フォト

-天気予報コム-
2008年7月
    1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30 31    

最近のトラックバック

友人のページ

こんなページを見つけました。

ブログ:ココログ

2008年7月13日 (日)

本間先生の告別式

6月21日に亡くなられた作曲家・本間雅夫先生の告別式が、仙台斎苑別館で行なわれた。音楽家仲間が実行委員会を組んでの音楽葬である。作曲家であり僧侶である片岡良和先生による伽陀、表白文から始まり、作品の演奏や弔辞が続く。

本間作品は、無調を基本とした厳しい書法によるものが多いけれど、比較的近作であるフルートとピアノによる「かなたへ」は、とても抒情的に聴こえたのが少し意外だった。作曲のお弟子さんに対して、「雰囲気で書いてはいけない。仕掛けで書きなさい。」と、常々言っておられたからだ。

また、故郷に贈った「深浦讃歌」は、調性を持った優しく穏やかな歌。このような書法では、滲み出る人柄は隠せない。

眉をひそめ、苦虫を噛み潰したような表情で小言をおっしゃり、そんな表情のまま、こちらが崩れ落ちそうになるような駄洒落を言われた。そして、仙台圏を中心とする東北の作曲家の束ね役となって、創作活動を刺激し続けた。自ら推進役となった多くの創造と啓蒙の運動のほとんどは手弁当だっただろう。そして、若い人たちを世に送ることにも熱心だった。

指導は厳しかったが学生たちは慕っていた。先生が、仙台でいかに大きな存在だったか、会葬者が500名近かったことにも現われている。

私は、今勤めている大学で、本間先生の直接の後任者ではないが、先生が受け持っておられた授業の大半を引き継いでいる。大学の「同僚」としてご一緒したのは1年半だけだったが、その後も作曲家仲間としてお付き合いさせていただいた。

当時、先生が作られた音楽理論についてのカリキュラムは、完璧なものだった。私は、それをそのまま踏襲しようとしたけれど、何度かの大学改革によって、このカリキュラムを維持するのが困難になり、崩さざるを得なくなった。それは、今でも私にとっては痛恨事だ。

弔辞も演奏も、そして弟さんが語る先生の青年時代の話も、胸にしみるものだった。義弟であるジャズ・ピアニスト、ケイ赤城さんのために書かれた曲も、アメリカから一時帰国したケイさん自身によって演奏された。ケイさんは、日本人で唯一マイルス・ディヴィスと共演したミュージシャンである。

最後に、モーツァルト「レクイエム」の「ラクリモーザ」、「アヴェ・ヴェルム・コルプス」が献奏された。遺影の中の先生は、モーツァルトの美しい音楽を聴きながら微笑んでおられるように思えた。

Photo 写真は、準備中の式場。この式で、私は司会を任ぜられた。大役だったが、本間先生へほんの僅かだけれどご恩返しができたかなと思う。

先生のホームページ→ http://www.masao-homma.com/ ご逝去の告知と石川浩さんによる追悼文が載っているが、作品データベースなどは、現在もそのまま。

2008年5月 3日 (土)

沖縄を歌う

寺嶋陸也さんの新作合唱曲初演があったので、聴きに行く。TOKYO CANTAT 2008 という合唱フェスティバルでのコンサート。すみだトリフォニー大ホール。

「沖縄諸島 歌の島」と銘うたれたコンサートで、5人の作曲家の6作品が、コーロ・カロスを中心とする様々な合唱団によって演奏された。

いくつかの作品が共通のテーマによって括られる多くの場合に起こり得ることだが、とりわけ「沖縄」というキーワードは、作曲者の「沖縄」の捉え方、考え方、距離などの違いが如実に明らかになるように思える。音楽的には、琉球音階が醸し出す独特の雰囲気をどう処理するかという作曲書法上の問題もある。

冒頭に初演された寺嶋作品「おもろ・遊び」は、琉球の古い神歌「おもろさうし」3首を歌詩として書かれた。「おもろさうし」に記されている詩は、もともと口承伝承の歌だが、現在では節は失われているから、詩として読むほかはない。古い琉球のことばで書かれたそれは、詩というよりはほとんどおまじないの文言のように見える。

寺嶋作品でも歌詩を追うことにはほとんど意味がない。大意だけを承知して、あとはことばの音韻、音の響きの美しさを、ゆるやかに流れていく舟の上か何かにいる心地で楽しんだ。だが、それは、聴き流すことのできる通俗的気楽さとは遠く、琉球音階を避けたことで、むしろ架空の国の架空の神への宗教歌のように聴こえる。そして、その無論特定の神に対するものではない宗教的な高揚と沈静の音楽は、最後には海に流れる風のあわいに溶けるかのごとく消えていった。演奏時間20分以上を要する真摯な力作。間宮芳生「コンポジション」シリーズの後を継ぐ存在感と内容を持っている。

高橋悠治「クリマトーガニ」(1979)からも、ある種の呪術的な響きが聴こえてくるが、こちらは琉球音階を避けず抽象化したことで、南方のさまざまな異国への、より強い繋がりを示すことになった。楽曲としての構築が排されているかのように見え、聴いていると快く開放された退屈さに満たされてくるが、実は決して構築を放棄しているのではない作法は興味深い。

信長貴富「廃墟から」は、「ヒロシマ」、「ガダルカナル島」、「オキナワを踏まえたすべての戦争犠牲者への鎮魂」という3章のうちの2と3のみが演奏されたが、おそらく全章を通して聴くべき作品なのだろうと想像する。抜粋演奏では、2章と3章との書法の違いばかりが目立って、「鎮魂」に収斂されていく過程が見えにくい。

沖縄のわらべうたや民謡を素材とする瑞慶覧尚子「花ぬ風車」組曲、林光「島こども歌」、寺嶋陸也「沖縄のスケッチ」では、作曲者の素材への距離の取り方の違いが見て取れる。林作品と寺嶋作品の方向性は似ていて、元の歌に最小限のものを付け加えることによって、創作としての独自性を最大限に膨らませようとする。瑞慶覧作品では、特に「月の美しゃ」の素材に与えたテクスチュアはこよなく美しいけれども、創作として付け加えたものがやや饒舌に過ぎる箇所もあるように思えた。

演奏会全体は、加藤直さんの構成・台本。ラジオ番組仕立ての朗読(竹下景子)が曲を繋いでいく。成瀬一裕さんによる美しい照明が、それぞれの曲や場面を集中させていたが、ことばによる繋ぎが効果的に有機的であったかどうかは、よくわからない。休憩なしで2時間10分。先週軽く腰痛を再発させている身にとって、座りっぱなしはいささか辛いものがあった。途中休憩が入ったとしても、このコンセプトは集中を切らさず持続できただろう。「休憩なし」が効果的な公演があることは十分承知しているけれど、同時に、会場にはいろいろな事情を抱えた聴衆がいることも考えてほしいと思う。

2008年3月19日 (水)

春の雨の夜、横浜の洋館で。

横浜のみなとみらい線、馬車道駅のすぐそばに、大きな洋館がある。元は銀行だったもので、現在は東京芸大大学院映像研究科となっている。

実に立派で美しい建物だが、ここで「野田暉行退任記念・作品コンサート パートⅡ」があった。過日、新奏楽堂で行なわれたパートⅠは行けなかったので、今回は出かけていく。

