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2009年6月28日 (日)

オペラ「ポポイ」

間宮芳生作曲の新作オペラ「ポポイ」初演を観る。静岡音楽館AOI。

1987年に、倉橋由美子書下ろしラジオドラマの音楽として書かれてから、間宮先生はこの作品のオペラ化構想を持ち続け、22年経ってようやく完成、上演となった。1997年に作曲されたピアノ協奏曲第4番につけられた「いまだ書かれざるオペラの情景」という副題も、この「ポポイ」を念頭に置いたものだった。大変残念なことだが、原作者・倉橋氏は2005年に逝去された。

舞台は近未来。政界を引退しながら、未だ影響力を持ち続ける元老のもとに、二人の少年テロリストが押し入り、要求が聞き入れられないと知ると、ひとりがその場で割腹自殺、もうひとりも彼の介錯をしたのち自害。ところが、割腹した少年の首は、すぐに人工心肺に繋がれ、首だけで生き続けることになる。元老は、その夜脳梗塞に倒れ、彼らの要求が何だったのか、誰にもわからない。首は元老の孫娘・舞が引き取り、ポポイと名づけて世話をすることになった・・・。

もちろんすぐに三島事件を思い起こす。高校の授業から帰って事件を知り、テレビに釘付けになったあの秋の日を。三島事件は、もちろん契機になっているのだろう。けれども、まったく違う展開を創造してしまう倉橋文学の凄さに、あらためて目を瞠る。原作は新潮文庫で出ていたが、現在は絶版。古書でしか入手できない。

さて、この原作がどんな舞台になるのだろうと興味津々で出かけたのだが、幕が開いた直後から、見事にオペラになっていることに驚いた。出演は、吉川真澄(舞)、上杉清仁(ポポイ)の他、波多野睦美、大槻孝志、河野克典の各氏。そして、寝たきりの元老役は能楽師の清水寛二。楽器は11人アンサンブルで、間宮先生自身が指揮。演出は田中泯。

カウンターテノールの上杉氏やリュートソングやバロック歌曲のエキスパート・波多野氏、能楽師の清水氏をキャスティングするあたり、凡百のオペラとは違っている。それは、この作品が持つ音楽史的、様式的風紋を引き出すための必然だった。そして、これらの人々の音楽的個性が、ほぼ出ずっぱりで大健闘の「舞」を支えた。

2時間を超える長い作品で、間宮先生の音楽書法の集大成となった。音がとても美しい。鋭い音や密集した音も、まったく濁らない。そして、休憩中に会場に置かれてあった楽譜を覗いてみたら、譜づらがシンプルなのに唖然とした。たった22段の五線紙!

そのことを後で間宮先生に書き送ったら、「一見シンプルで、しかし危険な音にあこがれ続けようではありませんか。その危険が作為でなく、湧いて出る(出た!)ものなのが一番ということでしょうが。そんな危険物のきわめつけは、多分『カルメン』でしょう。」と、お返事を頂いた。

田中泯氏の演出は、舞台を左右に、演技エリアと楽器エリアに分け、無造作に吊り下げられたザラザラした感じの布に、時折ビデオ映像が映し出される。映像は、手持ちカメラのリアルタイムの画面だったり、あらかじめ録画されたものだったりする。休憩をはさんだ後半では、演技エリアと楽器エリアの配置の左右が逆になっていたので、びっくりした。そんな面倒なことは、音楽関係者だったら決して思いつかないだろう。だが、その効果は、はっきり説明できないにしても、絶大だったと思う。

脳死が人の死であるかどうかという議論がある。では、脳さえ生きていれば、首から下はヒヤシンスの水栽培のような生命維持装置であっても生きていると言えるのか。原作の新しさに驚く。オペラでは割愛されたけれど、20年前には想像できなかった(しかし、現在では当たり前の)通信手段、例えば電子メールのようなものも予告されている。

感動した。けれど、何がその感動を呼び起こしたのか、説明するのは容易ではない。そして、とにかくこんな舞台が、一回だけの上演しか許されない文化状況というのは、「勿体ない」を通り越して、芸術家に対して犯罪的なのではないかとすら思う。それはもちろん、静岡音楽館AOIの責任ではない。

この翌日は、間宮先生の80歳のお誕生日。終演後のロビーでは、打ち上げを兼ねて、ささやかなお祝いのレセプションが開かれた。80 しかし、音楽は瑞々しいし、副指揮者を置かず、音楽練習からすべてご自分で指揮をされた先生には、年齢の区切りを祝う必要などなかったかも知れない。

2009年6月13日 (土)

「音楽創造における楽譜の意味」(2)

学会の開会式で、私たちの大学の学生くんたちが、サムルノリをご披露しました。

Photo_2

(承前)

一方の「拭うことのできない不信、あきらめ」についてお話しましょう。

 このシンポジウムのレジュメに、小畑先生が、「音の様々な要素のカテゴリーを示す記号の配列として楽譜は成立している。」と書いていらっしゃいます。もちろんそのとおりですが、逆に言えば、「楽譜は、様々な要素のカテゴリーを示す記号の配列でしかない。」とも言えるのです。作曲家が楽譜に書きこめる情報は、実はとても限られたものでしかありません。例えば、このフレーズは、ヴァイオリンのどの弦のどのポジションでどんな弓使いで弾いてほしいか、よほどの場合にはそれも書き込みますが、例えばオーケストラ・スコアのすべての音に、そういった情報を書き込むわけにはいきません。指使いや細かなテンポの揺れなど、神経質に細かく書き込み始めたらきりがないし、煩雑な楽譜になってしまうので、どこかで諦めます。諦めると言うのがふさわしくなければ、思考を停止して、こうつぶやくのです。「これは演奏に任せよう。」

 私と同世代のある作曲家が、電子オルガンのために作曲した時、彼はレジストレーションを、ひとつひとつの数値まで詳細に楽譜に記しました。同じ時期に私も電子オルガンのために作曲したのですが、音色については、例えば「打ち寄せる波のように」とか「遠くで鳴る鐘のように」とか、あまり役に立たないことを書いただけでした。もちろん、目指している音楽の違いがあるわけですが、彼が書いた詳細な指定は、電子オルガンが機種変更すると、たちまち役に立たなくなりました。一方、私が書いた大雑把な書き込みは、機種がパワーアップするたびに響きがゴージャス過ぎるようになって、少々困っています。ジョン・ケージが、プリペアド・ピアノで、ピアノの弦に挟むように指定したボルト類は、すでに生産されていないそうです。どのケースでも、作曲者の当初の意図を厳密な意味で再現することは、もはや不可能なのです。

武満徹さんのエッセイに興味深い一節があるので、ご紹介しましょう。「消える音」を聴くというタイトルです。

 すべての音楽表現の根底には、消えていく音を聞き出そうとする、人間の、避け難い、強い欲求が潜んでいるはずだ。だから音楽は、時間を超越して、幾度となく聴き返されるのだろう。また、そのために必要な楽譜というものは、消えていく音を、身裡に、どうにかして留めたいとする欲求の表れだが、だからといって人間は、記譜することで、そこに「音楽」が余すことなく定着されたとは思っていない。音の全容を平面的な譜に置き換えることなど、所詮、無理だということは、百も承知だ。
 だが楽譜は、作曲家が聴き出した、実体としての音を、再び、時空を超えて、この世界に喚びもどす装置であり、その不完全さが、逆に、そのことを可能にしている。(武満徹 「消える音」を聴く/新潮社『遠い呼び声の彼方へ』所載)

 新しい曲を書いて、初演のための練習を聴くような時、作曲者である私の耳と、演奏者の耳とは、初めのうち少しずれているように感じます。演奏者が、楽譜を間違って読んでいるというようなことではないのです。それは、楽譜に書かれなかった、いえ、書くことのできなかった様々なこと、文章で言えば「行間」を、作曲者と演奏者が共有できていないからではないかと思われます。

 「拭うことのできない不信、あきらめ」と、初めに私が申しあげたのは、楽譜に書き付けるときの作曲家の耳と、それを演奏する演奏者の耳が、初め、いつもずれていることを、少し大げさに、ペシミスティックに表現したのでした。しかし、作曲家は、自分の想像の中だけで完成された音を聴いているのだし、演奏家は、現実の演奏行為として音を組み立てていこうとしているのですから、ずれが生じるのは必然とも言えます。練習や打ち合わせを重ねるごとに、そのズレは修正され、最終的に音楽は、作曲者が考えていた以上の姿にもなり得るのです。

 音楽は抽象であるだけに、文章以上に、「行間」には、作曲者が楽譜に書ききれなかった感情がひしめいています。作曲者と演奏者が「行間」を共有するために、作曲者が近くにいる場合には、直接話し合うこともできますが、そういう場合は多くはありません。作曲家が近くにいようがいまいが、紙の上に書かれた記号に命を吹き込んでいく行為は、演奏者自身の主体的な創意に委ねられています。

 演奏芸術とは、作曲者が書き込むことのできなかった「行間」を推し量り、充実させ、演奏者自身の、そして聴き手の心の中に、楽譜の「行間」を再創造していくことです。その段階で、楽譜は、もはや作品の「取り扱い説明書」でしかありません。
武満さんが言うように、「不完全であるゆえに、作曲家が聴き出した音を喚びもどすことができる」と考えれば、楽譜の不完全さこそが、演奏芸術の無限の可能性を導き出せるのだとも言えると思います。

 これで私の発言を終わります。ご清聴ありがとうございました。

「音楽創造における楽譜の意味」(1)

音楽表現学会というものが、わが大学を会場に行なわれました。私は会員ではありませんが、シンポジウムの発言者に指名されたので参加して参りました。パネリストは、星出豊さん(指揮者)、赤松林太郎さん(ピアニスト)と私。司会は小畑郁男さん。それぞれの発言についての、パネラー同士の突っ込みもあり、フロアからの質問も出続け、シンポジウムとしてはなかなか面白いものになったのではないかなと思います。

それぞれのパネリストが最初に約10分ずつ発言をしましたが、ここには、私の発言を記録しておきます。シンポジウムのタイトルは、「音楽創造における楽譜の意味」。

 シンポジウムへお招き頂き、ありがとうございました。ここ宮城教育大学の教員をしております。私は会員ではありませんが、同僚たちが一生懸命準備しているのを見ておりました。お忙しいところお集まりいただきました皆さまを、心より歓迎いたします。どうぞ、仙台の初夏をお楽しみ頂けたら幸いです。

 さて、「音楽創造における楽譜の意味」について、作曲の立場から考えを述べよというのが、私に課せられた宿題かと思います。世界中には、いわゆる五線譜を使わない音楽がたくさんあることは、言うまでもありませんが、ここでは「いわゆる五線による楽譜」に限ってお話いたします。

 私が、作曲家として「五線による楽譜」についてどう考えているかということを、端的に申しあげるならば、「全幅の信頼」と「拭うことのできない不信、あきらめ」、この相反する考えを同時に持っているということになるかと思います。このようなアンビバレンスな考えについてご説明することが、本日の私の発言の骨子になるかと思われます。

 「五線譜への全幅の信頼」については、あまりご説明する必要がないでしょう。西洋芸術音楽と、その延長上にある音楽に携わるのは、基本的には「五線譜を信頼する」ことで成り立つからです。当たり前のことですが、ベートーヴェンが書いたピアノ・ソナタの譜面がデタラメであったとしたら、演奏も解釈も評論も成り立ちません。私たちは、ベートーヴェンが遺した譜面を、彼が思い通りに書いたという前提で譜を読み、演奏し、それを聴いて楽しんだり研究したりしているわけです。

 その面で、大学教師としての私は、(特に非西洋の音楽を専門とされる方々からは)ガチガチの「五線譜主義者」と見られるに違いありません。理論や作曲の授業で、学生くんたちが書いてきた楽譜を見て、この音符はタマが大きすぎるだの小さすぎるだの、線からはみ出していてソかファかわからんじゃないか、ホォ・・・これは付点なんですね、私はまた音符の横にゴミが落ちているのかと思いましただのと言ったりします。楽譜は自分の考えを伝えるためのものなのだから、他人が見てちゃんとわかるように書きなさい、ソかファかわからないようではダメだし、付点もゴミと間違われないようにしっかり書き込みなさいなどと、いちいち小うるさく言って嫌がられております。

 作曲家の林光さんが少年だった頃、先輩作曲家の尾高尚忠氏に楽譜を見てもらっていました。ある時、16分音符がたくさん続くパッセージを書いて、そのひとつひとつのタマにスタッカートを打った、ところが、ひとつだけうち損じた。尾高先生は、たちまちそれを発見して、その16分音符を輪で囲って、余白に「おお神様、かわいそうなこの16分音符にも、仲間たちと同じように、スタッカートの点をおめぐみください!」と書いたそうです。作曲家という種族は、音楽の中身にもそうですが、楽譜の書き方にも、うるさくなる宿命を持っているものと思われます。正しく書かれた楽譜は、世界中の、どんな時代の人に対しても、自分の考えが伝えられるという確信、もしくは希望、もしくは幻想を前提に、作曲家は楽譜を書き続けるのです。

(続く)

2009年6月11日 (木)

クリスチャン・ツィメルマン ピアノ・リサイタル

仙台で、ツィメルマンの来日公演を聴く。6月11日東京エレクトロンホール宮城(宮城県民会館)

バッハ:パルティータ第2番

ベートーヴェン:ピアノ・ソナタ第32番

ブラームス:4つの小品 Op.119

シマノフスキ:ポーランド民謡の主題による変奏曲 Op.10

ひとことで言えば至福の時だった。特にベートーヴェンの後半楽章は、ふだん聴き慣れているものと同じ楽器とは思えなかった。天の鈴の音のよう。

徹底して「自分のピアノ」にこだわるということだから、楽器の調整にも何か秘密があるのかも知れない。そして、ペダルも多様に使い分けているらしいのだが、何が起きているのか、私にはよくわからない。

言えるのは、感覚的であると同時に非常にクレバーな演奏だということだ。ただ感覚的に美しいだけではないのである。

欲を言えば、もう少し響きの良いホールで聴きたかった。もちろん、それはそれで工夫して演奏していたのだろうと思うし、十分に堪能できたのだが。1,000人を超えるキャパシティを持つ良いコンサートホールがないところが、この街のウィークポイントだ。

2009年6月 7日 (日)

チャイコフスキーの交響曲など~仙台フィル4月・5月

4月と5月の仙台フィルの2つの演奏会について。

4月は、シーズン・オープニングコンサートで、オール・チャイコフスキー・プログラム(4月17日)。指揮は山下一史。

・組曲第4番「モーツァルティアーナ」より、“ジーグ”“メヌエット”“祈り”

・ヴァイオリン協奏曲(ヴァイオリン:佐藤俊介)

・交響曲第4番

5月定期の指揮は小泉和裕(5月22日)。

・ストラヴィンスキー:幻想曲「花火」

・ヴィラ=ロボス:ハーモニカ協奏曲(ハーモニカ:和谷泰扶)

・チャイコフスキー:交響曲第3番「ポーランド」

チャイコフスキーのこれらの交響曲を並べて聴くと、3番と4番の間に、大きな区切りがあることがわかる。第3番は「過渡期的な作品である」と言われていて、一般批評的に見れば確かにそうだろう。3番に比べて4番は、作曲された時期は、たかだか1年くらいしか隔たっていないのにも関わらず、完成度、知名度など、3番に比べて4番は格段にレヴェル・アップしている。

では、4番に比べて3番は面白くないかといえば、決してそんなことはないと思う。たしかに、何となく垢抜けない経過的部分などがあったりして、4番の方が全体ははるかに引き締まっているけれど、整理される直前の混沌という面白さがある。ところどころに、バレエ音楽を思わせるような魅力的な場面も現われる。それもそのはずで、作曲された時期は、「白鳥の湖」にとても近いのである。

「民謡を交響曲に」というコンセプトから、一歩踏み出した絶対音楽を目指そうとしている。しかし、まだ完全には踏み出しきれないで、民謡調があちらこちらに顔を出すし、民謡的なテーマでフーガを書いたりしている。

一方、4番は民謡的要素が抽象化された名曲だが、スコアを眺めていたら、4つの音によって全曲の動機的統一が図られていることに気がついた。・・・ということは、どこかに書いてあるのかしら。とてもわかりやすいことだから、まさか発見した人がいないわけはなく、あちらこちらの解説に記述があってもおかしくはないのだけれど、まだ読んだことはないなぁ。

ヴィラ=ロボス晩年の「ハーモニカ協奏曲」も、珍しい曲目だった。木管と弦中心の小さめのオーケストラだが、トロンボーンとチェレスタは欠かさないというあたりが、この曲のサウンドを決定づけている。

ヴィラ=ロボスの作品は、あまり知らないのだけれど、一種の諦念に似た雰囲気が漂っているのは晩年の作だからだろうか。紛れもなく「大人の音楽」で、お酒でいえば若いワインではなく、ウィスキーモルトの香り。ストラヴィンスキーの出世作「花火」が聴けたのも、楽しかった。

(読売新聞仙台版570字批評は、今年度も続いている。本当は作品について書きたいのだが、求められているのは演奏評なので、ここには新聞には書ききれなかったことなどを書いておく。)

2009年4月27日 (月)

月産570字

昨年から、毎月仙台フィルの定期演奏会を聴いて、読売新聞仙台版に570字のレヴューを書くという仕事をしている。

演奏会に行く前には、可能な限り音源とスコアを入手して、曲について把握しておくようにしている。スコアは10代の頃から買い続けているから、あらためて買わなくても良いものも多いし、大抵の作品は入手できるけれど、中には簡単に手に入らない曲もある。その場合は仕方がない。注文して何ヶ月も待つことはなかなかできないからだ。

音源は、最近はネットでも簡単に買えるけれど、仙台の某CDショップでは、定期演奏会で取り上げられる曲のCDを、数ヶ月前からコーナーを設けて揃えている。入手しずらい曲の場合などありがたい。便乗と言えばそれまでだが、地元のオーケストラを応援しようというディスプレイを設けるのは、地方都市ならではのことだろう。東京では考えにくい。

本番では、膝の上にスコアを開き、ノートにこっそりメモを取る。音楽会の本番で、楽譜をめくり、メモをするなんて無粋この上なし。周りのお客様に申し訳ないなぁと思うけれど、楽譜を見るのも、メモを取るのも、思い違いを避けるためと、後付けの何となくの印象で書いてしまわないためだ。

私は批評家ではないから、基本的に貶す批評は書かない。「アンサンブルが乱れた」「バランスが乱れた」なんていうことだけを書いたって、乱れたのはちょっとした事故かも知れないし、演奏会に立ち会わなかった読者が、アンサンブルが乱れたことを知ったって、何の役にも立たないし面白くもない。

それよりも、「この作品はこういう曲。それをどのように表現しようとしていたか」という、作曲する者の視点を持ち続けていたいと思っている。

それにしても、何が大変といって、570字にまとめるのにとても手間がかかる。当日メモした走り書きのうち、少しは使えそうなフレーズだけ書き写してみても、すでに700字くらいにはなってしまう。それを整理したり、言葉を入れ替えたり、諦めたりして570字まで削る。削ることで良くなっていく部分とわかりにくくなる部分と、両方あるような気がする。

さらに、専門用語はできるだけ避けてほしいという注文がある。読者は専門家ばかりではないというのが理由だが、「運弓」を「弓の運び」に替えるくらいは良いが、「オーケストレーション」の代替言葉は「管弦楽配置」で良いのか。「パッセージ」を「走句」と言い換えてもわからないだろう。「動機(モティーフ)」も、「犯行の動機」の「動機」と混同されるので使えない。字数制限も、用語や使用漢字の制限もない「ブログ」は、呑気なフォーマットだなぁ。ただ、用語や使用漢字の制限はともかく、字数を制限に合わせて削っていくのは面白いことでもある。

ここでは、これまで報告しそびれてしまった定期演奏会をメモしておく。

2月20日(第235回定期) 指揮:デリック・イノウエ、クラリネット:赤坂達三

 コープランド:バレエ組曲「アパラチアの春」

 コープランド:クラリネット協奏曲

 アイヴズ:答えのない質問

 ハンソン:交響曲第2番「ロマンティック」

とりわけアイヴズが面白かった。演奏時間はたった5分くらいだけれど、果てしない時間と空間の中に放り出されたような感じ。どんな曲であるかよりも、どんな体験ができ曲かの方が重要。アイヴズが、ケージに繋がる実験音楽の始祖であることがよくわかる。他の3曲、コープランドもハンソンも、生演奏では滅多に聴けないから貴重な機会だったし、それぞれ良い演奏だった。ハンソンの交響曲は、調性との距離の取り方、時流から隔絶した孤独なロマンチシズムがシベリウスを思わせる。

3月20日(第236回定期) 指揮:パスカル・ヴェロ、ヴァイオリン:米元響子

 ベルリオーズ:序曲「海賊」

 ショーソン:詩曲

 サン=サーンス(イザイ編):ワルツ-キャプリス

 フランク:交響曲

ベルリオーズのこの曲はあまり知られていない。超特急のパッセージが駆け回る部分と半音階進行を含むゆっくりした旋律の部分がめまぐるしく交替し、カンカンを思わせるどんちゃん騒ぎに至る。こんな曲なのに・・・というよりもこんな曲だからこそ、とても丁寧にリハーサルされたことがよくわかる。演奏の仕上がりはむしろ端正。ヴァイオリンの2曲、どちらも演奏は自然体のロマンチズムで落ち着いて聴けた。ショーソンの詩曲のオーケストラ版、生で聴いたことあったっけ?詩曲は、独奏が霞の中から浮き上がって聴こえるように、オーケストラが書いてある。名オーケストレーション(という言い方あるのかな?)だと思う。オーケストレーションで言うと、フランクは「厚化粧」だ。いくつかの絵の具を混ぜて中間色を作るようにして、音色を配置する。それなのにというか、だからこそというか、オーケストラがオルガンのようによく鳴る。聖職者のような仕事ぶりだったというこの作曲家も交響曲は、むしろ人間臭い苦悩とカタルシスのドラマ。常任指揮者ヴェロ氏とこのオーケストラとの関係は、今とてもうまくいっている。彼が指揮をすると、このオケは音が落ち着く。ヴェロ氏と仙台フィルで聴いてみたい曲が、まだまだたくさんある。2009年シリーズも作文を続けることになったので楽しみだ。

2009年3月24日 (火)

1月のコンサートいろいろ(5) クァルテット・エクセルシオ

1月31日(土) クァルテット・エクセルシオ演奏会 東京・第一生命ホール。

ウェーベルン:弦楽四重奏曲(1905)

ウェーベルン:弦楽四重奏のための5つの楽章

ウェーベルン:弦楽四重奏のための6つのバガデル

ウェーベルン:弦楽四重奏曲 op.28(1938)

間宮芳生:弦楽四重奏曲 第1番

間宮芳生:弦楽四重奏曲 第2番「いのちみな調和の海より」

このクァルテットのメンバーである山田百子さんからご案内を頂いて出かける。演奏に先がけて、間宮先生のプレトークがあった。第1四重奏曲についての、黒田喜夫の詩からインスパイアされたことなど、初めて聞いた話ではないが、久しぶりだったこともあり新鮮。第2四重奏曲についても同じだが、作曲に向かう思いの強さが、作品の堅牢な構築を可能にするのだろうと思う。演奏では、ウェーベルンの意外な饒舌ぶりが、間宮作品と対比されて面白かった。

1月のコンサートいろいろ(4) 仙台バッハゼミナール

1月29日(木) カワイ仙台ショップホール

ピアニストの田原さえさんが、バッハの平均率クラヴィーア曲集を、分析しながら演奏していこうという公開ゼミを主宰されて、もう9回目。今回は、第1集の研究が完結する節目でもあるということで、「特別講師」に招かれた。

田原さんが、最初に持ちかけて来られたのは、「来場した方々に、50分間でカノンを書いてもらうことはできませんか」というものだった。いや、それはさすがに無理じゃないかな。カノンとはこういうものですと説明するだけでも、いくらかの時間は必要だし。各自の手元に楽器があるわけではないし。

それではということで、ゼミの会員メンバーに、カノンを作ってきてくださいと「宿題」を出しておく。メンバーの間でも、カノンってそもそも何ですか・・・と、当たり前にわかっていたつもりのことが混乱し始めたので、当日は、カノンについての概説と、作ってきてくれたカノンを試演して、それについてコメントする50分間になった。

メンバーは、ピアニストやピアノの先生たちだが、作曲の経験はあまりない。そういう人たちがカノンを書いてみるのは、なかなか難しいけれど意味のあることだろうと思う。対位法的な規則は、あまり厳密に求めないことにする。

たくさんのカノンが出来上がってきた。作者の名前は伏して見せてもらったが、田原さんが書かれたものはすぐにわかった。音の扱い方が「大人」なのである。こんな小品でも、書いた人の人となりが現われていて面白い。

1月のコンサートいろいろ(3) 山本純チェロリサイタル

1月26日(月) 仙台フィルのチェリスト、山本純さんのリサイタル(ピアノ=加納麻衣子)。仙台市青年文化センター交流ホール。

ベートーヴェン:チェロ・ソナタ第3番

バッハ:無伴奏チェロ組曲第5番

ラフマニノフ:チェロ・ソナタ

これほど演奏者の人柄が現われたコンサートに立ち会うのも、珍しいことかも知れない。純さんを知る人、彼を応援したいと思っている人たちが集まった客席は、内輪の集まりというのとはまた違う、和やかでくつろいだ雰囲気。彼が、交流ホールという会場を選んだことも関係しているだろう。

途中で、左手がつってしまうという気の毒なアクシデントがあって、本領発揮というわけにはいかなかったのがとても残念。あんなこと、あるんだなぁ・・・。演奏の同業者が見たら、蒼ざめてしまう光景だろう。

相当な痛みがあっただろうに、純さんは全曲を弾ききった。途中で事情を説明していたから、客席は事態を了解して聴き、惜しみない拍手をおくった。それだけに、アンコールのカッチーニ「アヴェ・マリア」は胸に沁みた。

次の機会にも、またぜひ聴きに行きたいと思う。

2009年3月22日 (日)

1月のコンサートいろいろ(2) 合唱団じゃがいも東京公演

1月25日(日) 山形の合唱団「じゃがいも」の、2回目の東京公演。東京・亀有・リリオホール。

今年は、林光さんの作品をふたつ、書き下ろし合唱曲「無声慟哭」と合唱オペラ「セロ弾きのゴーシュ」。

「セロ弾きのゴーシュ」は、こんにゃく座でよく知られたオペラだが、今回は合唱オペラに改訂されたものを上演した。

プロではない合唱団にとって決して易しい曲ではないのだが、その仕上がりは、オペラをちょっと無理しましたけれど直して歌いましたというようなものではない。今回書き下ろされたのだよと言われても納得しそうなリダクションと上演だった。これを契機に、「じゃがいも」だけでなく、いろいろな合唱団が手がけるようになれば良いのに。

「光輝あるわが金星音楽団」の練習風景。聴きなれた(観なれた)こんにゃく座の舞台では6人のキャストだけで、他の大勢の楽員の存在は想像するということになるけれど、「じゃがいも」たちは全員が舞台にいて、楽器を弾く仕草をしているから、本当にオーケストラがそこに見える!

「町の活動写真館」の楽団としては、ちょっと多すぎるかも知れないけれども、それはさておき、今までに「見えた」ことのなかった「金星音楽団」が見えたのは、面白い衝撃だった。

本質的なことではないように思えるかも知れないが、最初と最後の場面が群集劇として視覚化されることによって、物語の核をなすゴーシュの孤独と、訪問者たちとの対話が浮き立った。最年少、烈くん演じる仔狸は、「狸汁ってぼく知らない。」だけで客席を掴んでしまう。

Photo それにしても、ホーム山形だろうが、アウェイ東京だろうが、どこへ行っても元気だよねぇ。今年の山形、来年1月の仙台も楽しみです。

1121653_img リリオホールのロビーから見えた富士山。

1月のコンサートいろいろ(1) 仙台フィル第234回定期

1月23日(金) 仙台フィル第234回定期 仙台市青年文化センター・コンサートホール

ベートーヴェン:ピアノ協奏曲第5番「皇帝」

ブラームス:交響曲第2番

指揮:大山平一郎、ピアノ:小川典子

小川氏の演奏による日本の作曲の黎明期作品のCD、少し前の録音だが、楽しんで聴いていた。このCDが、橋本國彦のピアノ作品に接した最初でもあった。生演奏を聴くのは初めてなので、楽しみに聴きに行く。ソリストとして迎えられた今回はクラシックの王道ど真ん中の作品。

そのピアノコンチェルト。音ひとつひとつが発光体で、パッセージやアルペジオを弾くと、音がいろいろな色でキラキラ輝くよう。

第2楽章。前の楽章とは別の宇宙から響いてくるように感じるのは、第2楽章が第1楽章からは遠い調で書かれているためだろう(E-dur の第1楽章に対して、H-dur 。同主短調のⅥの和音、つまり準固有和音Ⅵの調。ただし、本来はCes になるところをH に異名同音的に読み替える)。敬虔な祈りを思わせる静謐な美しさは、印象的だった。

全曲にわたって、オーケストラもナイス・サポートで、40分間飽きることなく楽しく聴いた。

ブラームス。オーソドックスで率直な解釈で熱演、盛り上がりも見事だった。けれど、もっと楽譜の中に隠されたドラマを浮き上がらせることも可能だっただろう。冒頭に提示される3つの音を動機として組み立てていくやり方は、ヴァイオリン・ソナタの、同じく第2番を思い出させる。

2008年12月27日 (土)

「魔法のことば」

佐山真知子さん、佐山陽規さんの「ふたりコンサート」(東京・下北沢アレイホール)

前半は、陽規さんがロルカによる「スペイン民謡集」から11曲を歌う。こんにゃく座を退座してから、ミュージカル歌手やアニメーションの声優としても活動している彼は、広くないホールにぎっしり詰まった聴衆に語りかけるように歌う。この曲が、本来そのように歌われたであろうやり方で。

真知子さんもそうだが、歌詞はすべて明瞭だから、その面で決して聴衆との間に壁を作らない。長年の経験がなせる技だろう。それに、熟年になられてと言っては失礼かも知れないが、こういう歌に絶対必要な、暖かな味わいが加わっている。今後の活動も楽しみだ。

真知子さんは、私が1999年に書き下ろした「魔法のことば」(アメリカ・インディアンの詩による9つの歌、訳詩・金関寿夫)を再演。服部真理子さんのピアノ、佐々木葉子さんのバス・マリンバが加わる。

きれいな、安定した、声量のある声で、歌詞の意味を伝える・・・という「正しい歌い方」に、最近真知子さんは違和感を覚えているという。そんな時、「言葉は意味である前に、まじないだった」というこの作品のことを思い出してくださったのだろう。初演の時とはまったく違う歌い方で、この作品に向かった。

真知子さんの力を持ってすれば、「きれいな、安定した声で、意味を伝えるように」歌うことはさほど困難ではないだろうと思うのに、あえてそこから離れようとする姿勢に、清々しい決意を見るような気がした。

そういうわけで、9年半ぶりに聴く「魔法のことば」は、なかなか面白かった。私の曲も、「歌曲作品」としてきちんと構成を整えることを極力避けている。だから、作品と歌とのヘンテコ具合にとまどった方もおられただろうと思うが、歌の書き方、歌い方両面から、「歌とは何か」を問う試みになっていると思う。

ちなみに、「魔法のことば」の詩は、「おれは歌だ おれはここを歩く」アメリカ・インディアンの詩(金関寿夫・訳、秋野亥左牟・絵、福音館書店)、「魔法としての言葉」アメリカ・インディアンの口承詩(金関寿夫・訳/解説、思潮社)に載っている。

2008年12月25日 (木)

仙台フィル「第九」特別演奏会

読売新聞の仕事として、仙台フィル「第九」特別演奏会を聴く(仙台市青年文化センター・コンサートホール)。

年末に、生で「第九」を聴くなんて、いつ以来だろう・・・。オケの皆さまには申し訳ないが、まったく記憶がないのだ。こういう機会が得られて、ありがたい。

指揮はパスカル・ヴェロ。前プロは、ラモー(ギルマン編)の歌劇「エベの祭り」第1組曲という珍しいレパートリーだ。ヴェロ氏ならではの選曲だろう。

ラモーは、バッハより2歳年上だそうだけれど、ほとんど違う星の住人のように聴こえる。ましてや「第九」などは、ラモーと並べられると、ずいぶん遠くに来たものだ・・・と思う。

新聞記事は、まだこれから書くことになるので、いつものことながら、詳しい感想はパスさせていただくことにする。

が、改めて思うのは、この大交響曲、第4楽章はどうやったって盛り上がる。だから、第1から第3楽章までの演奏によって、オーケストラの力量がわかるということだ。

そして、前プロがラモーでなかったとしても、この大交響曲の異形ぶりは、生演奏の場合、よりあからさまになるように思う。この曲が発表されるまでは、こういうものを「交響曲」とは呼ばなかっただろう。演奏会に行って、そんなことが確認できて良かった。

「第九」の合唱パートといえば、どこの土地でも、一般の人々が大勢参加するのが常になっているが、この演奏会での合唱パートは無差別の「市民参加」ではなく、そのレベルの高さには感心させられた。

2008年12月23日 (火)

AOI のクリスマス・コンサート

静岡音楽館AOI からの依頼で、「くるみ割り人形」組曲から抜粋して編曲した。クリスマス・コンサートの中で初演されるので、立ち会いに行く。

Aoi 当館音楽監督・野平一郎さんが立てたプログラムは、とても豪華なもので、この館の企画会議委員やレジデンス・クワルテットのメンバーの演奏家の方々を、気楽な演奏会の場に引っ張り出して、お客様方と仲良くしてもらおうという思いがある。

「静岡の名手たち」オーディションに合格した若い演奏家たち、「ピアノ伴奏法講座」修了生、「子どものための音楽ひろば」を受講している子どもたちが加わって、3部構成、所要時間3時間20分に及んだ。

書き留めておきたいのは、「子どものための音楽ひろば」という講座のこと。小学校4年生から中学3年生が集まって、月に2回の土曜日、体操やリズム遊び、作曲、うたなどを学ぶ。70名募集のところ、倍以上の150名もの応募があり、残念ながら多くの応募をお断りせざるを得ない現状なのだそうだ。この日の演奏会でも、簡易打楽器のアンサンブルや美しい合唱を聞かせてくれた。

他には、クリスマス向きの曲もたくさんあったけれど、バルトーク(ラプソディ2番)あり、ジェフスキー(「平和を我らに」によるショートファンタジー)あり、ラフマニノフ(チェロソナタの第3楽章)ありといった、音楽監督やりたい放題の「クリスマスコンサート」。でも、親子連れでぎっしり埋まった客席は、最後まで静かに聴いていた。
「ジェフスキーとジュ・トゥ・ヴ弾いたあとで、軍隊行進曲(シューベルト)弾くことないわよねぇ」という、企画会議委員であるピアニスト・高橋アキさんの言葉が、なかなか可笑しい。

「くるみ割り人形」は、組曲から数曲抜粋して、20分ほどにまとめてほしいという注文だった。野平さんの指揮、バス・バリトン歌手池田直樹さんの語り、レジデンス・クワルテットの方々やギターの福田進一さんまで加わるという贅沢な演奏陣で無事初演。編曲のために使える楽器は、「たくさんあるのに肝心なものがない」という具合で、楽な仕事ではなかったが、なかなか楽しかった。何より原曲がいい。「花のワルツ」など、耳タコながら、改めて書いてみると本当に美しい。

Photo 写真は、リハーサルの時のもの。

この種の編曲の仕事をして悲しいのは、手間暇かけて厚いスコアを書いて、なかなか評判の良いものが出来上がっても、ある程度編成が大きいために、初演されたっきり、お蔵入りしてしまうことだ。AOI でもまた数年後に再演してもらえそうな気配はあるけれど、アンサンブル曲をお探しの方々、いかがでしょうか。

「小序曲」、「行進曲」、「金平糖の踊り」、「トレパーク」、「アラビアの踊り」、「花のワルツ」の6曲。編成は、ピアノ2台、フルート、クラリネット、弦5部(各1名)、打楽器2名に、「アラビアの踊り」ではギターが、「花のワルツ」にはオルガンが加わります。「動物の謝肉祭」に近い編成です。上演をご検討いただける方からのご連絡をお待ちしております(笑)。

Photo_4 AOI ロビーからの眺め。静岡の街って、こんなに山が近かったのかとちょっとびっくり。ここに来るのはいつも夜だったから、気がつかなかったのだな。

Photo_5 駅の周辺には、こんなフラッグがはためいていた。

2008年12月20日 (土)

秋から冬へのコンサート(4) 郷古廉リサイタル

12月20日 郷古廉ヴァイオリン・リサイタル(東京・めぐろパーシモン 小ホール)

Photo この日は、行きたい音楽会が3つ重なってしまった。さんざん迷ったが、合唱団「じゃがいも」山形公演は、年明けの東京公演を聴かせてもらうことにして、郷古くんのリサイタルに行く。23日に同プログラムで多賀城でも演奏会があるけれど、その日は私自身の本番と重なっているのだ。

彼のヴァイオリンを聴くのは、8月以来(8月23日の記事をご参照ください)。また変わってきたなぁ・・・と感じる。彼の年齢はスポンジ、しかも、彼は人一倍吸収力の強いスポンジなのだから、刻々と変わっていくのが当然だろう。それに、体格が変わってくれば、そこから出てくる音楽も変わるはず。

ピアノは、8月と同じ上田晴子さんだが、8月には、上田さんの縦横無碍な音楽作りによって彼の良さを引き出してもらっているところがあったが、今回ももちろんそういう面は大きくあるにしろ、音楽的には少しずつ対等になりつつあるという印象だ。彼の音楽がひとつステージアップしているということだろう。

モーツァルトのソナタ K.378。冒頭、ピアノの主題に対して、背景であるヴァイオリンのオブリガートがとても豊かな空気を作り出す。モーツァルトは、レパートリーとしてまとめるのは簡単ではないが、経験を重ねていけば、きっと彼の美質を表す音楽のひとつとなるだろう。

ブロッホの「バールシェム」組曲は、おそらく今の彼にとても合っている作品。かつて名演を聴いたショーソン「詩曲」に通じるものがある。彼は、物語を編むように弾き、それは圧倒的な説得力を持っている。

バルトーク(セーケイ編)「ルーマニア民族舞曲」も、これに通じるかに見えて、実は少し資質の異なる作品なのだということが、彼を演奏を聴いていると逆に思う。ロマン派的なアプローチでは、すり抜けられてしまう。テクニックに問題はないが、サラサーテなどの技巧曲と同じようにならない方が良いだろう。

最後は、プロコフィエフのソナタ第1番。迫真の演奏と記しておこう。全曲の中に現われる様々な表情それぞれにリアリティを持たせ、ただならぬ様相を持った作品として聴かせた。全曲を貫く幻想的な色彩は、表情にリアリティがなければ浮き立っては来ない。矛盾するようだが、それはこの作品の演奏に必要なキーポイントだろうと思う。

アンコールは、ポンセ(ハイフェッツ編)「エストレリーリャ」、サラサーテ「序奏とタランテラ」、イザイ「子どもの夢」。

前夜、最近ではすっかり有名になった若手ヴァイオリニストが演奏しているのをテレビで見た。しかし、私には感心できなかった。これなら郷古くんの方がずっと良いな・・・と思った。

何が違うのだろう。優秀なヴァイオリニストは、誰もが完璧な技巧を手に入れているし、優れた楽器で美しい音を出す。しかし、何かほんの少しの違いが、その音楽の方向を大きく変えてしまうのかも知れないなと思う。その違いとは、おそらく、日常的な考え方だったり、人柄だったり、芸術全般についての感性だったりするのだろう。結局は、その人の生き方すべてが演奏(や作品)に反映されてしまうのかも知れない。恐ろしいことだな。

Photo_2 終演後、楽屋で。

秋から冬へのコンサート(3) 東混定期演奏会

12月18日 東京混声合唱団第217回定期演奏会(東京・日大カザルスホール)

間宮芳生先生が自作を含めて4作品を指揮。曲目は、ブラームス「マリアの歌 作品22」、間宮「三色草子」、ベルイマン「4つの絞首台の歌」、間宮「合唱のためのコンポジション第8番」、「12のインヴェンション」より。

ブラームスは、間宮先生が三和音はどのようなバランスで響かせるべきかなど、音楽理論にからめたレッスンに長い時間を取ったというだけあって、絶妙なバランスで響く。「ドイツ民謡集」など民謡に基づいた創作は、ブラームス作品の中でもとびきり美しいが、この作品22もそのひとつ。

民謡詩に基づいた創作ということで、次の「三色草子」に繋がっていく。伝承の「田植草子」の詞によるこの作品は、今までは児童合唱で聴く機会が多かった。東混の女声で聴くと、少し感じが違う。やんちゃさが抑えられ、ルネサンス合唱曲のように鳴る。

ベルイマン作品は、「スピーチ・コーラスと3人の語り手のための」という副題付き。絶対音高のないリズムと音の相対的な高低だけで構成されている。歌詞はほとんど意味がわからない。割合短い曲。

ここまでに、ホモフォニー、民謡、ルネサンス的ポリフォニー、ノンセンス・シラヴルといった、間宮「コンポジション」のキーワードが出揃ったかたちとなる。

「合唱のためのコンポジション第8番」を聴くのは、念願に近いものだった。1971年に初演されて以来、初演後まもなく再演はあったものの、30余年にわたって演奏される機会がなかったからだ。3群の合唱、3人の指揮者が必要という大きな仕掛けが、再演を妨げたかも知れない。今回は2群の合唱と2人の指揮者のために改訂され、この時が初演。もう一人の指揮者は田中信昭先生。

重層的に響き合い、反発し合う音楽は、実に豊かであり、同時にしばしばユーモラスでもある。シアターピース的な要素もあるが、儀式を演出しているようでありながら、作為から解放された自然体の存在感が感じ取れるのが面白い。

20数分の作品だが、もっと長いような気がした。退屈して長く感じたというのとは違う。時計の時間とは明らかに違う「時間」が、それこそ重層的に流れるから、聴き手の体内時計では測れなくなってしまうのだろう。30余年ものおクラ入りはもったいない傑作だ。20数分なのに、もっとスケールの大きな、時計では測れない時間芸術の姿が現われる。

「12のインヴェンション」は、<でいらほん><稗搗唄><知覧節>の3曲。自作自演は、どの作品も過剰なニュアンス付けに陥ることなく、曲の構造を明らかにするような在り方。アンコールの<まいまい>で、「ノートルダムミサ曲」の遠いエコーが聴こえてきたのは面白かった。何度となく聴いている曲だが、迂闊にも今まで気づかなかった。

秋から冬へのコンサート(2) オーケストラ・ニッポニカ

11月30日(日) オーケストラ・ニッポニカ「日本の交響作品撰集」 その3 (東京・紀尾井ホール)

「東京交響楽団の1950年代」と銘うたれ、本名徹次氏の指揮で、1953年から55年までの5作品が演奏された。

池野 成:ダンス・コンセルタンテ

入野義朗:小管弦楽のための「シンフォニエッタ」

篠原 眞:ロンド

間宮芳生:交響曲

林 光:交響曲ト調

池野作品は、演奏時間30分に迫ろうかという大作。4つの楽章に分かれているということだが、最後はは叩きまくり吼えまくることになるエネルギッシュな大音響へのいくつかの道筋を探しているかのよう。演奏会の冒頭としては、いささかハード。

入野作品は、ずいぶん前からスコアは見ていた。実際に聴くのは何年ぶりだろう。整然として潔癖な音楽。もう一度落ち着いて聴いてみたい。

篠原作品は、美しく作られた、本当に「ロンド」。形式とオーケストレーションの習作的な意味もありながら作られた作品だろうと思うが、佳品。

間宮作品は、とても不思議な「交響曲」。習作時代を終えて、独自の世界を構築しようとするごく初期の成果と位置づけられるだろう。後に、「合唱のためのコンポジション」をはじめとする様々な作品に結実する萌芽が見て取れる。同時に、西洋音楽的なものとは異なる論理で構築された「交響曲」を作曲する実験であったろう。

林作品は、初演後も演奏され、ディスクにもなっている。作曲者にとっての、当時の「アイドル」がよくわかる。それにしても、若干22歳でこの作品を纏め上げた手腕は凄い。

どの曲からも、1950年代における東京交響楽団の芸術運動の熱意が伝わってくる。その中心となった指揮者・上田仁は、私などには伝説の人だが、その仕事にはもっと敬意が表されるべきだし、そこで初演された作品の中には、通常のレパートリーとして演奏されるべきものが多く含まれていると思う。

秋から冬へのコンサート(1) 小山実稚恵リサイタル・仙台フィル定期

10月から12月までに聴きに行ったコンサート、そのつど記事にはできなかったのだけれど、せめてひと言ずつ記しておこう。

10月29日(水) 小山実稚恵ピアノリサイタルシリーズ第6回 ~内なる叫び~<紫:高貴なる精神 心の嵐>(仙台市青年文化センターコンサートホール)

シューマン:「蝶々」、

ベートーヴェン:ソナタ第17番「テンペスト」

シューベルト:即興曲D.935より第1番(f moll)

ショパン:ソナタ第3番

小山さんのリサイタルに行っていつも思うのは、プログラミングの上手さ。(いや、プログラミングは上手いけど演奏は・・・とかいう意味ではないのですよ!ご本人が真っ先にそう言いそうだから、念のため。)

聴く前に、へぇ~・・・この曲からこの曲へ繋げるの?と思いながら聴きに行ったりしても、実際に演奏を聴くと、プログラム立てにとても納得してしまう。「テンペスト」やショパンの3番が、「心の嵐」という見立てで括るられるのはすぐに得心するが、例えば、その前プロとして「パピヨン」やシューベルトのf moll を置くのは、ちょっと意表を突かれる感じがある。けれど、いざ聴いてみると、他にない選択になっていることがわかるのだ。それぞれの曲でそれぞれの物語を紡ぎながらも、演奏会全体でひとつの大きな語りになるように考えておられるからだろう。そういう意味でも、次はどんな演奏会になるのか、いつも楽しみなのである。

11月14日(金) 仙台フィル第233回定期演奏会(仙台市青年文化センターコンサートホール) 指揮はパスカル・ヴェロ 

モーツァルト:交響曲第35番「ハフナー」

サン=サーンス:ピアノ協奏曲第5番「エジプト風」(ピアノ=横山幸雄)

ラヴェル:古風なメヌエット

ストラヴィンスキー:「火の鳥」組曲(1919年版)

読売新聞仙台版に記事執筆。指揮者の楽譜の読み込みが素晴らしい。拍節感とアクセントに乗せて音楽を乗せていけば、自ずと音楽はエレガントに流れ、ひとりでに弾むのだということを示しているよう。

モーツァルトでは、リズムや和音による陰影が次々と切り替わっていく風景が、祝祭的な楽しさをもたらす。

サン=サーンスでは、時折激しさを見せながらも、基本的には淡々と語っていくことによって、老境の作曲家の澄んだ心情を描き出す。謎めいた第2楽章こそ、この曲の中心楽章であり、ここでサン=サーンスは、エキゾチズムへの好奇心に留まらず、音楽的言葉の獲得までたどり着いたように思える。夢のような風景を現出させる第2楽章を中心に、一見バラバラに見える3つの楽章が、好演によってひとつのドラマとして繋がった。

ラヴェル 実は相当モダンな「古風な」メヌエット。指揮は、その異形ぶりも生かしながら、エレガントさを失わない。そのエレガントさこそが、最良の意味で「古風」なのかも知れない。

ストラヴィンスキー 冒頭、地底から熱風が吹いてくるような空気の振動に驚いた。この曲を生で聴くのは久しぶりだけれど、こんなに面白かったかしら。そして、「火の鳥の踊り」もとても響きが美しい。これらは、CDでは決して感じ取れないことだなぁと、つくづく思う。

2008年10月19日 (日)

限りなく新作に近い作品

2本のクラリネットのための曲を、改訂初演。仙台市青年文化センター・コンサートホール。

2005年に発表したのだけれど気に入らず、半分くらいを入れ替える。だから、限りなく新作に近い作品となった。

2005年の時、演奏は高校音楽科の生徒さんたちだった。今回は、卒業生のこずゅさんとなおさんにお願いする。

亡くなられた本間先生は、そんなふうに、若い人にご自分の作品を託して、演奏の機会を与えてこられた。そのことが、今回私の頭の隅にあった。

10分ほどの作品。とりあえずこの曲のために自分がやるべきことはできたかなと思う。もう少しだけ、つまむかも知れないけれど。

音楽作品は、そこに在るというだけでは成長しない。これから何年かかっても良いので、作品として育ててくださるクラリネット奏者さん募集中。

p.s.

すっかり更新が滞ってしまっています。せっかく覗きに来てくださっているのに、申し訳ありません。管理人、別に体調を崩しているわけでも、書くことがなくなったわけでもないのですが、大学の仕事がいろいろあること、某編曲の仕事をしているのですが、目下かなりの時間をそちらに取られていることから、こんなことになっています。書いておきたいことはいろいろあるので、また少しずつ更新していきます。今後ともどうぞよろしくお願いいたします。(11月3日記)

2008年10月17日 (金)

仙台フィル10月定期

仙台フィル第232回定期演奏会を聴く。指揮はマルティン・トゥルノフスキー。

プログラムは、19世紀から20世紀の初めまでに書かれた交響曲を3曲。シューベルト:交響曲ロ短調「未完成」、マーラー:交響曲第5番第4楽章「アダージェット」、そしてブラームス:交響曲第4番。

この3曲で、終演時間が20時40分という驚異的な早さ。つまり、どの曲もテンポが速かったわけだ。

「未完成」の第1楽章には、「アレグロ・モデラート」と記されている。あの楽章は「アレグロ」という印象ではないのだけれど。

それを、文字通り「アレグロ」のテンポでやる。「アンダンテ・コン・モート」の第2楽章も、「アンダンテ」の中の最も速い目盛りでやる。そんなふうにすると、20時40分終演が可能というわけだ。

詳しいレヴューは、新聞に書くので省略。でも、新聞には書けなかったことをメモしておこう。

そんなわけで、快速「未完成」だったわけだが、そうして聴くと、構造的な仕組みがよくわかるような気がする。単に抒情的に流れる音楽ではなく、ソナタ形式に沿った構築的な楽章だということである。

第2楽章が終わったとき、「あぁ・・・続きが聴きたいなぁ・・・」と思った。「未完成」は欠陥ではない、優れた「完成した」芸術作品であるということは承知しながらも、やはりこれは、後半が永遠に欠如した4楽章の交響曲なのだという思いがした。この曲を聴いてそんなふうに感じたのは初めてだ。演奏がもたらした感覚なのだろう。そう思えたことが面白かった。

トゥルノフスキー氏は1928年生まれ。かくしゃくとしておられて、失礼ながら80歳とは思われない。耽美的になることなく、テンポも含め禁欲的と言いたくなるようなその解釈は、ジョージ・セルの薫陶を受けたという経歴にも関係があるかも知れない。

2008年10月13日 (月)

ジャケ買い

LPレコードの時代には、時々「ジャケ買い」をした。

「ジャケ買い」とは、レコードを、中身よりもジャケットが気に入って買ってしまうことである。もはや若い方々はご存知ないかも知れないが、LPレコードというものは直径30cmの円盤で、それを包む紙ジャケットはおよそ31cm×31,5cmという大きさだから、デザイナーが腕をふるった美しいジャケット、面白いジャケットがたくさんあった。だから、かっこいいデザインなどがあると、つい買ってしまったりしたのである。

「ジャケットかっこいいから買っちゃったよ」なんていうことは、友人の誰もが一度くらいは言っていたような気がする。そして、「ジャケットかっこいいから買っちゃった」レコードは、中身をあまりわからずに買っているのだけれど、多くの場合実は名盤だったりするのである。

LPレコードで発売されていたものがCD化される場合、LPジャケットのデザインがそのままCDに使われている場合も多い。最近では、オリジナル・ジャケット・コレクションなどとわざわざ銘うって発売されることもある。しかし、いかんせんCDのケースは小さいから、LPのジャケットのような迫力はない。

少し前のことになるが、本当に久しぶりに、たぶんCDになってから初めての「ジャケ買い」をしてしまった。

そのデザインがこれ。

Photo どうです、楽屋でお支度中の踊り子さんたち(?)、なかなかの迫力でしょう。

あ、中身ですか?

