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ブログ:ココログ

2008年6月18日 (水)

地震お見舞い御礼

6月14日土曜日の朝に起きた岩手・宮城内陸地震に際して、何人かの方から、お見舞いの電話やメールを頂きました。

13日金曜日の夜、神奈川の家に戻り、地震が起きた時間は、まだ惰眠むさぼり中でした。私は、夜中の地震は爆睡していて気がつかないことが多く、よく呆れられるのです。でも、今回の地震は神奈川でもふらふら揺れて、しかも結構長い時間だったので、さすがの私でも目を覚ましました。

数分後、西日本に住んでいる友人から、携帯にメール。「青葉区震度5って言ってるけど、大丈夫?」

え~?今のは震度5もないだろう、せいぜい2くらいじゃないの?・・・寝ぼけ頭は、青葉区と聞いて、神奈川の家に近い「横浜市青葉区」のことかと思ってしまったのです。

「そんなにひどくなかったよ」とメールを返しながら、・・・え?もしかして「仙台市青葉区」?と思い、慌ててテレビを見ました。

はじめのうちは、どうしたって大きな都市の放送局からのレポートということになりますから、まずは、揺れる仙台の街をとらえた定点カメラの映像が映し出されました。慌てて、会員制掲示板に書き込みをしたり、何人かの学生くんたちに連絡を取ったりしてみましたが、いずれも、大きな揺れだったけれど特別な被害はないという返事で安心しました。しかし、都市部よりも山間部が大変なことになっているらしいということが、次第にわかってきます。一報を聞いた時よりも、時間を追うごとにだんだん恐ろしさが増してきたのは、私だけではないでしょう。

昨日(17日)、仙台に戻りました。仙台の家の中はどうなっているかと、恐る恐る入りましたが、まったく何ともなっていませんでした。強いて言えば、よく見ると、一列にきちんと並んでいたはずのCDが前後ギザギザになっていて、おや?君たち動いたね?と思わされただけでした。大学の研究室も、薄めの本が数冊落ちているのを発見しましたが、ほぼ何事もありませんでした。地盤の強さや建物の方向や、いろいろ関係するのでしょう。

今日(18日)夕方、大学にいたら、ミシッ・・・という音が聞こえました。余震です。しかし、ほとんど揺れは感じませんでした。同じ仙台圏でも、震度3くらいに感じた地域もあったらしいのですが。

そんなわけで、私自身はミシッ・・・という小さな音を聞いたという程度ですし、直接間接の知り合いが被害に遭ったという話も聞こえてきていませんが、揺れのひどかった地域では、不自由な避難生活を余儀なくされている方々がたくさんおられる報道を見ると、同じ地方に関わりを持っている者として、他人事とは思えません。

皆さまからご心配いただいたことに感謝を申し上げますとともに、被災された方々が、一日も早く元の生活に戻られるよう、祈るばかりです。

2008年5月24日 (土)

初夏の山形(2)

1040628_img_2 朝から夕方まで、研究会。昨日に比べると気温は高くないけれど、少し蒸し暑く感じられます。

夕方からは懇親会。千歳館という老舗の料亭。明治9年創業、現在の建物は大正4年に建てられたもので、ここも大正浪漫の香りが漂っています。鮎の天ぷら、豚肉のしゃぶしゃぶ風や角煮、焼きおにぎりなど美味しくいただきました。「食べられるホウズキ」というものは初体験。ちょっとだけ酸っぱくて野趣のある味です。1040650_img

1040634_img 舞妓さんが三味線の姐さんとお二人で、芸を披露。舞妓の「会社」に、試験を受けて入ってお勤めをしているそうです。

フロアに来た舞妓さんは、記念写真撮影と質問責めで、ひっぱりだこ。

山形の舞妓さんは、どんなことばを喋るんだろう・・・というのが、ご近所でのもっぱらの関心事。

尋ねてみると、「標準語・・・です」という返事。山形ことばには敬語がないので、喧嘩しているような感じになってしまうからとのことでした。もちろんふだんは山形のことばを話しますけれど・・・と真面目に答えてくれるその口調には、やはり少し地方色が混じります。んだげっどよ、標準語でなくて、山形ことばの舞妓さまもめんこいと思うんだず。

1040651_img ホテルに戻ったら、ちょうど練習がおわったじゃがパパから連絡。私が山形に来ているということで、「大かま猫会」を開いてくれたのでした。「かま猫会」というのは、通称「かまさん」を中心に開かれている会らしい。今回は拡大版だから(?)「大かま猫会」(?)。・・・うん、ようやく山形にいるっていう感じがしてきたな。みなさん、ありがとう。

ちなみに、文中、山形弁変換エンジン「んだんだ君ver.0.5」を使いました。http://mumin.s1.xrea.com/yamagata/ndanda.html

2008年5月23日 (金)

初夏の山形(1)

すっかり更新が滞ってしまいました。

今日は大学の用事で、山形に来ています。写真は、文翔館。山形県旧県庁舎と県会議事堂で、大正5年に建てられ、現在の県庁ができるまで使われていたそうです。

1040624_img 現在は重要文化財に指定され、保存公開されています。煉瓦造りで、とても美しい建物です。そして、十日町のメインストリートの突き当たりにこの瀟洒な建物が見えるのは、いい風景です。これまでに、何度も外からは見ていましたが、初めて中にも入りました。

1040614_img 1040615_img

1040619_img どこか知らない国の駅舎のような天井。そして、モダンなフォルムは、外国にいるかと一瞬錯覚してしまいそうです。1040616_img

1040608_img_3 広々とした環境も、この建築にふさわしい。

今日の山形の最高気温は28度だったようです。来る途中、笹谷峠でさえ24度と表示されていました。初夏というよりは、ほとんど夏ですね。

ところで、昼食は主催者が用意してくださっていたサラダとカレーをいただき食後のコーヒーまで飲んだのに、どうしても蕎麦が食べたくて、Tさん、Hさんのお二人の先生とS屋さんに駆け込みました。

そして、3人とも相板盛りを平らげました。どうかしています。相板盛りというのは、さらしなそばと田舎そば、正式な名前ではないかも知れませんが、白っぽいとの黒っぽいの、二色の蕎麦が板に盛られているものです。かなりのボリュームです。

夜は、一人でM屋さんへ。なめこそばを頼んだら、なめこがぎっしり入っていて、蕎麦が見えませんでした。

このように、山形に来ると、私は蕎麦に狂います。

2008年5月 2日 (金)

青葉の頃

大学の構内も、いつの間にか青葉に覆われるようになりました。

1 しかし、関東や中部地方に比べると、まだまだこれから。木々の緑が本格的に生い茂るのは、今月下旬くらいにかけてでしょうか。

2 それでも、大型連休はざまの平日は気温も高く、昼間は少し汗ばむ感じでした。

1_2 音符くんが、音楽棟前に植えて育てたチューリップも、見事に満開。たださ、ちょっと密集し過ぎでないかい?