なぜ映像研究科で退任コンサートかというと、野田先生が副学長として、映像研究科の設置に尽力されたことから、映像研究科スタッフよりの御礼の意味が込められているのである。

そして、映像研究科を束ねる科長の藤幡正樹さんは、私とは大学の同級生。すっかり偉くなっておられるわけだが、お互い、美校、音校の数少ない友人のひとりだっただけに、昔一緒に遊んだ記憶は鮮明だ。「あれぇ!?こんなところで会えるとは~!」と、私を見つけて声をかけてくれたフジハタくんの、何ともいい感じの自然体は、学生の頃と全然変わっていない。

コンサートは、芸大の学生さん、大学院生さん中心の演奏。作曲者の指揮で女声合唱曲「湘南讃歌」が歌われたあと、ピアノ曲「オード・カプリシャス」、編曲集「日本のメロディ」より。冒頭には、野田先生と藤幡さんのプレトークがあり、休憩時間には野田先生の音楽によるアニメーション「まつりご」が上映された。密度の高い、そして演奏難度も高い作品ばかりだが、いずれも、大変に好演。決して広くはないけれど、天井が高く残響が多い、素敵な雰囲気の会場。充実した、とてもいいコンサートだった。

2008年3月16日 (日)

旧師を囲む

受験から大学を通してお世話になった作曲家の野田暉行先生が、この3月で芸大を定年退任されるとのことで、門下生中心のお祝いの会があった。フォーシーズンズホテル椿山荘。

野田先生は、特にエクリチュールの師匠としては完璧な方で、でもこちらの能力の無さから、いくばくかのものすら受け継がせていただくことができていないなぁと思う。ただ、私が大学教師稼業で、曲がりなりにも和声学なぞを偉そうに長年にわたって担当していられるのは、まぎれもなく先生のおかげなのである。

大学院を修了されてすぐ、1967年に助手として芸大にお勤めになられてから実に40年、芸大一筋。私が、先生のレッスンに通うことを許されたのが1971年ごろのはずだから、もう35年以上も前だ。100名近い関係者がお祝いに駆けつけた会場は、意外にも若い人が多いなぁと思ったのだけれど、計算してみれば、私たちの世代は比較的初期の弟子ということになるのだから当然かも知れない。

Photo 乾杯の音頭を取られた松尾楽器の松尾治樹社長は、最初期のお弟子さんとのことだが、一番最初のお弟子さんは加古隆氏なのだそうだ。門下生の系列、私などは末席もいいところだが、私の上には、新実徳英さん、野平一郎さん、糀場富美子さん、西村朗さんらがおられ、少し下には南聡さん、安良岡章夫さん、国枝春恵さん、徳山美奈子さん、だいぶ若いところでは夏田昌和さんらが活躍している。とりわけ異色なのはウィーンでコレペティトゥアの仕事を続けている三ツ石潤司さんが一時帰国中で、ユニークなスピーチに大笑いした。

お弟子さんではないが、関わりの深いピアニスト渡邉康雄さん、規久雄さんご兄弟や、作曲の西岡龍彦さん、小鍛冶邦隆さん、佐怒賀悦子さん、山本純ノ介さん、山内雅弘さんといった方々とも、久しぶりにお会いできて楽しかった。同級だった山本泰久さんなどとは大学卒業以来ではないだろうか。

私自身は、べつに反逆したつもりもなかったが、ふと気がついたら、ありゃ「芸大アカデミズム」とはかなり離れたところに立っているぞという具合で、いささか敷居が高いのだけれど、集まってみれば単なる同窓会。先生の風貌も以前と少しもお変わりないから、和声課題で連続5度を直されたり、落とした臨時記号を大きく書かれたりしていたころから30数年経ったと言われても、何だか変な感じがするばかりなのだ。

2008年3月15日 (土)

「ボルヘスの時間」

現音の音楽展、作曲の若い友人門脇治さんの新作モノオペラの上演に出かける。東京文化会館小ホール。

登場人物は一人、「ピエロ・リュネール」と同じ楽器編成のアンサンブル、それに、あらかじめ録音された音などがかぶる。

台本は、アルゼンチンの作家ボルヘスの、だが特定の作品を題材にしたものではなく、数作品が混合されて作られたとのこと。出演:松平敬、台本:村上茂伯、演出:飯塚励生、指揮:松尾祐孝の諸氏。上演時間は30分ほど。

精緻で、高いテンションが維持されて作曲されたと思える作品。テクスチュアもよく工夫されている。もう少しメリハリがあっていいだろうけれども。そのあたり、やはりかなり真面目な作品という感じがある。

残念なのは声と楽器のバランスが最悪で、しばしば声が楽器にかき消されることだ。そのため、すべての言葉が聴き取れたとしても(おそらく)全部はわからないであろう抽象的な内容が、ますます断片的にしか伝わって来なくて、もどかしい。せめて、どのくらいわからない内容なのかくらいは、わかりたかった。

原因は、書法や唱法にもあろうが、会場と、アンサンブルのコントロールの問題が大きいように思われる。東京文化会館小ホールは、この作品の上演にふさわしい雰囲気を持っているけれども、もう少し工夫をしないと厳しいものがある。増幅された音響を伴なったりもする部分もあるので、なおさらだ。

素材はいかにも門脇さんらしいものだし、しっかりした作品を書いたなと思う。環境を変えての再演の機会が待たれる。

たまたま隣の席に座ったAOIの大坂さんはどうだったかわからないが、このあと上演された別の作曲家の約1時間かかる作品に、私はどうしても馴染むことができなかった。ただ、終演後の帰り道で、作曲家の北爪やよひさんや高嶋みどりさんにお会いできたので良しとしよう。高嶋姐さんは大学の同級生だが、実に数年(数十年?)振りの再会だった。

2007年11月10日 (土)

こどもたちへ メッセージ2007

Photo作曲家協議会主催、カワイ出版とタイアップ企画の「こどもたちへ」。

毎年、作曲家協議会の会員が子ども用のピアノ小品を書き、曲集として出版し、自作自演のコンサートを催す。もう23回目、今年は37名の作曲家が参加。あと2回くらいで、総計1,000曲になるという。

今年もお話をいただいたので、「ドミレソ」というタイトルの曲を書いた。「ドミレソ」というフレーズが、2小節(後には1小節になったりもする)ごとに繰り返される。パッサカリアとかシャコンヌとか、そんな大それたものではないけれど、そういう仕掛け。

去年は連弾で「ミミファラ」というタイトルの曲を書いた。曲の冒頭の音をそのままタイトルにしてしまうというのは、知る人ぞ知る北村大沢楽隊のやり方を真似たもの。この方法が良いのは、ヘンテコな嘘臭いタイトルを考えなくて済むことだ。子ども向けだからといって、子ども騙しのようなタイトルは付けたくない。

自作自演というのが厄介で、ピアノが上手い作曲家の方々は良いけれど、私のように、ピアノを弾くっていうだけで珍しがられるような手合いにとっては、大変ユウウツである。でも、紀尾井ホールの舞台に立ってみると、少しだけ楽しかったりもする。11月10日にあった今年の演奏会では、ちょっと間違えてしまったけれど、人にはあまりわからなかったみたい。所詮実力がないのだから、まぁこんなものだ。