内容は、プーランク、オネゲル、ミヨーらのいわゆる「フランス6人組」の全員の室内楽曲が収録されている、ごくごく真面目なもの。たぶん、その時代の雰囲気を出そうとしているのでしょうが、実は中身とはほとんど関連がない。でも、このジャケットじゃなかったら、買わなかっただろうなぁ・・・。

プーランクの作品は、アヌイの芝居「城への招待」のために書かれた、ヴァイオリン、クラリネット、ピアノによる劇音楽が収められていて、なかなか楽しい。シャンソンやタンゴといったスタイルを借りた洒脱な小品集。この曲が、唯一写真の風景と近いのかも知れないなと思う。

それにしても、このお尻(たち)の迫力には、CDケースの大きさでも十分圧倒されますね。

2008年10月 6日 (月)

新作初演のお知らせ

久しぶりに、仙台で新作を初演します。

第45回 宮城県芸術祭音楽会「20世紀の風Ⅱ」

10月19日(日)14時開演 仙台市青年文化センター・コンサートホール

吉川和夫:アンティフォニーⅣ ~2本のクラリネットのための~(クラリネット=熊谷梢、鈴木奈緒)

正確には、2005年に作曲した作品の改訂初演ですが、かなり大きく書き直したので、ほとんど新しい曲を出す気分になっています。初演を覚えている方は、ほとんどいらっしゃらないでしょうし。

初演の演奏をしてくれたのは、仙台の二人の音楽高校生さんたちでした。そういう人たちに演奏してもらうことを前提で作曲したのです。だからといって易しく書いたということはありませんが、若い奏者でも無理なく演奏できるようにとは考えたつもりです。今回も演奏してくれるのは、私たちの大学の卒業生さんたちです。

入場料は1,000円。チケットは私もたくさん預かっていますので、どうぞお申し付けください。

2008年10月 4日 (土)

林光 バースデーコンサート2008

作曲家の林光さんが、間もなく喜寿を迎えられ、また小学館から『林光の音楽』という書籍+CDが発刊された、お祝いのコンサート。発起人に名を連ねさせていただいていたので、今日は大学院入試だったのだけれど、免除をお願いして出席する。東京文化会館小ホール。

チケットは、夏になる前くらいに完売していたそうなので、もちろん満席。来たくても来れなかった人がずいぶんいたんじゃないのかな。

前半は室内楽作品、後半はソングなどなど、光先生ご自身がピアノを弾いたり、歌を歌ったりするコーナーもあって盛りだくさん。

その中でも、アコーディオンと4奏者のための室内協奏曲「それがわかったら」と、こんにゃく座オペラ「変身」のソング集が、とくに印象的だった。

室内協奏曲は、萩京子さん、寺嶋陸也さんと私が3人で組んでいる作曲家グループ「緋国民楽派」の演奏会で初演した作品。あぁ、すてきな曲を書いて頂いたのだなぁ・・・と、あらためて思う。

カフカを原作とする「変身」は、林作品の中でも特に作曲者の力の入ったオペラだ。それぞれの景の音楽が、「シャンソン」、「ブルース」、「ロマンス」、「子守歌」といったように、明確なスタイルを持っていて、そういう曲が積みあがってオペラを成すかたちは、少しだけベルク「ヴォツェック」を連想させる。

プログラム後半にはおなじみの曲も多いが、さまざまなスタイルを書き分ける職人技は見事だ。そして、どんなスタイルの曲でも、単に擬態を装うだけではなく、どこかに必ず「作曲・林光」という刻印が見える。どんなスタイルの場合でも、アイデンティティと無縁になったりすることがないからだろう。

小学館から発刊された『林光の音楽』は、400ページを超える書籍と20枚ものCDがセットになっている。以前に出た『武満徹全集』に継ぐもの。

詳細はこちら→ http://sgkn.jp/cdhayashi/

こんにゃく座にお願いして、割引きで購入した。題名は知っていても実際に聴いたことのない作品も多く収録されていて、楽しみだ。けれど、いつになったら落ち着いて聴けるかなぁ・・・。それに、こんな物凄い全集でなくてもいいから、いろいろな日本人作曲家の埋もれている作品を、もっと身近に聴けるようになると良いと思う。

(『林光の音楽』を、左サイドバーで、アマゾンへリンクしておきます。)

2008年9月29日 (月)

「12の前奏曲」

1992年の作品、ピアノのための「12の前奏曲」が、カワイ出版から新しい楽譜となって出版されました。

この作品は、1994年に出版されていたのですが、このたび「コンサート・ピアノ・ライブラリー」というシリーズの中に入れてもらえることになったので、装丁が変わり、リニューアルされたのです。この機会に、実はたくさんあった音の誤りをすべて訂正しました。絶版になることはあっても、再版になることなど滅多にないので、とてもありがたいことです。

1992年のコンサートは、ピアニストの志村泉さんが、3人の作曲家がそれぞれ12曲ずつ作曲した「前奏曲」を、合計36曲初演するという企画でした。一緒に初演された萩京子さん、寺嶋陸也さんの「12の前奏曲」も、同じくカワイ出版の「コンサート・ピアノ・ライブラリー」として、最近出版されました。36曲の楽譜が揃ったわけです。

萩さん、寺嶋さんの作品ともども、どうかたくさんの人の目に留まりますように!

左サイドバーの「このブログで話題になった本」のところで、Amazon へリンクしておきます。

2008年9月26日 (金)

仙台フィル9月定期

仙台フィル第231定期演奏会を聴く。

曲は、モーツァルト:「魔笛」序曲、モーツァルト:ヴァイオリン協奏曲第5番、シューベルト:交響曲ハ長調「ザ・グレイト」。指揮はハンス=マルティン・シュナイト、ヴァイオリン独奏は川久保賜紀。

これも、讀賣新聞宮城版にレヴューを書くことになっているので、ここでは詳細は省略。10月中旬の新聞記事をご覧ください。

川久保氏の涼やかな音色と、老巨匠の愛すべき音楽を楽しんだ。マエストロには、ちょっとハラハラさせられたところもないわけではない。いつも一緒にやっているオーケストラならば対応できることでも、短期間の客演ではなかなか難しいんだろうなと思う。しかし、それはそれとして、最後には、落ち着いた音楽をじっくり聴かせてもらった充実感が快く残った。

2008年9月14日 (日)

オペラ「そしてみんなうそをついた」

オペラシアターこんにゃく座公演を観る。林光さんの新作。東京・六本木、俳優座劇場。

タイトルは、原作である芥川龍之介「藪の中」の内容を象徴するもの。原作では、登場人物である「木樵り」、「旅法師」、「放免」、「媼」、「多襄丸」、「女(真砂)」、そして「金沢の武弘の霊」が、藪の中で起こった出来事を語っていくが、それらの証言は少しずつ食い違っていて、結局誰がどのようにして武弘を殺害したのか、わからないようになっている。

作曲者自身による台本は、原作では一人ずつ順番に語られる証言をバラバラにして組み合わせ、モノローグドラマを劇的構造に変換させた。その組み立てはとても面白く、ただでさえわかりにくい「事件」の核心が、もっとわからなくなった。

けれども、おそらくは「もっとわからなくなる」ことこそ、台本作者・作曲の狙いであって、ひとつの「真実」が存在するかのように見えて、実は何が「真実」かわからないという話を用いながら、「真実はひとつである」という公式など、人間の営みにおいてはそれこそ「真実」ではなく、そもそも「『真実』とは何か。どこかに必ず存在するひとつのものなのか」と問いかけてくる。もとより、武弘殺しの犯人探しはオペラ化の目的ではない。

「こちらの調査結果こそが『真実』である。」と主張し合うのは、非常によくあることだ。例えば、戦争の後始末に失敗したこの国は、今でも近隣諸国から、教科書に載っている「真実」の正当性について異議を出され、そのたびに関係がぎくしゃくする。「みんなうそをついた」かどうか、それすら不明な事象が人間社会にはあるのだということのみが、本当の「真実」なのかも知れない。

最近の林作品の音楽書法の簡潔さについては、すでに一つの様式が確立されているようにさえ見える。歌のパートに対して楽器パートは、背景ではあっても伴奏であることはほとんどない。歌パートは楽器に対して優位ではなく、それぞれの楽器も、歌パートと同価値のひとつの声部としてアンサンブルを成す。言い方を換えれば、歌パートもアンサンブルの声部のひとつに過ぎない。

楽器は、クラリネット、ヴァイオリンに太棹三味線、打楽器、ピアノが加わる。どの楽器も(ピアノですら)、声部を成す線の1本として機能させる部分が多い。それだけに時折鳴る不協和音のインパクトは強く、全体に音の数は多くないだろうと思われるが、音楽はとても雄弁だ。

演出は、座の中心的な歌役者である大石哲史さん。京都生まれである彼の出自が、歌われる詞のイントネーションも含めて、作品の地理的背景を的確に押さえることに役立っている。

原作が求める登場人物の他に、二人の「添乗員風の女」と二人の推理者(?野次馬?)が登場して、音楽を中断させ、証言に注釈を加えたり、疑問を発したりして、「真実」がますますわからなくなることに貢献する。ただ、その登場頻度が多いので、そのたびに音楽の流れも私たちの思考通路も寸断される。そして、かえって説明的になってしまう憾みも感じる。これらの付加的人物を割愛すると、作品全体の表現力がどれほど落ちてしまうものなのか、いつか音楽だけ通して聴いてみたい気がした。

それはともかく、「放免」に扮する富やんの風貌は、すごいハマり方だったなぁ。こんなに迫力ある坊主頭はなかなかないだろう。彼の主演で「薮原検校」を観てみたいものだ。

2008年8月31日 (日)

レパートリー

8月30日と31日、二日間にわたって、某合唱コンクールの審査員を務める。

中学、高校、大学、職場、一般に分かれて競うが、いずれもとてもレヴェルが高かった。職場団体の参加が少ないのは残念だが、これもご時世か。

自由曲でどんな作品が出てくるか、興味のあるところだが、傾向がずいぶん変わったものだなぁと思う。もちろん、これはたかだか一つの県大会を聴いただけのことだし、日常的に「合唱界」とお付き合いしているわけではないのだから、全国的な傾向かどうか、わからないけれど。

無伴奏曲がずいぶん増えたのが、まず大きな印象。私が某大学の小さな小さな合唱団と一緒に遊んでいた頃は、無伴奏曲は、有力な合唱団以外はほとんど手がけることはなかった。

難しい・・・というのがその理由だったと思うが、丁寧に練習すれば、少人数の団体でも美しい合唱ができるし、勉強になるのに・・・と、当時歯がゆく思ったことを、この2日間、多くの団体が晴らしてくれた。いくつかの、10人そこそこの、あるいは10人にも満たない団体が、大合唱団では決してできない見事なミニュアチュールを美しく響かせていたのには、思わず講評を書く手が止まった。

さらに驚くことは、そういった無伴奏曲の多くが宗教曲であることだ。合唱に関する限り、日本人はほとんどキリスト教に帰依するらしい。

なるほどラテン語は発音しやすいかも知れないが、登場した曲の多くは、ラテン語の典礼文ではなく、ヨーロッパの中心からは少し外れた国の言語なのだ。英語、ドイツ語、フランス語、イタリア語、スペイン語あたりまでなら学ぶ手段もありそうだが、周縁の言語を勉強するのは大変だっただろうなぁ。

そして、その多くは、ほとんど知られていない作曲家の作品なのである。知られていない作曲家だからいけないということは決してない。よくぞ見つけて来ましたね・・・と言いたくなる作品も出る反面、首を傾げてしまいたくなるようなものもある。そんなにまでして、知らない国の知らない作曲家の知らない宗教の歌を、知らない言語で汗水流して勉強する必要があるのかなぁ・・・。

無伴奏でもバルトークやコダーイはやはり一流の音楽だし、ほんの数団体が手がけた、無伴奏ではないがシューマンやメンデルスゾーンはとても新鮮に聴こえた。ロマン派合唱曲は、今はあんまり流行らないらしい。

邦人作品の「栄枯盛衰」も、なかなか無常である。「楽譜が売れる」という、他のコンテンポラリー音楽作品にはない要素が合唱にはあるのだから、「流行作家・作品」が移ろうのは、故なきことではないのだが・・・。

洋の東西を問わず、流行の波間に埋もれさせるべきではない作品だってたくさんある。レパートリーの可能性が広がったのは喜ばしいことだが、選択肢が増えれば増えるほど、選曲をする人たちには卓越した審美眼とポリシーが求められるだろう。

2008年8月23日 (土)

8月中旬のいろいろなこと(4) 郷古廉リサイタル

8月19日(木) 夜は、鵠沼室内楽愛好会主催の「郷古廉 ヴァイオリン・リサイタル」を聴きに行く。

会場は、鵠沼海岸駅から15分ほど歩いたところにあるラーラ・ビアンケというレストラン。瀟洒な建物のホールのテーブルを取り払い、さまざまなデザインの椅子をぎっしり並べて、サロンコンサート会場とする。この愛好会は、もう18年も続いていて、このコンサートが第265回目であると聞いて驚いた。夏には若手を紹介するシリーズを続けているとのこと。

郷古くんのことは、7月5日の記事にも書いたばかりだが、今回は、ピアニストの上田晴子さんとの初顔合わせでのリサイタル。曲目は、ブラームスのソナタ第2番、エルンスト「練習曲第6番『夏の名残のばら』」、武満徹「悲歌」、そしてフランクのソナタ。変化に富み、弾き手にとっても聴き手にとっても、充実したプログラムである。

郷古くんの素晴らしさのひとつは、その音楽をどんなふうに弾きたいのか、考えがしっかりしていて、すべてのフレーズ、すべての音楽的部品のひとつひとつに、確固とした意志がこめられているところだろう。音楽的部品を考え過ぎて作為的に作り過ぎると、流れが悪くなりがちだが、そんなことはまったくない。大きく流れを作る意志と、細部を磨く意志とが、過不足なくバランス良く共存しているから、快く身を任せて聴くことができる。

ピアノの上田さんの縦横無碍な音楽作りが、彼の良さを一層引き立てる。そして、彼の若さと、おそらくは若さのせいだけではない潔癖な性分が、聴衆におもねるような音や仕草を一瞬たりとも示すことを許さず、青年僧のように研ぎ澄まされた精神集中を可能にしている。現在のところ、まだ音楽の無限なる幅を自在に表現できる段階ではないかも知れない。けれども、これからさまざまな音楽家と共演し学んでいくことで、懐の深みはさらに増していくだろう。そして、彼の美質はもっと自然な営みとして、音楽の上に滲み出てくるだろう。

客席の後ろの方に座る。そして、彼の演奏を初めて聴く人たちが、その音楽に感嘆の思いとともに引き込まれていくのを見るのは、とても誇らしく楽しい。

昼間の「フェルメール展」、そして夜のこのコンサートと続けて、優れた芸術から元気を分けてもらった一日だった。

2008年8月21日 (木)

8月中旬のいろいろなこと(1) バルトークの合唱曲

8月12日(火) 福島コダーイ合唱団の東京公演を聴きに行く。トッパンホール。

演奏されたのは、バルトーク「児童と女声のための合唱曲集」全曲。「27の合唱曲」というタイトルでも知られている。

この合唱団の主宰者である降矢美彌子先生が、ご苦労されてこの作品を翻訳付き楽譜として出版されて(全音楽譜出版社)、その記念と銘うっているわけではないけれども、客演指揮にウグリン・ガーボル氏を迎えての演奏会が開かれた。

この作品は、合唱曲のお手本のように思える。1分足らずの短いものから、長くても3分程度だが、全27曲の中に、合唱の様々な音楽的テクニックがふんだんに詰まっている。歌う人たちにもそうだろうし、作曲する立場にとっても優れたお手本だ。

私も、かつて某大学の極小合唱団に付き合っていた頃、何年か続けて、半分以上の曲を楽しんだことがある。もちろん、この日の演奏は、それとは比べようもない本格的なものだ。降矢先生とのご縁から、ウチの学生くんが何人も参加していたが、全曲をマジャール語で歌うのは容易ではないけれど、良い経験になったことだろう。

2008年8月 4日 (月)

7月のいろいろなこと(5)

7月28日(月) 学校で「作曲 夏の大発表会」。大発表会って意味不明だが、何となくこの方が威勢がいいかなと思って。

作曲の授業を取っていたり、覗きに来たりしている9人の11曲と、別の授業の3人も加えて、12人の曲が世界で初めて音になった。

本当に生まれて初めて作曲したという短い作品もあるし、ずっと続けてきた4年生ともなると本格的なソナタやソナチネを書いている。いくら短くても、それは世界にふたつとない数小節なのだから、大切にしてほしいな。

「へぇ~・・・見かけによらない曲だよね」というのもあるし、いかにもその人の曲だよなぁ・・・というものもある。プロの作曲家と違って、技術でごまかせない分、作曲者の地が出てしまうのだ。これまでどういった音楽人生を歩んできていて、実はどんな性格なのかも、ある程度は推測できるかも知れない。

私自身は、レッスンと言っても何もしないし、何も言ってないようなものだ。みんなそれぞれ、自分で何とかして続きを考えてきて、いつかは完成する。もちろん、私自身の好き嫌いはあるけれど、そういうことは一切言わないことにしているので、結構みんなやりたいようにやっているのではないかな。

通年でこの授業を開くのも、もしかしたら今年が最後かも知れない。残る後期も楽しくやってもらいたいものだ。

7月のいろいろなこと(4)

7月27日(日) 東京室内歌劇場公演、間宮芳生作曲のオペラ「夜長姫と耳男」を観る。第一生命ホール。

第一部は、竹澤嘉明さんの独演で昔噺「おいぼれ神様」(詩=大岡信)。

もう何度も観ている演目だが、怪演の度合いはどんどんエスカレートしているような気がする。それは大変結構なことだが、竹澤さんをもってしても詞が全部は聴き取れない。作品の、音と言葉の関係に問題があるとは思われない。ホールが完全にコンサートホール仕様であることにも原因があるだろうけれど、一体どうしたら良いのだろう。ものすごく面白い内容なのに、客席には詞が半分くらいしか伝わっていないように思う。

第二部がオペラ「夜長姫と耳男」。坂口安吾原作、友竹正則台本で、指揮は寺嶋陸也、中村敬一の演出。

1990年に水戸芸術館で行なわれた初演を観ているが、正直言って、その時は何だかよくわからなかった。夜長姫だの長者だのが登場するとなると、何やら昔話めいて聞こえるが、原作は、壮絶なシチュエーションの上で、真の芸術が生まれることの厳しさを見つめている。しかし、そのシチュエーションのとんでもない凄まじさは、スプラッターさながら。

しかし、今回は響いてくるものが多くあった。まず、音楽が壮絶な設定と堂々と対峙して美しく、生命力が漲っている。そして、演奏は、5名の歌手も8名の器楽も、周到に準備されたアンサンブルで、強い説得力があった。初演の時は、おそらく私が勉強不足だったせいでよく理解できなかったところが、今回は最初から最後まで腑に落ちた。

前日は別キャストでの公演があったのだが、スケジュールの関係でこの日しか観ることができなかったのは残念。しかし、いつもながらのボヤキになるが、このように優れたオペラが、初演以来18年も放置されてしまう現状は、そろそろ本当に何とかならないものだろうか。

ちなみに間宮先生は、来年新作オペラを発表される予定。来年は御歳80歳になられるが、かくしゃくという言葉さえ失礼なくらいお元気。新作の題材は、首だけが生命維持装置で生き続けるという倉橋由美子の近未来小説「ポポイ」。またスプラッターかしら。

2008年8月 3日 (日)

7月のいろいろなこと(3)

7月26日(土) 仙台フィル第230回定期演奏会を聴く。仙台市青年文化センター・コンサートホール。

指揮は山下一史氏で、ブラームス「悲劇的序曲」、ハイドンのチェロ協奏曲ニ長調(チェロ=横坂源)、シューマンの交響曲第2番。

今回も、讀賣新聞の「仕事で」聴きに行っているので、感想の詳細は省略。今回は、シューマンの2番を少し勉強できたことが良かった。いろいろなリズムがやんちゃに跳ね回り、力ずくでコントロールしないとバラバラになってしまいそうな曲だが、力業で押さえすぎるとつまらなくなる。指揮者の思い入れの強さが、空回りすることなく全体のエネルギーとなった。白熱した演奏だった。

7月のいろいろなこと(2)

7月25日(金) 板橋健独唱会を聴く。仙台市戦災復興記念館ホール。

私たちの大学の先輩先生である板ちゃん先生、間もなく古希を迎えられるそうだが、毎年1回、独唱会を催されていて、今回は第27回。その尽きない意欲には頭の下がる思いだ。しかも、今年の曲目は、シューベルト「冬の旅」全曲。休憩なし。

「1時間20分立ってるだけでも大変よぉ!」とおっしゃるが、もちろんただ立っていたわけではない。リートと日本語の語り物的歌曲に力を入れてこられた先生だが、最近の中で最も印象的な会となった。近年、音楽的パートナーにピアノの倉戸テルさんを得てから、表現がますますのびやかになられたのではないだろうか。もちろん、大学を退官して自由になったという要因もあるだろうけれど。

後でテルさんが、「『冬の旅』をコンサートできっちり(勉強)できて良かった!」と言っていたけれど、どちらかといえば器楽奏者のパートナーが多い彼のようなピアニストにとっては、そうだろうなぁ。友人の器楽奏者に、「ねぇ、このソナタ、一緒にやらない?」というのはあるだろうけれど、たとえ友人でも、声楽家に「ねぇ、『冬の旅』一緒にやろうよぉ・・・」とは、軽々しく言えないからだ。

お二人の共演は、来年の予定もすでに決まっているようで、楽しみだ。

7月のいろいろなこと(1)

7月は、すっかり更新が滞ってしまったので、書き落としていることをいくつかメモしておきたいと思う。

7月10日(木) ルツェルン交響楽団演奏会を聴く。東京エレクトロンホール宮城。東京エレクトロンホール宮城とは、どこにあるのかわかりにくいが、宮城県民会館のこと。ネーミングライツで、最近はこの名称になっている。

プログラムは、ウェーバー「魔弾の射手」序曲、グリークのピアノ協奏曲、ブラームスの交響曲第1番。指揮=オラリー・エルツ、ピアノ=ニコライ・トカレフ。

ウェーバーを聴きながら、すでに嫌な予感がしたのだが、この指揮者の表情過多ぶりには、最後までついていけなかった。小枝ばかりを見せることに腐心していて、森が見えない。トカレフが、音色のすばらしい変化と音の切れで表現しようとしているのに、見当違いにロマンチックなニュアンスばかり付けてダラダラする。そんなわけだから、グリークの謎は未だに解けない。トカレフのソロだから、今回は解けるかと期待していたのだけれどな。

ブラームスに至っては、落ち着かないことこの上なし。重厚で「ドイツ的」な演奏ばかりが良いとは思わないけれど、これはあんまりではないか。どっしりと構築された音楽に向き合った充実感も高揚感もなく、ただただ慌しいだけで終わってしまった。アンコール、シベリウス「悲しきワルツ」とブラームス「ハンガリー舞曲第6番」の、意味のない小賢しいニュアンス付けには、腹が立った。オケは、良くも悪くもヨーロッパの地方都市の音がする。日本のオケの音との違いは面白いが、もっと違う指揮者で聴いてみたい。

2008年7月 5日 (土)

「上り坂コンサート」

14歳は「少年」だろうか。「少年」と「子ども」とは同義語だろうか。

もちろん、世間一般的にはそうに違いない。しかし、「少年」という言い方と「子ども」という言い方の間には、大きな距離が生じる場合もある。

郷古廉(ごうこすなお)くんのことは、ここにも一度書いたことがある(2006年4月7日)。ユーディ・メニューイン青少年国際ヴァイオリンコンクール・ジュニア部門第1位を受賞した直後のことだ。あれから2年、今日は、神奈川フィルとの共演の舞台に登場した。

「上り坂コンサート」を聴きに行く。今まさに「上り坂」にある若々しい演奏者を紹介するシリーズで、これが第8回目。紅葉坂を登りきったところにある神奈川県立音楽堂が会場ですよという意味も掛けているようだ。指揮は井上道義氏。

プレトークでは井上氏が軽妙に、というよりは軽薄すれすれに、もちろんそれは井上流のサービス精神であるわけだが、今日のソリスト郷古くんに切り込む。郷古くんは、それに対して実に率直に誠実に答えている。1682年製のストラディヴァリウスは、「いい音を出したがっているように感じます。」とは、何て堂々とした答えだろう。サッカーに「心奪われた時期もありました。」という話などは、普通の男の子らしくて、かえってホッとする。

はじめの曲、ビゼー「子どもの遊び」でも、演奏はプレトークの軽妙な雰囲気を引き継いだが、郷古くんがラロ「スペイン交響曲」のソロを弾き始めた数小節で、その場の雰囲気は一変した。14歳の「少年」が、ステージを「真剣勝負」の場に変えてしまったのだ。

こんな演奏を聴いたことがない。何度も鳥肌が立った。目頭が熱くなりそうな瞬間さえもあった。今までに数知れず聴いてきた「スペイン交響曲」でこんなことが起きるなんて・・・。演奏の集中は一瞬たりとも途切れなかった。そして、大きく沸き起こった拍手は、簡単には鳴り止まなかった。

郷古くんは、友人であるヴァイオリニスト・勅使河原真実さんのお弟子さんだ。頭角を現してからは、辰巳明子、ジャン・ジャック・カントロフ、ゲルハルト・ボッセ、パヴェル・ヴェルニコフといった先生たちの指導を受けてきた。テクニックということだけでいえば、もしかしたら世界には、同じように優れた少年・少女ヴァイオリニストがいるかも知れない。しかし、音楽のふくよかさというか、取って付けたのではない表情の自然さ、的確さは、他の追随を許さないのではないか。さらに特筆すべきは、その音の美しさ、上品さだ。「スペイン交響曲」という曲は、表情の「揺れ動き」が自然で的確でなければ、そして品格を高く持たなければ、わざとらしい、鼻持ちならないものになってしまう。

どうしてこんなに「味のある」演奏をできるのだろう・・・と思いながら、しかし、特に緩徐楽章などでは師の歌い方が反映されているのを見つけて嬉しくなった。先生の才能を、大きな才能ある人が受け取るとこうなるのだ。この選曲は彼自身によるものだそうだけれど、今一番自分に合っている作品を判断できるのも、優れた能力のひとつだろう。

郷古くんの音楽は、「年齢のわりに大人びている」とかいうものではない。彼が今までにしっかりと身につけてきた等身大のものだ。彼はまだ「少年」かも知れないが、「子ども」ではない。身につけたものを表現できる「少年」とは、何と恐ろしく美しい可能性を持った存在だろう。

2008年6月20日 (金)

チェコを描く4つの音楽

仙台フィルハーモニー管弦楽団第229回定期演奏会を聴く。仙台市青年文化センター・コンサートホール。

下野竜也氏の指揮で、プログラム立てのコンセプトがとても明確なコンサート。

前半は、ドヴォルジャークの序曲「フス教徒」と、同じくドヴォルジャークの「チェコ組曲」。

この2曲も頻繁にプログラムに上ってくるものではないと思うが、後半は雰囲気が一変して、さらに珍しい2曲。

まずマルティヌーの交響詩「リディツェへの追悼」。リディツェは、ナチスによって壊滅させられたプラハ近郊の村の名前。不条理な殺戮への怒りは極力押し殺した、ひたすらに哀切で美しい音楽。

4曲目は、1921年生まれの作曲家カレル・フサの「プラハ1968のための音楽」。「プラハ1968」は、無論、「プラハの春」を受けてのワルシャワ機構軍によるチェコ制圧、いわゆる「チェコ事件」を意味する。オリジナルは吹奏楽のために書かれたが、ジョージ・セルの勧めによって管弦楽版が作られたとのこと。スコアを見ていないのだが、聴く限り、二つの版の差異はオーケストレーションだけのように思える。集中度の高い、緊迫した音楽。

どの曲も(特に「スフ教徒」と後半の2曲)、音楽の輪郭がはっきりしていて、良い演奏だった。実は、今月からしばらくの間、仙台フィルハーモニー管弦楽団の定期演奏会を、某紙のために「仕事で聴く」ことになったので、ここでは簡単な報告だけに留めておこう。

2008年6月12日 (木)

音の旅 第5回

小山実稚恵さんのピアノリサイタルシリーズ、第5回を仙台で聴く。仙台市青年文化センターコンサートホール。

今回のサブ・タイトルは「プログラムの醍醐味・めぐる音<玉虫色・もつれあう鈍い光>」。

1曲目、ベルクのソナタop.1 の冒頭、4度堆積主題が描かれた瞬間から、妖しい雰囲気が漂う。22~23歳のベルクが、いささか神経質に試した複雑な対位法は、高揚と沈静を繰り返す大きな波にのみ込まれ、スクリャービンの知られざるファンタジーと聴き違えるよう。こんな聴こえ方をした演奏に接したのは初めてだった。このソナタが書かれた頃、スクリャービンは第5ソナタを作曲している。時代の気分として、神秘主義的な芸術感が二つのソナタを通底していると妄想したとしても、あながち荒唐無稽とばかり言えないのではないか。

その余韻の消えぬうちに、シューマンの第1ソナタが弾き始められる。ソナタop.1 を書いたベルクとほぼ同じ年齢で作曲された作品。音を凝縮したベルクと対照的に、言いたいことはちょっとのことでは言い尽くせないとばかりに、長大で込み入った構造を持ち、細部に拘ると何が何だかわからなくなってしまう饒舌で異形のソナタを、小山さんは、細部に関わりすぎることなく大きなうねりの中で捉え、描ききった。長くてよくわからない曲という先入観は粉砕された。

休憩後はフランク「前奏曲、コラール、フーガ」。この日演奏されたどの曲もそうだが、この曲も小山さんによって劇的な物語のように組み立てられる。実に気高く美しい音楽であることを、あらためて認識し直す。コラールからフーガへ移りゆく場面や、二重フーガが鳴り響く場面など、今回の演奏会すべての中でも圧巻だった。

最後は、プロコフィエフの第7ソナタ、いわゆる「戦争ソナタ」。虚構の中の「現実」と「夢想」の狭間に引き裂かれていくさまを見るよう。引き裂かれていくおのれを凝視する、もうひとつの視線があれば、さらに立体的になるのではなかろうか。

アンコールは、プロコフィエフ「前奏曲 op.12-7」、ラフマニノフ「前奏曲ト短調 op.23-5」、グラナドス「スペイン舞曲集~第2番<オリエンタル>」。

会場にいた学生くんや卒業生さんたちとともに、サインをねだる。サインをもらって、みんなとても喜んでいた。次回(10月)も楽しみ。

2008年5月31日 (土)

藤原真理 チェロ名曲コンサート

神奈川の家の近くで、藤原真理さんのコンサートがあったので聴きに行く。麻生文化センター。ピアノは、誘ってくれた倉戸テルさん。

藤原さんのコンサートは、2006年の5月に盛岡で聴いて以来である。その時の印象を、藤原さんのチェロは、「音の生まれるところから『まっすぐに』伸びてきて、私たちの耳に心に届く」と、このブログに書いた。2年後の今回も、その印象はまったく変わらない。というより、より率直に、より「まっすぐに」語りかけられているように感じる。藤原さんの境地がまたひとつステージアップしたのかも知れないし、藤原=倉戸コンビの成熟かも知れない。テルさんのピアノは、出すぎず引っ込みすぎずの名サポートだ。私は、昨年、チェロのための作品を書き損なったのだが、藤原さんの音を聴いていると、そのことがとても悔やまれた。

プログラムは、バッハ「アリオーソ」(BWV156より)、マルチェロ「アダージョ」、バッハ「無伴奏組曲第3番」から、サンサーンス「白鳥」、フォーレ「シチリアーノ」「夢のあとに」、ラフマニノフ「ヴォカリーズ」と、前半には(無伴奏組曲を除けば)いわゆる名曲の小品が並ぶ。後半は、シューベルト「アルペジオーネ・ソナタ」があって、ウェーベルン「3つの小品」op.11、最後がカタロニア民謡「鳥の歌」。

このような構成のコンサートを、藤原さんは、年間どのくらいなのだろう、かなりたくさんの回数を全国各地で開いておられる。名曲の小品をきちんと聴かせるというのは、本当はとても難しいことだし、その中に「アルペジオーネ・ソナタ」のような難曲、規模の大きな名曲を組み入れるのは、見た目のライトさ以上に、演奏家にとっては真価が問われる厳しいプログラム立てだ。聴衆にとっても、このようなプログラムを、素敵な演奏で聴かせてもらう満足感は深いし、啓蒙的でもある。決して力むことなく、むろん手を抜くこともなく、こういう演奏会を真摯に続けておられる藤原さんには、本当に頭が下がる。

ロビーでは、CDが飛ぶように売れていた。演奏会を聴いて、藤原さんの音にもっと触れていたいと思うのも当然だろう。

2008年5月28日 (水)

ハイドシェックを聴く

エリック・ハイドシェックのピアノ・リサイタルを聴きに行く。日本ツアーの初日、仙台・電力ホール。

ハイドシェックは、1936年生まれ。若い頃から高名だったので、その名前は半ば伝説化しているようにも思うけれど、まだ70歳そこそこということだ。

音楽も、老境という雰囲気はなく、十分に若々しい。ペダルを巧みに扱って、独特の響きを紡ぎだす。それは、あまりにもデッドなこのホールの残響対策という面があったのかも知れないが、そのことを差し引いても、独特のぺダリングがハイドシェックの演奏個性を作っていることに違いはないだろう。

プログラムはオール・ベートーヴェン。「悲愴」ソナタ、自作主題の変奏曲op.34、6つのバガテルop.126、そしてop.110のソナタ。

堅牢に組み上げられたベートーヴェンではない。両外声が浮き上がり、時として内声は朧(おぼろ)に霞みがちになる。フランスのピアニストのすべてがこうではないだろうが、耳を傾けようとしている響きの拠り所が、ドイツ系の演奏家とは明らかに異なっている。コルトーのピアノを思い出しながら聴いていたのだが、コルトーの薫陶を受けたという知って、さもありなんと思った。弾き始めたら、そのピースのキャラクターはひとつであって、決してぶれないというあたりも、コルトー譲りか。

風貌はともかく、ステージでは、およそ大ピアニスト然とした高慢な態度は微塵もなく、舞台袖になかなか引っ込まないで、客席に向かってにこやかに何度も何度も答礼する。地方の朴訥な職人という風情。ご実家がシャンパーニュのワイン醸造だったということと関係のある気質かどうかはわからないが。

私は、基本的にコルトーの演奏は大好きだし、譜面にはあるが、ふだんはあまり聴こえてこないような音が時々ぐんと浮き上がって聴こえてきたりして、面白かった。そして、op.110などとても良かったけれど、アンコールのモーツァルトのヘ長調ソナタ(第2番)第2楽章や、ブラームスのインテルメッツォ(op.118-2)は絶品だった。このような演奏家の「音楽性」の前では、少々のミスタッチなど、どれほどの瑕でもないことがよくわかる。

2008年5月 5日 (月)

銀座でピノッキオ

こんにゃく座公演のオペラ「ピノッキオ」。昨年東南アジアで公演をしてきた萩京子さんの作品で、このたび日本初演の運びとなった。その最終日を観るために、時事通信ホールのある東銀座に出かける。

Photo マチネなので、久しぶりにナイル・レストランに寄って腹ごしらえ。このインド料理店は、1949年からあるそうだ。

席に着くと「ムルギーランチ?」と訊かれるので、「うん」または「はい」と答える。それで注文終わり。定番ですからね。他のものを注文したことはないし、注文している人もほとんどいない。「ムルギーランチ?」と尋ねられたときに、「いや、そうじゃなくて・・・」とは、よほど構えていないと言いにくい。「えー、どうしようかな・・・」などとためらっていると、「ムルギーランチ、ウチの定番!」と追い討ちをかけられる。

ムルギーランチは、鶏のもも肉1本とマッシュポテト、黄色いライスにカレーがかかったワンプレート。鶏の骨をはずしてくれるので、全部混ぜて食べる。美味。

インド人である二代目ナイルさんがお客に、「ワカダンナ、お大事にね。」などと話しているので、常連さんのどこぞの若旦那が来ているのかなと思いながら食べていたら、近くの席の人にも、「ワカダンナ、後ろからごめんなさい。」と言って水を注いでいる。どうやら、若い人は「ワカダンナ」と呼ぶことにしているらしい。ちなみに、この二代目、河東節で歌舞伎座に出演したりすることもあるそうだ。お店のホームページに、写真が載っている。さすが東銀座!渋谷のインド料理店主は「ワカダンナ」とは言わないだろうし、河東節のお稽古もしないだろう。

Photo_2今日はお祭りで、神輿がちょうど歌舞伎座の前を練り歩いているところだった。この一角だけは混雑しているが、目の前の晴海通りは自動車が行き交っているし、沿道にたくさんの見物がいるわけでもなく、何となく寂しいような気の毒のような感じでもある。

さて、ずいぶん寄り道をしてしまったが、「ピノッキオ」のこと。

「ピノッキオ」(原作カルロ・コッローディ)は新聞連載として書かれた長い作品だそうだが、ここではたくさんの登場人物を出演者4人が演じ分ける。楽器はピアノ1台とキャストが奏する打楽器やアコーディオンなど。ピアニストは、ピアノを弾きながら片手で鍵盤ハーモニカを吹くところもあるという人員節約ぶり。

山元清多さんの台本では、「いい子にしていれば人間の子どもになれる」という結末の「教訓」が、「木の人形のままでも元気に生きていくんだ」というように変えられている。そして、波乱万丈の冒険によって鍛えられたピノッキオは、「強く逞しく、優しく」生きていくと歌う。ひとつ間違うと鼻持ちならなくなりそうなフィナーレだが、てらいもなく、堂々と、ごくあたりまえのこととして歌われ、潔い。幕切れは、すべての登場人物が人形に戻っていく気配。夢のように美しく、そこはかとなく儚さが漂い、「教訓」を昇華させる。素敵な余韻の残る幕切れだ。

萩さんの曲は、リズム・オスティナートの上に展開されるメロディーという造りのオン・パレードだが、肩の凝らない題材に自然体で向かって、躍動感溢れる作品となった。4人+ピアニストは大奮闘。伊藤多恵さんの演出も、アイデアに満ちていて楽しい。「あおくんときいろちゃん」、「ロはロボットのロ」などに次いで、この座の旅公演向きレパートリーに、またひとつ佳品が加わった。

休憩なしで1時間20分。休憩なしの公演としては、ちょうど良い長さ。

2008年5月 3日 (土)

沖縄を歌う

寺嶋陸也さんの新作合唱曲初演があったので、聴きに行く。TOKYO CANTAT 2008 という合唱フェスティバルでのコンサート。すみだトリフォニー大ホール。

「沖縄諸島 歌の島」と銘うたれたコンサートで、5人の作曲家の6作品が、コーロ・カロスを中心とする様々な合唱団によって演奏された。

いくつかの作品が共通のテーマによって括られる多くの場合に起こり得ることだが、とりわけ「沖縄」というキーワードは、作曲者の「沖縄」の捉え方、考え方、距離などの違いが如実に明らかになるように思える。音楽的には、琉球音階が醸し出す独特の雰囲気をどう処理するかという作曲書法上の問題もある。

冒頭に初演された寺嶋作品「おもろ・遊び」は、琉球の古い神歌「おもろさうし」3首を歌詩として書かれた。「おもろさうし」に記されている詩は、もともと口承伝承の歌だが、現在では節は失われているから、詩として読むほかはない。古い琉球のことばで書かれたそれは、詩というよりはほとんどおまじないの文言のように見える。

寺嶋作品でも歌詩を追うことにはほとんど意味がない。大意だけを承知して、あとはことばの音韻、音の響きの美しさを、ゆるやかに流れていく舟の上か何かにいる心地で楽しんだ。だが、それは、聴き流すことのできる通俗的気楽さとは遠く、琉球音階を避けたことで、むしろ架空の国の架空の神への宗教歌のように聴こえる。そして、その無論特定の神に対するものではない宗教的な高揚と沈静の音楽は、最後には海に流れる風のあわいに溶けるかのごとく消えていった。演奏時間20分以上を要する真摯な力作。間宮芳生「コンポジション」シリーズの後を継ぐ存在感と内容を持っている。

高橋悠治「クリマトーガニ」(1979)からも、ある種の呪術的な響きが聴こえてくるが、こちらは琉球音階を避けず抽象化したことで、南方のさまざまな異国への、より強い繋がりを示すことになった。楽曲としての構築が排されているかのように見え、聴いていると快く開放された退屈さに満たされてくるが、実は決して構築を放棄しているのではない作法は興味深い。

信長貴富「廃墟から」は、「ヒロシマ」、「ガダルカナル島」、「オキナワを踏まえたすべての戦争犠牲者への鎮魂」という3章のうちの2と3のみが演奏されたが、おそらく全章を通して聴くべき作品なのだろうと想像する。抜粋演奏では、2章と3章との書法の違いばかりが目立って、「鎮魂」に収斂されていく過程が見えにくい。

沖縄のわらべうたや民謡を素材とする瑞慶覧尚子「花ぬ風車」組曲、林光「島こども歌」、寺嶋陸也「沖縄のスケッチ」では、作曲者の素材への距離の取り方の違いが見て取れる。林作品と寺嶋作品の方向性は似ていて、元の歌に最小限のものを付け加えることによって、創作としての独自性を最大限に膨らませようとする。瑞慶覧作品では、特に「月の美しゃ」の素材に与えたテクスチュアはこよなく美しいけれども、創作として付け加えたものがやや饒舌に過ぎる箇所もあるように思えた。

演奏会全体は、加藤直さんの構成・台本。ラジオ番組仕立ての朗読(竹下景子)が曲を繋いでいく。成瀬一裕さんによる美しい照明が、それぞれの曲や場面を集中させていたが、ことばによる繋ぎが効果的に有機的であったかどうかは、よくわからない。休憩なしで2時間10分。先週軽く腰痛を再発させている身にとって、座りっぱなしはいささか辛いものがあった。途中休憩が入ったとしても、このコンセプトは集中を切らさず持続できただろう。「休憩なし」が効果的な公演があることは十分承知しているけれど、同時に、会場にはいろいろな事情を抱えた聴衆がいることも考えてほしいと思う。

2008年3月19日 (水)

春の雨の夜、横浜の洋館で。

横浜のみなとみらい線、馬車道駅のすぐそばに、大きな洋館がある。元は銀行だったもので、現在は東京芸大大学院映像研究科となっている。

実に立派で美しい建物だが、ここで「野田暉行退任記念・作品コンサート パートⅡ」があった。過日、新奏楽堂で行なわれたパートⅠは行けなかったので、今回は出かけていく。

なぜ映像研究科で退任コンサートかというと、野田先生が副学長として、映像研究科の設置に尽力されたことから、映像研究科スタッフよりの御礼の意味が込められているのである。

そして、映像研究科を束ねる科長の藤幡正樹さんは、私とは大学の同級生。すっかり偉くなっておられるわけだが、お互い、美校、音校の数少ない友人のひとりだっただけに、昔一緒に遊んだ記憶は鮮明だ。「あれぇ!?こんなところで会えるとは~!」と、私を見つけて声をかけてくれたフジハタくんの、何ともいい感じの自然体は、学生の頃と全然変わっていない。

コンサートは、芸大の学生さん、大学院生さん中心の演奏。作曲者の指揮で女声合唱曲「湘南讃歌」が歌われたあと、ピアノ曲「オード・カプリシャス」、編曲集「日本のメロディ」より。冒頭には、野田先生と藤幡さんのプレトークがあり、休憩時間には野田先生の音楽によるアニメーション「まつりご」が上映された。密度の高い、そして演奏難度も高い作品ばかりだが、いずれも、大変に好演。決して広くはないけれど、天井が高く残響が多い、素敵な雰囲気の会場。充実した、とてもいいコンサートだった。

2008年3月16日 (日)

旧師を囲む

受験から大学を通してお世話になった作曲家の野田暉行先生が、この3月で芸大を定年退任されるとのことで、門下生中心のお祝いの会があった。フォーシーズンズホテル椿山荘。

野田先生は、特にエクリチュールの師匠としては完璧な方で、でもこちらの能力の無さから、いくばくかのものすら受け継がせていただくことができていないなぁと思う。ただ、私が大学教師稼業で、曲がりなりにも和声学なぞを偉そうに長年にわたって担当していられるのは、まぎれもなく先生のおかげなのである。

大学院を修了されてすぐ、1967年に助手として芸大にお勤めになられてから実に40年、芸大一筋。私が、先生のレッスンに通うことを許されたのが1971年ごろのはずだから、もう35年以上も前だ。100名近い関係者がお祝いに駆けつけた会場は、意外にも若い人が多いなぁと思ったのだけれど、計算してみれば、私たちの世代は比較的初期の弟子ということになるのだから当然かも知れない。

Photo 乾杯の音頭を取られた松尾楽器の松尾治樹社長は、最初期のお弟子さんとのことだが、一番最初のお弟子さんは加古隆氏なのだそうだ。門下生の系列、私などは末席もいいところだが、私の上には、新実徳英さん、野平一郎さん、糀場富美子さん、西村朗さんらがおられ、少し下には南聡さん、安良岡章夫さん、国枝春恵さん、徳山美奈子さん、だいぶ若いところでは夏田昌和さんらが活躍している。とりわけ異色なのはウィーンでコレペティトゥアの仕事を続けている三ツ石潤司さんが一時帰国中で、ユニークなスピーチに大笑いした。

お弟子さんではないが、関わりの深いピアニスト渡邉康雄さん、規久雄さんご兄弟や、作曲の西岡龍彦さん、小鍛冶邦隆さん、佐怒賀悦子さん、山本純ノ介さん、山内雅弘さんといった方々とも、久しぶりにお会いできて楽しかった。同級だった山本泰久さんなどとは大学卒業以来ではないだろうか。

私自身は、べつに反逆したつもりもなかったが、ふと気がついたら、ありゃ「芸大アカデミズム」とはかなり離れたところに立っているぞという具合で、いささか敷居が高いのだけれど、集まってみれば単なる同窓会。先生の風貌も以前と少しもお変わりないから、和声課題で連続5度を直されたり、落とした臨時記号を大きく書かれたりしていたころから30数年経ったと言われても、何だか変な感じがするばかりなのだ。

2008年3月15日 (土)

「ボルヘスの時間」

現音の音楽展、作曲の若い友人門脇治さんの新作モノオペラの上演に出かける。東京文化会館小ホール。

登場人物は一人、「ピエロ・リュネール」と同じ楽器編成のアンサンブル、それに、あらかじめ録音された音などがかぶる。

台本は、アルゼンチンの作家ボルヘスの、だが特定の作品を題材にしたものではなく、数作品が混合されて作られたとのこと。出演:松平敬、台本:村上茂伯、演出:飯塚励生、指揮:松尾祐孝の諸氏。上演時間は30分ほど。

精緻で、高いテンションが維持されて作曲されたと思える作品。テクスチュアもよく工夫されている。もう少しメリハリがあっていいだろうけれども。そのあたり、やはりかなり真面目な作品という感じがある。

残念なのは声と楽器のバランスが最悪で、しばしば声が楽器にかき消されることだ。そのため、すべての言葉が聴き取れたとしても(おそらく)全部はわからないであろう抽象的な内容が、ますます断片的にしか伝わって来なくて、もどかしい。せめて、どのくらいわからない内容なのかくらいは、わかりたかった。

原因は、書法や唱法にもあろうが、会場と、アンサンブルのコントロールの問題が大きいように思われる。東京文化会館小ホールは、この作品の上演にふさわしい雰囲気を持っているけれども、もう少し工夫をしないと厳しいものがある。増幅された音響を伴なったりもする部分もあるので、なおさらだ。

素材はいかにも門脇さんらしいものだし、しっかりした作品を書いたなと思う。環境を変えての再演の機会が待たれる。

たまたま隣の席に座ったAOIの大坂さんはどうだったかわからないが、このあと上演された別の作曲家の約1時間かかる作品に、私はどうしても馴染むことができなかった。ただ、終演後の帰り道で、作曲家の北爪やよひさんや高嶋みどりさんにお会いできたので良しとしよう。高嶋姐さんは大学の同級生だが、実に数年(数十年?)振りの再会だった。

2008年3月 3日 (月)

「春の庭に小鳥がうたう」

仙台に拠点を置いて活躍しているマリンバ奏者星律子さんのコンサート。仙台市戦災復興記念会館。

いろいろな場面での出演は多いけれど、個人リサイタルは久々なのかな?これを機会に、またもうひとつステップアップするようにがんばろう・・・といった意気込みに溢れたコンサート。

曲の間に星さん自身がお喋りをはさんでいく。照明を駆使し、PAも入っていて、ちょっとディナーショーのよう。

以前に神谷百子さんのために編曲した武満さんの「小さな空」。星さんもとても大切に弾いてくださっていて、今夕も素晴らしい演奏で聴かせてくださった。

それから、「庭の千草」をマリンバ3台のために新しく編曲したものが初演された。曲も編成も、星さんからのご要望。菊地みずえさんと渡辺峰子さんが共演。

トレモロみまれでボワボワした音にしたくなかったので、トレモロは極力抑え、コロコロした音で、この懐かしい旋律を飾れないかなと思って編曲した。編曲に関しては、少し改訂する余地があるかも知れないが、まぁまずまずの出来かな。演奏はとても良かった。

満席の会場は、このホールで行なわれるコンサートの多くとは、ずいぶん違う雰囲気だった。

ちなみに、「春の庭に小鳥がうたう」というのは、このコンサートのサブタイトル。

2008年3月 2日 (日)

卒業演奏会無事終了

ひとつ前の記事の続きです。

卒業発表をした人たちが、学内の試験の時と比べて、みんな大きく「化け」ることに驚かされます。

試験が行なわれるのは、だだっ広い講堂。散らばっているのは難しそうな顔をした先生たち。寒いし、公開だけど拍手はないし。そんな雰囲気とは全然違う。街のきれいなホール、ステージ衣装も着る。そして何よりも、後輩たちと一般のお客さまの応援がある。でも、「化け」られるわけは、それだけではないでしょう。

Photo_2 すべての演奏が終わったところで、全員が舞台に上がり、今年度で「卒業」される先生に歌をプレゼントするというサプライズ企画。学生くんたちが選んだ歌は「森は生きている」でした。

以下に、前の記事同様、某掲示板に書いた私の「日記」と、それに対するコメントを載せさせてもらいます。

[きっきぃ 2008年03月02日23:24]

立ち去り難く、けれども、方向の近い人たちと一緒にタクシーで帰ってきました。

音楽大学だったらオーディションとかがあったりして、卒業演奏会に出られるのはごく限られた人だけだよね。でも、ウチの学校は希望すれば全員出られる。 そして、その運営、裏方も表方も、すべてを後輩たち全員で支えている。もちろん、教員も全員でバックアップする。こんなすごいことをやっている。しかも、それが30年以上続いているんだから、本当にすごい。

そして終わった後は、ご予約のお客さま八十数名様という、年一度の大レセプション。音楽科の学生と先生方が勢ぞろいする。さすがに壮観だ。こんなにたくさんの人がいたら、半分くらいは知らない人だろうなんて思うのだけれど、よく見ると全員知ってるんだよねぇ。実はこんなにたくさんの学生くんたちと付き合っていたのかと思うと、不思議な感じだな。ぼくの授業の教室の中には20人ずつくらいしかいないからね。

Photo

レセプションの時間は全然足りなくて、誰しも立ち去り難く、解散の声がかかってもなかなかバラケなかった。気持ちはみんな同じだったんだろうな。けれど、そのまま溜まっているのも通行の迷惑だから、帰ってきました。 毎年思うけど、この演奏会の日は、学校での一番楽しい二日間だ。

お疲れさま!みんな、ありがとう。

****************************

(以下、コメント)

[ふう 2008年03月02日 23:31]

お疲れさまです。そしてありがとうございました。 立ち去り難かったけど、終電の時間でお先に失礼しました(泣) まさかレセプで自分が前に立つ日が来るとは…。一年たつのは早いですね。

[みぃ 2008年03月03日 00:07]

帰りたくなくてけど帰りたくてけど全然帰りたくないDUCCA前でした。みなさん思ってることは同じだったのですね(*´∀`) 本当お疲れ様でした!

心の底から楽しかったです。感慨深すぎてジーンでした(>_<。) もぅ来年なんだ…先輩がいなくなるなんて信じることが出来ません(ノд`。) 来年とゆーか今年、よろしくお願いいたします(*´∀`)ノ

こらこらっヤダとかいわないでください(・∀・)笑

[サトミ 2008年03月03日 11:20]

お疲れ様でした!!宮教の音楽科でよかったと思える日でした。

[ぁぃ 2008年03月03日 11:33]

先生4年間ありがとうございました!! そして、あと2年間よろしくお願いします(笑) 萩音ってほんとにすごいですよね。 どこか一つが欠けたら機能しなくなりますもんね。

[チェリー 2008年03月03日 19:46]

お疲れさまでした☆ニャー!!

宮教での1年目を、ホントーに楽しく過ごせたなぁと実感できた日でした。 希望すれば全員出られる→昨日のスピーチの時も思ったんですけど、逆に出たくない人は出なくてもいいんですか…? いや、わたしは出ますよ!!!笑

[帽子狂 2008年03月03日 22:03]

あ、私って後輩たちや先生がた、聴きにきてくださったお客さんに こんなにあったかく支えられてるんだなーーって すごく実感した演奏会でした。 これって4年生になって初めて実感できるんだろうな…。 すごいすごい貴重な経験でした。 そんな貴重な経験がもう1回できるのを嬉しく思ってます。 来年は今年支えてくれた後輩や、ステージにたつ先輩がたを 感謝を込めてサポートしつつ、 2年後の自分を見越して、精一杯努力していこうと決意しました。

卒業演奏会第一日目

Img_0106_3 3月1日、2日は卒業演奏会でした。

私たちの大学の卒業演奏会は、仙台市内のホールで行なわれ、卒業・修了予定の人は全員出ることができます。演奏会と書いておきますが、演奏ばかりでなく、論文発表やパフォーマンス発表もあります。

この発表会のユニークなところは、運営、受付、プログラム製作、録音、写真、アナウンスに至るまで、後輩たち全員が分担してお世話をするところでしょう。私たち教員も、みんなでバックアップします。そしてこの催しは、もう32年間も続いているのです。

1日目が終わった夜、某会員制掲示板に「日記」を書いたら、あっという間にたくさんのコメントが書き込まれました。そのひとつひとつがとても素敵で、このまま流れてしまうのは忍びないので、頂いたコメントも含めて以下に掲載させてもらおうと思います。

[きっきぃ 2008年03月02日00:40]

はい、そこのあなた!

