということで、お部屋で芋煮ということになりました。

「仙台風」は豚肉で味噌味。つまり一般的に言う豚汁です。今日の「仙台風」には豆腐、ネギ、ニンジン、こんにゃくなどの他にイクラも入っています。

けれどもある年、山形出身の学生さんが「こんなの芋煮じゃない!」と主張したため、「山形風」も一緒に作る習慣ができたようです。「山形風」は牛肉で醤油味。 1006_1 「仙台風」「山形風」どちらも、とにかく里芋が美味しいのです。

天気の良い日の河原だと5杯とか6杯とかたいらげてしまいます。でも、さすがに室内だとそんなには食べられません。椅子に座ってゆっくり食べられるから、それはそれで良いけれど。秋田風は鶏肉と聞いたことがあります。比内鶏の産地ですからね。岩手では「芋の子汁」と言います。青森と福島はどんななんだろう・・・。長い冬を迎える前の、北の国のひとときの楽しみです。

2006年9月20日 (水)

KEIZOさん

昨日のこと。

KEIZOさんを仙台駅に迎えに行く。私たちの大学で計画しているワークショップの相談のために、わざわざ横浜から来てもらったのである。彼は、コントラバス弾きであると同時に作曲家だ。そして、怪しげな道具を操るパフォーマーであり、最近では「コンバス弾き語り」のCDまで出してしまった。彼に研究協力者として加わってもらい、ジャンルを超える発想で、私たちのプランの「ひっ掻き回し役」になってほしいと思っている。

彼と私とは大学の同級生で、ということはもう30年以上一緒に遊んでいることになる。安酒を飲んで議論してどろどろに潰れるなんていうことは近頃はさすがになくなったが、余計な説明をしなくても、お互い考えていることがわかるのは気楽で良い。

学生の頃は、よくお互いの家に遊びに行った。そして、最近読んだ本や見た映画について生意気に喋り、買いこんできたレコード(もちろんLPレコード)を一緒に聴いたりした。彼がガロ(マンガ雑誌)やつげ義春やあがた森魚について話せば、私が唐十郎やATG映画や大江健三郎について喋る。私が好きだったのは浅川マキで、彼が好きなのは山崎ハコだった。暗いなぁ・・・。ジャズは彼からずいぶん教えてもらった。そんなわけなので、移動中私の運転する車の中でも、「ジャズとか『現代音楽』とか、もうとっくに死んじゃってるよねぇ~」などという物騒な会話が平気で飛びかったりする。

昼ご飯は、もちろんお約束の牛タン定食。1.5人前ずつをたいらげてから、打ち合わせ会場に向かう。アメリカ牛が入って来なくなってから仙台名物の牛タンも値上げして、つまりお皿に盛られてくる枚数が減って、「1.5」じゃないと物足りないのである。

打ち合わせは2時間半びっしりと。少し疲れたが、彼が来てくれたおかげで、今まで暗中模索だったプランの姿が少しずつ見えてきた。

昼間の気温が高かったので、汗をかいたから着替えのTシャツを買いたいという。街を歩いていくとブランドショップがあった。店内を一回りして、「こういうスカした店、嫌いなんよね~」と(わざと)福山訛りで言う。確かに値段が高いし、その割には・・・という品揃えである。店を出て、また少し歩いたところにカリブ雑貨(?)の小さな店があるのを見つけて入っていった。あ、こっちの方がKEIZOらしい、こういう店、私は最近入ってないなぁ・・・と思いながらついていくと、店内は煙たいくらいお香がたちこめている。Tシャツの柄は、「レゲエ」とか「マリファナ」とか書いてあるやつばっかりじゃん!あーだこーだ言いながら、結局3枚5,000円のTシャツを3枚買い、私が1枚引き取ることにした。帰ってから着てみると、Tシャツにはお香の匂いが焚きこめられていた。

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2006年9月14日 (木)

コンビニの店先の薪

Photo_1 関東ではあまり見かけない風景だろうと思うけど、仙台のコンビニの店先ではもう薪を売っているところがあった。今月下旬から来月くらいにかけて、広瀬川の河原などでは、芋煮やバーベキューをするグループが多く見られるようになる。このころになると、ホームセンターでなくても薪やアルマイトの鍋や発火用具が買える。スーパーでは、「芋煮会用品コーナー」が設けられて、剥いた里芋や刻んだ野菜までパックにして売られるようになる。そのまま煮ればOKというわけ。実際は、急に涼しくなって毎日雨模様なので、まだ屋外で遊ぼうという雰囲気ではないのだが。

2006年9月10日 (日)