Photo_3 今年出版された楽譜は2冊。私のは「その1」に入っているが、「その2」には、羽田健太郎さんの遺作が収められている。「ゆびずもう」というタイトルのその作品を、演奏会では寺嶋陸也さんが初演した。ムードに流れることなく、鍵盤上での指の遊びを展開した良い曲だ。それまでの羽田作品とずいぶん趣が異なっている感じがする。

左下のリストからも、この楽譜の情報を見ることができます。

2007年9月25日 (火)

聖玻璃の風

9月30日に、笙の演奏家・髙原聰子さんのリサイタルで、私の作品が演奏されます。篳篥独奏曲で、このリサイタルにゲストとして参加する中村仁美さんの演奏です。

笙 ミニ・コンサート

9月30日(日)14時 求道会館(東京都文京区本郷)

笙:髙原聰子、篳篥:中村仁美(ゲスト)

第一部:古典・・・演奏とお話

・平調調子

・盤渉調調子

・青海波

第二部:現代作品

・西部哲哉:天の夜曲(笙独奏)

・吉川和夫:聖玻璃の風(篳篥独奏)

・髙原宏文:笙のためのアリア(笙独奏) ほか

全自由席 3,000円

「聖玻璃の風」は、2005年にアサヒビール・ロビーコンサートのために作曲したもの。タイトルは、宮澤賢治「春と修羅」の一節によっています。

2007年8月14日 (火)

15番と17番、など。

Photo12日(日)午後、創る会の演奏会に行く。四谷区民ホール。

創る会は、会員である合唱愛好家が拠出する会費によって、作曲家に合唱作品を委嘱し、会員の手で初演する。演奏に参加する人たちは全国から集まって、演奏会のために集中練習をするそうだ。今までに、17曲の新作が発表されている。

今年の委嘱によって生まれたのは、間宮芳生「合唱のためのコンポジション第17番」。8月12日付けの記事で林光「原爆小景」について書いたけれど、「合唱のためのコンポジション」の記念すべき第1番が書かれたのも、「原爆小景」と同じ1958年なのである。

プログラムは、まずはモンテヴェルディの3曲のマドリガーレ。間宮合唱作品の出発点は、日本民謡と同時にマショーやモンテヴェルディなどルネサンス合唱作品にある。間宮先生自身「モンテヴェルディと並んで私の書いた音が鳴るのは、大きな幸福です。」と、プログラムに書いておられる。

2曲目は、合唱のためのコンポジション第15番「空がおれのゆくところについてくる」。これは、2002年に児童(女声)合唱のために書かれたものだが、今回は「おじさん、おばさんが歌ってもいいことにした」と作曲者がふざけておっしゃるように、大人の合唱によって歌われた。つい最近楽譜が出版されて、送ってくださったのを見ながら聴く。隣席には作曲者。開演前に遠くから会釈をしたら、わざわざ席を移ってこられたのだ。

15番の歌詞は、アメリカ先住民族と古代アルメニアの口承詩。児童合唱で歌われたら、キラキラ輝いて素敵だろうなぁと思う。だが、大人にとってはそれほど難しい音ではないし、長い曲でもないから、「おじさん、おばさんが歌ってもいい」のならば、コンポジション入門として最適だ。簡素な音使いでありながら、とてもコンパクトに引き締まった佳品。

さて、初演された17番は、混声合唱のための作品で、「七戸」「宇曾利」「牡鹿」の3曲からなる。テキストは3曲とも、菅江真澄が著した、今はフシが失われてしまった民謡の詞章と、旅日記の文章。世界規模の口承詩が歌われたいくつかのコンポジションとは違い、日本の東北(青森と宮城)に題材を得ていることもあってか、構成的にも音楽的にも落ち着いた作品という印象。かつて16番の初演を聴いて、私は思わずぶっ飛んだが、それとは違い、モンテヴェルディに通じる響きの美しさ、色っぽさがある。

最後のステージは、「合唱のためのエチュード」。間宮作品を歌うためのエチュードであると同時に、さまざまな歌や響きのスタイルを勉強するのに最適な演奏会用エチュードである。現在までに8曲が書かれている。いずれも長くないそれぞれの曲にはテーマが決まっていて、「風流」「リズムエチュード・唱歌」「ハーモニー」等という具合。コンポジションのスケッチを垣間見ているような楽しさ。

全ての指揮は、田中信昭先生。会費で委嘱料をまかない、会員が演奏して初演するというこのなかなか困難なプロジェクトを支え続けているのは、合唱創作への信昭先生の熱意にほかならない。ただ、演奏会としての宣伝が行き届いていないのか、夏休みのど真ん中と言え、客席が寂しいのが残念だった。

写真は、四谷区民ホールのロビーから撮ったもの。あまりにも天気が良すぎて、新宿御苑の森が真っ暗になってしまった。

2007年8月12日 (日)

夏、川のほとりで

Photo 8月9日、「林光・東混 八月のまつり」を聴くために、第一生命ホールに行く。

以前の第一生命ホールは日比谷にあり、二十数年前、私の最初のオペラが初演された会場でもあった。歴史を感じさせる建物で、どっしりと落ち着いた雰囲気が懐かしい。今は、隅田川沿いの晴海トリトンスクエアという今風なコンプレックスの中に移っている。

「八月のまつり」は、毎年、林光さんの合唱曲「原爆小景」を東京混声合唱団が演奏する催しで、今年でもう28回目になるそうだ。この時期、まだ仙台にいることも多いが、神奈川の家に戻っている時は聴きに行くようにしている。今年も指揮は、作曲者の林光さん。

原民喜の詩による「原爆小景」は、1958年に第1曲「水ヲ下サイ」が発表されて、大きな反響を起こした後、1971年に「日ノ暮レチカク」「夜」が書き継がれ、2001年「永遠(とわ)のみどリ」で完結した。「今後百年、草も生えないだろう」と言われたという焼跡の広島で書かれた「ヒロシマのデルタに 若葉うづまけ」という言葉が音楽になるのには、40年以上の歳月が必要だった。

やはりこの作品は、私たち日本人にとって「特別な作品」であると、あらためて思う。全4曲が書き継がれるのに要した40年の歳月は、林さんのその間の作曲スタイルの変化をも反映しているが、それにも関わらず、いやそれゆえに、詩と音楽とが向き合ってきた歳月の重みが伝わってくる。また演奏も、回数を重ねて十分に練られているだけに、端正にして透明。一時の感傷や安直なプロパガンダではなく、この厳しいテーマの深みに芸術的に迫る。

かねてから思っていたことだが、誰でも少なくとも一度は、広島と長崎の原爆資料館を訪ねるべきだし、丸木夫妻の絵画を見て、林光「原爆小景」を聴くべきだと思う。「誰々はこのようにすべき」というような口調は好まないが、このことだけは特別だ。

2005年に書かれ、2007年に新たな章が加わって完結した「とこしへの川」は、竹山広の短歌を詞として、ナガサキを扱う。合唱が響かせる音の帯、もしくは音の川のあわいに、ヴァイオリンとピアノが浮かび上がる。山田百子さんと寺嶋陸也さんの分をわきまえた演奏が、曲の流れを的確に引き締める。

プログラムの後半に演奏された「四つのイギリス民謡」は、岩田宏さんが自由訳で訳詞を付けたもので、1962年の編曲とのこと。私は初めて聴いた。とても素敵な編曲だ。こういう曲があまり歌われてこなかったとすれば、もったいないことだ。