あなたが、明日弾くことになっている人だったら、こんなもの読んでないで早く寝なさい。

あなたが、今日弾いた人だったら、まぁちょっとくらい夜更かししてもよし。あ、もう疲れて寝てるか。お疲れさま。みんな立派だった。

あなたが、今日働いた人だったら、お疲れさま。あなたの働きがたくさんだったか少しだったか関係なく、あなたの働きなしにはこの演奏会は成り立たなかった。いずれ自分たちが主役になる番が回ってくる。明日もよろしくお願いします。

あなたが、今日聴きに来てくれた人や卒業生の人だったら、応援ありがとう。かわいい後輩たちが、あの時のあなたのように、力を尽くして巣立ちます。これからもどうぞよろしく。

あなたが、私たちの学校関係者でなかったら、なんのことやらわからない話でごめんなさい。二日間にわたって行なわれる卒業演奏会の第一日目が無事終わったのでした。学生くんたちの頑張りに敬意を寄せながら、演奏会を楽しむ二日間です。

***********************************

(以下コメント)

[帽子狂 2008年03月02日 00:50]

まだ起きてる今日弾いた人です(笑)

花束の整理が今やっと終わりました… もう終わったんだと思うと寂しいですね(T_T) 新たな出発に向けてまた前進していこうと思います(^-^) ご指導ありがとうございました!そしてまたよろしくお願いします。

[tomo3 2008年03月02日 00:57 ]

今から寝ようとしている昨年弾いた人です。 あれから1年、早かったなーーーーーー 明日も行きます!!(みやきょ大好き人間みたいです

明日弾く人でこのコメント見た人は楽しんで弾いてください♪ 今日弾いた人でこのコメント見た人はお疲れさまでした!!聴いてましたよ!! きっきいせんせも、1年間のご指導おつかれさまでした☆ また明日~

[ふう 2008年03月02日 01:13]

ひい、明日弾くのにまだ起きてる人です! 早く寝ます

[あの音符の人 2008年03月02日 01:15]

だいぶ眠たくなっている今日働いた人です。

なんだか・・・・・・・弾いている方々はなおさら実感していると思いますが・・・・・・・・本当にあっという間ですね。演奏というか、卒演というか、この大学生活自体というか(汗)

もう3年生。今まで3年生の先輩という方々を2回、見てきたことになりますが、いずれも素晴らしい先輩ばかりでした。まさかその学年に(当たり前ですがw)なるなんて、全然実感が沸きません。でもこの演奏を聴いてる限り、あと2年後にはこの舞台に立っているのかなぁ、とも思わざるを得ません。 あぁ、なんだかとりとめのない文になってきました;;とにかく大学の折り返しのいま、精一杯走り抜けます!!!!!!!以上、音符からでした(笑)

[あい 2008年03月02日 02:12]

帰った途端爆睡し,変な時間に目が覚めてしまった昨年弾いた人です。

かわいい後輩一人ひとりの音楽に対する熱い思いが伝わった演奏会でした。卒業し,全くといっていいほど音楽から離れてしまった一年…やっぱり音楽っていいな,と思いました。

[みぃ 2008年03月02日 08:21]

昨日は寝てしまい先程起床しました、なんとも健康的な私ですヽ(´∀`)ノ笑

卒演とても感慨深いです。 先輩の想いが伝わって来て何度も泣きそうになりました。今日は私も今までの分を出し切ることが出来るよう頑張ります!先輩サポート致します!(`∀´)グッ

[ビンボン 2008年03月02日 08:47]

イズミティが自宅なのではないか?と錯覚しているものです。

今日もそでから、あのホールがいろんな色に染まってゆくのを、心から感じ取ってまーす。

[萌 2008年03月02日 09:03]

とても素晴らしい演奏会とは、なによりです。 あの時の、6人全員笑顔で撮った写真は宝物です。終わった人も、これからの仲間を支えてあげてくださいね。 陰ながら応援しています。

[ハニー 2008年03月02日 11:56]

関係ない人ですが、きっきいせんせーがとても素敵なせんせーであることがわかる、日記でした。 本日の成功もお祈りいたします。

[トモ 2008年03月02日 19:21]

昨年歌ったチェコかぶれの人です。 演奏会を通して、なんだかいい刺激をもらいました☆ たぶん、なにか通じるものがあるんだと思います。 風邪が長引いて1ヶ月くらいちゃんと歌っていませんが、 今週から復活したいと思います!!! 音楽のない生活って無理だなぁ~と改めて思いました。 いつか、宮教卒業生演奏会みたいなのができたらいいですよね♪

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2008年2月13日 (水)

どうするの、そんなに上手になって

2月10日と11日、二日にわたって100以上の団体の歌を聴いてきた。合唱アンサンブルコンテストの審査員を務めたのである。

アンサンブルコンテストは、合唱コンクールと違って、2人以上16人までの重唱と室内合唱で5分以内という制限がある。以前、管打楽器のアンサンブルコンテストを覗いたことがあるけれど、そちらは指揮者なし、パートが重複してはいけないということになっているそうだ。だが合唱の場合は、指揮者がいることもパートの重複も妨げない。16人にもなれば立派な合唱である。

全体に、レベルの高さに驚いた。とりわけ一般の合唱団は、メンバーの入れ替わりも少ないだろうから、技術が安定している。大合唱団がいくつかに分かれてチームを作り、少人数のアンサンブルに挑戦するというのは、技術と度胸アップのために有効だろうと思う。ここで得た経験は大合唱に戻った時にも活きるだろう。

高校生のグループは、まともに青春しているから、結果発表の反応が面白い。良い成績が発表されると大きな歓声が上がり、感極まってみんなで泣き出してしまったりする。上手になって少しでも上をめざしてみんなで頑張ろう!という「目標は甲子園!」的モチベーションが高いのだろう。

思わず考え込んでしまうのが、小学校の部だった。ここには、合唱が優秀であると定評のある数校だけが、それぞれいくつかのチームに分かれて出場していた。参加した学校が少なかったのは問題だ・・・と、主催者側も思っているようだ。しかし、たくさんの学校が出場しているのならば別だが、もし一つか二つだけがあの中に紛れ込んで出場していたら、ちょっと浮いてしまったのではないか。

それほどにその数校は「上手」なのである。小学生のプロ合唱団と呼びたいほど。そして、他の学校は、到底敵わないと怖気づいて出場辞退してしまったかと邪推させるほど。

児童合唱団という団体はいくつか存在して、高い技術を磨いている。メンバーは、ある程度の期間、そこに固定して所属するのだろうから、上手になっていくのも理解できる。しかし、コンテストに出場しているのは公立小学校の普通の生徒たちなのだ。それなのに、どうしてこんなに「上手」になることができるのだろうか。

来年にはまた違ったメンバーでグループが組まれるのだろう。短い期間でここまで高い技術を身につけさせ、優秀校との評判を定着させている先生方は大したものだと思うし尊敬もする。

だが、ここが問題なのだが、その子どもたちが歌っている姿はちっとも楽しそうでなく、表情も生き生きしていないのだ。教えられたことを、寸分の隙も間違いもなく執り行うことだけに神経を尖らせているかのように見える。笑顔さえも、指示通りに作られているかのようだ。

どうするの?そんなに上手になって。

思わずそう尋ねたくなってしまう。上手になることってそんなに大切なのだろうか。子どもって、もっとやんちゃではいけないのか?

楽しくて飛び跳ねんばかりに歌っている子どもは見当たらない。練習が休みだとみんなに会えなくて淋しいといってベソをかくほど歌うのが好きで、みんなと一緒にいるのが嬉しくて仕方がないという子ども。そんな子どもたちの目の輝きに、私は感動する。その上で上手に歌えたら言うことはないだろう。

目の輝きが先か、上手に歌うことが先か。上手になりたいのは、本当に子どもたちなのだろうか。

2008年2月 8日 (金)

あちゃらかオペラ「夏の夜の夢」

こんにゃく座公演、あちゃらかオペラ「夏の夜の夢」~嗚呼!大正浪漫編~を観る。台本=山元清多、作曲=萩京子、演出=山元清多、立山ひろみ、世田谷パブリックシアター。

シェイクスピアの「夏の夜の夢」を翻案して、大正浪漫時代に置き換えた台本がまず面白くて、この芝居のためのオリジナルかとさえ思えるくらい違和感がない。「アテネ近郊の森」は「大久保公爵」の、どうやら軽井沢らしい領地の森に置き換わり、アマゾンの女王ヒポリタは「女優川上弥生」となる。公爵と弥生の婚礼の四日前から舞台は始まるというわけだ。

眠っている者の眼に惚れ薬を塗って、目覚めて最初に見た相手に惚れるという取り違いまでもかなりバカバカしく楽しいけれど、あちゃらか加減が爆裂するのは、何といっても後半、鍛冶屋や庭師、桶屋などの職人一座が繰り広げる劇中劇の場面だ。富山直人扮する大工の棟梁をはじめとして、職人6人組大奮闘。主演陣も安定している。ここは世田谷パブリックシアターではなく、小屋がけの芝居小屋かと錯覚するような臨場感が随所にあって楽しい。

萩さんの音楽は、全般的にどちらかというと淡彩色の印象。元々は名古屋での公演のためにオペレッタとして書かれたものだから、この度8人編成に管弦楽配置し直したとはいえ、その色彩感は残っていて、こんにゃく座への書き下ろし作品とは、音色的な面で一味違っている。

かなり面白かった。まだ細部のどこにも硬さなしとは言えないが、繰り返し上演されていくうちに慣れて馴染んでくることだろう。今回の5回公演だけで終わらせてしまうのはもったいない。

2008年2月 7日 (木)

三次空間からの感想文集(2)

感想文第2弾は、masaさん、かたさんのお二人から。

masaさんは、高校の音楽の先生であり、作曲の若い友人です。山形の舞台も観てくださっていて、コメントでは「山形公演の時、もっとこうあってほしいと思っていたことが、仙台では予想以上に起きていた感じ」と書いてくださっています。今回、私の知る限り、仙台から山形公演に来てくださった方々は、みなさん仙台公演にも来てくださいました。ありがたいことです。

仙台公演の大成功、本当におめでとうございます!
他の何よりもこの合唱劇は天国の宮澤賢治さん本人に届いていると思います。
書き出すと長くなりそうなので我慢して3つだけ書きます。
山形では気づきませんでしたが、あれもしかして「おしどりミルクケーキ」ですか?実は密かに大好物なのです。
少年役の男の子・・・後半の「ケーンタウルスつゆーをふらせ」の出だしのソロ、何であんなにぴったりのピッチで入れるの!大感動でした。
未就学児お断りの注意書きがないのをいいことにウチの息子とそのガールフレンド(いずれも幼稚園年長6歳)を連れていきました。途中で飽きるのは目に見えていましたけれど、所々で何度かステージに引き付けられている部分があり、反応が面白かったです。それなりに疲れたらしく帰ってからは無関心を装っていましたが、お風呂につかりながら「ケーンタウルスつゆーをふらせ」と突然歌いだしてママが感動していました。
(masaさん)

「おしどりミルクケーキ」を見破るとはさすがですね(そうなのか?)。私も知らなかったのだけれど、舞台を観ながら、もしかしたらそうかな?と思っていました。だって、パキって折れるんだもの(笑)。ケンタウル祭の歌は、耳に残るようですね。それにしても、お風呂につかりながら歌いだすご子息はさすがです。(きっきぃ)

学生さんたちいっぱい来ていたんですね。それに東京からも。たぶん誘われた人以外にもチラシを見て関心を持ち足を運んだ人もいたことでしょう。山形公演の時、もっとこうあってほしいと思っていたことが、仙台では予想以上に起きていた感じがしました。
欲を言えば高校生以下の年齢層の人たちにももっと聴かせたかったです。意外と子供が少なかったような。
ところで、意外と「銀河鉄道の夜」を読んだことのない人は多いようです。私の周りの人たちもなんとなくイメージだけは知ってるんだけど・・・という人がほとんどでした。私もあの後、一つひとつの言葉をもう1回かみしめてみようと、読み直しました。
それにしても「じゃがいも」+「きっきい先生」の組み合わせほどこの作品をつくり上げるのに適した人たちはいませんでしたね!
先生の作品で宮澤賢治を扱ったものはもうかなりの数になるかと思います。結構昔から先生のプロフィールには「好きな作家:宮澤賢治」的なものがあったように思いますが、ここまで先生をひきつけたきっかけは何だったのでしょうか?
この質問は意外とみんな聞きたい思いますので、そのうち教えてください。(masaさん)

これもmasaさんのコメント。高校生以下の人たちが少ないように見えたのは、リハーサルを公開したために、子じゃがちゃんたちの学校の友だちとかがそちらに回ってくださったためということもあるのかも知れません。宮澤賢治を扱った作品は、かなりあります。そのことについてのご質問の答えは長くなりそうなので、いずれゆっくり考えて書きましょう。

今回東京からも、たくさんの方々が来てくださいましたが、音楽評論家のかたさんも、そのお一人でした。

とても素晴らしい作品であり公演だと思いました。向学心も芝居心も、もちろん音楽ごころも旺盛なひとたちが、一個の汲めども尽きぬ魅力をもったテキストを、きっきいさんの、決して押しつけがましくはないのだけれどしっかり示唆的な音楽の助けを借りつつ、じっくり読み解いてゆく場に、立ち会わさせていただけたとでもいいますか、とにかくとっても自然であり刺激的でもある不思議な時空間を体験することができました。
けっこう長かったはずなのですが、もっとやってくれというくらい、なんとも楽に時間が流れていましたね。実はあの前日のほぼ同時間帯、上野の文化会館でキーロフ歌劇場の「ホヴァンシチーナ」を観ていたのですが、そこで味わった、プロがこれみよがしに構成し演出し尽くし、どうだ参ったかとやる、力業だけれど、どうにもくたびれもする時空間の、あらゆる意味で対極の世界でありました。
きっきいさんとじゃがいものコラボの、今後のますますの稔りを僭越ながら期待いたしております。(かたさん)

当代きっての聴き手からいただいたコメント、わざわざ来てくださったこととともに嬉しかったです。本当に、どうだ参ったか的世界と私たちのやりたいと思っていることは真逆ですね。どうだ参ったかの方が有名になれるのかも知れませんが、そういう芸風ではないのだから仕方ありませんね(笑)。とても面白いコメント、ありがとうございました。

これら、masaさん、かたさんからの文章はコメントとしていただいたものですが、裏側に(?)埋もれてしまうのは惜しいまとまったご意見なので、お二人のお許しを得て、記事として書かせていただきました。

2008年2月 3日 (日)

三次空間からの感想文集(1)

合唱劇「銀河鉄道の夜」仙台公演を観に来てくださった方々が、某日記サイトに感想を書き込んでくださっていました。そこは会員制なので誰でも読めるというわけではありません。でも、せっかく書いてくださっているのだから、このブログを読んでくれているじゃがいものメンバーにも読んでもらいたいなと思い、ご本人の了解を得て、紹介させていただくことにしました。まず、ここにご紹介するのは、いずれも私の勤める大学の学生さんと卒業生さんたちです。

「今日は合唱劇「銀河鉄道の夜」を聴きに行きました。
実は・・・恥ずかしながら・・・・ 読んだことなかったのです(泣
今日演奏会に行って、ちゃんと読もうと思いました。
でも幻想的な雰囲気が曲からも、照明からも、合唱からも、演技からも 伝わってきて、とってもよかったです。 合唱ってよいなぁぁ。

子どもがいい味出してました。
最初は団員であるおとーさんおかーさんにくっついてきてたのに いつの間にか舞台に上がってたと聞きましたが、 子どもたちの存在がすごーく大きかったと思いました。

学校で会うと共に「にゃーー」とか言い合ってるきっきぃせんせが 舞台に立ってるっていうのが、こんにゃく座の時もそうでしたが不思議な感じでした。
自分の作った曲がああやってお披露目されて、たくさんの人に 聴いてもらえるって、すごい幸せなんだろうなって思いました。 こんなワタシが言うことがおこがましいんですけど(汗 」(帽子狂さん)

にゃーー。原作を読んだことがなかった、読もうとしたけど挫折したことがある…っていう人が多かったのは意外でした。描写が詳細だから、確かにスラスラ読めるという感じではありませんね。だから、合唱劇を見て、わかりやすかったと言ってくださる方も多かったです。でも、それは舞台化したときに抜け落ちた部分も多いということだから、大筋を掴んでからきちんと読んでもらえると良いと思います。(きっきぃ)

「本日は、きっきぃ先生作曲の、銀河鉄道の夜を見に行ってきました。
青文のシアターホール初めて入った。
銀河鉄道の夜はとても好きな話で、ポスター見たときから、行こう行こうと思っていたのですが、行けて本当によかったです。
子ども二人と家庭教師が出てくる辺りから、物語が加速していく気がしますね。
そして最後はやっぱり泣きそうになる。 仙台で上演があって、本当によかったです!
また本読み返そうかな。読み直したら、きっと私も旋律が浮かんでくると思いますよ
ケンタウルス祭りの歌とか。耳に残ってます。 」(ふうさん)

こちらは、前から「銀河鉄道の夜」が大好きだったというふうさんの感想。そう、遭難した子どもたちと家庭教師の登場から、物語が変わりますね。そのあとかささぎや蠍の火やコロラドの高原や、いろいろ出てくるのだけれども、物語が絶対的孤独に向かって走り出すきっかけにもなっているように思います。ちなみに、インディアン座という星座も実際にあるのだそうですね。(きっきぃ)

「きょうは「合唱団じゃがいも」の「銀河鉄道の夜」を見に行きました。我らがきっきぃせんせが作曲されたのです。
面白かったなー。銀河鉄道は実はちゃんと読んだ事なくて、大体こんな話だよなぐらいしか知らなかったんですけど、いやいや良かった。泣けた。
タイタニックに乗ってたらしき3人(あの小さい男の子かわいーな!家庭教師の青年は宮沢賢治その人のように見えた。帽子の具合かな。)が出てきた時点で、わたしはもう「カムパネルラー!」と叫んでいた(心の中で)。あぁもぉカムパネルラ!お前もか!
ジョバンニがカムパネルラの事が大好きすぎるとこが可愛くて可哀想ですね。カムパネルラのお父さんもいいね。
きっきぃせんせの曲も全篇通して宮沢賢治の世界観に凄く似合ってる感じで素敵でしたねー。あぁせんせの曲の感想言うのは恐れ多いや。

本当に面白かったです。子じゃがどころか孫じゃがちゃんなんですね!凄いなぁ。名優でしたね!3世代で同じ舞台に乗れるなんて素敵ですね。 そういえば、衣装もみんな普段着みたいなのに、小物やコーディネートによって「それっぽい」衣装になっていたのも印象的でした。タイタニックに乗ってたらしい3人もそれまでは合唱の一員だったのに、帽子だけでほんとに「それらしく」なってましたね~。 他の作品も見てみたいな。」(あんずさん)

「ジョバンニがカムパネルラの事が大好きすぎるとこが可愛くて可哀想」・・・あんずさんらしい感想だなぁ。確かに、ジョバンニとカムパネルラの関係って、よくわからない部分もあるのです。ジョバンニはカムパネルラが大好きなのだけれど・・・。可愛くて可哀想だから、ひとり残される結末が切ないのだろうねぇ。そう、孫じゃがちゃんの名優ぶりには、みんな舌を巻きました。だって、台詞をトチることなど決してないんだもの。(きっきぃ)

「きっきぃ先生の仙台初演を聴きに行った。 「銀河鉄道の夜」 。小学生の頃、「銀河鉄道」を初めて読んだときはよくわからなかったのだ。比喩や隠喩が全くわからなかったので。 それに気付いたのはアニメの「銀河鉄道の夜」を観たときだった。 (ますむらひろしがキャラクターデザインをしている映画。登場人物が猫。) 今日は、銀河鉄道をもう一度大事に読み返した気分になった。 と思っていたのはカムパネルラがいなくなるまでのこと。 それまでストーリーに沿って淡々と(勿論とっても綺麗だったけれど)進んでいた音楽が、劇中からカムパネルラがいなくなってから、とても感情的になったと感じた。 「聴いている側」からいつの間にか物語の中に入り込んだ瞬間だった。 最初の場面の「あまの川」と最後の「あまの川」では全然印象が違った。なんだかしばらく頭の中で音楽鳴ってた~。本当に聴きに行って良かった。 先生、素敵な時間をありがとうございました。 」(みかんさん)

感情的というか感傷的にはならないようにと思ったのだけれど、歌い手も壊れちゃうんだよね、あのあたりになると。練習でさえ涙で歌声が震えてしまうことがしばしばでした。そんなふうになるとは、実際に音にするまでは想像もしなかったのだけれど。それから、二つの「あまの川」。初めの「あまの川」は、地上の子どもたちが空の天の川を見上げながら歌っている、終わりのは、天上にいる子どもたちが地上を見下ろしながら歌っている・・・そういうイメージを持っています・・・と、メンバーには話しました。(きっきぃ)

「じゃがいも素敵でした!!!特別発声などをしてないとは思えないほどキレイな歌声ですよね何よりも皆さんが楽しそうで生き生きしてて、パワーが客席まで伝わるようでしたきっきぃ先生の曲もステキでしたしあんなに膨大な数を作曲するなんて、本当尊敬です。次は山形公演も行こうと思ってますが、ぜひぜひまた仙台公演お願いします!」(ゆっこさん)

じゃがの人たちが揃って発声練習をしているのを見たことがないのは、たまたまそういう機会がなかっただけかしら。でも、軍隊式練習みたいなことを一切しないのが、じゃがいもの良さですね。いつもわいわい言いながら始まるし、何となくずっとわいわいしてるのだけれど、それがいつの間にか楽しくまとまってパワーのある歌声になる。仙台公演、またぜひしてほしいですね。でも、次はツアーを組んで山形まで聴きに行きましょう!(きっきぃ)

「リハにそれだけの人数がくるなんてすごいですね。公演、本当に楽しかったです。じゃがいものみなさんの歌声がほんとにすごくてきれいで、ずーっと鳥肌たちっぱなしでしたよ(笑) 合唱またやりたくなりました~」(ぁぃさん)

「素敵を通り越し羨ましいを通り越し、ズルイぞ!!!と思わせられる合唱団なのでした。」(かもりーなさん)

いかがですか、こういう合唱はお初めてでしょ。からすでもかささぎでもないぁぃちゃんに鳥肌を立たせ、かもりーなさんにズルイぞ!と言わせたあなたたちは、いやぁ大したものですねぇ。(きっきぃ)

2008年1月29日 (火)

ジョバンニはもういろいろなことで胸がいっぱいで

Photo 1月27日、山形の合唱団「じゃがいも」の、初めての仙台公演は無事終わりました。

仙台公演の話が持ち上がったのは、2005年に一緒に作った合唱劇「ポラーノの広場」の頃だったでしょう。あの、ちょっとわけがわからないけど楽しい「ポラーノ」を仙台で紹介できたらいいなぁと思いました。その後、話が急展開して「銀河鉄道の夜」を・・・ということになります。

きっきぃさん、シアターホールは客席が600もあるんだよ、山形側では仙台でそれだけのお客さんを集められる自信ないよ・・・とかいう話をしていたのがウソのよう!

年が明けた頃、すでにチケットがかなり出ている、もうこれからはあんまり売っちゃだめ!・・・という、何とも普通ではあり得ない指令が伝わってきました。

でも、話を聞いていると、こちらもだんだん不安になってきます。数年前に、某演奏団体がチケットを売りすぎて、当日入場をお断りすることになったという話など聞こえてきていましたから。そんな事態は避けなければ。

内輪の方々や、ごく近くなってチケットを買いたいと言ってくださった方々には事情をお話して、当日のリハーサルを観ていただくことにしました。

そして午前11時。リハーサルに立ち会う人数とは思えない、100人近くの方々が来てくださっていました。もちろん、リハーサルといっても、完全に本番と同様にやりました。出来は、本番と比べてもまったく遜色なかったと思います。

そして公演本番。14時30分の開場時間前から長い列ができていて、14時35分には客席が見た目かなり埋まった感じ。この勢いが開演時間まで続いたら・・・と考えるとちょっと恐ろしくなりましたが、溢れることなく、客席はほぼ満員で出発。チケットを買ってくださったお客さまをお帰しするようにことにならなくて、本当に良かった。

そして何よりも、こんなステキなことをやっている人たちがいるということを、仙台の皆さまに知っていただけたのが嬉しいです。そして、東京からもたくさんの方がわざわざ来てくださいました。

いろいろ寄せてくださったご感想や、私自身見聞きしたことなど、追々書きとめておきたいと思っていますが、まずはご来場いただいた皆さまに、厚く御礼申しあげます。

2008年1月14日 (月)

完売近し(?)・・・チケットの最終(?)ご案内

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いろいろなところでお知らせしていますが、合唱団「じゃがいも」のために書いた合唱劇『銀河鉄道の夜』の仙台公演が、1月27日にあります。

チケットは、主催者側からもうかなり出回っているそうで、もうあんまり無理して売らないでくださいと言われてしまいました。このままだと、完売ということもあり得そうです。

すでに予約してくださっている方には、今週お渡しします。まだ申し込んでいない方はお早めに、できれば今週中に声をかけてください。ここへのメッセージ、メール、私を直接つかまえるなどどんな方法でも構いません。今週は明日火曜日午後以降、毎日学校に行きます。

合唱団「じゃがいも」公演
合唱劇『銀河鉄道の夜』
1月27日(日)15時開演 
仙台市青年文化センター・シアターホール

じゃがいものホームページ

http://homepage2.nifty.com/jagaimo/

2007年12月 8日 (土)

創作バレエ「おしらさま」再演

ずっとご無沙汰していた岩手県遠野市から、突然手紙が届きました。

遠野市民センターバレエスタジオ開設30周年記念公演で、「おしらさま」を再演するとのことなのです。

_balletmiddle01「おしらさま」は、このバレエスタジオのために、1981年に作曲したバレエ作品。当初は、遠野で楽器の弾ける人大集合!で、吹奏楽あり合唱あり、ギターやマンドリンありの二度と再現不可能な楽器編成でしたが、86年に大改訂して、2管編成の管弦楽に配置しなおして、東京と中国の北京でも上演されました。 その後、室内楽版も作りました。

初稿を書いたのは27歳だったのですね。これをきっかけに、私がしばらくの間「遠野」にハマっていたことを、古くからの友人はみな知っていると思います。

遠野市民センターバレエスタジオは、全国でも珍しい、市が運営するバレエスタジオです。プロの指導者が、東京から毎週通って指導にあたっていました。初演の頃は、まだ東北新幹線はなく、羽田から花巻空港へYS11で飛んだことや、ガタガタ揺れる東北本線特急で東京へ戻ってきたことを、よく覚えています。将来、仙台で大学の教師になるとは、夢にも思いませんでした。

「おしらさま」が一番最近再演されたのは10年前ですが、今回のことはこの手紙をもらうまで、何の連絡もなかったので驚きました。 ほぼ10年ごとに再演を重ねてもらえるのは、嬉しいことです。

12月23日(日) 午後1時30分開演 遠野市民センター大ホール

情報はこちら

http://www.city.tono.iwate.jp/index.cfm/1,7195,3,html#

2007年12月 5日 (水)

ヒコクミンの20年、わたしたちの36曲の前奏曲

作曲家の萩京子さん、寺嶋陸也さんと3人で、「緋国民楽派」という作曲グループとして、演奏会を始めてから20年が過ぎた。

グループのネーミングは、もちろん19世紀の「国民楽派」をもじったもので、見た目はどうということもないが、「ヒコクミンガクハ」と発音すると、少々やばい雰囲気が漂う。「非」ではなく「緋」なのだから、うろたえる必要はないのだが。

「結成」から20年も経つとは信じがたいけれど、最近では、私たちと親しい人々は、「今度ヒコクミンいつやるの?」などと物騒なことを、平気で聞いてくれるようになった。

20年で12回の演奏会というのはいささか少ないようだが、それぞれ自分の活動が忙しいし、演奏会を開くための元手だってゼロなわけだから、チケット収入だけを当てにしているようでは確実に赤字である。頻繁に演奏会を企てていては破産してしまう。そういう意味では、まずまず妥当な開催回数なのではないかなと思う。

20年を記念する年の企画として、チェロの作品を中心にしたプログラムを準備していた。チラシまで刷り上っていたのだけれど、ついに予定していた2人の新作が間に合わなくなってしまったために、チェリスト氏からは演奏会延期の要請を受けた。

どうしようか、会場キャンセルする?

メールや電話が飛び交ううちに、いつでも誰でも使えるわけではない東京文化会館小ホールの予約をみすみす取り消してしまうのは何とも惜しい、以前に3人で書いた「前奏曲集」をぼくが弾いてもいいですよ・・・と、唯一作品が間に合わなくなかった寺嶋さんが、まるで私たちの罰ゲームを引き受けるように申し出てくれて、企画内容は変更しながらも、演奏会は予定通り行われた。

11月21日(水)、東京文化会館小ホール。緋国民楽派第12回作品演奏会、「寺嶋陸也 プレイズ 36曲の前奏曲」。転んでも只では起きない「緋国民楽派」の面目躍如?

「以前に3人で書いた『前奏曲集』」というのは、1992年、志村泉さんに弾いただくために、それぞれがピアノのための「前奏曲」を12曲ずつ作曲した36曲。優れたピアニストでもある寺嶋さんは、準備期間が1ヶ月もなかったのに、そしてその1ヶ月の間だって決して暇ではなかったのに、36曲を見事に弾ききった。私たちにチケットを売り捌く余裕もなかったので、来てくださったお客様の数は決して多かったとは言えないが、稀有な演奏会になったことは間違いない。怪我の功名と言ったら、曲を落とした立場のくせに調子が良すぎるが、こういうことでもなかったら、36曲全部を寺嶋さんに弾いてもらおうなどという企画は決して出なかっただろう。

36曲のうち、寺嶋さんと私の12曲ずつはカワイ出版から楽譜が出版されている。萩さんの12曲も、近々同じ出版社が出版の準備をしてくれるそうだ。

ちなみに、当初の企画、チェロを中心とした演奏会は、いずれ仕切り直して計画する予定。今後とも、ヒコクミン、いや緋国民楽派をどうぞよろしくお願いします。

2007年11月10日 (土)

こどもたちへ メッセージ2007

Photo作曲家協議会主催、カワイ出版とタイアップ企画の「こどもたちへ」。

毎年、作曲家協議会の会員が子ども用のピアノ小品を書き、曲集として出版し、自作自演のコンサートを催す。もう23回目、今年は37名の作曲家が参加。あと2回くらいで、総計1,000曲になるという。

今年もお話をいただいたので、「ドミレソ」というタイトルの曲を書いた。「ドミレソ」というフレーズが、2小節(後には1小節になったりもする)ごとに繰り返される。パッサカリアとかシャコンヌとか、そんな大それたものではないけれど、そういう仕掛け。

去年は連弾で「ミミファラ」というタイトルの曲を書いた。曲の冒頭の音をそのままタイトルにしてしまうというのは、知る人ぞ知る北村大沢楽隊のやり方を真似たもの。この方法が良いのは、ヘンテコな嘘臭いタイトルを考えなくて済むことだ。子ども向けだからといって、子ども騙しのようなタイトルは付けたくない。

自作自演というのが厄介で、ピアノが上手い作曲家の方々は良いけれど、私のように、ピアノを弾くっていうだけで珍しがられるような手合いにとっては、大変ユウウツである。でも、紀尾井ホールの舞台に立ってみると、少しだけ楽しかったりもする。11月10日にあった今年の演奏会では、ちょっと間違えてしまったけれど、人にはあまりわからなかったみたい。所詮実力がないのだから、まぁこんなものだ。

Photo_3 今年出版された楽譜は2冊。私のは「その1」に入っているが、「その2」には、羽田健太郎さんの遺作が収められている。「ゆびずもう」というタイトルのその作品を、演奏会では寺嶋陸也さんが初演した。ムードに流れることなく、鍵盤上での指の遊びを展開した良い曲だ。それまでの羽田作品とずいぶん趣が異なっている感じがする。

左下のリストからも、この楽譜の情報を見ることができます。

2007年10月22日 (月)

合唱劇「銀河鉄道の夜」

10月20日、合唱団「じゃがいも」による合唱劇「銀河鉄道の夜」の山形での初演、無事終了しました。ご来場の皆さま、応援してくださった皆さま、そして団員の皆さん、どうもありがとうございました。

Photo上演時間は、前半が約60分、後半約50分。じゃがいもとしては初の「一晩もの」の合唱劇です。賢治を原作とする合唱劇を過去に13作も発表してきた経験があるとはいえ、さすがに今回は、キャストの皆さんも苦労されたと思います。

「銀河鉄道の夜」、やはりこれは特別な作品です。うぬぼれていると思われると困るのですが、昼の部も夜の部も、客席はしーんと静まり返っていて、舞台に向かうベクトルが集中しているようでした。それも、最初から最後まで。こういう客席の静けさは、あまり経験がありません。舞台も客席も、みな夢の中にいるような不思議な感じでした。

メンバーは、演奏会前の週など、連日練習でかなり疲れているはずなのだけれど、みんな全然疲れた顔をしていませんでしたし、疲れた声にもなっていませんでした。

これらのことは、やはり原作の力だと思います。読むだけではわかりにくくても、演じてみてわかることがいろいろあったし、何よりも、この原作のためならば・・・という心意気がひとりひとりにこもっていたのではないでしょうか。

そして、どうしてこんなに涙腺を刺激するのか。これも演じてみてはじめて読み取ることのできた原作の抒情なのだろうと思います。

友人のmasaさんが前の記事につけてくださったコメントの一部を、勝手に引用します。masaさん、ごめん!

初演の成功おめでとうございます!
この日は土曜なのに仕事があって、職場から東部~南部~東北道~山形道と4つの有料道路をまたいで開演5分前に会場に滑り込んだので、ご挨拶も出来ず失礼いたしました。
作品が作品だけに「よかったです」「素晴らしい出来でした」的な感想とは次元の違うところでお話しないとだめですね。賢治のファンや研究者って世界中にいると思うのですが、そういう人たちがこの作品を知ったらすごいことになると思います。
そういう意味でもチラシを見て関心を持って来てくれるお客さんがもっといてもよかったと思いました(ちなみにこの日はY大学音楽科の定期演奏会とブッキングしていたようで・・・、我が後輩たちにも聴かせたかったなあ・・・〉。

「すごいことになる」かどうかはわかりませんが、すごいことをしちゃったかも知れないなぁ・・・という感じはあります。「銀河鉄道」の合唱劇化を打診された作曲家のひとりが、無理だよと言って断ったそうですが、「無理だ」と思う方が正常な思考だと思います。それなのに、とうとうやってしまいました。賢治の世界に迫れたとは思いません。でも、とにかく真正面から取り組んで、精一杯やったことだけは確かです。

3 打ち上げで見せた、大人も子どももこの笑顔!あの原作でなければ、これほどにはならなかったのではないかなと思うのですが、どうでしょうか。みんな、ただ楽しかったというだけではない、何か豊かなものにつつまれているようでした。

仙台公演が1月にあります。ぜひたくさんの方に観ていただきたいと思っています。それに向けて、少しだけ手を入れて、よりパワーアップさせるつもりです。

2007年10月18日 (木)

Milkyway Train 出発二日前

昨日、今日と、仙台から山形へ往復して練習に立ち会いました。

とても面白くなっているのだけれど、昨日も今日も通せませんでした。作品が長すぎて。だって、2時間以上かかる作品の練習枠が、2時間半っていうのは、どう考えても無理だよね。

普通だったら、ピリピリしちゃって、雰囲気悪くなるところですが、不安いっぱいが顔に出てるのはスタッフだけで、団員のみんなはニコニコしてるんですよね。すごいなぁ、根性座ってるよなぁ・・・。

しかも、毎日台詞の長さが変わったりしているのに、義務づけてはいないのにみんな楽譜はずそうとしてるし。

この合唱団は、もちろんアマチュアの団体ですが、表現者としてはほとんどプロです。もしかしたら、賢治が農民芸術論で求めたのは、こういう人たちに近いのかも知れません。

それにしても、夜の山形道はスリリングです。昨日と今日、車で往復したけれど、昨日の夜などは、山形蔵王インターから村田ジャンクションで東北道に合流するまでの30分近く(?)、前後に5台くらいしか他の車と出会わなかった。大半の時間、「ひとり旅」です。しかも、照明はほとんどなく、周りは山。つまり前も後ろも左も右もずっと真っ暗!それに、県境の峠越えをするので、カーブや坂道も多く、真っ暗な正面に星ばかりが見える・・・という、銀河鉄道の運転手か、私は!

星に見とれていると、そのまま天上に行ってしまいそうなので、しっかり見ることができなくて残念でした。こういうドライブの音楽は、クラシックはダメです。特に夜は、テンション高いのでないと。マイルス・ディヴィスをがんがんかけながら約1時間走りました。

2007年10月13日 (土)

Milkyway Train 出発に向けて

夕べ遅くに、最後のオーケスレーション譜と追加の短いBGM(14小節)を、そして先ほどプログラム原稿を送って、すべての作業が終了しました。

気がついてみると、最初の公演まであと1週間!いやぁ・・・しかし、今回ばかりは終わらないかと思った。いつもそう思うのだけれど、今回は特に。ヴォーカル・スコアは170ページくらいあります。

私の作業は手こずりましたが、練習は順調にいっているようです。先週の日曜日、練習を聴きに行ってきました。久しぶりに元気な歌声を聴いて、疲れがだいぶ飛び去りました。

Photo いつもギリギリまで作業をしているので、何度も練習に立ち会うことができません。練習に行く時間があったら書かなければならないからです。出来上がった時にはすでに本番が近づいていて、行ける練習日が限られてしまいます。ちょっとつまらない。

でも、曲は私がいなくても育てられていきます。これから1週間で、完全に「じゃがいも」の物になるでしょう。

2007年10月 4日 (木)

Milkyway Train 運行記録の続きとご案内

つい先ほど、短いBGMを2曲送り出しました。ようやく作曲は終了です。

・10月4日 急降下[24]、川を見つめる人々[15]

楽器パートの整備がありますから、まだ作業は続きますが、とりあえず間に合って良かった・・・。・・・というわけで、ようやくここにもご案内を書けるようになりました。

合唱団「じゃがいも」第34回定期演奏会(宮澤賢治音楽劇場 その13)

合唱劇「銀河鉄道の夜」

宮澤賢治・作、山元清多・演出、吉川和夫・作曲、指揮・鈴木義孝

10月20日(土)15:00、18:45開演 山形市中央公民館ホール(as)

2008年1月27日(日)15:00開演 仙台市青年文化センター シアターホール

詳細は、合唱団「じゃがいも」のホームページ→http://homepage2.nifty.com/jagaimo/

ぜひ秋の山形、あるいは冬の仙台へ、いらしてください!

2007年10月 3日 (水)

その後のMilkyway Train 運行記録

前の記事、9月25日以降の「運行」記録です。

・9月28日 エピローグ「あまの川」[28]

・10月1日 石炭袋[245]、河原を走るジョバンニ[37]、南十字[43]

・10月2日 プロローグ「あまの川」[32]

「石炭袋」というのは変なタイトル(仮題)ですが、クライマックスに至る部分をひと繋がりにしたので、小節数も突出して多くなりました。

これで一応、歌の入る曲は完了です。あと数曲、BGMと、今までに渡した曲の器楽パートを書きます。まだまだ作業は続きます。

現場では、上演時間が2時間を超えそうなのをどうしたらいいか、悩んでいるらしい。

2007年9月25日 (火)

Milkyway Train 運行中間記録

この数ヶ月、山形の合唱団「じゃがいも」のための合唱劇を作曲しています。公演のお知らせは、また後日書くつもりです。

この曲、スケッチは手書きですが、清書はパソコンの浄書ソフトを使って書いて、山形にいる指揮者の鈴木さんにメールで送っています。彼はこれを受け取ると、ヴォーカルスコアを作り、団員さんたちに配るとともに、PDFファイルにして、私のところにも送ってくれます。

一晩物の大きな作品なので、出来た部分から少しずつ送るのですが、郵便と違って、パソコン上に自動的に送信記録が残ります。作品がいつどんなふうに出来ていったのか、通常は公開されませんし、こまめに日記でもつけていなければ、その経緯はすぐにわからなくなってしまいます。でも、こういう渡し方をしていると、日記をつけなくても、少なくとも受け渡しの記録は残っていくのです。さらに、浄書ソフトなので、何小節書いたかもすぐわかります。

曲はまだ完成していませんが、今までに送った記録を中間報告してみましょう。送信日、タイトル(すべて仮題)、[  ]内は小節数です。

・7月1日 午后の授業[118]

・7月11日 ケンタウル祭の夜[48]

・8月17日 天気輪の柱[109]

・8月24日 銀河ステーション(1)[80]

・8月31日 銀河ステーション(2)[161]

・9月7日 北十字(ハルレヤ)[176]

・9月12日 プリオシン海岸(河原の礫)[67]、プリオシン海岸(大学士)[78]

・9月14日 アルビレオ観測所[73]、ほんとうの幸(1)[42]

・9月21日 ほんとうの幸(2)[168]、蠍の祈り[34]

・9月22日 青い森から流れる音いろ[98]、ジョバンニの嘆き[50]

送信日に金曜日が多いのは、週末の練習に間に合わせるためです。現在までのところ、合計1,200小節を超えました。

まもなく、ジョバンニは、カムパネルラとの別れの時を迎えます。せつないなぁ・・・。

聖玻璃の風

9月30日に、笙の演奏家・髙原聰子さんのリサイタルで、私の作品が演奏されます。篳篥独奏曲で、このリサイタルにゲストとして参加する中村仁美さんの演奏です。

笙 ミニ・コンサート

9月30日(日)14時 求道会館(東京都文京区本郷)

笙:髙原聰子、篳篥:中村仁美(ゲスト)

第一部:古典・・・演奏とお話

・平調調子

・盤渉調調子

・青海波

第二部:現代作品

・西部哲哉:天の夜曲(笙独奏)

・吉川和夫:聖玻璃の風(篳篥独奏)

・髙原宏文:笙のためのアリア(笙独奏) ほか

全自由席 3,000円

「聖玻璃の風」は、2005年にアサヒビール・ロビーコンサートのために作曲したもの。タイトルは、宮澤賢治「春と修羅」の一節によっています。

2007年9月22日 (土)

ラ・コンフィチュール

あいかわらず更新が滞っています。ネタがなくなったのではなくて、ずっと作品にかかりきっているためで、せっかく訪ねてくださっているのに申し訳ないです。かかりきりの作品はまだ完成には至りませんが、近々、中間「運行報告」を書こうかなと思っています。

そんなわけで、この二ヶ月、生活も何もムチャクチャになっていますが、ふと気がついたら、別の新作初演がある演奏会が、もう間近になってきました。

"Confiture コンフィチュール" とは、フランスの果物の砂糖煮、つまりジャムのことだそうですが、「ラ・コンフィチュール」という名前のユニットがデビュー・リサイタルをします。

若い4人の演奏家の専門は、ピアノ、オーボエ、コントラバス、パーカッション。でも、どうやらこれら以外の楽器もこなすらしい。オーボエがイングリッシュホルン持ち替えますなんていうことではなくて。なにやら、他に類を見ないユニークなユニットになりそうです。

プロデュースは、知る人ぞ知る辣腕ディレクター川口義晴さん。川口さんの手による編曲も得て、この編成としてはきわめて珍しい曲目が並びます。私も、新作を書かせていただきました。成瀬一裕さんが照明を担当してくださるというのも、楽しみです。

ラ・コンフィチュール~クレアシオン~ 9月28日19時 杉並公会堂小ホール

Photo

・J.S.バッハ:三声のリチェルカーレ

・サティ:ヴェクサシオン(4+1/840)

・吉川和夫:アンティフォニーⅥ(委嘱・初演)

・サティ:シネマ(映像付き)

・新垣 雄:沖縄のわらべ歌集より(委嘱・初演)

・ラヴェル:ボレロ  [演奏順不同]

井口真由子(ピアノ)、大城由里(オーボエ)、佐野央子(コントラバス)、新城二奈子(パーカッション)

全自由席 2,500円 詳細は、井口さんのブログをご覧ください。→http://www.igumayu.com/recital.html#tokyo

10660e0bs リハーサルのスナップです。撮影は井口さん。

2007年9月13日 (木)

オペラ「クラブ マクベス」

こんにゃく座公演、林光さんの新作オペラ「クラブ マクベス」を観る。東京・三軒茶屋、シアター・トラム。

人生の日常に疲弊したサラリーマン風の「男」が、クラブ「マクベス」と書かれた奇妙な店に引きずりこまれ、妄想の中でマクベス劇を幻視する。シェイクスピアの「マクベス」を、「現実」の視点で見ている「男」が(もちろん、それも虚構だが)いるというわけだが、彼の現実と妄想の境目は、いつしか消失していく・・・。

台本も書いた髙瀬久男さんの演出はとても丁寧で、舞台も美しい。音楽は、物語の悲劇をことさら強調したりはしない。そして、全体的に厚く書き込まれたものではないが、必要十分な緊張感を醸し出す。譜面はシンプルだと思うけれど、練習は簡単ではなかっただろうなぁ。

「男」を演じた大石哲史さんは、いつもながら安定した存在感。劇中のマクベスの佐藤敏之、坊主頭が異様に似合う冨山直人マクダフ、魔女より怖い岡原真弓ヘカティはじめ、すべてのキャストが好演。初演ゆえ、水も洩らさぬというわけにはいかない箇所もあるように思えたが、上演を重ねることで作品は育っていくだろう。

マクベス劇、それに「男」にとっての「現実」、ここまでが虚構、そして観客である私たちは、私たちの身の回りである本当の現実を含めて三重構造を体験しながら、「男」同様、いつしか境目を見失っていることに気づく。観念だけで構築されたものではなく、観ていて面白い作品。重い悲劇性の中にキッチュな見世物的要素が、(魔女が焚き火に降りかける薬ではないが)程よく配合されたことも、楽しさの一因だろう。16日まで。

2007年8月14日 (火)

15番と17番、など。

Photo12日(日)午後、創る会の演奏会に行く。四谷区民ホール。

創る会は、会員である合唱愛好家が拠出する会費によって、作曲家に合唱作品を委嘱し、会員の手で初演する。演奏に参加する人たちは全国から集まって、演奏会のために集中練習をするそうだ。今までに、17曲の新作が発表されている。

今年の委嘱によって生まれたのは、間宮芳生「合唱のためのコンポジション第17番」。8月12日付けの記事で林光「原爆小景」について書いたけれど、「合唱のためのコンポジション」の記念すべき第1番が書かれたのも、「原爆小景」と同じ1958年なのである。

プログラムは、まずはモンテヴェルディの3曲のマドリガーレ。間宮合唱作品の出発点は、日本民謡と同時にマショーやモンテヴェルディなどルネサンス合唱作品にある。間宮先生自身「モンテヴェルディと並んで私の書いた音が鳴るのは、大きな幸福です。」と、プログラムに書いておられる。

2曲目は、合唱のためのコンポジション第15番「空がおれのゆくところについてくる」。これは、2002年に児童(女声)合唱のために書かれたものだが、今回は「おじさん、おばさんが歌ってもいいことにした」と作曲者がふざけておっしゃるように、大人の合唱によって歌われた。つい最近楽譜が出版されて、送ってくださったのを見ながら聴く。隣席には作曲者。開演前に遠くから会釈をしたら、わざわざ席を移ってこられたのだ。

15番の歌詞は、アメリカ先住民族と古代アルメニアの口承詩。児童合唱で歌われたら、キラキラ輝いて素敵だろうなぁと思う。だが、大人にとってはそれほど難しい音ではないし、長い曲でもないから、「おじさん、おばさんが歌ってもいい」のならば、コンポジション入門として最適だ。簡素な音使いでありながら、とてもコンパクトに引き締まった佳品。

さて、初演された17番は、混声合唱のための作品で、「七戸」「宇曾利」「牡鹿」の3曲からなる。テキストは3曲とも、菅江真澄が著した、今はフシが失われてしまった民謡の詞章と、旅日記の文章。世界規模の口承詩が歌われたいくつかのコンポジションとは違い、日本の東北(青森と宮城)に題材を得ていることもあってか、構成的にも音楽的にも落ち着いた作品という印象。かつて16番の初演を聴いて、私は思わずぶっ飛んだが、それとは違い、モンテヴェルディに通じる響きの美しさ、色っぽさがある。

最後のステージは、「合唱のためのエチュード」。間宮作品を歌うためのエチュードであると同時に、さまざまな歌や響きのスタイルを勉強するのに最適な演奏会用エチュードである。現在までに8曲が書かれている。いずれも長くないそれぞれの曲にはテーマが決まっていて、「風流」「リズムエチュード・唱歌」「ハーモニー」等という具合。コンポジションのスケッチを垣間見ているような楽しさ。

全ての指揮は、田中信昭先生。会費で委嘱料をまかない、会員が演奏して初演するというこのなかなか困難なプロジェクトを支え続けているのは、合唱創作への信昭先生の熱意にほかならない。ただ、演奏会としての宣伝が行き届いていないのか、夏休みのど真ん中と言え、客席が寂しいのが残念だった。

写真は、四谷区民ホールのロビーから撮ったもの。あまりにも天気が良すぎて、新宿御苑の森が真っ暗になってしまった。

2007年8月12日 (日)

夏、川のほとりで

Photo 8月9日、「林光・東混 八月のまつり」を聴くために、第一生命ホールに行く。

以前の第一生命ホールは日比谷にあり、二十数年前、私の最初のオペラが初演された会場でもあった。歴史を感じさせる建物で、どっしりと落ち着いた雰囲気が懐かしい。今は、隅田川沿いの晴海トリトンスクエアという今風なコンプレックスの中に移っている。

「八月のまつり」は、毎年、林光さんの合唱曲「原爆小景」を東京混声合唱団が演奏する催しで、今年でもう28回目になるそうだ。この時期、まだ仙台にいることも多いが、神奈川の家に戻っている時は聴きに行くようにしている。今年も指揮は、作曲者の林光さん。

原民喜の詩による「原爆小景」は、1958年に第1曲「水ヲ下サイ」が発表されて、大きな反響を起こした後、1971年に「日ノ暮レチカク」「夜」が書き継がれ、2001年「永遠(とわ)のみどリ」で完結した。「今後百年、草も生えないだろう」と言われたという焼跡の広島で書かれた「ヒロシマのデルタに 若葉うづまけ」という言葉が音楽になるのには、40年以上の歳月が必要だった。

やはりこの作品は、私たち日本人にとって「特別な作品」であると、あらためて思う。全4曲が書き継がれるのに要した40年の歳月は、林さんのその間の作曲スタイルの変化をも反映しているが、それにも関わらず、いやそれゆえに、詩と音楽とが向き合ってきた歳月の重みが伝わってくる。また演奏も、回数を重ねて十分に練られているだけに、端正にして透明。一時の感傷や安直なプロパガンダではなく、この厳しいテーマの深みに芸術的に迫る。

かねてから思っていたことだが、誰でも少なくとも一度は、広島と長崎の原爆資料館を訪ねるべきだし、丸木夫妻の絵画を見て、林光「原爆小景」を聴くべきだと思う。「誰々はこのようにすべき」というような口調は好まないが、このことだけは特別だ。

2005年に書かれ、2007年に新たな章が加わって完結した「とこしへの川」は、竹山広の短歌を詞として、ナガサキを扱う。合唱が響かせる音の帯、もしくは音の川のあわいに、ヴァイオリンとピアノが浮かび上がる。山田百子さんと寺嶋陸也さんの分をわきまえた演奏が、曲の流れを的確に引き締める。

プログラムの後半に演奏された「四つのイギリス民謡」は、岩田宏さんが自由訳で訳詞を付けたもので、1962年の編曲とのこと。私は初めて聴いた。とても素敵な編曲だ。こういう曲があまり歌われてこなかったとすれば、もったいないことだ。

最後は、中山晋平生誕120周年を記念しての「中山晋平歌曲集」で、新編曲も含めて6曲。「シャボン玉」は、詩人・野口雨情の、生まれて間もなく逝った愛娘への思いに添うように、儚く美しい編曲。「鞠と殿様」の意表を突くピアノ・パートといい、いつもながら林さんの職人技に感嘆させられる。「カチューシャの唄」と「ゴンドラの唄」は、「日本叙情歌曲集」の中で既に発表されていたものだが、このように中山晋平作品がまとめられるのは嬉しい。実は私は、結構晋平ファンなのである。

2007年7月 9日 (月)

青葉山にシャンソンが流れる、夕暮れ近い五時間目

授業記録記事の更新がすっかり遅れてしまい、申し訳ないです。現在、3週間くらい遅れ中。

現代芸術論第9回(6月19日分)。テキストに、シャルル・トレネとエディット・ピアフが載っているので、まとめてシャンソン特集。

授業の最初、学生くんたちに「シャンソン知ってる?」と尋ねてみた。ある程度予想していたことだが、「枯葉」はかなりの人数が知っていると手を上げた。「愛の讃歌」で3分の2くらいに減った。「パリの屋根の下」「サン・トワ・マミー」は数人、「モン・パパ」「パリ祭」に至っては、20数人のクラスの誰も手が上がらない。

もはや年寄りの戯言にしか聞こえないかもしれないが、私が子どもの頃、これらの歌は当たり前のようにそこいらから、たぶんテレビから聞こえてきて、誰に教えられなくても知っていた。今でも現役の石井好子氏はもとより、越路吹雪、岸洋子、芦野宏、高英男といった日本のシャンソン歌手たちが、わかりやすい日本語で盛んに歌っていたからだろう。NHKの「みんなのうた」でも、取り上げられていたと思う。

さて、この日の音楽メニューに添って、少しずつコメントを付けていこう。

シャルル・トレネ
1. ドゥース・フランス[優しきフランス](シャルル・トレネ詞・曲)
2. ラ・メール(シャルル・トレネ詞・曲)
3. ブン(シャルル・トレネ詞・曲)

トレネは知らなくても「ラ・メール」は知っている。いや、「ラ・メール」というタイトルは知らなくても、大抵どこかで聴いたことがあるだろう。先ほども、テレビで車のCMに使われていた。トレネのレパートリーは明るい。人生の機微は、ここではほんの小匙一杯の苦味でしかない。「ドゥース・フランス」も、ナチ占領下で密かに歌われていたという愛国歌だが、そういうエピソードは、トレネの明るさにはあまり似合わない。だが、こういう歌手がいたこと自体が、シャンソンの草分けという功績以上に、何となくホッとさせられる。

イヴ・モンタン
◎ 枯葉(ジャック・プレヴェール詞、ジョセフ・コスマ曲)

シャンソンの定番だからと言って馬鹿にすべきではない。授業で大きなスピーカーでかけたら、耳タコのはずなのに、あらためて名歌、名唱であることがわかる。

ジョルジュ・ミントン
◎ モン・パパ(ルネ・プジョール、シャルル・ボッチエ詞、カジミール・オベルフェルド曲)
榎本健一
◎ モン・パパ(白井鐵造訳詞)

原語と邦訳との聴き比べ。これはもう、訳詞の見事さに恐れ入るばかり。原詞の意味を正確に押さえながら、メロディーに無理なく乗る日本語、それもとびきり面白い言葉を選んだ白井鐵造の仕事はすごい。「ウチのパパの大きいのは、靴下の破れ穴」など、それこそ昔から知っている訳詞だが、あらためて感服する。

ジョルジュ・ブラッサンス
1. 修道女の伝説(ヴィクトル・ユゴー詩、ジョルジュ・ブラッサンス曲)
2. ゴリラ(ジョルジュ・ブラッサンス詞・曲)
3. ポルノグラフィー思考(ジョルジュ・ブラッサンス詞・曲)

ブラッサンスは、いつからかわからないが、私の大好きな歌手になっていた。誰かが教えてくれたのかも知れない。自由を阻むものを憎み、からかい、どん底の生業をする人たちへ暖かい眼差しを向ける。その結果、しばしば反体制的な姿勢を取ることにもなるが、それは私たちが学生だった時代の空気とも合っていたのだろう。当時は、何枚ものLPレコードが販売されていたけれど、現在国内盤はベスト盤のかたちをとった3枚だけという、残念な状況である。自らギターを持って、サブ・ギターとベースを従えただけの楽器編成。その反骨さ加減も含めて吟遊詩人の伝統を引き継いでいるこの渋い男の歌は、今でも決して古びていない。

エディット・ピアフ
1. パダン・パダン(アンリ・コンテ詞、ノルベール・グランズベール曲)
2. 谷間に三つの鐘が鳴る(ジャン・ヴィヤール詞・曲)
3. 群集(エンリケ・ビセオ、ミシェル・リヴゴーシュ詞、アンヘル・カブラル曲)
4. 愛の讃歌(エディット・ピアフ詞、マルグリット・モノー曲)
5. アコーディオン弾き(ミシェル・エメール詞・曲)

芸術的歌曲と呼ぶべき名唱「谷間に三つの・・・」、映画のワンシーンのような「群集」、そして、トレネでは一匙の苦味でしかなかった人生模様は、ここに来て身を切り裂く痛みとなる。「パダン・パダン」も「愛の讃歌」も「アコーディオン弾き」も、崖っぷちに立ちながらあえかな希望を見出そうともがく姿を、残酷なまでにリアルに映し出す。歌とは、何と恐ろしいものなのだろう。