Photo 青葉通りも青々としてきました。「杜の都」は、こうでなくちゃね。

ただ、残念なこともあります。地下鉄工事が始まっていて、一部のケヤキが伐られ、別の場所に移植されたのです。場所を変えてもちゃんと根づくのかなぁ・・・。

そのため、この付近はなんだかがらんとしてしまいました。歩道と中央分離帯にあったケヤキがなくなったためです。

Photo_2 空が広くなったとも言えるけれど、何だか仙台らしくない・・・。そう、この一角だけは、どこにもある地方都市のありふれた空の景色です。地下鉄ができると大学方面も便利になるだろうと思われますが、それと引き換えにがらんとしてしまったのはとても残念です。

2008年4月26日 (土)

なごやのなぞ

その1 あんかけスパゲッティ

Photo なごやの異形の食べ物といえば「みそかつ」と言われます。でも、この「あんかけスパゲッティ」の方が、知名度は低いけれど、異形度は高いような気がします。

ここでの材料はナス、ピーマン、キャベツ、ベーコン、ソーセージなど、とり立てて珍しいものではありません。太めの麺は炒めてあります。そして、まわりのソースは、デミグラスソースのように見えるかも知れませんが、そんなはずはない。そう!赤味噌ソースなのです!

1960年代から始まった料理だそうですが、すみません、私はこのたび初めて食べました。しかも、某有名シティホテルのカフェレストランだったので、発祥の店を標榜しているところとは、だいぶ違うんだろうなと思います。

なんだそりゃぁ~と言うあなた。あんかけスパゲティは、ウィキペディアにも記事があるのです。

『野菜トッピングは「カントリー」、ソーセージ、ベーコン等の肉類トッピングは「ミラネーゼ」と呼び肉と野菜の両方盛りは「ミラネーゼ」と「カントリー」の頭文字を足して「ミラカン」と呼ぶ店が多い。』(ウィキペディア「あんかけスパゲティ」より)

・・・なんだそりゃあ~・・・。

ちなみに、この某有名シティホテルのカフェレストランにはなごや料理のメニューがいくつかあります。また、このホテルにあったかどうか忘れましたが、なごやには「スパゲッティ イタリアン」というなぞのメニューがあります。玉子焼きが敷いてある上に、いわゆるナポリタンスパゲティが乗っているのです。皿は鉄板で玉子がじゅうじゅういってたりします。

ちなみに、某老舗みそかつ屋さんの「鉄板とんかつ」は鉄板の上でキャベツがじゅうじゅういってるし、某老舗味噌煮込みうどん屋さんでは、ぐつぐつ煮立っているので、皿に取り分けなければ、とてもじゃないが熱くて食べられません。

なごや料理にじゅうじゅうぐつぐつが多いのはなぜだろう?

ちなみに、「スパゲティ」ではなく「スパゲッティ」と書くべきという気がしますね。なごや料理では。

その2 ミュー

なごや市街と中部国際空港セントレア(思わず、訛って「せんとりゃぁ」と言いたくなる)を結ぶ名鉄電車のアクセス鉄道には、ミューという特別車があります。この、疲れてダメダメな猫の鳴き声みたいな名前の列車は、ちょうど成田エクスプレスのような感じで、なかなか快適ではあります。

Photo_2座席前のテーブルの上には、「チケットホルダー↑」と書かれた切れ込みが。この写真のようにチケットを挟んでくださいということなんでしょう。チケットをポケットとかに入れて失くすなよということなのかも知れませんね。ご親切に。

せっかくだから挟んでみましたが、何となく落っこちそうだし、かえっていずい(注:仙台ことばで居心地の悪いこと)ので、すぐポケットにしまいました。降りるとき忘れそうだし。使う人いるのかなぁ・・・。

1 その3 なぞの旅人

「なぞの旅人フー」と書かれた幟が、中部国際空港構内のあちらこちらで見られます。

それだけしか書いてないから、かなりなぞです。動物なのか植物なのかもよくわからない。なんだろねと思いながら、ショップのフロアに行ってみたら・・・いましたね。

2 デカイのが。

でも、デカくなっただけで、相変わらず何なのかはよくわかりません。この空港のキャラクターであることはわかりましたが。そして、ホームページを見ると、他にも犬や猫や鳥や雲などのキャラクターがあることもわかりました。でもやっぱりよくわかりません。フーさんが何なのか。

なぞの多い街の入り口ですから、なぞのままで構わないですけれどね。

2008年4月19日 (土)

一目千本桜

仙台から東北本線で南へ30分ほど、船岡駅の手前あたりから、桜並木が見えてきます。この季節、付近を走る列車は、景色を楽しめるようにと、速度を落として運行します。

白石川に沿ったこの桜並木は「一目千本桜」と呼ばれ、「日本の桜100選」にも選ばれているそうです。ひとつ先の大河原駅で降りて、船岡方面に戻りながら、川の堤を歩いてみることにしました。

大正12年、高山開治郎という人が、一千本のソメイヨシノを植樹したのがはじまりとのこと。現在桜並木は7キロにわたり、二千本以上が一斉に花を咲かせています。程近い船岡城址公園の桜もよく知られています。

1_2 大河原駅近くの河川敷には、屋台やちょうちんがならんで、お決まりの「さくら祭り」風景。(写真はクリックすると大きく表示できます。)

しかし、少し歩いていくと、宴会客の姿はなくなり、そぞろ歩く人たちと行き違うだけで、ざわついた感じはまったくなくなります。2 目の前は、どこまでも続いていくソメイヨシノの花トンネル。

大河原から船岡までは約3.5キロ。歩くと50分くらい。川をはさんで対岸も見事な桜並木、そして振り返るとまだ雪をかぶっている蔵王連峰が見えます。この日は薄曇りだったので、写真でははっきり見えないのがちょっと残念。

4 3 韮神堰というのだそうです。左奥に薄っすらと見えるのが蔵王。撮影ポイントとなっています。

ちょっと息抜きに・・・と、ひとりでぶらりと出かけたのですが、ちょうど一番の満開の日だったようです。何とも贅沢な散歩でした。おそらく、この週末の雨と風で散ってしまうでしょう。

5 停車?