食い倒れる人々

音楽家という人種は、おしなべて食べることが好きである。札付きの美食家、ワインはどこどこの何年モノが・・・とかいうウンチクを垂れたがる奴もいないことはないが、大半はそうではなくて、みんな楽屋の弁当だってあまり文句も言わずに食べる。そして、弁当は弁当として、今夜本番が終わったら何を食べに行こうか、周到に考えているのである。さらに、私などはダメな方だが、旨いものがあるところを探しあてる嗅覚(?)の鋭さ、どこに行けば旨いものにありつけるかについての情報の豊富さにはまったく驚かされる。びーた、つまり旅の仕事が多いと、あそこに行ったらこれを食え!という知識が蓄積されているのだろう。某オーケストラの団員たちなど、公演のために仙台に到着すると、5分後には牛タン屋のカウンターの止まり木に並んでいると言われる。

こんにゃく座が、「フィガロの結婚」のツアーを東北からスタートさせた。断続的に12月までという長丁場だから、役者たちはセーブしている(かも知れない)が、楽士たちの食欲がコンビニのおでんごときで抑えられるわけがない。あまつさえ、仙台公演は「オリ番」のピアニストきほこさんが、ピアノ仲間のきみこさんと一緒に、わざわざ東京からやってきた。客席から舞台を観るのが目的だけれど、それだけで帰るつもりは毛頭ない。二人とも、嬉しくなるほどの食いしんぼなのである。

Photo宮町5丁目にあるエンドー餅店の「づんだ餅」。以前やはりこんにゃく座が仙台に来たとき、楽屋に差し入れたら大ブレイクした。翌日には、わざわざ早起きしてタクシーを2台連ねて買いに行ったのだそうだ。おばちゃんが数人でやっているような小さなお店だから、怪しげな面々が待たせたタクシーからぞろぞろ這い出してきて、さぞかしびっくりしたことだろう。1個90円。お店で、今食べたい!と言うと、こうやってお茶とともに食べさせてもらえる。

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これが食い倒れている人々。この季節の東北は、何といっても秋刀魚。一人一匹注文する?という私の提案に、え?一人一匹もいらないよと言ってたのに、いざ熱々の塩焼きが来てみると、狂喜乱舞、店にあるすべての秋刀魚を焼いて持って来いと言い出しかねない様相。秋刀魚は、「刺身しからずんば塩焼き」ではなくて、「刺身しかのみならず塩焼き」。こうして、みちのくの夜は更けていく。

定禅寺ストリートジャズフェスティバル

友人のピアニストSKさんが仙台に来るというので、「仙台はちょうど定禅寺ストリートジャズフェスティバルが行なわれていて、ものすごく賑やかです」とメールを送ったら、「お寺でジャズ、素敵ですね!」と返事が来た。あ!ごめんなさい、ぼくの説明が足りなかった。「お寺でジャズ」ではないんです。

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定禅寺ストリートジャズフェスティバルは、仙台の中心地、定禅寺通にある市民広場を中心に開かれる音楽のお祭り。今年は9月9日~10日、もう16回目になるそうだ。会場は2日間で延べ90箇所、ジャズコンボ、ブルース、ソウルR&Bをはじめポップス、クラシックまでさまざまなグループが参加する。1991年の第1回には25グループだったのが毎年増え続け、今年の参加バンド数は何と651。参加者は仙台や宮城県内はもちろん、全国各地から楽器をかついで駆けつけてくる。アマチュア、セミプロ、学生、職場のバンドなどなど参加する人たちは多様で、夜には、今年はタケカワユキヒデ、遊佐未森といったプロのミュージシャンによるゲストステージもある。

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街を歩いていくと、あちらこちらに小さな野外ステージがある。ブラブラ散歩しながら足を止めて聴くのは楽しい。どの会場にも人垣ができていて、昨年は延べ63万人もの人が楽しんだという。
無料で配られるマップには、会場の地図と出演バンドのスケジュールが細かく書かれている。タブロイド新聞の大きさで40ページもの厚さだ。また、会場のあるエリアを回るループシャトルバスが無料で運行されている。仙台駅から定禅寺通の端っこまでは歩くとちょっと遠いから、これはいいなぁ。

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七夕は仙台で最も知られたお祭りだが、「動き」がないのでつまらないと言う人も実は多い。七夕はきれいな竹飾りを見て回るだけで、「参加する」といった要素が少ないからだろう。友人・知人のバンドを応援したり、知らないバンドの中に新たなお気に入りを見つけたりするのは、もちろん祭りに「参加」することだ。実は、私はこのフェスティバルをちゃんと覗いたのは今年が初めてだった。「音楽」をテーマとして、エントリーさえすれば誰でも参加できる、大きな大きな学園祭という印象がある。60万人以上の人たちが遊びに来る大イベントになったとはいえ、どこかにいい意味で「手作りの感じ」を残しているからだろう。この季節になると、学生くんなどが、「もうすぐジャズフェスなんです・・・」と言って何となくそわそわしている。定禅寺通を散歩してみて、その気持ちがわかるような気がした。