最後は、中山晋平生誕120周年を記念しての「中山晋平歌曲集」で、新編曲も含めて6曲。「シャボン玉」は、詩人・野口雨情の、生まれて間もなく逝った愛娘への思いに添うように、儚く美しい編曲。「鞠と殿様」の意表を突くピアノ・パートといい、いつもながら林さんの職人技に感嘆させられる。「カチューシャの唄」と「ゴンドラの唄」は、「日本叙情歌曲集」の中で既に発表されていたものだが、このように中山晋平作品がまとめられるのは嬉しい。実は私は、結構晋平ファンなのである。

2007年3月31日 (土)

Japanese Orchestras Performances 1930s-50s

YouTube に、こんな映像があるのを発見しました。

NHKが放送した番組をアップしたのだろうと思いますが、タイトルのように1930~50年代の日本のオーケストラ演奏の映像です。オリジナルはニュース映画のようですね。

http://www.youtube.com/watch?v=ehueWt2vTbY

全部で7分半ほど。山田耕筰、ローゼンシュトック、ストラヴィンスキーなどの指揮を見ることができますが、ほんの一瞬だけれど橋本國彦の指揮姿が映ったのには驚きました。それから、若き日のヤマカズ先生こと山田一雄(当時は和男)が指揮台から落ちそうな勢いで、マーラー「千人の交響曲」を振っているのも興味深いです。

ついでに、こんなものもありました。

http://www.youtube.com/watch?v=RgWiAvP6qHU&mode=related&search=

ストラヴィンスキー「火の鳥」組曲の子守歌から最後まで。アンセルメが指揮するN響。

2007年3月18日 (日)

「寺嶋陸也ピアノリサイタル」を聴く

昨日は、大学院二次募集入試の仕事を勤めてから新幹線に乗り、東京文化会館小ホールで「寺嶋陸也ピアノ・リサイタル」を聴く。

寺嶋さんの作曲、演奏両方の仕事を支える「サポーター」たちが主催する(と言って良いのかな)リサイタル。彼をよく知り、その仕事を尊敬する人たちが多く駆けつけ、たいへん盛況。ふだん自作の演奏や、室内楽などを中心に活発な演奏活動を行なっている中で、時折このような本格的なピアノリサイタルを開いてくれるのは、嬉しいことだ。

プログラムは、バッハ「パルティータ第2番」、シューマン「幻想曲」、モンポウ「内なる印象」そして林光の第3ピアノソナタ「新しい天使」。

バッハは、ロマンティックに傾いた演奏と言われるかも知れないが、ルバートやディナーミクの変化は気紛れではなく、彼の明確な演奏設計を反映するもの。その結果、すべての声部が明瞭に響きあう美しい立体造形が立ち現われることになった。私たちは、バッハだけではなく、ベートーヴェンもショパンもドビュッシーもシェーンベルクも知っている。その上で、バッハを新しくどう弾くか、どう聴くかというテーマは、曲の造形を理解すること抜きには成り立たないだろう。

シューマンの難曲は、ともすると第1楽章だけで、弾き手も聴き手もへこたれてしまいがちだが、あくまでも「3つの楽章をもって完結する壮大な叙情詩である」ことを見事に示した演奏。安手のロマンティシズムに溺れることなく、全体と細部との対照が常に行なわれ、構築的に組み上げられていったからだろう。

第3楽章のある部分で、シューマンの時代の闇とはどのようなものだったのだろうか・・・と、ふと妙なことを考えてしまった。心の闇は計り知れず、ここでいう闇とは、夜の闇、あるいは夜の室内の明るさのことである。

私たちは、私たちが日常としているこの明るさの下で、数世紀前の音楽を聴いている。本番中のコンサートホールの中は、照明が落とされているけれども、一歩ロビーに出ると、ガラスの大きな壁を通して眩しいばかりの街のネオンが目に飛び込んでくる。そして、それが普通のことであるから特段の違和感も持たない。

シューマンの時代、当然ながら、屋外の闇は私たちが暮らしの中で感じるよりも深く、それが日常だったわけだ。闇を隔てた演奏会場には、それなりの明るさが確保されていただろう。けれども、そんな日常生活の中で、この作品はどのように聴こえたのだろうか・・・。

もちろんこれは妄想だ。だがそれは、寺嶋さんの演奏がシューマン時代の闇とかけ離れていると感じたからではなくて、むしろその逆のように思えたゆえの妄想なのである。

モンポウの作品は、私は恥ずかしながらほとんど知らなかった。いつまでたっても未知の曲がたくさんあるのは当然だとしても、普段できるだけいろいろな作品を聴くようにはしているのだけれど、この歳になってまだ、今まで知らなかった名品に出会うことができるのは幸せというべきかも知れない。

モンポウの作品は、寺嶋さんの作曲家としての語り口に、もしかしたらとても似ている面があるように思う。「哀歌」「ゆりかご」「ジプシー」などのタイトルは、内容を直接に示すというよりは象徴的であり、そこで鳴る音楽は作曲者の意図するところすべてを言いきるものではない。実際に書かれ演奏される音楽は饒舌ではなく、むしろ抑制されている。それは意図の入り口にしか過ぎず、精選された音だけを提示することで奥深い世界を想像させるような在り方。これは、寺嶋さんの「ロルキアーナ」などの作品を想起させ、彼の自作曲の演奏を聴いているかのような説得力と安心感がある。

寺嶋さんが林光作品の良き解釈者であることは言うまでもない。作曲者が弾いたら、おそらくもっと淡々としたものになるだろうが、彼の解釈はこの引き締まったソナタが内包している振幅を大きく広げて見せる演奏で楽しい。

アンコールは、カタロニア民謡「鳥の歌」、宮澤賢治「星めぐりの歌」で、いずれも寺嶋自身の編曲。今回のリサイタルのプログラムには自作が組み込まれなかったので、嬉しいデザートだった。

(今月中くらいを目処に、最近特に聴いて気になっているピアニストのことをあと二人、書いておきたいと思っています。)

2007年3月15日 (木)

非国籍のパラダイム~安部幸明の交響的作品

安部幸明氏は、数年前まで演奏会場で何度かお見かけしたことがあるが、昨年暮れ、95歳で亡くなられた。

日本で最長老の作曲家として名の知られた方ではあったが、実際に作品に触れる機会はほとんどなかった。弦楽四重奏曲を15番まで書いておられるとのことだが、第何番だかがいい曲らしいよなどと誰かが言うのを聞いても、ショスタコーヴィッチ並みに録音でもされていればともかく、演奏される機会は少ないし出版もされていないのだから、その作品はほとんど伝説のように感じられた。

唯一の例外は「クラリネット五重奏曲」で、このブログの昨年6月8日の記事にも登場している。私はそこで、「率直でけれん味のない清潔な音楽」と書いた。

日本作曲家選輯と銘うったディスクを出し続けている naxos が、このたびの新盤に安部幸明氏の交響的作品を収めたのは、シリーズのここまでの流れから見ればとても自然なことだ。世界初録音の「交響曲第1番」(1957)、それに「アルトサキソフォーンとオーケストラのための嬉遊曲」(1951)、「シンフォニエッタ」(1964)の3曲が収録された。

「シンフォニエッタ」は日本フィルシリーズに応えて書かれたもの。これまた伝説になりかけている渡邉暁雄氏の仕事を顧みるためにも、この作品が録音されたのは歓迎すべきことだと思う。