2008年3月29日 (土)

移ろうもの、動かぬもの

3月26日、仙台から名古屋に飛ぶ。父が遺したものの整理のためである。しばらくの間、まだ春の気配薄い仙台に閉じこもっていたために、季節はもう春なのだということを忘れていた。

Photo_8 実家の周囲でも、桜やハクモクレンが咲きそろっている。

同じことを経験した人は誰もが言うのだけれども、遺されたものの整理はとても大変だ。父には借金も財産もなかったが、わずかばかりの貯金を解除することひとつ取っても、複雑な手続きが必要なのである。

27日、父の出生から死去まですべての戸籍謄本が必要ということで、午後急遽静岡県の磐田に向かう。磐田市役所へ行って、古い戸籍を発行してもらうためである。もちろん今どきは郵便でも送ってもらえるけれど、これがないと28日までの名古屋滞在中に何も進められないので、実家でボーっとしているより行ってきた方がいいという判断だ。

磐田には、浜松まで新幹線で行って在来線に乗り換える。ここには墓所があるので、今までも何度か訪れている。用件は簡単に終わって、すぐには判読できないほど劣化している手書きの古い戸籍謄本が出てきた。

戸籍に「衝撃の新事実」などあろうはずもなく、しかし知らなかったこともあったりして、古い戸籍を見るのはなかなか面白かったが、内容は省略。

Photo_9 磐田という地名、誰も知らないような時代もあったけれど、ジュビロ磐田ですっかり知られるようになった。駅の近くには、こんなシンボルがある。

Photo_10 また、舗道には、ジュビロの選手やスタッフの足型や手型がはめこまれている。これはオフト監督の足型だから、1994年頃のものかな?

Photo_2 ちょっと心配になってしまうのは、駅前にまったく活気がないことだ。商店街はシャッター通りになってしまっているし、人がほとんど歩いていない。郊外型のスーパーができてから駅前は寂れてしまいました・・・と、当地に住む親戚から聞いたのは、もうずいぶん前のことだ。ヤマハスタジアムに向かって、アウェイチームも含め、たくさんのサポーターが駅前を通っていくだろうに。

2_2 駅前の大きなクスノキ。樹齢は推定700年で、静岡県指定天然記念物になっている。かつてここはお寺の境内だったが、再開発によってお寺は郊外に移転してしまい、木だけがとどまった。子どもの時から、お墓参りに来るたびに眺めていたから、よく覚えている。祖父の妹たちがまだ子どもだった頃に、この木を囲んで写したという写真がどこかに残っているらしい。700年もの間ここに立っているのだから、様々な人々や物事の往来を見てきたことだろう。そして、これからも見続けていくことだろう。

祖父はもちろん、その妹たちも天寿をまっとうして、今は鬼籍に入っている。

2008年3月 2日 (日)

卒業演奏会無事終了

ひとつ前の記事の続きです。

卒業発表をした人たちが、学内の試験の時と比べて、みんな大きく「化け」ることに驚かされます。

試験が行なわれるのは、だだっ広い講堂。散らばっているのは難しそうな顔をした先生たち。寒いし、公開だけど拍手はないし。そんな雰囲気とは全然違う。街のきれいなホール、ステージ衣装も着る。そして何よりも、後輩たちと一般のお客さまの応援がある。でも、「化け」られるわけは、それだけではないでしょう。

Photo_2 すべての演奏が終わったところで、全員が舞台に上がり、今年度で「卒業」される先生に歌をプレゼントするというサプライズ企画。学生くんたちが選んだ歌は「森は生きている」でした。

以下に、前の記事同様、某掲示板に書いた私の「日記」と、それに対するコメントを載せさせてもらいます。

[きっきぃ 2008年03月02日23:24]

立ち去り難く、けれども、方向の近い人たちと一緒にタクシーで帰ってきました。

音楽大学だったらオーディションとかがあったりして、卒業演奏会に出られるのはごく限られた人だけだよね。でも、ウチの学校は希望すれば全員出られる。 そして、その運営、裏方も表方も、すべてを後輩たち全員で支えている。もちろん、教員も全員でバックアップする。こんなすごいことをやっている。しかも、それが30年以上続いているんだから、本当にすごい。

そして終わった後は、ご予約のお客さま八十数名様という、年一度の大レセプション。音楽科の学生と先生方が勢ぞろいする。さすがに壮観だ。こんなにたくさんの人がいたら、半分くらいは知らない人だろうなんて思うのだけれど、よく見ると全員知ってるんだよねぇ。実はこんなにたくさんの学生くんたちと付き合っていたのかと思うと、不思議な感じだな。ぼくの授業の教室の中には20人ずつくらいしかいないからね。

Photo

レセプションの時間は全然足りなくて、誰しも立ち去り難く、解散の声がかかってもなかなかバラケなかった。気持ちはみんな同じだったんだろうな。けれど、そのまま溜まっているのも通行の迷惑だから、帰ってきました。 毎年思うけど、この演奏会の日は、学校での一番楽しい二日間だ。

お疲れさま!みんな、ありがとう。

****************************

(以下、コメント)

[ふう 2008年03月02日 23:31]

お疲れさまです。そしてありがとうございました。 立ち去り難かったけど、終電の時間でお先に失礼しました(泣) まさかレセプで自分が前に立つ日が来るとは…。一年たつのは早いですね。

[みぃ 2008年03月03日 00:07]

帰りたくなくてけど帰りたくてけど全然帰りたくないDUCCA前でした。みなさん思ってることは同じだったのですね(*´∀`) 本当お疲れ様でした!