最後は、シャンソンの精神でたくさんの美しい歌曲を作曲したプーランクの即興曲第15番ハ短調。 「エディット・ピアフに捧げる」という副題が付けられた、小品ながら印象的な1曲。

シャンソンのCDを入手するのは、今では思いのほか楽ではない。それぞれの歌手のアルバムは少ししか見つけられず、ベスト盤のようなものに頼るしかない。その中では、4枚組のシャンソン・ベスト100(EMIミュージック・ジャパン TOCP-67881)は、全曲の解説・対訳が整ったとても良いものだ。

しかし、今の若い人たちにとって、シャンソンはナツメロに近いものとして映るのだろうか。現在の音楽産業での扱いもそれに近いし、シャンソンの代替となるような新しい歌のジャンルも見当たらない。

すぐれた歌の歌詞やメロディーは、人間について、社会についてのさまざまなことを教えてくれる。だが、今の若い人たちが、そのようにして歌から学ぶ機会がないとすれば、彼らは一体どうやって大人になっていくのだろう。

2007年6月18日 (月)

映像のショスタコーヴィチ

現代芸術論第8回(6月12日分

音楽記録映画「ショスタコーヴィチ」を観る。ずいぶん昔に市販されていたVHSテープで、1967年ソ連「中央科学映画」製作、A. ゲンデルシテイン監督。DVD化されている様子はないようだ。

この映像は、いわゆる「冷戦」の時代に作られた。そういった社会的背景を背負っているためだろうが、久しぶりに見直してみると、「偉大な国民的作曲家ショスタコーヴィチ」の仕事に焦点を当てたソ連の国策的映画という感は残る。

第7交響曲を作曲しているショスタコーヴィチの部屋の外では、第二次世界大戦空襲のすさまじい爆撃音がしている。戦争にひるむことなく作曲を続けたと訴えたいのだろうけれど、現実にはあり得ないシーンだ。

「ショスタコーヴィチの証言」という本が1980年に出た時には大きな話題になったし、読んでみると驚くことがいっぱいで、とても面白かったのだが、現在ではこれはほぼ偽書であるということになったらしい。しかし、内容のすべてがデタラメというわけでもないように思う。ショスタコーヴィチの交響曲が身にまとっている悲劇性は、作曲者自身の言葉を待たずとも、戦争のみならずスターリン独裁政権下の恐怖と無縁だとは言えないだろう。

ソ連共産党第一書記フルシチョフによるスターリン批判が発表されたのは1956年。この映画は、それからさらに11年が経ってから作られているわけだが、ショスタコーヴィチとスターリンとの暗闘について、映画ではほとんど何も語られない。あるいはショスタコーヴィチ本人が、口をつぐんでいたからかも知れない。しかし、第8交響曲第3楽章から第4楽章にかけての緊迫した音楽が、ショスタコーヴィチが心臓疾患で運ばれることを象徴する救急車の映像に重ねられるのは、作曲者としては苦々しい思いだったに違いない。そんな映像のために書いた音楽ではないからである。ちなみに、この映画が作られた時は、ショスタコーヴィチはまだ存命中だった。

そんなわけで、記録としてショスタコーヴィチを正しく捉えているかという点ではやや疑問が残るのだが、それにも関わらずこの映像が一見に価すると思うのは、当時のソ連の最高の音楽家たちの演奏風景をも、同時に観ることができるからだ。ムラヴィンスキー、コーガン、リヒテル、ロストロポーヴィチ、ヴィシネフスカヤ、オイストラフ・・・。そして、何よりもショスタコーヴィチ自身の姿がたくさん映っているのが大変貴重である。

近年、「ショスタコーヴィチの反抗 戦争交響曲」というDVDが発売された(ラリー・ワインスティーン監督)。ゲルギエフが音楽監修の立場で、ロッテルダム・フィルを指揮するだけでなくインタビュー出演もしている。こちらは、ショスタコーヴィチとスターリンとの暗闘、ショスタコーヴィチの音楽に戦争が落とした影を描いている。当然ながら画質も音質も良い。歴史的解釈も新しいものかも知れないが、「証言」に寄り添うような内容になっているのが少し気になる。思わず目をそむけてしまう実写映像も含まれている。そして、テーマを限っているために、扱われる音楽も交響曲の第4番から第9番までが中心となっている。ソ連の巨匠たち総動員で、協奏曲や室内楽や映画音楽も聴こえてくる67年版VHSの方が、音楽的には多様だ。さらにDVDの方は、ショスタコーヴィチ自身の映像がとても少ない。

67年版VHSと90年代DVDのどちらも、隔靴掻痒の感は残る。一人の作曲家の人生がたかだか2時間の映像におさめられてたまるかということはともかくとしても、ショスタコーヴィチという作曲家が生きた時代の特殊性が、彼に独特の複雑さを背負わせているためでもあるだろう。

2007年6月11日 (月)

レクオーナとキューバの音楽

現代芸術論第7回(6月5日分

エルネスト・レクオーナ(1895~1963)は、クラシックを学んだのち、作曲家、ピアニスト、バンドマスターとして活躍した。クラシックとキューバ音楽とを繋ぐ仕事をしたということから、「キューバのガーシュイン」と書かれているのを読んだことがある。クラシックと民衆音楽を繋いだという点では、6月4日に訃報が伝えられた羽田健太郎さんのことを思い出す

自作自演のディスクを聴く限り、レクオーナが作曲した作品は、隙間なく音を埋めるような技巧的なものが多い。分厚いテクスチュアやオクターブ重複がメロディーを飾る。即興風に聴こえるけれど、おそらくすべての音は書き込まれているのだろう。アルベニスのピアニズムを思い出させる音のアラベスク。

スペイン組曲「アンダルーサ」は、タイトルどおりスペイン音楽の風味が濃厚で、キューバの作曲家の作品という感じは、あまりしない。その中の「アンダルーサ」という曲は、アメリカで英語の歌詞がつけられて、「そよ風と私」というタイトルのスタンダード・ナンバーになった。「マラゲーニャ」も、よく耳にする曲である。他には、この組曲ではないが、「シボネイ」もラテンのナンバーとして知られている。

「アフロ-キューバン舞曲集」は、スペイン組曲と違う素材を扱っているとはいえ、基本的な音楽のつくりは似ている。西洋音楽の技術、方法を身につけた作曲家が、西洋音楽の視点を通してまとめたアフロ-キューバン音楽である。

中村とうよう氏選曲・解説による「キューバ音楽の真実」というCDが面白い(ライスレコードより発売)。

中村氏は、キューバ音楽は「聞けば聞くほど奥深さを感じる」と、ライナーノートに書いておられるが、解説を読みながら聴いていると、いつの間にかはまりそうになっていることに気づく。スペイン風な和音進行、アフリカ風の複雑なリズムやコール&レスポンス、ジャズの楽器編成やアラビアから来た楽器までが加わる豪華な世界音楽。キューバ音楽は、レコード店のジャンル分けでは「ワールド・ミュージック」だろうが、キューバ音楽自体がすでに「ワールドミュージック」に近いクレオールなのである。

「ボレーロ」「ルンバ」「クリオージャ」「グァグァンコー」「ダンソーン」「ソン」「プレゴーン」「モントゥーノ」「グァラーチャ」など、さまざまに音楽を類別する用語を、私はまだきちんと説明できないが、どうやら「ソン」がキューバ音楽の「肝」のようなものであるらしいことはわかってきた。

昭和のムード歌謡には、ラテン音楽からの影響を受けているものが少なくない。キューバ音楽を聴いていると、「コモエスタ赤坂」「夜の銀狐」などを思い出すことがある。若い方々は、この手の曲をご存知ないだろうと思うけれど、コード進行がかなり似ているのだ。スペインからラテンを経て、影響を受けたのだろうと思われる。ただ、キューバの歌は、後半にメジャーに転調したりする場合もあって、昭和ムード歌謡とはずいぶん湿度が違う。キューバの方が音楽的には高温低湿、日本は低温高湿である。

そもそも、キューバ音楽を聴くことになったきっかけは、映画「ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ」だった。2000年の封切のとき、評判を聞いて渋谷のどこだったかこじんまりした映画館で観て以来、何度か観ている。

6月5日には、Miyakyo Fine Arts Club (M-Fac)なる集まりの立ち上げに参加したので、その第1回として、この映画を話題にした。封切の印象と大きくは変わらないが、イブラヒム・フェレールやコンパイ・セグンド、ルーベン・ゴンザレスら、出演している魅力的な音楽家たちがすでに世を去ってしまったことに、時の流れを感じる。そして、カーネギーホール公演のためにニューヨークを訪れたキューバの音楽家たちが、エンパイア・ステートビルの展望台から景色を見ているシーンでは、貿易センターのツインタワーがはっきりと映っていることにドキッとされられた。

そんなわけで、この日は午後4時半くらいから8時前まで、キューバ音楽を聴き続けていたことになるけれども、もう当分はご馳走様・・・という気分にならないのは、やはりキューバ音楽が実に多種多様だからだろう。

2007年6月 9日 (土)

デューク・エリントン

現代芸術論第6回(5月29日分

DVD「エリントン・ミュージック」Vol.1を観る。1920年代のニューヨークに始まって、コットン・クラブでの演奏風景、ハリウッド映画出演での演奏と続き、3人のスタープレイヤーたち(ジミー・ハミルトン、ジョニー・ホッジス、ベン・ウェブスター)のピックアップ、作曲家やバンドリーダー、ピアニストとしてのエリントンに焦点を当てるパートなど、演奏映像と関係者へのインタビューを中心に構成されている。丁寧に作られたDVDで、エリントン入門としても適しているだろう。

授業では、当初「ジャズ創生」の歴史を辿ろうかと思ったのだが、やめた。結局「ジャズ」は、エリントンとマイルス・ディヴィスを中心に聴けば良いと、最近は考えるようになったからだ。エリントンやマイルスを聴けば、その周囲にいたミュージシャンたちも同時に聴くことになる。もちろん、他にもたくさんの魅力的なジャズメンたちがいるけれど、それらの演奏や、まして創生の歴史なんぞは、「ジャズ」が面白くなった後からでも遅くはない。

A Duke Named Ellington というのがDVDのオリジナル・タイトル。彼の本名は、エドワード・ケネディ・”デューク”・エリントンといい、父はホワイトハウスの執事だったというから、良家の出と想像できる。「デューク」つまり公爵というのは、言わば呼び名。しかし、彼の仕事の重要性を考えると、決して大げさなものではない。

DVDを観て気づくのは、初期の、つまりコットンクラブやハリウッド時代のプレイヤーたちはともかく、ビックバンド・スタイルを確立した後の、さまざまなスター・プレイヤーたちの表情は、みな「楽隊屋」のそれではなく、実に毅然と、「芸術家然」としているということだ。エリントン自身がそうであることはいうまでもない。

彼は、バンド・マスターとして単に興行の取りまとめをしただけではなく、非常に厳しい音楽監督だった。また、自身は苦労しながらも、メンバーにはプライドに見合う額の給金を配ったという。さらには、「世の中の音楽には二つしかない。いい音楽とそうでない音楽だ。」という有名な発言は、彼にとって「ジャズ」というジャンルの枠がまったく無用なものだったことを示唆している。こうしたことが、彼のプレイヤーたちをして「芸術家然とした」表情をさせるに至ったのだろう。

余談だが、2004年にワシントンD.C.へ行った時のことを思い出した。

時間の空いた午後、私は、スミソニアン協会運営の博物館地区を、ナショナル・ギャラリー(国立絵画館)目指して一人で歩いていた。ふと道端を見ると、ポスターがある。ディジー・ガレスピーのトランペットの写真だった。途中でグニャリと曲がったトランペットだから、すぐわかる。国立アメリカ歴史博物館に展示してあるよ・・・というこのポスターに惹かれて、行ってみることにした。

国立アメリカ歴史博物館は、17世紀の新大陸入植以来のアメリカの歴史と文化を展示した巨大な博物館だ。子どもでも楽しめるように展示は工夫され、文化やスポーツ、エンターテインメントにも焦点が当てられている。

中があまりにも広いので、「文化」のフロアだけを見ることにしたが、展示品の「一点豪華主義」はなかなか愉快で、「映画『オズの魔法使い』でジュディー・ガーランド扮するドロシーが履いたルビーの靴」だの、「ベーブルースのサイン入りボール」、「モハメド・アリのグローブ」や「マイケル・ジョーダンのユニホーム」だのの「お宝」が、それぞれガラスケースの中におさまっている。たしかに、ディジー・ガレスピーの曲がったトランペットもあった。

それ以上に私の目を惹いたのは、「お宝展示」よりもう少し広いスペースを取って設けられていたエリントンとエラ・フィッツジェラルドのコーナーだった。

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エリントンのコーナーでは「ムード・インディゴ」の自筆楽譜が展示されていて嬉しくなった。複雑な譜面ではないが、きれいに見易く書かれた楽譜は、紛れもなくプロフェッショナルの手仕事だとわかる。Photo_35

エラ・フィッツジェラルドのコーナーでは、展示されていたビデオを見て、エラの歌声を聴いて、とても幸せなゆったりした時間を過ごすことができた。Photo_36

(写真はクリックすると大きく表示できます。ちなみに、多くの博物館では写真撮影は自由。また、スミソニアンの博物館、美術館は入場無料です。)

2007年6月 4日 (月)

カザルスとセゴビア

現代芸術論第5回(5月22日分まず、この日の視聴曲目を示そう。

バッハ:無伴奏チェロ組曲第1番 ト長調 BWV1007 [パブロ・カザルス(チェロ)]

バッハ:無伴奏チェロ組曲第1番 ト長調 BWV1007より 1. プレリュード

バッハ:無伴奏チェロ組曲第3番 ハ長調 BWV1009より 3. クーラント[アンドレス・セゴビア(ギター) ]

ポンセ:ソナタ第3番(1927)[セゴビアに献呈]より カンシオン ポストリュード

タレガ:アルハンブラの思い出(1896)

ロドリーゴ:ある貴紳のための幻想曲[セゴビアに献呈](1954)より カナリオ[アンドレス・セゴビア(ギター) ]

シューマン:アダージョとアレグロ 変イ長調 作品70(1849)

カタロニア民謡(カザルス編曲):鳥の歌[パブロ・カザルス(チェロ) ミエチスラフ・ホルショフスキー(ピアノ) 1961年11月13日 ホワイトハウス・コンサート]

カザルスとセゴビアには、いくつかの共通点がある。二人ともスペインの人であること。カザルスは1876年生まれ、セゴビアは1893年生まれと、カザルスが17くらい年上だが、ともに世紀をまたぎ20世紀後半まで活躍したのだから、同時代人と言って差し支えない。

そして、最大の共通点はそれぞれの楽器の「巨匠」であることだが、単なる「大演奏家」というだけではないところも共通している。

ためしに、チェリストに「あなたにとってカザルスは、『偉大なお父さん』のような存在だと思いませんか」と尋ねてみよう。否定するチェリストがいるだろうか?

同じように、ギタリストに「あなたにとって、セゴビアは『偉大なお父さん』のような存在だと思いませんか」と尋ねてみたい。好きか嫌いか個人的な好みはあるかも知れないが、カザルスがチェロに、セゴビアがギターに果たした功績の大きさに対して異論を唱える人はいないだろう。ロストロポーヴィッチが凄いとか、イエペスが好きとかいうのは、その後の話になるだろう。

これが、ピアノだったらどうか。「あなたにとって『偉大な父』は誰ですか」と尋ねたなら、実に様々な答えが返ってくるに違いない。ホロヴィッツ、ルービンシュタイン、リヒテル、ゼルキン・・・いやいや、グレン・グールドさと言う人もいるかも知れない(「父」という感じではないけれど)。

ヴァイオリンしかり。シゲティだ、いやティボーだクライスラーだ、いやいやハイフェッツだ、メニューイン、オイストラフ、ミルシテイン、スターン・・・。ちょっと思い起こすだけでも際限がない。

この空想は、カザルスとセゴビアの、それぞれの楽器における存在の大きさを表している。

カザルスは、それまでの奇妙な慣習を破棄して(彼以前には、練習中、右腕の腋の下に本を一冊はさんだまま弾かなければならなかったという)現代の奏法を確立したし、最もよく知られているのはバッハ無伴奏組曲を「発見」したことだ。カザルス以前には、いくつかの曲だけを弾くことはあっても、誰もこの組曲を通して弾こうとしなかったとは、現代ではむしろ想像できにくい。

セゴビアもまた、指の使い方などの工夫で美しい音色を響かせ、作曲家たちに新しいレパートリーを生もうとする霊感を与えた。それは、タレガによって確立された近代的奏法をさらに展開させるものになった。ポンセのソナタ、カステルヌオーヴォ=テデスコの「プラテーロと私」(ヒメーネスの美しい物語詩への付曲)などなど。それにセゴビア自身の編曲によるバッハの諸作品。

中でもロドリーゴ「ある貴紳のための幻想曲」は、最も優れた成果のひとつだろう。G.サンスという17世紀のギタリストがまとめたリュート曲を材料に、新古典的に構成したもので、レスピーギ「リュートのための古風なアリアと舞曲」やストラヴィンスキー「プルチネルラ」などと共通する手法である。古風な曲想が、爽やかな風に舞い上げられて空を翔る。「ある貴紳」とは、サンスとセゴビアの二人に向けられた讃であるという。

チェロもギターも古い伝統を持つ楽器だが、これらの存在価値を大きく発展させた「偉大な父」を持てたことは、何と幸せだろう。そして、「父」たちが持つ音楽に対する熱い心が、ディスクを通してさえ強く伝わってくる。これも大きな共通点だ。

今さら言うまでもないが、1961年のホワイトハウス・コンサートにおけるシューマンと「鳥の歌」は、世紀の大名演。そして、有名かと思うが、「パブロ・カザルス 喜びと悲しみ」は大変面白く、また素敵な本だ(アルバート・E・カーン編 吉田秀和・郷司敬吾訳 朝日新聞社 朝日選書439)。

2007年5月30日 (水)

大地が唸り声をあげるような・・・

すごいものを聴いた。堀米ゆず子ヴァイオリンリサイタル(仙台市イズミティ21小ホール)。

どのステージも堪能したが、あまりのことに、ふさわしい言葉がすぐに見つからないのが、エネスコの第3ソナタ。

初めて聴いた曲ではない。とても譜読みが大変そうな、複雑きわまる楽譜も持っているはず。ロマン派に根を張る第2ソナタと大いに違い、民族主義から養分を得てまったく独自の境地を切り拓いた作品・・・と、その程度の認識はあったのだが、そんな生易しいものではなかった。

装飾音に彩られた旋律は骨太であると同時にガラスのように繊細。装飾音は装飾であると同時に旋律の主体。ヴァイオリンとピアノとでうねり合い、螺旋状に高揚していく旋律。この果てしない旋律の作用で、どこへ連れて行かれるのかわからないまま、果てしないまま、この浮遊感が永遠に続いてくれることをさえ望むようになっていく。

肉声のくぐもりを帯びた旋律にはさまざまなモードが現れては消え、また別のモードが新しい音色を織り成すために生まれてくる。寒さ、暖かさ、懐かしさ、冷たさ、生と死・・・人間を包み込む様々なテクステュアが瞬時に入れ替わっていくような眩暈に似た音楽。

3楽章、大地が唸り声をあげて胎動するようなダイナミズム。こんなに力強く、こんなに原初的な音楽作品だったのか、このソナタは!

この曲は今夕が初挑戦であるという堀米氏のプログラムノートを、後で読んでまたびっくりした。それほど、曲の実体を掴みきった演奏だと感じたからだ。

エネスコは2曲目。1曲目はシューベルトのグランド・デュオ(イ長調、D574)。演奏は、散歩をしているうちに様々な景色が現れるような楽しさ。そしてナチュラルにしてノーブル。実にいい音楽だった。休憩をはさんで3曲目はドビュッシーのソナタ。背筋はまっすぐ、しかし絶望的なまでの孤独を見つめるドビュッシーの姿が見えたような気がした。かつてこの曲でそんなことを思ったことはない。なぜそう思ったのかわからないが。

堀米氏の生演奏に接する機会が、どういうわけか今までになかった。とても迂闊なことだったように思う。決して荒くならず細くならず、暖かくかつ厳しい。自然体でありながら、隅々までしなやかな音楽性に溢れている。こういう音楽が、今私たちには必要なのだ。

特筆すべきなのは、若いピアニスト佐藤卓史氏の大変な名サポートぶり。シューベルトの最初の1音から惹きつけられたが、特に、ヴァイオリンパートに負けず劣らず難しいエネスコのピアノパートを、少しの迷いもなく弾ききった腕は見事。

3曲のソナタのあとは、ラヴェル「ハバネラ形式の小品」、チャイコフスキー「感傷的なワルツ」、サラサーテ「ツィゴイネルワイゼン」を続けて演奏。アンコールはファリャ「スペイン舞曲(『はかなき人生』より)」とパラディス「シチリアーノ」。

このコンサートは、卒業生のtomoちゃんが誘ってくれました。tomoちゃん、ありがとう!

2007年5月27日 (日)

音の迷宮

廻由美子ピアノ・リサイタルを聴く。東京文化会館小ホール。

「音の迷宮 ~Labyrinth~」と副題の付けられたプログラムは以下のとおり。

*ジョージ・クラム「マクロコスモス第2集」より第1、第3曲

*バルトーク「ミクロコスモス第6集」よりNo.140~153

*J.S.バッハ「トッカータ ハ短調 BWV911」

*ヒナステラ「アルゼンチン舞曲集 Op.2」

*ジョージ・クラム「マクロコスモス第2集」より第11、第12曲

つまりバッハが中心にあって、クラムで始まりクラムで終わるシンメトリーだ。バルトークの後で休憩が入るが、休憩なしだったら、もっと意図ははっきりしただろう。演奏する廻さんと聴衆である私たちの集中力が持てばの話だが。

廻(めぐり)さんは、1987年に私の曲を弾いてくださって以来の友人。音楽以外のジャンル、文学や映画や美術などにも興味津々の人だから、こういうユニークなプログラムにもなる。

廻さんの音楽の面白さは、どんな曲でもアグレッシヴであることと、人柄と同様スウィングすることにあると思っている。人柄がスウィングってどうなんだ・・・と言われそうだが、そうなのだよ。レパートリーも、古典派前期か近現代、それにジャズ・テイストのものが多くて、ロマンティックに、いや乙女チックに歌い上げるようなものはまったく似合わない。ロマンティックな美しいメロディーだとしたら、彼女はきっとジャズのスタンダード・ナンバーのようにクールに弾くだろう。クールというのは冷たいのではなくて、カッコイイという意味。

アグレッシヴでありスウィンギーであることで、もっとも圧巻だったのはバッハだ。バッハのことを「海に出て行くことを恐がらなくてもよい、と言われているようだ」と、廻さん自身プログラムノートに書いているが、どんなふうに弾いても弾き方に合わせて面白く変貌してくれるのがバッハたる所以。ヒナステラは、彼女にはぴったりすぎるくらいのレパートリー。バルトークが意外に厄介で、いろいろ出来そうでいながら、実は結構気難しかったりする。

ジョージ・クラムは、廻さんがかなり好んでいるレパートリーなのではないかな。「黄道十二宮による12のファンタジー」なる副題があり、それぞれ「モーニング・ミュージック/創世記(蟹座)」(1)、「死の雨のバリエーション(魚座)」(3)、「銀河の鐘の連祷(獅子座)」(11)、「アニュス・デイ(山羊座)」(12)というタイトルが付けられていることもあって、何やら弾き始めと弾き納めを司る儀式のように聴こえる。

彼女のピアノは、いわゆるピアノみたいではなく、何か他の楽器かと思わせるように響くのが面白い。もちろんそれは、クラムで内部奏法を使っているからとかいうことではなくて、ピアノという楽器に対する廻さんの日常的なスタンスから来ているものだろう。

アンコールは、ビル・エヴァンス「ワルツ・フォー・デビー」。あぁ・・・そう来たか!このプログラムの後には、またとない絶妙なデザート。

1_9  文化会館中庭の眺め。受動喫煙を嫌う人は、この景色を楽しむことはできない。

2007年5月24日 (木)

日本フィル仙台演奏会2007(1)

同僚のテル先生が、授業で1年生ちゃんたちを連れて日本フィルの演奏会を聴きに行くというので、団員のカサくんにチケットを取ってもらい、私もお付き合いする。

日本フィルは、毎年この時期、東北を演奏旅行することが恒例になっている。新緑の美しい季節だから、団員さんたちにとってもきっと気持ちの良いツアーだろう。カサくんは大学の同級生で、お互いの都合がつけば、終演後に一緒に一杯やろうということになる。私が以前に勤めていた大学のある県に演奏旅行に来た時も、そんなふうにして一緒に呑んだ。在学中よりも卒業してからいろいろ話すようになった友人だ。

さて演奏会だが、開演のベルが鳴って、楽員が舞台に揃ったのを見ていたら、ひどく妙な気がした。なぜかと思えば、通常とは違う配置になっているからだった。指揮者(本名徹次氏)の指定とのこと。

弦は下手側から第1ヴァイオリン、チェロ、ヴィオラ、第2ヴァイオリンの順に並び、コントラバスは第1ヴァイオリンの後ろ。金管は、ホルンが左端、トランペット、トロンボーンと並んで、テューバが右端、その後ろにバスドラムがいる。ヴァイオリンが左右に開いて分かれるのは、それほど不思議ではないが、上手側の後ろの方が何だかガランとしていて、鏡越しに見ているようで、ちょっと気持ち悪い。コンサートは、シベリウス「フィンランディア」に始まったが、初めのうちは音の響き方も聴き慣れなかった。重低音の持続が左側から聴こえてくるのは何だか妙だ。それに、この並びだと、どうしてもテューバが孤立する。ピリオド楽器演奏の並びにヒントがあるかとも思うが、曲を選ぶ気がする。

グリーク「ピアノ協奏曲」は菊池洋子氏の独奏。ロマン派ピアノ協奏曲の中でこの曲は、何度聴いても、私にはどうも「来ない」のである。グリークは基本的に好感を持っている作曲家だし、主題の美しさもわかる。チャイコフスキーやラフマニノフはそんなことはないのに、なぜだろうか・・・。ロマンティックの安売りみたいな演奏になりがちだからだろうか。大げさな身振りや嘆き節や泣き落としみたいになるのをやめてみたらどうだろう。だが、今回もそう思ったのは、おそらく独奏者のせいではない。このピアニストは別の機会にソロを聴いてみたいと思う。

後半は、リムスキー=コルサコフの交響組曲「シェエラザード」。生演奏で聴いたのはいつ以来だったのか記憶がないが、あらためてこれは生で聴くべき曲だと思う。生で聴いてこそ音色混合の面白さが伝わってくる。

曲の標題も内容もロマンティックでわかりやすく、クラシック入門として最適な曲のひとつだろう。同時に、作曲家的な目で見ると、オーケストレーション(管弦楽配置)のお手本のような作品でもある。しかし不幸なことに、オーケストレーションに興味を持って勉強しようと専門に首を突っ込んだ時には、もっと別のタイプの曲に興味が向くようになり、熟達した管弦楽法の技を持つこの作曲家のことなどどうでもよくなってしまう。「いい曲」と「オーケストレーションのいい曲」というのが必ず一致するとは限らないということを、この作曲家の作品は、心ならずも示してしまう。

だがやはり、「シェエラザード」が名曲であることに間違いはない。どのパートの誰もがおいしい曲。「弾いていても疲れないよ」と、カサくんは言った。

アンコールは、J.シュトラウス「エジプト行進曲」。あんまりテンポが重かったので違う曲かと思ってしまった。

終演後はカサくんが着替えて出てくるのを待って、小料理屋で魚をつまみながら、くだを巻く。くだの中身は非公開。彼は年齢でも在籍期間でも、このオーケストラではもうベテランといわれる立場だが、いつ会って話しても、オケマンとしてもっと良くありたいと上を向いている。その姿勢は素敵だ。

2007年5月22日 (火)

シェーンベルクとガーシュイン

現代芸術論第4回(5月15日分

シェーンベルクと・・・と言ったらウェーベルンかベルクか、つまり「新ウィーン楽派」と続くのが普通だが、ガーシュインと続けてみるのが、この授業のひねくれているところ。

シェーンベルク「ピエロ・リュネール(月に憑かれたピエロ)」は、20世紀最大の問題作であり傑作のひとつだが、しばらくぶりに引っ張り出してみて、あらためてその感を強くした。だが、今の若い人たちはこの曲をどう聴くのだろう。

感想を聞いてみると、意外に想像を裏切るものではなくて、あの歌い方、シュプレッヒシュティンメが醸し出す雰囲気に対する不安、不気味さといったものが真っ先に出てくる。それは、私などが学生の頃に初めて聴いてびっくりしたこととほぼ同じで、つまりシェーンベルクが1912年に取ったこの表現主義的な書法が、今なお有効に鮮度を保ち続けているということの証なのだろう。

では、十二音技法はどうか。これまた久しぶりに聴き直す「ピアノ組曲 作品25」も、やはり色褪せたとは思えない。和声的進行に依存する代わり、対位法的書法で変幻自在に操られたリズムは、古典組曲を模した確信犯的構成とあいまって、この曲を活気づかせている。この後、凡百の追従作品が現われては消えていった1世紀だったが、「元祖」は強いぞ。

今こそシェーンベルクを、20世紀後半の頭の痛くなるような「現代音楽」の始祖としてではなく、文芸キャバレーの出し物のように、もっと気楽に愉快に楽しむことはできないだろうか。カフカの作品が、仲間内では爆笑しながら読まれていたように。作品24「セレナード」の冒頭楽章など、相当にぶっ飛んでいて面白いと思うのだが。

シェーンベルクが、初めて完全な十二音技法で「ピアノ組曲 作品25」を書くべく苦闘していたのは1923~25年。ちょうど同じ頃、1924年、アメリカではガーシュインが「ラプソディ・イン・ブルー」のオリジナル(ポール・ホワイトマン・オーケストラ)版を作曲していた。ピアノの「3つの前奏曲」が1926年。

ほとんど同時期に、これほど違うことがウィーンとニューヨークで起こっていたというのが面白い。当時は、まだお互いのことを知る由もない。だがこの二人の仕事は、クラシック音楽の語法、領域を大きく広げることになった。シェーンベルクは音を組織化するための新しい方法によって。同時に、対位法を磨くことで生みだされる斬新なリズムによって。ガーシュインは、こちらもリズム、だがシェーンベルクとは出自のまったく違うリズムが音楽を推進させる、その音楽的スタイルによって。同時代の音楽語法の変革者は、彼らのほかには、古代旋法を持ち込んだドビュッシーと、民衆音楽を解体、再構成したストラヴィンスキー、バルトークの名前を挙げておけば良いだろう。

本来ならば出会うはずのなかった二人の作曲家が、実際に出会うという奇跡が起こる。いや、奇跡というよりアクシデントと言うべきかも知れない。少なくともシェーンベルクにとって、二人が出会うことになった経緯は不本意なことだったのだから。

ナチスに追われた亡命ユダヤ人シェーンベルクは、カリフォルニアでガーシュインと出会う。対するロシア系ユダヤ人の移民の息子は、その頃ハリウッドの仕事をしていたのだった。

二人がテニス友だちだったことは、割合よく知られている。テニスの腕前はガーシュインの方が上手だったようだが、24歳若い分だけ当然かも知れない。だが、彼らの交友はテニスだけにとどまるものではなかった。シェーンベルクはガーシュインの音楽を認め、ガーシュインはシェーンベルクの音楽を一生懸命勉強していたという。

交友は長くは続かなかった。ガーシュインの早世によって断ち切られてしまったからだ。短い生涯の中では到底活かしきることのできなかった優れた才能について、シェーンベルクは哀惜に満ちた小論を発表している。

「多くの音楽家はジョージ・ガーシュインを芸術作曲家と見なさなかった。しかしわれわれは、彼が、芸術か否かにかかわらず作曲家つまり音楽の人間であり、芸術か否かにかかわらずあるいは深遠か浅薄かにかかわらず、音楽を通してすべてを表現したということ、そしてそれは音楽が彼の母国語だったからだということを理解しなくてはならない。(中略)・・・私は、彼が芸術家であり作曲家であることを知っている。彼は音楽の観念を表現した。そしてその観念は、表現した方法と同様、斬新であった。」(「もうひとつのラプソディ~ガーシュインの光と影」ジョーン・ペイザー著、小藤隆志訳、青土社)

シェーンベルクとガーシュインを並べて語るのは奇異に思われるかも知れない。だが、それによって、ある時代の諸相が見えてくるのもまた確かなことだと思う。

2007年5月18日 (金)

音を旅して海の幸に群がる

不勉強ながら、その曲を聴いたのは初めてだった。そもそもこの作曲家がピアノ曲をどのくらい作曲しているのか、私はよくわかっていないのだ。100曲くらいある?いや、まさか・・・。

「アンダンテと変奏曲」と名付けられたその作品、「いい曲よね~」と言う姐さんにもちろん同意。だけど、いったい構成はどうなってるのだろう?

「へ短調の後に出てくるヘ長調のところは何なの?」「あれも主題なのよ。」何だそりゃ。だからへ短調とヘ長調が、入れ子細工のように交互に現われるのか・・・。

「テーマが49小節あるの、しかも繰り返しがあるからもっと長い。」うへ・・・そんな変奏主題ありかよ。演奏時間は15分くらいなのに、変奏は2つくらいしかないのだ。はじめは別のタイトルが付けられていたという。そもそも変奏曲として作曲する意図はなかったようだ。

姐さんは、その長大な主題のヘ短調を雪が静かに降り積もっていくように、ヘ長調を春の淡い日差しのように弾く。それらが代わる代わる聴こえてくるうちに、思いがけずドラマティックな展開に遭遇する。ファンタジーに溢れた曲であり、物語を引き立てる演奏だった。

その夜、仙台市内の日本料理屋さんのカウンターに並んだのは、今日の主役である姐さんを中心に、コンサートのスタッフとして東京から来られた秘書のI嬢、事務所のOさん、調律師のFさんと私。姐さんは私のことを「先輩」と紹介する。そうには違いないが、ちょっと変な感じだな。「メル友です」と私は応える。それもかなり妙だが。そして、この街の親しい人たちが呼ぶように、私も「姐さん」と呼んでおこう。

三陸の新鮮な海の幸、ホッキ貝、ツブ貝をはじめカツオやタコ等々の刺身盛が運ばれてくる。思わず歓声が上がる。

作品27の「変奏曲」は、かつてこの作曲家の音列分析をやってみた最初の作品だった。すべての音に数字がふられ、音列からはみ出す音が1つもない完全な十二音技法で書かれていることがわかった瞬間、で?それがどうしたの?という無力感に囚われたことを覚えている。音列分析をしてわかったのは、ウェーベルンがやたらと律儀な男だということだけだ。

鋭い切れ味というのとは少し違う。だが、今日の演奏からは、すべての音が有機的に繋がっていることがよく伝わった。革命的に音楽を変えた作曲家であり、影響を受けた多くの作曲家がその後を追ったが、「元祖」の音楽は、そのスタイルも構成も、今なおまったく新鮮さを失っていない。

ホヤをさばくところ見てみたいな・・・と、独り言のようにI嬢が言ったのをマスターは聞き漏らさず、カウンターの向こうで解説してくれる。

「水を吸うところと吐くところがあって、ここね、ここをこんなふうに切るとすぐ捌けるんですよ」

私たちは、みな立ち上がって覗きこむ。殻の中から鮮やかなオレンジ色があらわれる。今が旬のホヤの新鮮な美味しさに、目を丸くする。

突出して有名な、全曲の中心部分に置かれる「夢」の曲。だが、その曲はたまたま突出しただけ。前の曲にも後ろの曲にも影響を及ぼして、全曲で一つの、大人の夢うつつを紡ぎだす。子供の素朴なお伽話ではない。むしろ、大人が心に思う、失われた日々への愛惜。

「ガゼウニいかがですか。昨日初セリだったんです」女将さんが言う。

いかがも何もない。一人一個ずつ、殻についたままをスプーンですくう。初めは何もつけずに、次にわさびを少しだけつけて。絶品。「日本酒を一口飲んでみてください」とマスター。日本酒がウニの甘さを膨らます。飲む?と、ビールを手にしている姐さんにつごうとしたら、「もう全部食べちゃった」と言う。早いなぁ。

「ねぇ、専門でない学生さんたちに作曲させちゃうってすごいね。」と姐さんは言う。このブログ、2月15日あたりの記事を読んでくれているのである。自分の書いた曲を人の前で披露する恥ずかしさ(自分の作文を人に読んで聞かせる恥ずかしさと似ている)さえ乗り越えれば、ある程度の基礎的な音楽知識、技術があれば作曲は誰でもできる、と私は最近思っている。

「作ってみれば?」「とんでもな~い!そう・・・大学で習った対位法、嫌いだったなぁ」「あんなにバッハ弾いているのに?」「バッハは好きだけど、対位法は嫌いなのよ。」もちろん、厳格対位法は別物だからね。

さて後半の大曲。聴くのは実に久しぶり。世の中では、演奏回数が多いのはオーケストラ編曲版だろう。けれど、ピアノのオリジナル版の方が絶対面白い。そして、姐さんの演奏の特徴を多面的に出すことができるレパートリーだ。

友人の画家の遺作展からインスパイアされたというのは本当だろうか。そうだったとしても、音楽に描かれた散歩は、伝えられている話のようにのんびりしたものではないような気がする。

全曲の心臓部分にある「ビドロ」の衝撃はどうだ!ラヴェルは遠くからだんだん近づいてくる行列にしてしまったが、オリジナルではいきなりのフォルティシモ。まるで、民主化を求める集会に発砲して鎮圧しようとする国軍。あるいは、銃撃に傷つき階段を転げ落ちる罪のない人々の「血の日曜日」。

市場の喧騒は不気味な墓場に呑み込まれ、ひんやりとした洞窟では水滴がしたたり落ちる。あるいは不気味に跳梁跋扈する妖怪たち。美術作品を音楽で描写しているフリをしながら、実はもっと別のことを言おうとしていないだろうか。絵の向こうに透けて見える人間世界を。

炭火で焼いたニシンや穴子の白焼き、牛タン。そして山菜のてんぷらなどが並ぶ。どれもこれも美味。実は、姐さんはもちろんだが、東京から来たOさんもFさんも少しずつ仙台に所縁があるという。I嬢だけ「私だけ所縁がないなぁ」と言うけれど、彼女は私の郷里に住んでいたことがあるのだそうだ。こういう繋がりは面白い。みんなで海の幸、山の幸に思いきり群がった。

ひどかったわよね、と姐さんは言う。でも、この人が「今日は、うん、うまく弾けたかな」などと言うのを聞いたことがない。

「どこがさ?」

「弾けてない。恥ずかしい」

「あんだけ弾ければいいじゃん」

「だめだめ」

ひどい言いようだな、「あんだけ」って何だよ。

小山実稚恵ピアノリサイタルシリーズ[音の旅]第3回<自然の情景・なつかしさ・キエフの大門> ~うつりゆく情景~

2007年5月17日仙台市太白区文化センター楽楽楽ホール

・ハイドン:アンダンテと変奏曲 ヘ短調 Hob.ⅩⅦ-6

・ウェーベルン:ピアノのための変奏曲 作品27

・シューマン:子供の情景 作品15

・ムソルグスキー:組曲「展覧会の絵」

アンコールは、グリーグ「春に寄す」とシューマン=リスト「春の夜」。

次回、第4回は2007年10月23日(火)、楽楽楽ホールにて。

音の旅~仙台・ブログサイトはこちら→ http://otonotabi.exblog.jp/

2007年5月13日 (日)

ディアギレフとロシアバレエ団 1911~12

現代芸術論第3回(5月1日分。5月8日は、健康診断のため休講)

ディアギレフ率いるロシアバレエ団[バレエ・リュス]が1911~12年に行なった公演を、パリオペラ座バレエ団が1980年に復元した映像を見る。演出、美術、振付が当時の記録をもとに復元されている興味深い映像である(使用ディスクはLDで、この作品はまだDVDにはなっていない模様)。

今回視聴したのは以下の演目。ディスクには、この他に  《結婚》(ストラヴィンスキー)が収録されている。

     《ばらの精》(1場)[1912.5.15 初演,パリ・シャトレ劇場]

音楽=カール・マリア・フォン・ウェーバー(<舞踏への勧誘>ベルリオーズ編曲)

振付=ミハイル・フォーキン

装置・衣裳オリジナルデザイン=レオン・バクスト

     《牧神の午後》(1場)[1912.5.29 初演,パリ・シャトレ劇場

音楽=クロード・ドビュッシー(<牧神の午後への前奏曲>)

振付=ワツラフ・ニジンスキー

装置・衣裳オリジナルデザイン=レオン・バクスト

     《ペトルーシュカ》(4場)[1911.6.3 初演,パリ・シャトレ劇場〕

音楽=イーゴリ・ストラヴィンスキー

振付=ミハイル・フォーキン

装置・衣裳オリジナルデザイン=アレキサンドル・ブノワ

    《ばらの精》の初演は、ニジンスキーが踊った。この伝説の天才ダンサーの妙技はさすがに復元できないが、驚くべき跳躍力を持っていたというニジンスキーをもってすれば、この演目が観衆を大いに喜ばせたであろうことは想像に難くない。娘とばらの精との二人だけが出演するバレエだが、娘はほとんど最初から最後まで眠っているから、事実上「ばらの精を見せる」出し物なのである。バクストの美術、衣裳は奇をてらっているとは言えないが、よく見るとなかなか異形である。

  《牧神の午後》は、その初演がスキャンダルになったことが伝えられている。ニジンスキーが振付し自ら踊った意欲的な実験作だが、《ばらの精》のように華やかな跳躍技による見せ場などは皆無で、そのことも観衆の不興を買ったのだろう。

モダンバレエやモダンダンスを知る私たちにとっては、もはやそれほど奇抜には思えない。むしろ、ギリシャ彫刻やレリーフが動いているような視覚効果には様式的な美しさを感じる。だが、当時としては異様な作品として受け止められたことも理解できないわけではない。(スキャンダルの要因となった終結の部分での牧神のエロティックなしぐさを見ると、田山花袋「蒲団」を思わず連想してしまう私は変だろうか?)

《ペトルーシュカ》は、 《火の鳥》や《春の祭典》と並んで、ロシア習俗をパリの観衆に面白く観せた作品で。中でも 《ペトルーシュカ》は、ロシアの謝肉祭が舞台となり、人形芝居のアイドルが主人公になので、舞台装置も抽象的ではなく、大がかりな書割り道具が使われている。( 《春の祭典》の美術プランを見ると、作品全体が抽象的な設定であるにも関わらず、これもロシア色の強い衣裳、装置だったことに、少し意外な気がしたことがある)。

異国情緒に溢れ、異国の音楽(民謡)がふんだんに聴こえてくる 《ペトルーシュカ》は、意地悪く言えば「輸出用の」ロシア習俗であっただろう。そのことにパリの観衆は喝采をした。だが、ありきたりの民謡バレエにしないで、作曲上の数々の実験が(非難を受けなくてすむやり方で)できたおかげで、ストラヴィンスキーは、20世紀最大の傑作 《春の祭典》に辿り着けたのだと思う。

ディアギレフは、作曲家ではストラヴィンスキーやドビュッシーの他にも、ラヴェル、サティ、ファリャ、レスピーギ、ミヨー、プーランク、プロコフィエフらに、画家・美術家ではピカソ、マティス、ブラック、ルオー、ローランサン、シャネルらに、すなわち当時まだ駆け出しだった気鋭の芸術家たちに、舞台実現のプランを次々と託した。ディアギレフに対する毀誉褒貶はいろいろあるにせよ、彼の才能を発掘する目の確かさは比類がない。

もしタイムマシンがあったら行ってみたい時代がいくつかある。その一つが1910年代のパリだ。

2007年4月29日 (日)

マーラーの交響曲についてのごく些細なメモ

現代芸術論第2回(4月17日分) マーラーの交響曲を聴く。

「聴く」と言っても、マーラーの交響曲はいずれも演奏時間が長いから、ひとコマの授業では完全に聴くことはできない。そこで、第1番第3楽章と第8番の第1部をCDとDVDで。

マーラーについて、語りたがる人はたくさんいる。私はマーラーの熱心な聴き手であるとは言えないから、本当はこのテーマは私の任ではない。だが、そんなことばかり言っていては授業にならない。学生の頃から少しずつは聴いていたのだから、学生くんたちに紹介するのも無駄ではないだろうと思って、久しぶりにいろいろ聴き直している。

目新しい話ではないが、マーラーの交響曲の特徴を簡単にメモしてみよう。

・聖と俗(神聖なものと世俗的なもの)が併置される。民謡、軍楽行進曲などがコラージュのように突然差し挟まれたりする。 マーラー自身がフロイトに言ったとされる言葉によれば、「崇高な悲劇性と軽薄な娯楽性の併置」。

・楽器編成に、しばしば声楽が加わる(2、3、4、8番 と「大地の歌」)。例えば、「千人の交響曲」と称される第8番は、交響曲なのか?カンタータではないのか?と考えてしまうけれど、第1部の形式や主題労作を見てみると、紛れもなく「交響曲」であることがわかる。

・楽器編成に特殊楽器が加わる(第6番のハンマー、第7番のギター、マンドリン、第8番のオルガンやバンダ[別働隊]など)。独特のオーケストレーション。室内楽的な音色から大伽藍のような響きまで、幅広い表現のために、通常オーケストラの楽器とは見なされないものが加えられる。また、「音色旋律」(ひとつの旋律をいくつもの楽器が受け渡していく)も見て取れる。

・神経質なまでのテンポやディナーミク などの詳細な指示。他の指揮者を信頼していなかったのか?そもそもこの人は、他人を信頼するということがあったのだろうか?

・演奏時間が長い。最短が第1番の約55分、次が第4番で約60分。最長の第3番は約1時間40分かかる。東北新幹線「はやて・こまち」に乗って、仙台から東京まで行ってもまだ終わらない。だが、大構築物であるためには、また聴き終えた時に何かが天から降りてきたような達成感をもたらすためには、このくらいの長さは必要だったのかも知れない。

・アイロニー。例えば第1番の第3楽章は、「昔の童話の本にあるパロディ的な絵『狩人の葬送』」に由来していて、「森の獣たちが(おどけた様子で)死んだ狩人の棺に付き添って行進していく」というような説明が初演には付いていたそうだ。しかし、そんなふうに聴こえるだろうか?聴こえないとすれば、それは作者の思い込みか?演奏が的を外しているからか?

・最も重要に思われるのは、交響曲は、いずれもマーラー自身の世界観、宇宙観を披瀝したものであること。

・ごくごく簡単に言ってしまうなら、ドミナント-トニックという古典和声進行の効能を信じて書かれている。ドビュッシーは1894年までに「牧神の午後への前奏曲」を作曲し、時代は調性構造に拠らない音楽を生み始めているけれど、少なくとも第8番までは、ドミナント(にあたる部分)が延長され緊張感が強調されて、トニックに解決することで快感を得ようとしている音楽である。

「大地の歌」や第9番などでは、よく「死への想念、畏れ」との関連が言われる。マーラーが抽象的な「死」について考えていたことは確かだろう。だが、「死」に怯えるあまり実生活に支障をきたしていたというようなことは、あり得ない。なぜだと言うならば、どれでも良いが、例えば第9番の第3楽章の後半とかのスコアを、書き写してみてください。単に左から右へ書き写すだけだって、ものすごいエネルギーが必要だとわかるだろう。「死」に怯えて震えている人が、こんなスコアを200ページにもわたって書けるわけがない。作曲という営為には、体力も精神力も必要なのだ。

マーラーを今よりは聴いていた学生の頃、この作曲家はものすごく年配の人のように思えていた。だが、ふと考えると今の私は、すでにマーラーが死んだ年齢を通し越しているのだった。

昨年出版された村井翔氏の「作曲家◎人と作品シリーズ マーラー」(音楽之友社)は、読み物としてもなかなか面白く、また参考になった。柴田南雄著「マーラー 現代音楽への道」(岩波新書)は手頃だが、今は版元で品切れとのこと。

2007年4月25日 (水)

現音・仙台音楽展Ⅴ

仙台の戦災復興記念館ホールで、「現音・仙台音楽展Ⅴ 小池まどか・原田哲男デュオリサイタル」を聴く。

プログラムの前半は「日本現代音楽協会」に所属する仙台在住作曲家による作品、そして後半はコダーイ:ヴァイオリンとチェロの二重奏曲。

仙台の作曲家たちのネットワークはとても強い。大ベテランたちの強いリードによる部分も大きいけれど、こういうことは他の都市はなかなか珍しいことなのではなかろうか。十数人が組む「仙台作曲家集団」というグループもある。しかし、こういった活動には、この日の小池さんや原田さんのような実力ある演奏家の協力が不可欠である。お二人は仙台フィルの主要メンバーで、独奏や室内楽の活動にも積極的に取り組んでおられるが、新しい作品を演奏する姿勢は、献身的と言って良いほど真摯なものだった。

この日初演された作品について、ごく簡単に紹介しておこう。

佐々木隆二のデュオ「サラバンド」はミニアチュアの連作。ベルイマンの同名の映画にインスパイアされたということでこのタイトル。

本間雅夫:独奏チェロのための「展開」は、どこかにこの作曲家らしい「野太さ」を感じさせる。終結近くの深いモノローグが印象的。

門脇治「シャコンヌ~YOSAKOI」はヴァイオリンソロ。「いかにもシャコンヌ」に徹することが狙いなのだろう。そういう意味では狙い通り。

小山和彦「水流」は、作曲者のピアノで初演されたヴァイオリンとのデュオ作品。タイトルと音楽の内容との間にまったく齟齬がなく明解。

4つの新しい作品を聴きながら、「21世紀、『現代音楽』は、仙台においてオーセンティックに保存される」とさえ思えた。良くも悪くも。そしてもうひとつ、コンサートを聴き終えて印象的だったのは、コダーイのこころざしの高さだ。

2007年4月24日 (火)

アサヒビールロビーコンサート「松原勝也の現在」

授業は休ませてもらって、アサヒビールロビーコンサートに行く。東京浅草・アサヒビール本社ロビー

Photo_30 地下鉄浅草駅4番出口を出ると、目の前が吾妻橋。隅田川を渡った対岸に巨大な金色のオブジェが見える。左側の高い建物がアサヒビールの本社ビル。

ここでロビーコンサートが開かれるようになったのは1991年で、もう17年にもなるそうだ。ホームページで過去の記録をめくってみると、私はその年の8月のコンサートのために新作を書いているから、ごく初期の頃から知っていることになる。まだ「企業メセナ」なんていう言葉はなかったのではないかしら。

http://www.asahibeer.co.jp/csr/philanthropy/art-cul/lobby_new.html

さて第101回目のコンサートは、「松原勝也の現在」。松原勝也さんのヴァイオリンを軸に、ピアノの寺嶋陸也さん、ギターの鈴木大介さん、フルートの荒川洋さんとパーカッション奏者として伊佐治直さんが共演。プログラムは、ロルカ採譜による4つのスペイン民謡(伊佐治、林光、寺嶋、吉川和夫編曲)、伊佐治「散歩についての、3つか4つ」、吉川:ヴァイオリンソナタ第3番、後半が高橋悠治「冷たい風吹く地上から」、林「メメント」そしてプーランク:ヴァイオリンソナタ。前半と後半の終わりに「ソナタ」を置くという企画協力者・池田逸子さんの策略。スペインの詩人ロルカが、循環主題のようにプログラムの横糸となっている。

松原さんの演奏は、静岡音楽館などでもずいぶん聴いている。もしかすると、近年最も多く聴いてきたヴァイオリニストかも知れない。だが、作品を演奏していただくのは今回が初めてで、あらためて彼の表現の大きさに感服した。どんな曲も、松原さん自身の視点で捉えられ、彼の「個」としての表現が貫かれている。しかし、だからといって、どれも同じようになるようなことは決してない。ダイナミックにして繊細、そして一見クールに見えながら、火を吹くように熱くなる場面もある。表現の幅がとても大きくて、そういう意味でも寺嶋さんの演奏表現と音楽的に近いから、この二人は最強のアンサンブルだと思う。

1995年に作曲した私の第3ソナタは、8年半ぶりくらいの再演。久しぶりに聴いても、やっぱりずいぶん思い詰めた曲だなぁと思うけれど、阪神淡路大震災の直後に作曲した「震災ソナタ」だから仕方がないだろう。松原さん、寺嶋さんとも渾身の演奏だった。

この5日ほどの間に、プーランクのヴァイオリンソナタを、別のヴァイオリニスト、同じピアニストで聴くという珍しい経験をした(4月20日の記事参照)。「冒頭から終結まで一気に疾走する」と4月20日には書いたが、この日は少し違っていて、確かに疾走しているのだけれど、むしろ様々な要素、例えば次々と現れるシャンソン風なエピソードなどを積み重ねていく多層構造というふうに聴こえて面白かった。その分だけ、銃殺されたロルカの、あるいはそれを悼むプーランクの人生の様々な場面が透けて見えるような気がした。それにしてもこのソナタは、プーランクの作品の中でも傑作だと思うけれど、やはりずいぶん思い詰めているよなぁ・・・。

共演者鈴木大介さん、荒川さん、伊佐治さんも皆、凄腕を持った音楽家たちだから、どのステージもとても充実したコンサートだった。聴衆は300名を超え、会場内は立錐の余地もなかったが、途中で席を立つ人はほとんどいなかったと思う。

2007年4月20日 (金)

デュオリサイタルとブータン料理

東京、代々木上原にあるムジカーザに、寺嶋道子さんと陸也さんのデュオリサイタルを聴きに行く。

100名ほどで満員という小さな会場だが、プログラムはベートーヴェン:ヴァイオリン・ソナタ第5番「スプリング」、ブラームス:ヴァイオリン・ソナタ第3番、ラヴェル「優雅で感傷的なワルツ」(ピアノ・ソロ)、そしてプーランク:ヴァイオリン・ソナタという本格的なもの。チケットは完売だったそうだが、二人の実力を考えれば当然だろう。

古今の西洋音楽の名曲には、「目を瞠らせるような技術で書かれた作品」というものがある一方、「ただならぬことが起きているような気配」が充満している作品がある、と思っている。

「ただならぬ気配」ということを言葉で説明するのはちょっと難しいけれど、作曲者が何ものかに強く衝き動かされて書いたに違いないと思える数小節、数ページのことだ。そういう部分は、作曲者自身も、どうしてそんなふうに書いたのか、書けたのか、おそらく明確には説明できないだろう。「部分」と書いたが、楽章全体、作品全体ということもあり得る。

「ただならぬ気配」と私が思うものは、さまざまな形をとって現われる。「激情」の場合もあるし、「静謐」の場合もある。前者は、例えばショパン:第3ピアノソナタの両端楽章。後者は、例えばシューベルト:弦楽五重奏曲のアダージオ。

名演奏とは、曲の中に潜んでいる「ただならぬ気配」を見逃すことなくすくい取り、演奏者自身のアイデンティティとして表現することではないかと思う。それに対して、さほどの「気配」があるわけでもない曲なのに、演奏者が思い込みで「気配」を捏造したり、方向違いに増幅したりするのは「個性的な演奏」と呼ぶべきだろう。

「ただならぬ気配」を察知することができない演奏は、ただ「弾いているだけ」である。

このデュオリサイタルでプログラムに組まれた作品には、いずれも「ただならぬ気配」が隠されている。「スプリング・ソナタ」では例えば第1楽章の後半や終楽章に。ブラームスではとりわけ第3楽章に。ラヴェルは、冒頭からいきなり「ただならぬ」テンション。それがどんどん変容していくにつれて、「気配」の質が変わっていく。

寺嶋夫妻の演奏は、曲の中に潜んでいる「ただならぬ気配」を暴き出して、眩いばかりに光をあてた。それゆえ、いずれも名演奏だったとの称賛に値する。「暴き出して」という強い言い方をしたが、「ただならぬ気配」は楽譜を眺めているだけではわからず、演奏で強調することで初めて立ち上がってくることも多いのである。二人の演奏が掘り起こして気づかせてくれた「ただならぬ」パッセージもたくさんあった。また、どのデュオ作品でも、ピアノの低音が描くバスのラインが、ヴァイオリンを美しく際立たせていた。

そして、何といっても圧巻だったのはプーランクで、冒頭から終結まで一気に疾走するこの作品には、隅々に「ただならぬ気配」が溢れている。時折挿入されるシャンソン風な優しい旋律でさえ、この曲全体の枠の中では安穏を示唆するものではないことを、夫妻の演奏は示す。長崎市長暗殺、バージニア工科大学での銃撃と、恐ろしい事件が立て続けに報道されたのは、ほんの数日前のこと。未だ事件の続報が伝えられている中で聴くプーランクが書きこんだ銃声、詩人ガルシア・ロルカを殺した凶弾の音の象徴には、背筋が凍る思いだった。

アンコールは、グリークの第3ヴァイオリン・ソナタ(このソナタも、随所に「ただならぬ気配」がある)の第2楽章。プーランク作品の悲劇性を落ち着かせる最高のデザート。冒頭ピアノが提示するテーマのリズムの取り方は、ラフマニノフによる演奏(クライスラーがヴァイオリンを弾いている)に対する共感と敬意に満ちた陸也さんらしいものだった。

Photo_29 終演後、寺嶋夫妻を囲んで、コンサートを制作したピアニスト・斎木ユリさん、浅井道子さんらと、近くのブータン料理店で打ち上げ。

ブータン料理って何だ~?と誰もが訝しがりながら行ったのだが、きのこのオリーブオイル炒め(?)や大根の煮物、春雨と鶏肉の煮物など、いずれも野菜中心、しかもピリ辛で、ビールや玄米ご飯とよく合って美味しかった。

なぜか店のカウンターに下に、ベートーヴェンのブロンズ像が置かれている。「チベットのモーツァルト」ならぬ「ブータンのベートーヴェン」?