いつもながら分厚いブックレットに、片山杜秀さんによる詳細きわまるライナーノートがついている。これがこのシリーズのもうひとつの「売り」だ。字が細かくて老眼の進んだ眼には少々きついが、他では資料が入手しにくいので、とてもありがたい。昨年亡くなった作曲家は、250年前に生まれた作曲家よりわからないことが多いのだ。

そしてその作品だが、何度聴いても不思議な印象が残る。いわゆる「保守的な」作風には違いないのだが、「シンフォニエッタ」の一部分で聴こえてくる擬「雅楽」調や擬「火の鳥」調などを除けば、これは一体いつの時代の、どこの国の作曲家が作った作品なのかわからなくなってくる。「嬉遊曲」は特にそうだ。

ここまでの naxos のシリーズで聴けるいくつかの作品、山田耕筰はもちろん、例えば橋本國彦でも大木正夫でも、「私は日本の作曲家である」という刻印がどこかに聴き取れる。シンフォニスト諸井三郎でさえ、そう感じる。だが、そういった刻印、聴く側から言うと邦人作品というアイデンティティを、安部作品から聴き取るのは難しいように思える。かといって、ドイツ風とかフランス風とかいった勉強の名残が響いているのでもない。無国籍というより非国籍的なのかも知れない。

一般論として、「保守的な作品である」という言われ方は、後世への影響が薄いということに繋がっている。斬新な作品ほど後進に大きな影響を与える、だから影響力の乏しい保守的な作品はその価値も軽い・・・と。

しかし、そういう一面だけでは、作品を本当に聴いたことにはならない。「保守的」であろうが「前衛的」であろうが、その作曲家が彼の音楽言語で、何をどのように語っているか、そしてそれが成功しているのかどうかを聴き取ろうとしない限り、作品に近づくことはできないだろう。そもそも、古いか新しいかではなく、使われている音楽言語が彼のものになり得ているかどうかがまず問題であるはずだ。

だが、安部幸明が作曲家として活躍した時代には、「現代音楽」の熱心な聴き手たちは、新しい音楽に対してそのようには考えなかった。「保守的」と見られた作曲家の作品は、敬してあるいは軽蔑して遠ざけられた。あえて近づこうとする人は、その作曲家と同じかそれ以上に頑迷固陋と見做された。だが、今では「現代音楽」という言葉さえ、もはやある種の時代的スタイルを示すに過ぎないものになっている。

安部幸明の音楽言語は、一見似たようなものがどこにでもありそうに見える。ところが、実はどこにもないものであるように思えてくる。だから、じわじわと面食らう。面食らいはするが、いずれも意欲作であり傾聴に値する音楽である。今聴いてみたら思いがけず新鮮だったというのではない。だが、今後古びることもないだろう。

2007年3月 8日 (木)

「日本の作曲・21世紀へのあゆみ」

コンサート・シリーズ「日本の作曲・21世紀へのあゆみ」最終回に行く。東京・紀尾井ホール

このコンサート・シリーズは、1940年頃から2000年までの日本の作曲家による(管弦楽やオペラを除く)作品を回顧するもので、1998年にスタート。以来9年間、全40回のコンサートにおいて、119名の作曲家による220曲の作品が演奏されるという大プロジェクトになった。音楽評論家の秋山邦晴氏と寺西春雄氏の尽力により実現した企画だったが、お二人とも最終回に立ち会うことなく、すでに逝去されている。

昨年行なわれた第35回で私の作品も演奏され、昨年3月1日にこのブログにもメモしている。119名の中に入れていただいたのは嬉しいことだったけれど、アンソロジーとして扱われるのは、ちょっと妙な気分でもあった。

それはともかく、戦中・戦後の作曲家たちが何を考えてきたかについて、かつてない規模で振り返る企画だったわけである。題名だけは知っていても実際に聴いたことのないたくさんの作品が演奏されて、(特にひと昔前の)邦人作品に興味がある私としてはリストを見ているだけでわくわくしてくる。だが残念なことに、私はそのほとんど聴きに行くことができなかった。平日、それも週の真ん中に東京でコンサートを聴くのは、地方の大学で宮仕えをしている身分では至難の技なのだ。

幸い25回までのコンサートはCD化されているが、これまた残念なことに、26回以降の記録は資金難のためにCD化のメドが立っていないのだという。

最終回のプログラムは、武満徹「ガーデン・レイン」、間宮芳生「KIO」、柴田南雄「金管六重奏のためのエッセイ」、林光「苦行・・・1974」、池辺晋一郎「ストラータⅤ」。1960~90年代の名作ばかりで、間宮・林作品は初演を聴いた記憶があるし、武満作品は初録音のLPレコードを持っている。その頃のことをいろいろ思い出すと同時に、当時とは印象の違う作品もあって、何がそう感じさせるのか考えると面白い。

だが、私のようにわくわくする人はそれほどはいないとみえて、客席は最終回の今日ですら空席が目立つ。そもそも聴衆動員力が強いとは言えない音楽活動だが、30年前の客席はもう少し活気があった。

戦後の日本文学がかつてほど読まれなくなったように、戦後の音楽作品も、現代の聴衆との間に少しずつ距離が開いてきた。だが一方には、NAXOSの日本の作曲家シリーズCDが成功しているという現象がある。その距離は思ったほどではないという音楽も必ずあるし、プロモートの仕方にも一考の余地があるだろう。

残る作品と残らない作品という残酷な峻別は、当然なされていくだろう。だがそれにしても、ほとんどの作品が初演されてすぐに眠ってしまうような現状は、砂嵐の真ん中にオアシスを作ろうとし続ける営為のようにさえ思える。

作曲家個人の努力だけで何とかなることではないが、このコンサート・シリーズが終わった後、日本の作曲家の作品はどのように紹介されていくべきかについて真剣に考え実現する頭脳が出てこないと、今後日本の作曲家の作品は本当に顧みられなくなってしまうのではないか。

どうせ要らないようなことをやっているのだから、顧みられなくなったって当然じゃないかという見方もあるかも知れない。だが、いいのかそれで、この国の文化は本当にそれでいいのか?と、期せずして作家の特集をしている二つの雑誌を書店で手にとりながら思う。ひとつの雑誌は、わかりやすく感動できるということで評判の若い人気作家を特集、もうひとつの特集は吉行淳之介。若い人気作家に批判的であるつもりはないけれど、私はためらわず、吉行の方を持ってレジに向かう。

2007年2月28日 (水)

まっぷたつのなりゆき(20)

序の歌5ページ分、ちょっとした行き違いがあって、こんにゃく座にはコピーを渡し、原譜は手元にあった。

音や歌詞の誤記を訂正し、変更を書き込んだ原譜から最終的なコピーを取りたいということなので、手元にあった原譜を座に届ける。これで4人の作曲者のすべての手書き譜が揃ったはずだ。

この後は、完全なるコピーが座に保管され、手書き譜はそれぞれの作曲者に返却される。保管された譜面が次に日の目を見るのはいつか。何年後か何十年後か何百年後か。

気象庁は、「冬」の定義を12月~2月と決めていて、明日からは3月だから「春」。するとこの「冬」、東京都心ではまったく雪が降らなかったことになるそうだ。これは1876(明治9)年に観測開始して以来初めてとのこと。新潟の豪雪地帯でさえ、今年は平年の2パーセントしか雪が降らなかったと、夜のテレビで言っていた。

仙台から山形へ通じる幹線道路の入り口に、県境関山峠の気温を伝える電光掲示板がある。先週の冷えていた晩に「関山峠 マイナス6度」と表示されていた。いつもならそのくらいはよく見かける気温表示なのだが、「マイナス6度」と示されて、へぇ~今夜は寒いんだ・・・と、ちょっと驚いてしまうぐらい今年は異常な暖冬だった。

明日からの「春」までが、異常な気象ではありませんように!