心の底から楽しかったです。感慨深すぎてジーンでした(>_<。) もぅ来年なんだ…先輩がいなくなるなんて信じることが出来ません(ノд`。) 来年とゆーか今年、よろしくお願いいたします(*´∀`)ノ

こらこらっヤダとかいわないでください(・∀・)笑

[サトミ 2008年03月03日 11:20]

お疲れ様でした!!宮教の音楽科でよかったと思える日でした。

[ぁぃ 2008年03月03日 11:33]

先生4年間ありがとうございました!! そして、あと2年間よろしくお願いします(笑) 萩音ってほんとにすごいですよね。 どこか一つが欠けたら機能しなくなりますもんね。

[チェリー 2008年03月03日 19:46]

お疲れさまでした☆ニャー!!

宮教での1年目を、ホントーに楽しく過ごせたなぁと実感できた日でした。 希望すれば全員出られる→昨日のスピーチの時も思ったんですけど、逆に出たくない人は出なくてもいいんですか…? いや、わたしは出ますよ!!!笑

[帽子狂 2008年03月03日 22:03]

あ、私って後輩たちや先生がた、聴きにきてくださったお客さんに こんなにあったかく支えられてるんだなーーって すごく実感した演奏会でした。 これって4年生になって初めて実感できるんだろうな…。 すごいすごい貴重な経験でした。 そんな貴重な経験がもう1回できるのを嬉しく思ってます。 来年は今年支えてくれた後輩や、ステージにたつ先輩がたを 感謝を込めてサポートしつつ、 2年後の自分を見越して、精一杯努力していこうと決意しました。

卒業演奏会第一日目

Img_0106_3 3月1日、2日は卒業演奏会でした。

私たちの大学の卒業演奏会は、仙台市内のホールで行なわれ、卒業・修了予定の人は全員出ることができます。演奏会と書いておきますが、演奏ばかりでなく、論文発表やパフォーマンス発表もあります。

この発表会のユニークなところは、運営、受付、プログラム製作、録音、写真、アナウンスに至るまで、後輩たち全員が分担してお世話をするところでしょう。私たち教員も、みんなでバックアップします。そしてこの催しは、もう32年間も続いているのです。

1日目が終わった夜、某会員制掲示板に「日記」を書いたら、あっという間にたくさんのコメントが書き込まれました。そのひとつひとつがとても素敵で、このまま流れてしまうのは忍びないので、頂いたコメントも含めて以下に掲載させてもらおうと思います。

[きっきぃ 2008年03月02日00:40]

はい、そこのあなた!

あなたが、明日弾くことになっている人だったら、こんなもの読んでないで早く寝なさい。

あなたが、今日弾いた人だったら、まぁちょっとくらい夜更かししてもよし。あ、もう疲れて寝てるか。お疲れさま。みんな立派だった。

あなたが、今日働いた人だったら、お疲れさま。あなたの働きがたくさんだったか少しだったか関係なく、あなたの働きなしにはこの演奏会は成り立たなかった。いずれ自分たちが主役になる番が回ってくる。明日もよろしくお願いします。

あなたが、今日聴きに来てくれた人や卒業生の人だったら、応援ありがとう。かわいい後輩たちが、あの時のあなたのように、力を尽くして巣立ちます。これからもどうぞよろしく。

あなたが、私たちの学校関係者でなかったら、なんのことやらわからない話でごめんなさい。二日間にわたって行なわれる卒業演奏会の第一日目が無事終わったのでした。学生くんたちの頑張りに敬意を寄せながら、演奏会を楽しむ二日間です。

***********************************

(以下コメント)

[帽子狂 2008年03月02日 00:50]

まだ起きてる今日弾いた人です(笑)

花束の整理が今やっと終わりました… もう終わったんだと思うと寂しいですね(T_T) 新たな出発に向けてまた前進していこうと思います(^-^) ご指導ありがとうございました!そしてまたよろしくお願いします。

[tomo3 2008年03月02日 00:57 ]

今から寝ようとしている昨年弾いた人です。 あれから1年、早かったなーーーーーー 明日も行きます!!(みやきょ大好き人間みたいです

明日弾く人でこのコメント見た人は楽しんで弾いてください♪ 今日弾いた人でこのコメント見た人はお疲れさまでした!!聴いてましたよ!! きっきいせんせも、1年間のご指導おつかれさまでした☆ また明日~

[ふう 2008年03月02日 01:13]

ひい、明日弾くのにまだ起きてる人です! 早く寝ます

[あの音符の人 2008年03月02日 01:15]

だいぶ眠たくなっている今日働いた人です。

なんだか・・・・・・・弾いている方々はなおさら実感していると思いますが・・・・・・・・本当にあっという間ですね。演奏というか、卒演というか、この大学生活自体というか(汗)

もう3年生。今まで3年生の先輩という方々を2回、見てきたことになりますが、いずれも素晴らしい先輩ばかりでした。まさかその学年に(当たり前ですがw)なるなんて、全然実感が沸きません。でもこの演奏を聴いてる限り、あと2年後にはこの舞台に立っているのかなぁ、とも思わざるを得ません。 あぁ、なんだかとりとめのない文になってきました;;とにかく大学の折り返しのいま、精一杯走り抜けます!!!!!!!以上、音符からでした(笑)

[あい 2008年03月02日 02:12]

帰った途端爆睡し,変な時間に目が覚めてしまった昨年弾いた人です。

かわいい後輩一人ひとりの音楽に対する熱い思いが伝わった演奏会でした。卒業し,全くといっていいほど音楽から離れてしまった一年…やっぱり音楽っていいな,と思いました。

[みぃ 2008年03月02日 08:21]

昨日は寝てしまい先程起床しました、なんとも健康的な私ですヽ(´∀`)ノ笑

卒演とても感慨深いです。 先輩の想いが伝わって来て何度も泣きそうになりました。今日は私も今までの分を出し切ることが出来るよう頑張ります!先輩サポート致します!(`∀´)グッ

[ビンボン 2008年03月02日 08:47]

イズミティが自宅なのではないか?と錯覚しているものです。

今日もそでから、あのホールがいろんな色に染まってゆくのを、心から感じ取ってまーす。

[萌 2008年03月02日 09:03]

とても素晴らしい演奏会とは、なによりです。 あの時の、6人全員笑顔で撮った写真は宝物です。終わった人も、これからの仲間を支えてあげてくださいね。 陰ながら応援しています。