2007年4月14日 (土)

1900年 ミラノ パリ セントルイス

昨年度に引き続き、今年度も「芸術・文化(授業の余滴)」というカテゴリーに、「現代芸術論A」のメモを書き込みます。授業をまとめるために考えたこと、言い足りなかったことなど。

今年度は、小沼純一さんが編集したユニークな20世紀音楽入門書「あたらしい教科書8 『音楽』」(プチグラパブリッシング)を教科書にして、20世紀のさまざまな音楽シーンを切りとってみたい。第1回は、「1900年 ミラノ パリ セントルイス」。

まずは、カルーソーが歌うプッチーニから。

昨今「泣ける」音楽や文学が世間を賑わしているが、19世紀末~20世紀初頭のヨーロッパでも「泣ける」音楽・文学が、崩壊寸前の調性音楽の上に咲いた。プッチーニ「ラ・ボエーム」はその典型。

現代では「三大テノール」のCDが世界的なヒットになったりしたが、カルーソーは、録音技術の発達によってその演奏が世界中に伝播した最初の大スターといって良いだろう。存在感溢れる美しいテノールの歌声は、今聴いてもまったく色褪せることなく、当時厖大な枚数のレコードを売り上げたことも納得させられる。

ついでながら、「ラ・ボエーム」の二重唱を共演しているネリー・メルバの美声も忘れ難い。メルバは、オーストラリア出身のソプラノ歌手だが、その活躍ぶりは、母国の紙幣に肖像が飾られていることからも知ることができる。余談だが、「ピーチ・メルバ」というデザートは、ネリー・メルバのために作られたことからその名がついたのだそうだ。

プッチーニは、演劇として上演された「蝶々夫人」に心を動かされ、オペラの作曲に没頭した。1900年から1903年にかけてのことだ。その際、彼がどのような資料を見て「日本の音楽」についての情報を得たのか、興味深い。オペラ「蝶々夫人」の中には、「お江戸日本橋」「さくらさくら」などの旋律が、歌詞の本来の文脈とは無関係に引用され、音楽におけるジャポニスムの代表例としてもよく知られる作品となった。有名なアリア「ある晴れた日に」の直後の場面では、「宮さん宮さん」の旋律が聴こえてくる。

1900年、パリでは万国博覧会が催された。エミール・ガレのガラス工芸やアルフォンス・ミュシャのポスターや装飾などアール・ヌーヴォーで知られるこの万博は、会場の動力はすべて電力であったことや、開発されて間もない映画が公開されるなど、20世紀の生活、芸術を予告するものだった。夏目漱石も、ロンドン留学の途中立ち寄ったとされる。

反政府自由党の壮士・川上音二郎は、妻の貞奴とともに川上一座を率いて、サンフランシスコ、シカゴ、ボストン、ワシントン、ニューヨーク、そしてロンドンと興行の旅を経て、1900年パリにやってくる。一座は、「日本帝國演劇集団」としてパリ万博会場内の劇場に5ヶ月にわたって出演、ヨーロッパで公演した最初の日本人劇団となった。

驚くべきことに川上一座は、その際パリでレコード録音をしていたのである。一般には知られることなくイギリスのEMI社で眠り続けていたその録音は、1990年代になって発見されCD化された(「甦るオッペケペー 1900年パリ万博の川上一座」東芝EMI)。音二郎や貞奴その人の声は録音されていないが、彼ら一座のレパートリーや芸の一端を知ることができる。

授業を聞きに来ていたさとてぃ先生が、貴重な指摘をしてくださった。録音で聴くことのできる「オッペケペー節」は、飴売りなどのフシによく似ているそうだ。

「オッペケペー」は命がけの世相風刺ソングだが、まったく新しいフシが作られたのではなく、物売りの唄の一種の「替え歌」だったというのは、とても興味深い。一般庶民は、耳馴染んでいるフシに強烈な世相風刺の歌詞がついているのだから、面白がって喝采を送っただろう。

さて、川上一座の演目には、長唄、新内、三味線曲弾き、詩吟、歌舞伎役者の声色模写などさまざまなものが含まれる。

「ニューヨークの演劇学校で見た『笑い』の練習風景を真似てみます」という「笑いの試験」。西洋演劇の笑い方を真似る後ろには三味線の伴奏が付いて、ちゃんとひとつの「芸」にしているのが面白い。また、「才六 人肉質入裁判 白洲之場」という愉快な出し物は、見ての通りシェイクスピア「ヴェニスの商人」裁判の場面の翻案。「才六」はユダヤ人の金貸し「シャイロック」である。

そして、「こちゃ江婦志」という出し物では、「お江戸日本橋」そして「宮さん宮さん」が歌われる。プッチーニが川上一座を観たかどうかはわからない。だが、ジャポニスムが1900年代初頭のヨーロッパにおけるトレンドだったことは窺い知ることができよう。

川上一座は、アメリカで何を聴いただろうか。その頃セントルイスでは、スコット・ジョプリンが多くのラグタイムを作り始めていて、ピアノロール録音も残している。ジャズと呼ばれることになる音楽はまだ生まれていないが、黒人の音楽と西洋音楽は入り混じり、ジャズの萌芽が生まれ始めている。

川上一座も、歌や芝居を生業とした人たちである。異国の音楽にまったく興味を示さなかったとは思えない。スコット・ジョプリンそのものではないかも知れないが、彼らはアメリカのどこかでこのような音楽を耳にしたに違いないと、私は思う。

根拠のないことだが、そんなふうに考えていくと、同じ時代にいろいろな人たちが、別の場所で全然違うことをやっていながら、どこか繋がっていくように思えて楽しい。

追記:左サイドバー下の方「このブログで話題になった本」に、「あたらしい教科書8 『音楽』」を追加しておきました。

2007年4月 7日 (土)

自由学園明日館

友人であるバリトン歌手、谷篤さんのコンサートを聴きに、自由学園明日館講堂へ出かける。

明日館(みょうにちかん)は、羽仁吉一、もと子夫妻によって設立された自由学園の校舎として、1921(大正10)年に建てられたもの。学園は郊外へ移ったが、明日館はここに残り、現在は重要文化財に指定されている。

明日館ホームページ→ http://www.jiyu.jp/

1_3 設計したのは、旧帝国ホテルの設計で知られるアメリカ人建築家、F.L.ライト。2_6

満開を過ぎてしまっているのが少し残念だが、瀟洒な建物の品の良い色彩が、咲き残りの桜とよく調和している。3_2

それにしてもここは、池袋駅から歩いて5分くらいの場所。大通りからほんの一筋入っただけなのに、驚くほど閑静だ。

4_1 明日館から、細い道をはさんだ位置にある講堂の造りも、大変に美しい。こういう建物の中にいると、自然に和かな気分になる。客席には、教会のベンチのような椅子が並んでいる。

そもそも、数年前、谷さんがここでコンサートをするようになってから、私はこの建物の存在を知った。谷さんは、それまでいろいろな会場でコンサートを催してきたが、ここ数年はこの講堂を拠点のひとつにしている。不必要に肩を張ることなく歌うことができて、彼のやりたいことを実現するには最適なのだろう。

揚原祥子さんのピアノで、シューベルト、フォーレ、寺嶋陸也、林光をはじめ6カ国の「愛の歌」を、歌詩を朗読しながら歌っていく。客席の左右両側はガラス窓。午後3時半からのコンサートなので、時間の経過とともに、だんだん日が暮れていくのが感じられる。

ガラス窓一枚だから屋外の音も入ってくるが、それもまた一興。シューベルト「愛の便り」の朗読と重なって、絶妙なタイミングで鳥が啼くのが聴こえた。

2007年4月 1日 (日)

伝説のピアニスト~田中希代子のディスクを聴く

過日、CDショップの視聴コーナーで、何気なくヘッドフォンを取り上げた。曲は、ドビュッシー「ベルガマスク組曲」のプレリュード。

最初の数小節を聴いただけで、仰天してしまった。何だこれは!こんなベルガマスク聴いたことがないぞ!?

アグレッシヴと書けばこの感じは伝わるだろうか・・・。ドビュッシーに「アグレッシヴ」は変じゃないの?と言われそうだが、たぶんそれが一番端的に表現できる言葉ではないかと思う。「力強い」というのとも少し違うが、音楽をグイグイ引っ張っていく推進力があるのだ。立ち止まる曲想の部分でも、決して音楽が停滞しない。

その「アグレッシヴ」さは、「月の光」でも変わらない。分散和音はキラキラ輝きながらはじけ飛び、「甘く通俗的な名曲」という先入観を粉砕する。ストコフスキーがベタベタなムード音楽にしてしまった最悪の(私は大嫌いだが、ある意味興味深いとも言えないこともない)編曲があるが、その方向とはまるで正反対。

すごく美しい音だっただろうと想像できる。そして、ふわふわと曖昧に漂うだけがドビュッシーだなんて大間違いと思い知らされる。

「子供の領分」の「雪が踊っている」などは、切れが良くてミニマルミュージックのようにさえ聴こえる。併載の「前奏曲集」抜粋も含めて、それぞれの曲のキャラクターを個性豊かに表現しているところはコルトーの演奏に通じるようにも思うけれど、コルトーよりもっとヤンチャ。

この演奏者は一体誰かというと、伝説のピアニスト・田中希代子なのである。ご存知ない方のために、略歴を記しておく。

1932年生まれ。安川加壽子氏に師事、50年パリ音楽院に入学。52年ジュネーヴ国際コンクールで、イングリット・ヘブラーと1位なしの2位を分け合う。53年ロン=ティボーコンクールで4位。55年ショパンコンクールで日本人として初めて入賞(10位)。予選では上位10人がほぼ横並びだったのにこの結果(1位ハラシェヴィチ、2位アシュケナージで、田中は10位)は不公平であると、憤慨した審査員のミケランジェリが席を蹴って出て行ったと伝えられる。その後、パリやウィーンで演奏活動を行なう。67年帰国後体調を崩し、翌年膠原病と診断される。以後、演奏活動は途切れてしまう。80年脳梗塞で倒れ、半身不随となる。96年永眠、享年64歳。

ピアニストとして活動することができたのは、10年あまりだった。すごいピアニストだったという話は聞いていたけれど、その片鱗はCDにも記録されている。サン=サーンスの2つのコンチェルト(4番と5番)の、華麗さと力強さとのバランスが取れた演奏も心に残る。コンチェルトのソリストとは、本来こういうオーラを放つものなのだろうと思わせられる。

それにしても、あまりにも残酷な人生ではないか。健康で演奏活動を続けておられたら、間違いなく日本を代表する世界的なピアニストになり得ただろうに・・・。

2007年3月31日 (土)

Japanese Orchestras Performances 1930s-50s

YouTube に、こんな映像があるのを発見しました。

NHKが放送した番組をアップしたのだろうと思いますが、タイトルのように1930~50年代の日本のオーケストラ演奏の映像です。オリジナルはニュース映画のようですね。

http://www.youtube.com/watch?v=ehueWt2vTbY

全部で7分半ほど。山田耕筰、ローゼンシュトック、ストラヴィンスキーなどの指揮を見ることができますが、ほんの一瞬だけれど橋本國彦の指揮姿が映ったのには驚きました。それから、若き日のヤマカズ先生こと山田一雄(当時は和男)が指揮台から落ちそうな勢いで、マーラー「千人の交響曲」を振っているのも興味深いです。

ついでに、こんなものもありました。

http://www.youtube.com/watch?v=RgWiAvP6qHU&mode=related&search=

ストラヴィンスキー「火の鳥」組曲の子守歌から最後まで。アンセルメが指揮するN響。

2007年3月25日 (日)

「ゴイェスカス」とピノのこと

Y一さんとピノちゃんが結婚することになり、披露宴に出席した。

ピノはちょうど1年前に卒業して、今は市内の小学校の先生。卒業論文をお付き合いした関係で、テーブルスピーチをするようにお頼まれしたので、彼女が研究した「ゴイェスカス」のことなど、その頃のことをいろいろ思い出した。

「ゴイェスカス」は、スペインの作曲家グラナドスが作曲したピアノ組曲。はじめにこのピアノ組曲が作曲され、後にこれをもとにオペラが書かれたのだそうだ。逆ならわかるけれど、ピアノ曲からオペラが書かれるというのは、他に例を聞いたことがない。ピアノ曲の音楽のほとんどがオペラの中に組み込まれている・・・というのは、ピノの研究成果。

作品に惚れてこれを研究楽曲とした彼女が、おそらく最も悩まされたのは楽譜の問題だっただろうと思う。

出版されている楽譜は、完璧なものと思われがちだ。例えば、バッハやモーツァルト、ベートーヴェンといった、何百年にもわたって多くの人々が校訂作業をしてきたものはともかく、それほど研究の進んでいない作曲家や作品には、ありとあらゆるレベルの楽譜上のミスや不明な部分があったりする。例えば、臨時記号やナチュラル記号の付け忘れ、スラーやスタッカートといった標語の不統一などなど。前後関係から見て明らかにわかることも多いが、複雑な和音になると、理論から音を判断することが困難な場合も多い。同じような曲想が何度も出てくるのに、そのたびにニュアンスが違ったりするのは、作曲者がわざと変えているのか、校正ミスなのかわからない。

グラナドスの作品にも、ひとつひとつ音を調べていくうちに、特定できなくて迷ってしまうような音がたくさんあった。研究を進めて行く中で、彼女は近年校訂された楽譜(アリシア・デ・ラローチャ校訂)が海外で出版されたという情報を得て、すぐにそれを取り寄せ、ひとつひとつの音を再度緻密に検討した。それでもなお、いくつかの音は不明なまま残ったが、その多くを解決まで導いた根気強さは大したものだった。

もうひとつ印象に残ったことがある。

「ゴイェスカス」は、画家のゴヤの作品と関連があるのだが、堀田善衛著の「ゴヤ」という本、かなり厚い、全部で4冊からなる評伝をたまたま私が持っていたので、夏休みの前に「とりあえず1冊貸すから、続きも読みたかったら連絡して。でも無理しなくていいよ」と渡しておいた。実は、私も読み通していなかったのである。すると間もなく「続きも貸してください!」とメールが来たのだった。

すぐに残りの3冊を宅急便で送ったが、これはある意味、とてもピノらしいことだったなぁと思う。彼女が4冊を読破できたのかどうか聞いていないけれども、読破したならばもちろん、全部は読めなかったとしても、少しでも関係のある資料は手元に引き寄せておきたいという気持ちの表れで、そういう積極的な姿勢は、研究をする上で大切なことだ。

難曲であること、そして資料の乏しさを克服して、とても良い論文を書き、情感に満ちた演奏をした。卒業演奏は、組曲の中の「愛と死(バラード)」という曲だけだったが、披露宴で配られたカードの自己紹介に「好きな作曲家=グラナドス」と書き、私へのメッセージカードにも「ゴイェスカスを全曲弾きたいです!」と書いてくれていた。本当に好きなんだねぇ。見かけによらず(?)ラテンな女性なのかも知れないな。

Photo_25 Y一さんは学生オケの先輩で、誠実にして軽妙な人間味溢れる好青年。明るく芯の強いピノと、ふたりの人柄の表れた気持ちの良い披露宴だった。これから仕事と家庭の両立は大変だろうと思うけれど、それに加えていつか全曲演奏に挑む機会が来るのを楽しみに待とうと思っている。

2007年3月24日 (土)

仙台フィル第218回定期

沼尻竜典指揮による、仙台フィル第218回定期演奏会を聴く。

ウェーベルン「パッサカリア」、武満徹「系図」、そしてショスタコーヴィッチの交響曲第10番という、20世紀音楽のみによるプログラム。

ウェーベルンの作品1「パッサカリア」の冒頭、3管編成オーケストラの管楽器が居並ぶ前、ヴァイオリンからチェロまでの弦全員が ppp という弱奏のピチカートで8小節のパッサカリア主題を提示する。スコアを見ているだけではそれほど特異にも感じないのだけれど、生演奏の場に立ち会うと、後年の十二音技法による作品を思わせる張り詰めた緊張感が視覚的にも実感できる。

パッサカリア主題を丁寧に追いながら、しかし細切れではなく、次第にスケールの大きなドラマが立ち上がってくる。パッセージが複雑にからみあっても、決して音が濁らない。厳しく潔癖な造り、抽象的で美しい構築。

武満徹「系図」(1992)は、変則3管編成の大オーケストラに加えられるアコーディオン、スチールドラム、ヴィブラフォン、チェレスタ、それに膜質を排し金属だけで構成した打楽器群が作品の音色を決定づけている。そして、それらの音色と独特のオーケストレーションでお化粧されているが、芯になっているのは通俗的とも言える旋律である。副題が「若い人たちのための音楽詩」とされていて、「郷愁(ノスタルジー)で調性(トナリティ)を択んだのではない」と作曲者は書いているけれども、私には、60~70年代を感傷的に振り返っているように思えてしまう。調性を使っているからではなく、この曲が表現するもの自体がそう思わせるのだ。そういう見方でいえば、この音楽はウェーベルンとはほとんど接点がない。

だが私は、批判してそう書くのではない。「人間社会の核になるべき家族」がまだ存在していた時代について語ろうとするからそうなるのか、あるいは私自身が武満さんを振りかえるとき、つい感傷的になってしまっているからか。

この作品では、音楽とともに、谷川俊太郎「はだか」の中の6編の詩が朗読される。「12歳から15歳位の少女」によって読まれる・・・と作曲者は記している。今夕のように、朗読者に少しばかり演劇経験がある20代タレントさんを起用するのは、おそらく人選も容易だろうし、受ける側もメリットがあるだろうが、作品本位で考えると結局一番難しいと思う。少女か、あるいは完全にプロフェッショナルな朗読者でないと、詩のリアリティが薄れてしまうからだ。少しばかりの経験が邪魔をして、思春期から覗く世界の見え方を作り物にしてしまう危険がある。この日の朗読者が良くなかったというわけではないのだが。

ショスタコーヴィッチの第10交響曲は、本当はどう読めば良いのか難しい作品だ。スターリンの死を受けて超スピードで書かれたとか、独裁の圧制をあらわしたらしいとか、第2楽章はスターリンの肖像だとか、第4楽章は作曲者の自画像だとか、わかるようでわからない情報がありすぎる。作曲者の名前から取られた d-es-c-h という音名象徴が盛んに使われるから自画像だと言われても、どんな自画像で、それが前の楽章とどう繋がるのか明確に説明できるのだろうか。ただ、演奏に53分を要するこの長大にして壮大な交響曲が、謎と魅力に満ちていることだけは確かだ。そして、ショスタコーヴィッチの他の交響曲と同じく、アレグロ楽章はデモーニッシュで恐ろしく、息が詰まりそうになる。

沼尻さんの指揮は、どの曲も緻密に整理されていて的確な解釈がされていたが、とりわけショスタコーヴィッチでは、音楽を渋滞させないテンポと曲想のコントロールで、緊張感とバランスを途切れることなく見事に維持させた。また、「系図」で共演した大田智美のアコーディオンがとても印象に残った。

2007年3月18日 (日)

「寺嶋陸也ピアノリサイタル」を聴く

昨日は、大学院二次募集入試の仕事を勤めてから新幹線に乗り、東京文化会館小ホールで「寺嶋陸也ピアノ・リサイタル」を聴く。

寺嶋さんの作曲、演奏両方の仕事を支える「サポーター」たちが主催する(と言って良いのかな)リサイタル。彼をよく知り、その仕事を尊敬する人たちが多く駆けつけ、たいへん盛況。ふだん自作の演奏や、室内楽などを中心に活発な演奏活動を行なっている中で、時折このような本格的なピアノリサイタルを開いてくれるのは、嬉しいことだ。

プログラムは、バッハ「パルティータ第2番」、シューマン「幻想曲」、モンポウ「内なる印象」そして林光の第3ピアノソナタ「新しい天使」。

バッハは、ロマンティックに傾いた演奏と言われるかも知れないが、ルバートやディナーミクの変化は気紛れではなく、彼の明確な演奏設計を反映するもの。その結果、すべての声部が明瞭に響きあう美しい立体造形が立ち現われることになった。私たちは、バッハだけではなく、ベートーヴェンもショパンもドビュッシーもシェーンベルクも知っている。その上で、バッハを新しくどう弾くか、どう聴くかというテーマは、曲の造形を理解すること抜きには成り立たないだろう。

シューマンの難曲は、ともすると第1楽章だけで、弾き手も聴き手もへこたれてしまいがちだが、あくまでも「3つの楽章をもって完結する壮大な叙情詩である」ことを見事に示した演奏。安手のロマンティシズムに溺れることなく、全体と細部との対照が常に行なわれ、構築的に組み上げられていったからだろう。

第3楽章のある部分で、シューマンの時代の闇とはどのようなものだったのだろうか・・・と、ふと妙なことを考えてしまった。心の闇は計り知れず、ここでいう闇とは、夜の闇、あるいは夜の室内の明るさのことである。

私たちは、私たちが日常としているこの明るさの下で、数世紀前の音楽を聴いている。本番中のコンサートホールの中は、照明が落とされているけれども、一歩ロビーに出ると、ガラスの大きな壁を通して眩しいばかりの街のネオンが目に飛び込んでくる。そして、それが普通のことであるから特段の違和感も持たない。

シューマンの時代、当然ながら、屋外の闇は私たちが暮らしの中で感じるよりも深く、それが日常だったわけだ。闇を隔てた演奏会場には、それなりの明るさが確保されていただろう。けれども、そんな日常生活の中で、この作品はどのように聴こえたのだろうか・・・。

もちろんこれは妄想だ。だがそれは、寺嶋さんの演奏がシューマン時代の闇とかけ離れていると感じたからではなくて、むしろその逆のように思えたゆえの妄想なのである。

モンポウの作品は、私は恥ずかしながらほとんど知らなかった。いつまでたっても未知の曲がたくさんあるのは当然だとしても、普段できるだけいろいろな作品を聴くようにはしているのだけれど、この歳になってまだ、今まで知らなかった名品に出会うことができるのは幸せというべきかも知れない。

モンポウの作品は、寺嶋さんの作曲家としての語り口に、もしかしたらとても似ている面があるように思う。「哀歌」「ゆりかご」「ジプシー」などのタイトルは、内容を直接に示すというよりは象徴的であり、そこで鳴る音楽は作曲者の意図するところすべてを言いきるものではない。実際に書かれ演奏される音楽は饒舌ではなく、むしろ抑制されている。それは意図の入り口にしか過ぎず、精選された音だけを提示することで奥深い世界を想像させるような在り方。これは、寺嶋さんの「ロルキアーナ」などの作品を想起させ、彼の自作曲の演奏を聴いているかのような説得力と安心感がある。

寺嶋さんが林光作品の良き解釈者であることは言うまでもない。作曲者が弾いたら、おそらくもっと淡々としたものになるだろうが、彼の解釈はこの引き締まったソナタが内包している振幅を大きく広げて見せる演奏で楽しい。

アンコールは、カタロニア民謡「鳥の歌」、宮澤賢治「星めぐりの歌」で、いずれも寺嶋自身の編曲。今回のリサイタルのプログラムには自作が組み込まれなかったので、嬉しいデザートだった。

(今月中くらいを目処に、最近特に聴いて気になっているピアニストのことをあと二人、書いておきたいと思っています。)

2007年3月15日 (木)

非国籍のパラダイム~安部幸明の交響的作品

安部幸明氏は、数年前まで演奏会場で何度かお見かけしたことがあるが、昨年暮れ、95歳で亡くなられた。

日本で最長老の作曲家として名の知られた方ではあったが、実際に作品に触れる機会はほとんどなかった。弦楽四重奏曲を15番まで書いておられるとのことだが、第何番だかがいい曲らしいよなどと誰かが言うのを聞いても、ショスタコーヴィッチ並みに録音でもされていればともかく、演奏される機会は少ないし出版もされていないのだから、その作品はほとんど伝説のように感じられた。

唯一の例外は「クラリネット五重奏曲」で、このブログの昨年6月8日の記事にも登場している。私はそこで、「率直でけれん味のない清潔な音楽」と書いた。

日本作曲家選輯と銘うったディスクを出し続けている naxos が、このたびの新盤に安部幸明氏の交響的作品を収めたのは、シリーズのここまでの流れから見ればとても自然なことだ。世界初録音の「交響曲第1番」(1957)、それに「アルトサキソフォーンとオーケストラのための嬉遊曲」(1951)、「シンフォニエッタ」(1964)の3曲が収録された。

「シンフォニエッタ」は日本フィルシリーズに応えて書かれたもの。これまた伝説になりかけている渡邉暁雄氏の仕事を顧みるためにも、この作品が録音されたのは歓迎すべきことだと思う。

いつもながら分厚いブックレットに、片山杜秀さんによる詳細きわまるライナーノートがついている。これがこのシリーズのもうひとつの「売り」だ。字が細かくて老眼の進んだ眼には少々きついが、他では資料が入手しにくいので、とてもありがたい。昨年亡くなった作曲家は、250年前に生まれた作曲家よりわからないことが多いのだ。

そしてその作品だが、何度聴いても不思議な印象が残る。いわゆる「保守的な」作風には違いないのだが、「シンフォニエッタ」の一部分で聴こえてくる擬「雅楽」調や擬「火の鳥」調などを除けば、これは一体いつの時代の、どこの国の作曲家が作った作品なのかわからなくなってくる。「嬉遊曲」は特にそうだ。

ここまでの naxos のシリーズで聴けるいくつかの作品、山田耕筰はもちろん、例えば橋本國彦でも大木正夫でも、「私は日本の作曲家である」という刻印がどこかに聴き取れる。シンフォニスト諸井三郎でさえ、そう感じる。だが、そういった刻印、聴く側から言うと邦人作品というアイデンティティを、安部作品から聴き取るのは難しいように思える。かといって、ドイツ風とかフランス風とかいった勉強の名残が響いているのでもない。無国籍というより非国籍的なのかも知れない。

一般論として、「保守的な作品である」という言われ方は、後世への影響が薄いということに繋がっている。斬新な作品ほど後進に大きな影響を与える、だから影響力の乏しい保守的な作品はその価値も軽い・・・と。

しかし、そういう一面だけでは、作品を本当に聴いたことにはならない。「保守的」であろうが「前衛的」であろうが、その作曲家が彼の音楽言語で、何をどのように語っているか、そしてそれが成功しているのかどうかを聴き取ろうとしない限り、作品に近づくことはできないだろう。そもそも、古いか新しいかではなく、使われている音楽言語が彼のものになり得ているかどうかがまず問題であるはずだ。

だが、安部幸明が作曲家として活躍した時代には、「現代音楽」の熱心な聴き手たちは、新しい音楽に対してそのようには考えなかった。「保守的」と見られた作曲家の作品は、敬してあるいは軽蔑して遠ざけられた。あえて近づこうとする人は、その作曲家と同じかそれ以上に頑迷固陋と見做された。だが、今では「現代音楽」という言葉さえ、もはやある種の時代的スタイルを示すに過ぎないものになっている。

安部幸明の音楽言語は、一見似たようなものがどこにでもありそうに見える。ところが、実はどこにもないものであるように思えてくる。だから、じわじわと面食らう。面食らいはするが、いずれも意欲作であり傾聴に値する音楽である。今聴いてみたら思いがけず新鮮だったというのではない。だが、今後古びることもないだろう。

2007年3月 8日 (木)

「日本の作曲・21世紀へのあゆみ」

コンサート・シリーズ「日本の作曲・21世紀へのあゆみ」最終回に行く。東京・紀尾井ホール

このコンサート・シリーズは、1940年頃から2000年までの日本の作曲家による(管弦楽やオペラを除く)作品を回顧するもので、1998年にスタート。以来9年間、全40回のコンサートにおいて、119名の作曲家による220曲の作品が演奏されるという大プロジェクトになった。音楽評論家の秋山邦晴氏と寺西春雄氏の尽力により実現した企画だったが、お二人とも最終回に立ち会うことなく、すでに逝去されている。

昨年行なわれた第35回で私の作品も演奏され、昨年3月1日にこのブログにもメモしている。119名の中に入れていただいたのは嬉しいことだったけれど、アンソロジーとして扱われるのは、ちょっと妙な気分でもあった。

それはともかく、戦中・戦後の作曲家たちが何を考えてきたかについて、かつてない規模で振り返る企画だったわけである。題名だけは知っていても実際に聴いたことのないたくさんの作品が演奏されて、(特にひと昔前の)邦人作品に興味がある私としてはリストを見ているだけでわくわくしてくる。だが残念なことに、私はそのほとんど聴きに行くことができなかった。平日、それも週の真ん中に東京でコンサートを聴くのは、地方の大学で宮仕えをしている身分では至難の技なのだ。

幸い25回までのコンサートはCD化されているが、これまた残念なことに、26回以降の記録は資金難のためにCD化のメドが立っていないのだという。

最終回のプログラムは、武満徹「ガーデン・レイン」、間宮芳生「KIO」、柴田南雄「金管六重奏のためのエッセイ」、林光「苦行・・・1974」、池辺晋一郎「ストラータⅤ」。1960~90年代の名作ばかりで、間宮・林作品は初演を聴いた記憶があるし、武満作品は初録音のLPレコードを持っている。その頃のことをいろいろ思い出すと同時に、当時とは印象の違う作品もあって、何がそう感じさせるのか考えると面白い。

だが、私のようにわくわくする人はそれほどはいないとみえて、客席は最終回の今日ですら空席が目立つ。そもそも聴衆動員力が強いとは言えない音楽活動だが、30年前の客席はもう少し活気があった。

戦後の日本文学がかつてほど読まれなくなったように、戦後の音楽作品も、現代の聴衆との間に少しずつ距離が開いてきた。だが一方には、NAXOSの日本の作曲家シリーズCDが成功しているという現象がある。その距離は思ったほどではないという音楽も必ずあるし、プロモートの仕方にも一考の余地があるだろう。

残る作品と残らない作品という残酷な峻別は、当然なされていくだろう。だがそれにしても、ほとんどの作品が初演されてすぐに眠ってしまうような現状は、砂嵐の真ん中にオアシスを作ろうとし続ける営為のようにさえ思える。

作曲家個人の努力だけで何とかなることではないが、このコンサート・シリーズが終わった後、日本の作曲家の作品はどのように紹介されていくべきかについて真剣に考え実現する頭脳が出てこないと、今後日本の作曲家の作品は本当に顧みられなくなってしまうのではないか。

どうせ要らないようなことをやっているのだから、顧みられなくなったって当然じゃないかという見方もあるかも知れない。だが、いいのかそれで、この国の文化は本当にそれでいいのか?と、期せずして作家の特集をしている二つの雑誌を書店で手にとりながら思う。ひとつの雑誌は、わかりやすく感動できるということで評判の若い人気作家を特集、もうひとつの特集は吉行淳之介。若い人気作家に批判的であるつもりはないけれど、私はためらわず、吉行の方を持ってレジに向かう。

2007年3月 4日 (日)

修了研究発表会

昨日の学部・卒業演奏会に引き続いて、大学院の修了研究発表会。論文、演奏、作品による修了研究の成果が披露される。ここでは、タイトルのみを記しておこう。

詳細は→ http://shuonsai.miyakyo-u.ac.jp/top.html

論文発表は2本。「ピアノの指導法の研究-初歩の段階から『現代音楽』を扱うハンガリーのピアノ教育から学ぶ-」(クルターグ、ショプロニ、バルトーク作品の関連演奏付き)、「平安時代における音の聴取-『枕草子』における音の記述から-」。

演奏は3名で、ヴェーバー「クラリネット協奏曲第2番」、ベッリーニ歌曲とドニゼッティ「ランメルモールのルチア」より<狂乱の場>、ラフマニノフ「ピアノ協奏曲第2番」。いずれもピアノ伴奏による。

修了作品を作曲した院生さんは2人。Sさんは、6曲からなるピアノ曲集を発表した。もう一人、Aさんは混声合唱曲を作曲したが、今日は発表できなくて残念だった。

とてもバラエティに富んだ内容だったので、書き写してみた。論文発表の質疑応答では、学部学生くんたちがいくつも良い質問をしたのに対して、院生さんたちも的確に答えていた。修了演奏したのは、いずれも安定した実力の持ち主たちなので、楽しんで聴かせてもらった。また作品は、嘘やハッタリのないSさんらしい率直なものだった。

2月に始まったこの一連の音楽会(2月15日の記事参照)は、私たちの講座が主催し、実行委員、ステージマネージャー、表方、宣伝、プログラム、記録などなど、すべてを学生くんたちが分担して運営する。それぞれの係の長を中心に、みんなが丁寧に仕事をしてくれている。昨日の演奏終了時間が、事前に作られていた進行表による予定時間と1分もずれずに一致したのには驚いた。裏方スタッフが、演奏の伸び縮みを休憩時間の長さで微妙に調節していたのである。

終演後に行なわれたレセプションには、音楽科に関わるほとんどの学生が参加する。ふだんは授業ごとに顔を合わせている学生くんたちが一堂に会すると、その数の多さにいささか圧倒される。

4若く賑やかな活気が溢れる一方、卒業を間近に控えて最後の発表を終わらせた人たちの安堵と寂しさが入り混じる。Photo_20 

スタッフ責任者の挨拶では、感慨無量で途切れがちになった実行委員長の言葉に、惜しみない拍手が続いた。

Photo_21 このはじけた奴らは、私が学年担当なのである。来年はキミたちが中心になるのだからね!

2007年2月28日 (水)

まっぷたつのなりゆき(20)

序の歌5ページ分、ちょっとした行き違いがあって、こんにゃく座にはコピーを渡し、原譜は手元にあった。

音や歌詞の誤記を訂正し、変更を書き込んだ原譜から最終的なコピーを取りたいということなので、手元にあった原譜を座に届ける。これで4人の作曲者のすべての手書き譜が揃ったはずだ。

この後は、完全なるコピーが座に保管され、手書き譜はそれぞれの作曲者に返却される。保管された譜面が次に日の目を見るのはいつか。何年後か何十年後か何百年後か。

気象庁は、「冬」の定義を12月~2月と決めていて、明日からは3月だから「春」。するとこの「冬」、東京都心ではまったく雪が降らなかったことになるそうだ。これは1876(明治9)年に観測開始して以来初めてとのこと。新潟の豪雪地帯でさえ、今年は平年の2パーセントしか雪が降らなかったと、夜のテレビで言っていた。

仙台から山形へ通じる幹線道路の入り口に、県境関山峠の気温を伝える電光掲示板がある。先週の冷えていた晩に「関山峠 マイナス6度」と表示されていた。いつもならそのくらいはよく見かける気温表示なのだが、「マイナス6度」と示されて、へぇ~今夜は寒いんだ・・・と、ちょっと驚いてしまうぐらい今年は異常な暖冬だった。

明日からの「春」までが、異常な気象ではありませんように!

2007年2月27日 (火)

まっぷたつのなりゆき(19)

4人の作曲家による共同作曲について、メモしておこう。

共同作曲は、私たちの共通の友人、知人たちに、どの場面を誰が作曲したのか推理する楽しみ(?)を提供したようだった。作曲の分担については、無料配布されたシートにも、公演パンフレットにも書いてあるから、秘密ではないのだが。

楽士の常連であるYさんは、ほとんどわかったと言う。さすがというか、私たちの音楽を多く弾いてくれているYさんには簡単なクイズだったかも知れない。だが、そういうマニアックな遊びは大半のお客様にとっては無縁だし、重要なことではないだろう。

場面ごと違う作曲者に受け渡されていくことについて、その繋ぎ目には違和感を感じなかったという感想が多かったけれど、内情を知り、繰り返し何度も聴いてきた者としては、4人の違いがかえってわかって面白かった。もちろんそれは、違和感というのとは違うけれど。

共同作曲の結果については、「どの場面も音楽が豊かだった」という感想と、「それぞれが力をこめて作曲しているために、息を『抜ける』場面がなくて疲れた」という意見と、まっぷたつに分かれた感じがある。だが、一人で作曲すれば息が抜けるところができるかというと、必ずしもそうは思わない。「ヴォツェック」や「モーゼとアロン」に、どこか息の抜けるところがある?「息が抜けない」のは、必ずしも共同作曲に原因があるのではなく、むしろ作劇上の問題なのではないかな。

これに直接答えるものではないが、24日マチネ終演後に行なわれたファンクラブ向けトークの中での一節をメモしておこう。

「それぞれの場面の曲想や繋ぎ目について、4人の間で打ち合わせなどはしたのですか」という質問に答えて光先生曰く、

「たとえば、ぼくらの上に『親玉』がいて、『この場面はこういう曲想で』とか『ここはこんなテンポで』とか指示するやり方もあるだろうけど、この中には『親玉』がいないから(そういう打ち合わせはやっていない)。」

そう、『親玉』になってもらえそうな先生は、一番初めに書き上げて涼しい顔をしていたもんなぁ。

萩さんが言った。「でも、もしそんなふうに『親玉』が指示をしたら、みんな『職人』に徹しちゃって面白くなくなったと思う。」

おそらくそのとおりだろう。『職人』になって、それぞれ自分だけの仕事場に閉じこもることを、今回誰もしなかった。ある場面の前後や全体の中での位置は、作曲者が各々で考えながら計っていった。他の3人を意識し、いわばライバル心を燃えあがらせて作曲するなどということは、少なくとも私はなかった。私一人で作曲したとしても、同じ場面には同じ音楽を書いただろう。他の3氏の存在は、ライバルではなくむしろ血を分けた分身の兄弟として存在していた。

オネゲル、ミヨー、プーランクらによる「エッフェル塔の花嫁花婿」を除けば、林-萩によるこんにゃく座のシェイクスピア作品、間宮-コルテカンガスによる「木々のうた」など、共同作曲の前例はそれほど多くない。けれどもこの創作方法は、今回の進め方が最善であったかどうかは別にしても、さまざまな可能性を秘めていると、今さらながら思う。

2007年2月25日 (日)

まっぷたつのなりゆき(18)

Photo_18 公演最終日。11時と16時の2回公演。

11時という開演時間はちょっと不思議だけれど、近年は需要の多い時間帯らしい。休日、朝少し早めに出かけて、終演後に遅い昼食を食べても、まだ夜までは時間の余裕があるというわけで、子ども連れで出かけてみようという場合などは特に都合が良いのだろう。

原作の翻訳者、河島英昭先生がいらしてくださった。公演パンフレット「おぺら小屋81」に書いていらっしゃる文章もとても興味深かったが、紹介されたので、いかがでしたかと伺うと、「大変結構でした」と嬉しそうにおっしゃった。高名なイタリア文学者だが、テッラルバの村からスーッと抜け出てきたような方だった。

19時、歌役者たちも演奏者たちも、最後の力を振り絞った(?)舞台は無事幕を閉じる。カーテンコールから引っ込んだ時の舞台裏には、初日以来の、だが初日とは少し違う高揚感が漂う。

・・・というわけで、この「まっぷたつのなりゆき」も、そろそろ終わりである。だが、事後報告や、今までにまだ書いてなかった考えなど、あと少しだけ書くことになるだろう。

ともあれ、たくさんのご来場、ありがとうございました!仙台や山形、大阪、京都、名古屋など遠方から、たくさんの方々がわざわざ来てくださったのも嬉しくありがたいことでした。皆さまの応援に、心より感謝申し上げます。

2007年2月24日 (土)

まっぷたつのなりゆき(17)

224 公演2日目。13時と18時の2回公演。

1回目が終わった後、こんにゃく座ファンクラブの企画で、4人の作曲家によるトークが行なわれる。適当なことを発言すると、別の人がもっと適当なことを言ったりするから、見世物としては面白かったのではないかな。

昨日の初演と合わせて3回の公演が終わったことになるわけだが、テンポや全体のテンション、逆に全体の落ち着き方などは、当然のことながらまだ揺れ動いている。

演者がそうであるように、作品も舞台の上で育つ。観客の息に触れることで初めて見えてくるものはとても多い。台本も音楽も演出も精査して上演を重ねることができれば理想だし、レパートリーとして定着させるにはそういった過程が不可欠だが、全5回だけの上演では熟しきらないうちに終わってしまうことになる。何十人もの人が、それぞれの持ち場を守りながら関わっている作品なのだから、すべての役割が機能し作品が熟成するには、観客に見守られる時間がたくさん必要なのだ。だが、この作品の再演は当分(二度と?)ないだろう。もったいないことだと思うが、それがこの国の音楽創作の現実なのである。

2007年2月23日 (金)

まっぷたつのなりゆき(16)

何も報告せずに寝てしまうわけには、いきますまい。

本日、2月23日午後6時30分、オペラシアターこんにゃく座公演「まっぷたつの子爵」、東京・世田谷パブリックシアターで無事に初演初日の幕を開けました。4人の作曲家によるオペラは、前代未聞の試みとして記録されるに足る作品に仕上がっていると思います。

今日は、14時から場面転換を中心に抜き稽古。演出の加藤さんは、ここにきて「ボク」役のまりさんにずいぶん厳しくダメ出しをしている。ひ弱な性格だったら、潰れてしまいかねないなぁ・・・とちょっと心配になるけれど、気合を入れるための確信犯的ダメ出しだったのかも知れない。4人の作曲家から出てくるそれぞれ違ったスタイルの音楽を、最も真正面に受け止めなければならないのが「ボク」で、その意味でも大変な難役だが、その大健闘ぶりについて、少なくとも稽古を多少なりとも見てきた人なら、誰も異論はないだろう。

カルヴィーノの原作は、小説で読んでも面白いけれど、かなり舞台芸術向きな構造を持っていると思う。このオペラの、音楽にしても歌唱や演技にしても、また台本にしてももちろん改善の余地はあるかも知れないが、良い原作に巡りあえてオペラ化できたのは、とても幸せなことだと思う。

明日から2日間、2回公演。チケットはまだありますよ~。詳細はこちら→ http://www.konnyakuza.com/

2007年2月22日 (木)

まっぷたつのなりゆき(15)

0222 午後から、抜き稽古。昨日まで仙台だったので、私は今日初めて会場に入る。

舞台はモノクローム中心だが、衣裳を着た歌役者たちが揃い、明かりが入り、大道具が動き出すと、そこには私たちの架空の村テッラルバが現われる。

午後6時から、本番とまったく同じ段取りでのゲネプロ。プレス関係などのカメラが何台も入り、客席では関係者とはいえ今まで以上の数のギャラリーが見守っているから、いよいよ総仕上げという心地よい緊張感が漂う。午後9時、カーテンコールまでを含むゲネプロは無事終了。上演時間約3時間という大作となった。明日は、午後から細かいダメ出しや部分稽古をして、午後6時30分、初日の幕が上がる。

あれ?「大魔女ビバリー様の部屋」がもう更新されているぞ。ビバリーとは、さっきまでみんなで一緒にいたんだけどな、三茶に。家に帰り着く時間の差かな。http://yamanekosama.cocolog-nifty.com/blog/

02221「大魔女ビバリー様の部屋」でも触れているが、この不思議な光景をご覧あれ。楽屋で、4人の作曲家がそれぞれ机に向かっている。4人とも、楽譜係・ともさんから出された宿題をやっているのです。宿題とは、楽譜の訂正や変更箇所などをそれぞれの自筆譜に書き込むこと。一番奥は、ひとり関係ないフリをしている演出の加藤さん。

「振り返ってみたりしようよ!」という音楽監督の提案によって、振り返ってみた。

02222

2007年2月19日 (月)

まっぷたつのなりゆき(14)

ピアノ以外の楽器も入っての通し稽古。衣装をつけ、メイクもして、もちろん本番と同じ道具を使っての稽古で、いよいよ初日が近づいているという緊張感と高揚感が漂う。

0219 きのこ平の人「ガラテーオ」。

0219_1 ユグノー教徒の人々。

今日で稽古場での稽古は打ち上げ。明日と明後日は、コヤ(劇場)に道具を運び込んでの仕込みが中心となる。今夜を持って、この稽古場のセットは解体され、トラックに積み込まれた。細かいダメ出しはまだ続いているものの、全体にはとても良い雰囲気でコヤ入りできそうだ。「まっぷたつのなりゆき」も、いよいよ最終段階である。

2007年2月17日 (土)

青春の音楽

15日の記事のコメントに、Nぬまくんが16日に演奏された曲の批評をしてほしいと書いている。

具体的な事柄については本人に直接伝えることにするけれども、まずは瑞々しい音楽の誕生を喜びたい。手慣れた音だけではなく、新しく獲得したパレットを使って、音楽を丁寧に構築したい、今までの自分とは違う世界に踏みだしていきたいという気持ちが、この2年間彼の作品を見せてもらってきた立場からは、よくわかる。だが、昨日の発表は作品は多楽章形式の一部分になるはずのものだ。今の彼にとって最も重要なのは、この先の楽章を完成させることだろう。それも、あまり長い期間を置かない方が良い。完成することができたら、彼にとって最初の大作であるこの作品は、今後の作曲活動のマイルストーンとなるだろう。

話は少し変わるが、プロコフィエフにとっての「青春の音楽」は、「青春」というサブタイトルのついた第7交響曲ではなく、まぎれもなく第1交響曲「古典」だ。

なぜいきなりプロコフィエフなのかというと、今夜は仙台フィルハーモニー管弦楽団の定期演奏会を聴いてきたのである。曲目は、二つの「ロメオとジュリエット」(チャイコフスキー幻想序曲と、プロコフィエフのバレエ第2組曲)、そしてプロコフィエフ第7交響曲「青春」。

指揮はアラン・ブリバエフ。カザフスタン生まれの指揮者で、1979年生まれというから指揮者としてはとても若く、今回が日本デビューとのこと。結論を言うと、とても良かった。特にチャイコフスキーは、実に丁寧に緻密に組み立てられていて、けたたましいだけの音楽には陥らず、色濃いロマンティシズムが溢れた緊張感の高い音楽になった。

プロコフィエフの第7交響曲は、「青春」という副題がついているが最晩年の作。明らかにシニアな作曲家の筆致である。「青春のために」なのか、「青春についての」なのか定かではない。当局から批判を受けそうなモダニズムは(消えてはいないが)背後に隠れ、第2楽章のアクセルが強く踏みこまれたような後半部分や、ギャロップ風の第4楽章でさえ、どこか諦念が漂う。第4楽章には、当局からの指示で書かれた「楽しい終わり方」である別バージョンのエンディングがあり、アンコールとして演奏されたが、本音ではなかっただろう。

今夕演奏されたプロコフィエフの二つの作品も、ブリバエフが強い共感を持って表現していることがよく伝わってきた。数年後に日本で呼ぶとしたらきっとギャラが数倍になっているだろうというのは、仙フィルH山氏の弁。機会があったらぜひまた聴いてみたい指揮者だ。

バレエ「ロメオとジュリエット」第2組曲の終曲、「ジュリエットの墓の前のロメオ」の最後の和音が消えて、ブリバエフもオーケストラもそのまま動かない。10秒?それとも20秒?長く感じられたその余韻、物語の若者たちが実在したかのような、彼らに捧げる哀悼のようないい間(マ)だった。だが、我慢できないブラボー屋がその沈黙を壊す。このオーケストラの聴衆はとても暖かみがあるのに、毎度のようなフライング・ブラボーは本当に残念だ。

2007年2月15日 (木)

作曲って面白い?

Photo_15 昨日も書いたように、今日から2日間、学生くんたちの音楽祭(萩音祭)が始まった。毎年恒例で今年は31回目になる。ピアノをはじめとする楽器の演奏、声楽、弦楽、合唱、それにガムランやサムルノリなどの民族音楽など、様々なステージが、授業参加、個人参加といったかたちで行なわれる。そして近年卒業生さんたちの参加が増えているのは嬉しいことだ。演習室や講堂での2日間のあと、3月3~4日には、街中のホールで卒業・修了演奏会が開かれる。今年のプログラムはこちらから見ることができます。→http://shuonsai.miyakyo-u.ac.jp/top.html

そして今日は、私が担当する授業で作曲をしている学生くんたちが、新曲を発表した。昨日も書いたけれど、ほとんどまったく経験のない学生くんたちに作曲をしてもらうのは、とても面白い。技術でごまかせない分だけ、作曲者の「人となり」が顕わになるのだ。

Photo_17 もちろん楽器演奏でもそうかも知れない。けれども、演奏ではとりあえずバッハとかベートーヴェンなどという衣をまとう。それが、作曲では真っ裸同然なのである。そのことを知ってか知らずか、経験のない人は人前で自分の曲を披露することをとても恥ずかしがる。だから、まずは人前で曲を発表することをそれほど恥ずかしいと思わなくなれば、もう大丈夫。ある程度音楽の基礎的な力がある人ならば、誰でも作曲はできる。

音符くん。書けません、ダメです・・・とさんざん言っていたけれど、キミの曲は5分以上あったよ。とにかく手探りでまとめきった粘りは貴重だ。そして、魅力的なフレーズがいくつも聴こえてくる作品になった。

チサさん。職人がノミと彫刻刀でこつこつと刻んでいって仕上げていったような手触り。まだ熟練した職人ではないとしても、その無欲な仕事ぶりには独特の存在感がある。

ユキノさん。もともと技術を持っている人だから、手堅くまとめた。だが、その手堅さこそが自分のウィークポイントだと本人が一番思っているだろう。それを越えることは確かに簡単ではないけれど、焦らず乗り越えてほしいな。

マリさん。飾り気やケレンのない作品。曲作りには苦労したかも知れないが、とても率直で純朴な感性で満たされた曲になった。この曲を聴くと平和な気分にさせられる。作曲者の人柄をまっすぐに反映しているからだろうと思う。

あんずさん。はっきり言ってすごくヘン!森の奥の小屋の中で魔法使いが大釜でアヤシイものを煮ているような曲だが、創造というもののツボをしっかり押さえている。書きたいものを真剣に探したらこうなった。だから、すごく面白い。

ユリさん。みんなは知らないし私も知らなかったけれど、実は曲作りの経験は結構あるらしい。音楽をテクスチュアで考えて作ることができる人。やりたいことは自分の中でとても明らかになっていて、それを澄んだ音色に乗せて実現した。もっと早く知っていたら、卒業研究を作曲でやらないかいってスカウトしたんだけどな。

今日はこの他にも、卒業生のしづさんがフルートとピアノの曲を発表。これはもうすぐにもレパートリーにできる佳品だ。明日は、Nぬまくんが新作を用意している。いずれ大きな作品になる(はずの)一部分。楽しみだ。

実は、大学院の今回の作曲の授業では、宮沢賢治の童話の中の詞に作曲をするという共通課題をやってもらって、こちらもとても良かったし面白かった。内輪の発表にとどめてしまったのが残念だった。

短くても世界に二つとない音楽作品。この経験を大切にしてほしいなと思う。

2007年2月12日 (月)

まっぷたつのなりゆき(13) 「別冊まっぷたつ~全曲完成記念号」とのリンク付き

午後6時過ぎ、こんにゃく座の稽古場を覗きに行ってみると、ちょうど休憩中で、テーブルを囲んで食事をしていた歌役者さんたちが拍手で迎えてくれる。

私の遅筆のためにこんなに完成が遅れたのに、このおおらかさというか太っ腹というか根性が座っているというか怖いもの知らずというか、何しろこのパワーが座の活動を支えているのに違いない。

休憩の後は、今日の昼に渡したばかりの譜面を中心とした音楽稽古。全体練習は昼間に終わっていて、この場面の登場人物役の人たちが居残って練習というわけだ。ついさっきまであれこれいじくっていた譜面がすぐ音になり歌われるのは、いつもながらちょっと妙な気分がする。

稽古が終わって、まずは完成祝い、音楽監督や大魔女ビバリーさまの声がけで、稽古場内通称パンチ部屋で数人で乾杯をしていると、その後も自主練習を続けていたメンバーが上がってきて、次々と輪に加わる。「あたしが出来上がった時も、こんなに祝ってもらってない」と、音楽監督がすねる。たしかに最後は「一人旅」になってしまったので、その分余計に応援してもらえたかも知れない。今日の昼間は、舞台衣裳のお披露目があったのだそうだ。初日はいよいよ11日後。

Photo_13 Photo_14

きのこ平の女たち+音楽監督+大魔女ビバリー、ユグノー教徒の男たち+トレロニー博士、そしてコワれるサッキョク家。

こんにゃく座ホームページ委員会(?)のとみやんは、宴会中も「座日記」を更新していました。

こんにゃく座「座日記」へのリンクはこちら→http://zakonnyaku.blog.shinobi.jp/

まっぷたつのなりゆき(12)

脱稿までのなりゆき。

2月9日(金)

留学生のための入試があったので、午後まで学校のお仕事。夕方は、来年度の研究プロジェクトの打ち合わせ。その隙間の時間に少し書く。研究プロジェクト関連のイベントのために、コントラバス奏者のKEIZOさんが仙台に来ているので、一緒に牛タンをもりもり食べ、夜は家に帰って書き溜めてあったところまで清書。

2月10日(土)

午前11時頃から学校の演習室にこもる。楽譜を翌日届くようにしようと、宅急便のサテライト店に駆け込んだのが20時。けれども、土日は発送できる受付が19時半までだというのだ。1枚でも多くとギリギリまで粘っていたのが裏目の大失敗!仕方がないから、演習室に戻って続きを書く。午前0時過ぎ、ざっくりとしたスケッチながら、ようやく最後の台詞まで到達。さすがに朦朧としてきたし、電気ストーブ1台では寒いので、細部を再検討するまでの元気はなく撤収。この日、外に出たりして休んだのは1時間くらいだけ。少なく見積もっても10時間は作曲していたことになる。

2月11日(日)

午前、研究プロジェクト関連のイベントを覗きに出かける。KEIZOさんが、ダンスのサトミ先生や朗読の早川氏とのコンボで演じた即興作品は、なかなか面白くて良いものだった。KEIZOさんは風邪気味、しかも車が壊れたと言うので、夕方楽器の搬出を手伝うことにする。午後のイベントは失礼して、いつもの演習室で昨日夜書いた部分が使い物になるかどうか見直す。概ね悪くはないけれど8小節書き替えて、約束の時間まで清書。KEIZOさんの搬出を手伝い、神奈川の家に戻る。深夜、清書など残りの作業を再開、午前2時頃すべてが終了。日付は2月12日とした。

そして本日2月12日13時、楽譜係ともさんに9枚を渡し、最後の受取りの仕事で稽古場に向かうのを握手して送り出す。いつも労をいとわず動いてくれたともさん、どうもありがとう!