公式サイト→http://www.j-streetjazz.com/

2006年9月 9日 (土)

プチ修学旅行(2)

オルゴール博物館は、私の好きなスポットだ。
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「オルゴール」と言っても、紙や金属の円盤に開けた穴を読み取っていくものや、シリンダーについた細かい突起を櫛のような歯で引っかけていくものなどさまざまだが、そういったいわゆるミュージカルボックスだけではなく、ストリートオルガンや歴史的な自動演奏オルガンも展示してある。古くは、19世紀後半のものもある。そして嬉しいのは、それらの「展示物」多くが、死蔵されているのではなく、現役で音を出しているということだ。写真撮影もご自由にとのこと。赤いのは1950年代スペインのバレルピアノ。いかにもスペインらしい賑やかで華やかな音がする。

1948年ベルギー製のジャズダンスオルガン。
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同じく、1950年代ベルギーのジャズダンスオルガン。空気を入れると左右のアコーディオンの蛇腹が動き、中央下のドラムセットもリズムを刻む。
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奥にあるのは、1920年代ベルギーのダンスオルガン。係りの人が説明しながら、いろいろな自動オルガンを実際に演奏してくれる。古き良きヨーロッパ庶民の元気な音楽が、ノスタルジーとともにホールに響き渡る。

おまけのワンポイントガイド。
学生くんたちが、ここだけは絶対に行きましょう!と言って連れて行ってくれたジェラートアイス屋さん、ポポロ。とても美味しかった。藤田喬平ガラス美術館のすぐそば。水曜定休。

プチ修学旅行(1)

私が学年担当になっている芸術文化専攻2年生の学生くん7人と、「プチ修学旅行」に行く。

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去年は蔵王のバンガローだったが、今年は松島になった。仙台から電車で30分ほど。松島は何度も行っているけれど、まだまだいろいろ楽しいスポットがあるようだ。

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今回行ったのはマリンピア松島水族館、松島湾観光遊覧船、圓通院、そしてオルゴール博物館。
マリンピアでは、アシカのショーやラッコの餌付けをはじめ、珍しいマンボウなども見ることができる。写真は、とてもきれいな熱帯魚。

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瑞巌寺の山内にある圓通院は、国指定の重要文化財。お庭の木の葉は、もう秋の色に変わり始めていた。

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ここでは、自分の気に入った自然石を選んで、お数珠を作ることができる。

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自然石を3つ決まりに従って選んで、他は菩提樹の実で作ってもらった。お数珠を身につけるのはお経を唱えるのと同じ意味があるのだそうだが、みんなブレスレットとして使えるようなかわいい色のお数珠を作ってもらっていた。

2006年8月22日 (火)

七夕リサイクル

8月3日記事「祭りの予告(2)」に、宮城県K市にお住まいのtomoさんがコメントをつけてくれています。

そういえば、この七夕飾りは終わった後、我が地元K市のお盆夏祭りにリサイクルとして商店街の歩行者天国になるところに飾られるわけです。その後、母も手伝っている、「手をつなぐ親の会」なる団体で作る手作りカレンダー(ちぎり絵みたいな・・・)の材料としても使われるのです。

仙台七夕で飾られた竹飾りの吹流し、そのまま捨てられるのはいかにももったいない。
きっといろいろな方法でリサイクルされるんでしょうけれど、そのひとつをK市で見ることができます。
tomoさんからその「証拠写真」をもらいました。

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まず、こうやって「お下がり」として飾られる。暗くてわかりづらいかも知れませんが、この吹流しのスポンサーは、コーヒーチェーンのDです。K市には、このコーヒーチェーン店はなくて、金物屋さんかなんかの店先に飾ってあるそうです(笑)。

さらに、細かくちぎられて手作りカレンダーの材料になります。tomoさんのお母さんが作っているところ?