[ハニー 2008年03月02日 11:56]

関係ない人ですが、きっきいせんせーがとても素敵なせんせーであることがわかる、日記でした。 本日の成功もお祈りいたします。

[トモ 2008年03月02日 19:21]

昨年歌ったチェコかぶれの人です。 演奏会を通して、なんだかいい刺激をもらいました☆ たぶん、なにか通じるものがあるんだと思います。 風邪が長引いて1ヶ月くらいちゃんと歌っていませんが、 今週から復活したいと思います!!! 音楽のない生活って無理だなぁ~と改めて思いました。 いつか、宮教卒業生演奏会みたいなのができたらいいですよね♪

Img_0111

2008年1月29日 (火)

ジョバンニはもういろいろなことで胸がいっぱいで

Photo 1月27日、山形の合唱団「じゃがいも」の、初めての仙台公演は無事終わりました。

仙台公演の話が持ち上がったのは、2005年に一緒に作った合唱劇「ポラーノの広場」の頃だったでしょう。あの、ちょっとわけがわからないけど楽しい「ポラーノ」を仙台で紹介できたらいいなぁと思いました。その後、話が急展開して「銀河鉄道の夜」を・・・ということになります。

きっきぃさん、シアターホールは客席が600もあるんだよ、山形側では仙台でそれだけのお客さんを集められる自信ないよ・・・とかいう話をしていたのがウソのよう!

年が明けた頃、すでにチケットがかなり出ている、もうこれからはあんまり売っちゃだめ!・・・という、何とも普通ではあり得ない指令が伝わってきました。

でも、話を聞いていると、こちらもだんだん不安になってきます。数年前に、某演奏団体がチケットを売りすぎて、当日入場をお断りすることになったという話など聞こえてきていましたから。そんな事態は避けなければ。

内輪の方々や、ごく近くなってチケットを買いたいと言ってくださった方々には事情をお話して、当日のリハーサルを観ていただくことにしました。

そして午前11時。リハーサルに立ち会う人数とは思えない、100人近くの方々が来てくださっていました。もちろん、リハーサルといっても、完全に本番と同様にやりました。出来は、本番と比べてもまったく遜色なかったと思います。

そして公演本番。14時30分の開場時間前から長い列ができていて、14時35分には客席が見た目かなり埋まった感じ。この勢いが開演時間まで続いたら・・・と考えるとちょっと恐ろしくなりましたが、溢れることなく、客席はほぼ満員で出発。チケットを買ってくださったお客さまをお帰しするようにことにならなくて、本当に良かった。

そして何よりも、こんなステキなことをやっている人たちがいるということを、仙台の皆さまに知っていただけたのが嬉しいです。そして、東京からもたくさんの方がわざわざ来てくださいました。

いろいろ寄せてくださったご感想や、私自身見聞きしたことなど、追々書きとめておきたいと思っていますが、まずはご来場いただいた皆さまに、厚く御礼申しあげます。

2008年1月26日 (土)

やっぱり冬

24日、昼過ぎにパラパラと降り始めた雪は、あっという間に積もって、暴風雪警報が出るまでになりました。

夜、山形に、じゃがいもの練習を聴きに行く予定だったのだけれど、Sさんからの「やめといた方がいいんでない?」という電話を受けて取りやめ。自分で運転して行くつもりは初めからなかったのですが、高速道路も一部不通ということで、バスの便がどうなっているかわからないし、そもそも大学のある山から仙台駅まで下りられるのか?・・・っていう話で。

夜8時過ぎ、強風が吹いて地吹雪みたいになっていたのが少しおさまったのを見計らって、恐る恐る車で山を下りました。まだ降り続いているところだから、かえって気温はそれほど低く感じないし、路面も凍ってはいませんでしたから、案外大丈夫でした。それでも一番急な坂のあたりは、のろのろ運転の車が数珠つなぎ。坂の途中では、何台もの原付が放置されてころがっているのを見ました。そこまで来て力尽きて諦めたのね。後で聞いたら、家に帰るまで通常の3倍以上とかの時間がかかった学生くんたちが多かったようです。

あ、私が帰る頃、きゃっきゃっ言いながら雪だるまだかかまくらだか作っていたやつらは、ちゃんと帰れたのか?

25日は、きれいに晴れたので、夜は山形に行きました。

この季節、この地域を自分で運転するのはおっかないので、高速バスで移動です。東北道から山形道に入って、県境の笹谷-関山峠に近づくと、やはり半端ではありません。しかも、マイナス6度の表示。わだちのできている高速道路って、見たの初めてかも知れない。

山形市内も、昨日の仙台の雪がどうのって言っているのがバカみたいというか、さすがというか、雪の量が違います。

Ts320195 Photo

自動車からも信号機からも、つららが下がっています。雪の上や半分溶けて凍っているところ、黒光りするところなど、この季節の地面の歩き方、だいぶ慣れましたけれど。

今日の仙台、もう雪は溶けて、まったく見られません。・・・あ、大学のある山の雪は全然溶けてないけどね。

2007年12月24日 (月)

花巻へ

12月24日の岩手日報朝刊は、1面に昨日の公演の写真記事、その他に、中の見開き2面分を使って、遠野市民センターバレエスタジオ30周年の歩みや、関係者へのインタビューによる特集記事を組むという破格の扱い。

遠野駅でその新聞を買って、釜石線に乗り込む。今日は、少しだけ寄り道をしながら仙台へ戻るつもり。

新花巻で下車。胡四王山にある宮沢賢治記念館へ。近くへ行くバスの発車まで1時間待ち。車に乗れば5分もかからない距離なので、タクシーを使う。800円くらい。

Photoこの記念館には何度か来ているのだが、今回のお目当てのひとつは、ちょうど特別展としてやっている「フランドン農学校の豚」。オペラシアターこんにゃく座のためにオペラとして作曲したことがあるので、この展示は興味深い。

Photo_2作品の紹介と生原稿の展示がメイン。他の作品同様、大幅な校正の跡がある。この作品の生原稿を眺めていて最も目につく変更は、初めに書き込まれた「です。ます。」が、すべて「だ。である。」に直されていること。それによって、冷徹なレポートのような文体で、人間のエゴと食物連鎖の無常を、ブラックなユーモアとともに描きだすことが可能になったのだろうと思う。