たくさんのご声援、ありがとうございました。ご迷惑、ご心配をおかけしてすみません。4人で書いているのに、みんな早々と書き上げて私がぶっちぎりで遅れてしまったから、この数週間の声援は、他の選手はすでにみんなゴールしているのに、ひとりだけまだ走ってるマラソンランナーがもらうような暖かいものでした。

追記 「まっぷたつ」に関する記事は、「まっぷたつのなりゆき」というカテゴリーにまとめることにしました。バックナンバーは左側「カテゴリー」欄からどうぞ。

2007年2月11日 (日)

まっぷたつのなりゆき(11)

今どきは、文章の原稿だと大抵の場合パソコンを使うから、いくら初めにザクッと下書きをして少しずつ直していったとしても、書きあがった時には清書も同時に完成する。しかし、楽譜だとそうはいかない。いきなり本番の譜面を書く作曲家もいるかも知れないが、多くの場合スケッチとして走り書きしたものを後から清書することになる。

清書といっても、右から左へ書き写すだけではなくて、スケッチの段階で決まっていなかった細部を決めたり直したり、テンポやディナーミク、練習番号などを書き込んだりする作業だから、作曲の第二段階と言ったほうが良いかも知れない。

この数年は、楽譜も浄書ソフトを使うことが多い。けれども今回は、他の三人が浄書ソフトを使わないので、私ひとりだけキレイな譜面なんてズルイとかいう訳のわからない理由で、浄書ソフトの使用を禁止されてしまった。そこで、手書き、つまり古今東西の大作曲家たちとほぼ同じ方法で清書をしている。

手書きと浄書ソフトを使うのと、どちらが速い?とよく訊かれるが、どちらが速いかは微妙だ。

浄書ソフトだと、同じ音型が続くようなところはコピー&ペーストで一瞬にして完成だし、小節を飛ばしてしまったり、別のパートに書き込んでしまったりといった間違いの修復は簡単。楽器編成が大きくなると、小節線をひくこと自体が結構面倒なものだけど、浄書ソフトではそれはまったく意識する必要がない。

ただし浄書ソフトは操作が複雑なので、続けて使っていないと、細かい操作をすぐ忘れてしまう。ええっと、音符の符尾を逆向きにするのってどうやるんだっけ・・・と、わかり易いとは言えないオンライン・マニュアルを睨んでいる間に、手書きならば1段分くらい書けてしまうだろう。

そして一番大きな違いは、やはり手書きで楽譜を書くのは、作曲の仕事をしているという実感があることだ。もう30年くらいにもなる大半をエンピツで書いてきて、作曲とはそんなふうに手間のかかる手仕事であると、習い覚えてきたからだろうか。

「エンピツ」と書いたが、正確には私の場合はシャープペンシル。芯はハイユニの2B。先輩の作曲家に、今の若い人はエンピツでなくてシャープペンで書くんだってねぇ・・・と言われたことがある。もうずいぶん前の話だが、シャープペンを使って作曲することでさえ、先輩たちには新人類に見えるのかも知れない。

ただね、久しぶりに完全手書きをすると、やはり老眼の進み具合を実感するのだよ。悔しいけれど、今回は「おちか用眼鏡」がとても活躍している。

2007年2月 8日 (木)

まっぷたつのなりゆき(10)

6日の火曜日、楽譜係・ともさんに待機してもらって3枚渡す。3枚くらいで一日振り回してしまって申し訳ないけど、このあと仙台に行ったら、少しの間帰ってこられないから1枚でも多く渡したくて、待ってもらった。そしてその足で、仙台に移動。

これで何枚上がったのかな?この「まっぷたつのなりゆき」というタイトルの記事を(1)から順番に見ていけば、何枚になっているのかわかるはずだけど。あ、数えなくていいですからね。

怒涛のような二日間が、ようやく通り過ぎた。卒業論文と修了論文の発表と試問。試問を受ける学生くんたちやギャラリーからは「音楽島の8人の鬼」とかいう声もあがっているようだけれど、ぼくらも本当に消耗するのだよ。昨日なんか、夜遅く修士論文を読もうと思っても、どうしても目が活字を追って行けない。夜中には、両足がつって激痛で飛び起きた。今日Tルせんせは、上野で降りるべき新幹線が、気がついたら東京駅に停まっていたそうだ。いつもは深夜だか明け方だかまで研究室で仕事をしているさとてぃせんせは、憔悴した顔で守衛さんが巡回に来るよりも前に帰っていった。このふたり、どちらもこういうことはとても珍しい。

そして、試問を受けた皆さん、お疲れさまでした。でも、これで年度末行事がだいぶ片付いたことになる。やれやれ・・・。あ、明日は留学生の入試があるが・・・。

そんな中でスケッチを取るのは容易ではないけれど、時間がなくても少しずつでも書くようにしている。今かかえている場面は、いくつかのエピソードが続くのだが、スケッチはようやく最後の登場人物たちが出てくるところまで来た。今週は日曜日まで仙台に居続けて仕事をします。

2007年2月 5日 (月)

まっぷたつのなりゆき(9)

昨日2月4日の日曜日、楽譜係・ともさんに10枚、今日3枚渡す。まだまだ終わらない。明日も、1枚でも2枚でも渡せるように、本日も夜なべ。

終わってなくてもいいから稽古場へ来て見てよと、いろいろな人から言われ、私自身も行きたいなぁと思っていたのだけれど、まだひとりだけ曲が上がっていないのは、なかなか行きづらいものなのだ。だいいち、その暇があったら作曲しなければ、絶対的な時間が足りないし。

でも、粗いながらもはじめての通しをやるということなので、稽古場に行ってみた。光先生はじめ作曲家が4人とも揃って立ち会う。

Photo_9 1場からほとんど止まらずに通す。私の曲ができていないところは芝居で繋ぐ。なかなか面白いと思う。ただ、長い。休憩を含めて3時間を超えている。どこかをカットするのか、カットできるのか相談するけれど、結論は出ない。稽古を重ねるうちに、これからはもっとテンポも良くなっていくだろうけれども。

4人の作曲家がそれぞれに書いているものを繋げていくわけだけれど、今までこの4人の曲をよほどマニアックな関心を持っている聴いている人でなければ、どこで作曲者が替わったかわからないのではないかな。それくらい、大きな違和感なく繋がっていて不思議だ。

Photo_12 家に帰ってびっくりしたのは、本日の朝日新聞東京版夕刊。なんと題字の下に広告が!

「なに!?4人でオペラの作曲だと?!」

悪いかね?

2007年2月 3日 (土)

生まれ変わる音達

枽形亜樹子さんのチェンバロリサイタルに行く。新宿、淀橋教会。「生まれ変わる音達」とは、このリサイタルのサブタイトルである。

枽形さんは、大学の作曲科在学中に渡欧、優れたチェンバロ奏者になって、2000年に帰国するまで17年にわたって欧米で活躍してきた。作曲学生だった頃からよく知っているが、賢く元気な人柄は、面白いくらい当時と全然変わっていない。

昨今、コンテンポラリーが弾ける本格的なチェンバロ奏者がいなくなってしまった・・・とは、コンサート前のプレトークでの発言だが、彼女はまさにコンテンポラリーを重要なレパートリーとする数少ないチェンバロ奏者なのである。この日も、ベッツィ・ジョラス、ヤセン・ヴォデニチャロフといった、日本ではあまり知られていない現代作曲家のチェンバロ曲、成田和子氏の書き下ろし、そして北爪やよひ、間宮芳生両氏と私のピアノ曲をチェンバロで弾くというプログラムだ。

私のピアノ曲をチェンバロで弾いてもいいですかと枽形さんから聞かれたとき、考えもしなかったことだったのでとてもびっくりしたけれど、枽形さんはこの曲は「チェンバロにはまりすぎている」と言う。聴いてみると、たしかに元々がピアノ曲だとは思えないくらいチェンバロと馴染んでいる。いや、彼女がそういうふうに作ってくれているのだけれど。

とにかく音色が美しい。そして、見事なテクニック。プレトークで語っていた「チェンバロはピアノの仲間と思われているけれど、たまたま鍵盤の様子が似ているだけで、実はギターなどに近い楽器だと思った方が良い」という見方には、目からウロコだった。

作曲を勉強した人だから、コンテンポラリーに理解があるのは自然だが、彼女のような演奏家の存在がもっと知られることで、チェンバロのための作曲も活性化すると良いのにと思う。

間宮先生の「かぜのしるし・オッフェルトリウム」は左手のためのピアノ曲だが、先生のお隣で楽譜を見せていただきながら聴いていたら、音程がほぼ2度低くて、移調楽器の楽譜を読んでいるようで面白かった。

2007年2月 2日 (金)

まっぷたつのなりゆき(8)

22 昨日、雪が降らないことを書いたばっかりなのに、今朝起きてみたら外が真っ白になっている。わ!やられた!

仙台では、この冬初めての積雪。この時期に初めてというのは遅すぎるけれど。

ただ、昼近くなったら陽が差してきたから、果てしなく降り積もるということはなかった。

今年度最後の授業を2つ、それからH先生クラスの弾き歌い試験の採点をお付き合いして、学内の委員会関連のメールを書き、発注していたのが届いた本とCDを図書館から研究室に運んで、今週の仕事は終了。

「まっぷたつ」は、今日は初の楽器合わせだった。もちろん、私は立ち会えなかったけれど。

楽譜係・ともさんから質問メール。「XページX小節目のヴァイオリンは3本の斜線ありですか?ダリダリダリってゆれます?」

ダリダリダリって何だよ(笑)。あぁ、刻み、つまりトレモロのことね。そこは斜線なしです。ダリダリダリって揺れません。・・・こういう擬音は初耳だな。

つらいことに、来週までに卒業・修了論文を7本くらい読まなければならない。新幹線で、そのうちの1冊を読み始めた途端に爆睡。神奈川の家に戻り、今週書いたところの整理と清書。少しやっただけで、もう午前2時半を回った。

2007年2月 1日 (木)

まっぷたつのなりゆき(7)

天気予報は午後から弱い雨か雪。はたして予報どおり、昼過ぎ雪が舞いだした・・・と思ったら、すぐにやんでしまった。今年の仙台は、本当に雪が降らない。岩手でも、やはり雪が少なくて、いつもは小学校の授業でやるスキーができないそうだ。雪が降ると、道路が凍って面倒なことになったりするから、降らないのは楽だけれど、真冬なのに何となく妙だ。ある学生くんは、学年末っていう気分がしません・・・と言っていた。

今日は、昼間に40分ほど時間が空いたので、そこでも台本3行分作曲したし、寝不足が続いているから早めに切り上げようと思っていたのだけれど、19時にいつもの演習室に立てこもって、結局出てきたのは23時過ぎ。いつの間にかそんな時間になっている。その間、暖房は足元に小さな電気ストーブを置いているだけ。

昨日までに書いたのを見て、気に入らない部分を直す。少し先を書くためにとばしていたところを埋める。スケッチ9枚分くらいが、一応繋がった。あとで清書しながら、また直すけれど。

来週の初めに、荒く通してみるから稽古場に来ないかと連絡がある。微妙だなぁ。稽古場にはとっても行きたいのだけれど、一方で、その時間があるならば書け・・・という囁きが聞こえる。週末の進捗状況から判断することにしよう。

わが学食の、夕方だけ出てくる定食、400円でなかなかボリュームがある。今日は食堂のおばちゃんが、「今日の定食のお味噌汁は特別です」とかいうから何かと思えば、味噌汁にわかめとともにワンタンが入っているのである。

う~ん・・・特別です!と強調するあたり、かえって怪しい。他の料理で余ったのを入れたか?

そして。

やっぱりね、予想通りなんだけどさ、ワンタンは味噌汁に入れない方がいいよ。この企画、何か間違ってるよな。

2007年1月31日 (水)

まっぷたつのなりゆき(6)

今日は、朝9時に呼び出されて会議、9時半から卒業演奏試験。午前の部が12時10分に終わって20分間で学食のカレーを流し込み、12時30分会議に再召集、13時から演奏試験の続き、会議の再々召集をはさんで、大学院の修了演奏試験、そして会議再々々召集と、わずかな休みもなく続き、ようやく終わったのが18時過ぎ。つまり、演奏試験の合間に同じメンバーが集まって会議をしているというわけ。

こういう異常な日が、たまに時々しばしばある。水曜日がこういう日だと、金曜頃には息切れがしてしまう。

(演奏試験を受けた諸君、お疲れさま!みんなとても立派な演奏だったよ。)

ヘタれてはいられない。学食で晩ご飯を食べて、今夜も演習室にこもり作曲をする。この数週間、仙台では学食以外のところで食事していないなぁ・・・。

19時前から始めて、気づいたら午前0時を過ぎていた。スケッチ4枚ほど。書いているところの少し先の台本を読んでいると、そっちが面白くなって、音がつき始めてしまったりする。あとで使えるから、もちろん書き留めておくけれども、途中が繋がっていないから進んだ感じがしない。こういう場合、途中を埋めるのが結構厄介な作業になることもある。

キャラクターがますます変になっている。だが、これはもうこのままいく。そして、そう、今日はちょっとしたアイデアを思いついた。まだ少し先のところなのだけれど、うまくはまればちょっと面白いことになるのではないかな。何かって?秘密だよ!

午前1時くらいに帰ってきて、明日も学校があるからさっさと寝るべきなのだが、夜遅くまで書いていると、神経が立っているからか、疲れているのにすぐ眠る気になれない。かといって、こうしてブログなんか書いてるのはもっといけないんだろうけどね。

2007年1月30日 (火)

まっぷたつのなりゆき(5)

昨日の予定どおり、リレーを受けて書いた歌を、楽譜係・ともさんに渡してから仙台に移動。甘い恋の歌?

昼間は授業があったりするので、作曲はできない。学食で少し早い晩ご飯を食べて戻ってくると、テルせんせが、最近仙台にできたキルフェボンのケーキがあるからと誘ってくれる。後でと思ったけれど、見たらあまりにも美味しそうだったから、食後にも関わらずペロっと食べてしまった。美味しかった。

8時前から演習室にこもる。気がついたら11時を回っている。登場人物のキャラがおかしくなるようなハチャメチャな音楽になってきたので、今夜はほどほどのところでやめることにした。使えそうなのは3枚ほど。今さらだけれど、登場人物たちをいじるのが面白くなっているのだ。

別のシーンでは、同じ登場人物を、別の作曲家が別のキャラで作っているだろうに、いいのか?

物語が進むにつれ、次第に明らかになってくることがあるわけだから、前の場面と比べてキャラが変わったとしても良しとする(勝手に)。だいいち、そこが共作の面白さだろうし。

明日は一日中、卒業・修了演奏試験。合間を縫って会議もあるそうだ。夜になっても、作曲するモチベーションが残っていると良いのだけれど・・・。

2007年1月29日 (月)

まっぷたつのなりゆき(4)

最近更新が滞っていますが、寸暇を惜しんで作曲をしているため(本当です)お許しを。

先週から週末にかけて、昼夜問わず何時間ピアノや机の前にいただろう・・・まるで受験生みたい。

昨日の日曜日9枚、今日5枚、楽譜係・ともさんに渡す。これでようやく大きなシーンがひとつ終了。明日仙台に移動する前に、4人の作曲家でリレーして作っている歌の部分を渡す予定。

自分的には、それなりに加速がついてきていて、だいぶ進んできたぞと思うのだけれど、如何せん初日もだんだん近づいてきているし、しかもあとの3人は、担当箇所をほぼ終了させてしまったらしい。何ということだ。私には、まだ大きなシーンがまるごと残っているのに・・・。

スタートを出遅れたことが響いているけれど、その後はかなり根詰めてやっているつもり。なのに、どうしてこんなに遅れているかなぁ・・・。最近は、作曲のために授業を休むということをしないもんなぁ・・・って、グチっていても仕方がないから、ひたすらやるしかない。けれど、煮詰まり過ぎると、本当に思考が停止してしまって、アイデアのかけらも出てこなくなる。

昨日は、気分転換のつもりで、ネマキさんの合唱団のコンサートに行った。この合唱団、正確には「歌のあつまり 風」は、以前私の作品を歌ってくれたこともある。今回は林光とアイスラー作品が中心。

「自然な声」「率直な声」「自分の声」「今の声」を求めて・・・というのがモットー(コンセプト?スローガン?)。「自然な声」「率直な声」というのはよくわかるが、「今の声」というのが面白い。

合唱団「じゃがいも」とも共通点があるけれど、こちらはよりシニアな世代が中心だし、無理をせず、作為的に作りこんだりもせず、「今の」「自分の」声をまっすぐそのまま出して歌うことに意味を見出しているようだ。人生の年輪がそのまま声に出ていると言ったら、美しく言い過ぎだろうか・・・。アミコさんがプログラムに「野放しの声」と書いていたけれど、まさにそのとおり。いずれにしても、声もステージも、グンタイ式にてきぱきしていないところが気分良い。

会場は、国政施設地帯のど真ん中。会館の前からは、こんなものが見えた。そう言えばこれ、久しぶりに見たな。

Photo_8 手前の広大な土地は工事中。ギインさんの施設ができるらしい(?)。

2007年1月22日 (月)

まっぷたつのなりゆき(3)

お前の書いた場面の音楽、すごく変で可笑しいぞ・・・と、稽古を見た何人もの関係者から言われる。音楽監督・萩の月書記長は、わざわざメールまでくれた。

しかし、稽古を覗きに行く時間が取れないので、そんなふうに言われても、何がどう可笑しいのかわからない。本人は、変だろうとも可笑しいだろうとも思わずに書き散らしているのだから、変で可笑しいとすれば、きっとナベさんはじめとするその場の歌役者たちの怪演によるものだろう。

いずれにしても、可笑しくないより可笑しい方が数倍良いわけだから、まぁ結構なことだ。

毎週月曜の定期便のように、今日も楽譜係ともさんに8枚渡す。いい加減この場面に決着をつけたいのだけれど、場面はまだまだ続く。渡した後も、ひたすら書き続ける。

私を除く作曲家諸氏からは、楽譜が続々と出てきていて、稽古もフル回転しているようだ。その様子は、大魔女ビバリー様のお部屋にも詳しく書かれている。大魔女ビバリー様のお部屋へは、左サイドバー「友人のページ」から。

2007年1月21日 (日)

元気いっぱいの「じゃがいも」たち

山形の合唱団「じゃがいも」が、亀有リリオホールで初めての東京公演を行なった。(「じゃがいも」については、昨年11月5日他に記事あり)

神奈川の家から延々と電車に乗って行く亀有というところ、そもそも初めて行くホールで、そこに山形で顔馴染みの人たちがいるのは、とても妙な気分。一体ここはどこ?

そして、演目は昨年11月5日に山形で初演されたそのままだが、あの時よりはるかに良くなっていた。そして、初めての東京公演、おとなも子どもも修学旅行状態でテンションが上がっているのか、山形にいる時よりみんな元気じゃないか!

指揮者の鈴木さんに請われて、プログラムにこんなコメントを寄せた

元気いっぱいの「じゃがいも」たち

 練習に集まってくる父親、母親。くっついてきた子どもたちが一緒に歌うようになり、「子じゃが」と呼ばれる。けれども、大人も子どもも一緒に楽しめる作品がない。だったら、作曲家に新しい曲を書いてもらっちゃおう!・・・と、まぁこんなステキなことをずっと続けてきたのが「じゃがいも」だ。こんな合唱団って、他にあるのかしら。そうやって、たくさんの合唱劇が生まれた。近頃はついに「孫じゃが」まで登場。「子じゃが」と呼ばれてきた子どもたちもすっかり大きくなり・・・というよりすでに合唱団の主力。むしろ大人を、「じじじゃが」「おばじゃが」とか呼んだ方がいいんでない?なんて冗談も聞こえてきそうだ。

その「じゃがいも」たちが東京にやってくる。初冬の山形の、ピーンと張りつめたような冷たい空気こそ彼らの歌には似合うけれど、出羽桜は東京で飲んでも美味しいよ。「じゃがいも」の歌が東京で悪かろうはずがない。

「じゃがいも」のホームページでは、他の人たちから寄せられたコメントも読むことができる。→http://homepage2.nifty.com/jagaimo/new_page_75.htm

この人たちと一緒にいてつくづく思うのは、みんなどうしてこんな素敵な笑顔をしているのだろうということだ。特に、子どもたちや若い人たちの表情がとても輝いているのである。

もっと上手い合唱団は他にいくらもあるだろう、だが、彼らには他のどんな合唱団にもまねのできない独特の暖かさがある。歌を仲立ちとして、親たちは子どもたちが、子じゃがたちは親じゃがたちが大好き。こんな当たり前のことが、昨今では何と貴重なのだろう。

121 打ち上げでのひとコマ。光先生が、ピアノで自作はもちろん、Over the rainbow だの Yesterday だのを弾きまくり、みんな歌いまくる。子じゃがのめぐみちゃんは、ブログに「人生で一番幸せな日」と書いた。

そしてこの日、ついにオソロシイ計画が公表された。この大胆不敵な計画は、すでにあちらこちらで波紋を呼んでいる模様。本当に実現するのかしら・・・、実は当人が一番不安なのだが。この際、最新情報も含めて書き込んでおくことにする。

合唱団じゃがいも 第34回定期演奏会

2007年10月20日(土) 山形市中央公民館ホール、2008年1月27日(日) 仙台市青年文化センター・シアターホール

合唱劇「銀河鉄道の夜」(委嘱・初演) 

原作:宮澤賢治、演出:山元清多、作曲:吉川和夫

2007年1月15日 (月)

近況~まっぷたつのなりゆき(2)

風邪をひいてしまった。年末あたりから治ったと思ったらぶり返し・・・の連続。先週はもう大丈夫と思ったのだが、またぶり返している。学校の暖房の乾燥した空気にやられてるような気がする。幸い、インフルエンザでもノロ・ウィルスでもなさそうだし、寝込むほどではないが、かなりうっとうしい。

にもかかわらず、「まっぷたつ」の作曲に追われ中。朝、楽譜係りのともさんから様子伺いの電話。午後、近くの駅まで来てもらって9枚渡す。

台本にしてたかだか2ページなのに、楽譜にすると9枚になる。そしてその2ページ分を作曲するのにこんなに時間がかかってしまって、つくづくいやになってくる。夕方、学校の授業が終わってから、暖房のない演習室にストーブを持ち込み、夜なべ仕事のように毎日少しずつ書いて、一週間でやっとこの量。この場だけで、台本はまだあと8ページあるのになぁ・・・。

ユグノー教徒の古老の口癖「ペストに飢饉だ!」、このひとことの音を決めるのに二週間はかかった。そして、一応音を置いたけれど、これで良かったのかどうかわからない。いつもそんな調子の手探りだ。

2007年1月 5日 (金)

「まっぷたつ」のなりゆき(1)

こんにゃく座2月公演「まっぷたつの子爵」。11月26日、12月26日に関連記事あり。

今朝、こんにゃく座の座員、楽譜係のともさんからご機嫌伺いの電話。楽譜係というのは、この時期に限っては早い話作曲家に楽譜の取立てをする人のこと。1月5日にお電話しま~す!と言っていたけど、きっちりお仕事しているのね。

だいぶできている部分はあるけれど、まだシーンの最後までいっていないし清書も済んでいないから、今日明日はまだ渡せないな、日曜日だったら渡せると思うよ、でも、それだったら月曜日に座に行くことになっているから、その時に持っていくのでいい?

それでいいですということになって、一安心。安心するとサボりたくなるんじゃないかって?そんなことはないです。もうすぐ学校が始まってしまうから(本当は今日から始まっているから・・・しくしく)、授業のない時にできるだけ進めておかなければならないことに変わりはないのだ。

かつて別の作品で、大魔女ビバリー様様が楽譜係だった時には、にこやかな物凄い形相でやってきては、1枚でも出来上がった端から奪い取っていった。それに比べると、ともさんは若い分だけ初々しい(かも知れない)。

ちなみに、今回の清書は久しぶりに手書き。最近は浄書ソフトを使ってパソコンで書くことが多いのだが、今回は、ひとりだけきれいな楽譜になってずるい!というわけのわからないブーイングが飛んでくるので遠慮しているのだ。

4人の作曲家がリレーして書いているところと、シーンを分担している部分とがある。先ほど、ようやくひとつのシーンの下書きができた。台本にして3ページしかない部分なのに、ずいぶんと言葉が多くて難航した。年末から始めてこんなに手間どっているようでは、この先もっと長いシーンが待っているのに、思いやられるなぁ・・・。

蛇足 このブログを覗いてくれている常連に「トモさん」と「tomoちゃん」がいるので、楽譜係さんは「ともさん」と平仮名にした。トモさんとtomoちゃんは同級生だが、「さん」と「ちゃん」にしていることに、深い意味はない。

2006年12月26日 (火)

「まっぷたつ」プレ稽古

こんにゃく座2月東京公演「まっぷたつの子爵」は、4人の作曲家による共作という、そこらにあんまりころがっていないオペラ。このことについては、11月26日付けの記事にも書いています。

26日、この時期には珍しい嵐のような悪天候の中、プレ稽古が行なわれた。

こんにゃく座は、昨日までに大引越しをして、別々のエリアにあった事務所、稽古場、倉庫が一箇所にまとまった。会議室や作業場、資料庫も完備して、本当の意味での拠点ができたわけだ。内装などには、まだ改築して間もない初々しさが感じられる。

本格的な稽古入りは年明けからだが、4人の作曲者が集まって打ち合わせをするついでに、出演者や座の制作スタッフが集まり、演出の加藤さんも駆けつけて、今までに作曲ができている部分を試演してみようということになった。だからつまりプレ稽古。

まだまだ芽を出した程度だから、内容についてのコメントを書くのは控えるけれど(そんなことしてる暇に作曲しなさいって言われそうだし)、4人の作曲家による共作は、なかなか面白い話題を提供することになるんじゃないかな。そういう予感は、ほんのわずかな試演でも感じ取れる。

どの部分を誰が担当するのかは見てのお楽しみだが、私の担当部分の進行は、他の3人に少々遅れをとっているので、年末年始に稼がなければ・・・。

こんにゃく座はホームページも引越しをして、リニューアルされました。「まっぷたつの子爵」公演情報もこちらへ→ http://www.konnyakuza.com/index.aspx

2006年11月26日 (日)

4つ切れの「まっぷたつ」いよいよ始動

そんなタイトル読まされてもわからないよね。

オペラシアターこんにゃく座が、2007年2月公演に計画しているのが「まっぷたつの子爵」(イタロ・カルヴィーノ原作)。そして、このオペラは4人の作曲家による共作で作ろうとしている。4人の作曲家とは、林光、萩京子、寺嶋陸也の諸氏と私。

台本・演出の加藤直さんから台本がまだ半分くらいしか出てきていないので、台本がないうちは何も動きだせないよねぇ・・・ということで、ひとまず安穏と暮らしていたわけだが、さすがにそんなことばかり言っていられなくなってきた。もうまもなく12月に入ってしまうのである。とりあえず、台本ができているところまでの作曲をどのように分担するか話し合うために集まった。(そういうわけで、今日の授業発表のオペラは見に行けなかった。ごめんな。)

どの部分を作曲したい(したくない)という思惑がある人、べつにそんなものはない人が入り混じり剣呑な空気が漂い・・・ということだと話としては面白いかも知れないが、別にそんなことはなく、お互い気心知れているから、割合あっさりと分担は決まった。だが、どのように分担することになったかは企業秘密だから、ここには記さないよ。悪しからず。

つまり、いよいよ始動しなければならない態勢が、完全にとは言えないまでもできてしまったのである。もちろん原作は読んでいるが、台本はまた別の作りだから、先が完全には見えないままの出発。しかも、他の3人がどんなふうに作曲してくるかわからないままに自分のところを書くこともあるわけだから、かなりの冒険であるし楽しみでもある。どうなることやら、乞ご期待。時々は、このブログでも進行状況を報告していこうと思っている。

ちなみに、原作本は河島英昭氏の訳で晶文社から出ています。左サイドバー「話題になった本」で紹介しておきます。

ピアノで綴るロマンの旅「小山実稚恵の世界」(補足)

昨日の記事の補足。

このコンサートシリーズに関連して出版された書籍は一般書店でも買うことができる。ここには、実稚恵さん自身が書いたすべての選曲の(面倒な言葉で言えば)「コンセプト」や寺西基之氏による曲目解説、その他寄稿などいろいろ収録されている。演奏会ごとには、小さな冊子が無料で配布されるので、これはプロジェクト全体の「公式プログラム」、展覧会場で売っている「図録」のようなものと思えば良いだろう。左サイドバーの「話題になった本」のところでご紹介しておきます。

演奏会で配られる冊子は、CDより少し大きいくらいの四角形。とてもオシャレなつくりだ。そして、実稚恵さんはここでも曲目コメントを書いている。彼女は、リサイタルではいつもそうしているのだが、それらのコメントがいつもながらとてもいい。曲の芯に触れ、どのように感じているかを優しい(もちろん易しい)言葉で語る。聴く楽しみを倍加させてくれるコメントなのである。

2006年11月25日 (土)

ピアノで綴るロマンの旅「小山実稚恵の世界」第2回

1125 小山実稚恵さんのリサイタルを聴きに行く。東京渋谷 Bunkamura オーチャードホール。

今年(2006年)から12年間、つまり2017年まで、年に2回ずつ合計24回のリサイタルが計画されて、昨年そのすべてのプログラムが発表された。それを見たときには、驚いたのを通り越して呆気にとられ、気が遠くなってしまった。けれども落ち着いて考えれば、この時期はこういうレパートリーを軸に・・・という具合に、先々の計画を立てられるというのは、演奏家にとっては意味のあることだし、そういう形でリサイタルの場が保障されるのは画期的なことだろう。それにしても、来週の授業の中身すらまだ決まっていないような状態の私などから見れば、12年後までも計画が決まっているとは、何て立派なんだろう・・・と思ってしまうけれど。

今年の6月にあった第1回は残念ながら行くことができなかったので、この壮大なプロジェクトに立ち会うのは、今日が初回。「献呈」と題された今日のプログラムは、メンデルスゾーン「無言歌」より7曲、シューマン「ソナタ第2番」、休憩をはさんでシューマン=リスト「献呈(ミルテの花 第1曲)」、そしてリストのh-moll ソナタ。

実稚恵さんは、プログラムを組むのがとてもうまい。メンデルスゾーンもシューマン歌曲のリスト編曲も、前半後半それぞれの導入として、効果的に機能している。前回、シューマン「幻想曲」とシューベルト「さすらい人」幻想曲が演奏されたので、今回の2曲のソナタとともに、ロマン派の4つの傑作ソナタ=ファンタジーが踏破されることになる。そして今回の圧巻も、やはり2曲のソナタだった。

ただごとならぬざわめき、うねり、そして風雲急を告げるといった緊張を漂わせる旋律、ひきつり痙攣するエトス、甘美な毒。シューマンの濃密なロマンティシズムは、エロスや狂気と紙一重であることをピアノから引きずり出してしまう実稚恵さんは、しかし狂気の人でもエキセントリックな人でもなく、至ってニュートラルな女性である。そういう人が、曲に塗りこめられた激情を暴きだしてしまうところが素敵だと思う。

リストのh-moll は、「ソナタ」というより「楽劇」のように聴こえた。「『古典に範を置いたソナタ』として端正に描くアプローチ」とは、おそらく逆の行き方だろう。曲の構成要素は循環動機というよりは示導動機のような性格を与えられてたびたび回帰し、異形な魅力を放つ。この曲をこのように聴いたのは初めてで、新鮮な体験だった。

実稚恵さんは、それぞれの曲や曲中の部分部分に、的確なキャラクターと推進力を与えることがとても上手だ。だから、知らず知らず引き込まれてしまう。具体的なお話を勝手に考えて弾くのだと、以前語ってくれたことがある。勝手にと言うがそれは作品に隠されたものに命を与えることであり、それによって彼女の音楽は躍動する。

大学時代はすれ違いだったけれど、ある時ひょんなことがきっかけでお話させていただくようになり、仙台で演奏会がある時などは、街へ引っぱり出して飲み食いのお付き合いをさせてしまったり。演奏会のあとは、何食わぬ顔でサイン会の列に並び、狼狽させるという悪戯もお約束になりつつある。(どうやらこのブログにも時々遊びに来てくれているらしい。)

このシリーズ、次回は来年の6月。詳細な情報はこちら→http://www.bunkamura.co.jp/shokai/orchard/lineup/06_koyama_recitals/index.html

これからの展開がとても楽しみだ。できるだけ聴きに伺いたいなと思っている。だが12年後って、もしも今と変わらずに働いていたら、そろそろ定年っていう時期になるんだよなぁ・・・。そう考えると、やっぱり途方もない。

11252_1 外に出たら、渋谷の街はもうクリスマスのイルミネーションで溢れていた。

2006年11月20日 (月)

ニャーニャック(ヴィエトナムの雅楽)

Photo_3 ヴィエトナムの古い都・フエに伝えられている雅楽、つまり宮廷音楽「ニャーニャック」の演奏会を聴きに行く。東京・紀尾井小ホール。

「ニャーニャック」は、ユネスコの世界無形文化遺産に認定されているそうだが、このたび「フエ遺跡保存センター宮廷合奏団」が来日して、宮崎と東京とで演奏会を開いた。私の同僚さとてぃ先生は、ずっとこの音楽の研究プロジェクトに関わっておられて、今回も師匠先生とともに解説をされて、それもわかりやすくて良かった。

中国にも「雅楽」(ヤーユエ)があり、韓国にもある(アアク)。日本の雅楽(ガガク)は、中国大陸と朝鮮半島から伝来した音楽・芸能が日本化されたものだ。そして、このヴィエトナムの雅楽「ニャーニャック」は、日本の雅楽と共通したところもあれば、まるで違うところも多くて興味深い。

「ケン」というダブルリード楽器の仲間は日本では篳篥だが、雅楽での篳篥のフレーズは決して長くないのに対して、ニャーニャックでは音を延々と延ばす。吹き口に円盤のようなものがあるので口元が見えなかったのだけれど、あれは循環呼吸でもしているのかしら・・・。

儀礼で用いられる「大楽」と、宴などで演奏される「小楽」という二つのレパートリーがあるということで、使う楽器も音楽の性格もずいぶん違っている。「大楽」はダイナミックだし、「小楽」は華やかでありながら繊細な響きがする。珍しい一弦琴の独奏や、フエ歌謡も紹介された。うっとりするような美しい歌だ。

中国的に聴こえないこともないけれど、響きはずっとソフトで、同時にずいぶんリズミックな曲も多い。とても美しく、楽しめる音楽である。それにしても、このような音楽を奏で伝える人たちは、本質的に平和を愛する国民に違いない。はっきりした根拠を示すことはできなくて、直感で言うだけなのだが、音楽の向いている方向が決して好戦的ではないのだ。終結後30年以上経っても、未だ評価の定まっていないヴィエトナム戦争のことを少し思い出しながら、そう思った。

2006年11月12日 (日)

AOI・レジデンス・クヮルテット

1112 先月に引き続いて静岡へ。静岡音楽館AOIで、AOI・レジデンス・クヮルテットを聴くためだ。

10月16日の記事にも書いたように、このコンサートもプログラムノートを書いていて、またAOI通信という情報誌にこのコンサートのレヴューを書くことになっている。曲目は、ストラヴィンスキー:「コンチェルティーノ」、フォーレ:弦楽四重奏曲、そしてシューマン:弦楽四重奏曲第3番。

レヴューを書くので、聴きながら考えたことをここに詳しく書くのは控えておくが、とてもバランスの良いプログラミング、そして集中度の高いすばらしい演奏だったことは書き留めておこう。とりわけフォーレ78歳の絶筆は、音楽とはこのようなことまで語ることができるものなのかと、改めて考えさせられる。シューベルト「弦楽五重奏曲」のアダージォなどと並んで、この世に遺された特別な作品であり、それを見事に体現した演奏だったと思う。

静岡音楽館AOIでのコンサートには、これまで何度も聴きに行っているけれど、いつも充実した思いに満たされる。静岡まで行くのは時間も交通費もかかるけれど、出かけていった甲斐のあるものばかりだ。芸術監督の確かな目と耳が、主催公演の内容を厳選しているからだろう。

11122 おまけの写真。三島を過ぎたあたり。秋晴れの空の中に、富士山が見事な姿を現した。

2006年11月 5日 (日)

合唱団「じゃがいも」林光作品を歌う PART 11

1105 昨日は、合唱団「じゃがいも」の33回目の定期演奏会を聴きに、山形へ行った。合唱団「じゃがいも」については、4月4~5日にも記事を書いている。

隔年で、作曲家・林光さんに合唱劇などを書いてもらって上演するといったようなことが、もう11回目、足かけ20年にもなるのだそうだ。そして「じゃがいも」さんたちとは、近年その隙間の(?)隔年で、私も少々お付き合いをさせてもらっている。

今年は、「宮澤賢治詩華集(アンソロジー)」と、委嘱作品の音楽劇「革トランク・賢治の東京」。加藤直さんが演出、第1部の指揮は林さん。

この合唱団では、団員である父親、母親にくっついてきていた子どもたちがいつしか一緒に歌うようになり、「子じゃが」と呼ばれるようになった。既製の作品で、大人も子どもも一緒にステージに上がれるようなものは、ほとんどない。そこで、そのためのレパートリーを広げるために、毎年作曲家に委嘱して、たくさんの合唱劇が生まれてきたというわけだ。今年はついに(?)「孫じゃが」まで登場。「子じゃが」と呼ばれてきた子どもたちもずいぶん大きくなり、合唱団の大きな戦力になっている。むしろ、大人を「じじじゃが」「おばじゃが」とか呼んだ方がいいんでない?なんていう冗談も聞こえてきたりする。

音楽劇「革トランク・賢治の東京」は、童話「革トランク」を縦糸として、賢治が上京した時のエピソードを賢治作品に置き換えて配したもの。東京でチェロを習うというエピソードのあとにオペラ「セロ弾きのゴーシュ」の一場面が、浅草でオペレッタを見たというエピソード紹介に続いて「飢餓陣営」が演じられるという具合。

光さんの音楽は、熟達した職人仕事。「ゴーシュ」などはもちろんだが、書き下ろしの無伴奏合唱「鳥のように栗鼠のように」などもいつも変わらぬ清潔な美しさ。どの場面も楽しく賢治の世界で遊ばせてもらった。

今回のプログラムは、来年1月21日に東京・亀有のリリオホールで、初の東京公演がある。合唱団「じゃがいも」のホームページ→http://homepage2.nifty.com/jagaimo/

1105_2 仙台から山形へは、いつもはバスで行くのだけれど、昨日は久しぶりに仙山線で出かけて行った。面白山高原あたりは紅葉の真っ盛り、山寺駅は観光客でいっぱいだった。山形の空は広い。そして、やっぱり蕎麦は美味しい。

2006年10月31日 (火)

合唱祭

昨日は、私の大学の附属中学校が催す合唱祭に、「審査員」として参加した。

会場は、仙台市内の音楽ホール。連合音楽会ならばともかく、ひとつの学校がこのようなホールを借りきって合唱祭をやるのは附属だけかと初めは思っていたのだけれど、どうやら多くの学校が同じようなスタイルで、公共ホールで行なっているらしい。以前、某公立中学に勤めていた卒業生から、やはり審査員として呼ばれたことがある。

全校合唱、学年合唱、そして各学年4クラスずつのクラス合唱と盛りだくさん。指揮も伴奏ピアノも生徒がつとめる。審査員は、全校合唱以外のそれぞれのステージについてコメントを書き、各クラス合唱に順位をつけ、他の審査員の方々と協議して賞を決め、閉会式で講評を述べる。生徒さんたちの歌声を聴くのは楽しいけれど、あまり楽な仕事ではない。

クラス作りをするのに、合唱はある程度は確かに役に立っているだろうと思う。道具もいらないし、協調性や根気が必要、達成感も残る。ステージを見て聴いていると、クラスの素顔を覗かせてもらっている感じがする。演奏が生き生きとしているクラスは、きっとみんな仲が良いんだろうなと思える。

だが、垣間見えるのは生徒たちのことだけではない。そのひとつに、例えばレパートリーの問題がある。こういう場所で取り上げられる「中学生向け合唱曲」の多くに、私は首を傾げざるを得ない。演奏が苦戦している場合、それは彼らの練習が足りないからなのではなくて、この譜面じゃ無理だろうと言いたくなるようなものがたくさんある。難易度ではなくて、明らかに作り手に問題がある曲がまかり通っているのだ。例をあげれば、音符と詞との不自然な関係。いわゆる「曲先」で作ったのではないかと思われるもの、詞のイントネーションがメチャクチャで、詞と音との関係が「きたない」ものなどなど。

「曲先」は、ポップスでは普通にやられていることだが、一人で歌う歌と合唱とでは、構造が当然違うのだということを、まったく理解していない。一人で歌うような性質の旋律に適当な下声をつけて編曲しただけみたいなものを、そもそも「合唱」と呼んでいいのか。

世界中に、また長い歴史の中には、素敵な合唱曲はいっぱいあるのに、どうしてこんなものばかりが歌われるのだろう。理由はある意味簡単。こういうものを推奨して世に送っている大人たちがいるからだ。

レパートリーの問題だけではなく、こういう催しには生徒たちの裏側に、大人の世界が透けて見える。身近な大人から、そうではない大人まで、たくさんの大人たちの鏡として生徒たちはふるまう。だが、生徒たちに責任はないが、残念ながらそれは気持ちの良いことばかりではない。

先生方だけで合唱するというステージがある。先生方が入場し始めた途端に、客席の子どもたちはやんやの大喝采だ。生徒たちは、タテマエではなく、本気で喜んで囃し立てての大騒ぎ。この時ばかりは、何となくホッとした。

2006年10月28日 (土)

ルノー&ゴーティエ・カプソン ヴァイオリン&チェロ・デュオ・コンサート

1027 昨夜は、ルノー&ゴーティエ・カプソン兄弟によるヴァイオリン&チェロ・デュオ・コンサートを聴くために、静岡へ行ってきた。(静岡音楽館AOI)

10月16日記事にあるように、このコンサートのプログラムノートを書かせてもらっている。そういうコンサートには立ち会っておきたいと思う。しかし、これがもう期待以上に面白く素敵なコンサートだった。

はじめが弟ゴーティエによるバッハの「無伴奏チェロ組曲第2番」(当初の発表は第6番だったのが変更になっていた)。全体に低めに調律されたピッチ、ほぼノン・ヴィブラートで、ピリオド楽器のような奏法。楽器をすばらしくよく鳴らし、バッハを生き生きとした姿で立ち上がらせる。音の消え際に密度を高めるような組み立て方で、とても豊かな余韻が残る。

2曲目は兄ルノーも登場して、ラヴェル「ヴァイオリンとチェロのためのソナタ」。これがこの演奏会の白眉だった。

難曲なので、個々のパートでも、アンサンブルという点でも、どうしても必死で禁欲的な演奏になってしまいがちなこの作品を、二人はいともやすやすと、硬軟自在に弾いてしまう。以前からこの曲にはずいぶん親しんで、また譜面も勉強してきたつもりだったけれど、遊び心、エスプリ、怪奇、造形美・・・ラヴェルの個性が満載されたこんなにも楽しい曲だったのかと、今さらながら驚く。

最後に演奏されたコダーイ「ヴァイオリンとチェロのための二重奏曲」やアンコール曲でも言えることだが、「息がぴったり合っている」なんていう生易しい言い方では十分ではない。この兄弟は、お互いが今何を感じているかを瞬時に理解して、ほんのかすかな気配にも反応することができるらしい。デュオの演奏というものは、どちらかが「まぁ、ちょっと待てよ」という役回りをする場合もあるだろうが、この二人にはそういうことはない。「そう来るなら、こう行くぞ」がどんどん連鎖して、フリージャズのエキサイティングなインプロヴィゼーションの場に立ち会っているよう。同時に、ラヴェルもこの二人もフランス人で、共通のアイデンティティを持っているためだろうか、ラヴェルの洒落心をそのまま自分たちのものにして楽しむことのできる余裕がある。

ルノーのソロによる「パルティータ第3番」も見事だったが、アンコールの2曲、ヘンデル=ハルヴォルセンの「パッサカリア」とシュールホフ「二重奏曲」(部分)の驚異的な演奏まで、デュオ・コンサートの面白さを満喫させてもらった一晩だった。

11月1日には、東京のトッパンホールでも公演がある。http://www.toppanhall.com/jp/index.html

2006年10月17日 (火)

「20世紀音楽 クラシックの運命」

宮下誠著、光文社新書。

今年9月の新刊。20世紀クラシック音楽は「わからない」だろうか?という問いからスタートしての、20世紀クラシック音楽案内書。著者は、美術史学を専門とする國學院大学教授。音楽は専門ではないからと謙遜して書いておられるが、新書としては異例の446ページという厚さ、目次だけで13ページ、いやはや大変な本である。そして、まず20ページに及ぶ「はじめに」では、20世紀音楽が抱え込んだ問題がわかりやすく解説されている。

ヴァーグナーからヴォルフガンク・リームまで、専門の美術史と比較して論じられる部分もあるが、主体となっているのはトピック別に要領よくまとめられた作曲家・作品紹介。しかも、既存の本では多くを知ることができなかった作曲家たちを特に丁寧に紹介している。例えば、ドビュッシーやラヴェルは3ページ足らずなのに、ヒンデミットに36ページ、パウル・デッサウに17ページを割いているという具合。ヒンデミットのページ数が異様に多いのは、オペラのあらすじを紹介していたりするからだ。いやはや大変な本である。

これは、私たちのような者にはとてもありがたいけれど、かなりマニアックだよなぁ・・・。そして、どうしても総花的で、もしも20世紀クラシック音楽入門として読もうとする人がいたら(いるとすればだけど)、結局何から聴けばいいかはわからないだろう。4月12日の記事「文学全集を立ちあげる」に見られるような思い切った価値判断も、時には必要だろうと思う。もっとも、そもそも20世紀クラシック音楽というものが一般には認識すらされていないのだから、価値の薄いものはバッサリ斬って捨てよとか言う前に、まずは聴いてごらんよというのも理解できるが。

とにかく、20世紀クラシック音楽を聴くのは結構好き、これからもっと聴いていこうと思っている人たちには、貴重な本であることは確かだ。ハルトマンやプフィッツナーやアイネムやヒナステラのことを、新書版の本で読めるようになるとは思ってもみなかったもの。348ページから426ページまでは、DVDやCD等の紹介。これもかなりありがたい。ありがたいけれど、それに頼って集めだしたりすると、相当なマニアになってしまうだろうなぁ・・・と思わずつぶやくほど、私も20世紀クラシック音楽を作ってきた端くれだから、それなりにいろいろな作品を聴いてきているが、とてもとても敵わない博識ぶりなのである。

2006年10月 8日 (日)

作曲試演会

1008_1 10月8日の午後、仙台で作曲をしている若い人たちの新作試演会があった。仙台作曲界の大御所H先生の計らいとご尽力によって実現したもので、キャパシティ80名くらいの客席はほぼ満員になった。

7名の出品者のうち5人までが、私もお付き合いしたことのある(または今もお付き合いしている)人たちなので、半分は私の研究室発表会みたいになってしまって居心地は微妙だが、なかなか楽しかった。

しかし、私の居心地などはともかくとして、若い人のたちの作品を聴いていると、なんだかんだ言っても作曲するのは面白いことだと思えてくる。どの作品にも共通した美点として、彼らの作品からは、ある種の含羞のようなものが漂ってくるのを感じる。おそらくそれは、「瑞々しさ」と一体の関係にあるものなのだろう。そして、(大学での授業発表を聴いていても思うことだが)技術でカバーできない分だけ、作曲者の心根が顕わになるものだ。

無論、それぞれに今後の課題は残している。例えば、全体に感じるのはフォルムの問題。自分が書こうとしている曲は、一体どんな形式を取りたがっているのか、そして、全曲の中で例えばこの部分はどのくらいの長さが必要なのか、短すぎたり長すぎたりしないだろうか・・・といった時間構築のバランスを取っていくことは本当に難しくて、プロの作曲家だって破綻をきたすことは往々にしてある。さらに、均整が取れていることだけが良いわけではないということもある。けれども、フォルムに対する意識が薄いと、ぐずぐずと独り言を聞かされているような感じになりがちで、説得力が薄くなってしまう。

・・・などというようなことをエラそうに言うのは、教師根性に汚染されてきているためかも知れないが、彼らを批判する意図ではなくて、半分は自分に向けて言っているのである。

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書きかけているものを教室で見せてもらっているときと、公的な場所で演奏されるときとでは、微妙に印象が変わることがある。それは、当たり前のようなことだが、作品と演奏者と私たちの間に聴衆がいて、会場の空気を作ってもらっているためだ。プロフェッショナルによる大きなホールでの演奏会以上に、こういった会場での作品演奏会では、聴衆の息遣いがとりわけ大きな後押しをしてくれるのである。聴衆におもねる必要はないが、人に集まってもらう以上は、どんなに若い作曲者、演奏者であっても、聴衆とともに演奏会を作るのだという意識は常に持っておくべきだろう。

2006年9月28日 (木)

こどもたちへ メッセージ2006

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日本作曲家協議会とカワイ出版とで毎年催している「こどもたちへ」。

作曲家協議会所属の作曲家たちが子どもたちのためのピアノ曲を作曲して、カワイ出版が出版する。もう22回目になるのだそうです。そして、毎年作曲家が自作自演するコンサートでお披露目することになっていて、今年は9月30日に紀尾井ホールで行なわれます。

詳細はこちら→http://kawai-kmf.com/topics/2006/09.30/

今年は、「ミミファラ」というタイトルの易しい連弾曲を作曲しました。30日に、カワイ音楽教室所属の小学校1年生あいりちゃんと連弾します。作曲家はみんなピアノが上手いと思っているととんでもない間違い。上手い人はとんでもなく上手いけれど、誰とは言いませんが、大御所の作曲家だけれどピアノの腕前はかなりよちよちな先生もいらして、でも作曲家本人が弾くことを面白がられるらしい。私だって、ものすごくよちよちですからね。あいりちゃんを困らせないようにしなければ。

刷り上ったばかりの楽譜が届きました。楽器屋さんの店頭に並ぶのは、10月上旬かと思います。機会があったら、ぜひ手にとって見てくださいね!