2007年2月27日 (火)

まっぷたつのなりゆき(19)

4人の作曲家による共同作曲について、メモしておこう。

共同作曲は、私たちの共通の友人、知人たちに、どの場面を誰が作曲したのか推理する楽しみ(?)を提供したようだった。作曲の分担については、無料配布されたシートにも、公演パンフレットにも書いてあるから、秘密ではないのだが。

楽士の常連であるYさんは、ほとんどわかったと言う。さすがというか、私たちの音楽を多く弾いてくれているYさんには簡単なクイズだったかも知れない。だが、そういうマニアックな遊びは大半のお客様にとっては無縁だし、重要なことではないだろう。

場面ごと違う作曲者に受け渡されていくことについて、その繋ぎ目には違和感を感じなかったという感想が多かったけれど、内情を知り、繰り返し何度も聴いてきた者としては、4人の違いがかえってわかって面白かった。もちろんそれは、違和感というのとは違うけれど。

共同作曲の結果については、「どの場面も音楽が豊かだった」という感想と、「それぞれが力をこめて作曲しているために、息を『抜ける』場面がなくて疲れた」という意見と、まっぷたつに分かれた感じがある。だが、一人で作曲すれば息が抜けるところができるかというと、必ずしもそうは思わない。「ヴォツェック」や「モーゼとアロン」に、どこか息の抜けるところがある?「息が抜けない」のは、必ずしも共同作曲に原因があるのではなく、むしろ作劇上の問題なのではないかな。

これに直接答えるものではないが、24日マチネ終演後に行なわれたファンクラブ向けトークの中での一節をメモしておこう。

「それぞれの場面の曲想や繋ぎ目について、4人の間で打ち合わせなどはしたのですか」という質問に答えて光先生曰く、

「たとえば、ぼくらの上に『親玉』がいて、『この場面はこういう曲想で』とか『ここはこんなテンポで』とか指示するやり方もあるだろうけど、この中には『親玉』がいないから(そういう打ち合わせはやっていない)。」

そう、『親玉』になってもらえそうな先生は、一番初めに書き上げて涼しい顔をしていたもんなぁ。

萩さんが言った。「でも、もしそんなふうに『親玉』が指示をしたら、みんな『職人』に徹しちゃって面白くなくなったと思う。」

おそらくそのとおりだろう。『職人』になって、それぞれ自分だけの仕事場に閉じこもることを、今回誰もしなかった。ある場面の前後や全体の中での位置は、作曲者が各々で考えながら計っていった。他の3人を意識し、いわばライバル心を燃えあがらせて作曲するなどということは、少なくとも私はなかった。私一人で作曲したとしても、同じ場面には同じ音楽を書いただろう。他の3氏の存在は、ライバルではなくむしろ血を分けた分身の兄弟として存在していた。

オネゲル、ミヨー、プーランクらによる「エッフェル塔の花嫁花婿」を除けば、林-萩によるこんにゃく座のシェイクスピア作品、間宮-コルテカンガスによる「木々のうた」など、共同作曲の前例はそれほど多くない。けれどもこの創作方法は、今回の進め方が最善であったかどうかは別にしても、さまざまな可能性を秘めていると、今さらながら思う。

2007年2月25日 (日)

まっぷたつのなりゆき(18)

Photo_18 公演最終日。11時と16時の2回公演。

11時という開演時間はちょっと不思議だけれど、近年は需要の多い時間帯らしい。休日、朝少し早めに出かけて、終演後に遅い昼食を食べても、まだ夜までは時間の余裕があるというわけで、子ども連れで出かけてみようという場合などは特に都合が良いのだろう。

原作の翻訳者、河島英昭先生がいらしてくださった。公演パンフレット「おぺら小屋81」に書いていらっしゃる文章もとても興味深かったが、紹介されたので、いかがでしたかと伺うと、「大変結構でした」と嬉しそうにおっしゃった。高名なイタリア文学者だが、テッラルバの村からスーッと抜け出てきたような方だった。

19時、歌役者たちも演奏者たちも、最後の力を振り絞った(?)舞台は無事幕を閉じる。カーテンコールから引っ込んだ時の舞台裏には、初日以来の、だが初日とは少し違う高揚感が漂う。

・・・というわけで、この「まっぷたつのなりゆき」も、そろそろ終わりである。だが、事後報告や、今までにまだ書いてなかった考えなど、あと少しだけ書くことになるだろう。

ともあれ、たくさんのご来場、ありがとうございました!仙台や山形、大阪、京都、名古屋など遠方から、たくさんの方々がわざわざ来てくださったのも嬉しくありがたいことでした。皆さまの応援に、心より感謝申し上げます。

2007年2月24日 (土)

まっぷたつのなりゆき(17)

224 公演2日目。13時と18時の2回公演。

1回目が終わった後、こんにゃく座ファンクラブの企画で、4人の作曲家によるトークが行なわれる。適当なことを発言すると、別の人がもっと適当なことを言ったりするから、見世物としては面白かったのではないかな。

昨日の初演と合わせて3回の公演が終わったことになるわけだが、テンポや全体のテンション、逆に全体の落ち着き方などは、当然のことながらまだ揺れ動いている。

演者がそうであるように、作品も舞台の上で育つ。観客の息に触れることで初めて見えてくるものはとても多い。台本も音楽も演出も精査して上演を重ねることができれば理想だし、レパートリーとして定着させるにはそういった過程が不可欠だが、全5回だけの上演では熟しきらないうちに終わってしまうことになる。何十人もの人が、それぞれの持ち場を守りながら関わっている作品なのだから、すべての役割が機能し作品が熟成するには、観客に見守られる時間がたくさん必要なのだ。だが、この作品の再演は当分(二度と?)ないだろう。もったいないことだと思うが、それがこの国の音楽創作の現実なのである。

2007年2月23日 (金)

まっぷたつのなりゆき(16)

何も報告せずに寝てしまうわけには、いきますまい。

本日、2月23日午後6時30分、オペラシアターこんにゃく座公演「まっぷたつの子爵」、東京・世田谷パブリックシアターで無事に初演初日の幕を開けました。4人の作曲家によるオペラは、前代未聞の試みとして記録されるに足る作品に仕上がっていると思います。

今日は、14時から場面転換を中心に抜き稽古。演出の加藤さんは、ここにきて「ボク」役のまりさんにずいぶん厳しくダメ出しをしている。ひ弱な性格だったら、潰れてしまいかねないなぁ・・・とちょっと心配になるけれど、気合を入れるための確信犯的ダメ出しだったのかも知れない。4人の作曲家から出てくるそれぞれ違ったスタイルの音楽を、最も真正面に受け止めなければならないのが「ボク」で、その意味でも大変な難役だが、その大健闘ぶりについて、少なくとも稽古を多少なりとも見てきた人なら、誰も異論はないだろう。