ミュージアムショップで、「銀河鉄道の夜」の冒頭原稿のコピーを売っていた。スペースシャトル「エンデバー」が宇宙へ持っていったのと同じレプリカだそうだ。2枚買う。1枚は、合唱団じゃがいもの指揮者鈴木さんにあげるつもり。

記念館前からタクシーに乗る。今回、花巻に寄り道することができたら、ぜひ行きたいと思っていた場所があった。

日蓮宗身照寺。賢治の墓所。昭和8年に亡くなった賢治は、昭和26年になって、浄土真宗のお寺からこの身照寺へ改葬されたとのこと。住宅地といっていいと思うけれど、閑静な地域にひっそりと、墓所はあった。

Photo_3 手ぶらで行ったので、浄財を置いて、横の箱に備えてあったお線香をあげて、たくさんの素敵な作品を遺してくれたことに感謝して手を合わせる。賢治さんの墓碑の右側に、宮沢家代々の骨堂が並んでいる。

そして、この写真の右の奥にも見えるのだけれど、数羽のフクロウ像が墓所を守るようにして置かれている。

Photo_4 フクロウは知恵の神。賢治作品にもたびたび登場することは周知のとおり。彼らが見守っていることで、つつましいお墓が少しだけ晴れやかで温かいもののように思えてくる。

Photo_5 待っていてもらったタクシーに乗って、今度は花巻駅に行く。料金は、記念館から身照寺まで2,000円くらい。身照寺から花巻駅までは800円くらい。花巻駅で、新花巻までの釜石線に乗るために、また1時間待ち。新花巻駅で、新幹線に乗るためにも50分待ち。何とも悠長な旅だ。

(写真は、クリックすると少し大きく表示できます。)

2007年12月23日 (日)

遠野へ(3)

終演後、市民センター隣のホテル「あえりあ遠野」で、バレエスタジオ開設30周年を記念する祝賀会。

かつて遠野で泊まっていたのは、階下からおばちゃんが「きっちゃーん、電話よー!」と呼んでくれる旅館だった。「あえりあ」のようにきれいなシティホテルは、なんだか妙な感じがする。

ちなみにこのホテルは、かつて中央公民館のあった場所に、第三セクターで建てられたとのこと。温泉ではないけれど大浴場があって、居心地はなかなか良かった。

26年前、初演の後の祝賀会には、お母さんたち手作りの、素朴だがまごころのこもったごちそうが並んでいた。今日の会場は披露宴会場のような大広間、電話は一人一人手元に携帯を持っているから、階下から呼ばれる必要はない。まさに隔世の感。

お決まりの挨拶やスピーチなどがあった後、バレエスタジオに10年間以上在籍した生徒・OGの表彰。名簿を数えてみたら、29人もいた。

今日でバレエ・スタジオを「卒業する」、二人の高校3年生の生徒さんがスピーチ。二人とも、驚くほどしっかりした内容を話す。大船渡から片道1時間くらいかけて通ってきた一人は、「30年の歴史の中に加われたことが嬉しい」などと言う。

少年少女時代に、学校以外の年上、年下の友だちや、たくさんの大人に囲まれて過ごす時間があるというのは、とても大切なことなのじゃないかなぁ・・・と思う。合唱団「じゃがいも」の子どもたちを見ていてもそう思うし、私自身も子どもオーケストラに通っていたから、そんな環境は理解できる。

大人と接することが多いわけだから、当然ませた子どもになる傾向はあるだろうが、ひとつだけではない価値観の眼差しに包まれて過ごす、そのことで得られるものは大きいと思う。身のまわりが父母や家族、親戚だけというのは、価値観が画一的、閉鎖的になりがちではないだろうか。スピーチをした生徒さんたちのしっかりした口調や大人びた表情は、バレエスタジオを支える大人たちと接してきたことから生まれているのではないかと思う。

Photo こちらは、やたらと嬉しそうな大人たち。市長さんまで引きずり込まれています。

お開きの後は、民宿へ行こうと誘われる。そこに泊まっているのは岡野さんと杉田さんだけなのに、十数人で押しかける。民宿の主人は、飲み物やコップなどのある場所を教え、あとは好きなようにやってくれと言い残して自宅に引きあげてしまったそうだ。勝手にテーブルだの座布団だのを探し出してきて、即席宴会場を作ってしまう。

この町は、こんなふうに大らかだ。深夜、もう閉めている店をドンドン叩いて起こし、一杯だけ飲ませてくれと言って入り込んでしまったことさえある。私がではない、私を連れまわしていた人がである。眠そうな顔で、また店を開けてしまう方もどうかとは思うが。

ビールとともに、自家製どぶろくが並ぶ。この国では、もちろん勝手にお酒を作ることは許されない。けれどもここは、「どぶろく特区」なのだ。透明な上澄みに、米粕のような白い粒が浮いている。ぴりっと辛いが、口当たりが良い。とても危険な酒。「後で腰にくるよ。」と言われ、慌ててコップを置いた。

遠野へ(2)

午後1時30分、遠野市民センター大ホール約900席の客席は、満席とはいかないまでもかなり埋まっている。

先ほど駅から歩いてきた大通りは、人影もまばらで閑散としていたのに、この人たちはどこから湧きだしてきたのだろう。

バレエスタジオ開設30周年記念公演のプログラムは3部構成で、「おしらさま」は第3部。

開演した舞台を見てすっかり感心してしまった。以前と比べて格段にレベルが上がっているように思える。以前は、こう言っては申し訳ないが、バレエ教室のおさらい会という感じがあった。けれども、第1部「バレエコンサート」も、第2部「ルロイ・アンダーソン名曲集」も、ともに立派な出来栄え。ジュニア・バレエ団としてのまとまりがある。やはり、30年の積み重ねは大きい。

さて、第3部が創作バレエ「おしらさま」。

今回は、3週間くらい前に招待状が送られてきて再演を知ったというわけで、音楽がどんなかたちで演奏されるのかまったく相談を受けなかったし、知らされなかったから、正直言って楽しみ半分、怖いもの見たさ半分で会場に来たのだった。以前の演奏の録音を流すのだろうか。それとも、ミディの打ち込みか。オール・ミディというのは、ちょっと嫌だな・・・。簡単な音楽ではないし、オフィシャルなヴァージョンは編成も特殊だ。