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この絵の下に、カレンダー部分が付くそうです。きっとすてきな手作りカレンダーになるんだろうなぁ。

2006年8月15日 (火)

晩翠草堂

晩翠草堂(ばんすいそうどう)、仙台の歴史的建造物のひとつ。もう十年以上仙台に縁があるのに、そしていつも近くを通っているのに、恥ずかしながら詳しいことを知らなかったので、近くまで行ったついでに見学してみた(8月8日)。

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仙台駅から西に向かってまっすぐ伸びるメインストリート青葉通り沿って、「晩翠草堂前」というバス停のすぐ前、ホテルや会社のビル、マンションなどが立ち並ぶ仙台のビジネス街の一角。だが門の前に立つと、そこだけしーんと静まりかえっているような感じがある。

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土井晩翠は、明治4年生まれの詩人、英文学者。何といっても名高いのは「荒城の月」(瀧廉太郎作曲)の詩「春高楼の花の宴・・・」である。島崎藤村と並び称せられた詩人として、「天地有情」という詩集が代表作ということになるだろう。英文学者としては、大正15年にバイロン「チャイルド・ハロウドの巡礼」を全訳出版したほか、ホメーロスの二大英雄叙事詩、「イーリアス」を昭和15年に、「オヂュッセーア(オデュッセイアー)」を昭和18年に、ともに原語から訳出し出版している。
仙台に生まれ、東京帝国大学に学んだ。夏目漱石とも親交があり、初めて二人が会ったのは菖蒲田海水浴場(現在七ヶ浜町)だったという。また、二人は留学中のイギリスでも会っているとのこと。明治33年に旧制二高の教授に着任してからは仙台に住み、執筆、研究活動を続けた。日本芸術院会員に迎えられたほか、仙台市名誉市民に推され、昭和27年には文化勲章を受賞、文人としては充実した生涯を送ったが、妻や娘に先立たれるなど、家庭的には必ずしも幸福な晩年とは言えなかったようだ。

そして晩翠草堂とは、

「戦災で住居と蔵書を失った晩翠のために、教え子など市民有志が中心となり、昭和24年、旧居跡に建設。晩翠は昭和27年に満80歳で亡くなるまでの数年をここで過ごした。」

とのこと(晩翠草堂のパンフレットより)。入場無料で見学させてもらえる。散歩の途中などに立ち寄ってみるとよい。日本家屋の清々しさが心地よい。こういう造りの建物は、冷房がなくてもどことなく涼しさを感じさせる。
手入れの行き届いた庭も、決して華美な作りではないが、塀の向こう側はビジネスマンが行きかう忙しい街であることを一時忘れさせてくれる。

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2006年8月 9日 (水)

仙台七夕(4)

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仙台七夕(3)

デジタルカメラで撮影した写真を整理してみたら、まだいくつかあったので、アップしておきます。
東北の夏祭りの雰囲気をお楽しみいただけたら嬉しいです。

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2006年8月 8日 (火)

仙台七夕(2)

いくつか目についた竹飾りをアップします。写真はクリックすると、少し大きく表示できます。

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竹飾りは「吹流し」だけではなくて、実は7点セットからできているのです。「吹流し、折鶴、短冊、打ち網(投網)、屑かご、着物(紙衣)、巾着」がそれです。それぞれにどんな意味があるのかは、百足屋履物店さん提供の看板の写真をご覧ください。とりあえず、「屑かご」と「巾着」はわが家にも必要かも。

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2006年8月 7日 (月)

仙台七夕(1)

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本日管理人は、毎夏恒例の人間ドック受診中。健診センターと宿泊のホテルが街中なので、ほど近い七夕会場を覗いてみました。

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ちょっと変わった飾り。老舗のデパート提供によるものの一部です。

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この白い竹飾りはちょっと異色ですが、ブランドショップのCOACHがスポンサーになっているもの。そういわれてみれば、さもありなんですよね。

ところでこの竹飾り、明日の最終日が終わるとリサイクルされるのだそうです。いろいろな方法があるのかも知れませんが、tomoさんが興味深い報告をしてくれています。詳しくは、8月3日付け記事「祭りの予告(2)」につけてくれたコメントを読んでみてください!

2006年8月 6日 (日)

小さな竹飾り

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今日から仙台七夕祭りが始まっているのですが、今年は初日が日曜日、しかも良い天気になりましたから、街中へ行くと道路は渋滞しているだろうし、ものすごい人出に辟易しそうなので、街には近づいていません。有名な七夕飾りが並ぶのは中心部の商店街で、商業的なお祭りという色合いが濃いのですが、そういうところでなくても、ちょっとした町内会などにも、小さな竹飾りはあちらこちら飾られています。仙台の家の近くで見つけた子供会の作った竹飾り。

しかし、たしかに「○○町子供会」と書いてあるんだけど、便乗して(?)こんな願い事が・・・。

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う~ん・・・切実だなぁ・・・、私も一緒にお願いしようかなぁ・・・。

2006年7月26日 (水)