カルヴィーノの原作は、小説で読んでも面白いけれど、かなり舞台芸術向きな構造を持っていると思う。このオペラの、音楽にしても歌唱や演技にしても、また台本にしてももちろん改善の余地はあるかも知れないが、良い原作に巡りあえてオペラ化できたのは、とても幸せなことだと思う。

明日から2日間、2回公演。チケットはまだありますよ~。詳細はこちら→ http://www.konnyakuza.com/

2007年2月22日 (木)

まっぷたつのなりゆき(15)

0222 午後から、抜き稽古。昨日まで仙台だったので、私は今日初めて会場に入る。

舞台はモノクローム中心だが、衣裳を着た歌役者たちが揃い、明かりが入り、大道具が動き出すと、そこには私たちの架空の村テッラルバが現われる。

午後6時から、本番とまったく同じ段取りでのゲネプロ。プレス関係などのカメラが何台も入り、客席では関係者とはいえ今まで以上の数のギャラリーが見守っているから、いよいよ総仕上げという心地よい緊張感が漂う。午後9時、カーテンコールまでを含むゲネプロは無事終了。上演時間約3時間という大作となった。明日は、午後から細かいダメ出しや部分稽古をして、午後6時30分、初日の幕が上がる。

あれ?「大魔女ビバリー様の部屋」がもう更新されているぞ。ビバリーとは、さっきまでみんなで一緒にいたんだけどな、三茶に。家に帰り着く時間の差かな。http://yamanekosama.cocolog-nifty.com/blog/

02221「大魔女ビバリー様の部屋」でも触れているが、この不思議な光景をご覧あれ。楽屋で、4人の作曲家がそれぞれ机に向かっている。4人とも、楽譜係・ともさんから出された宿題をやっているのです。宿題とは、楽譜の訂正や変更箇所などをそれぞれの自筆譜に書き込むこと。一番奥は、ひとり関係ないフリをしている演出の加藤さん。

「振り返ってみたりしようよ!」という音楽監督の提案によって、振り返ってみた。

02222

2007年2月19日 (月)

まっぷたつのなりゆき(14)

ピアノ以外の楽器も入っての通し稽古。衣装をつけ、メイクもして、もちろん本番と同じ道具を使っての稽古で、いよいよ初日が近づいているという緊張感と高揚感が漂う。

0219 きのこ平の人「ガラテーオ」。

0219_1 ユグノー教徒の人々。

今日で稽古場での稽古は打ち上げ。明日と明後日は、コヤ(劇場)に道具を運び込んでの仕込みが中心となる。今夜を持って、この稽古場のセットは解体され、トラックに積み込まれた。細かいダメ出しはまだ続いているものの、全体にはとても良い雰囲気でコヤ入りできそうだ。「まっぷたつのなりゆき」も、いよいよ最終段階である。

2007年2月12日 (月)

まっぷたつのなりゆき(13) 「別冊まっぷたつ~全曲完成記念号」とのリンク付き

午後6時過ぎ、こんにゃく座の稽古場を覗きに行ってみると、ちょうど休憩中で、テーブルを囲んで食事をしていた歌役者さんたちが拍手で迎えてくれる。

私の遅筆のためにこんなに完成が遅れたのに、このおおらかさというか太っ腹というか根性が座っているというか怖いもの知らずというか、何しろこのパワーが座の活動を支えているのに違いない。

休憩の後は、今日の昼に渡したばかりの譜面を中心とした音楽稽古。全体練習は昼間に終わっていて、この場面の登場人物役の人たちが居残って練習というわけだ。ついさっきまであれこれいじくっていた譜面がすぐ音になり歌われるのは、いつもながらちょっと妙な気分がする。

稽古が終わって、まずは完成祝い、音楽監督や大魔女ビバリーさまの声がけで、稽古場内通称パンチ部屋で数人で乾杯をしていると、その後も自主練習を続けていたメンバーが上がってきて、次々と輪に加わる。「あたしが出来上がった時も、こんなに祝ってもらってない」と、音楽監督がすねる。たしかに最後は「一人旅」になってしまったので、その分余計に応援してもらえたかも知れない。今日の昼間は、舞台衣裳のお披露目があったのだそうだ。初日はいよいよ11日後。

Photo_13 Photo_14

きのこ平の女たち+音楽監督+大魔女ビバリー、ユグノー教徒の男たち+トレロニー博士、そしてコワれるサッキョク家。

こんにゃく座ホームページ委員会(?)のとみやんは、宴会中も「座日記」を更新していました。

こんにゃく座「座日記」へのリンクはこちら→http://zakonnyaku.blog.shinobi.jp/

まっぷたつのなりゆき(12)

脱稿までのなりゆき。

2月9日(金)

留学生のための入試があったので、午後まで学校のお仕事。夕方は、来年度の研究プロジェクトの打ち合わせ。その隙間の時間に少し書く。研究プロジェクト関連のイベントのために、コントラバス奏者のKEIZOさんが仙台に来ているので、一緒に牛タンをもりもり食べ、夜は家に帰って書き溜めてあったところまで清書。

2月10日(土)

午前11時頃から学校の演習室にこもる。楽譜を翌日届くようにしようと、宅急便のサテライト店に駆け込んだのが20時。けれども、土日は発送できる受付が19時半までだというのだ。1枚でも多くとギリギリまで粘っていたのが裏目の大失敗!仕方がないから、演習室に戻って続きを書く。午前0時過ぎ、ざっくりとしたスケッチながら、ようやく最後の台詞まで到達。さすがに朦朧としてきたし、電気ストーブ1台では寒いので、細部を再検討するまでの元気はなく撤収。この日、外に出たりして休んだのは1時間くらいだけ。少なく見積もっても10時間は作曲していたことになる。

2月11日(日)

午前、研究プロジェクト関連のイベントを覗きに出かける。KEIZOさんが、ダンスのサトミ先生や朗読の早川氏とのコンボで演じた即興作品は、なかなか面白くて良いものだった。KEIZOさんは風邪気味、しかも車が壊れたと言うので、夕方楽器の搬出を手伝うことにする。午後のイベントは失礼して、いつもの演習室で昨日夜書いた部分が使い物になるかどうか見直す。概ね悪くはないけれど8小節書き替えて、約束の時間まで清書。KEIZOさんの搬出を手伝い、神奈川の家に戻る。深夜、清書など残りの作業を再開、午前2時頃すべてが終了。日付は2月12日とした。

そして本日2月12日13時、楽譜係ともさんに9枚を渡し、最後の受取りの仕事で稽古場に向かうのを握手して送り出す。いつも労をいとわず動いてくれたともさん、どうもありがとう!