その懸念は、思いもよらぬかたちで吹き飛ぶことになった。

演奏を担当したのは、A.E.L音工房の5人の音楽家とコンピュータ制御のシンセサイザー。そして、そのグループのリーダーで指揮もした及川光志さんは、初演の舞台でトランペットを吹いていた高校生だったのである。そして、他の5人も、みな遠野在住の方々だという。

初演以後、2管編成によるオーケストラ版と室内楽版を作って、いつでもどこへでも持っていけるようになったが、遠野の人々が演奏するということはできなくなっていた。舞台装置も衣裳も街の人たちの手で作れるのに、音楽だけはそういうわけにはいかなかったのだ。

今回のヴァージョンは、室内楽版を基に光志さんが工夫して作ってくれたもの。光志さんは後で、「高校生の時、演奏に参加して受けたインパクトが強くて・・・。ずっとやりたいと思ってきたことが、今日やっとできました。」と言ってくれた。これで、「おしらさま」の音楽は、遠野の人たちの手に戻ってきた・・・そう思えて嬉しかった。

Photo_5

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写真は、終演直後の舞台。

終演後、祝賀会が始まるまでの間に、岡野さん、杉田さんとともに、健悟さんのお墓参りに行く。健悟さんは、濱田さんと二人で実働部隊のツートップを成し、バレエスタジオの運営や「おしらさま」の初演を、行政側から牽引した人だ。亡くなられてから、来年で10年になるという。その誠実な仕事ぶりはみんなが信頼していたし、眼鏡の奥の優しい笑顔を忘れることはできない。健悟さんが眠るお墓は、市民センターにから程近いお寺にある。舞台でいただいた花束を手向ける。杉田さんが、「今日も、ここにいてほしかったよね」とつぶやいた。思わず涙がこぼれた。

遠野へ(1)

12月8日の記事にあるように、私が1981年に作曲したバレエ「おしらさま」が、遠野で10年ぶりに再演されることになった。遠野へ行くのも10年ぶり。

仙台を朝9時の新幹線に乗って約1時間で新花巻。釜石線に乗り換えるために、約1時間待合室で待つことになる。付近にはほとんど店もないのだ。そして、やはり仙台よりも寒い。

Photo 単線、2両編成、ワンマン。1日10本しかない。今までに何度も何度も乗っているのに、そんなに不便な路線だったかなぁ・・・と今さらながら思うのは、私の余裕がなくなっているせいかも知れない。

仙台からだったら、車で移動した方がずっと楽だろうと思うけれど、こういう季節は雪や道路の凍結が怖い。

車内アナウンスは、女性の声のテープ。かつて、男性の車掌さんの案内放送、「下りる人が済んでからご乗車ください。」というのが「おぢる人がしんでから(落ちる人が死んでから)・・・」と聞こえるというジョークは本当なんだなぁと、感心(?)したことがあった。今はそんなことはない。

そんなことはないけれど、何やら妙なことを言っている。

Photo_3駅に停車して、わかった。前に何かで読んだことがあったけれど、岩根橋駅付近の眼鏡橋が、「銀河鉄道」のイメージに重なることから、いつからか釜石線は「銀河ドリームライン」という呼び名がつけられている。そして、各駅にはエスペラント名がついていて、それもアナウンスしているのである。「次は、ガラクシーア・カーヨ、宮守でございます。」という具合。駅にも、その愛称を記した標識が立っている。ちなみに、ガラクシーア・カーヨとは、「銀河のプラットホーム」という意味の由。「ガラクシーアかよ!」というツッコミはやめてね。

12時過ぎ、遠野に着く。

Photo_4 しばらく来なかったから、駅前の景色などもずいぶん変わっているだろうなぁと思っていたのだが、何とも恐ろしいくらいに変わっていない。数件、店が変わったりはしているけれど、私が初めて遠野に来た1980年の頃と、ほとんどまったく同じなのだ。びっくりしたような、安心したような、呆れたような。

市民センターは、歩いて5分ほど。昼食の部屋に案内されると、教育長さん、センター長さん、父母の会の会長さん、社会教育課の方々が大歓迎してくださって恐縮。そしてその中に、台本作者の岡野さんや、当時職員だった濱田さん、岩手日報の杉田さんの懐かしい顔も見える。間もなく、遠野の音楽のリーダーである斉藤さんもやってきて、気分は一気に遠野モードに切り替わる。

2007年12月 8日 (土)

創作バレエ「おしらさま」再演

ずっとご無沙汰していた岩手県遠野市から、突然手紙が届きました。

遠野市民センターバレエスタジオ開設30周年記念公演で、「おしらさま」を再演するとのことなのです。

_balletmiddle01「おしらさま」は、このバレエスタジオのために、1981年に作曲したバレエ作品。当初は、遠野で楽器の弾ける人大集合!で、吹奏楽あり合唱あり、ギターやマンドリンありの二度と再現不可能な楽器編成でしたが、86年に大改訂して、2管編成の管弦楽に配置しなおして、東京と中国の北京でも上演されました。 その後、室内楽版も作りました。

初稿を書いたのは27歳だったのですね。これをきっかけに、私がしばらくの間「遠野」にハマっていたことを、古くからの友人はみな知っていると思います。

遠野市民センターバレエスタジオは、全国でも珍しい、市が運営するバレエスタジオです。プロの指導者が、東京から毎週通って指導にあたっていました。初演の頃は、まだ東北新幹線はなく、羽田から花巻空港へYS11で飛んだことや、ガタガタ揺れる東北本線特急で東京へ戻ってきたことを、よく覚えています。将来、仙台で大学の教師になるとは、夢にも思いませんでした。

「おしらさま」が一番最近再演されたのは10年前ですが、今回のことはこの手紙をもらうまで、何の連絡もなかったので驚きました。 ほぼ10年ごとに再演を重ねてもらえるのは、嬉しいことです。

12月23日(日) 午後1時30分開演 遠野市民センター大ホール

情報はこちら

http://www.city.tono.iwate.jp/index.cfm/1,7195,3,html#

2007年12月 3日 (月)