楽譜の詳細はこちら→http://www.kawai.co.jp/editionkawai/detail.asp?code=0473

2006年9月26日 (火)

「3つの」ジャズ組曲

今年はモーツァルト生誕250年ばかりが目立つけれども、ショスタコーヴィッチ生誕100年でもある。そしてそのショスタコーヴィッチに、2曲の「ジャズ組曲」というタイトルの曲があるのをご存知の方も多いだろう。

第1番は室内オーケストラ、3曲からなる組曲で、第2番はフルオーケストラ、8曲構成・・・と知られているわけだが、どうやらそれは違うらしい。第1番は1934年の作曲だが、実は1938年に書かれた3曲からなる「第2番」が近年発見されて、「一般に第2番と呼ばれている作品」とは別物なのだという。では、「一般に第2番と呼ばれる第2番」は一体何かというと、「ヴァラエティ・ステージ・オーケストラのための組曲」ということになるらしい。全音楽譜出版社から出ているスコアの大輪公壱氏による解説がその事情を明かしてくれる。そして、「ヴァラエティ・・・」の成立は1950年代だという。なーんだ、いくら仮面をかぶるごとく本音と建前を書き分けたかのように言われるショスタコーヴィッチでも、1番と2番とではどうもスタイルが違いすぎていて変だなぁと思ったのは理由があったわけだ。

つまり、こういうことらしい。「ジャズ組曲」は2曲ではなくて3曲なのである。

・第1番(1934)3曲

・第2番(1938)3曲

・(一般に第2番と呼ばれていた)「ヴァラエティ・ステージ・オーケストラのための組曲」(1950年代)8曲

第1番の楽器編成は、木管はサキソフォーンだけだし、弦はヴァイオリンとコントラバスだけ。それにトランペット、トロンボーンの他に、ピアノやさまざまな打楽器、バンジョーやハワイアン・ギターまでが加わる。蓮っ葉な身振りをするようなけだるい音色は、ちょっとクルト・ヴァイルを思いださせる。それに対して、「ヴァラエティ・・・」はサキソフォンや金管が増量された変則1管編成にギターやアコーディオンなどなど。諧謔やモダニズムは影をひそめ、例えばグリンカやチャイコーフスキー、つまりロシア・ロマン派の王道を行く華麗な楽想に繋がろうとしているかのように思える。そして、「ヴァラエティ・・・」はまったく「ジャズ」ではない。

それでは本来の第2番はといえば、オリジナルのオーケストラ譜は戦争で失われ、イギリスの作曲家がピアノスコアから編曲したものを、2000年に蘇演したのだという。だからこれは、現在のところほとんど知られていない。

それにしても、どうしてこんなややこしいことが起こるんだろう・・・。

ショスタコーヴィッチの作品は、交響曲や器楽曲だってそうだが、特にこの種の娯楽性の強い作品については、どこまでソヴィエト連邦の国策が反映している(させられている)のか、裏の裏まで探りはじめるとわけがわからなくなる。だが、彼の交響曲を聴くにはいささか覚悟が必要だが、これらの作品はとりあえず楽しく聴けるし、ショスタコーヴィッチの職人技の確かさ、オーケストレーションの見事さは無条件に堪能できるだろう。

テオドレ・クチャル指揮、ウクライナ国立交響楽団というCD(ブリリアント・クラシックス、輸入盤)を聴いてみた。早い話、3枚組1,700円という安さに釣られたわけだけれど、かなり良い演奏。熱っぽくもあり、しかしいわゆるロシアのオケの来日公演「チャイコ6番・ショスタコ5番」定番だぞどうだ参ったか!と重戦車の進軍みたいに力技でねじ伏せようというものではなく、通俗のツボを押さえつつ洒脱。あとの2枚には、バレエ「ボルト」「明るい小川」「黄金時代」の組曲や、映画音楽「ハムレット」「馬あぶ」などが入っている。
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2006年8月30日 (水)

「もう飛ぶまいぞこの蝶々」

いうまでもなく、モーツァルト「フィガロの結婚」第一幕の最後、フィガロによって歌われるアリア。

小姓ケルビーノは、伯爵がくわだてる色事をことごとく邪魔してしまう。お屋敷の女性たちにちょっかいをかけに行くたびに、そこに伯爵も同じ目的で現われるというわけだ。スザンナの部屋で見つかったケルビーノは、ついに伯爵を激怒させる。許しを請うケルビーノに、伯爵は言う。

「よかろう、許してやる、いやそれ以上のことをしてやろう、連隊の仕官に任命する、今すぐ出発しなさい」
早い話邪魔者は追っ払われるのである。

それを聞いてフィガロが歌う。

「花の心騒がす、罪作りな蝶々ケルビーノ、今日からは羽を取り上げられ、鉄砲かついで、サーベル片手に、泥の中を進軍、野山をふみわけ、雪の日も雨の日も、ラッパや大砲の音が耳をつんざく戦場へ、勇ましく行け!」(堀内敬三訳に基づく)

物語では、ケルビーノは戦場へ行くことはない。フィガロの機転によって出発を免れ、その後もさんざん騒ぎを起こすものの、バルバリーナとのハッピーエンドが用意されている。が、それはずっと後のこと。この名高いアリアの間に、ケルビーノは軍人のなりをさせられ、今すぐ出発だと促されて舞台から消える。

元の台本によれば、フィガロは、このアリアの直前、ケルビーノに向かって「出発前に話がある」とささやく。すでに彼の頭の中には、ケルビーノを戦場に行かせない計略があるのだろう。その上で、「勇ましく行け!」と歌うのである。

この歌は、ケルビーノに対するからかいだろうか?
いや、単なるからかいというよりも、無情な伯爵へのあてつけと考えたくなる。
実際、このアリアの間、伯爵とフィガロがずっと睨み合っている演出を見たことがある。

愛の狩人だったはずのケルビーノが軍服姿になっていくさまは、軍楽調が高まっていくにつれて、かえって悲壮さをにじませる。ケルビーノって奴は、色恋のいたずらをしているよりも軍隊へ行く方が良い・・・と、この場面を見て納得する人はいないだろう。恋ある人生に比べて戦場がいかにむなしいところか、そうは言わないのに、軍楽調が高まれば高まるほど訴えかけてくる。つまり、世界で最も美しく勇ましい軍隊行進曲でありながら、同時に世界で最も強く厭戦を叫ぶ。そんな離れ業を見事にやってのけたのがこのアリアだ。まったく、モーツァルトって奴の凄さは測り知れない。

こんにゃく座「フィガロの結婚」東京公演、本日無事千穐楽を終えました。連日の盛況のお祝いとして、私もスタッフの一人として大入袋をいただきました。たくさん応援してくださって、ありがとうございました。

2006年8月26日 (土)

甦ったオペラ~高木東六氏を悼む

昨日(8月25日)、作曲家の高木東六氏が亡くなられた。

私が子どもの頃には、歌合戦番組の審査員としてテレビに登場していたのをよく覚えている。黒ぶち眼鏡に「ベレー帽」というものを被りちょっと気障な物腰、「作曲家」という浮世離れした仕事をしている人はみんなこういう雰囲気なのかと思った人も多いかも知れない(決してそんなことはないのだけれど)。そして、「水色のワルツ」をはじめとする洒落た小唄の作曲者。青年時代にはパリのスコラ・カントルム音楽院などに学び、ヴァンサン・ダンディに作曲を師事したというような本格的な経歴を知ったのは、ずっと後のことだ。

印象深いできごとがある。
ある日、友人のヴァイオリニストMS女史から電話。今度高木東六氏のオペラの再演があって、彼女のご主人が演出をするので見に来ないかという。へぇ~・・・高木東六さんにオペラがあったの?失礼ながら、東六氏についての知識は、上の段落に書いた程度なのである。オペラ「春香」の蘇演が神奈川県民ホールで行なわれたのは、2002年4月のことだった。特別な期待も持たずに出かけていった。だが、この日は忘れ難い一日となった。

作曲者の言葉によれば、オペラ「春香」は、「昭和十四・五年に手をつけ出して大戦直前迄に第三幕迄書き上げてあった」のだが、戦禍によって完全に失われてしまった、そこで別個の作品として、前作とは違った創作態度をとって第二作というべきものを、「昭和廿一年早々から、とりかかって翌年の二月にピアノ・スコアを脱稿し、引き続いて管弦楽総譜はその十月に完成した」のだという。つまり、第三幕までも書けていた楽譜を戦災で失ってしまった、そこで、一からもう一度作曲し直したというのだ。ものすごい創作意欲ではないか。

原作は朝鮮の古典文学「春香傅」、台本は村山知義。プロレタリア演劇の旗手とフランス帰りの作曲家の協働と聞いて少し妙な感じを覚えるのは、先入観にとらわれ過ぎだろうか。朝鮮半島の文化への共感が、この二人を結びつけたのかも知れない。
初演は1948年。このたびの公演は何と54年ぶりの再演!折から日韓共催ワールドカップ・イヤーで、日韓文化交流の一環として実現できたのだという。今回の公演のために、奥慶一さんが補作した。

作品は、まずヴェリズモ・オペラのスタイルであることを了解したうえで言うが、実に見事な音楽だった。メロディーは美しく、オーケストレーションも流麗、また展開や構成はとても劇的だ。高木東六という作曲家に対する私自身の認識が浅かったことを恥じた。
なぜこんな立派なオペラが半世紀も放っておかれたのだろう。日本のグランドオペラの歴史は、山田耕筰「黒船」の次は團伊玖磨「夕鶴」で、それ以外見向きもされなかったのはとても不当なことに思える。そして54年ぶりに甦った「春香」は、今また眠りについている。そんな作品が、この国には無数にあるのだ。

98歳の東六氏は車椅子で舞台に登場、カーテンコールに応えられた。また、休憩時間には、喫煙所で美味しそうに煙草を吸う姿があった。煙草が身体に悪いというのは、すべての人に対して一様に言うべきではない。

後日、オペラ「春香」蘇演のことを林光さんにお話したら、「あぁ、あれなかなかのものでしょ?」とおっしゃった。ご覧になりましたかという問いに、光さんいわく「ぼく、初演見てる」。それもすごい話だ。

高木東六氏、享年102歳。ご冥福をお祈りする。

2006年8月25日 (金)

琉球カチャーシー~金井喜久子の音楽

金井喜久子(1906~86)という沖縄(宮古島)出身の作曲家について、今年生誕百年ということもあってか、再評価の動きがある。一般にあまり知られていない、日本の(特に物故)作曲家の作品に触れる機会が増えるのは、とても良いことだ。
「琉球カチャーシー~金井喜久子ピアノ曲全集」(ピアノ=高良仁美、キングインターナショナル)というCDを見つけたので、メモしておこう。

金井喜久子は、沖縄から出た最初の本格的なクラシック系の作曲家。女学校時代、学校の音楽室のピアノで沖縄民謡を弾いていると、教師から「そんな下品な沖縄民謡など弾いてはいけません」と注意された。この衝撃をきっかけとして湧き起こった「沖縄音楽の真価を世の中に知らしめたい」という心情は、彼女の音楽活動の原点となった。創作活動以外にも、1954年には「琉球の民謡」という本を著している。これは民謡を採譜した楽譜と研究論文からなるもので、毎日出版文化賞を受賞し、現在は復刻本が刊行されている。

少し前に、1939年に作曲された「交響曲第1番」の初演(1940)の録音を復刻したという珍しいCDが出たので聴いてみたが、習作の域を出ないもので、「日本の女性作曲家が作った最初の交響曲」という触れ込みには興味を惹かれるけれど、この作曲家の特徴を聴き取ることはできなかった。
「ピアノ曲全集」(CD1枚)に収められている曲は、十二音技法を試したという「アダージョとアレグロ」と、初期の交響曲第1番「未発表のフィナーレ(ピアノスケッチ)」以外はすべて民族色の濃いもので、タイトルも、バレエ音楽「龍神の祭り」序曲、「琉球カチャーシー」、「琉球譚詩曲」「琉球狂詩曲」といった具合。もうひとつ、「ブラジル・ラプソディ」という曲もある。

琉球色の強い作品は、いずれもピアノのヴィルトゥオージティに裏打ちされており、構成にはいささか取りとめのなさも感じられるけれど、独自の語法を拓こうとしていることはわかる。ひとつひとつの曲の作曲年代は違っているが、年代による作曲上のスタイルの大きな差異はなさそうだ。共通して意識されているのは、アルベニスやファリャあたりだろうか。惜しむらくは、これらのピアノ曲が一連のまとまった連作にはならなかったことだ。もし連作として、もっと違ったタイプの楽想も取り込みながらまとめられていたら、琉球版アルベニス「イベリア」もこの作曲家には可能だっただろう。

いずれにしても、今どき沖縄民謡を下品と言い捨てる音楽教師はいないだろうし、いささかのエキゾティシズムを伴ってではあるとしても、沖縄文化はごくあたりまえに受容されている。私たちは、さまざまな沖縄音楽に触れる機会を日常的に持っているし、先島諸島も含めて沖縄への観光も盛んだ。だが、それはほんの最近の傾向に過ぎない。1970年のLPレコード「母と子の沖縄のうた」で音楽監修をつとめた金井は、わらべうたの歌詞を、沖縄語のまま吹き込むべきか標準語に直すべきか迷った末、標準語に直している。「花のかざぐるま」などと歌われるその録音は、すでに「花ぬかじまや」という「原語」を聴き慣れている耳にはかえって違和感もあるが、「本土」の人たちに少しでも内容を伝え、愛唱してもらいたいという金井の願いの重さを記録したものと言えるだろう。
沖縄音楽普及の先駆者である金井喜久子の役割を、生誕百年を期に、あらためて記憶しておきたいと思う。

2006年8月20日 (日)

「フィガロの結婚」モーツァルト・エキゾチカ

オペラシアターこんにゃく座による「フィガロの結婚」の公演が近づいてきた。
こんにゃく座が初めてこの作品を発表したのは1984年。それ以来、4回目の上演ということになる。こんにゃく座は、オペラ作りのポリシーから、大オーケストラによるグランドオペラではなく、「ピアノ・オペラ」を標榜している。原曲がオーケストラ編成だとしても、ピアノ1台で可能な表現の在り方を探ってきた。けれどもこの作品では、いくつかの曲はピアノ・プラス・アルファ、すなわちピアノにいくつかの楽器を加える楽器編成にしたいということで、もう20年以上前のことになるが、編曲スタッフに私も加わった。その後再演されるたびに、少しずつピアノ以外の楽器が入る曲が増えたり手直ししたりで、現在のかたちになっている。細かいことは、座の代表でもある音楽監督・萩京子さんに近年はもうすっかりお任せだけれど、公演も近づいてきたので、稽古を覗かせてもらいに行く。

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1984年の初演からずっと、演出は加藤直さん。だが、再演を重ねるたびに会場も出演者も変わってきたから、当然演出も新しい考えのもとで作り変えられていく。今回は、「モーツァルト・エキゾチカ」という副題が付けられた。どんなふうに「エキゾチカ」なのかは、幕が開いてのお楽しみということにしておこう。
エネルギッシュで大胆、そしてスラップスティック風な「フィガロの結婚」、どうぞご期待ください。公演は、8月24日~30日、東京六本木・俳優座劇場。詳細は、こんにゃく座ホームページへ。http://homepage2.nifty.com/konnyakuza/
(このページ左側の「記事関連リンク」項目のところからも飛ぶことができます。)

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(まだ未発表の舞台なので、どんな作りになるのかは企業秘密に属するかも知れません。なので、写真は小さめ、また表面を加工してあります。悪しからず。)

2006年8月16日 (水)

2枚のディスク(モーツァルト)のことなど

後期に出す分析の授業で扱う曲を何にしようかなぁ・・・などと考えながら、2枚のモーツァルトのディスクを聴いてみる。

1枚は、最近入手したもの。バロック・ヴァイオリンのアンドリュー・マンゼがイングリッシュ・コンサート(English Concert)と共演したディスクで、Nachtmusik 「夜の音楽」というタイトルがつけられている。収録曲は、「アイネ・クライネ・ナハト・ムジーク K.525」「アダージォとフーガ K.546」、「メヌエット K.485a」をはさんで「セレナータ・ノットゥルナ K.239」、そして最後に「音楽の冗談 K.522」。う~ん・・・そう来るかぁ・・・という選曲ですね。通して聴いていくと、だんだん変な音がしはじめて、最後はグチャグチャな和音で終わるという、モーツァルト・イヤーですものやっぱりモーツァルトは優雅ですわねぇと浮かれている向きには、決してお薦めできないシロモノ。いや、それこそ冗談。1曲目から、ミミタコにも関わらず、「あれ?アイネクってこんな曲だっけ?」と思わせる新鮮さ。ピリオド楽器特有の響きで曲の輪郭が明瞭に描きだされ、快速なテンポで疾走する。

そうこうしているうちに、家のCD棚にトスカニーニ指揮NBC交響楽団の「交響曲39、40、41番」があるのを発見。聴き直してみてびっくりした(・・・いや、トスカニーニはいつだって久しぶりに聴き直すとびっくりするんだけれど)。行け行けどんどんの爆走ぶりはもちろん健在、あ、あのぉ・・・難しい(弾きづらい)ところにくるとますます煽っていませんかぁ・・・と、思わず心配になって、後ろから一応声をかけてみたくなる。もっともモーツァルトは、だいたい一番難しいところがクライマックスだったりするから、仕方がないが。指揮官が(たぶん)物凄い形相で睨みつけながらこれでもかと煽るので、ついていくオーケストラは必死だ。んなテンポじゃ弾けねぇよ!だの、マエストロもう勘弁してください!足がつりそうです!・・・な~んていう言い訳は一切許されない。ゆるんだ演奏から得られるものは何もない!と言い放ったかどうかわからないが、ほとんどオシムジャパン地獄の合宿の様相。

トスカニーニは、どんな時でもきりりと引き締まった演奏をする。厳格にして鋭い切れ味はこの指揮者の大いなる魅力だ。だが珍盤もあり、「ポピュラー名曲集」のようなディスクでは、同じノリでこともあろうに「スケーターズワルツ」をやったりするものだから、聴いているとなかなかつらいものがある。決してふわふわ漂うような3拍子ではない。こういう曲だからといって、弾き手も聴き手も遊ばせてくれたりしないのだ。
そういえば、以前に読んだ「トスカニーニの時代」(ハーヴェイ・サックス著、高久暁訳、音楽之友社)という本はとても面白かった。爆裂するのは演奏だけではない。ムッソリーニの全体主義体制に歯向かう硬骨漢としての、トスカニーニの爆裂ぶりも実に見事なのである。

2006年8月14日 (月)

私は誰?ここはどこ?そして何をうたうのか?・・・

現代芸術論第15回(8月3日最終回分)

4月から15回にわたって、「現代芸術論A」という授業で「日本の作曲家」を取り上げてきた。授業概要と授業計画は以下のとおり。これらは、大学のホームページ掲載の電子シラバスでも見ることができる。

●授業概要
現代の音楽の展開を、様々なトピックに基づき考察する。社会情勢が激動し、価値観が多様化し続けた時代にあって、作曲家・演奏家たちは何を考え、自らの作品・演奏に何を託そうとしたのか、そしてそこで何が実現でき、また何が実現し得なかったか等について、ディスクを聴きながら考えていく。
●授業計画
今年度のトピックは日本の作曲家。音楽スタイルの変遷を追いながら、瀧廉太郎や山田耕筰以降の日本の作曲家たちが目指してきたものについて考察する。

このブログでは要点の他に、授業で言い残したこと、うまく言えなかったことなどをまとめてきた。左側下の方の「カテゴリー」で「芸術・文化(授業の余滴)」を選ぶと、この関係の記事だけを表示することができる。

15回の授業では、約30人の日本人作曲家の作品、70曲余りを聴いてもらってきたことになる。もとより「日本現代音楽小史」ではない。歴史的視点から日本人作曲家の仕事を網羅するには、特に戦後の作曲家の作品傾向は偏りすぎている。林光、三善晃、松村禎三、一柳慧、湯浅譲二、高橋悠治といった作曲家について話すことができなかったのは残念だし、武満徹にしても、没後10年というメモリアルイベントもあいまって、これだけ世界的名声を誇っているのに、取り上げたのは「秋庭歌」だけとはいかがなものかと非難を受けそうだ。だが開き直るようだが、限られた時間の中で聴ける作品は限度がある。そのためには、ともすると見逃しがちな作品を優先したい。武満は他にいくらでも聴く機会があるから、ここで取り上げるのは1曲にとどまった。

15回をゆるやかなテーマで括るとすれば、「日本の作曲家は、どのように『(自分が)日本人(作曲家)であること』と向き合ってきたか」ということになろう。その格闘ぶりは、現代の作曲家たちに比べ、戦前、戦中の作曲家たちの方がより熾烈だったように思える。「どのように日本人(作曲家)であることと向き合ったか」といっても、その姿は千差万別、集約することなどは不可能だから、それぞれの作品から聴きとっていくしかないだろう。だが言えることは、どのような作風であるにせよ「自分が日本人であること」から完全にフリーになっている作曲家は皆無ということだ。海外暮らしが長ければコスモポリタンになるかといえば決してそうではなくて、かえって強烈な愛国主義者になったりする。振りかぶって言えば、「日本人作曲家であること」との格闘の諸相を見ることは、作曲家たちが「日本とは何か」「日本人とは何か」について考えてきた精神史を辿ることになるだろう。

しかし、それはちょっと振りかぶり過ぎで、要は日本の作曲家たちの作品に興味を持ってもらいたい、その切っ掛けになればということなのである。音楽を専門的に学ぶ人たちが、何世紀も前の、遠い異国の、なかなか想像しがたい階級と生活環境の、測り知れない才能を持った天才たちが作った音楽以外には一切目が向かないというのは、やはり異様なことだと思うのだ。
ただ日本の作曲家たちの作品、特に戦前・戦中の仕事は、故秋山邦晴氏の労作「昭和の作曲家たち」(みすず書房)などをわずかな例外として、十分に検証、紹介されてきたとは言えない。最近になって、NAXOSからシリーズで出ているCD「日本作曲家選輯」や音楽評論家・片山杜秀さんの仕事、紀尾井ホールでの演奏会シリーズ「日本の作曲・21世紀へのあゆみ」や、芥川也寸志氏の遺志を継いだオーケストラ・ニッポニカの活動などが、戦前から戦中の創作状況をようやく少しずつ伝えてくれるようになった。これらのディスク、演奏会でいくつもの作品が甦ったのはとても喜ばしいことだ。

最終回の2つの作品は、吉川和夫「遠野民譚抄」~歌と十七絃のために (2003/平成15)~よりと、「2つのヴァイオリンとオーケストラのための協奏曲」(2002/平成14)。
バリトン歌手谷篤さんの「柳田国男『遠野物語』を歌いたい」という念願を叶えるべく作曲された「遠野民譚抄」は、当然のことながら、いわゆる「歌曲」にはならず「語り物」に近いものになった。「遠野物語」の中から選ばれた7話の文章そのままにフシ付けがされているが、そのフシは、聲明や平曲などからたくさんのエッセンスを得ている。新作聲明「論義ビヂテリアン大祭」で取った方法を、ここでは僧侶ではない歌手が歌うことを前提で行なったということになるだろう。
「2つのヴァイオリンとオーケストラのための協奏曲」でも、聲明から敷衍した旋律が曲をリードしていく。2つのヴァイオリンは、どちらかが優位になるということはほとんどなく、双子の姉妹のように、ひとつの性格の2つの分身のような鏡像をなす。
いずれの作品も瑕があり、完璧な出来栄えとはとても言えないし、簡単には再演できそうにない作品だが、自分なりに集中できた仕事であるとは思うので、この授業の(ゆるやかな)テーマの延長にある表現として聴いてもらうことにした。

2006年8月11日 (金)

日本の謡・歌・唄

現代芸術論第14回(7月27日分)

日本の民謡や民俗芸能を素材にした作品。
間宮芳生「日本民謡集」は1955(昭和30)年に始まり、今なお書き継がれている作品集。作曲者自身、この曲集は「私の作曲の仕事の中心の核のようなもの」と述べているとおり、アルト歌手内田るり子氏との「共同研究」でもあった初期作から最近作に至るまで、間宮作品のエッセンスが凝縮された曲集であると言えるだろう。民謡からの作曲といえば、ブラームス「ドイツ民謡集」、バルトークとコダーイによる「ハンガリー民謡集」、そしてファリャ「7つのスペイン民謡」を思い出す。さらに、歌のパートに対するピアノ・パートの楽しい意外性という意味で、ストラヴィンスキー「4つのロシアの歌」や初期のいくつかの歌曲を加えても良い。間宮「日本民謡集」は、これらの仕事を意識した上で書かれながら、これらのどれよりも端正な居ずまいを誇る。素材となった唄は、「とのさ」や「まいまい」「南部牛追い歌」のようなスタンダードな民謡の他にも、東京・青ヶ島の呪術的な「でいらほん」、八戸神楽による「翁舞の唄と囃子」のような民俗芸能の唄が含まれていて大変多彩。秋田の「杓子売唄」のようにしばしば単独で演奏される作品もある。そして、ピアノパートは単なる「伴奏」ではなく、歌のパートと常に拮抗するように書かれており、そこからは日本の伝統楽器やジャズからのエコーを聴き取ることもできよう。
CDの時代に入ってから長らくディスクで聴くことができなかったが、フォンテックからCDが出て、最新作を含めた全曲を聴くことができるようになった。ルネサンスやバロックの名歌手である波多野睦美、東京混声合唱団時代からの表現者である森一夫による歌唱は、それぞれの曲のキャラクターを的確に表現していて、この作品の決定盤と言うべきディスクになっている。野平一郎、寺嶋陸也のピアノによる優れたサポートも特筆すべきだろう。

今なお書き継がれている間宮作品ということでは、合唱のためのコンポジションを忘れるわけにはいかない。現在第16番まで発表されているこの連作は、ゆるやかに繋がったシリーズを成しながらも、それぞれが強烈な個性を放っている。第5番「鳥獣戯画」は1966(昭和41)年の作品だから40年前ということになる。この作品は、他の多くの「コンポジション」シリーズのように、ノンセンス・シラブルだけで構成されている。この作品を形作る音楽語法は、決して「保守的」ではなく、むしろかなり大胆なものだが、いわゆる「前衛」のそれとはまったく違っていて、聴く者を疎外させるようなことはない。哄笑をたっぷり含んだ大らかな風刺の表現は、鳥羽僧正の筆と伝えられている「鳥獣戯画巻」同様みずみずしく、色褪せることがない。

日本の民謡や民俗芸能を素材にした作品ということで、柴田南雄の仕事にもひとこと触れておきたい。1973(昭和48)年の「追分節考」を皮切りに多くのシアターピースが作られたが、やはり「追分節考」が現われた時の新鮮さは記憶に残る。ここには合唱と演劇と音楽学が融合された面白さ、楽しさがある。そしてこれは、伝承と前衛とをひとつの作品の中で共存させるという実験的な「場」でもあるけれど、単なる試みの範疇だけにとどまったものではない。本来はコンサートホールでの生演奏に立ち会って、音の空間性や重層性を受け取らなければ作曲者の意図が完全に伝えられたとは言えないけれど、ディスクを聴くだけでは致命的に不十分とまでは言えないと思う。シアターピースであるとはいえ、その根幹はさまざまなヴァリエーションを持つ「追分節」が生き生きと構成された美しい音楽で、聴き終わったあとにはほのかな郷愁のようなものが残る。視覚的、空間的要素を取り払って単なる合唱曲としてディスクで聴いたとしても、一定の充実感を味わうことができるのである。

2006年7月25日 (火)

国立劇場の冒険(2)

承前

昭和59(1984)年、石井眞木作曲による新作声明「蛙の声明」の誕生は、プロデューサー・木戸敏郎と国立劇場による三つ目の冒険と言えよう。舞台に登場するのは本職の僧侶たちであり、日々のお勤めの場でのみ唄われていた声明の声に、仏典ではない言葉、伝統的ではないフシ回しが作曲された。日本語の言葉と芸術的な音楽表現との関係は、瀧廉太郎以降様々に試みられてきたことだが、表現者としての僧侶の登場は、日本語の作曲にとって大事件と言えるだろう。またここでは、宗派の異なる声明が同じ舞台に立つという画期的な試みが成功している。
「蛙の声明」は、草野心平の詩と石井眞木の音楽的資質が、幸福に結びついた例である。ただし、草野心平の詩にある破天荒とも言えるスケールの大きさに対峙する石井眞木の音楽的設計は、ダイナミックでありながらも予定調和的であり、全体としてはお行儀良く感じられる。それだけ、草野心平の世界が型破りなものなのだと言えそうだが。

「蛙の声明」の成果は、平成3(1991)年初演の吉川和夫「論義ビヂテリアン大祭」に繋がっている。石井眞木が演者任せにして、細部についてはやや放置した感のある論義風の部分の言葉ひとつひとつについて、この作品では丹念にフシが付けされている。日本語にどのような音を付し、どのようにテンポを伸縮させ、どのような声で歌われることによって、語りと歌との間(あわい)なるものが現出できるか、作曲者がかつてオペラ「金壷親父恋達引」で試みて以来のテーマを、別の面から考える作品となった。声明と狂言の語り、そして唄には、日本語を歌うということの原点があるはずだ。だが、現代の日本の歌、歌曲のほとんどは、そういうところを出発点にするなど眼中にないといった様子である。
「論義ビヂテリアン大祭」は、宮澤賢治の原作の面白さ、田村博巳による優れた構成・演出もあいまって、「秋庭歌」を除けば国立劇場委嘱作品としては異例と言ってもよいほどに再演を重ねている。

国立劇場の作品委嘱活動は、木戸が取り組んだ雅楽、復元楽器、声明以外にも、筝や尺八、打ち物など日本の楽器のためにたくさんの作品が書かれてきた。この活動は、木戸の定年退職後、後輩のプロデューサー田村博巳らに受け継がれるが、1999年第94作を最後にリストは途絶えてしまう。理由はわからない。しかし、そもそも国立劇場というところは、廃絶した作品の復活や普通に上演されているレパートリーの確認が本分であって、新しい作品を作曲家に委嘱する必要などないという、全盛期当時から洩れ聞こえてきていた上層部の声が反映したものでないことを祈るばかりだ。創作のエネルギーを失った劇場は、生きた現場とは言えないからである。

国立劇場の冒険(1)

現代芸術論第13回(7月20日分)

東京・隼町にある国立劇場は、数々の特筆すべき「冒険」を積み上げてきた。ここでは、雅楽や声明に限って記してみる。そのためには、まずこの劇場のプロデューサー・木戸敏郎の大いなる功績を辿ることになるだろう。

昭和45(1970)年に初演された黛敏郎作曲による「昭和天平楽」が、国立劇場委嘱による最初の作品となった。現在この記念すべき第1作は、古いLPレコードでしか聴くことができない。残念なことだ。

「昭和天平楽」に続くのが、昭和48(1973)年に書かれた武満徹「秋庭歌」で、この委嘱作品シリーズは、第2作にして歴史的な名作を世に送り出すことになった。6年後の昭和54(1979)年には、「秋庭歌」を第4曲目に置いた「秋庭歌一具」がまとめられ、全6曲、演奏時間1時間近くを要する大曲となる。
「秋庭歌」という曲名は、雅楽本来の抽象性からはずれることなく、なおかつファンタジーを喚起する、実に的を得たタイトルだと思う。そして、そのタイトルから連想されるファンタジーを裏切ることのない美しい音楽である。これほどに、タイトルと内容が補完し合うタイトルは、なかなかあるものではない。
私は、「秋庭歌一具」の演奏者のひとりとして、初演と最初のレコーディングに参加するという得がたい経験をした。当時、この作品に対する演奏者たちの理解は、全体としては決して高かったとは言えず、武満さんも練習に立ち会いながら首をひねる場面が多かったように思う。だが、初演者である東京楽所のメンバーは協力的であったし、この作品が美しいものであることは理解していたから、真剣に取り組んでいたことは間違いない。近年では、芝祐靖氏率いる伶楽舎がこの作品を重要なレパートリーとして磨きあげ、世界各地で演奏し続けている。その演奏は整然としていて見事なものだが、反面、かつての東京楽所による、やや雑な部分がありながらも大らかなたたずまいを漂わせていた演奏を懐かしく思うこともある。

「秋庭歌」は、初演時から好評をもって迎えられたが、すべての委嘱作品がそうだったわけではない。昭和52(1977)年、シュトックハウゼン「LICHT - HIKARI - LIGHT」の初演では、この国ではあまり例を見ないブーイングが鳴り響いた。しかし、プロデューサー・木戸敏郎は、「賛否両論」というよりはほとんどが「否」の包囲の中で、かえって戦闘意欲を燃やしたようだった。例えば、ある舞楽面を指して、あんなふざけた面をつけて舞を舞わせるとはけしからん!というような批評が載る。「ふざけた」デザインに見えたとしても、それは舞楽の伝統的な面のひとつだったのであり、批評者の無知を晒したというわけで、木戸のその後のアグレッシブなプロデュース活動は、柔軟な思考ができなくなり、根拠に乏しい「伝統」を金科玉条のように掲げ依存する知識人たちへの挑戦という面も、大きくなっていく。シュトックハウゼンのこの作品が良い作品であったかどうかはともかくとして、雅楽創作史上、重要で刺激的な出来事であったことは間違いない。シュトックハウゼンは楽箏の弾き方を誤解しており、ハープのように両手で絃を弾くものとしてこのパートを作曲して演奏者を困らせたが、このことは、かつて楽箏も両手で絃を弾いていた時代があったことを思い出させ、現代では雅楽が日本の中ですら異文化であることを思い知らせることになった。

木戸と国立劇場の冒険の二つ目は、古代楽器の復元である。正倉院の御物に含まれる残欠を基に、推理と試行錯誤を繰り返して、箜篌(くご)や倭琴(やまとごと)、方響(ほうきょう)をはじめとする多くの楽器が復元された。そしてそれらの楽器のための新しい作品委嘱が始まった。一柳慧や石井眞木の作品をもって嚆矢とするが、ここでは最も若い世代の作曲家による優れた成果として、寺嶋陸也「大陸・半島・島」(平成10年、1998)を挙げておきたい。題名は、文字通り中国大陸、朝鮮半島、そして島国・日本を象徴し、古代楽器の伝来と隆盛、そして衰退のドラマを見はるかしている。

2006年7月20日 (木)

雅楽の窯変

現代芸術論第12回(7月6日分)

「窯変」とは、「陶磁器の焼成中、火焔の性質その他の原因によって、素地や釉(うわぐすり)に変化が生じて変色し、または形のゆがみ変わること。」(広辞苑電子辞書版より)

雅楽、舞楽は、特定の情緒や感情をそこはかとなくかもし出すといった芸能ではない。
ある時、宮内庁の某楽人氏に、「舞楽の舞って、難しいんですか?」と尋ねたことがあった。難しいに決まってるのに、なぜそんな愚問を発したのかは、若気の至りと言うしかない。ところが、楽人氏は「いやぁ、ラジオ体操と一緒ですよ」とのたもうた。
ラジオ体操と一緒・・・というのは、もちろんふざけた物言いだが、ポイントを突いた言い方でもあるかも知れない。例えば、この授業で例として挙げた舞楽「還城楽」は、「蛇を見つけて喜んでいる西域の人」というシチュエーション以上に、何か秘められた抒情を表現したりするものではない。「蛇を見つけて喜ぶ」さまを、舞いは躍動感溢れるダイナミックな「型」で表現する。「1、2、3、4・・・」という動きがキレ味良く、また優美に様式化される。
同様に、雅楽も「絶対音楽」であり、標題的内容や喜怒哀楽を表現したりするものではない。

現在伝承されている雅楽は、伝来した当時に比べれば、時間の窯の中で「窯変」していることだろう。そして、舞楽・雅楽を素材に作られた現代作品ともなれば、当然ながら「窯変」ぶりはさらに顕著である。
黛敏郎のバレエ音楽「BUGAKU」(1962、昭和37年)は、エモーショナルであり、時にはデモーニッシュでさえある。そういうことは、古来の舞楽・雅楽ではあり得ないことだろう。そもそもこれは、「舞楽を素材に作られた」と言って良いのだろうか。確かに、舞楽と同じ笛のパッセージや打ち物のリズムが聴こえたりするけれども、本質的には古来の舞楽とはほとんど接点を持っていないようにさえ思える。むしろ、古来の舞楽に思いを馳せながら、まったく新しいBUGAKU~舞踊音楽を創りあげたと考えた方が良いだろう。そしてこのBUGAKUは、このように伝統とゆるやかに繋がりながらも、実験的手法、完璧に施されたオーケストレーションに加え、ハリウッド映画的と言えるくらい通俗的な愛想の良さを併せ持っている。「涅槃交響曲」以降の黛敏郎の作品としては、最大級に腕によりをかけたものであることは間違いない。

松平頼則「左舞」(1958、昭和33年)は驚くべき作品で、手元に楽譜がないので詳細な検討はできないが、おそらくはトータルセリエルの手法で書かれていながら、完全に舞楽に聴こえるという離れ業を成功させている。伝統と前衛をこれほどまでに融合させた作品は、それほど多くはない。全体にはスタティックであり、渋いというより晦渋で、容易に近寄らせてもらえないような印象もあるが、中心楽章である第4曲が、それとはわからないうちに次第に熱を帯びていくのを感じていると、いつの間にかわが身はこの音響に快く浸っていることに気づく。松平作品は、演奏される機会が少ないのがとても残念だ。1950年代の前衛手法を用いていながら、現代でも決して古びた印象はないのである。

黛敏郎「BUGAKU」のディスクを久しぶりに聴き直してみると、これが実に熱のこもった名演であることがわかる。
岩城宏之指揮のNHK交響楽団が、日本の作曲家の作品を精力的に取り上げていた時期の録音。私は残念ながら、岩城氏と直接にはほとんど接点がなかったが、彼が指揮したたくさんの邦人作品の録音を聴いて学んだことは多い。
岩城宏之氏、平成18年6月13日逝去。心よりご冥福をお祈りする。

2006年6月29日 (木)

伝統と前衛~黛敏郎の音楽

現代芸術論第11回

黛敏郎の初期作品、「シンフォニック・ムード」(1950、昭和25年)が naxos レーベルによって初録音され、ディスクで聴くことができるようになった。9分ほどの楽章二つからなる野心作。第1曲では、ドビュッシーやラヴェルに基礎をおく曲想から導かれて、ガムランからヒントを得たに違いないテクスチュアと時間構築によって頂点を作ると、チャールズ・アイヴスやエドガー・ヴァレーズを思わせるような音響的カオスに突入する。第2曲では、ガムランの代わりにラテン音楽のリズムが響き渡る。この作品を21歳で書いたという黛敏郎の早熟ぶりには瞠目すべきだろう。

現代音楽の技法を駆使した音響とガムラン、あるいはラテン音楽との一種の「チャンプルー」という作り方は、「饗宴」(1954、昭和29年)でも基本的には変わらない。そこでは、現代的音響に点描的な鋭角さが加わり、ガムランやラテンに代えてビッグバンド・ジャズが「チャンプルー」される。「饗宴」の後半、ダンス音楽のようなビッグバンド的な部分は、片山杜秀氏の解説によればバーンスタイン「ウエストサイド・ストーリー」のシンフォニック・ダンスからヒントを得たものだという。「饗宴」はずいぶん前から聴いてきたが、その指摘はとても頷けるものだ。

「涅槃交響曲」」(1958、昭和33年)は、日本の梵鐘の音を音響分析してオーケストラ上に再構築したという「カンパノロジー」と名づけられたクラスターばかりが取沙汰されるが、久しぶりに聴き直してみると、カンパノロジーを遠景に、点描的な音色旋律を近景に配した立体的な造形を意図していることがわかる。
「涅槃交響曲」の合唱を、本職の僧侶の唱える聲明・読経によって演奏したらどうかという提案に、黛敏郎は頑として承諾しなかったという話を聞いたことがある。本職の僧侶たちが、「新作聲明」という未知のジャンルに理解を示し、創作に積極的に協力するようになるのは、「涅槃交響曲」が書かれてから25年くらい後のことだが、黛のそのこだわりは、当時協力者がいなかったからという理由ではない。ニューヨークシティバレエのための舞踊音楽「BUGAKU」、あるいは独奏チェロのための「BUNRAKU」や男声合唱「始段唄・散華」にも共通することかも知れないが、本職の声明ではなく、合唱団によって歌われるというのはイミテーションに他ならない。だが、確信犯的にイミテーション状態を作り出すこと、良質のイミテーションを構築し、「舞楽」や「文楽」、「聲明」をコスモポリタンなものにするところにこそ、黛敏郎の目論見があったのではないだろうか。

だとすれば、これらの作品は、「輸出用の」日本文化ということになる。本来あるべき「真正な」日本文化とは質が違うのではないかという議論に発展するだろう。しかし、彼の音楽を聴いていると、コスモポリタンを目指すための切っ掛けとしてイミテーションを作って何が悪い?と問われているような気になってくる。黛敏郎の音楽は、エネルギッシュでダイナミック、そしてすっぱりと割り切っているように迷いがなく陽性だ。通俗性も持ち合わせている。最も意欲的な実験作「涅槃交響曲」でさえ、第6楽章「フィナーレ」の、楽天的とも言いたくなるような現状肯定的クライマックスなどその例外ではない。彼が備えていた完璧な作曲技術は、とりあえず衆目を集めるには十分なものだった。

黛敏郎は、その職人技を駆使して、文芸映画からやくざ映画に至るまで200作品に及ぶ映画の音楽を書き、30年以上に亘ってテレビ「題名のない音楽会」の構成・司会を勤め、ベジャールやバランシンと仕事をしたり、ベルリンドイツオペラやハリウッド映画から委嘱されたりした。また、ミュージック・コンクレートや電子音楽、プリペアド・ピアノの実験者、現代では最初の創作雅楽曲「昭和天平楽」の作曲者としても記憶されるべきだろう。

ストラヴィンスキー「春の祭典」は、彼の生涯にとっては早く書かれ過ぎてしまったために、その後の仕事は心なしか色褪せて見える。同様に、黛敏郎にとっての「涅槃交響曲」も早く書かれ過ぎた傑作だった。その後の演奏会用作品は、どうしても小粒に思えてしまう。
黛敏郎は、おそらく壮年期以降だろうと思われるが、右翼の論客となった。そのことは、彼の音楽を広く普及させることには結びつかず、逆にその音楽までもが色眼鏡で見られてしまうことになった。だが、彼が真正の音楽家・作曲家であったことは、疑い得ない。戦後日本の作曲界の風雲児としての黛敏郎の仕事は、今後も正当に論じられるべきだと思う。

2006年6月22日 (木)

「東洋」の視点(2)

承前(現代芸術論第10回 6月22日の記事の続き)

1941~42(昭和16~17)年に書かれた早坂文雄「室内のためのピアノ小品集」は、楽譜のごく一部分だけ目にふれることはあったが、最近全音楽譜出版社から楽譜が、カメラータから高橋アキさんの演奏でCDが出て、その全貌を知ることができるようになった。

早坂文雄は、この作品の作曲ノートに次のように書く。
 

(前略)室内で誰に聴かせるのでもなく弾いて自らがたのしむといつたもの、このやうなありかたは至極日本的だと思ふのである。
 日本には芸術を生活化するといふ特性があり、生活的現実を離れた芸術といふものはなかつた。西洋のやうな芸術を抽象化して受取ることは東洋人はかつてして来なかつた。
 日常生活における深い静かなそして短くとも芸術味に富んだピアノ曲がほしいと思ふ。さういふもののためにこのピアノ曲を役立てたいと思ふ。(後略)

芸術を生活化すること。例えば、俳句や短歌を詠む。それは生活の中の些細な事象を見つめ、自己と対話することが第一義的な目的であって、句会や投稿というのは二次的な目的だろう。水差しや花瓶や器は、生活用品であると同時に芸術的な陶芸品であり得たし、庭木や盆栽に鋏を入れ念入りに手入れするのは、生活環境を調えると同時に、最も身近な場所に美を演出することであった。そして、そのようなたしなみとして、早坂文雄は17曲のピアノ小品を書いた。これを第一輯として、「第二輯、第三輯とつゞけていく」という構想は実現できなかったが、東洋人としての芸術のあり方についての深い意識を表明したものとなった。20世紀後半では「資本主義社会と社会主義社会」が、また現代では「キリスト教とイスラム教」が世界を二分する対立概念であるように、西洋の芸術に相対する東洋の芸術について探究することは、早坂にとっては創作における心棒のようなものだった。

書籍に「奇書」というものがあるように、もしも音楽に「奇曲」という言い方があるとしたら、交響組曲「ユーカラ」はぜひともそのリストに加えるべきだろう。アイヌの叙事詩「ユーカラ」に基づいたプロローグを含む6楽章からなるこの作品は、それぞれの楽章に元になった物語を持つが、音楽は完全に抽象的で、その筆致のユニークさは比類を見ない。第5楽章「ノーペー」のよるべない静けさは、武満徹「弦楽のためのレクイエム」への繋がりを示唆する。ストラヴィンスキーやメシアンからの影響を指摘するのは容易だが、それをあげつらったところでこの作品の存在意義が揺るぐことはない。瀧廉太郎以降の日本の西洋音楽系作曲家たちが、「西洋に対する日本(そして東洋)」という構図の中でアイデンティティを探り歩んできた道筋のひとつの道標のように、この作品は屹立している。
1955(昭和30)年、早坂文雄は交響組曲「ユーカラ」を遺言のように遺して、その生涯を閉じる。享年41歳。年齢で言えば壮年期真っ只中といったところだが、この音楽は老境の作曲家が辿り着いた境地を見晴るかしているかのように思える。

「東洋」の視点(1)

現代芸術論第10回

今回は、早坂文雄の音楽を聴くことにしたが、どのような選曲にしたら良いか散々迷った。結局取り上げなかったのだが、「序曲ニ調」という1939(昭和14)年の作品から始めるのも面白いかも知れないと思った。「皇紀2600年奉祝管弦楽曲懸賞」で受賞した10分弱の作品だが、奉祝気分の厳かさとはおよそかけ離れたダイナミックな音楽で、後に早坂が担当した映画音楽「七人の侍」を思い起こさせる。だが、曲全体の完成度という点では、やはり「左方の舞と右方の舞」に一歩道を譲ることになるだろう。

1941(昭和16)年の管弦楽曲「左方の舞と右方の舞」は、早坂の代表作と言って良い。「左方の舞・右方の舞」は、舞楽でいう「唐楽・高麗楽」にあたるが、この作品では舞楽の形式や音楽的特徴をなぞってはいない。絵巻物のように、開いていくとひとつの場面が見え、雲か霞かによって隔てられて別の場面が見えてくる、さらに開いていくとまた雲か霞かによる中断があって別の場面が・・・という具合に、次々と抽象化された「舞」が現れる。求心的なクライマックスに向かって進むのではなく、また聴き手に特定の感情を喚起するような音楽でもない。作曲者は、茫洋たるスケールの音楽によって祭祀の場、抽象的な舞が舞われるみやびな場を設けることに腐心しているように思える。

早坂文雄によって、映画において音楽が果たす役割の重さ、映画音楽作曲家の市民権が、はじめて広く認識されるようになったと言っても良いだろう。「酔いどれ天使」「白痴」「生きる」「七人の侍」などの黒澤明監督作品や「雨月物語」「近松物語」をはじめとする溝口健二監督作品などで、早坂は歴史的名画を支える重要な仕事をした。映画音楽が、単なる伴奏ではなく映画を構成する主張を持ったひとつの部分であり、映画音楽を書くことが作曲家にとって大きな表現手段になり得ると示したことは、後に続く作曲家たち、芥川也寸志、黛敏郎、とりわけ武満徹に大きな影響を与えた。
「羅生門」の「タイトルバック」は、笙の合竹(和音)から始まる。コントラバスとティンパニとピアノ(?)によるアクセントに導かれてオーボエが旋律を奏で、金管楽器が和音をはさみ、筝のアルペジオが区切りをつける。今でこそ、このような雅楽器と西洋楽器との混交は珍しいことではないが、1950(昭和25)年あたりまでに西洋音楽系の作曲家によって書かれた作品に、そういった編成のものがあったかのどうか寡聞にして知らない。映画音楽だからこそ、このような編成による作曲も容易だったのかも知れないが、こうした和洋楽器が混交する響きの実験は、武満徹の数々の映画音楽や「ノヴェンバーステップス」などの作品に引き継がれていくことになる。
「真砂の証言の場面のボレロ」は、あまりにもラヴェルの「ボレロ」に酷似しているということで、当時は物議をかもしたと伝えられる。昨今も、日本の画家の作品がイタリアの画家の作品を盗作した疑いがあるとかで、文部科学省まで巻き込んだ大きな騒ぎになっているが、昨今の騒ぎと決定的に違うのは、「羅生門」のこの音楽を聴いたすべての人は、下敷きがラヴェルだとわかるようになっているということだ。また、模写に近い方法を取っていることは確かだが、ラヴェル「ボレロ」の持つエクスタシーに向かうような幸福な高揚感はここにはなく、心理的に追いつめられていくような切迫感が取って代わっている。リズムと音色が似かよっていても、旋律や和音が違うことで、結果的にはまったく逆方向の音楽を目指すことができるのである。(続く)

2006年6月18日 (日)

ツィメルマンの発言をめぐって(2)

前出の記事の中には、まず「音楽ファンにはショックかもしれない言葉」とある。

「音楽ファン」にとって、ツィメルマンの発言が「ショックかもしれない」のはなぜか。「日本が大好きだが、イラク戦争に日本が参加したのは残念」ということか。音楽には関係ないと思われるような発言をしたからか。アメリカで「今の政府に投票しなかった人々のためにコンサートを開いている」からか。

「日本が大好きだが、イラク戦争に日本が参加したのは残念」、これは、イラク戦争に少しでも関心のある人ならばごく正当に持つであろう感覚であって、ショックを与えたり受けたりするような意見ではない。それなのに、わざわざ「ショックかもしれない」と予防線を張るのは、音楽家という人種は雲の上で霞を食って生きている種族であって、そういった社会的事象に対して論評したりするのは特別なケースだと「音楽ファン」は思っている・・・という予測があるのだろう。そんな話は聞きたくない、モーツァルトについてもっと語ってくれ・・・と。

イラク戦争に、日本が「参加」したのかどうかについての議論は、ここではやめておこう。ただ、私たちが、いや日本の自衛隊は「戦争参加」ではなくあくまでも後方支援的な活動ですと言い張ったとしても、外側から見れば「日本も戦争に参加したのだ」と見られてもおかしくはないのが現実なのである。

概ね日本人は、身近なコミュニティ、たとえば町内会とか学校での同じクラスだとか同じサークルだとか、その場から外れたら何の意味も持たないような極小な圏内では、自分がどのように見られているか、人から大きく違って浮き上がっていたり、嫌われたりしていないかなどとても気にするくせに、自分たちの国が諸外国からどう見られているのかについては、ひどく鈍感であるように思える。不快なのだからお願いだから止めてくれと近隣の人たちが再三訴えるにも関わらず、国のリーダーが靖国神社に参拝することを止めようとしないのだから、それを黙って見ている国民全体があまねく鈍感になっていったとしても無理はない。信念を貫くことは立派な心構えのように見えるが、それはしばしば、頑迷な信念によって撥ね返される異論を黙殺することにも繋がる。たとえ異論の方が正しかったとしても。

「あなたのやっていることは嫌だ」と言われて驚く。嫌だと言う側の方が、言われる側よりもはるかにナイーブな感覚に基づいて発言しているから、言われる側は、相手のナイーブさに気がつかなかった、あるいはナイーブさが理解できないために驚き、「ショック」を受ける。

音楽家が社会や政治について発言するのはとても珍しく思われるらしくて、彼らは「社会派」と呼ばれたりする。だが、そういう人たちは特殊な存在なのだろうか?カザルスはフランコ独裁政権に、トスカニーニはムッソリーニのファシズムに抗議して自国での演奏をやめた。メニューヒンは、人間と社会と音楽の関係を論考した本を書いている。スターリン政権下のショスタコヴーィッチを引き合いに出すまでもないだろう。音楽家は、雲の上で霞を食っているように見えるかも知れないが、社会や政治状況などの現実とまったく無縁に生きていくことなどできるわけがない。

幸いなことに現代は、イラクやパレスチナのど真ん中にいるのでなければ、演奏を拒否するような場面は起こりにくい。ツィメルマンだって、「残念」だが「日本は大好き」だから、来日公演をしてくれるのだ。今のところは。しかし将来、ツィメルマンに限らず、「お前の国は大嫌いだから、もう行かない」と言われて驚きうろたえることだってあり得る。人間は前を向いて生きているから、背後への想像力が乏しくなりがちなのである。

この数十年の間に、芸術がどのように変質してきたか、その在り方に問題があると考えたら発言するのが当然だろう。CDが開発されたことによってもたらされた便利さと、失ってしまったものの大きさを比べると、やはり失ったものの方が大きいだろうと私も考える。ツィメルマンが指摘するように、それは芸術受容の本質を変えてしまうくらいの重大な出来事だったと思う。

彼の真意が、この記事でどこまで反映されているかは措くとして、彼はこの記事に書かれたことの数万倍も強く「社会のなかでの音楽を意識」しているはずだ。そして、長年にわたって保ってきた意識の質や高さは、彼独特の音楽表現に繋がっているだろう。芸術は、好むと好まざるとに関わらず、芸術家個人の生き方の姿勢を投影してしまうものだからだ。

ツィメルマンの発言をめぐって(1)

6月14日の記事「話題提供歓迎」に付けてくださった、ライナスさんからのコメントを写しておこう。

「毎日新聞のwebサイトに今、来日中のポーランドのピアニスト、ツィメルマンの記事が載っているのをご覧になりましたか?演奏活動というものを、単なる自己表現でなく、社会とのかかわりとして考える音楽家という記事です。もしよかったら読んでみてください。」

ライナスさん、情報ありがとう。というわけで、まずは、その記事を転記して、コメントは別に付けることにする。

ツィメルマン:美しい音や響きだけでは良い演奏ではない 社会のなかでの音楽を意識 ◇来日公演中のピアニスト、ツィメルマン

 今、音楽や演奏行為を社会のなかに位置づけることに関して最も問題意識を持っているのがポーランド出身のピアニストのツィメルマン=写真=だろう。来日公演の間を縫って会見や全日本ピアノ指導者協会の講座などで、現代におけるピアノの位相について大いに語った。【梅津時比古】

 ◇楽器の個性、曲との適性も考え

 音楽ファンにはショックかもしれない言葉が飛び出した。

 「これまで10回日本へ来て、日本が大好きだが、イラク戦争に日本が参加したのは残念です。人々の意識はもう薄れているかもしれないが、アメリカは、結局は、原子爆弾を持っていなければ言うことをきかない、と示しているように思える。悪い武器か、テロかは、アメリカの主観的な見方による。私は娘に、この戦争を止めるために何をしたのかと問われ答えに窮した。アメリカでは私は、今の政府に投票しなかった人々のためにコンサートを開いている、と言明しました」

 音楽、芸術を社会のなかでとらえる視点は、政治面にとどまらない。演奏について思いをめぐらせるときも、社会的な背景を常に見ている。

 「ルビンシュタインはショパンのスケルツォを3回録音したが、1回目の録音は現在のショパン・コンクールのテープ審査で落ちるでしょう。3回目の録音はミスなく完ぺき。でも私は壮大さ、神聖さにおいて1回目の録音が最高だと思います。なぜこのようなことが生じるのか? 私は1981年4月25日、ザルツブルクで行われたCDおひろめを忘れることができない。そこから音楽の欺瞞(ぎまん)的な売り方が始まったのです。そこでソニーとフィリップスの技術者は、CDの利点を強調したが、それは演奏家が起こした美学革命ではなく、エレクトロニクス技術者が起こした革命だった。音楽の美学を、響きを正確にとらえるということへシフトしてしまったのです。その結果、演奏にミスは許されず、楽器はストラディバリウスでなければ、というふうになった。現在ならコルトーもあのようなキャリアを築けなかったでしょう。あるレコード会社が私に、コルトーの録音を最新の技術で作り直したものを持ってきた。雑音がとれ、すべての音がクリアに聞こえる。演奏のミスも分かる。でもこれは、モナリザの下着まで見えるようにした、ということです。私たちはモナリザのほほえみに思いをめぐらしたいのです」