祭りの予告(1)

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用事があって街に行ったら、仙台市内の某ビルの入り口に、もうこんな飾りが出ていました。
本番の「仙台七夕」は、8月6~8日。行ってみるとがっかりするお祭りのひとつ・・・なんて陰口を言われたりもしますが、色とりどりのきれいな竹飾りをくぐって歩くのはなかなか楽しいものです。ただし、ものすごい人出だし道路が渋滞するので、その期間、仙台市民はできるだけ街に近づかないよう、ひっそり家に閉じこもっているという話もあります。その気持ちもいくらかわかります。

2006年6月24日 (土)

秋田へ(3)

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土曜日の割には観光客が少なめだから、ここで昼ご飯を食べていこうということになった。観光客相手の食堂に入る。
食堂のお品書きを見て、同行のF先生が言った。
「俺、毎朝ここに来て朝ご飯を順番に食べたいよ」
同感だ。

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そして、こういうものをいただきました。ウニ丼!
鼻血が出そうなくらい濃厚!

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男鹿といえば「なまはげ」である。至るところになまはげの像や絵が、あるものはリアルに、あるものはマンガチックに可愛らしく描いてある。
「ねぇ、今、ガソリンスタンドに、JOMOなまはげサービスステーションって書いてあったよ」「ここらあたりは、そればっかりだから」
「うぉ~!とかって、あの格好した店員が出てきたら怖いよね」
「ハイオクえらねが~!って?」・・・怖すぎる。

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帰り道は、晴れた。風力発電の風車があちらこちらにある。日本海側ではよく見る景色だということだが、私には珍しかった。ちょっと日本ではないみたいな写真になった。

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おまけの写真。秋田市内の楽器店の店先の、これまた地元民以外には珍しい張り紙。
ピアノの機種名のすぐそばに、「竿燈用篠笛和太鼓バチあります」と書いてある。

秋田へ(2)

昨日の会議の当番大学に勤めるS教授(以下「Sくん」と記す。彼は大学時代からの友人なので、お互いに「先生」とは呼びにくいのだ)が、せっかく秋田まで来たのだからと、ドライブに誘ってくれた。他の大学から参加した先生方も誘って、半日男鹿半島に遊ぶ。

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秋田市街から車を走らせること約1時間。まずは、男鹿半島の付け根のあたりに位置する寒風山に上る。頂上付近の広大な草原と、頂上からの眺望はまことにスケールが大きい。このスケールの大きさを写真に写し取ることができないのは、残念なことだ。

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頂上付近では、高さのある木は生えておらず、一面に草が覆っている。この写真は、噴火口の跡。

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パラグライダーをやっている人たちがいる。
風を十分に溜めると、さほど助走しなくともふわっと浮き上がる。

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さらに車を走らせ、男鹿半島最北端の入道埼へ。ガイドブックによれば、「北緯40度のライン上に位置する絶景スポット」。

観光用駐車場に車を停め、草むらを踏み分けて海のそばに辿り着くと、この絶景である。
海はもちろん日本海。荒々しくダイナミックな風景に、一瞬ことばを失った。
曇っているのが少し残念だが、自然の景観の迫力は十分に満喫できる。
夕日の時間も美しいのだという。そうだろうなぁ・・・。

2006年6月23日 (金)

秋田へ(1)

朝3時50分に目覚ましをかけて起きて、日本×ブラジルを見たので眠い。試合の感想は省略するが、後半は対戦チームが日本でなかったら、よ~っし、もっと行け~!と身をのりだしたくなるほど、ブラジルの攻めは見事でした。日本が敗退したのは残念だが、こうまで完敗では仕方がない。

で、気を取り直して少し仮眠をしてから、9時過ぎの新幹線で秋田へ行く。東北六県の教員養成系大学の、私と同じ立場の音楽教師たちが集まっての会議。毎年行なわれているもので、今年は秋田での開催なのである。
同僚のさとT先生と秋田駅で合流して、会場入りする前に、まずは昼ご飯。

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お昼だし、やっぱりこれだよね・・・ということで、秋田駅に程近い西武の地下で稲庭うどん。もりとざる、両方が食べられるセットを注文した。天ぷら付き。欲張りの旅行者にはもってこいのセットだ。

会場になったホテルグランティア秋田は、ビジネスホテルとスーパー銭湯風な温泉がドッキングした、ちょっと珍しい施設。午後いっぱい会議をして、夜は懇親会、そのあと近くの繁華街・川反(かわばた)へ繰り出して軽く二次会。ホテルに帰ったあとは温泉に入り、サウジアラビア×スペインを見ているうちに眠ってしまった。