はらこ飯のふるさと

先月はコンサートのことなど、いろいろ書いておきたいことがあるのですが、あとから少しずつ書きます。

昨日、ひょんなことから、はらこ飯を食べに行くことになりました。いろいろ謎の多かった(?)はらこ飯ですが、何とその起こりは、仙台の南にある亘理というところの郷土料理なのだそうです。

そして、あのウィキペディアに詳しく書いてあったので、びっくりしました。「はらこ飯」で検索してみてください。

それによると、亘理は阿武隈川の河口の地域ですが、ここでは鮭の地引網漁が盛んで、大漁の祝いに振舞ったのだとか。知らなかった。

Photo この地域には何軒か郷土料理のお店があるようですね。私が行ったのは、「田園亘理店」。日本食のファミリーレストラン風ですが、とても美味しかった!駅弁の「はらこ飯」もそれなりに美味しいと思うけど、やっぱりご飯が温かいのは嬉しい。ノリの味噌汁も美味でした。

もう少し後の季節になると、「ほっき飯」が始まるんだそうです。仙台から高速を使えば40~50分くらい。また行きたくなりそうです。

2007年10月19日 (金)

お手軽東北の味

大学の生協食堂では、時々ご当地フェアのような企画があります。

いま、「八戸せんべい汁」というものを食べてきました。八戸の方には申し訳ないですが、初体験でした。しょうゆ味の汁に、鶏肉やニンジン、大根などの野菜とともに、南部せんべいを割ったものが入っているのです。そう、けんちん汁に、ちょっと妙なものが入っていると思えばいいですね。

汁にせんべいを入れるだって!?・・・と、今まではちょっと引いていました。まぁ、食べる機会もなかったし。

もちろん、せんべいはふやけます。どうなるかというと、手ごわい麩というか軟弱なほうとうというか、そういうものになります。八戸の方には申し訳ないですが、思いのほか美味しかったです。

そういえば数日前には、ふかひれスープがメニューにあがっていました。なぜそんなものが・・・というと、宮城県気仙沼はふかひれで有名なのです。

ふかひれ・・・。えっと、シイタケがたくさん入っていました。

あ・・・うん、ふかひれも入っていましたよ、確かに。

これも普通に美味しかったです。だって、シイタケのだしがきいているもの。

2007年8月19日 (日)

還燈会

神奈川の家のすぐ北側には、墓地が見えます。

墓地といっても、ひとつの丘陵をまるごと拓いた公園墓地ですから、総面積は20万平方メートル、大変広大です。ここは著名人のお墓も多く、文学者に限って言えば、柳田國男のほか、尾崎士郎、坪田譲治、横溝正史といった人たちも眠っているそうです。柳田國男氏の墓所はわかりやすいので、散歩の途中にお参りしたりします。

宗教・宗派不問の墓地ですが、運営母体は浄土真宗のお寺で、毎年この時期になると法会が営まれます。 場内には、ささやかながら、ワタ飴売りや金魚すくいなどの屋台が並びます。夜8時からの野外の法要の前には、献灯(送り火)、ゲストの演奏や芸能の舞台などもあったようでした。この後催される花火大会がお目当てですが、ちょっと覗きに行ってみました。

Photo_4法要は、小規模ながら雅楽が生演奏され、僧侶によって唱えられる聲明が流れる厳粛な雰囲気。だけどね、時折、そう、ちょうど雅楽の太鼓がドウと打つタイミングで、大音響とともに、スピーカーの上に置かれたバズーカ砲のような筒から、会衆に向かって花吹雪が飛び出すのですよ。ものすごくびっくりしました。

もしかして、これって散華の代わり?散華というのは、諸仏を供養するために、僧侶が聲明を唱えながら、花、もしくは蓮の花をかたどった色紙を撒く静かな儀式なのですが。うーん・・・。

法要の後は、花火大会。

15分か20分間くらいの量ですが、何しろ目の前の真上に上がるので、かなりの迫力です。この行事が済むと、あぁ夏もそろそろ終わりに向かっているなぁと思います。・・・いやいや、まだ夏が終わっては困る!夏休みの作曲が、まだまだたくさん残っているのだから(焦)。

1 2 3 5 花火の写真を撮るのは難しいですね。どうしても火事か爆撃みたいになっちゃうんだな。

2007年8月 7日 (火)

暑中お見舞い申し上げます

Photo ほぼ一ヶ月ぶりの更新になってしまいました。

あまりにも放置され続けているので、どうかしちゃったんじゃないかと、何人もの方からご心配いただいてしまいました。どうもすみません!

病気でも旅行中でもなかったのですが、7月は、新しい譜面を待ってくださっている方が複数おられるのに加えて、学校の仕事がメチャクチャに忙しく、夜遅く帰ってくるとすぐにベッドにヘタレこんでしまうような生活でした。

今年の春まで、現職教諭の身分のまま大学院の学生として来ておられたSさんが私の様子を見て、「ダイガクのせんせって、こんなに忙しいとは思いませんでした」と目を丸くしていました。

週8コマもの授業を持っていましたから、そのすべてとは言わないまでも、いくつかの授業については事前の準備が必要で、それだけでも一週間がフルになるのに十分ですが、加えて二つの委員会、特にひとつは大学の広報を受け持つ委員会の実働隊長を命じられています。

このほぼ一ヶ月の間に、「大学案内」と「大学院案内」の二つの冊子を発行し、秋に刊行する広報誌のプランを立てて原稿を依頼し、駅前のスクリーンで流れているオーロラビジョンCM番組更新を手配し、大学のホームページと大学案内DVDのリニューアル計画を進め・・・と、これらの仕事を期限に追われながら、リーダーである副学長先生と4人の委員の先生、2人の事務官とでこなすのですから、頭の中がメモリー不足でフリーズ寸前でした。

私が卒業した某大学のように、(今はどうかわかりませんが、当時は)7月になると授業もまばらになって、なし崩しに長い夏休みに突入というのと違って、7月の最後まで授業はあるし、その後もオープンキャンパス、成績提出と、やるべきことがテンコ盛りです。

ようやく二つの冊子は出来上がり、夏休み前に手配すべきことはすべて済ませました(たぶん)。8月1日からは1泊2日の人間ドック、4日からは認定講習。

認定講習というのは、現職の小中学校の先生が免許の種類をグレードアップするために、教育委員