 彼が自ら録音したCDに発売の許可をなかなか下ろさないゆえんでもあろう。

 「美しい音や響きだけでは、良い演奏ではない。その作品のために適切なひとつひとつの音、音楽があるはずです。キャリアを作るためにコンサートやCDがあるわけではない。自分が弾く楽器がどういう個性でどういう曲が合うかよく考え、そのつど舞台に立った結果が積み重なって今の自分があるのです」

 ツィメルマンの今後のリサイタルの日程は、18日=倉敷市▽20、21日=東京▽27日=兵庫県西宮市▽30日=福岡市▽31日=名古屋市。プログラムはベートーベン「悲愴」など。問い合わせは03・5237・7711へ。

毎日新聞 2006年5月16日 東京夕刊(WEB版より転記)

2006年6月15日 (木)

戦後社会の息吹き

現代芸術論第9回

1947(昭和22)年から1950(昭和25)年までに書かれた作品から。

平尾貴四男「ヴァイオリンソナタ」は、軍隊から復員した直後から着想され、1947(昭和22)年に完成された。モデラート~アレグロ、アンダンテ、ヴィヴァーチッシモという3楽章構成は、いうまでもなく古典的なフォルムであり、このソナタが志向するフォルムも、そこから逸脱しようとするものではない。日本的な旋法や旋律とフランス風の澄んだ音色感が、安定した構造の中でごく自然に融合される。それにしても、復員して間もない時期に、こんなに充実した音楽の作曲に取り組めるものなのだろうか、敗戦を経験した虚無感に苛まれるようなことはなかったのだろうか・・・。私は、まずそのこと、平尾貴四男が音楽に傾けた気概の強さに驚く。戦争が終わって、これからは自由に音楽を書けるという解放感が、この作品の「ひたむきさ」に反映している。「ひたむきさ」、そして作曲家がこの作品に賭けた気概は、特に両端の楽章で熱く伝わってくるが、しかしそのことが過剰になりすぎて、フランスに学んだこの音楽家の、教養人としての気品を崩してしまうようなことはない。上質のロマン(フランス語の小説)を読んでいるような印象がある。さらに言えば、それは原語でではなく、優れた翻訳で読んでいるようなということになる。

昨年の秋、外山雄三指揮の仙台フィルが、尾高尚忠「交響曲第1番」を蘇演したので聴きに行った。単一楽章ながら、リヒャルト・シュトラウスの洗礼を存分に浴びたとおぼしき大交響曲のたたずまいで、充実した構成、オーケストラを知り尽くした書法には大変感銘を受けた。敗戦直後の日本に、こんな立派な交響曲が生まれていたのだ。さらに驚くべきは、この作品は単一楽章であると誰しもが考えていたのに、実は作曲者には、続く楽章の構想があったということだ。全楽章が完成していたらマーラーばりの巨大交響曲になっていたかも知れない。1948(昭和23)年に書かれた「フルート協奏曲」は、同年の「交響曲第1番」の厳しい仕事の余滴から成されたと言われ、全曲でも約15分、決して規模の大きな作品ではないが、尾高尚忠の代表作であると同時に、日本の作曲家による協奏曲を代表する作品であると言っても過言ではないだろう。後期ロマン派風色彩の中に、日本的な旋律が見事にブレンドされ、その意味では平尾貴四男の前出作品との共通点がありそうだ。熟達したオーケストレーションにも注目すべきだろう。そして、第2楽章の異国風(スペイン風?)な、時に増音程を含んだカンティレーナは一体何だろう・・・久々に聴いてみると、今まで気がつかなかったそんなことが気になった。

1950(昭和25)年に書かれた名高い芥川也寸志「交響管弦楽のための音楽」については、あらためて論ずるまでもあるまい。戦後社会を象徴し、来るべき高度成長期を予告するかのような活気に溢れた音楽。10分に満たない作品だが、ひとつの時代の終わりを告げるには十分なものだっただろう。同時に、日本の作曲家たちにとっての「アイドル」が、ドイツやオーストリアやフランスの作曲家ではなく、ソヴィエト連邦の作曲家たちに変わっていったことをも象徴している。

2006年6月11日 (日)

「凱旋演奏会」

仙台近郊に住む少年が、メニューヒン・コンクールで優勝したことを、4月7日の記事「諸君、脱帽したまえ!」で書いた。今朝の河北新報ウェブ版を見ていたら、こんな記事が目に止まった。以下、プライベートに関わる部分を省略して引用。

宮城県多賀城市の若手バイオリニスト郷古廉(すなお)君(12)が、同市文化センターで7月15日に開くバイオリンリサイタルの入場整理券1200枚が、配布開始からわずか3時間でなくなった。文化センターは「無料とはいえ、ここまですごい人気とは」と驚いている。

 郷古君は4月、フランスであったバイオリン奏者の登竜門「第11回ユーディ・メニューイン・青少年国際バイオリン・コンクール」のジュニア部門(16歳未満)で優勝した。リサイタルは地元で本格的に行う初めての凱旋(がいせん)公演として、市教委などが企画した。

 整理券は市役所や文化センターなど市内8カ所で9日午前9時から1人4枚まで配布。文化センターによると、悪天候にもかかわらず、市内外から続々と希望者が訪れ、正午には1200枚をさばいた。さらに、キャンセル待ちが80枚になった時点で、受付を終了した。

 同文化センターは「クラシックは会場を埋めるのが大変なのに、あまりの人気にびっくり。世界一の音に生で触れたいファンがそれだけ多いのだろう」と話していた。
 郷古君は当日、ピアノの伴奏で、エルガーの「愛の挨拶(あいさつ)」、バッハの「無伴奏パルティータ第二番」などを演奏する予定。河北新報ニュース(ウェブ版) 2006年06月11日日曜日

優れたヴァイオリニストがデビューするというのは、こういうことなのだろう。ヴァイオリンの世界で世界に羽ばたくには、郷古くんの年齢は決して若すぎるということはない。地元の方々がこんなに盛り上がって引き立ててくださるのは、とても素晴らしいことだ。一時的な熱気で終わることなく、これからも長く応援していきたいと思うし、郷古くん自身も、騒ぎに過剰に振り回されることなく自分らしいペースで音楽活動を続けていってほしいなと、切に願う。

2006年6月 8日 (木)

敗戦から戦後へ

現代芸術論第8回

1944(昭和19年)に作曲された守田正義「バラード」と深井史郎「三つの歌~戦死せる彼等のために」は、ともに同年12月に初演される予定だったのが、当日空襲警報が発令されたため演奏会が中止となり、初演は「戦後」にずれ込んだ。また、安部幸明「クラリネット五重奏曲」は1943(昭和18)年の作だが、初演されたのは「戦後」だった。

守田正義は、プロレタリア音楽運動の担い手として知られているが、ピアノ曲「バラード」は、そういったイメージとは少し違っている。「プロレタリア音楽」が何を意味するかを明らかにしないといけないだろうが、少なくともこの「バラード」は、ショパンから始まる同名の曲の歴史を受け継いだ音楽で、その根ざすところは内面的であり、体制に対してプロテストするといった表情よりも、むしろロマンティックな思索の記録のように思える。

深井史郎の歌曲「三つの歌~戦死せる彼等のために」は、副題が示すように戦死した者たちへの哀悼の曲である。死は美化されることなく、ごく普通の生活者の視線で、残された者の悲しみを描く。戦死をテーマにしながら、軍歌でもなく戦意高揚歌でもないこのような芸術的歌曲が、戦局真っ只中の時期に作曲されていたことは驚きだ。深井史郎の現実認識の確かさを示したものと言っても過言ではないだろう。

安部幸明「クラリネット五重奏曲」は、浮世離れしていると言えばそれまでだが、率直でけれん味のない清潔な音楽。昭和18年に書かれたということは、知らされなければ想像できないに違いない。しかし、このようなのびのびした音楽がこの年代に書かれていたことを知って、何かほっとする。

指揮者として知られる山田一雄の組詩「祖師ケ谷より」は、何よりも作曲者自身の言葉が、この作品を作ろうとした気分を示している。「その八月といえば日本じゅうの誰もがおなじこと、このわたしにもどうにもならない虚無が宿っておりました・・・」そんな時に、深尾須磨子の詩が山田一雄の作曲家心を揺さぶった。「小さな小さな地球の襞/私は祖師ケ谷をつまみあげる/そして裏返したり/はたいたり/蛇や蜥蜴を追いだしたりして/やがて私はもとどおり/盆景をならべる」「祖師ケ谷」という足元の土地、その自然、そこに住まう人々を見つめ、美しい盆景を描くこと、それこそが戦争からの解放感を歌うことだった。

伊福部昭「土俗的三連画」は1937(昭和12)年の作品だから、この回のテーマにはそぐわない。だが、昭和20年8月28日に、敗戦後初めて放送された管弦楽曲の一つがこの作品だったということから取り上げることにした。敗戦直後の人々にとって、この作品はどんなふうに聴こえたのだろう。古風とモダン、懐旧と未来、スケールの大きさと音色の繊細さ、民衆的であり尚且つ孤高・・・相反する(かに思える)これらの概念の両方が伊福部昭の音楽にはある。そんなアンビヴァレンスな魅力が再発見されて、近年若い人たちの間に大ブレイクを引き起こした。作曲家として最高に幸福な晩年だっただろうと思う。

2006年6月 1日 (木)

封印された音楽~信時潔をめぐって

現代芸術論第7回

ピアニスト・花岡千春さんの演奏による「木の葉集~信時潔ピアノ曲全集」(Bellwood Record)というCDが出て、信時潔の作品の多くを聴けるようになった。1928(昭和3)年に書かれたピアノのための組曲「野花と少女」は、作曲者曰く「愛好するシューマンのピアノ小曲にならって」書かれたという、3曲からなる小品連作。シューマンからの影響とともに、シューマンが聴いたであろうドイツ民謡からも、多くのインスピレーションを受けているように聴こえる。そして、ところどころには日本音階がこだまする。
15曲からなる組曲「木の葉集」は、さらにキャラクターの強い小品が並ぶ。ドイツ民謡調だったりロシアの田舎の踊りのイメージだったり。全15曲まとまって一つのことを訴えかけようするというよりは、1曲ごとの意匠を楽しんでもらいたいという趣旨であるように思える。

1936(昭和11)年の「沙羅」は、信時潔の代表作と言って差し支えない。簡素な造りで整えられた8曲の連作歌曲。実直なこの作曲家の性格を映してか、派手さはないが同時にあざとさなど微塵もない潔癖な作品だ。現在入手できるCDは、柳兼子83歳の歌唱によるもののみ。西洋音楽の発声で日本語を歌う技術において草分け的存在であるアルト歌手柳兼子の歌唱は、年齢によると思われる声の震えは多少あるものの、その表現力には目を瞠らされる。時に伝統的な日本音楽の歌唱のように聴こえたりするのは、彼女が小さい頃から長唄に親しんでいたことと無関係ではないだろう。

ここまで挙げたような作品は、これからも無条件で演奏されていくだろう。問題は、「海ゆかば」と「海道東征」である。

「海ゆかばのすべて」というCDがある(キングレコード)。さまざまな編成の「海ゆかば」が、録音の新旧や別の作曲家による異曲もとりまぜて25種類収録されている。中には、林光編曲による弦楽四重奏版(映画「東京100年」挿入曲)や、寺嶋陸也演奏によるグルリット作曲「『海ゆかば』変奏曲」抜粋のような珍品もあるが、やはり海軍軍楽隊の演奏によるものや、出陣学徒壮行会実況録音などは、この歌が背負った不幸な歴史を如実に語っている。私の母親は昭和4年生まれだが、「海ゆかば」は、事あるごとに聞かされたし歌わされたと言い、今でも詞章がスラスラと口をついて出る。この世代の人たちは皆そうなのだろう。戦後は、テレビのワンシーンでの効果音としてか、街宣車の大音響でしか聴くことはできない。いい曲なのに・・・と多くの人は言う。実際、曲の半ばで借用和音(ハ長調に対してイ短調からの)が大変効果的に使われ、曲を引き締めている。そして、歌詞を外して、例えば弦楽四重奏版などで聴くと、ほとんど賛美歌のようにも聴こえる。

おそらく日本で最初の交声曲(カンタータ)である「海道東征」1940(昭和15)も、皇紀2600年奉祝行事のために、戦争協力機関からの委嘱によって書かれたという出自を持つのでなかったら、封印される必要はなかっただろう。北原白秋による詞章は、目で読むとかなり晦渋に感じられるが、信時潔は随所に美しい旋律を付している。大らかで剛直、そしてここでもエキセントリックな夾雑物のまったくない潔癖さで、作品はすっくと立っている。この国の「天地創造」の物語を歌うカンタータは、元になった伝説とともに長く健康的に受け入れられて良いはずだった。

天平12年、建立された大仏を覆う金の発見に関わる大伴家持の言立てが、太平洋戦争兵士の殉死を美化する歌にすりかえられたことで、「海ゆかば」の生みの親・信時潔は国民的作曲家になったが、戦後は、葬り去るべきものとして「海道東征」とともに封印されてしまった。彼の保守的な作風が、戦後日本のモダニズムからは受け入れにくいものであったことも大きく関係しただろう。
だが、あらためて作品を聴いてみると、その精神は瀧廉太郎に象徴される唱歌、さらに遡って賛美歌や民謡にまで、まっすぐ繋がっていることがわかってくる。信時潔の音楽は、同じく賛美歌から出発した山田耕筰流の、マニエリスムとも言えそうなレトリックとは対極にあって、朴訥な農民のように邪気がなく率直である。「海ゆかば」や「海道東征」のメロディーやハーモニーからは、「会衆による祈りの歌」とでもいうような穏やかなこころが聴こえてくる。玉砕を強いるような暴虐な思想は、ここにはない。
音楽に染みついてしまった血を、きれいさっぱりと洗い落とすことができたら、どんなに良いだろう!

2006年5月29日 (月)

ピアノ・デュオの至福

斎木ユリさんと浅井道子さんのTierra ピアノデュオの夕べを聴いた(東京文化会館小ホール)。1曲目は連弾で、シューベルト「幻想曲D.940」。人間の感情のみなもとを見つめるかのような、澄んだ悲しみに満ちた冒頭から、お二人の音はこよなく美しく、そして豊潤。音楽の中にごく自然に引き込まれていく。2曲目は寺嶋陸也編曲による、プロコフィエフ「古典交響曲」。アルゲリッチが愛奏しているこの寺嶋編曲は見事なリダクションで、まるで2台ピアノのためのオリジナルとして書かれた作品のようだ。演奏もプロコフィエフの遊びプラス真面目精神をよく受け継いでいる。後半はすべてピアノ2台で、三善晃「唱歌の四季」のあと寺嶋陸也の委嘱新作「幻想曲」。この「幻想曲」、合唱ファンタジー「オホホ島奇譚」(3月29日の記事参照)と関連があるので、作曲者は「オホホ幻想曲」と呼んでほしいらしいけれども、それだったら最初から「オホホ幻想曲」とすれば良いものを、そうはしなかったところにこれら2作品の間の距離がある。この「幻想曲」は合唱ファンタジー「オホホ島奇譚」からはまったく独立していて、「オホホ島奇譚」を知らずともその端正な構成を楽しめる佳品である。最後は、寺嶋、斎木隆両氏がゲストとして加わっての2台8手で林光「鳥たちの八月 あるいはナガサキ1984」。林さんのソング「新しい歌」が、8手から紡ぎだされる音の渦の間から浮かび上がってくる。本プロの後は、ショスタコーヴィッチ編曲「二人でお茶を」をさらに寺嶋が2台8手に編曲したという美味しいアンコール付き。

斎木さん、浅井さんには、合唱などの伴奏者としてお世話になった人が多いだろう。しかし、このコンサートを聴けば、彼女たちが単なる「伴奏者」ではなく、非常に優れたアンサンブル・ピアニストであることがわかる。ピアニストは、ある意味孤独な種族である。ピアノという楽器は過不足なき構造を持っていて、大抵のことは何でもできてしまうために独奏曲が多く、たった一人だけで練習するということが日常になっている。しかし、今夕のようなコンサートを聴けば、どんなピアニストでも、このような音楽の楽しみ方、表現の仕方があるのだと、改めて感じさせられるだろう。ピアノを学ぶ人たちにとっても、元気づけられることだと思う。

2006年5月25日 (木)

戦争と交響曲 1940年を軸に

現代芸術論第6回

1940(昭和15年)、歴史的根拠のない「皇紀2600年」のために、多くの音楽家が動員された。中でも最大のトピックは、各国の5人の作曲家が「皇紀2600年を奉祝するための作品」の作曲要請に応じたことである。リヒャルト・シュトラウス、ピツェッティ、イベール、ヴェレシュ、そしてブリテン。ドイツ、イタリア、フランス、ハンガリー、イギリスの代表として、彼らの作品は国際親善と国威高揚のシンボルとなった。あるいは、なるはずだった。

リヒャルト・シュトラウス「皇紀2600年奉祝音楽」は、5つの部分からなる交響詩仕立て。元々はそれぞれの部分に標題があり、「海の風景」「桜の祭り」「火山の噴火」「侍の攻撃」「天皇賛歌」というものだったという。この音楽には、リヒャルト・シュトラウスの様々な名高い交響詩のようなキレはなく、たしかにリヒャルト・シュトラウスの音楽的な特徴は聴き取れるけれども、深みのある作品とは到底思われない。最終部分など、「1812年」も裸足で逃げ出す滑稽なほどのクライマックス。しかし、だからと言っても、リヒャルト・シュトラウスにはニッポン国の馬鹿げたマツリゴトを戯画化する意図はなかっただろう。

ブリテン「鎮魂交響曲(シンフォニア・ダ・レクイエム)」は、皇紀2600年奉祝音楽会では演奏されなかった。おめでたい祝典にレクイエムとは何ごとだというわけである。演奏が易しくないことも、初演が見送られた一因かも知れない。第2楽章は「ディエス・イレ」と記されているが、おなじみの「怒りの日」のグレゴリオ聖歌の旋律は聴き取れない。けれども、機関銃が連射されるような激しく攻撃的な曲想で魔神が跳梁跋扈する、これはまぎれもなく「死の舞踏」である。そして第3楽章は「レクイエム・エテルナム」。このようなキリスト教的昇華が「皇紀2600年奉祝」にそぐわないと指摘した関係者がいたのだろうか。

諸井三郎「交響曲第3番作品25」は、1943年から44年(昭和18年~19年)にかけて作曲された。第1楽章「静かなる序曲~精神の誕生とその発展」は、この部分だけで15分、この楽章だけでも、完結した内容を持った大交響曲の風格がある。第2楽章「諧謔について」は、ショスタコヴィッチを思わせるグロテスクに歪められたスケルツォ。最後から15秒ほど前、トランペットが突然悲鳴のような叫び声を上げ、小太鼓が応える。これが軍隊ラッパの狂気の象徴でなくて何であろう。第3楽章のタイトルは「死についての諸観念」。ここでいう「死」は自然死を意味するものではないはずだ。強いられた死、志願した死、理不尽に身近に迫る死。おそらくは「様々の不自然な死についての様々な観念」だ。死を賛美するのではなく、またいたずらに怯えたり悲嘆にくれたりするのでもなく、真正面に見据えて想念する厳粛な音楽。諸井三郎は、この曲を遺書のつもりで書いたのだろう。演奏時間33分を要する全曲の、どこを取っても緩みのない、大変に思いつめた音楽である。だが、思いつめてはいるが、決して戦争賛美的、大政翼賛的ではなく、また同時に反戦・厭戦的でもない。具体的に知らされなかったとしても、戦局の厳しさは感じられていただろう。悲壮な覚悟が号令され、国全体が冷静さを失っていたであろう時代に、これほどまでに思索的な作品が作られていたということをぜひ知っておいてほしいと思い、あえて全曲を聴いてもらった。

ブリテンと諸井三郎のこれらの交響曲は、直接的に戦争を描いた交響曲ではない。だが、その誕生が戦時という時局と無縁だったとはとても思えない。ブリテンは肉親へのレクイエムのかたちを、諸井は一般的概念としての「死」への想念の姿をとりながら、戦争という現実を抽象化して、交響曲という彫塑の中に刻みこんだ。どれほど現実が醜く戦争が悲惨でも、刻み込まれた音楽は美しい。そして、この美しさに伴うやりきれなさは、人間という哀れな存在への愛惜なのかも知れない。

2006年5月20日 (土)

「ガリバー」

オペラシアターこんにゃく座公演「ガリバー」を観る(朝比奈尚行=台本、萩京子=作曲、立山ひろみ=演出、東京三軒茶屋・シアタートラム)。

原作はジョナサン・スウィフトの「ガリバー旅行記」だが、訳者は原民喜。これを選択した時点で、あたりまえのメルヘンで済むはずがないことは明らかである。果たして朝比奈台本は、原民喜再話による「ガリバー旅行記」と、「夏の花」をはじめとする被爆体験を刻んだいくつかの作品との間を往還し、そこにオリジナルな言葉、原民喜を現代から見つめるような視点が加味されるものとなった。

廃墟を思わせる場に、巨大なジャケットが不安定な角度で吊り下げられた舞台セット。冒頭から爆撃機の飛来音に覆われ、「ガリバー」の物語はいずれ「被爆体験」と重なっていくであろうことを予測させる。
萩さんの音楽は、往還する二つの局面、どちらの場面でもあまり大きく変化することなく進んでいく。「ジャストマイサイズ」というタイトルの、ちょっとポピュラーソング風な歌などを除けばあまり寄り道はしないし、こちらの場面だからこういう音楽手法・・・といった「書き分け」は聴き取れなかった。9年ぶりの大改訂とはいえ、この作品に対する思い入れの深さが、音楽的寄り道を止めるのだろうか。ピアノ、ヴァイオリン、クラリネットを過不足なく使い(ことにバス・クラリネットがとても効果的だった)、役者の奏する種々の打楽器が要所を引き締めている。

二つの局面の像がはっきりと結ばれていくのは後半である。「死なない人間」のいる国や、馬の国の支配者フウイヌムと人間そっくりな醜い生きものヤーフの話、そして川の中に浮かぶ裸体の少年の屍体や、原爆投下の数日後練兵場の柳の木のそばで悄然とたたずんでいた馬の姿について語られる場面と進むにつれて、原民喜が呻くように遺した言葉は厚く折り重なっていく。それらの言葉は何とも重いのだ。「ほらはやく/不吉な黒雲の下/嵐のまっただ中へ/船の向きを変えなさい/大好きなわたし」というラストの歌は、それまでモノトーンだった上着の下から淡く彩色された衣装があらわれ、ほのかな希望を求めるように舞台は明るく美しくなるが、それまでに溜まった言葉の重さを受けとめきることはできない。筋肉が引きつって笑顔にはなれないといった感じ。もっとも、このひとつの場面だけで折り重なった重さを昇華しようとすれば、嘘臭くなってしまうことを作り手たちはわかっているだろうから、微妙な空気のまま幕が下りる。淡く現われる前向きな歌、そのさなかにこそ爆撃機は飛来するというのがおそらく現実だろう。二度挿入される漫才をもじった狂言回しなども、あまり面白くないから哄笑を呼ばないが、そもそも哄笑を呼ぶ意図はないのだろうから、やはり気配は微妙である。

しかし、被爆というテーマは、どんなかたちにせよ愚直なまでに語り続けられるべきであると、私は思っている。けれども、観念的に憤ってみたり、根拠もないのに未来に能天気な希望を見出そうとしたりすることにもまた抵抗を感じるのだ。大声ではないがはっきりとした言葉で語る微妙な後味は、戦争を知らない世代がこの重いテーマに向き合ったひとつの真摯な回答例であると言えるのかもしれない。

2006年5月18日 (木)

1936年~1938年の管弦楽曲

現代芸術論第5回

ナクソスレーベルから日本作曲家選輯なるシリーズが次々と発売されて、日本人作曲家の、特に戦前の作品に俄然光があたるようになった。定価1,000円のこのシリーズは、発売されるたびに大手CD店のクラシック部門売り上げ上位となり、日本人作曲家に多少とも興味がある人たち、それも結構若い人たちの間で話題を呼んでいるようだ。毎回、片山杜秀さんの詳細極まる解説がついていて大変有り難いのだが、そのためにブックレットはぶ厚くなり、活字は細かくなり、老眼が進みつつある眼を悩ます。

カンタータ「人間をかえせ」などで知られる作曲家大木正夫に、「日本狂詩曲」(1938)なる作品があることを知ったのは、ごく最近のことである。交響曲第5番「ヒロシマ」(1953)を収録したナクソスCDの余白に収められたかたちの「日本狂詩曲」は、異様ともいえるほどの活気を帯びて、同名の題を持つ伊福部昭のデビュー作(1935)と対照をなす。福島県の盆踊り唄と「木曾節」が素材となっているとのことだが、元唄から連想できるようなそんなのどかさはどこにもない。まるで狂乱のカーニバル、ということはつまり「狂詩曲」本来の意味を踏まえているというわけか。

深井史郎「パロディ的な四楽章」(1936)は、日本的な素材とはおよそ無縁で、その無縁ぶりが興味深い。そして各楽章には、パロディの元になったとされる作曲家の名前がつけられていて、作曲者はご丁寧にそれぞれの作曲家に宛てた手紙のような文体でプログラムノートさえ残している。しかし、聴き手がそれに振り回されるのは、どうも考えものであるようだ。第1楽章は「ファリャ」と記され、確かに「スペインの庭の夜」を思わせる響きはする。けれども、だからこれはファリャのパロディであると言い切ってみても、この曲に近づいたことにはならない。第4楽章「ルーセル」などは、初期稿では「バルトーク」だったのだ。作曲者は、謎解きをするようなふりをして、実はさらなる謎を積み上げてほくそ笑んでいるかのようだ。であるならば、こちらもその謎解きは斜に眺めて、音楽そのものを楽しませてもらうのが良かろう。
昭和11年。この曲が書かれたのは、若い人たちにとってはもちろんのこと、私にとってさえ時代劇のように古いむかしだ。だが、そんな時代に、これほどにもモダンで洒落た作品が書かれていたことに驚嘆してしまう。

驚嘆といえば、大澤壽人という、今ではほとんどその存在を忘れられている作曲家が、「ピアノ協奏曲第3番変イ長調」というタイトルの作品を戦前に書いていることを知ったときも、かなり驚いた。交響曲は、日本でも山田耕筰以来少しずつ書かれていたが、協奏曲、しかもピアノ協奏曲を昭和13年までに3曲も書いていたという作曲家は、他に思いつかないのだ。そして、当時の日本人作曲家の作品には標題音楽的な題名が多い中、この堂々たるネーミングである。オーケストラ・ニッポニカと野平一郎さんによる「おそらく初演以来65年ぶりの蘇演」の録音を聴いて、またぶっ飛んだ。3楽章から成り演奏時間は約25分、曲の構成、独奏とオーケストラとの関係、オーケストレーション、そして曲想から湧きあがるファンタジーなど、どれを取っても見事なコンチェルトで、こんな怪物のような作品を生んだ作曲家の存在が長い間忘れられていたことに、時が過ぎゆくことの酷薄さを思い知らされるのだ(大澤壽人を、昭和のファンタジスタと呼ぼうか)。どこかジャズ的な雰囲気が漂うこともありながら、やはり全体を振り返れば剛速球の直球勝負。さらに、この作品には、「糠味噌臭い」ようなところが微塵もない。作曲者の名前を伏せて聴けば、誰も日本人作曲家の作品だとは思わないだろう。近代フランスあたりの作曲家かしらと思うだろうか。あるいは、プロコフィエフにもう1曲ピアノ協奏曲があったのかと思われるだろうか。

これらの3曲からは、上気して火照っているかのような熱気、熱風が共通して感じられる。それは単なる偶然だろうか。「皇道派青年将校が挙兵、閣僚らを殺害(すなわち2.26事件)」「蘆溝橋で日中軍が衝突」「日本軍が南京で大虐殺事件を起こす」「国境紛争が起こり、日ソ軍衝突」・・・1936年~1938年の年表を見ていると、こんなきな臭い事項が列挙されているのがわかる。音楽作品から感じる熱気と歴史的事件とを安易に結びつけることは慎まなければならない。だが、音楽の沸騰ぶりと政情の急傾斜ぶりが完全に無関係であるのかどうかもまた、わからない。

2006年5月11日 (木)

1930年代の器楽曲

現代芸術論第4回

たまたま音源が手元にあった3曲のヴァイオリンとピアノのための作品は、昭和6年から12年までの間に作られている。この3曲は、いずれもジャポニスムを強く意識している作品だが、そのアプローチの仕方はだいぶ違っている。

橋本國彦「侍女の舞」(舞踊劇「吉田御殿」より、昭和6年)は、舞踊劇の中の音楽ということもあるだろうが、まさに絵に描いたようなジャポニスムぶり。だが、よく聴いているとかなりモダンな和音によって彩られているのがわかる。日本情緒纏綿たる旋律はいわば食材であって、シェフたる作曲者は自在にそれを料理し操っていく。つまり、彼はこの音楽に主情的にのめりこんではいない。ラヴェルがそうであるように、旋律や和音や音色の意匠工夫が腕のふるいどころという橋本國彦の職人意識がうかがわれる。

それに対して、貴志康一「月/花見」(昭和9年?)は、濃厚なジャポニスムを吐きだしながらも、ドイツロマン派的なパッセージが突然姿を現したりする。若くしてドイツに渡り、カール・フレッシュにヴァイオリンを、フルトヴェングラーに指揮を、ヒンデミットに作曲を学び、ベルリンフィルを指揮した最初の日本人となった貴志康一にとっては、母国の音楽情緒とともに、ドイツ・ロマン派の、たとえばブルッフあたりのヴァイオリン作品に対しても強烈な憧れがあったに違いない。ジャポニスムとドイツ的ロマンティシズムがどちらの色も濃いままにないまぜになったこれらの作品はいささか奇妙な風情だが、実はそれは作曲家としてのアイデンティティーをひたむきに求めようとしたための軋みのようにも思える。

箕作秋吉「ヴァイオリンとピアノのためのソナタ」(昭和10年)は、たいそう落ち着いた大人の音楽で、第1楽章冒頭のピアノは明らかに筝の音色を模しているが、日本的な素材は咀嚼されており、いわゆるジャポニスムという呼称は似つかわしくないだろう。派手な音楽ではないが、名品として記憶されて良いものだと思う。

江文也については、まだ知られていないことがたくさんある。台湾に生まれ、日本に「内地」留学し、「日本の」作曲家として活動。昭和13年頃からは、日本と大陸中国とを行き来しながら、北京や上海の文化・芸術に自らのアイデンティティーを見いだす。だが一方、国策映画の音楽なども書いたために、戦後は北京で投獄されていた時期もあったという。その後復活するも、文化大革命では「ブルジョア的」の烙印を押されて下放。亡くなる数年前に「名誉回復」されたというのがせめてもの救いだが、まさに運命に翻弄されたこの作曲家の作品は、現在はほとんど演奏されていない。ジューイン・ソンの演奏によるCD「日本時代のピアノ作品集」におさめられている「三舞曲」(昭和10年)など、もっと普通に演奏されてしかるべき作品のように思う。

最後は、尾崎宗吉の「ヴァイオリンとピアノのためのソナタ第3番」(昭和14年)。緩・急の2つの楽章からなり、演奏時間は11分ほどだが、このような2楽章構成でヴァイオリンソナタを書く場合の模範とでも言えそうな安定感のある堂々とした作品である。師である諸井三郎仕込みの絶対音楽を、彼も目指していたのだろうか。尾崎宗吉は、このソナタを完成直後出征し、昭和20年に中国大陸で戦病死する。尾崎が戦後も生き永らえて作品を書き続けていたら、おそらくその後の作曲界に大きな影響を及ぼしただろう。

それにしても、江文也も尾崎宗吉も、そして貴志康一も、これらはみな24~25歳の時の作品なのである。何と早熟、何と大人だったことだろう!

2006年4月27日 (木)

作曲家の栄光と悲惨~橋本國彦の音楽

現代芸術論第3回

学生くんたちのほとんどが、瀧廉太郎や山田耕筰は知っていても、橋本國彦の名や作品を知らない。そんな彼らに、橋本作品のいくつかを聴いてもらうことができただけで、この授業は意義があっただろう。
古典舞曲<サラバンドの面影>の端正なたたずまい、歌曲「お菓子と娘」の清楚でおしゃれな美しさ、歌曲「薊の花」に聴こえる日本音階と西洋近代和声の融合・・・大正から昭和初期にかけてのこの国に、こんな音楽作品が生まれていたのは何と素敵なことか!だが、橋本國彦の才能はそこに留まるものではなかった。「班猫」「舞」と続く歌曲では、山田耕筰の流儀とはまったく違う作曲術でドビュッシー流の朗唱やシュプレッヒシュティンメが実験され、海外の最新の音楽的思潮が彼のすぐ隣にあったことが示される。かと思うと、新民謡「富士山見たら」やノーエ節のリミックスである「旅役者」からは、いささか浮薄にも見える曲想の中から一味効かせた伴奏が聴こえてくる。そして、彼の作品に見られるジャポニズムは、内側から滲み出たものというより、外側からの憧れ、エキゾチシズムとしてのジャポニズムに近いものであるように思える。
彼の音楽的才能は、求めに応じてところ厭わず振りまかれた。前衛的な手法を用いた純音楽から歌謡曲、CMソングやラジオ体操の音楽まで彼は作曲した。そしてまた、東京音楽学校の教官として戦争に巻き込まれていく。戦意高揚を目的とした音楽活動にまで、彼の才能は消費されることになる。

昭和15年に書かれた交響曲第1番ニ調は、皇紀2600年奉祝曲であるという出自に惑わされることなく評価されるべきだろう。マーラーのように、それまでとはまったく違う曲調が突然カットインされたりする第1楽章、琉球音階による主題がボレロ風に積み重ねられていく第2楽章、そして第3楽章は唱歌「紀元節」(伊沢修二作曲)を主題とする8つの変奏とフーガだが、彼はどの楽想をも、交響曲を構築するひとつひとつの素材として冷静な視点で扱っていく。主題は自在に変形される、たまたま主題が「紀元節」という曲だっただけのハナシ・・・作曲者には主題を変形し展開させていくのが面白くて仕方がない。フーガまでくると、こんな主題だが料理の仕方によってはこんな音楽が作れるんだぞと言わんばかりの腕の振るいようである。あくまでも作曲家の目は、この主題をどう展開させると音楽的に豊かな楽章が出来あがるか、その一点にしか感心がないように思える。皇紀2600年におもねって筆をすべらせている感じがほとんどしないのだ。

橋本には、戦時中の活動の責任を負う必要があったのだろうか。確かに多くの戦時歌謡を作っている。しかし、それは橋本ひとりのことではない。音楽家を束ねる役割を果たし、軍服を着て日本刀を下げて歩いたという山田耕筰に対して、戦争責任を追求する声が沸き起こっていた。しかし、その論争はほどなく霧散する。結局、山田はその後も音楽活動を続け、橋本は公職を辞した。戦後の橋本に残された時間は、ほとんどなかった。遺作「アカシアの花」は通俗的な歌曲だが、美しい旋律の上に漂う寂寥感は晩年の心境を映し出しているようだ。いや、そう感じるのは、思い込みが過ぎるだろうか。晩年といっても、没年44歳なのだが・・・。

2006年4月20日 (木)

山田耕筰

現代芸術論の第2回「山田耕筰再考」

史実に「たら」「れば」を問うことの愚かさを承知の上で、やはりこの作曲家、日本における西洋音楽受容と啓蒙、そして創作の道を拓いた山田耕筰の年譜を見ていると、どうしても様々な「もしも・・・」を考えてしまう。

1912(明治45)年、ベルリン留学中に作曲した「序曲ニ長調」、そして同年引き続き書かれた交響曲「かちどきと平和」は、それぞれ日本人が最初に作曲した管弦楽曲、交響曲となった。ドイツ古典派、もしくは前期ロマン派をお手本に書かれたこれらの作品は、青春の大作にふさわしい輝きとみずみずしさを持っている。そして、これは誰もが言うことだろうが、翌年の交響詩「暗い扉」「曼陀羅の華」は、様相がすっかり違っている。この曲で思い浮かぶのはベートーヴェンやシューベルトではなく、リヒャルト・シュトラウスなど後期ロマン派のスタイルだ。彼は1年間の間に、まるで100年を駆け抜けたような様式上の変化を遂げた。そしてそれは、単に彼にとってのアイドルが入れ替わったというだけではない。この疾走を経て、彼は作曲家としての個性を獲得したのだった。

一時帰国のつもりが、第一次大戦勃発のためドイツに戻ることができなくなる。もしも、ドイツに戻ることができたら、ドイツで作曲活動を続けることができたら、彼はどんな作曲家になっていただろうか・・・。おそらく、第二の、あるいは第三の交響曲が生まれただろう。もっと大規模な交響詩が何曲も構想されただろう。北原白秋をはじめとする様々な詩人とのたくさんの歌曲は生まれなかったかも知れないが、国際的に活躍する最初の日本人作曲家になったことは、間違いないように思う。帰国後の山田耕筰が作曲した管弦楽曲の多くは国粋主義的標題を持つもので、現代では顧みられる余地がない。美しい歌曲を次々と作曲しながらも、彼は戦争に向かってエスカレートしていく政局に歩調を合わせ過ぎてしまった。無論ドイツに留まったとしても、ナチスの台頭にもっともっとファナティックに反応したかも知れない。それとも、彼のナチスに対する傾倒は、留学によって国の事情を熟知していたドイツへの恋心ゆえか。もしもドイツに留まり続けていたら、全体主義に対して彼はどのような態度を取っただろうか。

道の開拓者として、山田耕筰がああしたからこうなった・・・ということが、先駆者に責任をなすりつけるようだが、現代の音楽界にも多くある。日本歌曲というジャンル、グランドオペラを志向するオペラ界、そして、戦争中音楽家の元締めとして果たした彼の立場も、先駆者ゆえの毀誉褒貶にまみれている。たくさんの名作歌曲を、これらの文脈と完全に切り離しては考え難いところに、山田耕筰理解の複雑さがある。

2006年4月13日 (木)

瀧 廉太郎

今日から始まった「現代芸術論A」の授業では、日本の作曲家による作品を扱うことにしている。第1回は瀧廉太郎。

「荒城の月」について。
あまり知られていないことかも知れないが、瀧廉太郎が遺した楽譜と、現在一般に普及し歌われている楽譜とでは、いくつかの点が大きく異なっている。実は、現在一般に普及し歌われている楽譜は、山田耕筰編曲によるものなのである。

相違点の一つ目は、どちらも4分の4拍子だが、瀧廉太郎が書いたオリジナルの基本単位が8分音符であるのに対して、山田版は4分音符であること。従って、8小節で収まっていた1コーラスが、16小節になる。二つ目は、調性。オリジナルのロ短調に対して、山田版はニ短調。三つ目は速度・曲想標語。オリジナルは「アンダンテ」と記されているだけだが、山田版では「レント・ドロローソ・エ・カンタービレ」(悲しげに歌うように)である。その結果、山田版の方が荘重で、情緒を強調した音楽になる。

しかし、最も注目すべきは、オリジナルでは、「春高楼の花の宴」・・・「花の宴」の「え」の音にシャープがついており、「の」と「え」が半音であることだろう。山田は、このシャープをはずして全音とした。

私は大学の作曲教師として、学生たちに和声学という音楽理論を教え、作曲のアドバイスをするなどして糊口を凌いでいる。考えてみれば、23歳と10ヶ月でこの世を去った瀧廉太郎の時間は、私の学生たちとほぼ同じ年代で止まっていることになる。だから、数々の美しい曲を作曲した瀧廉太郎が、学生時代にどんな勉強をしていたのか、とても興味が湧く。

有名な「花」は、組曲「四季」の第1曲として作曲された。「花」のあとに、「納涼」「月」「雪」という歌が続く。この連作をはじめとして遺された作品を見る限り、彼は和声学の知識や技術について、少なくとも基本的な部分については、ほぼ完璧にマスターしていたと言って差し支えない。「花」などでも、ドッペルドミナントと呼ばれる和音やその変化形としての減七の和音の使い方はまったく的確だ。的確であると同時に、結構好んでいたのではないかと思われるふしがある。

山田は、「荒城の月」の「編曲」について次のように書いている。

「・・・ただ原作には何か西洋臭をぬけきらぬ点があまりにも際立って見えるので先輩に対して非礼とは思いましたが旋律に一ヶ所筆を加えました。」

シャープがはずされることによって、「花の宴」の和音進行はⅠ-Ⅳ-Ⅰとなった。しかし、もしシャープがあったら、Ⅰ-ドッペルドミナント-Ⅴとなるだろう。これは、ある意味とても西洋音楽的な和音進行だ。なぜならそれは、一時的にせよ「転調」を暗示する和声進行だから。
瀧廉太郎は、「え」をシャープにして、この旋律が西洋音楽のイディオムと同化することを願った、しかし、山田はそのバタ臭さを嫌ってシャープをはずし、日本的情緒の徹底を図った・・・と言えないだろうか。

生前出版された組曲「四季」の楽譜の巻頭には、次のような内容が書かれている。引用は大意。

「近来音楽は著しい進歩発達を遂げたが、多くは音楽の普及伝播を目的とする学校唱歌であって、それより程度の高いものはとても少ない。やや高尚なものがあっても、西洋歌曲に日本語の歌詞をあてはめたもので、原曲の妙味を損なっている。このことをいつも遺憾に思っているので、私たち日本人の手による歌詞に基づいて(オリジナルに)作曲をしたもののいくつかを発表しようと思う。」

「この任にあたるのは私の力では十分ではないが・・・」という控えめな但し書き付きながら、この序文は、私には瀧廉太郎の「作曲家宣言」と読める。文学では言文一致が始まったばかりの時代だ。そして、西洋音楽を勉強しているのもごく限られた人たちでしかない。そんな時代にあって、彼は、自分が音楽家として何をなすべきかわかっていた。私たちに遺された「花」という美しい歌、これこそはこの国のかけがえのない宝物だ。
21歳の青年が、熱い思いを込めたこの気高い「作曲家宣言」に、私は限りのない敬意を捧げる。だが、それと同時に、この「宣言」をまっとうできなかった瀧廉太郎の悲痛な運命と、彼がやり残したことの大きさについて、あらためて思いをめぐらせてしまうのだ。

2006年4月 7日 (金)

諸君、脱帽したまえ!

朝早く、友人のヴァイオリニスト、TMamiさんからメールが入ってくる。
おや?TMamiさんは、コンクールを受けるお弟子さんの付き添いで、フランスに滞在中と聞いていたが・・・。

「メニューヒン・コンクールで、郷古廉くんが1位になりました。」

え!?すごい!すごいすごい!おめでとう!・・・と、すぐさま返事を打った。

郷古廉(ごうこすなお)くんは、仙台近郊に住む少年である。たしか、この春中学に上がったばかりのはず。
すごくいいヴァイオリンを弾く男の子がいるんですよ・・・と、TMamiさんから聞いたのはいつのことだっただろう。折に触れ上達ぶりの話を聞いているうちに、全日本学生音楽コンクールで第1位になった。ご褒美のステージがあるというので聴きに行ったのは去年の年明け早々、東京のトッパンホールだった。

その時彼が演奏したのは、ショーソン作曲「詩曲」。フランスにおけるロマン派の名曲で、ヴァイオリン曲のスタンダード・ナンバーと言える作品だが、弾き手にとっては、決して易しくはないだろう。技法は必要だが、超絶テクニックで聴き手の目をくらませ、煙にまくようなタイプ曲ではない。ロマンティックな表情を持つが、甘味料過多でセンチメンタルに演奏すると、端正さが失われてしまう。演奏が説得力を持つためには、テクニックが安定していることはもちろんのこととして、溢れる叙情を背景に、彫りの深い表情を築き上げるような表現、つまりは、テクニック的にも内面的にも成熟した力が必要だ。そして、とにかくとてもよく知られた曲なのである。

郷古くんの「詩曲」を聴いて、当時小学校5年生の音楽表現とは思えない充実ぶりに驚き、本当に感心してしまった。テクニックはもちろんしっかりしているのだが、それ以上に、こんなに「味のある音楽」を醸し出せる音楽家は、そういるものではない。「すごくいいヴァイオリンを弾く」男の子がいるというTMami先生の評は、まさにそのとおりだった。しかもふだんは、友だちとふざけあっているようなごく普通の少年だというから、素敵ではないか。
精神世界に高い関心を寄せたことでも知られる大ヴァイオリニスト、イェフディ・メニューヒンの名を冠するコンクールでの優勝は、彼の経歴にふさわしい。そして、8日の夜、彼はガラ・コンサートで「詩曲」をオーケストラ伴奏で演奏するという。

ちなみに、第2位は、全日本学生音楽コンクールでも第2位を獲得した三浦くんとのこと。
年若い彼らに過剰な重荷を背負わせるのは良いことではないけれども、この著名なコンクールの上位を競った日本の少年たちの今後の成長を、大いに注目していきたいと思う。

*「諸君、脱帽したまえ!天才だ」・・・シューマンが、ショパンを見出したときに言ったとされる言葉。

2006年4月 4日 (火)

ポラーノの広場(2)

合唱劇「ポラーノの広場」は、昨秋山形で、合唱団「じゃがいも」によって上演された。「じゃがいも」はとても楽しい合唱団で、お父さんやお母さんの練習についてきた子どもたちも、一緒にまじって歌ってしまうのである。そんな子どもたちのことを「子じゃが」と呼んでいる。
この日は、萩京子さんの合唱曲「はっぱと りんかく」も演奏された。柔らかくしかし芯は強く、ちょっととぼけていて暖かい、まどみちおさんの詩の魅力を十分に引き出した曲だ。
後半に、私の作曲した合唱劇「ポラーノの広場」。上演にあたって書いたプログラム原稿は、当日会場に来てくださった方々以外には読んでいただける機会がないので、以下に掲載しておこうと思う。なお、初出の原稿に、ほんの少し手を入れてある。

0405

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To:kenji-M@ihatov.or.jp
SUB:RE:「ポラーノの広場」~宮澤賢治へのEメール~

賢治さん、こんばんは。今夜は、山形駅に程近い新しいきれいなホールで、「ポラーノの広場」の練習を聴かせてもらって、最終の高速バスに飛び乗り、仙台に戻ってきたところです。賢治さんも、「ポラーノの広場」の中で、センダードの街の様子を描いていますね。高速バスが暗い峠を越え、トンネルを抜けてたどり着く現代のセンダード、つまり仙台、その繁華街広瀬通は、たくさんのネオンが「モール」のようにきらきら光っていて、賢治さんが見たら、さぞかし目を白黒させてしまうことでしょう。でも、毒蛾はいませんから安心してくださいね。それはともかく、今夜の私のちょっと複雑な心持ちをどんなふうにお伝えすれば良いでしょう。嬉しいような胸がいっぱいのような少しさびしいような・・・。

賢治さんの「ポラーノの広場」を合唱劇にすることになって、作曲を始めようとしたとたん、正直私は頭をかかえてしまいました。だって、よくわからないんだもの。山猫博士って「山猫を釣ってあるいて外国へ売る商売」だっていうんだけれど、売られた山猫はどうなるの?ファゼーロのお姉さんロザーロって、「旦那」のところで何をしている?「皮を十一枚あすこへ漬けておいたし」というけれど、何の皮?なぜ十一枚?あすこってどこ?漬けておくと何ができるの?・・・きりがない。
しかも長い。原作そのままに作曲すると、上演時間3時間を越える大オペラになってしまう。あぁ、賢治さん、もっと長生きして、もう少し整理してくれてたらなぁ・・・と何度思ったことでしょう。
でもね、どの場面も何だか面白いんだなぁ・・・。

まぁ、いいや。

おいおい!まぁいいやじゃ困るだろう!・・・いえ、たしかに学者さんだったら「まぁいいや」では困るでしょう。でも私は作曲家で、合唱団のみんなは、なかなか出来てこない楽譜を首を長くして待ってくれている。いつまでも頭をかかえてばかりいないで、なんとか少しでも早く音にしてあげなければいけない。「なんのことだか、わけのわからないところもあるでせうが、そんなところは、わたしにもまた、わけがわからないのです」(「注文の多い料理店」序)などと言う賢治さんのことです。きっと許してくれるだろうと勝手に考えて、よくわからないところにも、とにかく音をつけていきました。ところがどうでしょう、音がついて歌われると、みるみるうちにことばが立ち上がってくるのです。私が考えた音なんか貧しいものなのに、ことばが音にしみこんでいって、全体を豊かに膨らませてくれるかのようです。今までわからなかったところが、それでわかるようになったかと言われると、やっぱりわからないところはわからないままだけど、少しくらいわからないことなんかどうでもいいと思えるようになってくる。読み慣れたから?いや、そうではない。それこそが賢治さんのことばの力であり魔法であると思うのです。

テキストの整理に頭をかかえている私をみかねて、指揮者の鈴木さんや団員の東海林さんが、マラソンランナーに付き添う伴走者の心配りで、幾通りもの案を考えてくれましたし、演出の山元さんが最後には何とかしてくれるという安心に甘えて作曲をしていきました。そして、聴きに集まってくださった皆さんの前で、「じゃがいも」のみんなが歌って「ポラーノの広場」という合唱劇を創りあげる。実は、その過程こそが賢治さんが思い描いたポラーノの広場の建設そのものだったように思えて仕方がないのです。もうすぐ私たちのポラーノの広場ができあがる・・・高速バスで仙台に戻ってきたときの心持ちは、そんな感慨だったのかも知れません。この作品のいちばん最後に歌われる「つめくさ灯ともす 夜のひろば/むかしのラルゴを うたいかわし」という「ポラーノの広場のうた」、林光さん作曲の名曲で知られているこの歌を、私は静かな祈りの歌にしたいと思いました。私たちのポラーノの広場、賢治さんも喜んでくれるだろうと信じています。

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文末の部分、初出では「私たちのポラーノの広場、賢治さんは喜んでくれるでしょうか。」と、いささか控え目に書いていたが、TV「ビフォー・アフター」のアナウンスみたいだよと指摘されたので、上記のように直しておく。
合唱劇「ポラーノの広場」は、仙台での再演を企んでいる。まだまったく具体的ではないけれど、実現するといいなぁ。そして、鈴木さんとは、もっと厖大な計画を話し合っている。まだ夢物語の段階だが、いつか実現させたいと思う。ただし、実現までに2~5年くらいはかかるだろう。

合唱団「じゃがいも」のホームページはこちら

http://homepage2.nifty.com/jagaimo/
(勝手にリンク張ったよ、ごめん!ついでにこの記事の写真も、「じゃがいも」のHPから転用させていただきました。)

ポラーノの広場(1)

山形の合唱団「じゃがいも」の鈴木さんから、合唱劇「ポラーノの広場」の記録映像が送られてきた。この合唱団からの委嘱に応えて作曲、昨秋上演されたもの。早速視聴してみて、苦労したけれど楽しかった秋の日々を懐かしく思い出した。

宮澤賢治の「ポラーノの広場」は不思議な作品だ。賢治作品の多くは、完成形とは言い難いところがあって、生きる時間がもっと残されていたら、さらに手を入れたかったのだろうと想像させるが、とりわけ「ポラーノの広場」は、一読すると未整理で散漫な印象が残る。ページ数で「銀河鉄道の夜」や「風の又三郎」を上回る賢治最大の長編にも関わらず、いささか知名度が低いのはそのためか。そして、いくつかなされたこの作品の舞台化の試みは、いずれも苦労していた様子と聞く。私たちも例外にもれず、とても難渋した。全体があまりにも茫漠としていて、どの部分をどう活かし、どこに焦点を絞っていけば良いか、容易に対策が見つからないのだ。

しかし、同時に、キューストやファゼーロという登場人物たちと毎日のように付き合っているうちに、私たちの悩みをやすやすと通り越して、彼らは勝手に動き始めていることに気づく。どうやら彼らにとっては、整えられちんまりした「物語」の枠の中など居心地が悪くて仕方ないらしい。この作品には、「物語以前」の朴訥で大らかな「場」が必要で、茫漠と読んだのは私の目のまちがい、読み物としての「物語」が多少破綻していたとしても、いや、それを超えた「場」だからこそキューストやファゼーロたちは生き生きと存在できるのだという気がしてくる。

「『ポラーノの広場』という作品は、魔物なんだよね。なんかわからないけど、いつの間にかズブズブはまっていくんだ」と、演出のゲンさんこと山元清多さんは言う。それは実感としてとてもよくわかる。私もそうだし、「じゃがいも」のみんなもきっとそうだったのだろう。だから、曲の完成が大幅に遅れて練習期間が短かった(ごめんなさい!)にも関わらず、あんなに楽しく演じきることができたのだと思う。演じきると言ったが、キューストやファゼーロやミーロや山猫博士たちは、とても童話的に描かれているにも関わらず、私たちにとっては架空の人物ではなくなっていた。私たちも、整えられた「物語」の枠の中などで、論理的で計画的で矛盾や隙のない人生など送ってはいない。キューストやファゼーロたちが隣人のように思えてくるのは、そのためだろうか。

2006年3月31日 (金)

合唱劇

3月29日に引き続いて、新国立劇場中劇場で栗友会の演奏会。コーロ・カロスの出演で、「冬のオペラ。大正二十五年の」(作曲=林光、台本・構成・演出=加藤直)。今夕も休憩なしで1時間30分。

書き下ろしのソングとともに、昭和初期の歌謡や浅草オペラの有名曲が歌われる合唱劇。「月は船」や「いつもその日は雪」などたいへん美しいオリジナルを聴くことができる。そして光先生の、いつもながら冴えわたっている職人技に敬服。
しかし、若い観客にはギャグが通じにくくなっているのではないか。客演・大月秀幸氏によるエノケンの物まねなど、かなり似ていて可笑しかったが、周りからはほとんど笑いが起こらないのだ。
なお、栗山先生体調不良とのことで、光先生が指揮。

合唱劇という形体、とても興味があるし、私も何作か作っている。ただ、この作品は「劇」のウエイトがかなり高いので、歌だけならば大丈夫だが、どこの団体でも再演できるというわけにはいかないだろう。そういう意味では、先端的な作品と言える。

2006年3月 7日 (火)

つぶやき

紀尾井ホール。3月1日に引き続いて日本の作曲家によるアンソロジーのシリーズ、今年の最終回を聴きに行く。2曲の作品を楽しみにでかけたのだが、まさにそのふたつに満足した。それにしても、先週もそうだったが、聴衆の少なさが気にかかる。それに、作曲家もそうだが聴衆も高齢化しているような気がする。アンソロジーだからということでもないだろうに。

2006年3月 1日 (水)

演奏会

0301 紀尾井ホールで、私の曲「5つのウムイ」再演。ここ何年も続いてきた、日本の作曲家による作品の、戦前からの膨大なアンソロジー・シリーズに入れていただけたというわけで、光栄だが同時に何だか妙な感じもする。歴史的検証の材料にはそぐわない曲だろうとも思うし。