たくさんのご声援、ありがとうございました。ご迷惑、ご心配をおかけしてすみません。4人で書いているのに、みんな早々と書き上げて私がぶっちぎりで遅れてしまったから、この数週間の声援は、他の選手はすでにみんなゴールしているのに、ひとりだけまだ走ってるマラソンランナーがもらうような暖かいものでした。

追記 「まっぷたつ」に関する記事は、「まっぷたつのなりゆき」というカテゴリーにまとめることにしました。バックナンバーは左側「カテゴリー」欄からどうぞ。

2007年2月11日 (日)

まっぷたつのなりゆき(11)

今どきは、文章の原稿だと大抵の場合パソコンを使うから、いくら初めにザクッと下書きをして少しずつ直していったとしても、書きあがった時には清書も同時に完成する。しかし、楽譜だとそうはいかない。いきなり本番の譜面を書く作曲家もいるかも知れないが、多くの場合スケッチとして走り書きしたものを後から清書することになる。

清書といっても、右から左へ書き写すだけではなくて、スケッチの段階で決まっていなかった細部を決めたり直したり、テンポやディナーミク、練習番号などを書き込んだりする作業だから、作曲の第二段階と言ったほうが良いかも知れない。

この数年は、楽譜も浄書ソフトを使うことが多い。けれども今回は、他の三人が浄書ソフトを使わないので、私ひとりだけキレイな譜面なんてズルイとかいう訳のわからない理由で、浄書ソフトの使用を禁止されてしまった。そこで、手書き、つまり古今東西の大作曲家たちとほぼ同じ方法で清書をしている。

手書きと浄書ソフトを使うのと、どちらが速い?とよく訊かれるが、どちらが速いかは微妙だ。

浄書ソフトだと、同じ音型が続くようなところはコピー&ペーストで一瞬にして完成だし、小節を飛ばしてしまったり、別のパートに書き込んでしまったりといった間違いの修復は簡単。楽器編成が大きくなると、小節線をひくこと自体が結構面倒なものだけど、浄書ソフトではそれはまったく意識する必要がない。

ただし浄書ソフトは操作が複雑なので、続けて使っていないと、細かい操作をすぐ忘れてしまう。ええっと、音符の符尾を逆向きにするのってどうやるんだっけ・・・と、わかり易いとは言えないオンライン・マニュアルを睨んでいる間に、手書きならば1段分くらい書けてしまうだろう。

そして一番大きな違いは、やはり手書きで楽譜を書くのは、作曲の仕事をしているという実感があることだ。もう30年くらいにもなる大半をエンピツで書いてきて、作曲とはそんなふうに手間のかかる手仕事であると、習い覚えてきたからだろうか。

「エンピツ」と書いたが、正確には私の場合はシャープペンシル。芯はハイユニの2B。先輩の作曲家に、今の若い人はエンピツでなくてシャープペンで書くんだってねぇ・・・と言われたことがある。もうずいぶん前の話だが、シャープペンを使って作曲することでさえ、先輩たちには新人類に見えるのかも知れない。

ただね、久しぶりに完全手書きをすると、やはり老眼の進み具合を実感するのだよ。悔しいけれど、今回は「おちか用眼鏡」がとても活躍している。

2007年2月 8日 (木)

まっぷたつのなりゆき(10)

6日の火曜日、楽譜係・ともさんに待機してもらって3枚渡す。3枚くらいで一日振り回してしまって申し訳ないけど、このあと仙台に行ったら、少しの間帰ってこられないから1枚でも多く渡したくて、待ってもらった。そしてその足で、仙台に移動。

これで何枚上がったのかな?この「まっぷたつのなりゆき」というタイトルの記事を(1)から順番に見ていけば、何枚になっているのかわかるはずだけど。あ、数えなくていいですからね。

怒涛のような二日間が、ようやく通り過ぎた。卒業論文と修了論文の発表と試問。試問を受ける学生くんたちやギャラリーからは「音楽島の8人の鬼」とかいう声もあがっているようだけれど、ぼくらも本当に消耗するのだよ。昨日なんか、夜遅く修士論文を読もうと思っても、どうしても目が活字を追って行けない。夜中には、両足がつって激痛で飛び起きた。今日Tルせんせは、上野で降りるべき新幹線が、気がついたら東京駅に停まっていたそうだ。いつもは深夜だか明け方だかまで研究室で仕事をしているさとてぃせんせは、憔悴した顔で守衛さんが巡回に来るよりも前に帰っていった。このふたり、どちらもこういうことはとても珍しい。

そして、試問を受けた皆さん、お疲れさまでした。でも、これで年度末行事がだいぶ片付いたことになる。やれやれ・・・。あ、明日は留学生の入試があるが・・・。

そんな中でスケッチを取るのは容易ではないけれど、時間がなくても少しずつでも書くようにしている。今かかえている場面は、いくつかのエピソードが続くのだが、スケッチはようやく最後の登場人物たちが出てくるところまで来た。今週は日曜日まで仙台に居続けて仕事をします。

2007年2月 5日 (月)

まっぷたつのなりゆき(9)

昨日2月4日の日曜日、楽譜係・ともさんに10枚、今日3枚渡す。まだまだ終わらない。明日も、1枚でも2枚でも渡せるように、本日も夜なべ。

終わってなくてもいいから稽古場へ来て見てよと、いろいろな人から言われ、私自身も行きたいなぁと思っていたのだけれど、まだひとりだけ曲が上がっていないのは、なかなか行きづらいものなのだ。だいいち、その暇があったら作曲しなければ、絶対的な時間が足りないし。

でも、粗いながらもはじめての通しをやるということなので、稽古場に行ってみた。光先生はじめ作曲家が4人とも揃って立ち会う。

Photo_9 1場からほとんど止まらずに通す。私の曲ができていないところは芝居で繋ぐ。なかなか面白いと思う。ただ、長い。休憩を含めて3時間を超えている。どこかをカットするのか、カットできるのか相談するけれど、結論は出ない。稽古を重ねるうちに、これからはもっとテンポも良くなっていくだろうけれども。

4人の作曲家がそれぞれに書いているものを繋げていくわけだけれど、今までこの4人の曲をよほどマニアックな関心を持っている聴いている人でなければ、どこで作曲者が替わったかわからないのではないかな。それくらい、大きな違和感なく繋がっていて不思議だ。

Photo_12 家に帰ってびっくりしたのは、本日の朝日新聞東京版夕刊。なんと題字の下に広告が!

「なに!?4人でオペラの作曲だと?!」

悪いかね?

2007年2月 3日 (土)

生まれ変わる音達

枽形亜樹子さんのチェンバロリサイタルに行く。新宿、淀橋教会。「生まれ変わる音達」とは、このリサイタルのサブタイトルである。

枽形さんは、大学の作曲科在学中に渡欧、優れたチェンバロ奏者になって、2000年に帰国するまで17年にわたって欧米で活躍してきた。作曲学生だった頃からよく知っているが、賢く元気な人柄は、面白いくらい当時と全然変わっていない。

昨今、コンテンポラリーが弾ける本格的なチェンバロ奏者がいなくなってしまった・・・とは、コンサート前のプレトークでの発言だが、彼女はまさにコンテンポラリーを重要なレパートリーとする数少ないチェンバロ奏者なのである。この日も、ベッツィ・ジョラス、ヤセン・ヴォデニチャロフといった、日本ではあまり知られていない現代作曲家のチェンバロ曲、成田和子氏の書き下ろし、そして北爪やよひ、間宮芳生両氏と私のピアノ曲をチェンバロで弾くというプログラムだ。

私のピアノ曲をチェンバロで弾いてもいいですかと枽形さんから聞かれたとき、考えもしなかったことだったのでとてもびっくりしたけれど、枽形さんはこの曲は「チェンバロにはまりすぎている」と言う。聴いてみると、たしかに元々がピアノ曲だとは思えないくらいチェンバロと馴染んでいる。いや、彼女がそういうふうに作ってくれているのだけれど。

とにかく音色が美しい。そして、見事なテクニック。プレトークで語っていた「チェンバロはピアノの仲間と思われているけれど、たまたま鍵盤の様子が似ているだけで、実はギターなどに近い楽器だと思った方が良い」という見方には、目からウロコだった。

作曲を勉強した人